05年のドーナツトーク日記

●12月29日(木)

昨日ですべての仕事が終了。夜の宴会も終え、無事JRに乗り込めたまではよかったが、宝塚の先の「生瀬」だったかな、タクシーもいない小駅まで寝過ごしてしまった。たった一人いた駅員よりタクシーの電話番号を教えられ、余裕でもう一件飲みに行けた額を払って帰宅。速攻寝。

で、今日から僕は大阪を離れます。いやあ、今年も無事乗り切れてよかった。というか、我ながらよく乗り切った。41才にして自分が成長した気になっとりますよ。

12月は南条あや研究を進めすぎてしまって、毎日、彼女が愛聴していたというcocco漬けだった。おかげさまで「rainning」が(特に2番の歌詞が)いつも頭をぐるぐるまわっている。この前なんか、カラオケでcocco6連発してやったぜ。変な学術書読むより、南条あやの日記を日々再読し、coccoを毎日聞き続けることのほうが、僕としてはちゃんと仕事できる。

で、年末年始は読書をするのだ。ゲバラ伝、デリダ本、そしてそして『マリア様がみてる』最新刊(「未来の白地図」)! キャー! 最高! 初めての「ユミちゃんと瞳子ちゃん」もので(こんなこと書いてもたぶん誰もわからないだろうけど)、ついに二人は「スール関係」になるのだろうか。じゃあ、ロザリオは? なんて、今年の仕事の反動か、すっかり頭がマイワールドへと向かっている。

あと、DVDも見るぞー。ゲバラのノンフィクション(実は今年僕はゲバラがマイブームだった)、ゴダールの『男性・女性』(まだ全部見てない)、そしてそして、キャー! お正月には間に合わないけど、今年は『マリア様がみてる』第3シリーズがOVAで製作されるのだ! これで来年も乗り切れるぜ。おかえりなさい、お姉様。わたくしは今から旅立ちます(ちょっと乗りすぎ?)

みなさま今年もお世話になりました、ありがとうございます。来年もよろしくお願いいたします。

●12月18日(日)

今日も仕事に出かける。出かける前にプラッツのホームページを更新しようと思っていじり始めたらきりがなくなり、玄田有史さんメインゲストの2月講演会、1月に行うニートミーツ(府のアウトリーチ事業)出張説明会2本、そしてプラッツ日記まで更新してしまった。

で、時間切れ。今から出なければいけない。以上のことは、このHPのトップに戻り、プラッツHPを参照しておくれ〜。昨日の講座のことをちょこっとだけ書いています。昨日の講座は僕としてはプチ画期的だったので、確定ネタ化していこうと思っている。

しかしもう12月も18日だよー。

●12月2日(金)

ありゃま、気づけばもう12月。この間東京に行ったりしていつもどおりいろいろあった。

前の日記で困っていた「希望」をテーマにした原稿も何とか書き上げた。仕事をするっていうことは、「希望と絶望」みたいな感じで捉える前に、もっと基本的なところ(他者とつながっている実感とか自分なりの美学とか倫理とか)を押さえていれば何とか続くんじゃないか、みたいな、結局哲学チックなものになった。

絶望しながらでものほほんと仕事している人はいくらでもいると僕は思う。希望とか絶望なんてものは、もっと基本的な諸要素よりずっと「後」に現れるものだと僕は結論した。

そういえば、これは真面目なアニメ情報。TBS系で日曜朝7時にやっている『エウレカセブン』は、傑作の予感。普通のSFボーイミーツガールものなのだが、実にかっこいい。早朝放映というのも僕にぴったり。

●11月20日(日)

今日は某原稿の締め切りで、でも日中から夜にかけて相変わらずの仕事があり、となるとこの早朝しかない! ってことでいつもの早朝(現在6時)仕事に取りかかっているのだが、いくら僕でも毎日フル稼働は無理っすよ。

ってことで、数日ぶりに知り合いのブログ等を覗いてみると、みんな、それなりにすごくがんばっていて、恥ずかしいけど朝っぱらから感動してしまった。こんな瞬間に、自分がしている仕事の肯定感がやってくるんだなあ。まさに、ニーチェ(というかドゥルーズ)の永遠回帰。

ニーチェはスイスの湖のほとりをうじうじ散歩しているときに、瞬間の肯定というものを味わったらしい。僕は、7〜8年前のわりと鬱だったとき、池田の町を散歩しながら、太陽に照らされて光る葉っぱたちの表と裏をぼんやりと見ていたときにそんな瞬間の肯定が訪れた。風に揺れて繰り返し一見同じように揺れる葉っぱだけど、その一揺れ一揺れはすべて違う。生を貫くこともこれと何かよく似ていて、同じことの「繰り返し」の連続のようなのだが、実は一息一息、一歩一歩、瞬間瞬間がすべて違い、何かが「ある」ということに満ちている。

その「ある」のレベルは、「しんどい」とか「くだらない」とか「いや」とかのレベルよりもずっとずっと「手前」にあるもので、つまりそこには否定というものがない。あるっていう肯定しかないんだなあ、ああこれがドゥルーズの言う「差異と反復」ということかー、なんて、その葉っぱたちを見ながら僕は激しく感動したのだった。

その感動とはひと味違うかもしれないけど、いくつかのブログを見ていて、僕自身の生の肯定の瞬間をさっき感じたのだった。

●11月13日(日)

歳月がたつのがはやいことよ。いろいろなイベントが控えているというのにもう11月が半分も過ぎた!

そういえば、こうして「ホームページに日記を書く」というスタイルもずいぶん古くなってきたみたいだ。世の中にはブログやらミクシィやら、なにやら便利なツールが猛スピードで増えているよう。まったくついていけんよ僕は。

気分転換にと『デリダの遺言』(仲正昌樹・双風舎)というのを買ってみたのだが、読む時間がなかとですよ。中身はものすごくおもしろそうなのに。パロールとエクリチュールの世界をたまには旅してみたいー。

『下流社会』『希望格差社会』、仕方なく読んでるけど、おもしろくないなー。批評する元気はないけど、なーんか「無責任」な本っていう感じがする。デリダじゃないけど、何かを書きながらもその何かそのものではない多くの違った意味が常時まき散らされていて、そのまき散らされた先には必ず「他者」がいる、そこを自覚するのが「責任」だ、みたいな覚悟感が感じられない。

いま思いついたけど、「希望」っていう言葉は、逆に「格差」の問題(ここには他者と責任の問題系がくっついているような……)を隠蔽してしまうやばい言葉かもしれない、なんて。いかん、最近哲学していないのでこの先が思考できないぃ。

あんまり哲学することなく、それでもプチ哲学的要素も絡めながら「希望」と「他者」を考えてみよう。

●11月1日(火)

今は朝の5時半。今日から3日間、三重県の山奥にプラッツメンバーとともに農場実習に行ってくる。鶴橋に7時45分集合なので、早めに起きて(というか毎日こんなものだが)メールとかしている。

でももう11月なんですねー。早いなあ。いろいろやることがあるのに気ばかり焦ってしまう。

そういえば、某誌より「希望」について書いてくれと頼まれ、これまで先延ばしにしていた『希望格差社会』『下流社会』を購入。ついでに玄田氏新刊『働く過剰』も。去年から予感していたことだが、世間は完全に「こころ」に飽きてしまい、「しゃかい」とか「けいざいかくさ」に移行してますね。だから「希望」なんていう、いわば安易な言葉が普通に流通する。

同時に、「ひきこもり」という言葉は完璧に古くなった。古くなったと言っても、「ふとうこう」だっていまだマニアックに生きているし、まあそんな感じで「ひきこもり」も生きていくでしょう。

「こころ」系問題としてリアルであり続ける言葉群は「メンヘル」とか「リスカ」であるような気がする。なぜかというとそれら(「リスカ」等)は(たぶん世間的には悪い意味で/僕は個人的にはそんな規範的判断はしない)他者を巻き込むから。ヒッキーは自閉しているが故に自らサバルタン化してしまう。

昨日、ついにプラッツスタッフのK君が故郷に帰った。K君、これまでサンキュー。今日からまた新しいプラッツが始まる。この「“群れ/リゾーム”としての運動体」がまた新しい段階に入った。

では、行ってきまーす。

●10月20日(木)

最近マジで「映像」に興味が移り始めていて、この前はデジカメの動画モードで自分を撮り(だってトロオがいないから動くものは自分しかいないんだもん)、それをパソコンに取り込んだ。

それをiMovieというソフトで切り張りし、iTunesから場面にあった曲を引っ張り出し、タイトルとエンディングをつけると、あら、1本のプロモビデオらしきものができあがった。いやあ、これには驚きでした。忙しいのに半日近くこの作業(というか遊び)に没頭していると、不思議なもので何か爽快な気分になったのであった。

で、心斎橋のアップルストアやヨドバシカメラに行っていろいろ研究してみると、25万円あれば映画監督になれることが判明した(iMacG5とビクターのハードディスクカメラ)。15分くらいの短編を作ってそれをDVDに焼いて人々に配りたいなあ、なんて夢想に現在取り憑かれている。なんか、20年前の「雑誌作りたい」願望が「映像作りたい」願望に変わっただけの気もするが。逃避かしら。

●10月9日(月)

昨日はファーストステップ・ジョブグループ(FSJG)の特別例会があり(FSJG情報は、同グループHPと『分岐点に立つひきこもり』をご参照ください)、僕は後半のディスカッションに参加した。30人近くの参加者が来られ、やはり継続は力だなあとしみじみした。同グループのさらなる展開を願っている。

前回日記に書いたゴダール本、なかなかいい。「破局的スローモーション」というエッセイも格別だった。ゴダールは天才なので、普通の「名監督」たちのような自分の悩みなんか語らない。じゃあ何を語っているかというと、「女は女である」「破局は破局である」というような同語反復のみを語る。

同語をひたすら反復しながら同語を並列して描き、そこに起こっているビミョーな差異の肯定(結局破局はいつだってあちこちにあるんだからそれなりにそれら一つひとつの破局から始めよう、みたいな)を提示するのみ。僕の目指す究極の肯定だ。これってもろドゥルーズの『差異と反復』なので、さすが蓮見さん! みたいな恥ずかしさも感じた。

同本を読んでいると、なんだか僕も映像が撮りたくなってきた。FSJGの某メンバーの話では7万円くらいでハードディスク付きのカメラが手に入るとのこと。編集ソフトも普通に売ってるらしいので、マジで買おうかなー。プラッツのドキュメンタリーと、ゴダールをまねしたフィクションの短編作品をつくりたいなあなんて夢想している。

●10月5日(水)

あらま、油断していたらドーナツトーク日記のほうが2週間も空いてしまった。プラッツの日記のほうに、新しい試み「トライアルジョブ」の宣伝をしています。ご参照くださいねー。

最近多忙をたぶん通り越していると思うので息抜きに難しい本でも買おうと思い、デカルトやらサルトルやらが書名についた本を手に取るが、結局買ったののは『ゴダール革命』(蓮見重彦・筑摩書房)なのであった。

ああ、久しぶりの蓮見本、またごちゃごちゃと何書いてるのかわからないんだろうなあと読み進めると、あらら、すごーく読みやすい。蓮見の文章のあのリズムが妙に懐かしく、そうだなあ、音楽で言うとニューオーダーとかスミスを久しぶりに聞いた感じに似ている。

特に『愛の世紀』についての批評がよかった。蓮見とゴダールによると、愛は、「垂直に突然現れる強度」の問題なのだそうだ。

●9月22日(木)

ひぇ〜ぇ、忙しいよー。というのは、実はさっきプラッツ日記にも書いた。プラッツ日記のほうははやくスタッフたちで交代制にしなければいけないのだが、いかんせんプラッツスタッフは時間がなーい。あと、この秋に目白押しのビッグな企画たちを迅速に宣伝するためには、一時的にネット機能が田中宅に集中するのは仕方ないと判断したのです。どうせ過労死街道まっしぐらだし。

……いかーん、いつものポジティヴィティを取り戻そう。とはいっても本を読む時間もない。読んでるのは新聞(しかも朝日だし)ばかり。ああそうだ、鷲田清一先生の(堂々と「先生」をつけます)『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)を今頃買ってチラチラ読んでますー。「読んだことある」とこれまで言ったかもしれないけど、実は見栄っぱりの嘘だったのだー。ああ、恥ずかしい。

しかし、この「鷲田節」が懐かしい。そしてメルロ・ポンティが遠いー。スティル、可逆性、ディスプロポーション、うう、この世界にまた戻りたい……という衝動はやはり今も少しはあるが、今のプラッツもおもしろいー。いまのところはコム・デ・ギャルソンの服を眺めることで(眺めるだけ)我慢しとこう。それより仕事に行こうっと。

阪神マジック6。新聞に「今年は一昨年より盛り上がらない」と書いてあったけど、たぶん違う。気の小さい阪神ファンは、今年みたいな「普通の優勝」に耐えられないのだ。たぶん、マジック2になったくらいから異常盛り上がりを見せると思う。

●9月11日(日)

怒濤の出版ラッシュ3冊はすでにできあがった。でも広報の時間がない。今日のところはなんとかドーナツトーク本のみアップした。今週中にプラッツ本をアップし、プラッツHPとリンクさせるぞー。

●9月3日(日)

やったー、長年の懸念だったプラッツHP更新が、僕の自宅からもできるようになった。パソコン素人が、ただただいろんな「ヘルプ」を読むことだけで(ほら、「ヘルプ」って読みにくいでしょ)、困難を乗り越えた。

自宅からもアップロード可能にさえなれば、細かいデザインはぼちぼち覚えることにし、とにかく、この秋以降の企画他が広報できる(なにせプラッツで仕事している間は、僕だけではなくスタッフ全員がパソコンにじっくり向かう時間がない)。これで一安心だ。

と書いているうちに、当日記もあっというまに2週間たっていたことに気づいた。はえぇー。この間あいかわらず仕事ばっかだった。昨日は「親の総合講座」の2回目があり、講師のH氏より僕は週60時間以上労働だと指摘されてしまった。この頃の僕はそんなのが快感になっているぅー。しかし自宅からアップロードできるということは、自宅でも仕事しているということであり、ということは……。ううう。

そういえば、怒濤の出版ラッシュの続き2冊もすでにできあがっています。題名は、『動けない青年たちと動き始めた青年たち』『分岐点に立つひきこもり――社会的ひきこもりからニートへ?、しかし本来的意味としてのひきこもりは今も長期化し続けている』です。プラッツHP自宅アップロードが可能になった今、次の目標はこの2冊のネット宣伝だ。面接とか会議とか調整とか、他たくさんのやることの隙間を突いて、今週中に絶対やってやるぅーっ、と。

●8月20日(土)

結局ここ数日いろいろ仕事してしまった。

こんなときはアニメの話を書いて自虐的になるのがストレス発散できる。

最近はいつもの『マリみて』に加えて、『サムライチャンプルー』をきちんと見ている。『カウボーイ・ビーバップ』のスタッフが集結してるとあって、超上質のエンタメになっている。特に、音楽がいい。

劇中、お侍さんや町人たちがヒップホップしたりして、たぶん普通のアニメファンは毛嫌いするだろうけど、僕は好き。

本は、田舎への電車の中で(バスでなくわざわざJRで2倍の時間をかけて帰った)『ヒトラー』(岩波)というのを読んだ。ヒトラーよりは、たくさん出てくるドイツの軍人さんたちの姿に興味を抱く。

哲学本は全然読めてない。代わりに、スポーツ新聞ばかり買っている。鳥谷のことがなんかしらんけど、ニューバードとか呼ばれていた。たまに活躍すると、それがニューなんだそうだ。

それと、久しぶりに当トップページに僕の原稿を掲載しておきました。「広義のニートと狭義のニート」というタイトルです。

●8月13日(土)

今日よりしばらく四国に帰省する。お盆に帰るのなんて何年ぶりだろう。

そういえば今日から「サマソニ」がある。2年前はフジロックとサマソニのふたつに行ったんだよなあ。トロオの供養代わりだったとはいえ、体力あったよなあ。フジロックなんて、斜面ゴルフ場でのテント生活だったのに。

今年サマソニはルーツが来るので結構行きたかったんだけど、体調と気候面から断念した。もう何時間もあの暑いところにはいられない。来年から琵琶湖あたりでやってくれればいいのに。

●8月9日(火)

この前の日曜日、無事「親のための総合講座」第1回目を終えることができた。ほっと一安心。そして、一応今日がプラッツの前期最終日。我ながらここまでよく乗り切った。後半は、たぶんもっとすごいことになると思う。

どうも僕は、マジでフィギュアおたくだと思われている節がある。それは誤解であって、仕事でアニメファンの人たちと接するうちに、おもしろい世界があるなあと感心している程度なのだ。

で、この前「アニメイト」というお店に立ち寄った際(おたくでないといいながらあっさり「立ち寄ったり」する」)、なんと、長年探し歩いていた『マリア様がみてる』グッズを発見した! さてフィギュアは、と一応「探求心」に駆り立てられて探しまくったが、残念なことにフィギュアは一体もなかった。変わってあったのは、私立リリアン女学院のマークが入ったレターセットとか、リリアンの生徒手帳とかだった。極めつけは1万円近くする「ロザリオ」(このロザリオが何を意味するか説明すると引かれそうなので軽く流すが)。

うーん、このグッズの揃え方といい、フィギュアがないことといい、やっぱり『マリみて』は女の子のものなのかもしれない。フィギュアはプロに依頼するしかないのだろうか。

こんなこと書くとまた誤解されるとあれなので、ここまで。一応僕はその日、「リリアン生徒手帳」1500円を買ったのであった。ギャグですよ、ギャグ。

●8月2日(火)

この前、懸念の仕事の大一番が終わって虚脱状態になったあと、なんとなくヨドバシカメラに寄った。すると、ipodシャッフルが山積みになっていた。僕は思わず、1万円の同機を買ってしまった。

いやあ、ipodシャッフル、最高。100曲くらいしか入らないが、飽きたら消して違う100曲をitune頼みで入れればいい。この年になって電車が楽しくなった。僕は昔昔、自転車に乗りながらツェッペリンを大音量で聞いていて事故に遭いそうになって以来、イヤホンは破棄していたのだが、シャッフルによって再び目覚めた。やっぱ、音楽はいいね。

『鋼の錬金術師』の映画を観る。予想以上のでき。

もうひとつ、夏と言えば歴史だろう、ということで、ポストコロニアル超定番の『〈日本人〉の境界』(小熊英二/新曜社)をぼちぼち読んでいる。相変わらずの実証的記述だが、『民主と愛国』より実はおもしろい? みたいな気分。

●7月24日(日)

あっというまの一週間〜。これじゃ日記ではなく「週記」だな。

この一週間もいろいろあったが、おもしろかったのは金曜にあった全国非行防止大会というもの。リーガロイヤルホテル隣の国際会議場なるところで行われたのだが、そこのパネルディスカッションに僕は呼ばれた。なんと2000人規模の大会だと聞かされていた。

メインの講演は、アテネオリンピックのアーチェリーで1位になった山本某氏。さすが講演慣れしているせいか、話が上手。

山本氏の講演が終わって休憩を挟むとさすがに人はだいぶ減った。また、500人以上のホール規模のほうが逆に緊張しない(マジでお客さんがジャガイモに見える)ということに最近気づいた僕は、与えられた役柄を淡々とこなして無事終了(だったと思う)。

僕なりの緊張しないコツは、1.一緒に出ている人(いなければ司会者)の姿を見る→すると、結構自分より隣の人のほうが緊張していたりする。2.ドキドキは押さえてもなくならないので、そのドキドキを、サーファーにとっての「波」のような感覚でポジティブに受け止め、それにうまく乗ってやろうと思う。

そして、もうひとつあるのだが、それは秘密。

その日は、読売テレビの某女子アナとも名刺交換した(司会をしていた)。やっぱ「生」はすごいって思った。

●7月17日(日)

やっぱり油断したら10日近く日記の間隔があいた。去年までの、ほぼ毎日書いていたのが嘘みたい。この間、いつもどおり超仕事しつつ、大学院で発表したりミニ講演会に招かれたり、怒濤の出版ラッシュの最後の本のまとめをしたり……。

ドゥルーズとガタリの『ミル・プラトー』を久しぶりに読んでいる。同書のリゾーム論を「組織論」の視点から読んでみるというのが、大学院の知人たちの間でプチ盛り上がっているような。

あと、宮部みゆき『孤宿の人』とかアニメ『ラーゼフォン』の小説版とか漫画『デスノート』最新刊とか、たくさん同時に読んでいる。でも実は、休みの日も、気づけばデスクワークをしているんだなあ。

『待つ』本、作ったぶんはしっかり売れそうな感じがする。

●7月8日(金)

油断するとすぐに1週間たってしまうので、気づいたときに日記更新だ。

以前から予告していた、冊子づくりの件、まず第1弾がもうすぐ完成予定です。

それは、「待つ」に関する対談や原稿をまとめたもの。上に宣伝しました。僕が昔創設にかかわった「さいろ社」からの発行になります。少し感慨深いなぁ。

●7月5日(火)

いやあ2週間ぶり、というよりそれ以上ぶりの更新です。これだけ更新スピードが遅れると、もはや読者がどれだけいるか不安だが。

講座やシンポジウムで日曜日がすべて詰まった6月を切り抜け、やっと7月になった。休みがないという状態は、予想以上の疲労へと追い込まれたみたい。今月はがんばって休む予定。

音楽はマーク・スチュアートのベスト盤を購入。ポップグループ(80年前後に活躍したイギリスの無ジャンルバンド)の音源も入っていたが、高校時代は雑音にしか聞こえなかったそれらの曲がものすごくかっこよく聞こえる。「耳」と「下」(味覚)は成長する。

あと、集英社新書『マルクスだったらこう考える』(的場明弘著)はかなりおもしろい。最新の、〈帝国〉やポストコロニアルの議論がマルクスの理論とわかりやすく比較検討されている。資本主義が飽和する段階に今やっと到達した(グローバリゼーションの完成や労働力の無国籍化等)というのは、あらためて納得。

若者の問題も含めた現代の就労問題は、まずはグローバリゼーションを押さえなくては話にならないんですよねー。そのうえで、現実の政策を現実的に応用していく(多少の問題は横に置いといて)、というのが僕の考えです。

●6月19日(日)

昨日は午後から、宝塚男女共同参画センターで講演。タイトルをいきおいで「現代社会と『ニート・ひきこもり』」にしてしまったので、プラッツ紹介ものやネットワーク系の話ではなく、久しぶりに文化考察的な話もした。

そこでアニメや『NHKへようこそ』の話もしたのだが、さすがに「脳内彼女」の部分は何となく会場が引いた気がした。話し方としては悪くなかった気もするが。全体的には無難にこなせたのでよかった。

淡路プラッツの活動の一つとして啓発活動には手は抜けない。日々の支援の仕事がもちろん最優先なのだが、プラッツみたいな弱小団体は絶えざる啓発活動がないとすぐに先細りになってしまうだろう。んなわけで、今日もシンポジウムに行ってきまーす。

●6月17日(金)

予告通り、6月は休みなく仕事している。こうなってくると、毎日の中でいかに気を抜く時間を確保するかがポイントになってくる。まあ実際は、夜も10時半をすぎると眠くなってきて、気づいたらアニメかけっぱなしで寝ているのだが(最近は某青年とのトークがきっかけとなって『ラーゼフォン』と『ラストエグザイル』を再学習中)。

そんなわけで哲学本はここのところ読めていない。かわりに、小説『亡国のイージス』(福井晴敏・講談社文庫)をぼちぼち読んでいる。この本、読まず嫌いで勝手に右翼ミリタリー本だとレッテルを貼っていたのだが、これってもしかして『半島を出よ』よりはるかにおもしろい? 

自衛隊をここまで克明に描かれると、『半島〜』での自衛隊の希薄な存在感が嘘っぽく感じる。やっぱ龍は、行動派青年好きなのね、みたいな感想も。

●6月9日(木)

相変わらず朝イチで仕事しているが、昨夜は珍しくサッカーを見てしまった。

以前はよく代表戦は見ていたのだが、ここのところは新聞での情報収集になっている。原因はたぶんナショナリズム嫌悪だろう。

それにしてもアジア予選はすべてテレビ朝日関係が中継したんですよね。きっと、その放映権を獲得した人は今や社内の英雄でしょう。そんなことを考えながらゲームを見ていたが、ゲーム自体は相変わらずフィールドの真ん中あたりでボールが止まっていて、見ていてストレスがたまった。

上記セミナーを広報します。みなさんどしどしリンクしていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

●6月5日(日)

6月は休みがない。今日も某公的機関で講座のコーディネイターの仕事。8時半になったら出る。

加えて、プラッツで夏以降計画している親向けの講座の広報、そして、以前よりお知らせしている冊子づくりも同時にこなしている。冊子は、なんと、3冊をほとんど同時に発行する。講座の広報のほうが先になるでしょうが、冊子のことも含めて近々当HPでもお知らせします。

そうした活動に加えて、日常の支援活動もしている。友人たちには仕事アディクション、もっというと、過労死系だとも揶揄されているが、僕自身はわりと楽しい。

スピヴァクの『デリダ論』(平凡社ライブラリー)、やっと読了。何ヶ月かかったんだろ。でも、よかった。難しいけど。75年時点からスピヴァクが、デリダとフロイトの親近性に目をつけていたのには驚いた。日本にデリダが紹介されたときは、ニーチェとか現象学との親和性は指摘されていたものの、フロイトはあまり取り上げられていなかったと思う(それは現在も同じか)。

実はデリダの「根源的他者性」の論理(スピヴァク風にいうと根源的他者としてのサバルタンの論理)は、フロイトの無意識の論理(「マジックメモ」や「夢分析」、「科学的心理学草稿」に散見される心的システム論)に大きな影響を受けている。ざっくばらんにいうと、デリダの痕跡とは、フロイトの無意識のことなのね、と身も蓋もない結論に僕は到達しているのだが(怒られるかなあ)、あら、もう時間がない! さあ、仕事に行ってきまーす。

●5月31日(火)

気づけばもう1週間。メールは、ネットスケープを使えば送信できることが判明した。でもこの2週間の「送信できません」態勢により、返信必要なメールが極端に減ってしまった。来るのは、メーリングリストと変な出会い系ばかり。

何人かの方よりこの日記をもっと更新してくれとお願いされるものの、このところ帰ってきてすぐにバタンキュー、早朝起きて仕事(パソコンを使っての)開始、がずっと続いており、日記まで余裕がない。

そんなわけで本もろくに読めていないが、そういえばレイ・ハラカミの新譜CDは買った。CDを買っても我が家にはCDブレ−ヤーがないため、すぐにパソコン→ipodコースをたどる。だから新譜CDは最初の1回だけしか使わない。そんなわけで新譜を買うのがバカバカしくなっており、たまに音楽欲求が沸いてきたときなどはツタヤで未聴の旧譜を借りてしまう。

レイ・ハラカミは、きれいでかわいい音をつくるテクノ系の人。新譜は4年ぶりで、前作も僕は持っている。これまで、くるりとか矢野顕子とかUAの曲にも参加している。新作は『ミュージックマガジン』でべた褒めされており、まあそこまでとも思わなかったが、わざわざ買ったのは成功だと思えた作品だった。

●5月24日(火)

メールなんか送れなくってもどうでもよくなってきた。受信はできるしネットはできるし。必要なことは電話で言えばいいんだ。あと、ネットできるんだったら、ヤフーのメールでもできるそうだし。

知人に、最近のこの日記は『マリみて』のことしか書いていないと指摘された。日常の僕は仕事他、たくさんのことをしてるんだけどなあ。まあいいや。はいお姉様、わたくし、マリみてのことしか書いてなくってよ、なんて、いつものマリみてひとりプレイの口調で書いてやるぜ。

やばい……。僕は、NPO法人青少年自立支援施設淡路プラッツの代表だった。得意技のドゥルーズ・ネタで盛り返したいが、ドゥルーズも普通の人にはやばい宗教に見えるらしい。というわけで、隠れ蓑のデリダに戻るのだ。スピヴァク『デリダ論』はもうちょっとで終わる。

●5月22日(日)

休みなんか、ないぜ。そんなことを知人に言うと、どうも僕はアディクションなやつだとのこと。そんなわけで、日曜を活かしたアディクション訪問に今日は行ってきた。結構遠いところ。

南海電車の特急の中で読む本を、と思って、『死亡推定時刻』(光文社)という裁判ものらしい本を買った。文章は稚拙だが、裁判の手続きをフィクションのなかで勉強できるみたい。

どうも僕は最近、文章を書くよりも、現実の仕事のほうがわくわくしている。文章が遠い。高校以来、文章を書くことにあんなに比重を置いてきたのに。んなわけで、今日書くつもりだった『少年育成』の原稿が書けませんでした。ごめんなさいー。

●5月19日(木)

わ゛ぁーっ、いまだにメールが送れないーっ! たぶんウィルスだろうと思って、昨夜一晩中かけてハードディスクを検疫したのに、ダメだった。受信やHPアップロードはできるのに(だからみなさんからのメールは読めます)。でもでもでもでも。実は、さっきこの愚痴日記をアップロードしようと思って日記を書いていたところ、なんと、久しぶりの画面真っ暗フリーズ状態になってしまった。iBookでは初めてだ。もしかして、あの恐怖のパソコンクラッシュが再々度やってきたのだろうか。

いずれにしろ、しばらく僕からの仕事連絡は電話かFaxになります〜。

落ち込んだせいか、『マリみて』のアニメ化されていない小説を結局全部(8冊)読んだ。昨夜なんか、『妹オーディション』を読み返してやったぜ(アニメ雑誌に載っていた「日販」による調査結果では、週間文庫ベストセラー1位にこの『妹〜』が堂々輝いていたのだが、本当なのだろうか。村上春樹『海辺のカフカ』は4位だったのだが)。

●5月13日(金)

なんかわからんが、メールを送れなくなった。受信はできるのだが。で、明日はプラッツの、年に一度のNPO総会。そんなのも含めて、とにかく、毎日いろんなメールをいろんな人に送らなければいけない。あ゛あ゛。それ以上考えるとめんどくさいので、ニフティが変なトラブルになったことにして、いずれはメールが復活すると信じることにしよう。でも、もしかして謎の原因でしばらくメール送信不能になった場合、みなさん、僕から変な電話ありますので、すみません。

●5月7日(土)

もう土曜日。ドゥルーズ『差異と反復』5章、ローリー・ムーア『アメリカの鳥たち』などを読み返す。

世間では当たり前のこと(他者は自己のはるか「手前」にいる、ということ)を、哲学とか文学というフィルターを通して延々と論じたり創ったりするその姿勢が好きだ。

その論そのものよりも、そこにたどり着いた著者たちの喜び(肯定感)がそこには溢れているから。そんな当たり前のことを言語化する、その恥ずかしさよりも、そこについに、やっとたどり着くことができたという満足感が、読者としての僕を何らかの意味で満たしてくれるから。

●4月30日(土)

今日もこれから仕事なのだが、どうも暖かくなってくると僕の高血圧体質が全開になるようで、6時前には目が覚めてしまう。今朝も5時45分に起き、すでに活動状態。で、8時半くらいになると眠くなってきて、プラッツに着く頃にはへとへとになっているというのが最近のサイクルだ。

この日記でもチラチラと書いていた『マリアさまが見てる』、日常の僕を知っている人は、実はこのアニメで僕は毎日癒されていることをいやというほど聞かされているはずなのだが(ついに告白してしまった)、ああ、ついについにー、禁断の小説にまで手をつけてしまったよー。

ライトノベル界では超ベストセラーの同作品、アニメ化はまだ半分くらいしかされていない。で、続きがアニメ化されるかどうかは未定の状態。ずっとずっと我慢してきたものの、続きの話を知りたくてどうにも我慢しきれず、昨日最新刊の『妹オーディション編』を買ってしまったのだった、そして2時間で読んでしまったのだった。きゃー、恥ずかしいー。

でも、はっきり言ってよかった。内容を書くとあまりに引かれてしまうのでここでは書かない。でも、じーんとしてしまったのだった。

ああ、こんなこと書いちゃダメだ。ただでさえ日記更新スピードが遅いのに。

で、最後に情報を。「臨床哲学」から独立して「カフェフィロ」という団体が先日発足しました。そのホームページができたそうなのでここに貼り付けます。cafephilo

マニアックな哲学という領域から出るユニークな活動として、僕もできるだけ協力したいと思っています。

●4月25日(月)

JR尼崎近くの事故、僕にとってはマジでぎりぎりだった。

あの、9時10分台の快速、僕はしょっちゅう乗っている。今日はたまたまプラッツだったので阪急に乗ったのだが、3月まで僕は月曜日はJRのあの時間にあの快速に乗っていることが多かった。また、曜日が変われば、あの時間帯にあの快速に乗っていることもしばしば。ドゥルーズやデリダが言うとおり、「出来事」は目的とか予想の範囲外でいつもやってくる。

村上龍の『半島を出よ』をやっとのことで読了。いままで読んだ龍作品の中では一番よかった。『コインロッカー〜』よりよかった。ただのエンタメでもなくアニメでもなく春樹・龍ワールドでもなく、「出来事」に限りなくクリアに近い小説だと思った。

そしてそのあと久しぶりに西尾維新に戻ったのだが、ああ、おたくって悲しい〜。こんな日は特にそう思う。

●4月18日(月)

それにしても時間がたつのがはやい。もう月曜日だ。今は朝の6時半、早起きして仕事メール等している。

僕は今日から水曜まで、プラッツの仕事で沖縄に行く。準備も何にもできてない。今回はパスポートはいらないんだな。そうすると、いつもの、降圧剤とウコンと、デリダと、それと今回はNHKの語学講座テキストを持っていこうかなー。あ、そうか、ウコンは現地調達すればいいのか、なんてつぶやいている。

土曜は800人規模のパネルディスカッションに出た。玄田さんとか斎藤環さんとか小杉さんとか、その他有名な人ばかりだったので少し恐縮してしまったのだけど、まあ無難にこなせたような。来ていただいたみなさま、ありがとうございます。

で、昨日の日曜はこの頃なかなか時間がとれなくなっている訪問の仕事。1日中電車に乗って移動した。

村上龍『半島を出よ』は下巻の真ん中くらいまで来たのだが、これはおもしろい、というかかなりおもしろい。たぶん龍ちゃんが一番書きたかったのは、日本の意志決定システムの独特さ(トロさ)なんだと思う。

そういえば、土曜日に某氏と西尾維新話で盛り上がれたのはうれしかった。あとは『マリアさまが見ている』話で誰かと語れればいうことないんだけどなー。この頃、定例アニメ講座みたいなのを開こうかなんて真剣に考えている。『アニメ夜話』を越える語りをする自信はあるぜ。では、沖縄に行って来マース。

●4月12日(火)

うわっと、気づけばもう12日。前の日記から10日近くなっている。

今日はプラッツの仕事で、エキスポランドにて開催している「ガンダム展」に行ってくる。最近の「ガンダムシード」中心の展示会であるもののファーストガンダムからそれなりに展示されており、もっと商業主義全開だろうと予想していた僕にとっては意外なほどおもしろかった。

そういえば先日、NHKの衛星で放映され始めた『アニメ夜話』という番組の1本目を見た。題材は『エヴァンゲリオン』だった。番組のクオリティーはいまいちだったが(ヒッキー小説家の滝本氏が全然ダメだった)、エヴァのエッセンスはある程度伝わっていた。

ファーストガンダムは僕が高校2年生の頃、エヴァは僕が30才の頃。それなりに節目の頃に見た作品だった。

ドゥルーズとガタリの『千のプラトー』を久しぶりに読み返す。1章の「リゾーム」論。アムロもシンジも、結局最後はリゾームが一瞬到来したなあ、なんて、哲学&アニメおたく感慨を抱いた1日だった。僕は、基本リゾームだが、いつも樹木みたいな中心性に振り回されている。すべては葉っぱなんだけど、樹木(何かを統御する法とか規則とか人間関係のルール)も同時に顔を出す。わけわからんよなあ。

●4月3日(日)

最近この日記ではプラッツに関する多忙話ばかりで(というか日記そのものをあまり書いてないが)、あの「臨床哲学」のことを全然書かなくなっていた。けれども実は臨床哲学にもここ半年くらいでいくつかの動きがあり、そのなかでも、僕が時間を見つけてかかわってきたのは、研究室を出て「外」に向かって活動していくための新組織づくりだった。

新組織はNPO化を目指している。そのための、任意団体としての発足総会が昨日あった。普段は仕事のため時間がなく会議等に参加しにくい僕は、せめて「正会員」として協力させてもらおうと思っている。

組織の名称は、いろいろ議論があったものの、結局「カフェフィロ(Cafe Philo)」に決定。ワークショップ、研究・リサーチ、ネットワーク、メディアづくりの4本柱が事業内容だ。従来の「哲学カフェ」は4本柱のうちのひとつであるワークショップの中の一形態となる。たぶん哲学カフェはまだ社会的には全然浸透していないため、それほど混乱はないと思う。

そういえばこの前タワーレコードに行ったとき、「カフェ・ミュージック」という試聴コーナーがあったので驚いた(クラブ系の隣にあった)。カフェという言葉は、「人が和む場所」「人が集まり語る場所」的な抽象概念として流通しつつあり、その意味でもカフェフィロはいいのではないかと思う。

これからこの日記でも、カフェフィロの情報をぼちぼち流す予定ですのでみなさんお楽しみに。プラッツをめぐるニートやひきこもりに関するネットワークと、カフェフィロがこれからつくるであろうネットワークが、なんらかのかたちで絡んでいくような予感がしている。

村上龍の『半島を出よ』(上)、快調に読んでいる。『攻殻機動隊』のテレビ版の作り手の感性に近いような。つまり、一歩誤れば単なる軍事戦略オタになってしまうのだが、作り手がどこかで捨てきれない文学臭みたいなものがそうなるのをとどめている、みたいな感じ。僕はそこが物足りないんだけど。もっと軽薄に軍事オタしてもらったほうが、時代性みたいなものを感じ取れるのに。

●4月1日(金)

気づけばもう1週間たった。忙しいというのはちょっと違う(表面的には忙しい)、かといってゆったりもしておらず、すべての時間が詰まりまくった1週間だった。よく乗り切った。

噂の、村上龍『半島を出よ』を購入。50頁くらい読んだが、いやあ、いわゆる「小説家」はちゃんとした小説を書きますね。西尾維新とは大違いだ。その西尾維新は、『ヒトクイマジカル』まで到達した。ちなみに、西尾維新は漫画家という印象を与えているみたいだが、立派な「現代の小説家」です。この前当日記で紹介した表紙群の写真に接すると、漫画と思われても仕方ないのだが。

ポイントは、一見漫画風の西尾維新は小説構築能力は稚拙きわまるのだが、「小説家」村上龍のつくる小説世界よりも、なんとなく世間の常識からはみ出てるような気がすること。今作の龍の作品はたぶん『コインロッカー〜』あるいは『愛と幻想〜』級なのだろうけど、西尾維新の「はみ出る何者か」は、龍なんか蹴散らしている。そこにたぶん、現代の10代の犯罪を読み解く(「読み解く」なんてダメな発想だが)最大のヒントがあるような。

●3月25日(金)

最近知り合いが開いたイベント(フリーターと請負会社の問題を考える)を報告した、別の知り合いのルポを読む。

とにかくフリーターは酷使されている。で、僕はこの種の「過酷な現場もの」に接すると、どうしてもマルクスを思い出し、資本主義である以上は必然悪としての搾取はどうしたってなくならないよ、なんてどこかで冷めた思いを抱く。でも社会主義革命はすべて失敗してしまったし……なんて学生みたいな甘ーい考えがどうしても浮かんできてしまう。

一方で、そのルポにもあったのだけど「雇用の問題はすべての人の問題でもある」のだから、僕自身の雇用現場を地道に変革するしかない、という思いもある。で、変革を可能にできる立場に僕自身あるのだから、ゆっくりでもがんばろう、なんてことも思う。

●3月21日(月)

せっかく高機能デジカメを買ったのだから何か撮って当HPに載せようと思っていたのだけど、今日までだらだら先延ばしにしていた。

で、このままではダメだと思い、とりあえず身近な本の写真あたりから始めることにした。で、最近いやいや読み続けている西尾維新本を撮ってみた。発表順に、『クビキリサイクル』『クビシメロマンチスト』(上段2書)、『クビツリハイスクール』『サイコロジカル(上下)』(下段3書)。見たとおり、おたっきーな表紙のオンパレードだ(ところでこうやってHPにそのまま表紙写真を掲載しても著作権とかには問題ないのかな)。

現在は『サイコロジカル(下)』の真ん中くらい。『クビシメ』『クビツリ』の2冊は退屈で死にそうだったが、本書でデビュー作の勢いを取り戻しつつあるようだ。

ここまでの感想では、『エヴァンゲリオン』から始まる「僕と他者と世界の境界もの」の最新型だということ。主人公自身の内面はえぐられないが、会話等で執拗に「自己と他者」テーマがとりあげられる。

もうひとつの特徴は、各冊ごとの謎解きはすっきりしているのだが、肝心要の主人公その他の重要人物の過去がほとんど明かされていないということ。まるでアニメの謎解きを見ているようで、現在のところは2クール目の真ん中あたりみたいな感じ。『エヴァ』でいうと、18話くらいかな。

前も書いたけど、おたくテーストを許容できないと読めない作品群。でも、独特の殺伐感・投げやり感はつくりものとは思えない(つくりもののアベカズと比べればはっきりわかる)。確かに新感覚の文体なのだ。それが、おたくテーストによって支えられているのはおもしろい。

●3月16日(水)

メキシコ前から延々と続いてきた一連のハードな日程が、少しだけ一段落ついた気分。来年度(4月〜)も無事なんとか乗り越えられる見通しがついた。

無事41才にもなれたのだが、3月14日はホワイトデーで、おまけに僕は自分の母親と誕生日が同じなのだ。だから微妙に派手な誕生日なのだけど、子どもの頃から感慨のあまりない日でもあった。

デリダは『シボレート』で「日付」について言及している。日付は署名と同じように、それだけの固有なものであるように装いながらも実は反復されるし、いくらでも替えがきく。けれどもたとえば僕が生まれたという単独性は、単独的な出来事としてある。でもその単独的な出来事を表現するためには、反復可能である「日付」を用いざるをえない。

僕が生まれた日という世界で唯一の単独性は、ホワイトデーとか母親の誕生日という別の意味を同時に背負う。取り替え可能で反復可能な日付でもってしか僕の生命の誕生という単独性を表現せざるをえない、このアポリアにデリダはこだわっている。

そしてそれを逆にとって、ホワイトデートとか母親の誕生日という取り替え可能性(誤ったいくつものその日付の意味)があるからこそ、僕の誕生日という単独的な出来事が、切れかかった糸のように1本の意味をなすことができる。ここでいう取り替え可能なホワイトデーとか母親の誕生日がデリダのいう「他者性」だと僕は思う。他者がだから先にいつもある(ちなみにスピヴァクは、こうしたデリダの「他者」を大胆に「サバルタン=当事者」とした)。

そんなこと(他者の先行性)は油断すると忘れてしまう。母親の誕生日やホワイトデーより自分の誕生日を強調したいというような「自己の先行性」にとらわれてしまう。「自己」なんて、他者よりいつも後に現れるものなのに。

一段落したついでに、普通の方々にとってはまた意味不明のことを書いてしまった。

●3月12日(土)

おっと、気づけばもう土曜日ではないか。今週もあっというまだったよ。

今はまだ朝の6時半。今日はプラッツで、運営委員会→保護者会→親の会→面接と続く、1ヶ月で最重要日。そして今日は夕方、そのままJRに乗り込み金沢へ行く予定だ。明日金沢で某シンポジウムがあり、僕は司会をする。で、月曜日は以前から見学したかった富山の某施設に行く。では、鞄に毎度のことながらの旅グッズ(デリダ本とウコンと降圧剤等)を詰め込み、行ってきまーす!

そういえば、14日、僕も41才になる。あの「41才寿命説」の年齢についに達した。

●3月7日(月)

忙しさのため本もろくに読めていない。メキシコ行き前から取り組んでいるデリダ『死を与える』は、やっと山場に入った。驚くほど率直に「責任」論を展開している。興味ある人は、3章あたりから始めればいいのでは。

猫好きのデリダはこんなことを書いている。

「あなたが何年もの間毎日のように養っている一匹の猫のために世界のすべての猫たちを犠牲にすることをいったいどのように正当化できるだろう。あらゆる瞬間に他の猫たちが、そして他の人間達が飢え死にしているというのに」

決定の瞬間は一種の狂気。だからこそ、他者に向けて単独的な自己を常に与え続けなければいけない。それがデリダのちょっと厳しい責任論。

あと、森岡正博『感じない男』(ちくま新書)を半分、西尾維新は3作目(『クビツリハイスクール』)まで進んだ。噂の森岡本は全ヘテロ男子必読かも。デリダも死ぬまでに一冊くらいこんな本を書いてほしかったな。西尾本は、ほんと、おたくテーストを許容できないと無理だろう。でも、独特な殺伐感には時々感心させられる。

●3月4日(金)

うむー、忙しさは変わらず。いつのまにか、「現場」の仕事が遠くなっていきつつあるような。

昨日あたりから両手首に謎のブツブツが出現している。不気味なのは、いっしょにメキシコに行った人もそんな訴えをしているということ。

最近、22時をすぎると眠くなる。

●2月28日(月)

一昨日昨日のパネルディスカッションは、僕個人の語りとしては比較的うまくいった。

まあ僕の話の出来不出来はおいといて、やっぱ昨日のプラッツの講演会(というか3つの分科会)はすごかった。今回のパネラーには全国区の有名人は一人もいない。そしてプラッツは、一民間団体であり、超弱小NPOだ。そこに、あれだけの人たちが来てくれた。

圧巻は、その後の交流会。3階の床が抜けてしまうのではないかと思うくらい、たくさんの人が参加してくれた。メキシコから帰国後も講演会が続き僕はほんとうに疲れていたのだが、正直告白すると、家に帰って一人感動した。最近は、ずっと優勝し続けている阪神の内部にいるみたいな感覚だ。ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。

●2月25日(金)

今晩、飛行機を乗り継ぎやっとのことでメキシコから帰ってきた。かなりへとへと。でも、メキシコそのものは超最高! 19日の日記で書いたマサニージョとはマンサニージョの間違いで、我々が宿泊したのはメラケという太平洋側の小リゾート地なのであった。

メラケの街と海のことを書き始めたらきりがなく、そして今日はその体力はゼロ。そしてそして、僕は明日行政主催のパネルディスカッションのパネラーという仕事が早くも待っている(ついでにいうと、明後日はプラッツの講演会!)。そしてそしてそして、メキシコでなんと、前歯の詰め物が外れてしまいガタガタ状態になっているので明日早朝に歯医者に行かなければいけないーっ!! 前歯ガタガタでもメキシコではどうでもよかったんだけど。

●2月19日(土)

今日はメキシコに旅立つ日。昼頃伊丹空港から成田へ行き、少し待ってロサンゼルス行きに乗り換え、延々飛行機に乗りアメリカ到着後、3時間待ってメキシコはマサニージョというところへ5時間かけて飛ぶ。何時間飛行機に乗ることになるのかわからないけど、日付をさかのぼることになるので、それでも到着は19日の18時ということになるらしい。わからん。

それと、マサニージョというところもどんなところかわからん。今回の旅行は、プラッツと濃〜いネットワークを張っている北陸の某援助団体企画への便乗で、これまでプラッツのスタッフやメンバー達は何度か便乗しているものの、僕は初めて。昨日までの忙しさのせいかマサニージョというところで何をするのかもよくわからんままマサニージョに向かう。現地で、日本人の方にお世話になることはわかっている。

帰りは25日の夜です。3日分の下着(現地調達&洗濯の予定)と本(デリダと西尾維新)とウコン顆粒と降圧剤を小さなバッグに今詰めた。では、アディオス、アミーゴ。

●2月17日(木)

きゃー、もう木曜だよー。そして土曜からはメキシコだよー。まったく準備もしていない。

そんな話を今朝某行政系の会議であった知人に話すと、「お金だけ持っていって、全部現地で調達すればいいんですよ」とのこと。そうだな、どうせならめちゃくちゃ小さなバッグで行こうかなー、なんて思う。向こうは30度だそうだし、Tシャツとパンツさえあればいいのだ。

『イリヤの空、UFOの夏』は結構名作だった。この前書いたように、アニメ文脈を許容できれば、の話だけど。次は、西尾維新というライトノベル作家のデビュー作にチャレンジしている。どうやらこれをメキシコに持っていくことになりそうだ。1年前のフランス旅行は、京極夏彦の最新作を持っていって苦しんだ記憶があるのだが、さて今回はどうなんだろう。

フランス旅行時と違って、今回は日記も中断になります。帰国は25日夜の予定。明日余裕あれば日記書くが。

●2月13日(日)

昨日はプラッツで、運営委員会→保護者会→親の会→スタッフミーティングと続く、1ヶ月のなかで一番忙しい日。スタッフミーティングに突入した頃になると僕は脳が軟化しておりほとんど機能しなかったが、そんなの関係ないほどに白熱したと思う。うれしかった。

前から仕事で関わっている青年達に勧められていたライトノベル『イリヤの空、UFOの夏』(秋山瑞人/電撃文庫)を2巻まで読む。ライトノベルは初めて。その、あまりのアニメ世界に驚いたが、上質アニメを「読んで」いると思うと逆に楽になり、思わずデリダもドゥルーズも放り出して延々読んでしまう。

そういえば、ヌジャベスという人のCDを買って愛聴している。日本のヒップホップ界で要注目人物らしいが、僕にとってはアニメ『サムライチャンプルー』の音楽担当の人。その、独特のゆるさがたまらない。

そういえばついでに、韓流ドラマ『美しき日々』も再び見ている。結局、チェ・ジウ最高。後半は泣きまくってくれている。で結局、疲れているときはアニメと韓流なのでした。

●2月9日(水)

え、もう水曜? っていう感じで、最近もまたすごい。

特に週末はものすごく、土曜日は朝から21時までプラッツ→親戚の通夜に出席するためバスで四国に帰省→親戚宅で2時過ぎまで話し込み→7時起床再び親戚宅→12時に大阪へ戻ってきて一つ約束をこなし→15時より某セミナー出席→そのあと飲み会交流(これも仕事の一つ)と、もうめちゃくちゃだ。

そして月曜より通常の仕事をこなしているが、またまた昨日行った「フットサル」大会は超過酷だった。

3分ハーフでもフットサルは地獄だ。最初僕はキーパーだったためその地獄度があまりわからなかったが、フィールドに入ってみると、もう今年41才にこれをやらせるのは無理、無理、無理。身体の中身すべてが沸騰し続けてるような感じになったのであった。

でも実は、ものすごく楽しかったのも事実。ミスしまくりファールしまくりの無茶苦茶プレイもご愛敬だ。1年に2回くらいだったらまたやってもいいな。

最近ぼちぼち読んでいるデリダ『死を与える』は、もしかしてかなりの名訳なのでは、と思ってきた(『癒しとしての差別』はちょっと挫折気味ー)。

●2月4日(金)

もう、とにかくたいへんだ。その「たいへん」の中身は書けないが、次から次へと事は起こる。今日も朝から晩まで新情報に追われてばかり。久しぶりにフランス逃避気分。この月末に行くのはメキシコなのだが。

毎日次から次へと起こること、そこに安定した意味のある到着点はない。いつも、「出来事」は破綻寸前。でもよく考えれば、破綻ないし破綻寸前という背景があってこそ、「信頼」という成功するコミュニケーションが現れる。破綻は信頼の条件なのだ。信頼とは、細い細い糸であって、共有できる奇蹟。だから、その信頼の意味の強さに我々は圧倒され、破綻という「前提条件」を偶然事として排斥したがる。

●2月1日(火)

早いものでもう2月。今月は仕事で海外に行ったり帰ってきてすぐに講演会があったりと、今から超バタバタモードが予想されるたいへんな月。平穏に、無難にこなそう。

昨日久しぶりにカラオケに行ったのだが、驚いたことに『冬ソナ』の主題歌がなかった。最近の疲れを、すべてあの美しいメロディに置換するつもりだったのに、なぜ? 同ドラマ歌手であるリュウさまの他の歌(「マイメモリー」とか、あの、チャンチャチャチャ、チャチャチャンの曲)はすべてあったのにこれはどういうことだ。僕の探し方が悪かったのか、10万曲収録が自慢のジャンカラにもエアポケットがあるのか。もしかして著作権絡み?

暇つぶしに読んでいる『生首に聞いてみろ』(法月倫太郎/角川)がちっともおもしろくない。新本格といのはどうも軽く、好きになれない。安易にカタカナや最近の造語をつかっていて、言葉遣いが不用意なんだよなあ。

●1月28日(金)

ずっと仕事。

某ルートよりデジカメを購入。500万画素。上の、故トロオ写真とか撮っていた初代デジカメはとっくの昔に壊れていた。そのうち買おうと思いながら、だいぶ時間がたってしまった。それにしても、ああ、『キッド』はいつできるのやら。そのうちちゃんと答えを出さなくてはいけない。

韓流の『美しき日々』、いまいち乗れない。結局、異母兄弟葛藤ものなんですね。チェ・ジウはそのお飾りにすぎない。『冬ソナ』ではあんなに泣いていたのに、その5分の1も泣かない。チェ・ジウの魂の泣きこそを僕は求めているんだなあ。それは、『エヴァンゲリオン』のミサトさんの泣きにも通じる。つまりは、ジウもミサトさんも、紋切り型のアニメ・ロマンティシズムなのだ(韓流は実写だけどストーリーといい画面のべたな色といい声優の立ち方といい、日本の上質アニメに似ている)。

ヨンさま好きの女性たちは、僕にはアニメ好きのやおいに見える。それのどこも悪くはない。ファンタジー/幻想に身を任せる人が僕は好き。デジカメで僕なりのファンタジーを撮りたいけどそれは無理だろう。そんなことを若い頃から思いながら、一度も幻想を作品化したことがない。で、哲学とかに流れてしまう。

●1月26日(水)

昨日はソフトボールの大イベント。夜はプラッツに久しぶりに宿泊。今日は朝から某通信制高校でカウンセラーの仕事。そのあと訪問仕事。そのあと某青少年会館で障害を持つ人へのかかわり。夜の9時頃にやっと帰ってきた。カニ入りチゲを一人でつくってなごむ。

某通信制高校の仕事はおもしろい。2年行っているが、保健室や他の教員も含めて理想的な校内ネットワークが形成されている気がする。生徒たちも(僕の主観だが)どんどん生き生きしているように思える。

今日は、後期の僕の最終担当日。授業もないのに来てくれた生徒もいて、うれしかった。僕は二日酔いで調子悪かったものの、生徒たちにつられておもしろいトークが展開できた。プラッツが異常に忙しいのだが、来年度もこの仕事は何とか続けるつもりだ。

デリダ本の他に、『ALS』(立岩真也)とか『癒しとしての差別』(八木晃介)なども購入しているのだが読む時間なし。ついつい韓流とアニメに流れてしまう。

●1月24日(月)

週末は、四国の実家に帰っていた。父親の7周忌だった。父親が死んだ日はいまでも鮮明に覚えている。僕がいろいろな人にものすごい迷惑をかけた1日だった。故トロオにも大迷惑をかけた。

実は、昨秋、母親が脳出血で倒れた。今はなんとか普通の生活を送っているが、たぶん、このことで僕の人生は変わるだろう。この3月で41才になる。自意識過剰な自分のありようもついに終わり。酔っぱらって変なことをこれからもするかもしれないけど、恥ずかしい話、やっと僕は人生のピークを越えた。

●1月20日(木)

ずっと仕事。

『冬のソナタ』効果はすごい。驚くほどの人がこのドラマを見ている。ほとんどの人たちとこのドラマを元に話ができる。そう考えると『エヴァ』なんか、ほんと、おたっきーの作品なんだなあ。

でも、おたくな僕は、『冬ソナ』にしても、おたくっぽく見てしまう。特に14話最高(15話かなあ)。チェ・ジウと、記憶を再び手に入れそうなヨンさまとの思い出を重ね合わす回。うだうだ書くとまた僕のおたく魂を疑われてしまうので適当に流すが、他者と記憶が重なる瞬間ほど気持ちのいいものはない。

今、プラッツの3階にはチェ・ジウ・カレンダーが燦然と輝いています。

●1月16日(日)

やっと去年の日記を整理した。あと、プラッツの講演会も上に宣伝した。

OS10に変更した際にHPソフトも変わったのだが(Golive)、その使い方がいまいちわからず、かといって調べるのもめんどくさいので適当にリンクさせた。上の、「04年の日記day04.htm」じゃくなて、03年みたいに表示したいのだけど、よくわからん。そんなのも知らないでホームページができてしまうところがマックの素晴らしいところだ。

マックといえば、マックミニというのが発売されているらしい。ディスプレイなしで59800円は、安い。アップルにとって最も都合のよい消費者代表である僕に対してまた新たな甘い罠が……。

さて、上記の淡路プラッツの講演会ですが、気づけばあと1ヶ月近くになりました。みなさま、どうぞよろしくお願いします。

みなさまのブログやHPで広報していただければ幸いです。

URLは、http://www.wombat.zaq.ne.jp/awajiplatz/kouenkai.htmlです。僕はいまいちリンクとかわからないので、ネット達人のみなさま、どうぞよろしくお願いします。

●1月12日(水)

ずっと仕事。年末年始、いろいろ映画を見たり本を読んだのだがあまり書く気にならない。DVDで見た『華氏911』もいまいちだった。『冬ソナ』も、いっぱい感想を書きたいけど、なんとなく乗らない。鬱ではないのだけど。

思い起こせば、98年頃からこの日記を続けている(記録が残ってないのはハードディスク初期化のため)。そろそろ、ネットの日記にも飽きてきたかもしれない。

6年前は画期的だったこうしたネット上の日記は、いつのまか、世間的には当たり前のものになってしまった。いまでもそれなりにメリットはあるものの、はじめの頃のエキサイティングな感じはどこかにいった。次の、新しい試みは何かないのだろうか。掲示板はしんどいし(昔ひどいめにあった)。日記を通して、こちらの日常を伝えることは読んでる人には少しは意味はあるようだ。何か新しいスタイルは。

●1月11日(火)

プラッツの仕事はじめ。日記を更新しないまま、気づけばこんなに間をあけていた。今日は夜の12時頃まで仕事していた。

田舎で弟が教えてくれた『冬のソナタ』を見ている。これ、いいわ。今から風呂入って第5話を見よ。

今年もみなさんよろしくお願いします。