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ドルフィンホテル・オフカイレポート Special

土肥温泉オフ物語


 まえがき

 この「まえがき」を書いているのは2004年の5月である。この土肥温泉オフの旅が行なわれたのは、1994年の10月ということで、9年7ヶ月の歳月が過ぎてしまっていた。
 この歳月の話と共に、ひとつの断りがある。「HP]という名前についてである。今では、「HP」は「ホームページ」と読まれるだろう。しかし、当時はホームページという言葉はまだ無かった。ひょっとしたらまだあったのかもしれないが、まだ一般的ではなかった。
 ドルフィンホテルは、ニフティーサーブというパソコン通信の個人向けサービスであるホームパーティーという場所にあった。ニフティと言えば、当時はフォーラムと呼ばれている会議室がメインだったが、小規模なスペースを個人で持てるのがホームパーティーだったのである。
 当時のドルフィンホテルで知り合った僕も含めた5人で、温泉オフというものが行なわれた。予定としてはもうひとり参加するはずだったが、直前でキャンセルとなった。確かこの温泉オフが行なわれる前は月に一度くらいは、新宿などの居酒屋を中心としてのオフ会を行なっていた。もともと僕と西部さんとではじめたドルフィンホテルである。たまに、会って酒でも飲もうというのが半分、誰か参加してくれたら嬉しい、という感覚だった。当時のオフ会での、いい意味での重鎮だった。年齢的にも50歳を過ぎ、会社でもそれなりの地位にいる人だった。そのSさんとの話が面白かったというのが、大きかったと思う。そうしたオフ会の延長線上に温泉オフというものがあった。行き先、宿探しなど、ほとんどのことはSさんにお世話になった。
 今思い出しても、それはそては楽しいものだった。

 大きな時間が流れ、このときの参加者のほとんどは今のドルフィンホテルにはいない。僕と西部さん、そしてこのとき不参加となったCOOさんが今も顔を会わせるメンバーである。
 実に多くの人が過ぎ去った。たぶん、自然なことなのだろう。

 それにしても、10年近く前の自分の文章を読んで、かなり恥ずかしくなっている。何も進歩していないように感じられる。
 今回、こうやって昔の文章をアップするのは、まあいいやという開き直りと勢いである。こうした姿もドルフィンホテルにはあったということだ。
 第2回目の温泉オフが開催されるかどうかは、わからないけれど。

(2004.5.20)



 (一) OFF LIMITS

 「このHPで温泉へでも行きたいね」

 こんな言葉を発してからどのくらいがたったのだろうか?
 しかし、人生なんでもかんでも言ってみるものである。温泉オフが実現してしまった。
 94年10月15・16日に、Sさん、Kさん(今回唯一の女性参加者)、Dさん、Jさん、西部さん、そして私(支配人)で、西伊豆の「土肥温泉」でゆっくりしてきたのだった。

 10月15日、土曜日。僕はこの日東京駅18番ホームの最も南側でたたずんでいた。集合時間よりも少し早めに着いたのでここで、新幹線の発着を見ていたのだ。こんな風に列車をゆっくりと見るというのも始めてのことかもしれない。
 実を言うと僕は子供の頃、この列車というものが大好きだった。Nゲージ(列車のミニチュアモデルのある規格)の機関車と確か線路が30センチメートルくらい持っていたと思う。お金がなくてそれ以上買うことはできなくて、部屋いっぱいに列車を走らせる夢は遠いむかしに消えてしまった。ということで僕はこの時しみじみと新幹線とその他の電車と駅の風景をずっと見ていたのだった。
 ここは人と人との出会いと別れの、いくつものドラマの場所となったこの東京駅だ。ふと気が付くとこのホームの端には、誰かはわからない顔のレリーフと「OFF LIMITS(立入禁止)」と書かれた看板を見つけた。
 線路というのは一見どこへでも続いているみたいだが、よくよく考えてみるとこの線路の上しか走れないし、こんな看板もあるしなんと規制の多いことだろう。
 そんなことを考えたり、今回のオフのことを考えたりしながらホームをあちこち歩いているといつの間にか約束の12時となり、西部さん、Dさん、Kさん、Jさんの参加者が集まって来ていた。
 Dさんは手に「剣客商売」の第一巻を手にしていた。やっと読む気になったようである。
「この旅行から帰ったら残りを全部買います」 彼はそう言っていた。
 ここにも新しい旅がまた始まっていく。


 (二) ハンバーグ弁当と去ってゆく東京

 新幹線「こだま号」は思いの外空いていた。旅なれた人の話では休日はいつもこんなものなのらしい。3人掛けシートが回転しないやつだったので仕方がなく、2人シートを回転させ、4人+1人で座席に着く。
 なんというか、修学旅行みたいな雰囲気でなかなか楽しい。けっこう話もはじめからはずんでいたようだ。
 走りだしてしばらくすると、車掌さんの切符のチェックが入る。Jさんが切符を差し出した時、この車掌さんは「ここだと遠いですね」などと親しげに意味不明なことを語りかけてくる。よくよく聞いてみると、みんなが三島までの切符を持っていたので、乗換の時この車両からちょうど反対側でとても遠いらしいのである。
 ちょっと初めはわけがわからなかったが、こんな風な親しみを込めた言葉をJRで聞くとは思わなかった。
 いい旅になる予感がちょっとしたのだった。

 こだま号はあっという間に次の停車駅「新横浜駅」へと到着する。
 ここでSさんが合流する。ホームで並んでいるSさんとすぐに眼があい、何事もなく今回の参加メンバー全員がそろう。よかったよかった。

 ここでこの日のお昼御飯の時間。誰がどんな弁当を食べるのかを見るのも、誰がどんな本を読むのかと同じようなもので、けっこう面白かったりする。
 まず、Jさんはサンドイッチ。いかにも土曜日の午後という感じである。Dさんは、東京駅ホームで購入のお寿司の弁当。なんかとっても立派な入れ物に入っていて、いかにもDさんらしい。西部さんとKさんは同じく東京駅ホームの旅の原点とも言える「幕の内弁当」である。席が向い合っている為に飲物を置いておく場所がなく、西部氏は膝の間にカンのお茶を挟んでいる。
 Sさんは横浜名物=uシューマイ弁当」である(+ビール)。弁当の他にも我々の為にシューマイを買って来てくれて、みんなで食べる。ごちそうさまでした。オイシカッタ。
 そして僕は、ビールを飲みながら、「ハンバーグ弁当」を食べていた。

 実は僕はこの前の日に吉本ばななの新作「ハチ公の最後の恋人」(メタローグ)という本を読んだところだった。彼女らしさにミガキがかかり、簡単に読めてよかったのだが、その中に東京駅から恋人と一緒に新幹線に乗って温泉へと行くシーンがあった。
大丸の地下でハンバーグ弁当を買って、ビールを飲みながら去ってゆく東京を見ていた。
 ということで、僕は外の景色を眺めながら静かに弁当を食べていたのであった。

(注:厳密に言うと、大丸(東京駅の隣にあるデパート)の地下の弁当売場には、 このハンバーグ弁当≠ニいう名前のものは売っていなかった。20分くらい歩いて捜したので間違いはないはずだ。仕方なく買ったのは、「とき」という名前の(なんでこんな名前なのかは今考えてもよくわからない)750円のハンバーグがおかずになっている弁当だった。ちなみにこの大丸の地下には美味しい弁当がいっぱいそろっていて(特にせいろモノが美味しそう)椎名誠のエッセイでは、ここで弁当を買って新幹線の中で原稿を書く、という話が書かれてあったはずである)


 (三) 伊豆急行鉄道に乗って

 弁当を食べ終りちょっとゆっくりしてこれからの予定表を眺めていると、もう最初の乗換地点である三島駅へと着いてしまう。通勤列車と呼ばれているこの「こだま号」で旅をするのはちょっと無理があるのか、ややせわしなさを感じてしまう。
 多少の乗換時間はあるのだが、ほとんど知らない駅でもあることで、ちょっとため息をする暇もなく、急いで「伊豆急行鉄道」の乗り場へと移動する。確かに少し遠かった。ホームをほぼ端から端へと歩き、在来線の線路の下を横断し、やっとのことでたどりつく。470円の切符を買い改札を抜けると電車が発車して行く!!
 と、一瞬焦ったがこれは前の電車で、予定していた電車へゆっくりと乗り込む。
 この電車はどちらかというと、学生の通学電車という雰囲気である。あちあこちらに座っている、女子校生の単語帳を見る姿が、とても静岡県らしく(そうなのだ、ここはもうあのサッカーの地、静岡県であった)すれてなく、青春小説の舞台となりそうな電車だった。
 外の景色はというと、……。この辺りは線路と民家とがほとんどくっついた状態で、ゆっくりといろいろなタイプの家を見ながら進むという、ほのぼのとした景色だった。
 しかし時には、道路と平行して走る所もありそんな時、ハーレーダビットソンのおじさんツーリング集団に出会ったりするのだった。
 Sさんは、この時(初めて)バッグからカメラを取りだし、このハーレー集団を写真に撮ろうとしたが、カメラを手にした時にはもう窓の外に道路はなかった。
 それからこんな景色にも出会った。右手を見ていると、この伊豆急行鉄道の本社の建物が見えた。そこには大きなタレ幕に「西武ライオンズ優勝おめでとう!」と書かれてあった。
 鉄道だけでなく、やたらと西武のバスも見かけるし、色々と頑張っているんだなと感じてしまった。
 ふと気が着くと、みんなそれぞれに話をしたり、もの思いにふけったりしている。
 そう言えば、駅と駅との間隔がやたらと狭かったり、(ほんとに発車したと思ったら、すぐに次の駅へと着いていた)なんとなく、不思議な電車だった。


 (四) 秘境の温泉への試練

 約40分くらいで、修善寺の駅へと到着する。駅から出ると天気もよく思わず背伸びをしてしまう。
 バスの待合所で時間と料金のチェック。今回の旅でのこういったことは、そのほとんどにおいて、Sさん、西部さんにより行われた(ドウモアリガトウゴザイマシタ)。
 僕はだいたい何をしていたかというと、眠そうな顔をしていたり、ボーとその辺を眺めていたり、いいかげんな奴だった。
 修善寺というとわりと有名な所みたいなのだが、その修善寺≠ニいう場所は、この修善寺≠ニいう駅からやや離れたところにある。よってこのバスの待合所はそんな色々なところへと向うバスがいっぱいにならんでいる。
 そんな中のバスの一台、「松崎行き」というバスに乗り込む。そうとうにオンボロのバスであった。運転手の後ろのところにはテレビがあったのだげど、それは今時珍しい手で回すチャンネルのものなのだ。

 バスはどこかこの辺の温泉を訪れる客や、通学の学生などでほとんど満員であった。ひょっとしたら補助椅子も必要かな、と思ったくらいである。
 しかしこのバスは暑く寒く狭く、悲しいくらいにひどいものだった。そう言えばバスに乗ること自体が久々なものだ。実は恥ずかしながら僕は子供のころ、わりとバス酔いのするほうだったのである。Kさんもバスは前の方に乗っていたらしい。
 このバスは初めの頃はそんなんでもなかったが、しだいに山道に入るとけっこう揺れてきた。クネクネとした狭い山道を右に左に揺れながら進んで行く。
 道は本当に狭く、時々擦れ違いが辛かったりする。
 みんなはもう結構疲れてしまっていて、寝ている人もいた。時々眼をつむったり山の景色を眺めていたりしていた。なにせ50分ほどもこのバスに乗っていなければならないのだ。
 外の景色はなかなかよかった。このあたりはわさび≠フ産地のようで、ところどころにわさびの直売所があったりするのだ。
 山道の登りはそれでもまだ平和だった。あと到着までもう少しというところで、下りに突入すると運転手がいきなり頑張りだして、カーブも全開走行となる。
 反対側からクルマが来ると当然危ないシーンがあったりするわけで、頼みもしないのみ我々はスリルとサスペンスを味わってしまうのであった。

 思えば、いい温泉地というものは、秘境≠ノあるものだ。この西伊豆というところも伊豆の数ある温泉地の中では、不便なほうの筈だ。
 土肥温泉に着くには、それだけ長く辛い試練があるのかもしれない。


 (五) 温泉お宿 かねう

 山道を過ぎるとちょっと橋を越えて、もう港町「土肥」である。馬場という停留所で後ろ側の席から荷物を持ってバタバタと降りる。
 バスが過ぎ去ってしまってちょっとたたずんでいると、かすかに潮の香りがしてくる。Sさんの地図を片手に民宿を捜す。歩いてみると昔風の家が多い。瓦屋根でなんか懐かしくなってくる。小さな道の脇には小川が勢いよく流れている。この辺はとても静かなので水の音がよく耳に入るのである。
 神社を見つける。お祭りをやっているのである。
 ちょっと地元の人に道を聞くと、「この先を行くと看板がでていますから」と教えてくれる。
 いくつかの民宿やら旅館がひっそりとある一角に我々のお世話になる、温泉お宿かねうがあった(注:正確にはこの名前は漢字で書かれていた。多分「か祢宇」と書く)
 さっそく2階にある部屋へと向う。お茶を飲んでゴロンと横になったりする。
 静かで本当にいいところだと感じた。
 この建物はまだ出来て間もないみたいで、畳もとても奇麗である。ちなみにこの民宿は母屋と、我々男子グループの泊まった新館とがある。けっこう複雑な造りになっていたりしていてとても楽しいのだ。
 ちょっと休んだところで、海まで散歩に行くことにする。
 自分の部屋で休んでいたKさんを呼びに行ったのだが、なんと屋根の上の洗濯物干し場を通って部屋へといくのである。
 女性一人の部屋を訪ねるというのは緊張するもので、おそるおそる「すいませ〜ん、Kさ〜ん」と声をあげ彼女の部屋にいった(しかし、これは修学旅行的な感じだね)。
 Kさんの部屋はちょっと古ぼけた感じで、いい味が出ている。とても広くちょっと夜はこわそうである。『土肥温泉殺人事件・美人OLが民宿で見たものは!?』なんで雰囲気だ。


 (六) ビッグな花時計にビックリ

 宿のおかみさんに海までの道を教えてもらって出発する。
 まずはこの民宿のすぐ近くにある、安楽寺・まぶ湯なんてところを歩く。まぶ湯はひょっとしたら入れるのかなあ、と少し思っていたのだが、誰もいなく何もなく見ることもできなかった。
 それから川の脇をずうっと歩いていく。しかしこの川は蚊が多かった。「いい空だなあ」などと言って、深呼吸などをしてしまうと、いっぱい蚊を吸い込んでしまいそうなのである。口をギュッと固く結び歩いていく。蚊はなんとか吸わずに済んだはずなのだが、あちらこちらと刺されてしまったようで、けっこう困ってしまった。 でも景色はなかなかよい。左手には川が静かに流れ、右手には「湯けむりセンターA」やら、焼肉やラーメンなどの看板の出ているお寿司屋さんやらなにかとあやしげな店があったりする。
 この町の一番の繁華街らしきところに、「ス○○○プ」なる看板を見つけてしまう。静かな、本当に静かな温泉地だと思ったこの地もやはり、そうでもない一面があるみたいであった。
 そんなこんなでほんの数分で海が見えてくる。みんな顔がいきいきとしてくる。
 まずは松原公園というのが見え、行ってみる。その手前には温泉の湧き出ている搭のようなものがあり、思わず手を入れてしまったりする。
 実はこの松原公園という所にはもの凄いものがあった。
 花時計である。なんでも世界一の大きさでギネスブックにも載っているとのこと。花は飾りであるだけで、大きな針がグルグルと回っているだけで、別にどうってこともない。民宿に帰ってからガイドブックを見てみると「ビッグな花時計にビックリ」なんて書いてあって、僕はとってもビックリしてしまったのだった。


 (七) 落陽

 この公園から松の木を堺にして、砂浜がある。夏は海水浴場。砂浜を歩くなんて何年ぶりだろうか。僕は以前こうした海の近くに住んでいたことがあるのでほんとうに懐かしくなってしまった。
 すぐ脇にはホテルがいっぱい立っていたりする。夏に泳ぎにきてもいいところのようだ。
 遠くの方に船が見えたりして、とても楽しい。水が奇麗で魚の泳いでいるのが見えたりするのも、とてもうれしい。
 ひょいと砂浜をダッシュしたり、石を投げたりしてしまいたくなる。海に向って石を投げてみたが、久々なのでちょっと肩が痛かったりする。
 そして、遠くのほうに見えるアベックに思わず本気で石を投げたくなったりする。
 あまり人もいない。静かでこんなところで一日中本でも読みたい気分だ。砂浜をずうっと歩いて、もう少し向こうにある漁港のほうまで行ってみることにする。

 ここの港はとても小さな港だった。船は釣り船が多いようであった。防波堤で沢山の人が釣りをしている。
 そんな中を、様子をのぞき込みながら、防波堤の先の灯台のあるところまで歩いて行く。Dさんは防波堤の高いところにひょいと登り、見晴らしのよいところを歩いている。
 釣りをしている人が殆どなのだが、何組みかの女性同志で歩いているグループもあったりした。そう言えばこのところ女性3人くらいでの温泉旅行が流行っているようだ(?) 『美人OL3人組殺人紀行、悲しみは夕日に沈む』なんで雰囲気かな、と思ったのだが、Sさんに言わせると「あれは、会社の旅行で男連中がみんな釣りをしているので、彼女たちは暇でただ単に見ているだけだ」なのだそうである。

 ちょうど一番先に来た頃が夕日が最も奇麗な時だった。
 みんなボーとなってこの夕日光線に参ってしまっていた。太平洋側の海で夕日が見られるとは思っても見なかった。この土肥は西伊豆に位置する訳で、本当は陸地へと沈むはずなのだが、ほとんど海ぎりぎりに夕日がある。
 しばらくじっとしていると、少しづつ、そしてあっという間に、夕日が欠けてしずんでいってしまった。空と海とのあいだに沈んでいったのだった。ほんの少しの出来事だったけれど、ずっとこの眼に焼き付けていたかった。
 帰りの道を歩きながら、僕は実は吉田拓朗の「落陽」を口すさんでいたのだった。

 電信柱の貼紙で「お嫁さん募集」なんてのを見つけて、すかさず写真に撮ってしまう。この町はとってもいいところなのだが、いろいろな問題を抱えているのかもしれない。むむむ。


 (八) まずはひと風呂

 宿に帰ったのが確か5時20分くらいだったと思う。夕食までの時間にお風呂へと入る。民宿のお風呂なわけで、当然大きさも限られるだろうし、正直なところあまり期待はしていなかった。
 ところが、である。
 この建物自体最近建てたばかりのものなのだが、その中にあるこのお風呂も立派なものだった。湯船は同時に4人くらいは入れる大きさ。岩風になっていて、小さいながらも情緒があったりする。それにちゃんとシャワーもありとってもキレイだし、グッドだ。
 ちょっと悲しいのは、民宿のため仕方がないのだろうけど、お風呂がこの一つしかない。入口の前に立札があり。「男性入浴中」「女性入浴中」「家族入浴中」といった札を表にしておくのである。 あとてこっそりとこの札を……、なんてことはやりませんでした。あしからず。
 ということでKさんにはゴメンナサイで、Sさん、Jさん、西部さん、僕がとりあえずここでひと風呂浴びたのだった。

 さて、さて。いよいよ夕食である。船盛りとはいったいどの位のものなのか。期待に胸が踊る。6時ということで、準備が出来たら声をかけます、と言われていたのだが、なかなか声がかからない。ちょっと様子を見に行ったりとけっこうウロウロとしていた。
 「食事の用意が出来ました、こちらへどうぞ」
 我々は一階の庭を通り、母屋へと向った。


 (九) 超″級リ刺身の船盛り宴会

 自分達の食べるテーブルを見たとき。何も発する言葉はなかった。とにかく今まで見たこともない超豪華¢D盛りがテーブルの真中にデンを置かれていた。
 大きな船の中にめいっぱい≠ノ色々な刺身がコレデモカ、コレデモカ、とのっているのだ。
 みんなとにかくびっくりして、呆然と立ちつくす。写真を撮らなくてはと、部屋にもどる人もいる。
 民宿の人(おかみとおばあさんと娘さん?)はその姿を見て、何があったのかとおろおろとする。なんか間違いとか失礼なことでもしたのかと心配になったのだろう。
「あんまり、凄いものでびっくりして写真に撮ろうと思いまして」「あ、そうですか。どうぞどうぞ」
 ちなみにこの船盛りは特別料理という名で全部で13000円のものである。 とにかく、これだけの料理を東京で食べるとすると、いくらかかることやら。
 真ん中の刺身についつい眼がいってしまうが、それ以外にもいっぱい料理が並んでいるのである。ぱっと見たところではとても全部を食べられるとは思えない。食べ物は残してはいけない。僕は今までずっとこう思って生きてきた。しかしこの時、これはいくらなんでの無理だ、そう思ったのだ。
 カニ、海老、煮物、揚げ物、漬物、煮魚……、ごめんなさい。何がこのテーブルに乗っていたのか、もう忘れてしまった。しかしそれはあまりの迫力で忘れてしまったのである。しかも、この日はお祭りだということで、お赤飯のサービス付なのである。その他にトーゼン白い御飯がある。

 しっかりと写真を撮って、ビールで乾杯をする。
 しばし、直前で仕事のためキャンセルとなったCOOさんのことを考えてしまう。
「COOさんは、ひょっとしてまだ仕事をしているのかなあ。かわいそうに。彼女の分まで精いっぱい食べてしまおう」

 この料理がいかに凄かったかは、何度言っても足りないくらいだと思う。
 はじめの1時間は、船盛りの刺身をいくら食べても全く減っていくようには見えなかった。
 海老のその姿はとてつもなく立派すぎて、僕は指を切ってしまった。西部さん、Kさんは、揚げ物を最後に残しておいた為にお腹がいっぱいで食べられなくなっている。Jさんはしかし、顔色を変えずにいっぱい食べている、凄い。Dさんはどんな時もひたすらマイペースだ。
 僕は魚の料理は大好きなのだが実はサザエだけは、食わず嫌いなのである。しかし、Sさん、Jさんなんかは、食べなれているのか、とてもおいしそうに食べていた。
 庭への戸は開けたままにしているので、風がとても気持ちがよい。また時より秋の虫の声が聴こえたりして、酒もすすむのである。
 ところでこの部屋は、トーゼンのことながら(民宿なので)普通の家の一番大きな座敷の部屋である。先祖の写真なんてのが飾られていたりして、まるで親戚の家みたいである。襖なんかはとても立派でなんかうまく言えないが、とっても凄かったりしている。庭には水晶があったりと、なんかとっても凄かったりしているのだ。
 その他、別な部屋には油絵があったり、帰る時に貰った宿の名刺も紙が独自に造ったもののようだった。
 あちらこちらに美術的センスが散りばめられていたりしていて、こんなところで話がはずんだりする。
 なんとか、料理をほぼ残さずに食べることが出来そうだった。しかし白い御飯も捨て難い。西部さんは、おしんこ+お茶漬け作戦でラストを決める。
 ほんとうに、ほんとうに、満足していた。


 (十) 祭のあとのさびしさは

 部屋へ戻り少し横になったりして休憩。もう布団が敷かれている。しばらく時間をおいてからミーティングを行うことにする。
 この間にKさんがお風呂へ。Sさんは横になり雑誌「サライ」(だと思ったが?)を読む。Jさんはテレビを見て、あとは本を読んだりテレビを見たり、横になり牛になったり、ぐったりと温泉気分を味わっていた。
 Sさんはほとんど眠りかけていた。
 Kさんがあがってから、Dさんがお風呂へ。それから僕と西部さんとでちょっと散歩へ。ゆっくりしていたKさんも誘って、ゆかた姿で少しばかり秋の夜長を楽しんだ。ちなみにKさんもしっかりとゆかた姿で髪もアップにしてとてもユカタユカタしている。
 とても「シン」を静まりかえっているこの辺りである。変な看板があったりと、知らない街を歩くのは面白い。むかし、趣味の欄に散歩≠ニ書いたことがあるが僕はとてもこの散歩というのが好きなのである。

 すぐ近くで祭をやっていたので行ってみたが、もうそこは終って誰もいなかった。
 沢山の椅子とか机とかが、そのままになっていた。誰もいない祭のあとの場所はとても寂しそうだった。
 缶ジュースを6個買ってゆかたの懐に入れ部屋へともどった。


 (十一) 来年の予定その他

 缶ジュースを飲みながら、語り合いは始まった。
 支配人がただ一人張り切っている、今回のメインとも言える会議の時間である。
「このところ書き込みが少ないね」などと声を張りあげたりする。
 別にこれまでの反省というわけでもないのだけれど、もうこのHPも2年になるのでとにかくみなさん、よろしくおねがいします。
 のんびりやっていきたい、というのと、もう少し参加者がいてくれたら、というのがある。しかし、今のニフティのあのBBSでは、あまりにもイメージが悪すぎるのではないだろうか。このHPもひょっとしたらホテルでえっちが出来るところ≠ネんて誤解されかねない。
 とにかく最近減少している女性メンバー獲得の為に、Kさんにも広報担当になってもらい、BBSでこのHPの宣伝活動をしてもらうこととなった。

 それから名称変更については、「まあ今のままでもいいんじゃない」という意見が大勢を占めた。このどるふぃんホテル≠ニいう名称とパスワードのMIFUYU=iで、いいんだよね。実は僕は忘れてしまっていたりして……)というのは、とっても深いものがあり、なかなか鋭くでよい、という意見もあった。

 そして問題は、来年のこの温泉オフの開催地である。先ほどの料理がとっても凄かったので、みんな当然のごとく来年も開催され、参加するつもりになっている。
 西部さんが突然、「やっぱり韓国にしよう」と声をあげる。今この韓国は飛行機ですぐだし、旅費も安いし、向こうでの物価も安いし、国内を旅行するのに比べても全くひけをとらないのである。
 確かに韓国料理には深いものがあり、日本に住む我々としても、もっと隣の国について知る必要もある。
 西部さんは、この旅でずっと読んでいる呉善花の「恋愛交差点」(角川書店)を取りだし(この本ですよね?)韓国の面白さについてレクチャーする。
 僕もこの呉善花の本は好きで「スカートの風」(三交社)の他ずっと読んでいるがとても面白い。すぐ隣の国で顔も似ているのにその文化や習慣などは全然違うのである。
 例えば韓国では、男性が女性に声を掛ける時、最低でも10回くらいはしつこく誘う必要がある。(とにかく韓国では男が女にやたらと声を掛けるらしい)女性の方は一回目で「ハイ、いいです」なんて言ってはいけないのだそうである。何度も声を掛けてこそ、初めて熱心な恋愛≠ニ見なされる。
 この話をしていると、Kさんは「私も韓国に生まれればよかった」と言う。
 しかし、実は韓国では完全な男性社会なので、結婚してからの女性は大変のようである。
 とにかく日本と韓国は豊臣秀吉の影響とかいろいろとあって、もっと本を読んだり勉強する必要がありそうだ。実は何人か韓国大好きという人の話を聞いたことがあるが、その面白さにとてもはまってしまうらしい。
 あまりわからないことが多いが、韓国料理が美味しいのは確かだ。
 と言うことでいつの間にか土肥温泉サミット共同声明は「来年はソウルへ行こう」ということになってしまった。
 僕は海外で行ったことはなく、当然パスポートも持っていない。「西部さんが幹事だからね」と言うと。
「それは旅行会社の人がやってくれる」だそうです。
 どうなることやら
 今回のこの温泉オフも実現できたわけで、確かに今から話をしておくと、なんとかなりそうには思えてくる。


 (十二) 私のこの一冊

 今回のこの温泉オフのメインとも言える企画がこの「私のこの一冊」であった。それはそれはとってもびっくりどっきりで盛り上がったものとなった。
 まず各自から紹介された本である。

 ○Kさん
  「桜もさよならも日本語」 丸谷才一 (新潮社)
  「下町探偵局 PART2」 半村良 (角川文庫)
 ○Dさん
  「恋歌」1〜3 谷川俊太郎編 吉行和子編 中島みゆき編 (作品社)
 ○支配人
  「『在外』日本人」 柳原和子 (晶文社)
 ○Jさん
  「宮沢賢治全集7」(銀河鉄道の夜、セロ弾きのゴージュ、風の又三郎 他) (ちくま文庫)
 ○西部さん
  「青が散る」 宮本輝 (文春文庫)
 ○Sさん
  「ながい坂」(上・下) 山本周五郎 (新潮文庫)

 しかし、よくぞこれだけ個性的でおもしろそうな本が集まったものである。
 まずはKさんが恐る恐る丸谷才一の「桜もさよならも日本語」が出てくる。いきなりゴールを決められたみたいでシーンとなってしまう。確かに日本語というのが今、とてもおろそかになっている。Kさんの話を聞いていると読みやすそうだし、ぜひ読んでみたい本である。
 ちょっと真面目路線からいきなり半村良へと話が飛ぶ。Kさんはなんでの半村良の酒場の女不倫モノが大好きなのだそうだ。ほろりとくるのかも……。
 Dさんの「恋歌」には、みんなもう呆然としてしまう。過去このHPではほとんど出ることのなかった本、詩集である。
 むかし人、例えば高杉晋作の詩から現代のポップな歌の詩まで色々な詩が載っている。サザンオールスターズの詩なんてのをじっくりと見てみると、たまらなく、胸が締め付けられたりする。
 Dさんはツーリングの合間に、ちょっと河原で休憩でもしながら、読んでいるんだろうな。
 Kさん、Dさん、と強烈な本が登場したので、次の僕としてはとっても困ってしまった。
 恥ずかしながら、本を取り出す。実はこの「『在外』日本人」は出版されたばかりの本である。
 この晶文社という出版社からは、インタビュー本≠ニいう本がいくつか出ている。例えば「仕事!」「家族?」「子供!」「OL術」といったもので、そのテーマでの普通の人たちを対象といたインタビュー集なのである。けっこうボリュームがあるのだけど、とても内容があり、おもしろい。少し前に「『在日』外国人」なんて本も出ていて、関連してこの「『在外』日本人」を紹介したのである。
 A4で573ページもあり、とっても重く、次の日の移動の時も大変だった。
 Jさんの「宮沢賢治全集7」にも一同びっくり。実はこの本には異稿≠ニいうものが入っているのだ。つまり出版された最終版となる前の原稿である。
 とてもマニアックだ。本当に好きな人でなければ読まないのかもしれない。
「それで違いはどうでした?」とJさんに訪ねると、「……」との返事だった。
 西部さんは他には絶対に考えられない、何か何でもこの本だという口調でこの「青が散る」を取り出す。以前松田聖子が主題歌を歌ってテレビで話題になったりもした本である。
 確かに僕もこれは青春小説の大傑作ではないかと思っている。
 特にこのタイトルがいいよね。青(青春)が散る=B
 ラストのシーンはなんとも言えない。西部さんはもう何度が読み返しているみたいだけど、僕にとってこの本はあまりにもまぶしすぎて、どうも読み返しは出来そうもない。
 ラストのSさんは20才の初めに読んだという山本周五郎の「ながい坂」である。やはり時代小説には何か本の原点というものがあるのか。
 誰もが20才くらいに読んで、何かを感じ、そのままその気持ちを引きずっているような本というのがあるのではないだろうか。
 そして、人生というながい坂≠上っていくのか。

 ということで、大盛況のこの企画だった。サッカーに例えるなら、HPでの企画がJリーグで、今回の温泉オフでの「私のこの一冊」はまさにカタールでの国際大会のようなものだった。
 それぞれ、自分の秘蔵の誰にも話のしたこともないような、今までなかった本の紹介だったので、こうやって書いてよかったのか、やや考えることもあった。


 (十三) ゆったりと、くつろぎの夜

 ようやく本の話も終り、秘蔵の話をして(これは内緒にしよう)、テレビをつけくつろぎタイムとなった。スポーツニュースにチャンネルを合わせアジア大会の結果を見る。そう言えば今回のオフの日程での2日目はちょうどサッカーの決勝とダブる予定だったのである。ちょっと困ったことになるな、と思っていたのだが、全然心配するには到らなかった。嬉しいような、悲しいような……。
 もうみんなゴロンと横になったりめいめい勝手な格好となっている。
 寝るまえの、こうやってくつろぐひとときというのが一番好きな時間である。
 Kさんもくの字≠ニなっていたのだが、西部さんがカメラを手にするとなぜかピョッと起き上がってしまう。最近はやりの形状記憶シャツのようであった。
 くつろいでいたからか、けっこう昔の本とかまんがとか、テレビとか、そんな話をしていた。ゆったりと、時間のたつのを忘れて……。
 トントントン、何か音がする。トントントン、「あの、すみません」
 宿のおかみさんの声だった。
「もう12時を過ぎています。隣のお客さんももう寝ています。お部屋へ戻ってもうお休みになってください」
「……、はい。すみません」
 つまり、我々は怒られてしまっていたのだった。ハハハ。

 考えてみればこうした宿のおかみさんも、夜は客を寝かしたり、朝は起こしたりと大変な仕事なのかもしれない。
 Kさんは部屋へ帰り、我々はすぐさま布団を被って寝てしまったのであった。
 僕は夜中に一度トイレに起きた。どうも慣れない枕と布団で眠れない時間を持ったりもしていた。みんなはどうだったのだろうか。この夜はいくらか雨が降っていたようである。Jさんなんかは知っていたようで、つまりは起きていたのか?
 でも僕も一晩中起きていたわけではなく、けっこうぐっすりと寝ていたようっであった。


 (十四) あさごはん

「朝ごはんができました、下で食事をとってください」という声で目が覚める。
 まわりを見るとSさんがいない。なんと朝風呂に行っていたようなのだ。さすがである。温泉達人の道を究めるには早起きをしなければならないのだ。
 一応顔を洗って、下の食堂へ降りていく。もちろんまだゆかた姿のままで髪もぼさぼさの状態である。Kさんはもうちゃんと着替えている。さすがだ。
 ちょっと遅れて、風呂あがりのSさんも登場して、朝御飯となった。
 刺身、卵焼き、干乾しの焼き魚、海苔、海老の味噌汁、漬物、なんたらかんたらその他いろいろといっぱい並んでいる。普段はあまり食べないという人もいたが、元気に美味しくおかわりをして食べていた。特に僕はこの魚が美味しかった。御飯もおかわりしてしまう。
 しかしこうやって食べていると、なかなかいっぱしの家族らしい雰囲気である。黙々と何も語らずに静かに食べている姿もなんかいい。ちょっと年齢的に家族にしてしまうには無理があるのかもしれないけれど、なんか久々に大勢で食べる朝食で僕はひそかにうれしく感じていた。
 おかわりをする為に茶碗を出すと、Kさんが御飯をよそってくれたりして(Kさん気をつかってもらってアリガトウ)とても絵になる朝御飯だった。

 その後、僕と西部さんはすかさず風呂に入り、目を覚ます。
 それから朝のゆったりした気分を味わい、部屋でこれからの予定をたてた。
 まずは、この土肥温泉の目玉である金山≠ニいうところに行ってみることにする。どんなところかはガイドブックでしか知らないけれど、近くにありそうなのでまずは行ってみることにする。
 Sさんにこの宿の会計を済ませてもらい、みんなで清算をする。
 一人当り11,150円位。確かに安かった。また来てもいいかもしれない。
 ところであとでこの明細書を見てみると、税の欄に「入湯税:150×6」なんてのが書かれていた。
 それからこの時貰ったこの宿の名刺の裏には、次の文章が書かれている。

   海と冨士 温泉と美味しい海の幸
   「かねう」は 西伊豆の親戚の家です。


 (十五) 金山その一 土肥金山

 小雨の中お世話になった「かねう」を後にする。
 Sさん、Kさんが傘を持っていなかった為、宿のおかみさんにビニールの傘を「そのままでいいですから」といただいた。 昨日はとてもいい天気で雨など降りそうになかったのにどうしたのだろうか。
 Kさんは他のメンバーが傘を準備していることを不思議がっていた。

 さて目指すは土肥金山である。橋を渡り、学校の脇を通り、少し歩く。
 この辺りでDさんと話をしていると思わぬ真実が……。Dさんは以前にもこの土肥温泉を訪れており、金山にも行ったことがあるとのこと。それからもう少し先にある恋人岬≠ノも……。 これ以上多くは語らないことにしよう。
 しばらく歩くと何やら観光センターのような建物が見えてきた。どうやらここが土肥金山らしい。単なるお土産やさんか、と思ったが実はとても凄いものだった。
 この土肥の町というのは江戸時代には幕府の直轄金鉱として栄えたところなのだ。
 それが昭和四十年まで実際に採鉱が行われていた。そして今は、この坑道の一部が公開されていて資料館みたいなものになっているわけなのだ(ガイドブックを見ながら書いている)。
 800円の入場料を払って入口に行くとそこはもう坑道(つまりは山の中のトンネル)へ入っていくのだ。ひえ〜。初めはややこわそうだったが、ここはわりと観光客用に整備されているようでそれなりに明りがあり、手すりがあったり、地面も歩きやすかったりと、けっこう安心して歩いていける。とことどころに説明の絵や文章があったりと、洞窟の中が資料館になっているみたいなものである。
 もうしばらく歩いていくと、実物のような人形があって採鉱している様子がわかったりする。なかなか面白い。女の人の温泉に入っている姿もあったりして、ちょっとよかったりもする。
 そうしてそうとう広い坑道の中を歩いていくうちに、興味深いことに気づいた。この金鉱の背景として、いたるところに徳川家康と大久保長安という名前が出てくる。徳川家康がその権力の維持の為に、この土肥の金≠使ったということだ。
 しかし、僕と西部さんSさんは、もう少し別なことを考えていた。
 少し前にこのHPで話題になった、隆慶一朗の「影武者徳川家康」(新潮文庫)についてである。この本は、そのタイトルの通り徳川家康が実は影武者だったという話なのだが、この本の中で大久保長安と金というのは、いたるところに出てくるのである。影武者の家康は当然のことながら敵が多く、弱い立場にある。そこで金を採鉱して力を蓄え、なんとか権力を維持するのである。
 そんなことを考えながら、この坑道を歩いていた。
 この坑道を出ると、隣には資料館がある。むかしの土肥の町や現在に残っている採鉱の道具とかジオラマとか千石船とか色々なものが展示してあった。
 そして、この奥にはお土産やさんがあって、金粉入りのおかしとか、金に関係した土産物が色々と売ってあった。
 この場所を出て隣にあるお土産やさん+レストランのようなところで、ちょっと休むために喫茶店に入ることになった。
 コーヒー、オレンジジュース、レモンスカッシュ。それぞれが好きな飲物を注文する。ところが出てきたものを見てちょっとびっくり。
 なんと中には全て金紛が入っていたのだった。僕は生まれて初めてこの金紛≠ニいうものを飲んだのだった。
 さて、こらからどうするか? まだ時間は10時半くらいである。
 「う〜ん」と3分くらい考えて、すぐ近くにあるもう一つの金山に行くことになった。


 (十六) 金山その二 龕附天正金鉱

 ほんの数分歩くとこの金山はあった。先ほどの土肥金山は大きな駐車場があったり、お土産やさんがあったり、とても観光地化されているのに対し、ここはおっさん二人くらいでやっているほんの小規模の金山であった。
 客は、回りを見ても誰もいない。我々だけであった。
「どうぞどうぞ、荷物を置いてください」 けっこう年のいったお爺さんが集音マイクを持ってやってくる。どうやら観光ガイドのように付き添って案内をしてくれるらしい。600円(確かこの位だったと思う)を払って、なすがままになり案内される。
 どうもこのおっさんは、ちょっと変わっていたように思える。この金山に対しての思い入れは相当なもののようで、とても気持ちを込めて話をしてくれてはいるのだが、なんとなく空回りしてしまっているのだ。
 けっこう冗談を入れたり、スケベなことを言って、客を楽しませているようなのだが、我々は顔を半分ひきつらせて、ニコニコを微笑むのだった。
 ここの金鉱は先ほどと違ってまったくの手作りといった感じで、相当に歩きにくい。暗く、狭く屈む必要もあるし、悲しくなるようなことろだったが、それだけにリアルだった。
 この金山の売りは最奥部に女陰形の鉱脈龕(なんかよくわからないが、山の神様を祭るものらしい?)で、案内のおっさんは、「とても良く似ているでしょう」と力説していたが、全くもってよくわからなかった。

 最後に小さな袋に金≠ェ入っているらしい岩のかけらを貰う。しかし、これはどう見てもただの石ころにしか見えないのだけど……。
 実は今捨てようかどうか迷っているところだ。みんなどうしているのだろうか?


 (十七) 謎のシーフード鉄板

 金山の見学を終了して、やや途方にくれながら海のほうに歩いていった。
 時間はまだあるし、何をしようかと海を見ながら考える。波の音はとても静かで悩む≠ノは最適のシチュエーションであった。
 ふと振り返るとシーフードレストラン=uなぎさ亭」なる店の看板を見つける。
 お昼ちょっと前(11時45分くらい)だけど、少々歩き疲れの我々はここでお昼御飯をとることにする。
 まずは生ビール(一杯650円)を飲む。しかし、昼間飲むビールというのはどうしてこんなにも美味しいのだろうか。
 シーフード石焼き駿河=i一番安かった2700円のセットを4人前)を注文。これはシーフード石焼き≠ニいう名前から言うと格好がいいが、実は単なる鉄板焼き+海の物いろいろ、というやつだった。それなりに食す。

 ここで食べながらこれからの計画を立てる。
 この土肥温泉はもうそんなに見るところもない、ということで帰りの途中にある修善寺に行くことにした。
 砂浜を歩きながら、バス停へと向う。この海ともサヨナラだ。そう言えば冨士山が見えなかったのがちょっと残念だった。
 スムーズにバスに乗る予定だったのが、バス停に着いた時にはもうバスが発車したところだった。これももた旅のひとつの出来事なのか。30分ほどこの待合所で次のバスを待つことにした。
 それぞれジュースを飲んだり、お土産を買ったり、椅子に腰かけ寝てしまったり、少しだけ土肥の町の住民になったような感じだった。
 団体の旅行客だろうか、ぞろぞろとこの待合所に入ってきた。トイレに行くおじさんは入る前からチャックを開けたりして、ちょっとばかしため息をついてしまう。
 僕は、切符売場のところに置いてあった伊豆の民宿のパンフレットを見ていた。基本料金が大人6000円よりと書かれている。これはよくみると合宿などで使用する時のようなのだが、それでも普通で8000円くらいで、伊豆のほとんどのところにある。料理もとても立派そうだ。
 民宿というのは、風呂が小さいとか、夜あまり騒げないとか、普通の旅館とはもちろん違いはあるが、なんといっても値段も安く家庭的なよさがあっていいもんであることを今回つくづくと実感した。
 またこの伊豆の民宿に来るのもいいな。そんなことを考えていた。


 (十八) 修善寺にて

 バスへ乗り込んだ我々は殆どみんな眠ってしまっていたようであった。途中バスの擦れ違いが出来ずに止まったりしたこともあったが、なんとか無事に修善寺へと向った。
 途中の修善寺入口という停車場で乗り換える。しかし、この場所はまわりに家のない道路の真っ只中だった。それから少ししてようやくあの有名な修善寺ということろにたどり着いた。

 まずはメインの修善寺でお参り。ここは来てみれば、まあなんの変哲もないごく普通のお寺だった。でもこの普通≠ナあるというところが静かな温泉地には必要なのかもしれない。
 ここでいつもしているように僕はおみくじをひいた。このおみくじは大吉だった。他の人のことは忘れてしまってもう知りません、ハイ。
 それからしばらくこの町を歩く。
 この町は桂川(修善寺川ともいう)という川の周りに温泉宿がいくつもあって、とてもいい雰囲気なのである。しかもその宿の多くがむかし風の造りでとても落ち着いた感じになっている。その真中に独鈷(とっこ)の湯と呼ばれる伊豆最古の湯である共同浴場があったする。なかなかに情緒があってこれがよかったりするのだ。
 しかしわりと人通りのある中にあるので誰も入っている人はいなかった。
 土肥温泉というのは小さな港があって、とてもいいのだけれど、この修善寺はまた別な魅力を持った静かな町だ。ゆかたを来てゆっくりと川の流れに耳を傾け、心を癒すには最適かもしれない。
 もう一晩、明日仕事をさぼってここでゆっくりするのもいいかな、なんて考えてしまう。
 ちょっと小さな道を上って行くと、源頼家の墓というのがひっそりと建ってあった。それはほんとうにひっそりと。むかし見たNHKのドラマを思い出してしまった。
 すぐ近くの静かな茶屋で休む。あんみつ、お汁粉、ところてん、抹茶など、それぞれ懐かしい食べ物を注文してゆっくりと休む。
 この店にはお土産として地元の焼物なんかもあって思わず見入ってしまう。
 また、肩たきとか足踏みなど、木で造られた色々なものも売っている。西部さんはよほど仕事のしすぎで体が弱っているのか、このようなものは殆どすでに所有していてとても詳しいみたいであった。

 そして、ゆっくりとゆっくりと歩き、バス停へと向った。おいしそうな蕎麦屋さんなんかがとっても気になったが、そのまま通り過ぎた。少し心残りだ。
 修善寺駅までのバスを待つ間にお土産やさんをちらりと見ていたのだが、わさび染め≠フ色々なものを見つける。例えばハンカチとかスカーフなどだが、わさび染めネクタイというのには、思わず身も心も辛くなってしまった。


 (十九) オフのあとのさびしさは

 修善寺からは、行きと同様に伊豆急行鉄道に乗る。
 わさびアイスクリームというものを食べたが、ぜひハーゲンダーツでこのわさび味を出して欲しいものだと心から感じた。
 席は皆同じところに座っていたのだが、疲れていたのかもうあまり会話はなくなっていた。

 三島駅での乗換はほんの数分しか時間がないということで、必死になって走り、ようやく乗り込み、席を捜す。なかなかこの新幹線こだま号は走ってくれないので多少ひょうし抜けしまったりする。まとまった席がなかったのでそれぞれ一人づつ席に着き、本を読んだり、眠ったり、少しづつ自分の普段の生活へと戻っていった。 新横浜駅でSさんに別れを告げる。この駅では他にも多くの人が降りて、電車はとても空いた状態となった。僕はシートを思いっきりリクライニングして、外のもう真っ暗になった東京の景色というものをずっと眺めていた。

 東京駅の新幹線改札口を出て、残りのメンバーをそれぞれの方向へと分かれていった。

「お疲れさま。とてもいい旅だったね」
「うん。でも、なんかすごく疲れて、温泉でも入ってゆっくりしたい気分だね!」

(1994.10.30)



DOLPHIN HOTEL