不登校と「決定」――自己決定と規範を考える
(「臨床哲学」3号より。3章までが自己決定の考察、4・5章が規範の考察です)
私は、10年近く不登校の子どもを訪問支援する仕事をしてきた。その中で感じてき
たことは、不登校にはいつも「決定」がつきまとっているということだ。それはまず
「自己決定」という問題から始まる。本稿ではまず、不登校の問題の中で「自己決定」
がいかに導入されたかを検討する。次に、不登校の動機を「自己決定」で説明できる
のかを考えたあと、現場で起こっている「決定」のかたちを私の経験の中から詳しく
見る。
また、不登校の問題の背景には、「学校に行かなければいけない」という規範が我々
に重くのしかかっていると私は考えている。そして「決定」もまた、この規範に影響
を与えられている。そこで決定と規範の関係を考察する。
最後に本稿での「語り方」について触れる。
1 転倒した自己決定
不登校問題については、教育制度の批判、「子どもの権利」の議論、親子関係の見
直しなどの心理学的説明などを中心にたくさんの問いかけや答えが提出されている。
けれども、これらだけでは押さえきれない「余り」のようなものが不登校にはつきま
とっている感じが私にはする。その「余り」のようなものたちがとにかくは「決定」
にまつわる問題系だと考える。
では「決定」について具体的に考えよう。不登校問題における決定とはまずは第一
に、自己決定のことでもある。私は10年近く不登校の子どもへの訪問支援という仕事
をしている。こういう援助的な仕事をしているものが不登校の問題を語るときについ
てまわる「代弁」の問題(言い換えると「当事者」の問題)はあとで書くとして、不登
校の子への援助と自己決定はどうしても離れようがない。不登校援助のためには自己
決定という概念が必要だったのだ。
不登校というのは10年くらい前まではだいたい「登校拒否」と呼ばれていて、不登
校という言葉のニュアンスから意味されるものよりもずっとアブノーマルで異常な事
態だった。「不登校」にはそれほどマイノリティー的意味合いはないが、「登校拒否」
にはノーマルから逸脱したものというレッテルが張られていた。登校拒否は、即ダメ
なものだった。この事態を修正するには学校に再び通うしか答えはなく、学校に行っ
ていないという行い自体を認めるなど言語同断だった。だから教師はひたすら登校拒
否の子どもを訪問しては登校を促そうとした。けれども多くの場合、教師は子どもか
ら会うことを拒否された。当時のカウンセラーや精神科医たちの多くも、問題を個人
や家族の資質に還元しがちな彼らの問題意識に基づいて、子どもが学校に再び通うこ
とこそが子どもの問題解決であると思っていた。
しかし強制的に登校させると、子どもは心身症などの悪化で答えた。強制登校は子
どもたちを余計追い込み、その結果閉じこもり現象を生んだ。不登校の初期の状態、
子どもがリミットまで我慢してそれが切れるように休んでしまったとき、休息の必要
性は今では普通のアプローチになっている。けれども当時、「閉じこもりによる休息」
はわけのわからない現象だった。強迫神経症的な症状とも合わせて、そうした不登校
の閉じこもり現象をどう考えるのかが大きなテーマだったように私は記憶する。
閉じこもりという言葉は今では「ひきこもり」という言葉に移り変わっている。し
かしここではこのふたつを区別しよう。閉じこもりはただ部屋に閉じこもっていると
いうその状態を示す言葉であるのに対し、ひきこもりはある一群の若者を指す言葉、
というふうに。ひきこもりは、たとえば、「ある一定期間(3ヵ月〜1年)以上ひきこも
り状態が続いており、何らかの精神障害の症状が2次的に出現し、社会への参加・自立
が困難な状態」などと定義できる。しかし閉じこもりはある特定の人たちを指すので
はなく、状態を指す。ここではひきこもりの問題について考える余裕はない。テーマ
を不登校に絞り、不登校の子どもたちが自分の部屋や家の中で生活のほとんどを送っ
ている状態、これを閉じこもりというふうに表現する。
さて、閉じこもり状態も、初期の緊急的閉じこもり(たとえば丸1日ベッドで寝てい
る)から、しばらく月日がたつともう少し緩やかなもの(外出できないが家の中では以
前と同じ状態、土日や深夜だけ外出できるなど)に変わってくる。子どもは不登校初
期より明らかに元気になる。この時期あたりから、この閉じこもり状態、つまり不登
校の状態をどう解釈すればいいのか、まわりの大人たち、そして本人も本格的に考え
るようになる。
強制的に学校に行かせようとしても子どもの状態はそれどころではない。起きてど
こかに行く状態ではないのだ。そうした不登校初期においては、当面は子どもの健康
回復が中心になる。しかしその状態がすぎて子どもの状態も比較的落ち着いてきたと
き、その状態「学校に行っていない」ということを親やまわりの大人、そして本人も
考え始める。学校にはとにかく行けない。行けない理由ははっきりしている場合(た
とえばひどいいじめを受けた等)もあるしはっきりしていない場合もある。しかし心
理学的原因はさておき、行動として「学校に行かない」ことだけは確かなようだ。現
在唯一はっきりしていることは、「学校に行くことがない」という事実だけ。
あとで述べるが、このとき、行けない原因を心理学的に理解するのとは別の部分で、
学校に行くことを内面/社会から要請してくる大きなものが存在する。それは「学校
に行かなければならない」という規範だ。「学校に行く」という行為は、学習や資格
取得や対人関係のトレーニングといった従来の学校の機能の意味合いを越えて、今や
大きな規範として我々にのしかかっていると私は考えている。
不登校の心理学的原因を考えることとは別に、「学校に行かなければならない」と
いう規範を内面に抱えている。そして現実は子どもは学校に行くことがない。規範通
りに子どもを学校に再び通わせようとしても無理だし、PTSDなど心理的疾患であれば
なおさら無理だ。ここで、その「学校に行くことがない」という行動を肯定・正当化
する論理が必要になってくる。
そこで導入されたのが「自己決定」の論理だったと私は考える。
今でこそ、子どもが不登校になったときは、「それは子ども自身の自己決定だ」と
いうふうに語られる。あたかも自己決定によって、子ども自身の選択として「学校に
行かないこと」という行動をとったという具合に。しかしそもそも自己決定は、不登
校・閉じこもり状態を肯定できるものとして何とか解釈しようという要請から生まれ
てきた。心理的要因の解明は曖昧模糊としており、「学校に行かなければいけない」
という規範的要請は強力だ。それらに打ち勝つものとして自己決定の論理は導入され
た。少なくとも不登校の場合、自己決定がまずあって不登校が現れたのではない。不
登校状態を解釈し直すために自己決定の概念が運び込まれたのだ。それが10年ほどの
間で、あたかも自己決定が先にあるかのように転倒してしまった。
見方によっては、「正当化」というよりも、体制=学校ばかりが決定してしまう現
状の教育制度に対するために自己決定が「武器」として使われ始めたと言うこともで
きるだろう。このように自己決定は、アンチ体制の意味で一時的に使われる場合があ
る。それを私はあえて「正当化」と表現した。だからここでは、非難めいたニュアン
スは少ない。体制はもちろん政治的だが、自己決定も十分政治的だという意味だ。そ
ういうところに子どもたちはいる。
そもそも不登校における自己決定は、こういった事態の中から生まれてきたのでは、
と私は考える。
2 不登校の始まりに自己決定はない
では不登校や閉じこもり状態の問題において、自己決定を考えることは無意味なの
かと間われれば、決してそうではない。正当化/体制批判の道具として選ばれた自己
決定ではあるが、自己決定の切り口から不登校現象を改めて検証していったとき、他
の切り口からでは難しいいくつかの問題が浮かび上がる。また不登校の中の自己決定
を考えることは、自己決定もしくは大きく「決定」そのものを考えさせてくれる。
さて、改めて不登校における自己決定というものを時期によって考えてみよう。こ
こまでの記述に従って、それらの時期を、不登校初期(緊急期)、中期(安定期)、そし
て不登校状態が終わっていく課程の後期と、3段階に分ける。一応、この区分の暴力
性は意識している。それなのに強引に3段階に区別するのは、不登校の自己決定とい
うものを考えるときに有効だと思うからだ。
1で私は、不登校における自己決定は、閉じこもり状態を肯定・正当化するための解
釈として導入されたとした。そうすると、不登校初期における自己決定、言い換える
と「自己決定したから学校に行かなくなったのか」という間いは無意味になる。正当
化による転倒の結果、あたかも不登校は自己決定によって選択されたように思ってし
まうのだが、そうではない。ちなみに、先に不登校の原因を「はっきりしている場合
もあるがはっきりしていない場合もある」というふうに書いたが、実際に子どもたち
と関わっていて感じることは、その原因は決して1つではないし、子どもたち自身も
原因をつかみきれていないということだ。
これは当事者性の問題にもなるのだが、「現在進行形の自分の問題ないしそこに含
まれる問題の原因」を当事者は決して語れないと私は考える。語ることができる場合、
その人は当事者ではなくなっている。たとえば自分の不登校について、「いじめがい
やで自己決定の結果不登校を選択した」と語れる人は、先の「転倒」の論理、肯定・
正当化の論理の上で語っているのではないだろうか(このことが悪いといっているの
ではない)。またはある程度問題を乗り越えた人が(または問題をさらに乗り越える、
解決するために)、不登校の原因を「物語化」しているとも言える。物語はいずれ壊
されていき、断片的なものにとりかわり、また再び物語化され、それはまた壊される。
そうしたスクラップ・アンド・ビルドを繰り返し、人は苦しかった体験を徐々に過去の
ものへと置き去っていくようなのだが、そこのところもここでは触れる余裕はない。
いずれにしろ不登校の原因は当事者は語れない。語れたとしても断片的であったり、
より過去の学校体験からエピソードを選び出して語るようだ。沈黙してしまうことも
多いし、彼らを沈黙させるだろうからこちらも原因めいたことを聞きにくくなる。こ
のように不登校の初期(から中期にかけて)、不登校の子ども自身は、自らの状態の原
因を語ることが困難になっている。つまりは、自己決定によって不登校を選んだので
はないということだ。
ここで考えたいことは、意志しない行動であっても、実際に学校に行かないという
行動をとってしまった、その行動自体を自己決定と呼んでいいかという問題だ。明確
に言葉として「私は行かない」と意志しなくても、その学校に行かないという行動を
とってしまったのだから、それは幅広い意味で自己決定ではないかという間い。しか
し、ここでは自己決定をそうした行動結果的なものにまで含めないことにしよう。何
事かを決めるその時点で、自らの意志に基づいた言葉で表現できる行動、これを自己
決定とする。とりあえず自己決定をそうとらえるが、そのことと決定の中にいかに他
者が混入してくるかは別の問題でもある(後述するとおり、自己決定を、「理念上の
厳しい自己決定」と「コミュニケーションの中の自己決定」のふたつに本稿では分け
る)。要するに、不登校の「始まり」を考えるとき、多くの場合、自己決定は関係な
い。いわば、いつのまにか不登校状態になっているのであり、そこには意志とか選択
は入っていない。
3 コミュニケーションの中の決定
不登校において、自己決定や「決定」の問題が間われてくるのは、中期から後期に
かけてだ。具体的には、「進路」とかr将来」の問題としてそれはやってくる。子ど
ものまわりにいる大人たち(親、援助者)にとっても、この段階において自らの子ども
たちへの関わり方が問われる。
たとえば援助者である私の場合、この段階で子どもたちの自己決定を尊重すること
が援助の仕事をする上での基本姿勢だ。私がこの仕事を始めた際、自己決定はすでに
援助者のひとりである私の中に導入され、刷り込まれていた。具体的には、不登校の
子の援助の仕事を始めるときに基本理念の一っとして「子どもの自己決定権の尊重」
というものを学んでいた。1990年前後、「子どもの権利条約」の思想が普及する中で
自己決定は急速に子どもを取り巻く世界に入ってきており、不登校問題の拡大化と同
時進行するように、不登校の子どもへの援助姿勢の一つとして普及していったように
感じている。自己決定の議論というと、脳死・臓器移植問題や性に関する問題(性労
働・出産など)がすぐに思い出されるかもしれないが、私にとってそれは常に不登校/
閉じこもりの問題と直結していた。
その、当時普及していった自己決定が、先に書いたように体制批判であり肯定・正
当化の道具であったと認識できたのは最近になってだ。当時の私は、現実の子どもた
ちへの援助の中で、いかに彼らの自己決定を尊重していくかに最大の努力を払ってい
た。 「進路」の問題を子どもと話し合うとき、はじめは、用意した資料を子どもに
提示するだけにしていた。余計な解説をせずに、パンフレットとか進学ガイドのよう
なものを机の上に置いて帰るだけだった。
しかしそのやり方では子どもたちは誰も資料を見なかった。やがてその資料を説明
するようになる。ただ説明するとき、できるだけ私の意見を挟まないようにした。こ
ちらの意見が少しでも入ることは子どもの自己決定に影響を与えることになり、それ
は「純粋な自己決定」ではないと考えたからだ。しかしそれは不可能である。どんな
に資料に対してこちらの意見が入らないよう配慮しても、たとえば、私の声の張り方、
解説時間の長短、資料の選び方などにすでに私の恣意性が混入されている。それらの
バフォーマティブなメッセージはどうあがいても消すことはできない。さまざまな資
料に対しての私の意見は資料を出した時点で伝わっているのであり、つまりは純粋な
自己決定など存在しない。
これは何も「進路」の問題に隈らず、日常の援助の一行為、たとえば閉じこもりの
子どもといっしょに外出する(単純に「外の風」に当たったり、対人不安の増長のく
いとめなどが目的)という行為の中にも現れる(不登校中期の段階)。どこに外出する
のかを子どもに決めてもらうとき、たとえば子どもが「映画に行きたい」と言う。そ
こで情報誌などを見て映画の選定にとりかかるのだが、すでにその時点で上映されて
いるすべての膨大な映画を一つひとつ検討することなど無理なことがわかる。ロード
ショーされているものだけに絞り込んでも、やはりポルノは避けてしまうし、私が一
度見たものは避けたいと思うだろう。そのようにしていっの間にか私も少なからず意
見を述べている。意見を述べ、子どもと映画についていろいろ話し合う。その語り合
いの申でやがて子どもは見たい映画を「決定」するのだが、その決定には私とのやり
とりが不可欠だったのだ。
またそもそも、進路の話などは子どもとの話の中で自然に現れてくることはほとん
どない。閉じこもっている不登校の子どもたちの多くは、進路や将来のことを内面で
は考えながらも、話題にすることを避ける。進路の話をするということは、学校に行っ
ておらず閉じこもっている現在の状態を直視させられてしまうことだからだ。この意
味ではどこに外出するかといった話も同じで、「外出すること」が話のテーマになる
ということは、裏返しとして現在の閉じこもり状態からの脱却をテーマにしているこ
とでもあり、閉じこもりは不登校と直結しているわけだから、これも直視させられて
しまう。
だからこうした話を子どもたちからすることは少なく、そうなるとこちらから話し
かけていくことになる。この、進路や外出をテーマに語りかけること自体、子どもの
自己決定のプロセスの中でどう位置づければいいのか?話のテーマでさえこちらが選
択して提示しているのだから、具体的には、そのテーマをこちらが出すという行為を
しなければ進路を検討したり見たい映画を考えられないのだから、何か物事が決まっ
ていく土台には私の存在があるということになる。土台というよりは必要な条件と言
い換えてもいいかもしれない。もちろん私だけがいても話は提示できるわけでもなく、
子どもの存在が決定に際して最も必要な条件だ。そしてこの二人がコミュニケーショ
ンしているという事態もなければならない。
決定のそもそもの条件として、子ども、私、そして二人で行うコミュニケーション
というものが必要だ。私は子どもに進路のことを考えてもらいたいという目的を持っ
ており、子どもも進路について何らかの思いを抱いている。私は話しかけたり、身振
りでメッセージを伝える。子どもはそれを受け取り、子どもの意識内で何事かを考え
る。二人はコミュニケーション(言葉や動作)を交わす。やがて子どもの口から「決定」
が導き出される。それは、「〜したい」といった断定的なものであったり、こちらの
促しに頷いただけの(または首を振る)ものであるかもしれない。その決定らしきもの
がまたコミュニケーションの中で何度か確認され、徐々に「決定」として決定されて
いく。現実は私と二人だけで決まることはほとんどなく、親とのコミュニケーション
も大きな要素を占める。だがいずれにしろ、いわゆる「自己決定」されていくプロセ
スというのは、このように子ども本人と他者が織りなすコミュニケーションの中で行
われていると、体験的に私は気づいた。
だから純粋な自己決定というのはない。コミュニケーションの中で決定は導かれ、
このとき(もしくは決定が導かれた以降)、子どもの意識内で「自分が決めた」という
思いがあった場合、それを「自己決定」というのではないだろうか。
体験的に、そうしたコミュニケーションを通して自己決定は形成されると考えるよ
うになると、当事者がすべて決めるものだという厳しい認識(それは自己責任と裏表
をなしている)が背後にあるいわゆる自己決定と呼ばれているものは、理念上だけで
しか存在しないのではないかと感じてきた。現実のコミュニケーションを飛ばした、
「理念上の厳しい自己決定」が一人歩きし、逆に子どもを縛っているようにも思える
のだ。
現実問題として、「コミュニケーションを通した決定」さえそれほどしたことがな
く、たとえば「誰かに決めてもらうことが一番いい」と言う子どもたちは少なくない。
そうした彼らが、不登校になり自らの生き方を決めなければいけなくなったとたん、
そうした理念上の厳しい自己決定を迫られてしまう。
そして、何よりもその理念上の自己決定そのものが最大の価値を持つ行いのように
とらえられている。特に、アンチ体制として、肯定・正当化の武器として導入され、
導入後はあたかもはじめからあったかのように転倒して用いられている現在の厳しい
理念上の自己決定において、そう感じる。誤解のないよう書いておくが、私は自己決
定の尊重という考え方には賛成だ。しかし、決定にはさまざまな条件がある。その条
件を検討せず、理念として自己決定のみを最優先することは現実と遊離する。つまり、
現実の役には立たない。では、決定にともなうさまざまな条件とは何だろうか。それ
らの条件は、決定に、もしくは決定できないことに大きく影響を与える。そのひとつ
は 本人がいて他者がいてコミュニケーションがあってというものについては先ほ
ど触れた。ここでは私の考えるもう一つの条件を挙げることにする。
それは、「学校に行かなければならない」という規範だ。
4 不登校と規範
不登校/閉じこもりの状態を説明づけるために、親や援助者はいくつかの理由を考
える。その代表がここでとりあげてきた自己決定なのであり、それは具体的には以下
のような言葉を支える土台として機能する。それらの言葉とは、「硬直した教育制度
のもとでの現在の学校には無理して行く必要はない」「学校に行かなくてもいろいろ
な生き方がある」「その生き方は本人が考えて選べばいい」など、だ。ここには教育
制度の批判や子どもの人権の尊重といった思想が織り込まれている。これらの言葉・
思想は、ここ10年ほどの不登校の子どもを支えるさまざまな動き(フリースクール、
不登校の子を持つ親の会、カウンセリング等々)が寄って立っ場所でもある。
こうした考えをよりどころに、親や子どもは現在の状態を肯定し、次の生き方を模
索しようとする。つまり、「学校に行っていないということ」を積極的に肯定し、そ
こから始めようとする。これは非常によくわかる心理ではある。
しかし、何かが引っかかるようなのだ。不登校状態を受け入れようとしても、どう
してもそれが原因で肯定できないもの。
それが、「学校に行かなければならない」という規範だ、と私は考える。
1で私は、そうした規範を親や子どもは最初から認識しており、それを押さえつけ
るために自己決定という道具が導入されたと書いたが、正確には、「学校に行かなけ
ればならない」という規範は不登校になるまでは意識されないことが多いようだ。そ
して不登校というのは、はっきりといつから不登校になったとは言いにくい。多くの
場合、遅刻や休む日が徐々に増えていき、やがて完全に行けなくなるという道筋を歩
む。行けない状態が固定しても、その状態を不登校だと自認できない場合もある。そ
の流れの中で規範は徐々に意識されて言葉となって現れる。また反対に、不登校状態
になっても、いわば無意識的に規範が作用していて、その、何だかわからないが内面
から強く要請してくるもの(学校に行かない状態は異常だという警告)に押しつぶされ
そうになったりもするかもしれない。意識するにしろしないにしろ、そうした重圧を
乗り越えるために、理念としてわかりやすい自己決定にすがるというのが現実の流れ
だろう。規範の意識化と自己決定の獲得の順序は図式化できないほど流動的で複雑だ
とも思う。 いずれにしろ「学校に行かなければならない」という規範は、不登校の
状態になってはじめて言葉として現れることが多い。それを自己決定の論理で押しの
け、不登校状態を肯定的にとらえようとする。けれども、たとえば、いくつかの不登
校の子を持つ親の会や、私自身が主催した親の会などで聞いた、親たちがふっと漏ら
す言葉「でもやっぱり学校って行くものだと思うんです」には、どうしてもそこから
逃れられないものを感じる。その言葉の重みは、私にとって、規範というよりもっと
深刻なものに響く。たとえば「盗みをしてはいけない」「親の面倒をみるべきだ」と
いった
ものに近いようなものだ。まさに、「道徳」のようなニュアンスで「学校に行かなけ
ればならない」は我々に迫っているように感じる。
「学校に行く」ということは普通、知識の習得、卒業資格の取得、対人関係や生活
習慣の修練などが目的なのだろう。親の言葉の中にも当然、学歴や資格の必要性が含
まれている。学歴や資格・対人関係以外にも、「みんなが通うところだから」といっ
た横並び意識もあるだろう。だが私は、「学校に行く」という行為に含まれたそうし
たさまざまな要素をはみだした、とにかく「学校に行かなければならない」といった
規範的意識があるような気がしてならない。そうでなければ、不登校状態に対する、
本人や親の強烈な受容しがたさは理解しにくい。逆に言うと、規範による縛りがある
からこそ、不登校状態にともなう大きな苦しみ(うしろめたさでもある)があるとも言
え、不登校における規範性を認識することが、援助するうえでも有効だと思える。
「規範としての学校」とは、言い換えると「概念としての学校」であり、「抽象的
な学校」だとも言える。この抽象的学校という概念は、たとえば学歴や横並びといっ
た議論をする際にも微妙に混入されている。たとえば「進学校のA高校に通っている」
といった言葉の中にも抽象的学校は入っていて、現実のA高校の校舎はもちろん、そ
こに通う生徒たち教師といったものから、学歴・資格・対人関係・生活習慣といった具
体的出来事まで、抽象的学校という概念はくっついているように思われる。校舎や人、
また学歴などを「具体的学校」とするなら、その具体的学校は抽象的学校を常にとも
なう。そして抽象的学校は規範性をともなっている。だから具体的学校の部分で考え
ようとしても、それだけでは納得できない。いつも何かが「はみ出て」いるような感
じがし、うしろめたい気がする。
5 規範と決定
この規範性は、当然ながら決定の際に大きく影響するだろう。
不登校状態からの脱却の方法を模索していくとき、「学校に行かなければならない」
という規範性および「抽象的学校」が本人にも親にも援助者にも常に影を落とす。先
ほどから私は進路の例を挙げているが、情報選択の時点で「学校に行かなければなら
ない」という規範が影を落としており、親も子も援助者もそれに沿ったものを選びが
ちだ。たとえば中学3年時の進路選択であれば、通信制高校・定時制高校・大検予備校・
フリースクール・留学など、そのほとんどが「学校」であるといっても過言ではない。
フリーターを選んだとしても「いずれは学校に」という思惑があることが多い。もち
ろんこれらは単に規範だけでピックアップされているわけではない。「具体的学校」
を求める部分もあるはずだ。しかし規範はそれらをいつも後押ししている。逆に言う
と、「学校」からはずれる選択にはどことなく違和感が漂うことになる。
学校からまったく離れる進路、たとえば世界一周旅行とか職人とかサッカー選手と
かプロのミュージシャンなどが選択枝に入っても構わないはずなのだが、それらでさ
え、世界旅行なら留学、職人やミュージシャンも専門学校へと「とりあえず」学校が
先にやってくる。くりかえすがここには「具体的学校」の要求、つまり「専門学校を
出たほうが基礎から学べる」といったものがある。学校でなくとも基礎は学べるだろ
うし、プロのミュージシャンの中には独学でなった人もたくさんいるだろうから、職
業のジャンルによっては学校が関係ない場合が実際はある。しかし、まず「学校」は
やってくる。
たぶんほとんどの進路がこうして「学校」と結びついていると思う。そして学校と
関係ない進路は、ひどく「常識」外れなものか道徳的に悪のものしか残らなくなるの
ではないか。たとえばヤクザとか泥棒とか「何もしない」であるとか。
少しずれるかもしれないが、子どもが「何もしない」を仮に決定しようとしたらど
うだろう?ヤクザや泥棒であれば道徳的なものを持ち出して比較的非難しやすいと思
う(なぜ非難しやすいかはここでは問わないでおこう)。しかし「何もしない」に対し
て、周りの大人 他者は何を根拠にどう語りかけるのだろうか。このとき、「学校
に行かなければならない」という規範は少し薄くなり、次の規範「自立しなければな
らない」が現れてくると私は考えている。
20代から30代にかけた「ひきこもり」の問題は、意識的に「何もしない」を選んで
いるわけでもなく、本人たちは「何かしなければいけない」と思いながらできないこ
とに焦りを感じているようだ。だからそういう人たちに対しては「自立しなければな
らない」という規範に乗っ取った援助方針となるだろう。問題は、「何もしない」を
選ぼうとする人に対して、まわりの者がどう答えるか、である。そのとき、各々がも
つ「自立」についての規範性が改めて問われることになる。
これは実は、「学校」についても同じなのだ。進路決定の際、すでに「学校に行か
なければならない」という規範がすべての者に織り込まれている。まずその規範の中
に我々はいるのだということを私は知っておきたい。そして、本人・親・援助者のコミュ
ニケーションの中で決定していくとき、時として「学校」を中心としたその規範性か
らやや逸脱した選択(上に書いたとおり一部の例外を除いて完全には逸脱できない)が
されるかもしれない。その時こそ各々が持つ「学校に行かなければならない」という
内面化された規範が間われる。私であれば、援助者として問われる。「学校」規範が
ぐらぐらと揺れるだろう。その、やや逸脱した選択は、まさにその子どもの個性を表
す選択かもしれない。その選択はその子だけのもの、個別なものだろう。その個別な
ものを尊重しつつも、各々が持つ規範性が問われる。そしてそれはたぶん壊れること
はない。だが、前と同じ状態でもない。揺れたままかもしれない。また、「学校」の
規範性ではない、別の普遍的概念が押し寄せてくるかもしれない(たとえば「幸福」
とか「正義」とか)。そして規範性に代わる新たな規範も同時にやってくるかもしれ
ない(たとえば「自立」とか)。
個別な選択意志が「学校」規範を揺るがし、その個別なものが優先されかけながら
も、別の概念や規範、あるいはもう一度現れるかもしれない「学校」規範によって個
別な選択意志そのものが再び揺れていく。コミュニケーションの中の「決定」におい
てそうした事態がたえず起こっていることに気づいていくこと。かなり抽象的で一般
的ではあるが、このように決定と規範、決定とコミュニケーションを考えることが、
援助にとって重要だと私は思う。
こうしたことは何も進路決定の場面だけではなく、不登校中期の段階ですでに間わ
れ続けている。先に書いた、親や本人が感じる「学校」規範が原因しているであろう
ある種の「不登校の肯定の難しさ」「うしろめたさ」は、「決定」が先延ばしされて
いることから来る、とも言える。
6 おわりに 語り方について
さて最後に少しだけ「語り方」の問題に触れる。
本稿で私は、不登校問題をどちらかというと一般論として述べている。一般性とし
て不登校を語るとき、個別的な事例はどこかへ追いやられ、個別的なもの(一人ひと
りの事例)を語るとき、一般性の誘惑にいつもかられる。このふたつの間で私はいつ
も揺れている。言い換えると、このふたつの間のどこに立つか、その場所を「決定」
しようとしている。
本稿は、一般論を装いながらも、各所で個別的な事例を思い浮かべている。しかし
守秘義務もあってそれをより具体的に私は述べたくない。その、一般性と個別性の間
のどこに私が立つことを「決定」したのか、その答え自体が本稿だと思う。
もうひとつは、2にも書いたが、当事者性の問題がある。不登校の当事者は現在進
行形の問題を語れない(単純に、持つ言葉の量の問題もある)。親も「不登校の子を持
つ親」という当事者であって、その限りにおいて語りにくい。そうなると、当事者が
持つ問題は誰かが代弁するしかない。代弁者は、不登校の体験者か、第3者(援助者・
研究者・ジャーナリストなど)だろう。私はここでは、不登校体験を持たない、第3者
であるところの援助者として書いた。子どもや親がこう感じているのではと表現した
部分は、すべて彼らの言葉を書き直したものか、私の推測だ。
私は、思春期から青年期にかけて悩む人たちを援助したいという欲望を持っていて、
同時に「コミュニケーション」や「決定」や「規範」についてできるだけ根底的な部
分たいとも思っている。また、私以外の人たちの気持ちや意識は、言葉や仕草による
もの以上は基本的にわからないという認識を私は抱いている。あとはすべて私による
推測でしかない。つまり相手がどんな意識でいるかはわからないものであり、他人を
わかった気になっているのは私の意識がその人をわかった気になっているだけだと考
える。ただこのことと、「他人をわかりたい」と切望することは別で、私は「他人を
わかりたい」(と同時に「自分をわかってほしい」)と切望している。そしてたぶん、
他人たちの中にも「自分以外の他人をわかりたい」「自分をわかってほしい」と考え
ている人もいるのではないかと「推測」している。そうした人たち同士が行う行為、
それがコミュニケーションだと思う。
そういう私という人物が書いたものが本稿だ。
参考文献
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・斉藤環『社会内引きこもり』(PHP新書)