ドルフィンホテル 徒然なる本の話 2
(1)図書館
いつか、図書館をつくりたいと思っている。
いや、この「つくる」というのはあまり適切な表現とは言えない。「持ちたい」いや、これは別に自分で所有しなくてもよい。それがあればいい。
多くの本が埋もれているのではないだろうか。ただ単に置き場所がない、という理由で本を手放したりはしていないだろうか。そうした本を集める。ある意味では借りる。そんな感じで本を集める。
図書館の場所は山の中。バスに乗って数時間はかかる。温泉があり、小さな旅館が何件かある。とても静かなところだ。近くには小川が流れている。秋にはキノコがいっぱい採れる。
元ホテルだった建物がリフォームされて、多くの本が収納されている。本を開くと中には、元の所有者の判子が押されている。
この図書館に本を寄贈した人は、年に1度か2度、この図書館に自分の本に会いに来る。「元気にしていたか」そんなふうに語りかける。たいていの人は3・4日、長い人は2週間くらい泊まっていく。散歩をしたり、釣りをしたり、そして本を読む。
その場所はどこになるかはわからない。建物も旅館の一室かもしれない。けれど、こんな図書館があったらいいな、と思っているのは僕一人だけだろうか。
(1998.11.1)
(2)本読み人
最近ではけっこうどこの駅前でも路上での、ギターのひきがかりライブなんてのをやっていたりする。バイオリンとか、他にもいろいろとパフォーマンスなんてのがあったりする。
そんなのと同じといってもいいのだろうか。ある夜、僕は「本読み人(ほんよみびと)」という人に街で出会った。そこは人通りの多いところからちょっと路地に入ったところ。聞いている人は確か3人くらいいたような気がした。本を読んでいる彼女は、とてもきれいな表情だった。暗い路地だったのでそんなに表情が見えていたわけではないのだけど、本を読んでいる目線というのかな、とても素敵な本の読み方をしていた。それで、彼女がキレイに見えたのだと思う。
本の読み方に違いがあるのか、と問われるならばイエスと僕は答える。本を好きな人の読み方はとてもキレイだ。真っ直ぐに本を見つめている。首が上下に振れることはもちろんない。目も大きく動くことはない。そっと本の文字と会話をしている。頁をめくる手がとてもやさしい。音を発てることなく、静かにその手が明かりに照らされる。ときどき彼女は目を閉じる。軽く髪をかきあげ、目をあけ、少しだけ遠くの方を見つめたりする。そしてまた本を読み始める。声のトーンも優しい。ぼそぼそ、とした感じではあるのだけど、その声はとてもよく透り。大きな主張はしていないのだけど、胸にそっと入ってくる。
こんなふうなことを書くと、詩人が自分の詩を読んでいるかのようだけど、この本読み人が読んでいるのは、確かに本だった。10分くらいだったかな、ある場面を読んで、そして別の場面に移る。その場面にはベッドシーンもあった。かなり過激な描写だったはずなのだけど、すっと自然にその場面は、読み手に伝わっていった。
僕はこの夜のことを今もしっかりと覚えている。彼女の本をめくる手の動き、声のトーン。句読点のひとつひとつまで正確にやさしく、読みあげる。もう一度、どこかの街で出会わないかと探しているのだけど……。
と、これは作り話なわけだけど、こんな路上パフォーマンスをやっている人はいないのだろうか。「本を読む」というのは、ただそれだけで唄をうたうのと同じように、大変なことのはずである。ラジオの朗読って感じでもない、生で本を読む姿というのは、それだけで十分に価値のあることだ。キレイに本を読むというのは、小さな頃から培ってきた技術である。その本を理解し、強い愛情を持って読まなければ、その本の良さを他の人に伝えることなどできはしない。武道館を満員にするのは難しいかもしれないけれど、路地で客が3人くらいの「本読み人」であれば、いてもおかしくないと思うんだけどね。
(3)朗読バー
例えば音楽が好きだ、という人には、お酒を飲みながら楽しめる場所がいっぱいある。ライブハウスとか、ピアノバー、ジャズバー、ジャズ喫茶(なっつかしい)、歌声喫茶などなど。巨乳(最初“虚乳”と変換された!)好きの人には、トップレスバーなんてのもある。
我ら読書を愛する者達にはいったい何があるのだろうか!!
そこで、読書の好きな者のために、「朗読バー」なるものがあってもいいのではないか僕は考えた。
ちょっと想像してみて欲しい。
店の雰囲気はやや暗め、あくまでも派手さはなく静かな感じだ。BGMはなく、朗読する声がただひたすら静かにある。
例えば村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』。
片隅の少しだけスポットのあたった小さなステージで、引き締まった顔の男性が『世界の終り』をゆっくりと、確かに、読み続ける。
朗読の声はそんなに大きくはない。聞き入っているは客の半分くらい。グラスを手にし、眼を瞑り、時々天井のほうを見上げたりする。
しばらく経つと反対側の小さなステージにスポットがあたる。ピンクの服を着たちょっと太った女の子が『ハードボイルド・ワンダーランド』を読みはじめる……。
複数の人と来た客は、静かに語らう。「エウリピデス」について、卵焼きの美味しいつくりかた、春の熊の話、スバルのハンドリング、今まで誰にも聞いてもらうことの出来なかったながいながい話……。なかには勿論女性を口説いている輩もいる。
料理は朗読される本に合ったものが出される。なぜかこの日はお皿が全部ピンクだったりする。時々、カシャと音がする。壁にはモノクロの物語をイメージしたスライドが映される。
朗読で使われる本は毎日新しいものに変わる。
村上春樹だけでなく、吉本ばなな、椎名誠、池波正太郎といった時代小説まで、いろいろな作家の本が朗読される。特に池波正太郎の本の時は、料理がやけに凝っていたりする。
10周年記念イベントの時は、ぜひ特別ゲストとして中村吉右衛門に、自ら『鬼平犯科帳』の朗読をお願いしたいと思っている。
「ドルフィンホテル」には、ぜひこのようなバーを地下一階に入れようと思っている。今から従業員募集です。絶対いいと思うんだけどな。
(4)読書師
小さな机とロウソクの灯り、細々と営業しているど読書師(どくしょし)という職業の人がいる。本に関する悩み相談をするお仕事と言えば、わかりやすいだろう。占い師は、お客の人生を占いわけだが、読書師は、読書の悩みを聞いたりする。まあ、どちらも人生相談には変わりはない。
例えばどんな悩みだったりするかというとやっぱり恋愛についてが多かったりする。「彼は全然本を読まない人なんだけど、何かお薦めの本はないですか?」「2人の間で、ラストシーンの解釈で喧嘩してしまった。どうして彼はあんな解釈をしてしまうの?」「いるか図書館のカウンターの人に惚れてしまったのだけど、どうしたらいいだろうか?」「本屋さんに入るとついついトイレを探してしまう私は異常なのでしょうか?」などなど。
とにかく、読書についての様々な相談があるのだ。読書師は、ただ、本が好きなだけでなく、相当な人生経験を積まなければならない。
ある夏の日の夕方、お店を開こうとしたときに、ちょっと緊張しながらお客さんが訪ねてきた。彼女の名前はイシバシミユキさん(仮名)、鎌倉に住む昭和40年生まれの髪の長い色白のちょっとおとなしめの人だった。
ふつうは緊張をほぐすためまずは天気についてとかあまり意味のない話から入る。
でも、彼女は自分から本の話をどんどんしてくれた。「とても本が好きなんです」そのひと言から話がはじまった。
派遣で丸の内のとある会社の受付嬢をやっている。とてもとても充実した楽しい毎日だという。仕事の帰りにはすぐ近くの日比谷図書館に行く、そして新しい本をリクエストする。彼女のわがままリクエストはほぼ全て叶えられているそうだ。まったくの真新しい本を手にし、彼女は本を読む。僕は日比谷図書館には入ったことはないけれどあの辺を歩いたことはあるのでなんとなく想像はできる。すぐ近くの公園は緑が生い茂ってベンチにちょっと腰を置きほんのちょっと本を眺めたらあっという間に時間が過ぎてしまうこともあるのだろう。
受付嬢、そういえば彼女はよくいる受付嬢らしい人に見える。スラリとしていて、両手を合わせて頭を下げる姿がすごくよくイメージできた。
彼女はその仕事の合間、ほとんどの時間を本を読むことに費やしている。
「いやぁ、とても暇なんですよ。お客様が来るといっても日に何度かアポイントのある人だけですから」
彼女はこんな生活でいいのか、と少しだけ思ったらしい。あまりに楽しすぎていいのだろうかと。
彼女と話をしていたのはほんの30分ほどで本の話と言っても具体的にはあまり作品とかの話題は出なかった。一人あげていた好きな作家は三島由紀夫でその名前を出して話をするとき、とても表情がやわらかくなっていた。小さな声でひとつひとつ丁寧に話をしていた。通りが騒がしく、少し聞き取れないところもあったのだけれど、本への思いはとてもよく聞き取ることができた。
「本を読んで時間を忘れて涙ができていたりしますよね」
そうしたことが、すんなりと違和感なく彼女の口から出てきていた。
悩みに答える、ということはとても難しい。読書師はイシバシミユキさんの悩みに答えられたのだろうか。よくわからない。けれど、彼女は笑顔で帰っていったのだった。
(5)回転書店
男という生き物は人と話をしないようにできているみたいだ。どうして女性はあんなによく話をするのだろうかと不思議に思う。外食するにも、会話の必要のない回転寿司なんて、僕はけっこう落ち着けたりする。でもさ、閉店前の回転寿司ってもうあんまり新しい寿司が流れなくなって注文になってしまうんだよね。多くの人にとってはそれはそれで新鮮なものが食べられていいのだけど、注文しなくちゃいけないというめんどくささが発生してしまう。僕なんか一緒にいった隣の人に頼んでしまうもんな。
声を発する必要もなく、動くこともなく、目の前にいろいろ流れてくる回転寿司というのは楽しい。お寿司だけでなくて、もっと気軽に回転する中華やイタリアンのお店なんかがないかな、と思っているのだけど。
さてさて、回転書店の椅子はけっこう広い。隣の人と肩がぶつかるなんてことはないのだ。背もたれもついていて、ちゃんとリクライニングもできるようになっている。そして、目の前には本が流れているのだ。上と下と2段になっている。回転寿司と比べるとちょっとゆっくりのスピード。ちょっと気に入った本があったらそれをひょうと手に取り、パラパラめくってどんな本かチェック。それが終わると、また新しい本を取り出す。流れてくる本の間には、肩揉み器なんてのもあったりする。冷たいタオルに、当然のことながらお茶にビールもあったりする。動く必要のないというのは、なんと便利なことなのだろうか。シアワセ、シアワセ。
(6)読書部屋
世の中にはビデオボックスというお店があるらしい。一度も行ったことがないので中がどうなっているかはわからない。ビデオだったら借りてきて部屋で見ればいいのに、と思うのだけどね。でも、自分の好きなビデオを好きなように見ることのできない人というのもけっこういるみたいだね。自分のモノサシで世の中の仕組みを測ってしまうのも危険なことなのかもしれないな、ふむふむ。前に職場で一緒だった、僕の3つ年上のタナカセイジさん(仮名)は奥さんに子供が一人いた。もう8年くら前のことなのだけど、そのタカナさんは、奥さんと子供が寝静まった深夜2時45分くらいに、一人起き出し(ゴソゴソ)エッチなビデオを見ていた。まあなんというか、なんというかである(笑)。
でも、このようなケースは他にもまだある。本好きのイイダアツシさんの会社のロッカーは本で埋まっていた。家では本という存在は邪魔と見なされ、「狭いから」とすぐに捨てられてしまうのである。家では本を読む場所もなくイイダさんは、通勤で本を読み、買った本はなんだか捨てられなくて会社に保管していた。実はロッカーだけでなく、引き出しの奥のほうにもきれいに並べられていたのであった。
なかなか、ひとりになれる場所というのはない。図書館やマンガ喫茶なんかは、人がいっぱいいる。本というのは、やはりひとりで読むものだ。ひとりになれる場所というのはどこにあるのだろうか? ビデオボックスに入って本を読んでいたら、ちょっとアブナイと思われてしまうだろうな。喫茶店では個室はあっても、2人で入るところみたいだし、考えてみると居酒屋もひとりでは入りにくいし。個人のアイデンテテエ(正確に言えないや)はどこにあるのだろうか。そういえば、昔クルマを持っていたときには、よくドライブしてクルマを止めてシートを倒して本を読んでいたっけ。
そこれ僕は「読書部屋」というショーバイを始めようと思っているんだよな(ほんとはそんな気は全然ないけど)。お店には本がもちろんいっぱいある。その本を借りて読書部屋という個室に入り、ゆっくりと本を読む。もちろん、本は自分で持ってきた本でも全然かまわない。普通のソファーの部屋もあれば、畳の部屋もある。冬にはちゃんとコタツも入るのである。ちょっと変わったところではトイレの部屋なんてのもある(「ここでないと落ち着けない」というリクエストに応えて)。VIPルームは、掘りコタツの部屋、囲炉裏の部屋、お風呂読書のできる部屋、屋上には星を見ながら本の読める部屋もある。どの部屋もキレイで、ちゃんと窓があり、空気がおいしい! あとオプションのサービスとして、マイ本棚のサービスもある。自分の本を置いておけるのだ。
ホテルは高いし、駅前とかに気軽に時間をつぶせるこんな読書部屋があったら、間違いなく人気がでるよね。ひとりになって、本を読む。読書はビデオやテレクラに負けちゃいけないよ。
(2000.7.12)
DOLPHIN
HOTEL
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