青少年支援のベースステーション
――「自己/他者」「決定」「責任」をキーワードに

(人文書院『「いま」を読む〜消費至上主義の帰趨』川田都樹子編 第2部2章より一部抜粋 また、ここで流すものは編集者による校正以前のものです。完成形はどうぞ単行本をご購入ください)


田中俊英(NPO法人淡路プラッツ代表)

目次

序 土台あるいはベースステーション
1 窮屈な「自己」 ――「教室」の思い出
2 「自己決定」に苦しむ
3 コミュニケーションが先にある――デリダの「ウィ、ウィ」
4 楽になった
5 「決定」の意味づけ、「責任」の難しさ
6  破壊不可能な責任――責任を越えて



序 土台あるいはベースステーション(略)

1  窮屈な「自己」―― 教室の思い出

 最近はほとんど映画というものを見なくなったが、それでも1年に数本は見る。しかも、自分の仕事で接する青年たちから教えてもらうものを、次の面接・出会いに向けてのいわば「資料」として見るという、なんというか、かなり不純な動機で見ることがほとんどだ。
 ここ数ヶ月の間で見たもので一番印象的だったのが、少し古い作品ではあるが、岩井俊二監督の『リリィシュシュのすべて』だった。評判通り、この映画は重く、暗く、見るものをどっと疲れさせる。14才の少年少女たちの「リアルな」心的世界を描ききったと一部では評判になったそうだが、ここではそうした映画評はやめよう。僕がこの映画を見て最も感心したのは、実はストーリーでもシナリオでもキャストでもなく、岩井監督が描き出す独特の「教室」の雰囲気だ。
 といっても僕は、同じ監督のものでは他に『ラブレター』しか知らない。だから岩井作品を語る資格はないのだけど、僕が見た2本ともに、学校や教室のシーンが印象的に描かれている。その2本はまったくテーマが異なる。一方ではいじめや思春期の孤立感が、もう一方では恋愛が主としたテーマだ。しかしそこで背景として、あるいは画面いっぱいに捉えられる光景として取り上げられる「教室」には、似たような雰囲気が漂っている。狭く、空気が流れているのが感じられ、ぎゅうぎゅうに人が押し込まれている。そこには同じ服を着た少年少女が配置されており、妙に不安定な感情や言葉が流通し合っている。それら不安定な感情表出を持つ人間たち、安定とはほど遠い奇妙な人たちは、互いに交流しながらも、強烈に「自己」を意識している。未発達な言語をもとに交流し、時には身体的接触も交えながらコミュニケーションを図っているにもかかわらず、そこには激烈な自己意識と、その不安定な自己意識をベースにした他者への接触がある。
 正確にいうと、岩井作品はそうしたことを具体的には描かない。その映画は、僕のもつ、そうした「教室」体験にまつわる諸印象を一瞬にして思い起こさせる装置として働く。画面に映し出されるその独特な映像が、20年以上前に体験した僕自身の思春期の感覚を蘇えさせる鍵として、あるいは、僕自身の体験と映画の中の教室とを並列に置く何ものかとしてその映画は機能する。
 その頃(17才前後)僕は、いまだに何とも表現しにくい感覚や考え方とともに毎日を過ごしていた。今もつ言葉で表現すると、それを、たとえば「大人社会への違和感」とか「規範との摩擦」とか「同一性の揺らぎ」とかいろいろ説明できるのだろう。他にも説明する言葉はあるのだろうが、こうして書いていてもそれらを鼻で笑ってしまう。そんな、思春期を形容する言葉など、通俗的な表象だ。これがどれほど専門的になろうとも、いまひとつ僕は信じる気にはなれない。
 ただ、ひとつだけあの頃の教室での感じを表現する言葉があるとすれば、それは「自分」という言葉かもしれないな、とは思う。人によって思春期の過ごし方は違うだろうが、僕にとってあの頃は、「自分」がすべてだったように思われる。教室の中、小さな机に向かいながら、対角線上でこちらのほうを見ながら会話する女生徒を強く意識したり、授業中、教師に当てられた瞬間顔面が熱くなるのを感じたり、国鉄の列車の中で斜め向かいに座った大人と膝が接触しないよう姿勢を硬直させたりと、どういう状況においても緊張は持続していた。その緊張の意味が当時はほとんどわからず、日々、内面の不安定さに流されるままだったのだが、今から思うとあれらの緊張の根っこにはすべて「自分」があった。自分対女生徒、自分対クラスメート全員、自分対教師、自分対列車内の客、自分対家族……、なぜだかわからないが、一方には「自分」があり、その「自分」が他のものたちと対立している。いつから成立したのか、またそれを成立しているといえるのかどうかもわからず、とにかくこちら側には「自分」があり、高く長大な壁(もしくは絶望的に深い溝──いずれもありきたりの比喩だが)を挟んで、向こう側には「やつら」がいる。「やつら」は、生徒・親・教師、立場に関わらず「自分」と対立する。
 この「自分」を、自己とか自我と言い換え、「やつら」を他者と言い換えてもいい。僕の思春期時代は、このような「自己vs他者」という構図を深いところで常に抱いていた。現在の僕は、この構図がいかに人を窮屈にさせるかということを考えている。たとえば、この「自己vs他者」の「vs」を外して、「自己/他者」というふうにただ並べるだけだったり、「他者の視点から自己を考える」と言い直しても、問題は変わらない。一方に自己があり、もう一方に他者がある限り、それらが対立しようが並立しようが一方によって支えられようが、自己と他者という世界の捉え方からは逃げることができない。
 岩井俊二の描く「教室」は、僕にとって、これまでの体験の中で最もストレートに自己と他者の関係が表面化していた頃の感覚を導いてくれる、プルーストのマドレーヌのようなものなのかもしれない。だがそれよりも、画面上に展開される教室、あの教室そのものが、「自己と他者」という概念で満たされた世界に思えてしまうのかもしれない。その世界の中では、思春期の僕のようにすべての他者を敵に回しているものもいれば、他者からの承認を肯定的に受け止めているもの、あるいは他者がいるからこそ自分が存在できると考えているものなど、さまざまな人がいるだろう。しかしいずれにしろ、基盤には、そこに自己と他者がいるという構図がある。あの教室、あの映画を見ることで、その構図を僕は意識してしまうのかもしれない。現在の僕にとってその構図は非常に窮屈なものとなっており、そうした考え方を過去に抱いていたことをありありと思い出させてくれる岩井の「教室」は、それだからこそ今年見た数本の映画の中でも印象に残ったシーンとなったのだとも思った。

2 「自己決定」に苦しむ

 「自己」あるいはその裏返しとしての「他者」へのこだわりは、その後時を経て現在のような仕事をするようになってからも、形を変えてしぶとく僕の中に残っていた。
 不登校の子への訪問活動を始めた頃(90年代前半)、いろいろ勉強する中でこれだけは守ろうと思ったことが3つある。それは、「自己決定の尊重」「子どもの利益の最優先」「守秘義務」の3つであり、特に最初の自己決定を何よりも僕は重視した。今から思うと、なぜあれほど自己決定にこだわったのかは自分でもわからない。たぶん当時、社会に俄にまきおこった「自己決定ブーム」のようなものに僕も影響されていたのだろう。とにかく何のためらいもなく自己決定を受け入れ、その実践に邁進したのだから、僕の中にあった「自己」への尊重は相当なものだ。そしてこの「自己」とは、何も僕に限った自己を指すのではなく、仕事で出会うある一人の「自己」つ まり目の前にいる不登校の子の「自己」も指している。僕から見れば他者である、目の前に座っているところの子どもの「自己」。その「他者の自己」が示す決定を厳密に尊重するということは、当時の僕の価値観にとっては当たり前のこと、それは言い換えると僕が生きていく上での前提条件みたいなものであった。
 だから当時は、子ども(中学生がほとんど)の家に訪問し、子どもと接する際、徹底的にこの自己決定にこだわった。たとえば、訪問して子どもがまだ寝ているとする。この時、前日から僕が来るというのはたぶん覚えているはずなのだからそれでも寝ているということは僕の訪問がいやだということなのだろう。だからその「いや」という決定を尊重しなければいけないから、寝ていると親から聞かされた瞬間に帰ったことも時々あった。ないし、親が仕事に出かけており、子どもは寝ていたのだが僕のチャイム音でいやいやドアだけ開けてくれ、再び眠りに戻るという場面も度々あった。もちろんこの時も、子どもは寝るというほうを選択/決定したのだからそれを尊重しなければいけないと思い、帰ろうとした。しかし、ここで、寝ているはずの子どもになぜか声をかけられ、もう少しいろと言われたりする。僕は、もう少しいろという自己決定が下されたのだからもう少しいようと考え、ベッドの横で本を読み始める。
 やがて子どもは本格的に目覚める。が、ベッドの上に座ったまま彼はぼんやりしている。僕は、「顔でも洗ってきたら」という言葉を言おうとするが、なかなかそれを発する勇気が出てこない。洗顔をすすめるということは、彼が自分の決定に基づいてこれから行なうであろうさまざまな朝の行動のリズムを邪魔することになるのではないか、それを恐れたからだ。結局、態度としては僕は、本を読み続けているだけになる。こちらが何を言わなくても、子どもは顔を洗い、パンをかじる。そして、僕のほうに向かい、「今日は何をする?」と聞いてくる。ここで僕はまた、「子どもとのかかわりにおいて何をするかは子どもに決めてもらう」という原則にかえり、「何をするかは君が決めて」と言う。すると子どもは、「することなんてない」と言い、ゆっくりとテレビゲームの準備を始め、たぶん昨夜の続きであろうRPGの続きを始める。ああ彼はゲームの続きをしたかったのかと僕は納得し、それを黙ってみることになる。
 ざっくばらんな子であれば、僕が「何をするかは君が決めて」と言ったあと、「田中さんが来ても全然おもしろくない」と言ったりする。このとき、内心では僕は少し悔しい。僕はその頃いろいろ他にも仕事をしていたから、その1週間のあいだ、たくさん話すネタはあるのだ。また、そのあいだに、先週彼との会話の中で出たアニメも見ていて、そのことについて彼と話したいという気持ちもある。また、何となくこの頃彼はしんどそうな雰囲気を醸し出しているから、何か相談事でもあるのではないかと感じていもいる。しかし、訪問で出会ったほとんどの青年は、自分から「話がしたい」「悩みごとがある」などと持ちかけはしない。「何をするかは君が決めて」とこちらが言ったとき、「実は悩みがある」「今日はおしゃべりしようか」などと言われたことは、訪問という状況設定があいまいな場においてはほとんどない。
 またたとえば、「ゲームをしたい」と積極的に言われたこともあまりない。他に、「勉強したい」「ビデオを見たい」「外出したい」等々、「決めて」とこちらが投げ出したときに、子どものほうから言葉として「○○がしたい」と表明されるほうが珍しい。現実は、やることがないのであればこれしかないからという調子でゲームをしたり、いつのまにか会話していたり(その中でいつのまにか悩みごとが出たり)といった具合で進んでいく。その会話の中で、僕もいつの間にか調子に乗ってしまい、その週の自分の体験談をしたりアニメの感想を言ったりしている。
 そのような家庭訪問を繰り返しているうち、厳密な自己決定を徐々に僕は守らなくなっていった。というか、自己決定というものがだんだんわからなくなってきていた。自己決定を守れば守るほど、「RPGをひたすら続ける子ども、それを黙って見守る僕、ただ時間だけが過ぎ去り、帰る」といったように、子どもと僕との関係はぎすぎすし始める。自己決定から自由になり、もう少し自然体で子どもとかかわると、2人の雰囲気は明らかに和らいでくる。その際、子どもの表情も明るい感じになっている。明るく和やかな雰囲気に押されるかたちで、僕の子どもと接する態度も徐々に変化していく。
 そうした変化の究極が、たとえば進路決定という場面だろう。青少年支援の仕事を始めて数年も経つと、中学卒業/高校中退後ひきこもり→進路決定という場面に立ち会うようになってきた。具体的な進行は各子どもによって異なるが、いずれにおいても、本人と親御さんとの語らいの中に僕も何らかのかたちで参加した。親と本人、本人と僕、親と僕、といった組み合わせで繰り返し話し合う。また、志望校のひとつを本人と見学に行ったこともあるし、中学の担任と話しに学校まで出かけていったこともある。そうした中で、進路は徐々に決まっていった。いずれも決定は時間をかけてなされていったように思える。そしてこうした決定を、本人を含めた人々は「(本人の)自己決定」として納得しているようだった。実際は、何人もの「他者」との関係の中で「自己」はある決定をなしているように見えるのに。言い換えると、決定そのものはたとえば「○○高校へ行く」というかたちで明確化されるが、その決定の瞬間はなかなか見えず、事後的に「あれは自己決定だった」と皆が納得しているようにしか見えないのに。いったいそのプロセスの中の「自己」とは何なのか、そしてそれをとりまく「他者」とは何か。
 僕はこの頃、自分の実践的変化に対処するためにいくつか本(主として臨床心理学)を読んだが、そのいずれもが物足りなかった。「共感」「受容」「アイデンティティ」等、それらの本には大切だと思われる言葉がいくつも散りばめられている。しかし、肝心の「決定」について、それにともなう自己と他者の関係について、そしてその両者間に破壊不可能なかたちでつきまとう「責任」の問題について、あまり満足できなかった。その頃の僕はかなり立ち往生していたはずだ。

3 コミュニケーションが先にある―― デリダの「ウィ、ウィ」

 デリダの本は難解で知られる。邦訳されたものも大量にあり、その半分くらい僕は持っていて、実際通読できたのはさらにその3分の2くらいだ。だから僕は不真面目なデリダファンにしかすぎないのだが、彼のその膨大な本の中で、何冊かが上の問題(自己と他者の問題)を考える時に重要な指針となった。ここでは主として「ユリシーズ・グラモフォン」をとりあげてみる。同書は、デリダの他者論のひとつである「ウィ、ウィ」というテーマについて簡潔に述べられているからだ。そして、 膨大なデリダ思想の中から、 僕の仕事と密接につにがる議論もシンプルに語られている。
 それは、「他者性との混交が先行する」ということだ。言い換えると、「他者とのコミュニケーションのほうが、『自己』の稼働よりも先にある」というふうにも表現できる。以下、少しややこしいかもしれないが、デリダを読み解いてみよう。
 「ユリシーズ・グラモフォン」、タイトルからもわかるとおりこれはジョイスの『ユリシーズ』をテクストにしたものだが、同論文の真骨頂は後半の20ページ(章で言えば、6章と7章)にある。
 そこでデリダは、我々が日常何気なく使用する「はい(ここではウィで統一する)」という返事の言葉を、2つのレベルに区別する。それは、デリダの表現を用いるなら、@「応答の先行性」としてのウィと、A「約束と記憶」としてのウィの2つだ。ウィには、常にこの2つのレベルがお互いを求めるようにして合わせられている。この2つを併せ持ったウィは、すべての言葉よりは「先に」ある。つまり、ウィがここで実際に音声として「ウィ」と発せられるかどうかは問題ではなく、会話の「条件」としてまずこのウィがあるということだ。(注1)
 デリダは「ウィ」には2つのレベル──「応答の先行性」と「約束と記憶」があるとした。ここでは「ウィウィ」のうちの最初の「ウィ」、つまり応答の先行性としてのウィに絞り込んでみてみよう。
 通常我々は「ウィ」「はい」「イエス」「オーケー」などと言うとき、そこでのウィは、相手に対する同意に含まれるそれほど意味のない一部として曖昧に大ざっぱに捉えている。だがデリダは、同意とか承認、あるいは承諾といった言葉では、このウィは説明できないとする。通常我々はオーケーとウィを混同したもの、同じものとして用いているが、デリダは、ウィがまず先にありそれがオーケーと言うことを保証する、とする。言い換えると、ウィはオーケー(同意・承認・承諾)を支えるレベルに存在するということだ(注2)。
 また、宣誓や指令や誓いなどにおいても、常にこのウィはそれらを支える条件となっている。「私は宣誓します」「私は誓います」等、宣言や誓いを行なうという行為そのものによってその事態が成り立つ、というこの種の発言を行為遂行的(パフォーマティブな)発話というのだが、この種のパフォーマティブな発話にもウィは含まれている。「私は宣誓します」に先行する場所には、現実に発話されても(「ウィ、私は宣誓します」)、発話されなくてもそこには必ずウィのレベルが埋め込まれている。
 このウィがいる場所は、自我とか自己とかいうものがうち立てられることに先立っていて、それら自我同士が交わす議論などが成り立つ前提となっている。デリダの文章をそのまま引用すると逆に混乱する場合が多いのだが、重要な箇所なので以下に引いてみよう。
「(自我に先だって──田中による略)、ウィは措定され、あらかじめ措定されている。エゴとしてではない、たとえこのエゴが意識的エゴであれ、無意識的エゴであれ、男性主体であれ、女性主体であれ、精神であれ肉体であれ、そうではなく、ウィは行為遂行的発言に先立つ力のごときのものであって、この力 forceは、たとえば『私』という形式 la forme du <je>をまとって、『私』が他者に差し向けられていること je s'adresse ? de l'autre、それも、男であれ女であれ、かくも未規定な他者に差し向けられていることを徴づけている marque」(Ug153頁、p126)(注3、注4)
 ウィは、エゴ(自我)でもなく「精神/肉体」といった近代的2項対立で語ってしまえるものとしてあるのでもなく、「力」のようなものである、と明確にここでは述べられている。そしてこのウィという力は、一見「私という形式」をまといながらも、他者に対して差し向けられている ことを徴づける。
 デリダは、このウィに関して、「『私という形式』をまとって」として用心深く表現しながらも、どうしてもそこに「私」という語を使ってしまわざるをえないことの難しさについて率直に述べている。この点がデリダの特徴だと僕は思っていて、通常言うところの自我に先行するものとして「未規定で最小の差し向け」としてのウィがあるとして、それを差し向け adresseとして表現しながらも、それはたとえば「私という形式」で語らざるをえないという。デリダは、「ウィという主題に関してはメタ言語は常に不可能であろう」(Ug153頁、p127)とも言い切る。言語(つまりは自我のレベル)そのものがこのウィを前提としているため、言語ではウィは表現できない。だからそれは仕方なく、「私」として表現される。そして、ウィそのものは「痕跡」となる。
 その痕跡のレベル、つまり「ウィという力による差し向け」のレベルこそが、先に書いた「他者性の混交の先行」だと僕は考えており、この一連の事態(他者性との混交の場として先行するウィではあるが、それは痕跡としてしか捉えられない)が、いわゆるデリダの「差延 diff?rance」だと思っている(注5)。
 ところで、最初のウィ、応答の先行性としてのウィは、正確には「すでにして要求であるような応答の先行性」と呼ばれる。この、「要求である応答」が先行するとはどういうことか。
 ウィにとらわれた「私」があるとして、ただしこの「私」のレベルは、先ほどの「私という形式」をまとわざるをえない力、つまり自我の措定以前のレベルでの「差し向け」を仕方なく「私」と表現したものだ、と考えたほうが議論の前後に整合性がつく。それを含意したところの「私」がウィと「言う」とする。もちろん、この「言う」も通常の発話ではなく、発話や対話の先行条件としての、前提としての「言う」になる(なぜならウィは言語以前のレベルにあるため、これもまた「私」と同じように仕方なく「言う」として表現されている)。このように、言語以前のレベルにおいて、「私」がウィと「言う」として、このウィは他者へと向けられている。ただし、この「他者」も、現実の具体的対象としての他者ではなく、「私」と同じようなウィの次元の他者だ。日本語的には「私」よりは「他者 autre」のほうが少し抽象性が高くなるように思えるので、比較的こちらはウィのレベルの議論に馴染みやすいかしれない。
 ウィは他者へと向けられているが、ウィと「言う私」がまず先行してそのあとに他者があるのではなく、まず他者が「私」に先行して「私」にウィを「言う」よう要求する。ウィに先行するものとして他者の要求がある。「私」のウィという応答は、他者の要求に対するさらなる要求としてあるということだ( 注6)。
 つまりデリダは、先行性としてのウィのレベルでは「私」と他者がウィという応答を要求しあっていると言っている。(「私」と他者との)要求の順序は逆になっても支障はないとデリダはし、この他者性との絡み合いこそが自我や実際の対話に先行するという点が、「ウィ、ウィ」の議論の最大のポイントだ。そして、この先行する場所は我々の記憶にとどまることなく「痕跡」としてのみ残り、このあとから自我であり括弧のない通常の私、また、通常の言語が「遅れて」出現する、というのがデリダの描く理論だ。この「遅れ性」、精神分析的に言ってしまうと「事後性」こそが、さきほどの「差延」のうちの「延」の意味だと僕は思っている(もう半分の意味は「差異」。遅延と差異を組み合わせた差延はデリダの造語)。

4 楽になった(略)

5 「決定」の意味づけ、「責任」の難しさ

 このようにデリダの議論は僕を楽にさせた。日々の青少年との出会いの場面に加えて、「他者性の混交の先行」の議論は、「決定」についても驚くほど僕を楽にさせてくれた。
 というのも、普通言われるところの「決定」の場面とはあくまで会話を通した局面、意識的局面、言語的局面で行われる。上に書いた通り、その言語的場面で行われる「決定」よりも実は先に、他者性との混交がある。2で記した「決定の瞬間は見えないが、いつのまにか進路は決定されていく」というのは、こうした先行性としての他者との交わりが土台となっているのではないか、と思えるようになった。そうした土台があり、そこで何らかの交わりがあり(つまりウィの交換があり)、その結果として言語レベルで他者たちとのやりとりがある。そのあとに何らかの「決定」がなされるのだが、そこでなされる決定とはあくまでも事後的なものだ。
 言い換えると、そこでなされた決定は、本人が「この決定は自分が行った」と思う程度のものであればよい。実際は、まずは言語以前の他者性との混交があり、次に他者との言語的やりとりがあり、それと並行するようにして自己あるいは自我あるいは主体の中での言語的思考・煩悶があり、それらの中から「何かをしよう」ということが浮かび上がってくる。自己の煩悶の前にすでに我々は、何らかの「決定」を(あるいは「応答」を)他者たちとくだそうと動き出している。そして、言語以前の段階でそれはすでに準備されており、言語出現後も、「自己決定」のレベルと同時に、他者たちとのやりとりをとおした決定も進行している。だから、やがて何らかの「決定」はなされるものの、その瞬間が見えない。たとえばある朝起きたとたん、「今日はこれをしよう」と自我が決定したとしても、そのまえにすでに、その「これ」に関して、他者たち(身の回りの人間以外のメディアやネット上の他者も含む)と実際に言語的記号的やりとりがある。そのやりとりを支えるために、その下に「ウィ」のレベルがある。
 つまり、「自己決定」は、コミュニケーションのあとに訪れる。そして支援の現場で重要なことは、その「決定」は、完全に自己自身が管理し下したものではないにしろ(換言すると、他者性がはじめから織り込まれているので「自己決定」という言葉そのものが矛盾するにしろ)、本人が「この決定は自分が下した」と自分で思えることなのだ。デリダ哲学としては自己決定という考え方は誤っているのかもしれない。たとえばデリダは別の本で、「主体は決して何も決断しえない」とまで言い切っている(注7)。しかし、支援者としての僕は、事後性としての「自己決定」を認め、その決定は青少年自身が完全に青少年自身の自我によってなされたと伝え、青少年がそれを自分の意識内で納得するほうが、青少年自身の変化がより促されると考える。自己決定の論理は、少なくとも青少年支援の現場では使い勝手のよいツールなのだ。
 このように、「ツールとしての自己決定」にまで僕はたどり着き、自分の仕事の根本方針が落ち着いた。本論の表現で喩えると、自分の仕事のベースステーションを設置することに成功した。
 しかし、青少年たちはそうではなかった。相変わらず、社会問題としての不登校・ひきこもりは存在し、04年頃からはニートという言葉も登場した(注8)。だが僕としては、今まで書いてきた「自己と他者」「決定」などの根源的問題はほどいてきたつもりだった。けれども、ニートという言葉が現れ、青年支援の中に「就労」というテーマが明確に現れ始めて以来、今までそれほど考えてこなかった「責任」という概念が浮上してきた。責任をどう考え、どう青年たちに伝えるか、これが最近の僕の課題のひとつなのだ。
 ニートやひきこもりと名付けられる若者たちは、なぜ就労できないのか。またはなぜ就労が維持できないのか。就労にもいろいろな意味があるので、ここでは長期アルバイト・パートといった非正規雇用、正社員という正規雇用を「就労」ととりあえず定義付けしておこう。1日の単発バイトももちろん就労ではあるが、青年たちが抱える悩みからは若干解放されている部分もあるので、単発バイトは外すことにする。
 就労できない理由はたくさんある。とてもここでは書ききれない。だから、ここでは本論の性格もあわせて「責任」のみをとりあげる。
 僕の見るかぎり、青年たちは、仕事あるいは就労に向かう上で、「責任」を過剰に意識してしまうようなのだ。具体的にその責任の中身をみていくと、たとえば、仕事をするということには、当然「決められた時間にいく」という責任がある。これは、遅刻しない、突然休まないという最低限の責任だ。しかし、ひきこもりやニートと呼ばれている青年たちは多くの場合、昼夜逆転に近い生活か、睡眠リズムがバラバラな生活を送っている。そんな習慣が身に付いたなかで「決められた時間にいく」ということは、仕事慣れしている人たちからは想像できないほどプレッシャーを抱くようだ。それで彼らはどうするかというと、中には徹夜して遅刻しないようにしようとする人がいる。また、早く寝ようと思うのだが睡眠リズムが一定ではないためなかなか寝付けず、結局朝方まで起きてしまうという事態になる人もいる。いずれの場合も睡眠時間はほとんどないか、ない。徹夜組は、朝方寝てしまって仕事に行けないということもある。徹夜、または短時間睡眠をして仕事にたとえ行けたとしても、身体の疲労のためになかなか仕事が覚えにくいし、集中力の希薄さ(睡眠時間が短いと誰でもこうなる)から命ぜられた仕事をミスしてしまう。そういうことが続くと、たいたいの青年はその仕事を続けることができなくなる。
 また、たとえば「言われた仕事をその通りにする」という責任も、仕事の中には当たり前のものとしてある。これに関して、青年たちの多くは、過剰にやり遂げようとするようだ。表現を変えると、完璧に、あるいは完全主義的に仕事を遂行しようとする。だが、仕事をそれまでまったくしたことがなかったり長いブランクがあったりすると、なかなか覚えられないのが通常だ。当然ミスもあるだろう。そうなると、上司から叱られることになる。青年たちとしては一生懸命やっているのに覚えられない、ミスをする、叱られる、というのは、きつい。そしてその原因は、仕事ができない自分にあるとし、自分を責める。と同時に、過酷とも思える指摘や指導をする上司・同僚に対して、反発も抱く。責任を果たすため、きちんと仕事をしたい。けれどもミスをする。その結果、自分を責めながらも、上司・同僚への反発心を強める。
 ミスや誤解は仕事にはつきもの、といういわば「社会常識」は、長年の社会からのひきこもり生活のため身に付いていない。社会では、ミスを犯したり遅刻をした後、何らかの補完システムが常に働いているはずだ。それは本人の謝罪であったり、上司の言葉掛けであったり、ペナルティーであったりするだろう。また、よくみると、多分その青年のほかにもミスをしている人が職場にいるはずだ。他にも、適度に手を抜きながら時間内に仕事を仕上げてしまう同僚もいるはずだ。だが、青年たちにはそういう人を見る余裕がない。自分に課された仕事への責任感でいっぱいだからだ。
 例を挙げればきりがないほど、青年たちは「責任」感でがんじがらめになっている。その責任感のために、就労に向かうことがだんだん億劫になってくる。そして自らの状態(ひきこもり・ニート)がますます延長されていく。
 こうした青年たちに対して、その過剰な「責任」意識を何とかほぐせないものか、僕はずっと考えてきた。青年支援のベースステーションとして、責任に関して何らかの捉え方はできないものか。それは実をいうと、現在も思考中なのだ。だから、上の「決定」議論のようなかたちで明瞭に示すことは難しい。けれども、ここでもデリダの議論は役に立つのでは、と思っている。ここで、「ウィ、ウィ」における、第2の「ウィ」、つまり「約束と記憶」のウィをみてみようと思う。

6 破壊不可能な責任――責任を越えて(略)

 
■今回挙げたJ・デリダの本(略)

★脚注
(注1)ここで注意してほしいのは、哲学を論じたり読んだりする際、よく「条件」とか「前提」とか「先に」とか「手前に」などの語群が出現する。まだ哲学をあまり知らなかった頃、僕はこれらの言葉を読み飛ばしていた。というか、難解極まる諸哲学書やそれらを解説した本を前にすると、最初の頃はすべての文字が頭に入ってこずにすぐ眠りに落ちたものだが、最近になってようやくわかってきたのは、上記の語群が出てくる箇所は、要チェックだということだ。
 というのも、哲学とは普通「何かに対しての哲学」であって、その「何か」とは、テクストであることが多い。ある哲学は何かのテクストを批判しながら自らの哲学を構築していく(特に、僕が好むデリダやドゥルーズはこの傾向が強い)。その批判作業の中でよく行なわれるのが、対象とするテクストがそもそも立っている場所を問うことだ。対象テクストの「内容」ではなく、その対象テクストが、当たり前とし、前提とし、わざわざ問うまでもなくほったらかしにしている「場所」に目を向ける。そして、その前提となっている場所あるいは土台の保守性を暴き出し、さらには対象テクストの保守性を批判するという構図だ。
 こうした行為は、何も哲学に限ったものではなく、我々は日常的に行なっていると思われる。その人の発言内容ではなく、その人の発言が前提とするその土台そのものが引っかかってしまうということを。ひとつ例を挙げると、スポーツにともなうナショナリズムの問題がある。現在、たとえばサッカーを語る際、どうしても国の代表同士の試合を無視できない。それは単純にゲームのレベルが高いからだが、同時にそこにはナショナリズムが強力にすみついている。ナショナリズムを前提としたサッカーファンは、当然その国の代表チームを応援するだろうが、ナショナリズムを前提としないサッカーファンからするとこの行為が不思議に思え、居心地の悪さを覚える。だからナショナリズムを前提としないサッカーファンは、それを前提とするサッカーファンに対して、「サッカーの内容云々を語る前にそのナショナリズムを捨てろ」と迫る。
 ジャンルによっては、「その前提に乗っている限り君のその主張はダメだ」と批判される場合があるだろう。批判される側は、指摘されて初めて自分の「前提」を知る。批判する側は逆に、その前提があるからこそ対象独自のテクストや言葉が生み出されたと考え、対象のそもそもの前提を指摘することが根源的批判になると考える。このような議論は、注意して振り返れば、我々の日常のいたるところで行なわれているはずだ。言い換えると、誰かに対して居心地の悪さを覚え、何か言いたい、けれども何が言いたいのかわからない、といった状況の時、だいたいはその相手が「前提」としているものに引っかかっているのではないか、ということだ。
 前提を問う議論は何も単に対象を批判するためだけに用いられているわけではない。新しいものが生まれる機会にもなりうる。デリダの「ウィ」の議論がその哲学的事例だが、日常生活においても次元は違うものの頻繁に行なわれているように思える。ただ哲学と日常の会話の違いは、哲学の議論はより込み入っているというか細かいというか、つまりは日常当たり前だと共通認識されているいくつかの問題を──たとえば「自己」──根本の根本から問い直すということだ。
 そういうわけで哲学の議論において、「前提」「条件」などの言葉が出てきたときは、その哲学者が対象の「前提」性を批判しつつ、同時に新しいものが提示される重要な箇所である、と僕はこの頃思っている。僕が「先行性」という言葉にこだわるのもそうした理由からだ。

(注2)〜(注4)略

(注5)デリダ理論の説明は普通、有名なエクリチュール/パロールの脱構築から出発して差延に至り、そこから「痕跡」や「散種」や「代補」や「幽霊」や「繰り返し可能性」といったデリダ独自の概念が説明されていく。哲学好きでなければなかなかそれら諸概念と格闘する気にはならないだろうし、またたとえ格闘したとしてもそれら諸概念の極端な抽象性のため、我々の日常からかけ離れたものとして、単なる哲学おたくのための哲学ジャーゴンとして捉えられてしまうことも多いだろう。だが僕にとってデリダ理論は、実践へと向かう際の大きな力となった。デリダは精神分析と大きなつながりがあり、実際ウィの議論などもフロイトの心的システムの理論に影響を受けているように思われる。しかし僕は精神分析には後押しされず、デリダによって救われた。極端な抽象性で覆われたデリダ理論のどこに僕は惹かれ、それをどのようにして実践へと結びつけていったのか、つまり「哲学は現実に向かう際の力になる」ということを明らかにしたいという欲望が僕にはある。だから、通常の「エクリチュール/パロールの脱構築→差延……」という流れではなく、まずウィの議論から始めた。ウィは現実のコミュニケーションをイメージしやすい。また、先行性としてのウィの議論は、「脱構築」や「代補」などのデリダの一連の手続きを経ることなく直接他者性の議論に入っていける。僕が思うには、ウィを考えることはデリダ理論の核心に直接触れることができる。

(注6) 〜(注8)略

(注9)本論ではデリダの重要概念である「繰り返し可能性it?rabilit?」には、文字数の都合上残念ながら言及できなかった。第2のウィはこの繰り返し可能性の議論が元となっている。どんな記号あるいはマークも、繰り返すことが可能であるという前提がなければ存在できない。と同時に、その繰り返し可能性は運命的といっていいほど脆弱なものであって、そのマークが用いられるコンテクストの中で用意に意味が変更される、というこの議論は、さらにデリダ哲学の重要キーである「散種diss?mination」へともつながる。
 我々は、繰り返し可能性のひとつの機能の後押しによって、ある記号やマークを強固な意味を持ったものとして知らず知らずのうちに確信しているが、そのマークはコンテクストや媒体によって容易に意味が変容されていく。そのコンテクスト変更の可能性は無限に広がっているから、あるマークの意味の伝達は常に「失敗」可能性にさらされている。意味とコンテクスト変更の無限変更可能性のことが「散種」であるといってもいいだろう。たとえばデリダは、「署名 出来事 コンテクスト」の中でこんな風に書いている。
「人々はひとつの書かれた連辞を、それの本質的な繰り返し可能性のゆえに、その連辞がそのなかに捕え込まれている、ないしは与えられているところの連鎖系の外へいつでも取り出すことができる。しかもその際、その連辞のまさに「伝達」の可能性のすべてが、とは言わないにしても、それの機能営為の可能性のすべてが失われてしまうわけではない。その連辞を他のさまざまな連鎖のなかに書き込んだり、接ぎ木したりすることによって、場合によってはその連辞に他のさまざまな機能営為の可能性を認知することも可能である。いかなるコンテクストもその連辞に対しておのれを閉ざすことはできない。また、いかなるコードもそれはできない」(23頁)

(注10)略

(注11)「署名 出来事 コンテクスト」の他のところでデリダは、マークの権威は「破裂」する(21頁)、「漂流状態」(21頁)などとも表現している。僕は、そもそも「伝達=コミュニケーション」とはこうした破裂・漂流・失敗可能性をはじめから内包しているものだと理解することが、コミュニケーションで悩む(デリダのコミュニケーションはもっと根源的な意味合いで用いているにしろ)青少年を逆に励ますのでは、と期待している。


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