ドーナツトーク日記 08年版(06と07年はほとんど日記を書けなかったので下のほうにあります)

★淡路プラッツ&ドーナツトーク社関係の本分岐点に立つひきこもり」(すみません、完売しました)

『動けない青年たちと動き始めた青年たち』 『「待つ」をやめるとき』(この2冊は在庫あります)

03年の日記(春から6月にかけてのトロオとの生活は今読んでも泣ける)04年の日記(2月のフランス編はやはり懐かしい) 05年の日記(まだこの年までは真面目に日記を書いていた) ■06年版はこのぺーの下のほうをご参照ください。2ヵ月に1回しか更新していません……とほほ。

一番お気に入りの、故トロオ写真

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●4月27日(日)

放っておくとすぐに3ヵ月過ぎてしまうのがこの日記。今や単に、僕の生存を確認するだけのものになってしまったが、たま〜の更新もそれはそれで楽しい。

このところ、地味に1人で写真を楽しんでいる。たとえば、

これは近所のケーキ屋で撮ったものをトリミングした。「ケーキ買うからちょっと撮らせてください」と言うと、店員さんはなぜか慌てて店長を呼びに行こうとしたので、めんどくさいから1枚だけ撮って店を出た。

他に、心斎橋でアップルの店の写真とか、ブランド店の入り口とかを撮っている。五月山公園にも行った。動画は見るのに体力が必要だが、写真はなごめる。

本は、やっとのことでデリダ『マルクスの亡霊たち』を読み始めた。半分くらい読んだが、基本的には後期デリダにありがちの散漫な講演録だ。でも、なぜか読ませる。後期は、タイトルだけ変えてひたすら同じこと(過去にも未来にも責任をとりましょう、みたいな)を言っているような。

あと、『カラマーゾフ』新訳も。こちらも評判通りおもしろい。まだ2巻だけど(全5巻)。高3の3学期、一週間で一気読みしたのが懐かしい。イワンがずいぶん庶民的になっている。昔はイワンのニヒリズムさがひたすらかっこいいと思っていたのに、25年ぶりに読み返したカラマーゾフでは、ずいぶんミーチャとかヒョードルのような超俗物に魅力を感じる。それだけこちらも年を重ねたということね。

●08年2月8日(金)

久しぶりの日記更新だが、何ヶ月もさぼっていると完全に日常外の行動になっていて不思議な気分。昔は、こういうのを毎日書いていたんだなあと思うと、変な感じです。

まして今やほとんどの人はブログに移行しているというのに、古いソフトでこうやって書いているのも……。実はこのホームページはibookというのを使って作っていて、現在僕は当然imacのほうがメインであり、レパードも入っていないこのibookを開くのがどうも億劫で、それでいつのまにか年が明けてしまいました。けど、こういうレトロなホームページも今となっては何だか少し懐かしくていいかも。

音楽生活は完全に破綻していて、itunesのラジオしか聞いていない。本のほうはというと、乱読状態だが、哲学は一冊も読めておらず(デリダの『余白』や『マルクスの亡霊たち』は一応買ってはいる)、古代史やカラバッジョの伝記や『ジョジョの不思議な冒険第4部』など。書かなければいけない原稿も抱えており、けれどもいつもながら仕事の山が毎日迫り、いやあ本当に時間が早い。「スタープラチナ」で時間を止めてほしい。

そういえば、昨秋から3月にかけて、週2ペースで講演をしている(のでは、と最近気づいた)。20人規模の、小さな講演会が僕は好きだ。60年安保が終わった後、丸山真男はそうした小さな講演会しか出なかったという伝説めいたものを実は意識していたりして〜。

●9月16日(日)

本日、東京にて哲学カフェの司会をする予定。テーマは、「空気が読めないとは?」

ところで、映画「エヴァ」、1週間くらい前に見てきたが、予想外におもしろかった。そして、ある疑問を抱き、珍しく2ちゃんを調べたところ、みなさまも同じような意見だったので、思わず鳥肌が立った。これ以上は書けない。興味ある方は、映画を見た上で調べてください。

ipod touchも発売される。けれどもどこにも正確な入荷日は書いていない。アップルなんか、9月28日などとと、不可能なことをいまだHPに掲載している。そこでヨドバシに行ってきいたところ、なんと、予約しても年内入荷も難しいとか(ヨドバシの店員さんは異常に正直。商売よりも、同じ電化製品おたくとしてアドバイスしてくれる。でも、商品知識の差が激しいのでしっかりと人を選ぼう)。その予測通り、ヨドバシはHPで予約受付をストップしている。

僕の持っている第5世代は非常に安定していて、しかも80G。タッチは、高いほうで5万近く。ああそれなのにそれなのに、日々ネットでチェックしている僕。ウィルコムの悲劇(結局まったく使っていない。とにかく通信速度が遅すぎるのだ。その、はっきり言ってiモードで十分だという厳然たる事実は、どのHPにもチラシにも雑誌にも書かれていない)を繰り返さないためにも、今回は自重しなければいけない。

そういえば、『大人が知らない携帯の世界』(マイコミ新書)というのを読んでいるが、これは傑作かも。ぜひおすすめです。パソコン文化と携帯文化はまったく別の文化として日々分岐しているそうなのだが、携帯文化外の人はそれを知らない。かくいう僕も。そういえばついでに、今度中央青年センターで「ケータイ」というテーマで哲学カフェをする予定です。

ちなみに、下が瀕死ウィルコム、その下が最近の僕のパソコン環境(の一部)です。写真に少し燃えてきたこの頃。

   旧型ウィルコム。高速モード(月約300円プラス)でも遅い。

   黒い謎のディスプレイなどもある。家、最高。

●8月22日(水)

前回日記で予想したとおり、参院選は自民党惨敗に終わった。以降、僕はいわば「自民党惨敗マニア」となり、新聞をはじめとして週6冊は週刊誌を買い(ポスト、現代、毎日、朝日、文春、新潮)、グーグルニュースでもこまめにチェックしている。何せ、参院で民主党が与党になったのだから、今までとは政治風景がまったく変わってしまう。

自民党は敗因を、絆創膏とか美しい国とか地域格差とかいろいろあげているが、僕はひとこと、「めちゃくちゃあやしくてもそいつらの談合で何とかなってしまう怪物政治家たち」がついにゼロになってしまった、ということではないかと思う。たぶん財界は相変わらずあやしくても剛腕な人たちの談合的パワーがまだまだ残っている。けれども、政界は、テレビ政治に頼り切った結果、「裏で怪しくうごめき何となく納めてしまう」といった力を失ってしまった。残っているのは、あの超小者の森のみ。青木も今回でバイバイだろう。

しょせん我が国は(というか、どの国でも政治と会社のトップは)根回し・談合主義なしでは成り立たないと思うのだ。小沢もいずれ何かで捕まるかもしれないが、昔ながらの根回し政治を相変わらず続けている。その結果、民主党が勝った。小沢引退後、民主党も今の自民党のようになってしまうだろう。今回の自民惨敗は決して絆創膏だけが原因ではなく、わかりやすく言ってしまうと、日本国民がグローバリゼーションについていけず、その反動としてあの「田中角栄」(だいぶ歪んでいるが日本型社民主義といっていもいい)を懐かしく思い出したということではないか。いまや角栄風あやしさと剛腕満点の政治家は直系の小沢のみ。決して自民党の1人負けではなく、マルクスが予言した本当の資本主義がいまやっとのことで出現し、ワーキングプアとは名ばかりのプロレタリアートがすごい勢いで増加している今、我が国民は、何かにびびっている。

その何かとはつまり、貧乏な人は世代を超えてずっと貧乏だという、これまた資本主義の基本を直視することにびびっている。資本主義なんだから当たり前のことだと僕は思う。ニートもワーキングプアもロストジェネレーションも(世代間連鎖していくからロストジェネレーション以降というほうが正確かも)、古くさくて申し訳ないがはっきりとプロレタリアートと言い換えればわかりやすい。ネグリのマルチチュードはインテリ臭ただよいすぎ。プロレでいいではないか。

そんな、我々自身がプロレになってしまった現実(非正規雇用が3割を越えたから数的目安はそのあたりか。正規雇用専門の従来の労組は、この真のプロレを対象としていないから言葉の正確な意味では労組ではない。つまり今の日本には真の労組は個人ユニオン以外存在していないだろう)を受け入れられない。だから、土木建設農業社民主義の角栄=小沢に郷愁を抱いた。岡田・前原の世代になるとたぶん、グローバリゼーションを前提とした議論で自民党に対抗するから、また民主は負けるだろう。自民も民主も、若手たちの言うことはほとんど変わらない。それの繰り返しの中から、もしかすると、どちらかが新保守主義系、どちらかが社民主義系、とわかれるかもしれない。今のところ、自民・民主のどちらがそうなるかはわからない。

根回しは我が国から永久になくならないだろうし、たぶんそれ無しでは組織は成り立たない。もういいかげんテレビ政治は捨て、表面上マニフェスト政治を装いつつあやしく根回ししていかないと自民党は次の衆院選で必ず負ける。民主党も小沢が倒れるとアウトだ。国民は、表面上マニフェストやクリーンな金を支持しつつ、その実、角栄型国家をどこかで熱望しているのだから。まあ、国民が、自分たちの3分の1はプロレタリアートで、あとはプチブルジョワジーで、ほんのひとにぎりの『帝国』(帝国主義じゃないよ)のトップたちが存在する国家に、この日本はたった20年で変身してしまったと受け入れれば、政治状況も変わってくるだろうが。ワーキングプアとかロストジェネレーションなんてかっこいい言葉に踊らされているうちは、まだまだだろう。ほとんどの国民にとって、たぶん、この国が真の資本主義となっており、基本的に格差はなくならないという事実は他人事でしかない。全員(プチブルの人も含めて)、当事者なのに。

どこかの自治体の工場でかっこいい液晶テレビがつくられ、それをすぐに買う人もいれば、テレビを低価格に押さえるべく企業に都合よく使われている派遣労働者も大勢いる。こうした例は我々周辺にごろごろ転がっている。まあ100年遅かったけど、ここにきてやっと先進国において真の資本主義が出現したことは事実だ。ドゥルーズもネグリも観念的な答えしか用意していないけど、僕としては、強靱なプロレタリアートあるいはマルチチュード、今やちょっと恥ずかしいけどスキゾフレニーが増殖することを期待する。2ちゃんねるも、いつまでもミニマムな話題を取り上げるんじゃなくて、ネットベースのユニオン化していけばおもしろいのに(ひろゆきの新書新刊はおもしろかった、彼は社会活動家やニュー資本家ではなく、基本はプログラムおたくですね)。

この間、本はいっぱい読んだけど、精神医学の権力性を扱ったフーコー論『狂気と権力』(水風社)は少しおもしろかった。あと、ついに、デリダの『絵葉書』が邦訳された! 予想通り変な本だけど、そのせいか、上みたいなことをだらだら書いてしまった。あ、西尾維新の戯れ言シリーズをついに読破(最終巻は結構感動もの)、もちろん『マリみて』最新刊も購入。アニメ『ぼくらの』、僕はすごく好き。暗いけど。

●7月29日(日)

今日は待ちに待った参院選。期日前投票はとっくにすませている僕ではあるが、見逃せないのは、やはり小沢の動き。電通プロデュース劇場型政治パフォーマンスに慣れきったこちらとしては、ここ2日の小沢の動きにはある意味感動させられた。

だって、金曜は岡山の山の中、そして最終日の昨日は島根ですよ!(アベちゃんたちは東京に集中) 要するに、岡山には片山参院幹事長が、島根にはあのドン青木がいる。島根なんか確か、国民新党の候補を応援に行っており、「島根に勝つ=過半数」まで断言している。

「選挙は川上から川下へ」の角栄理論をいまだ実践しているのもたぶん小沢のみ。ビール箱の上で数十人相手に口べた演説を繰り返す今回の小沢を見て、マジであと数年で政治家をやめる気でやっていると思った。首相にはならず(管くらいかな)、単なる小鳥おたくに戻るのかもしれない。それか、心臓でへばるかも。

かつて小沢のことは大嫌いであって、少しだけ好きだった。今回のどぶ板に象徴されるように小沢自身は何にも変わっていない。安全保障の理論も同じ。選挙戦術として格差や年金を取り上げるのは野党として当たり前だろう。けれども、まわりがみんな右にスライドしていき、気づけば小沢が社民主義の代表みたいになっている。

89年、土井さんが「山が動いた」と断言した感動は今も鮮やかに記憶する。結局その後、山は1年くらい動き、元に戻り、大不況に突入した。この日記を書いているのは朝なので結果はわからないが、もしも89年選挙以上のインパクトだとしたら、1年以内に、この日本において、近代型民主主義システムを初めて実践する日(政権交代)が来るかもしれない。やっと政治システムがモダンになれるわけだ。

それはそれでうっとおしいとは思うけど、少なくとも、その日が来ないことには、真の脱モダンシステムも展望できない(経済システムはグローバリゼーションによりすでに真の資本主義になっている。要するに、資本主義の本来の姿がやっとのことで到来し、その結果として格差も当然のことながら生まれている。これを変革するには、遅れに遅れている政治システムの変更が何よりも必要だ。革命を起こせない日本の人たちにとって)。

●7月1日(日)

今日から7月。当瀕死日記は今回は、1ヵ月と10日しかブランクがない。この間……告白すると、第5世代ipod80ギガを買ってしまったぁ! 海の向こうではiphoneが発売されたというのに。衝動が止まりませんでした。

しかし、とはいっても、やはり、いい。色は黒で、なにせ80だから何でもかんでも入る。何を入れて、僕が電車内でひっそりと何を見ているのかはとてもここでは書けないが、ipod画面は斜めから見てもきちんと表示されるため、隣の人のチェックにも注意しなければいけないというほどの優れものだ。

僕は第1世代か2世代の同品をずっと愛用していたのだけど、少し前、老衰みたいにして死んでしまった。それ以来、第1世代シャッフルで代用していて十分満足していたものの、同時に文書保存にも使っていて、それを誤って消してしまったのだった。重要文書(各種報告書とか)がぜーんぶ消えた(まあ別のところにバックアップしているが)。で、シャッフルはすべてメモリースティックにするとして、新しいipodが必要になったなあこれは! という自分だけの理屈でございます。

そんなことはどうでもいいか。この間、オール仕事。仕事、仕事、仕事! これ以外僕の人生にはない。もうこれでいい、みたいな気持ちよさだ。仕事が僕にとっての旅行であり、温泉であり、パリであり、昼寝であり、読書なのだ。過労死結構、望むところです。決してやけくそではなく(半分やけくそかな)、欲望の対象としてそこに仕事が横たわっており、気持ちよさがあるということだ。

でもあれね、朝起きてすることがなーんにもない、というのも、やっぱり素晴らしいね! 朝いちばんにヨドバシに行くもよし、阪急百貨店に行くもよし、家でビスタと格闘しつつ結局マックの速さに惹かれほとんどマックを使う自分もよし、というか、仕事ではないけれど結局何かしていることに今気づいた。もうそれが僕、それでいいっていう感じだ。

本は適当に読んでいるが、意外と、大嫌いな香山リカ氏新作『なぜ日本人は劣化したか』(講談社現代新書)がおもしろかった。雑誌感覚で気楽にぼぉーっと読める。

●5月20日(日)

この瀕死日記、気づけばもう5月後半。仕事ばかりで書くこともあまりない。読んだ本も、『ひきこもりの国』とか『オシムジャパンよ!』とか、『社会保障便利辞典』とか、『マリみて』とか、そーんなのばかり。

でも、ここに書くのを忘れていたけど、今年人文書院から『「いま」を読む』という真面目な本が出ていて、そのひとつの章を僕が書いていた。全部コピーすると人文さんに悪いので、その抜粋をトップページに貼り付けました。興味ある方はアマゾンあたりか、図書館で閲覧を。僕としては本格的デリダ論です。

●3月16日(金)

このすっかり死んでしまった日記、たぶん誰も読んでいないだろうと思うと目の前の仕事をついつい優先してしまい、さらに日記から遠ざかる。そういえば、ずっと続けていたフランス語ラジオも、このところの忙しさで週に一度聴ければましなほう。いろんな報告書の山を抱え、早朝仕事に励むのだがなかなか追いつかず。

本もすっかり読んでいない。哲学本は当たり前に読めておらず、ライトノベルからさえも遠ざかっている。社会福祉の制度本や心理テストの本は何冊も買ったが手つかず。おもしろくないもん。今はなぜかブッシュ政権の内幕ものが僕にとっては癒しになっており(別にネオコンじゃないんだけど)、最近は『ブッシュのホワイトハウス』ウッドワード著 を読んでいる。

アニメも見てないなあ。『コードギアス』はチェックしてるが。まあ、ブッシュ政権そのものがアニメとかライトノベルみたいなので、それでカバーしてるのかも。ほんと、国防総省とか統合参謀本部とか陸・海・空・海兵の4軍とか、そのあたりのやりとりを読んでいると、日本の軍事アニメとそう変わらないじゃないか、と思えてくる。

そういえばこの前、仕事でピカソ展に行ってきたが、めちゃくちゃ疲れた。なぜなんだろうと考えた結果、ただのスケッチにしろ、そこには異常なほどの圧倒力みたいなものがあって、いちいちこちらを鷲づかみにしてくるような感覚が続いたからなのかもしれない、と思った。1時間見ただけでへとへとになったもんなあ。

そのあと、心斎橋ブランドショップツアー第1弾というのを行い、シャネルとヴィトンに入った。特にシャネルは、ピカソとは別の意味で、店員および客からの異常な排除力にさらされ、5分ともたなかった。買う気のないもの(買う金が当然なくジェンダー固定している商品たち)には見えない鉄のカーテンが引かれている。ピカソはウェルカムだけど疲れたが、シャネルは(創業者ココ・シャネルの貴族排他主義・庶民対象の画期的な方針はどこへやら)、高所得者層&多重債務者のみに客層を絞った現代のその戦略、ココが生きてたら泣くよ。

ものを意味として固定する前にゆらいでいるその瞬間、そこをセザンヌは追求し続けたとポンティは書いていたが、まさにピカソもそんな感じだった。ココも、もしかして最初のハサミと糸はそんなのだったのかも。意味とか報告書にまみれきった現在の僕は、ああ、セザンヌしたいなあと本気で思うのであった。

さて、今度はいつ書くことになるのやら、この瀕死日記。でも瀕死なりのおもしろさもあるね。

●07年1月28日(土)

やっとのことで 淡路プラッツ のHPが復旧した。ただし、手続きの段取りのミスで、前のページから飛んでくることができない。あー、最初からリンクの張り直しだぁー。みなさま、お時間ある時にご変更いただければ幸いです。

しかし、今回の件で痛感したのだが、もはや最大の広報媒体はネットになってしまっている。老若男女問わず、とりあえずネット、だ。もちろんネット未体験者の存在というか情報格差についての問題は承知している。だが、数年前と比べて、格段に多くの方が「とりあえずネットを見て」と問い合わせをいただくようになった。そこには、年齢や性差はあまり関係ない。

実際自分たちで講演会を主催し、その後のアンケートから浮かび上がることも上と一致している。つまり、「何を見てこの講演会に来られましたか」という問い合わせに対して、数年前までは圧倒的に「新聞」だった。ところが最近は、「ネット」と「口コミ」が約40%ずつを占め、その他がマスメディアとなっている。

そんなわけで、今回のHP一時閉鎖騒動のため、1月29日と31日に予定しているジョブカフェの委託仕事であるアウトリーチ説明会の広報があまりできていない。一部では新聞に掲載していただいたのだが……。さて、新聞の効果はいかに。今回のトラブルでそれが更に明らかになるだろう。

本は、5000円もするコムデギャルソンの写真集みたいなのを衝動買い。それだったら服を買えと自分につっこんだ。あとはメルロ・ポンティのセザンヌ論など。自立支援法や心理検査など、僕の苦手とする福祉や心理の専門書を読まなければいけないのだが、気力がない。

ああそうだ、ついにドゥルーズの『シネマ』が訳されたんだった(まずは2から)。ドゥルーズ晩年の代表作は、中期代表作である『意味の論理学』に何となく似ている。とにかく熱いのだ。文学的比喩の嵐は、読んでいて元気が出てくる。内容は、どうやら『差異と反復』以来の、いつもの現動的なものと潜在的なものの対比らしい。潜在的なもの(光と音)にゴダールをみているみたい。去年あたりからゴダールをこつこつ見てきたのはよかったー。まだ読み始めたばかりだからよくわからないが、元気が出てくる。

この頃、精神・福祉・教育系の「近代システム」をいかに使いこなすか、ばかりを考えて仕事をしているので、そこからぶっとんだ(つまりは古い言葉だがポストモダンな)ドゥルーズの議論は、「ああ、僕の足場はやっぱりここにあるなあ」と安心感を与えてくれる。これをベースにして、より現実的なデリダの責任論を用い、今日も一日仕事をしてきます!

●12月26日(火)

今年ももう終わり。結局今年は、2ヵ月に1回の更新ペースで終わってしまった。

この2ヵ月でいろんな本を読んだり買ったりした。今読んでいるのは、『労働ダンピング』(岩波新書)、『フロイト全集17』(新訳)、『グレートギャツビー』、『オルタード・カーボン』(ディック賞を取ったSF)等。

もう少し書きたいのだけど、もう時間切れ。とりあえず、上に書いたように、淡路プラッツのHPは現在見ることができません。1月第2週には再開しますので、1月の講座等のご案内はそれまでお待ちください。

今年もみなさん、お世話になりました。来年もよろしくお願いします。

●10月15日(日)

2ヵ月ぶりだよ、ららららら〜。

この2ヵ月で一番がんばったのは、某大学より依頼された、50枚(2万字ですね)の原稿。結局60枚にまでふくらんでしまいましたが、こんな長いのを書くのは修士論文以来だったよー。修論はめちゃくちゃ努力したわりには読者10名に満たなかった(つまり先生たちと当時の同僚の院生たち)ので、今回は超哲学テーストはやめるつもりだったんだけど、できたものはやはり、デリダものでございました……。

けど、修論(180枚)ではドゥルーズ、今回はデリダと、僕が20年間わけわからんまま何とか読み続けてきた2人のものをこうして一応書ききったことは感無量でございます。これで何とか、「哲学を書く」ということの第1ステップが終わった気が。

これからも機会があれば書いていくでしょうが、この2本のように、原書にあたったりする、いわゆる論文っぽいのはあまりないかも。だって、あれ、ほんとに時間と資料がなければ無理なんだもの。今回もよく時間があったものだ。編集者の方には、合格をいただくよう、大阪より念を飛ばしまくっております。

それとは別に、短いエッセイをまたトップページに掲載しました。「後期子ども」という概念について書いています。

あと、『分岐点に立つひきこもり』は無事完売しました。みなさまありがとうございました。

8月に書いた諸々の本たち、いずれもよかった。特に戦争物。読めば読むほど、戦前の日本の状況と、現在の北朝鮮の状況が似ていることに不気味なものを感じる。「最高権力者の権力の行使の違い」程度が、両者の違いか。

しかし、「周辺事態」って、美しい国が好きなのはいいけど、それだけはやめてほしい。ほんとに。

ではー。

●8月20日(日)

ありゃまあ、気づけば前の日記から2ヵ月たっている。はやいものよう。たぶんこんな日記、もう誰もチェックしていないだろう。でもまあいいのさ。隔月記でも。あと、『少年育成』連載のいくつかをトップページに載せた。

最近、アウトプットばかりしている自分に気づき、この夏はインプット作業を徹底的にしてやろうと思い、以下の本を買い、読み進めている。ジャンル別に分けてみよう(めんどくさいので著者名はカット)。ずっと気になっていた古いものも中に入っている。それにしても新書ばかり。

★「自分の仕事」系

a『持続可能な福祉社会』(筑摩新書)

b『他人を見下す若者たち』(講談社現代新書)

c『若者殺しの時代』(同上)

d『CSR』(NTT出版)

e『誰のための会社にするか』(岩波新書)

f『自殺予防』(岩波新書)

g『パーソナリティ障害』(PHP新書)

h『日本のニート・世界のフリーター』(中公新書ラクレ)

i『希望について』(青土社)

aは必読。「後期子ども」という概念をなぜ我々は自然に受け止めてしまうのか。bcは、若者嫌い派といつまでも若者派の、別立場の本。それにしてもなぜ「若者」という概念はこうもある種の人々を惹きつけるのか。deは、NPO関係者は必読。ここに突破口がある。fghはやっぱり押さえておきたい。でも読むのがしんどい。iは立岩真也新刊。「希望」についてははぐらかされた感じ。

★「戦争」系

a『あの戦争は何だったのか』(新潮新書)

b『暗闘』(中央公論)

c『昭和史・上下』(平凡社)

aはよかった。保阪という人を誤解していた。bcは未読。特に、bは楽しみだ。

★「哲学」系

a『生命理論』(哲学書房)

b『生と権力の哲学』(ちくま新書)

両方とも未読。bはだいたい内容はわかるが、著者(檜垣氏)のファンなので。aの郡司氏の文章は難解だが、ベースはドゥルーズらしいので、時間さえあれば読める。でも、上記(仕事系・戦争系)の本たちと違って、新聞を読むようには哲学は読めない。格闘系の読書となる。この夏は暑くて、家の中でまで格闘できない。

★その他

a『オシムの言葉』(集英社)

b『グーグル』(文春新書)

aが意外にこの夏一番だった。泣ける、というか当時のユーゴ情勢がまさに「足下」から理解できた。そんな本。bは、前半は秀逸。最後にフーコーとか出さなければよかったのに。この本以来、僕の朝はグーグルニュースから始まるようになった。

★ライトノベル

a『涼宮ハルヒの――憂鬱、退屈、消失、動揺、陰謀』計5冊(角川スニーカー文庫)

b『マリアさまがみている――プレミアブック』他2冊(コバルト文庫)

aは、タイムスリップものとして読んでみよう。すると、かなり緻密に構成されることがわかる。あと、単なる萌えではなく、「メタ萌え」ジャンルの先駆けでもある。bは、何を読んでも泣ける。

 他に、ゴダールの『ワンプラスワン』とか、アニメ『ノエイン』とか秀逸なものも見た。日本映画『スイングガールズ』も初見だったが、ライトノベル感覚で見ると楽しめる。でも、京極夏彦の映画はダメだった。原作が泣いている。今はファーストガンダムシリーズをじっくりと見ている。そういえば、もうセーラさんの声は聞けないんですね。

では、次の日記はいつになるやらー。

●6月21日(水)

ここ最近、会う人たちからことごとく「日記、やめたん?」と聞かれるようになってきた。それか、「別の場所で実は細々と書いているとか」とも言われる。いや、やめたわけでも変えたわけでもないのだが、なんか日記って、書く習慣がなくなると、あっというまに遠い存在になりますね。

みんな、ブログとか活発に書いていて、すごい。僕なんか、仕事の返事メールするだけでくたくたになり、パソコンを閉じる。

インテル・iMacによる映像作業も遅々としてすすまず。気分を変えるためにも、7月に開く予定のイベントを撮り、とりあえず一本の作品をつくることにした。やっぱり「かたち」に残すのは重要ですよね。

本も何冊か読んでいるが、あまりいい出会いはない。期待した『バブル文化論』(原宏之著)もいまいちだった。

でもでも、ついに、ゴダールの新作『アワーミュージック』がDVD化された(それにしても日本上映時のタイトルがどうして英語なのか。『我々の音楽』か、そのままのフランス語のカタカナ表記ノートル・ムジックでよかったんじゃないか)。

限定版4700円をさっそく購入し、毎晩5分ずつ見ている。5分ずつ、というのは、DVDを見始めて5分もたてばたちまち眠気が襲ってくるからだ。さすがゴダール。でも、映像と音は、相変わらず美しいよ。

●5月7日(日)

ついに4月は日記を書かずじまい。5月も、油断したら今日になった。

最近、とんと哲学から離れている。とはいっても、デリダ『触覚』は購入し、久々のちゃんとしたデリダ哲学をわけわからんまま読んでいる。どうやら、「話すこと(パロール)」批判が「触ること」批判に移行したようで、そのモチーフは60年代からあまり変わりないかも。でも、例の最近の文学調ではなく、適度に文学するハード哲学な感じがうれしい。死の前年発行のようだ。

あとは、『オペレーション・ローズダスト』(『亡国のイージス』作者新刊、おもしろくなかった。この作者は出てくる人物がいつも同じ。西田敏行とツマブキでだいたい演じることができる)とか、『10年後の日本』(文春新書)とか、『ヒルズ黙示録』(ライブドア事件のノンフィクション。適当な本かなあと思っていたが、かなり骨太でおもしろかった。ニッポン放送買収の影の主役は村上ファンドと鹿内一族だった)とか。どうも、「最近の日本は格差が開いてやばいぜ本」たちに、僕も惹かれているみたいだ。言論の流行って、こんな感じなのね。

ゴダールの4枚組DVDも買ってしまった。『Comment ca va?』『こことよそ』『勝手に逃げろ/人生』『右側に気をつけろ』。うしろの2作は見た。いやあ、いいわ、ゴダール。相変わらず適当。蓮見氏が書いていたが、ゴダールを難解だと思う人は、浜辺の夕焼けの風景を見ても難解だと思うのだろう、というのはほんとだ。

あの変てこりんな台詞って、たぶん『エヴァンゲリオン』の庵野監督がわけわからんまま自分が惹かれる言葉たちを列挙していたのと同じなのでは。たとえばこの日記で僕が、半分わけわからんままパロールとか使ってしまうのと同じでは、ということ。難しい言葉たちは、ゴダールの映像と音と編集のセンスを感じるための単なる小道具。僕には『マリみて』とゴダールがなぜか近い。

あと、ピアニストのグレン・グールドが50年代にソ連を訪れバッハを演奏したドキュメンタリーDVDも購入した。こちらはまだ未見。50年代グールドはかっこいいので、DVDのジャケットを飾っている。最近聞いているのはクラシックばかり。

●3月29日(水)

今週からプラッツは春休みだが、僕は休みなく働いている。もうこうなったら「仕事(あくまでも今やっている仕事という意味で)が趣味」と認めざるをえませんねー。

ところで、アニメ「エウレカセブン」が一部で話題だ。それがついに4月2日で最終回を迎える。この前の日曜日に放映された最終回の前回は、またもや感動的で、ここのところ日曜の朝7時から体育座りしながら泣きまくっている。

こんなこと書いてもファン以外にはわかりっこないが、同アニメは先週の放映と、半年前の26話が最大の山場だったといっていいだろう。両話とも「空中での再会」がモチーフになっている。

26話ではエウレカとレントンが、前回ではアネモネとドミニクが、空中で再会する。空中落下という極限の中で、最もハッピーな瞬間が訪れる。その瞬間(時間にして10秒にもならないか)のために、このアニメは1年間続けられたと言っても過言ではない。

僕もこれまでの人生の中で「ああ幸せだなあ」と思ったことは何回かあったが、それも10秒も続かないものだった。「エウレカセブン」は、そんな「幸せは持続せず突然出会うもの」みたいな僕の実感を、空中での再会という極限状態をあえて設定することで、あらためて確認させてくれた貴重な作品だった。

●3月8日(水)

専門誌に書いた、玄田氏『働く過剰』の書評(4000字ほど)をトップページにくっつけた。

玄田氏は、「希望」という言葉をイントロダクションとして道具のように使用しており、ほんとうに伝えたいことは「やりがい」のほうだという主旨。たぶん、玄田氏にとっては、「希望」でも「志望」でも「求職欲求」でも言葉は何でもいいのではないか、みたいな感じの文章です。お時間ある方はご一読を〜。

●2月18日(土)

あれま、なんと、前回日記から20日が過ぎているではないか。はやいなあ。今年はちゃんと日記更新しようと思っていたのに……。

はやいもので明日はプラッツ講演会。内輪では「プラッツ祭り」とも呼んでいるこの講演会では、プラッツ関係者がたくさん集まって、それらの人々が各々の役割をはたしていく。そうした動きは美しく、僕はとてもこの日が好きだ。今年は、ゲストが玄田さんをはじめとしたオールスターなので、さらに盛り上がるだろう。

ゴダールの『フォーエバー・モーツァルト』のDVDを買って観る。傑作だ。特に、後半部分、女優に延々「ウィ」と叫ばせるシーンは圧巻だ。あきらかにデリダの「ウィ、ウィ」を意識してつくられているこのシーンは、デリダの他者の思想(まず初めに「土台/他者との融合」としてのウィがあり、次に「約束を守る/反復する」という意味でのウィがある)を、さらに推し進めたような感じがした。

次は『自画像』を買おうかな。例の「映像プロジェクト」も着実にすすんでおります。ファイル形式(MPEG2とかクィックムービーとか)とかややこしい問題も何とかクリア中。

●1月26日(木)

全回日記中「映像プロジェクト」は着々と進行しております、ふふふ。みなさん、驚くぞー。

それはさておき、話題の『「ニート」って言うな!』(光文社新書)、本田由紀さんのところだけ読んだ。

基本は『若者と仕事』の一般向けバージョンで、要は「ニート対策に金を使うくらいなら、フリーターと失業者、さらには教育課程に職業訓練的視点を入れよ」ということなのだが、やっぱり白眉は前半のニート研究者批判だろう。

すぱっと書ききっているので読んでて気持ちいい。でも、なんだか僕も怒られている気もする。けど、いまいち怒りの源泉が見えない。なんだか、個人的ルサンチマンの影がちらほら見えるのだが……。

けれども、この本はこれから話題になっていくことは間違いない。「教育の職業的意義」という、氏の提案には心底納得するし。

ただ、ニートっていう言葉が出てきて楽になった若者もいることは確かだ。僕はそれを現場で感じる。「ひきこもり」はなかなかギャグにならなかったが、ニートは案外軽く「笑い」要素で包める。当事者たちには楽な言葉、一般人にとっては、逆の意味で気楽に批判できる言葉、つまりは「かる〜い」意味で流される言葉、それが「ニート」なのだろう。「ひきこもり」は、それはそれは重かった。でも相変わらず「定義」の問題が研究者は好きなのね(定義するならもうちょっと“哲学”してほしいが)。

いずれにしろ、僕が以前から言っている、「青少年問題に関する流行の言葉の変遷は早すぎる→それによって、当事者と親が振り回される」という例のメカニズムがはやくも現れた。ニートの次の流行言葉が何になるにしろ、“現場”のみなさん(当事者・親・支援者)、言葉の流行に踊らされることは、ほんとにそろそろやめましょう。

その辺の距離の取り方は、プラッツとしても心底難しいんだけど。でも繰り返しますが、「流行言葉の変遷」がまた再びいま、やってきていると僕は感じます。要注意! けどこの本はおもしろい。

●1月17日(火)

昨日は仕事で某映像関係のNPO法人の事務所に行く。そこには当然、「映像」についてよーく知っている方々がいらっしゃる。

当然僕は、この頃再燃している映像つくりたい欲求を充足すべく、本来の仕事を忘れ(ごめんなさい)、質問しまくり意見述べまくりの変人オヤジと化してしまった。

結局、フィクションではなくやはりノンフィクション、しかもプラッツ関係者(利用者除く)の「自画像」短編(1本5分ほどに編集)を作っていく構想になりつつある。その短編を10本ほど作り、さらに編集を加えて30分ほどの中編にまとめる。短編と中編の2種類のドキュメンタリーという構想だ。短編は内輪で(プラッツで最近やっている「映像カフェ」とか上記NPO等のイベントで)鑑賞するが、中編はDVDに量産し、プラッツの映像版パンフとして講演等で配る。

ポイントは、単なる団体紹介ではなく(もちろんその手の情報も入れるが)、「個人がなんやかややっているうちに、流動体のような組織が生まれており、一方で組織だった法人でありながら、一方では“内と外”のあいまいな、ネットワーク概念そのものを体現化してしまっているような」現在のプラッツの姿を、個人インタビューの集積(だから一件“外”の方のインタビューも交えていく)で表現化できるかどうかだ。言葉で書くのは簡単だけど。音楽も、スタッフにシンプルなオリジナル作品をつくってもらう。

はじめはデジカメの動画で練習だ(上記NPOの先生たちのアドバイスによると、音さえきちんと録れれば、デジカメでも最初は十分らしい)。当然マックも新しくしなければいけないが、その前に、デジカメとこのi-bookで練習を重ねるのだ。絵コンテも描かなくっちゃ。

前に比べて構想倒れになる確立30%くらいに減少しているが、それをもっと減少させるため、とりあえず家の配置替えをした。それも早朝6時から。パソコンとプリンターがなぜか台所に来てしまった。で、春頃、当家にたぶんいらっしゃるであろうインテル搭載新型アイマックに備えて、メイン部屋をスカスカにしてしまった。いやあ、広くなったわ。そこで、この前買ったゴダールの『フォーエバー・モーツァルト』を見る。ゴダールは90年代以降のほうが好きだ。絵がきれいなのだ。

あと、何かよくわからないまま、セブンイレブンで「アイチューンズ・ミュージックカード」1500円なるものを衝動買い。で、ネットのアイチューンズのストアに行き、カードにある番号を入力すると、あれよあれよという間に曲がダウンロードされた。1曲200円が相場。うーん、こんな便利なシステムがコンビニ経由で利用できるとは、こりゃCDが売れないわけだ。

映像、部屋改造、アイチューンズ……冷静に考えると、ビミョーに現実から逃避している感も。いやいや、マジでDVDは作りたいのだ。

●1月12日(木)

どうも会う人ごとに「もうちょっと日記を更新しろ」的台詞を聞かされるので、意表の連続更新だ! でも仕事以外にはアニメ、しかも『マリみて』しか僕にはネタがない。で、よく考えたら、新刊『未来の白地図』(コバルト文庫)の感想を書いていなかったことを思い出した。

ついにというか、突然というか、ユミちゃんが瞳子ちゃんにスールの申し込みをしたんですねぇ、新刊では(こんなこと書いても誰もわからないか)。でも、タイミングが悪くて(ネタばらししてもこの日記の読者には痛くもかゆくもないと思うので)、瞳子ちゃんはロザリオを受け取らなかった。その後、祥子お姉様の胸でユミちゃんは大泣きするんだけど、いやあ、僕も近鉄の特急電車の中で小泣きしましたよ。ユミちゃんかわいそー。

『マリみて』DVDは2シリーズ全13巻あり、当然僕は全巻持っているのだけど、全巻中、「スール申し込み→ロザリオ授受成功」シーンは何と3場面しかない。それは、1stシリーズ2巻と、2ndシリーズ3巻・5巻に収まっている。今回の『未来の白地図』はまだアニメにはなっておらず、小説では21冊目(たぶん)だ。アニメになっていないユミちゃん2年生6月以降の10冊程度分を含めても(ちなみに現在ユミちゃんは2年生12月)、スール申し込みシーンはわずかしかない(ちなみに同小説は一般書籍を含めて常にベストセラーになっている。にもかかわらず、ファン以外誰もそのことを知らない)。

そういうわけで、スール申し込みシーンは、『マリみて』中でメインイベントなのだ。だから僕は、突然やってきたユミちゃんの申し込みシーンとその失敗シーンに対し、近鉄電車特急の中で、「ええっ!」と驚きの声を上げ、すぐあとに「なんで!」と嘆き、ユミちゃん大泣きのシーンでは思わずもらい泣きしてしまったのだった。よかったよ、特急電車で(ベンチシートじゃなかったという意味で)。

2月からはネットラジオで『マリみて』声優番組が始まるらしい。この頃は毎日公式ホームページをチェックしている。というか、やっぱ、日記を連続更新するんじゃなかったな。書けば書くほど、読んでいる人との距離が遠くなっていくような気が〜。

●1月11日(水)

マジで正月は別次元に行っていた。昨年ミステリーNo1らしい『容疑者Xの献身』を読んだり、『デリダの遺言』というマニア書を読んだり、昨年SFNo1らしい『シャングリ・ラ』を読んだり、ゲバラのDVDドキュメントを見たり、『スターウォーズ』のエピソード3見たり、ゴダール『男性・女性』をやっとのことで見たり、ダウンタウンの『決して笑ってはいけない旅館』DVDを見たり、TV版『木枯らし紋次郎』(傑作!)を延々見たり、あとは何だったかな、とにかくふだん読んだり見たりできないものを次から次に読んだり見たりした。そういえば、紅白のモーニング娘「ラブマシーン」には真剣に泣いた。

でも、リハビリを兼ねて休み後半は原稿も書いた、それは、玄田有史氏新刊『働く過剰』の書評で、某労働関係の専門誌に載るらしい。4000字。なかなかうまく書けたので、雑誌が出版された後、また紹介しますね。

で、昨日から仕事再開。無事何事もなく1日が過ぎ、ほっとした。今朝も早朝から仕事。もう出かけなければいけない。オンとオフがはっきりしていて、真ん中が最近の僕にはない。けど、ゲバラもそうだったらしい。革命成就後も、日曜も朝から労働奉仕に出かけていたとか。あやかりたい。玄田氏は新刊で長時間労働の弊害を熱く説いていたけど、みんながゲバラになれば地球も平和になるんじゃないか。だから僕は今年もミニゲバラ目指してがんばりまーす。

いやいやだけど、本田由紀氏『若者と仕事』も購入。3800円。哲学と違って経済・労働系の本は読みやすくって、リハビリにはちょうどよい。しかし、こんな読みやすすぎていいんだろうか。ドゥルーズ『差異と反復』を10年にわたって読み続けている身からすれば、歯ごたえなさすぎ。

まあそのおかげで電車内読書も可能になってきているし(昨年後半はなぜか無理だった)、今年の哲学目標は、デリダの責任論を読みなおすことだ。今年は「責任」がマイブームになる予感が。あと、安易な「当事者論」のネタ本として出回っているらしいスピヴァクの他者論をきちんと整理したいという欲望も。一応スピヴァクの応用は元祖だっていう自負が僕にはあったりしてー。

でも一番の楽しみは、やっぱ『マリみて』OVAですねー。『マリみて』新シリーズと『紋次郎』のDVDを揃えるっていうのも今年の大目標。