タイトル:「手古奈」のこと教えてください
投稿時間:02/04/28(Sun) 23:19
投稿者名:斉藤俊雄
かめおかさんへ、
「手古奈」のこと少し教えてくださいませんか。
あのような異年齢集団の劇がどのようにしてできあがったか、
そのプロセスが知りたいのです。
僕のもとで劇をやりたいといってくる人がたくさんいます、卒業生に多いのですが、
もし、そんな仲間と劇をつくれたらなんて思ってしまう今日この頃、
立ち上げには様々な苦労があったとうかがっていますが、
そのあたり差し支えない程度に教えていただけるとうれしいのですが。
地域の文化を育てるという意味で、『手古奈』上演はとても役に立ったと思っていますし、
それを創る人達のエネルギーを感じました。
ぜひ参考にしたいのでよろしくお願いします。
追伸
久しぶりにかめおかさんと生で語れたこと(飲めたこと?)
船橋市の演劇部の顧問の人と語れたこと、とても有意義でした。
顔の見える対話というのはやっぱりいいものですね。
演劇教育(演教連のことを含めて)の未来を語れたことが一番有意義だったかな。
タイトル:Re: では対話のスタート
投稿時間:02/05/01(Wed) 07:18
投稿者名:かめおかゆみこ
最初にお願いというか、お断りです。
私は『手古奈』に、脚本担当として関わったので、
必ずしも全容が見えているわけではない部分があること。
とはいいつつも、横浜の中学校演劇とは、この5年来、
かなりつながりをもってきて、そうした視点をふくめて語れるということ。
もう一つ。この問題(地域の文化・子どもの表現活動)は、
私にとっても重要なテーマの一つなので、この対話がある程度一段落したら、
まとめて、私のサイトでもアップさせていただきたいということ。
以上、ご了解いただいたうえでのスタートとさせていただきます。m(__)m
さて、率直に言うと、『手古奈』は、全くゼロのところから立ち上がったわけではありません。
『手古奈』が上演された青葉区には、
横浜の中学校演劇組織の発祥となった「横浜北部中学校演劇教育研究会」があり、
25年の歴史をもっています。
『手古奈』の実質的な制作責任者の村上芳信さん(演教連会員)は、
現在、この北部研究会の会長をつとめています。
ちなみに、事務局長は、大沢清さん(演教連常任委員)です。
では、そういう組織がないと、こうしたミュージカルは不可能かというと、
そういうことではありません。
この1年のプロセスを見てきた限り、
「最終的には、関わる『人間』の問題だな」ということを実感したからです。
どれだけ、子どもの生き生きした姿を見ることを願うおとながそこにいるか、
どれだけ、子どもとともに、喜びをわかちあえるおとながそこにいるか。
そこにかかってくることがわかったからです。
そして、この活動をとおして、
私自身、「演劇」(表現活動)という仕事が、
どれだけ、子どもの自主性や主体性を育て、「生きる力」につなげてくれるものかを、
再確認した思いでいます。
もちろん、演劇だけがそういうことができるなどと、傲慢なことは思ってはいませんが、
今回に関していうと、とりわけ異年齢集団の関係のおもしろさは、
やはり、演劇ならではのものということができるのではないでしょうか。
演劇をとおして、一つのコミュニティが形成された、という印象さえもちましたから。
というところで、前書きを終わります。
これから具体的に書いていきたいのですが、私が一方的に書くのではなく、
できれば、斉藤さん、そしてこれを読んでくださるかたがたから、
ぜひ、質問をいただきたいのです。
そのほうが、私も、何を求められているのかがわかって、
より具体的に、必要なポイントをおさえて書けるのではないかと思います。
なにせ、口でも文でも饒舌な人ですので、ほっとくと、話がどんどん脱線する危険性もあります。
どうぞよろしくお願いします。m(__)m
タイトル:最初の質問です
投稿時間:02/05/02(Thu) 00:00
投稿者名:斉藤俊雄
まずはですね、あの異年齢集団の劇を立ち上げるまでのプロセスですね。
なんの働きもない中で、あのような活動ができるということはないことは、
自分の活動の中でもわかっています。
どのような働きかけがあって、行政がどう対応して、人集めがどのようになされたか。
それをうかがいたいと思います。
そもそも「手古奈」という作品をやろうということになったのは
どんなきっかけなのでしょう。
舞台からその劇を支えている人達の熱気がひしひしと伝わってきました。
きっとスタッフの熱い熱い思いがあったのだと思います。
その熱い思いがどのように形になっていったか、教えてください。
タイトル: 発端はこんな感じ
投稿時間:02/05/02(Thu) 04:19
投稿者名:かめおかゆみこ
まず、異年齢集団を立ち上げるプロセスということですね。
青葉区の場合は、前回も書いたように、
横浜北部の中学校演劇という、下敷きがありました。
実際、『手古奈』に参加した中学生の半分以上は、演劇部員です。
高校生も、ほとんどは元演劇部員です。
ただし、小学生は違いました。
もちろん、演劇クラブに所属している子もいますが、いない子もたくさんいます。
これらは、各小学校を通して呼びかけをした結果、集まってきた子たちです。
潜在的に「劇をやってみたい」という気持ちがあるところに、
火をつけたといっていいのかもしれません。
発会式のとき、本当にみんな、期待でいっぱいに満ちた、
きらきらした目で席に座っていたことを思い出します。
『演劇と教育』2002年4月号の「まわり舞台」に、
『手古奈』の作曲を担当した金子忍さんが、このあたりの経緯を簡単に書いていますが、
青葉区では、毎年11月3日に、「区民祭り」をやっているのですが、
舞台部門が、もうひとつ盛り上がりに欠ける、という悩みがありました。
青葉区は、もともと「緑区」が分区(青葉区・緑区・都筑区)してできた区です。
隣の緑区では、先行して数年前から、区民ミュージカルが始まっていました。
(ちなみに、この区民ミュージカルの中心になっている一人が、大沢清さんです)
「青葉区でも、独自の企画を立ち上げたい」という行政側の思いもあったのでしょう。
横浜北部中学校演劇教育研究会の会長が、
村上芳信さんであることは、前回も書きましたが、
この会の顧問をしているのが、たまたま村上さんの学校の校長さんでした。
このかたは、演劇のことは詳しくはありませんが、もともと音楽の出身で、
文化的な素養の高いかたなのです。
この校長さんのところに、
行政から「何かいい案はないだろうか」という話が行ったわけです。
(校長さん個人にではなく、校長会を通して、かもしれません)
そこから、
「村上さん、こういう話が来ているのだが」というふうに流れていったようです。
これが、大ざっばに言って、行政側の流れだと思います。
ただ、いくら行政にそういう気持ちがあったからといって、
受け皿がなければ動かないわけで、
明日以降は、校長さん、そして村上さんがどのような対応をしていったか、
また、なぜそれが『手古奈』という作品に結びついていったかを書いていきたいと思います。
>斉藤さん、みなさん
こんなペースでいいでしょうか? あまり長すぎないように留意しています。
質問、意見・感想等、どうぞお気軽にお寄せください。
タイトル:Re^2: 発端はこんな感じ
投稿時間:02/05/03(Fri) 00:08
投稿者名:くりはらせいじ
斉藤さん、はじめまして。
かめおかさん、お誘いありがとうございます。
大変興味のある話しに参加できてものすごくワクワクドキドキです。
ボクも九州は佐賀の地で
「子どもミュージカル」を仕掛けたいと思っている人間ですから
参考にさせてくださいね。
かめおかさんにファーストコンタクトしてから、
佐賀での活動もほんの少しですけど動き出した気配です。
よろしくご教授お願いいたします。
タイトル:A手古奈について教えてください
投稿時間:02/05/03(Fri) 05:51
投稿者名:斉藤俊雄
かめおかさん
対話が広がってきました。これってすごいことです。
さて、「手古奈」についてまず次の三つの質問を出させてください。
別々に答えてくださるとわかりやすいかと思います。
@生徒達はどのような形で募集したのか。募集の形、呼びかけの形。
A練習はどのようななたちで行われたのか(練習日、練習時間、練習場所とその確保)
B台本決定までの過程。決定後台本はどのような形で変わっていったのか。
よろしくお願いします。
追伸
くりはらさん、こんにちは。この対話に参加してくださることで、世界が広がります。
一緒に質問してください。よろしくお願いします。
タイトル:Re: A手古奈について レス
投稿時間:02/05/03(Fri) 13:24
投稿者名:かめおかゆみこ
質問をたててくださって、ありがとうございます。とてもやりやすいです。
@生徒達はどのような形で募集したのか。募集の形、呼びかけの形。
行政が関わっていることのメリットは、宣伝に関して、学校の了解が得られやすいことです。
校長会をとおして、このような催しがあること、
参加者募集をしていることを各小学校・中学校にまわすことができました。
基本的には、ちらしを各校にまいて、はるなり配るなりしてもらったはずです。
ちらしの作成にも行政はタッチしておらず、村上さんたちがつくりました。
中学校に関しては、横浜北部の組織があるので、そこを軸にして、
各校顧問から生徒に呼びかけをしてもらい、
小学校については、演劇クラブのある小学校に、村上さんがたずねていって、
子どもたちに直接説明をしています。
集約の窓口も村上さん。子どもたちからどんどん電話がかかってきて、
「これはすごい」と手ごたえを感じたそうです。
実のところ、『手古奈』は、
村上さんの献身的な関わりなしには絶対に実現しなかった企画なのです。
けれども、何かを動かそうとするときには、核になる人間は必要です。
その意味で、人材が人材を呼んでいったということを実感します。
A練習はどのようななたちで行われたのか(練習日、練習時間、練習場所とその確保)
決定が5月で、スタートは6月からでしたから、かなり忙しい日程でした。
6〜7月に募集をかけて、7月末に発会式。
その時点で、中学生が書いた脚本を渡して、イメージをつかんでもらう。
8月末の3日間に「オーディション」をやって、配役決定。
この「オーディション」は、、「応募者全員に配役する」のが目的で、
振り落とすためのものではありません。
9月から本格的な稽古に入りました。
毎週金曜夜と、土日の日中。(授業のある日は午後から)
実際には、本番直前以外は、午前中は、おもに自主練に近い状態で進められました。
なお、本番前1週間は、毎日練習が入りました。
練習場所は、村上さんの学校と、もう一人、
中心スタッフの一人である先生が勤務する小学校の体育館。
あと、月に1回程度は、本番発表する青葉区公会堂のステージ。
そして、もう一つ、特筆すべき場所があります。
村上さんの学校の近くに、高齢者関係の区の施設があるのですが、
ここが、「使えるスペースがある」ということで、好意的に開放してくださったのです。
もちろん、無料です。
施設のかたの理解なしには、実現できませんでした。
ついでに、村上さんの学校の演劇部では、『手古奈』のあと、
何度か、この施設に、慰問公演をしています。
お返しみたいなものですが、高齢者のかたがたにとても喜ばれているそうです。
B台本決定までの過程。決定後台本はどのような形で変わっていったのか。
「子どもの脚本で区民祭りに参加を」という村上さんの提案は、
行政に受け入れられ、「子どもたちによるミュージカル」の企画はスタートしました。
ちなみに、構成メンバー50数人(途中、数人は諸々の都合で抜けましたが)のうち、
約半数が小学生、高校生が6〜7人。残りが中学生でした。
最年少は小学3年生。最年長が高校3年生。
学校数でいうと、全部で10数校になるはずです。
(この辺の正確な数字は、まとめるときに確認し、補足します)
予想外だったのは、とにかく、小学生の参加が多かったことです。
中学生が書いたもともとの『手古奈』の脚本は、
中学校演劇部で上演できるようにつくられているので、
登場人物は約20人、時間も約40分。
ミュージカルではなく普通の劇です。
今回のメンバー募集で何人集まるかどうかわかりませんでしたが、
それにあわせて、テキストレジーをしなければなりません。
というわけで、ここから私が関わることになったわけです。
なお、ミュージカルにした理由は、やはり、歌って踊れる楽しさがあり、
子どもたちが喜んで参加してくれるのではないかと考えたからです。
学校経由で、ちらし・ポスターを配布し、宣伝、そして8月末のオーディション。
オーディションの段階では、脚本は完全にはできてはいませんでした。
それでも、7月末の発会式の段階で、
参加人数とメンバー構成がわかっていましたから、
それにあわせて、構想は練っていました。
やはり、悩んだのは、小学生をどうやって舞台に乗せるかです。
楽しんで稽古でき、最後までやる気をもって参加できる役を設定しなければなりません。
まだみんなの顔もわからず、本番までにメンバーがどう変化するかもわからないので、
とりあえず、「わらべ」「村娘」などというかたちで、
固有名詞はつけずに人物を増やしていきました。
オーディションの段階では、その途中まで書き直した台本を渡し、
一応、最後まで書き上げたものは、9月の稽古初日に間に合わせて渡しました。
もちろん、内容については、演出の井上弘久さんと確認をとりながら、です。
細かい部分については、稽古の途中でまた変わっていくことになるのですが…。
ところで、脚本について、今のうちに簡単なあらすじを説明しておきたいと思います。
40分の脚本が、最終的には80分にまで延びたわけですが、
基本的な流れは、最初に中学生が書いたものと変わっていません。
「昔むかし、万葉の時代に、葛飾の国(今の市川市)に、手古奈という娘がいた。
誰からも愛され、多くの男たちから求婚されたが、一人を選ぶことができず、
身を投げて死んでしまった」
これが、今日まで語り継がれてきた、もともとの「手古奈伝説」です。
オペラでは、ここに、「行麿」という都人、「あぜ彦」という青年を加えて、
結局は自分の意志を明確にすることができずに
入水してしまう手古奈を描いています。
中学生の疑問はここにありました。
「なぜ、自分の気持ちを伝えようとしなかったのか」
現代とは違うと言ってしまえばそれまでですが、
この作品を現代に上演するなら、
ある意味、確かに問われなくてはならない部分であったともいえるでしょう。
そこで、彼女(作者)は、この物語を、入れ子の構造にすることにより、
手古奈伝説に疑問をもった小学生が、
過去の物語世界を見るというスタイルをつくりました。
そして、その小学生自身が、友だち関係で、
「自分の気持ちをうまく伝えられない」という設定を最初に置くことで、
手古奈の物語を、
ひとごとではなく受け止めるという仕掛けをつくりあげたわけです。
最終的に、手古奈は伝説通り、身を投げて死んでしまうわけですが、
物語がすべて終わろうとするところで、小学生は思わず呼びかけます。
「本当にそれでよかったの?」
そして、ふたたび、(夢とも幻想ともつかない空間のなかではありますが)
手古奈はよみがえり、あぜ彦に思いを告げて結ばれる、
という結末が導き出されるわけです。
この、ハッピーエンドの結末、いかにも中学生らしいと思いませんか?
私が書いたら、絶対に殺しちゃうなあ!(笑)
でも、このラストにこそ、彼女の書きたい思いがあったと思うので、
ここは変えるつもりはありませんでした。
演出の井上さんも、このラストの展開を読んで、
「この脚本でいける」と思ったそうです。
それにしても、40分の脚本が80分になってしまったのは、
やはり、歌と踊りが挿入されたこと。
作詞・作曲についてのいきさつは次回書きたいと思います。
>斉藤さん、みなさん
途中、感じた疑問や質問はどんどんお願いします。
多少紆余曲折しながらでも、いろいろ思い出しながら補足していきたいと思いますので。
追伸
書き始めてすぐに気がついたのですが、
やはり細かい部分については、正確にわからないところがあります。
書いたものは順次、村上さんに送って見てもらうようにしたいと思います。
ただ、村上さんはインターネットはやっていない人なので、
返事を待っていると時間がかかります。
それで、一応、「事実誤認も多少はあるかも」という前提で読んでいただきながら、
最終的にまとめてアップする段階では、
修正を入れるということで読者のかたがたにも了解をいただきたいと思います。
まあ、ぶっとんだ勘違いはしてないはずだと思いますです。
タイトル:Re: B脚本の完成まで
投稿時間:02/05/06(Mon) 17:31
投稿者名:かめおかゆみこ
さて,今日は、スタッフのことについて、少し説明しておきたいと思います。
演出は、井上弘久さん(劇団Uフィールド主宰)。
音楽は、金子忍さん(横浜の小学校の教員。演教連会員)。
振り付けは、カネコキヨミさん。
同じ横浜市の緑区民ミュージカルでの振り付けなど、幅広く活躍されているかたです。
舞台監督は、神奈川県立青少年センターの舞台スタッフ、森邦夫さん。
舞台監督助手に、緑区民ミュージカルの脚本も手がけている井上学さんが加わりました。
こう書くと、プロが何人も関わってすごいなあと思われるかもしれませんが、
実は、予算的には、急な企画であったこともあり、非常に厳しい状態でした。
ですから、みなさん、本当にボランティア価格で関わっていただいたというのが実情です。
また、経済的な問題については、
そのうちまとめて書くことになりますので、今日は省略します。
脚本のテキスト・レジーにあたって、留意したのは、
ミュージカルですから、
やはり、歌とダンスとして立ち上げられるシーンをつくるということでした。
政策責任者の村上芳信さんは、当初、
「約1時間のミュージカルだから、5〜6曲も入れば充分ではないか」と考え、
「誰か作曲と歌唱指導をお願いできる人はいませんか」と私にたずねてきました。
最初に依頼したのは、友人のオペレッタ作曲家・指導者でした。
ところが、作品の題名を聞いたとたん、彼女は、「あっ、だめ」と言うのです。
というのも、この作品の下敷きとして参考にさせてもらったオペラ「手古奈」を
彼女自身、子ども時代に実際に演ったことがあるというのです。
「頭のなかにイメージができてしまっているので、オリジナルはつくれないと思う」
ということで、引き受けてもらうことができませんでした。
どうしたものかと考えていたとき、ふっと頭に浮かんだのが、金子忍さんでした。
以前、脚本創作講座でご一緒したとき、
私の作品の劇中歌に、曲をつけてくれたことがあるのです。
それが、今回の作品のイメージと重なる部分があったのです。
金子さん自身、小学校の演劇クラブの子どもたちのために、
たくさんの曲をつくってきた人です。
でも、私が実際に聞いたのはその1曲だけ。
けれども、ゆっくり確認している時間はありません。
ちょっと冒険ではありましたが、私は自分の勘を信じて、依頼をしてみることにしました。
小学校教員という、多用な立場にあることは招致していましたが、
村上さんにいわれた「5〜6曲」なら、なんとかお願いしてもいいかなとも思ったのです。
金子さんは「自分でよければ…」と、快く引き受けてくださいました。
これが、あとで、大きな負担をかけてしまうことにはなるのです。
実は、最終的に、暗転中のつなぎの音楽も含めて、
計19曲の作曲をお願いすることになってしまったものですから…。
稽古に間に合わせるために、金子さんには、何度徹夜させてしまったかわかりません。
「人の話を鵜呑みにしてはいけない」という、大変な教訓でした。(違うでしょーがっ)
なお、8月末のオーディションの段階では、
もともとの中学生の作品にあった1曲を、金子さんが、間に合わせて作曲してくれ、
歌唱チェックはこの曲を使ってやりました。
9月に入って、稽古が本格的に始まりました。
稽古は、一場、一場、順につくっていくことになります。
ですから、途中の歌も、頭からそろえていくことになりました。
私自身は、ミュージカルについては素人ですが、素人なりに考えていたことは、
「歌も、せりふであり、場面の一部だから、
歌のシーンのあいだも場面が動きつづけているものでなくてはならない」
ということでした。
よく、プロの劇団の舞台でも、せりふの場面があって、
そのあとに歌(とダンス)が入り、そのあいだはお話はまったく止まってしまい、
再びせりふが始まると場面が動く…というケースをしばしば見かけます。
そうではない、と私は思うのです。
だから、『手古奈』のなかで、誰かの(あるいは集団の)心が動き、感情がたかまり、
それを表現するのに「歌」が必要となるような、そんなシーンを考え、
それを歌や踊りで表現していくというかたちを、つくっていったつもりです。
最終的には、ソロも含めて、あらたに9つの曲(歌詞のあるもの)が加わりました。
ソロは、最初は手古奈と行麿くらいしかなかったのですが、
あぜ彦にもほしいねということになって、追加したら、
それでは、右京・左京にも入れてあげたいね…という感じで、増えてしまいました。
このあたりは、演出の井上さんの考えで、
井上さんは、一人ひとりの参加者に、なんとかせりふをあげたいと、
稽古の途中に、少しずつせりふを追加していきました。
個人的には、そのために流れが
やや冗長になった部分もあるかもしれないとは思うのですが、
でも、そのことで、子どもたちが、さらに意欲を燃やして参加できたことも事実です。
曲の追加とせりふの追加で、最終的には20分の延長になっていったわけです。
ちなみに、最後のあぜ彦のソロが入ったのが、10月のなかばくらいだったと記憶しています。
私が歌詞を書き、井上さんの確認をとり、金子さんにメールで送り、
金子さんが、稽古までに曲をつけて、もってくる。
稽古のときには、キーボードから何から一式もってやってきて、
子どもたちの音域などを確かめて、
うまくいかないようならその場でキーボードをたたいて、音を調整するという、
徹底して、子どもの声を尊重したやり方をしていました。
途中、事情ができて参加できなくなった子どもが出るたびに、
脚本に手直しが加えられました。
(幸いなことに、それほど多くはなかったのですが)
いちいち印刷はできませんから、井上さんが口頭で変更を伝えて、
みんながそれを台本に書き込んで練習し、
本番の数日前に、それらをまとめて私がワープロで打ち直して、
印刷するということをやりました。
郵送しているひまがありませんから、50ページ近い原稿を、FAXで送っていました。
以上で、脚本に関する大きな流れは説明できたかなと思うのですが、
わかりにくいところなどありましたら、指摘してください。補足したいと思います。
次は練習内容について入っていきたいと思っていますが、
その前に質問があれば、よろしくお願いします。
タイトル:オーディションについて
投稿時間:02/05/06(Mon) 21:28
投稿者名:斉藤俊雄
その2
>8月末の3日間に「オーディション」をやって、配役決定。
>この「オーディション」は、、「応募者全員に配役する」のが目的で、
>振り落とすためのものではありません。
よく理解できる言葉です。
「オーディション」は常に自分にとっても「全員を配役にする」ことが前提にあることで、
一度たりとも「振り落とすためのもの」であったことはありません。
それだけに痛みを伴うものです。痛みを伴うけど、
僕は生徒たちもその痛みを共有してくれていたと今でも信じています。
オーディションをするときにいつも思い出す言葉があります。
チャーチルが「民主制」を語ったときのものです。
「民主制は、これまで試みられた他のすべての政治体制を除いては、最悪の体制である」
手続き的には民主主義的に成立したヒトラー政権、
プロレタリアートの新の民主主義を標榜しながら大量虐殺に向かった
スターリン体制を早くからかぎ取った彼の言葉だけに、重みを感じます。
僕はこの民主制をオーディションに置き換えこんなふうに考えています。
「オーディションは、これまで試みられたほかのすべての役選びを除いては、
最悪の役選びである」
オーディションは選ぶ側が間違った手段として使用すれば、
ヒトラーにもスターリンにもなりうる。そういう意味です。
かめおかさんは、以前
生徒の希望で役を与えていくという方法を採っていたはずですが、
今回のオーディションについてはどう思っているのでしょうか。
僕としてはオーディションをやるというだけで、
振り落とし、専制などの言葉をもってくる人には批判的です。
心ある教師なら必ずオーディションは苦しみが伴います。
オーディションを行う人は、ヒトラーやスターリンというわけではない。
そんな意味でオーディションの状況、その時立ちあった方、
決定の方法なども、もしプライバシーの問題に触れないようなら教えてほしいところです。
タイトル:Re: オーディションについて
投稿時間:02/05/07(Tue) 07:06
投稿者名:かめおかゆみこ
オーディションについての質問に答えます。
>かめおかさんは、…今回のオーディションについてはどう思っているのでしょうか。…
>オーディションの状況、その時立ちあった方、決定の方法なども、…
事前に配布してあった(完成前の)台本を読んで、
そのなかから自分が挑戦してみたい役を選び、好きな箇所を読んでもらいます。
それらを総合して、演出の井上さんが決定しました。
正直言って、未知数がかなり大きいところでの決定ではあるのです。
演劇部の生徒もいれば、初めて劇をやる子もいる。
これからどれだけ伸びるのか、本当にはわからない段階なのですから。
が、これは、もうほとんど日程的な問題でした。
11月3日に本番があることは、先に決まっていることだし、
約1時間のミュージカルを、そういう状況の50人の子どもたちとつくることは、
けっして容易なことではありません。
歌については、このときは、金子忍さんはご自身の研修があって参加できず、
代わりに、友人の音楽の先生に頼んで、代理で歌唱指導をしてもらい、
その歌声を、演出の井上さんに聞いてもらいました。
ダンスは、振付担当のカネコキヨミさんが見ていたと思います。
私は、このときは仕事が入っていて、最終日しか参加できませんでしたが、
決定のときには、井上さんは必要に応じて、
それぞれのスタッフに相談をしていたこともあります。
結果的には、比較的中心になる役には、高校生がつくことになりましたが、
それでも、「おばば」という要の役には、中2の女の子が抜擢されるなど、
−−彼女自身は手古奈で立候補したのですが、
結果的には、「おばば」をやって正解だったと思います−−
それなりの配役がなされたのではないかと思っています。
井上さん自身、かなり苦しんで決定されたようです。
配役発表のときには、一人ひとりの役に、必ずコメントをそえました。
とくに、希望した役に入らなかった子にたいしては、
なぜ、この役に選んだのかということを、ていねいに説明していました。
上にも書いたように、未知数の段階ですから、本当の気持ちは、
一人ひとりの子が、やる気を失うことのないような配慮だったといえるでしょう。
そのあと、稽古の過程で、個別のせりふを割り当てていったのは、
そうした配慮の延長にあるものと思っています。
そんなわけで、私個人としては、オーディション方式は今もとりませんが、
地域の子どもたちを集めての場合には、
たとえば、1年間かけてワークショップをやって、
その最終的なかたちとして公演をやるというようなケースをのぞいては、
上記のような配慮をしながら、オーディションをやるのも、
やむを得ないのではないかと思います。
それにしても、井上さんの子どもに対するまなざしには、いつも頭が下がりました。
誰よりも先に、役者の名前と顔が一致したのは、井上さんだったのです。
『手古奈』の実践から学んだことのひとつに、
子どもと関わるおとなの姿勢ということがありますが、
井上さんの演出だからこそできた、という面はあったと思うのです。
井上さんだけでなく、
今回は、本当にすばらしいスタッフに恵まれての仕事だったと思っています。
タイトル:練習時間について
投稿時間:02/05/06(Mon) 21:14
投稿者名:斉藤俊雄
> 次は練習内容について入っていきたいと思っていますが、
>その前に質問があれば、よろしくお願いします。
はい、それでは二つ質問させてください。
その1です
>9月から本格的な稽古に入りました。
>毎週金曜夜と、土日の日中。(授業のある日は午後から)
>実際には、本番直前以外は、
>午前中は、おもに自主練に近い状態で進められました。
>なお、本番前1週間は、毎日練習が入りました。
毎週金曜と一週間前の毎日の練習は夜の練習になったと思います。
小中学生の夜の練習というものには保護者の理解は簡単に取れたのでしょうか。
塾などとのかねあいの問題は派生しませんでしたか。
それともそれは募集の時の確認事項だったのでしょうか。
また夜の練習場所はどこを使ったのでしょう。
僕がこの地区で同じような活動を行うことを考えると、
そのような問題が派生しそうです。是非教えてください。
タイトル:Re: 練習時間について
投稿時間:02/05/07(Tue) 06:43
投稿者名:かめおかゆみこ
斉藤さん、具体的な質問、ありがとうございました。
>小中学生の夜の練習というものには保護者の理解は
>簡単に取れたのでしょうか。
>塾などとのかねあいの問題は派生しませんでしたか。
>それともそれは募集の時の確認事項だったのでしょうか。
これはまず、当然ながら、募集する段階から説明をしてきました。
小学校の演劇クラブなどに直接出向いて説明したのは、
このあたりをていねいに伝えるためもあったと思います。
楽しさも味わえるけれど、それだけの責任や覚悟が必要なのだということは、
発会式のときにも、稽古の途中にも、繰り返し言ってきました。
塾については、はじめの頃はともかく、本番近くの時期は、
おそらく自主的に調整した子どもも、少なからずいたのではないかと思います。
このことは、こちらから強制できることではありませんから、
あとは、稽古をとおして、その子自身が「自分にとって今、何が必要か」を
感じ取ってもらうしかなかったと思います。
実際問題としては、やはり本当に全員がそろって稽古できるという状態は、
本番近くまで、なかなかつくりだせませんでした。
それでも、休んだ日の分は、自主的に友だちに教えてもらうなりして、
フォローしてもらうような働きかけはしたし、
日曜日の午前中の自主練の時間は、そのための時間でもあったわけです。
もちろん、このことは、子どもに対するだけでなく、保護者のかたにも伝えています。
保護者を対象にした説明会を行ったり、数回、「通信」を発行して、
進行状況や、そうした確認事項を連絡したりしています。
また、実際には、帰りが遅くなったり、家が遠かったりしますので、
とくに小学生の場合は、保護者が迎えにきてくれるケースが少なくありませんでした。
ですから、時間ぎりぎりまで練習して、遅くなりそうなときには、
まず小学生を帰して、残った高校生と中学生で後片付けをして帰る、
ということもよくありました。
このこともそのうち書く機会があると思いますが、
そうやって送り迎えをしてくれる保護者のかたが、稽古を見るうちに、
協力者となって、スタッフとして動いてくれるようになったケースもあります。
何かを始めるときは、負担感や心配もたくさん生まれてくるものですが、
それにたいするケアももちろんしながらではありますが、
結果的には、子どもが、そこで生き生きと楽しんで活動しているのを見ることが、
おとなにとっても、エネルギーの源になるのだということを教えてくれたわけで、
『手古奈』をやったことの、ひとつの大きな収穫だったと言えるでしょうね。
タイトル:B手古奈について教えてください
投稿時間:02/05/07(Tue) 22:10
投稿者名:斉藤俊雄
練習の時間について、オーディションについての質問に対しての答え、とても参考になりました。
ありがとうございます。
大変だと思いますが、練習内容についてに入っていただければと思っています。
タイトル:Re: B手古奈について レス
投稿時間:02/05/09(Thu) 20:40
投稿者名:かめおかゆみこ
練習内容そのものは、たぶん、
どの劇をやる場合でも変わりないやり方ではないかと思います。
集まって最初に、柔軟体操、発声練習などひととおりの基礎。
村上さんの学校の演劇部の生徒(OB含む)が中心になって、
演劇部でやっているやり方を、みんなに示しながら、やっていました。
これは一つには、演出の井上さんの負担を減らすという面もありました。
実は、井上さんは埼玉の住人で、通うのに片道2時間くらいかかるのです。
ですから、本番が近くなってからは別として、
最初のころは、先に基礎練習をやっていてもらって、
その間に到着するというかたちにしていたのではないかと思います。
なお、個人的には、基礎練習のやり方そのもの(内容)には、
多少改善の余地があるなあとは思いましたが、
こうしたことも含めて、生徒たちが自分たちで責任をもってやるという部分があったことが、
最終的に、全体のチームワークを高めていくポイントになっていたことは確かなことです。
中学生・高校生たちにしても、
自分たちが必ずしも完璧にできているという自信があったわけではありません。
わからないなりにも、とにかく責任をもたなければならないという自負のもとに、
基礎練習のリーダーをつとめていたわけです。
実際、とくに中学生は、最初は、けっこう頼りなげな雰囲気もありましたね。
そして、それが3か月の間に変容していく姿は、まぶしいものがありました。
練習は、最初は読み合わせをして、全体像をつかみ、
わからない語句の説明などをする。
それから、順に場面稽古。
ただ、そうはいっても、年齢的に上と下とでは10歳のひらきがあるわけで、
とくに、読みあわせをした段階では、
小学生たちは全体像をつかむところには至っていなかったろうと思います。
話は少し飛んでしまうかもしれませんが、
自分たちが何をやっているのかはっきり実感できたのは、
実は、10月も下旬にさしかかってのことだったと思います。
その日、ようやく、ラストシーンの手前、
主人公である手古奈と、あぜ彦が死んでしまうシーンにたどりつきました。
2人(のなきがら)が横たえられ、そのまわりを取り囲んで、口々に名前を呼ぶ場面。
思わず、子どもたち(とりわけ小学生たち)の目から涙があふれたのです。
もちろん、1か月半にわたって稽古はしてきました。
何度も脚本は読んで、熱心に取り組んではきました。
それぞれの輝き、それぞれの魅力があらわれる場面も多々ありました。
でも、本当の意味で実感にいたったのは、劇中とはいえ、
目の前で2人の人間が死んでしまった姿を見たとき。
これは、ある意味で、新鮮な驚きでもありました。
そして、同時に、これが子どもたちのリアルな現実なのだとも感じました。
とにかく、この日を境に、練習の質が変わったといって、過言ではありません。
子どもたちは、今、自分たちが何をしようとしているのかをはっきりと自覚したのです。
まあ、どんなお芝居でも、本番の1週間前が勝負とはよく言われることですが、
『手古奈』の場合、一つのターニング・ポイントとなったのが、
劇のなかで、人間の感情にふれ(る場面を演じ)たとき、というのが印象的でした。
さて、このあとは、個々の練習(ダンス等)について具体化しましょうか?
個別のエピソードについて、ふれていきましょうか。
稽古そのものも、いつも順調にいったわけではありませんから、
そういう問題点について書くのもおもしろいかもしれませんね。
タイトル:うまくいかなかったことに学ぶことが
投稿時間:02/05/09(Thu) 20:51
投稿者名:斉藤俊雄
二人が死んでしまうシーンでの話いいですね。
僕らの劇でもこんな状況はある日訪れます。
突然訪れることではないですよね。今日は来そうだというのが空気でわかるんです。
そんな感じじゃないですか?
うまくいった話も面白いですが、うまくいかなかったことに学ぶことが多いという気がします。
僕の旅行記ではないですが(そんなものと一緒にしたら失礼ですよね)、
読むときには失敗談って面白いものです。
それでいて伝わるものがある(僕の旅行記にはないですよ)。
科学の発明も、失敗から生まれてくるわけですし。そこら辺のところが聞きたいですね。
タイトル:Re: 練習上の問題点から
投稿時間:02/05/11(Sat) 08:52
投稿者名:かめおかゆみこ
今回は期間が短かったせいもあって、よくありがちな(と思える)個人間でのいざこざは、
私の知る限りでは、とくに起きていなかったように思います。
ただ、これは、演出の井上さんの配慮も相当にあったように思うのです。
別に、プロをめざしているわけでもない異年齢集団の場合、
「劇をやるために来ている」とはいっても、
ときには、なかなか稽古に集中しきれなかったりということはありました。
厳しく叱咤するタイプの演出家もいると思うのですが、
井上さんの場合は、とても根気よく、怒るときでも、なぜ怒るのかを伝えようとしていました。
誰かの表現ですてきなところは、見逃さず、すぐに言葉にして、
みんなに伝えていたことも印象的でした。
『手古奈』の場合、ほとんどが集団演技です。
一人ひとりが、「その気」にならないと、場が盛り上がらないのです。
前にも書きましたが、一場面一場面、順を追ってつくっていくわけですが、
その過程で、「今、何のためにそこにいるのか」「あなたは何をしているのか」
ということを、問いかけながら、役づくりをしていくわけです。
最初のところで、手古奈と、わらべたちが遊ぶ場面。
とくに年齢の低い子どもたちは、せりふを言うこと=劇と思ってしまいがちです。
ここでは、やはり、エチュードが有効だったと思っています。
場所を設定して、「自分なら、手古奈とこのことで遊びたい」ということを考えてもらい、
劇にはないせりふ(自分の言葉)で手古奈に語りかけ、実際に一緒に遊びます。
花を摘んだり、花飾りをつくったり、小石をひろったり、かけっこをしたり。
余裕があれば、実際に外でそういう遊びをしてもよかったかもしれませんが、
想像の野原でも、けっこう楽しく遊べたのではないかと思います。
もちろん、それが一度や二度で、効果としてあらわれたわけではないです。
脚本にもどると、せりふにとらわれるというくせはなかなか抜けません。
それでも、このエチュードをやっておくことで、「あのときのあの感覚だよ」という感じで、
共通理解をつくっていった部分はあると思っています。
なお、井上さん自身は、こうしたエチュードをやっている時間はありませんので、
打ち合わせをしながら、稽古のあいまに、私が担当してやりました。
歌声も、最初はなかなか声が出ませんでした。とくに小学生たちは、
実際の舞台に対するイメージがありませんから、
どのくらいの声が必要とされるのか、わからないという面もありました。
一度は、こんな練習をやりました。
2人組をつくって、二手に分かれ、全員で歌を歌うのですが、
そのときに、たとえば1連目はAチームからBチームに歌いかけ、
2連目はBチームからAチームに歌いかける。
で、歌っていないがわが、自分の組んだ相手の声を聞いていて、
よく聞こえたらマル、聞こえなかったら「もっと」のサインを出す。
発声法からいったら、むちゃくちゃで、とんでもないと怒られそうなのですが、
子どもたちは、こういう競争(?)はけっこう楽しんでやるのです。
なんとか、ほかの声に負けないように、大きな声を出そうとしているうちに、
自然に、今まで出なかった声を体験しています。
それに、子どもって、夢中になって何かやっているときには、自然にリラックスしていますから、
思ったほど、のどに負担がかかっていなかったりもするのです。
私自身は、このやり方の効果のひとつは、自分の声の限界を超える、
ということだと思っています。
「自分はこれしか出ない」と思い込んでいるケースが、けっこう多いのです。
みんなでゲーム的にやることで、気づかぬうちにその限界を超えているのです。
『手古奈』の場合も、このあと、急速に声量があがり、勢いが出てきました。
タイトル:Re^2: 練習上の問題点から
投稿時間:02/05/11(Sat) 22:56
投稿者名:斉藤俊雄
>「自分なら、手古奈とこのことで遊びたい」ということを考えてもらい、
>劇にはないせりふ(自分の言葉)で手古奈に語りかけ、実際に一緒に遊びます。
>花を摘んだり、花飾りをつくったり、小石をひろったり、かけっこをしたり。
>余裕があれば、実際に外でそういう遊びをしてもよかったかもしれませんが、
>想像の野原でも、けっこう楽しく遊べたのではないかと思います。
>もちろん、それが一度や二度で、効果としてあらわれたわけではないです。
>脚本にもどると、せりふにとらわれるというくせはなかなか抜けません。
>それでも、このエチュードをやっておくことで、
>「あのときのあの感覚だよ」という感じで、
>共通理解をつくっていった部分はあると思っています。
この感覚いいですね。
僕もご存じの通り「自然劇場」と名付けた演劇部恒例の自然観察会で自然の中で遊びます。
この遊びがそのままエチュードになると考えてます。
「あのときのあの感覚」という共通感覚の大切さは子どもたちが劇をやる上で
とても大切なことだと思います。
僕も前作の「降るような星空」では劇に出てくる星をみんなで探してみましたし、
次回作の「化鳥伝説」で重要な役割を担う青い鳥・オオルリは昨年日光でみんなでみた鳥です。
ラストシーンでみんなあの時のオオルリを心に描けることでしょう。
森がなくなるという感覚も、みんなが共通してあの森という森を思い起こせるのがいいです。
演劇には様々な役割があり、地域との結びつきを深めることという場、
劇を通しての子どもたちが成長する場でもあるので、
発声とかもそんな感じでいいのではないかと思います。
それでいて芸術性をも追求しているのですからそれは更に素晴らしいことだと思います。
「限界を超える」ということばがでてきましたが、
大人は子どもの能力を過小評価しているというのが教師をやっていての感想です。
子供は大人が考えているよりずっとずっと素晴らしいものを持っています。
それを大人だけでなく子ども自身も知らない。
大人がそれを引き出してあげたとき子どもは「限界を超える」よろこびを感じるのでしょう。
でも大人が持っているものが狭いと、その限界の向こう側まで連れて行ってあげられない。
子どもに「自由に自由に」といっていて子どもは実に狭いところで自由になっている。
僕がファシリテーターについて考えるときにも、じつはそこのところが問題となるのですが、
ファシリテーター(ときに演出家)の内面が広く、深いほど
子どもたちの自由さも広がり創造活動も生き生きとしてくる。
井上さんはそんな方だというのが文から伝わってきます。
でも子どもたちのもっているその可能性がわからない人は、
自分が見たことのない舞台を見るとすぐ「専制」ということばを持ち出してくる。
もうげんなりです。あー何度この言葉を浴びせられたことか。
ごめんなさい話が逸れてしまいました。これからの展開楽しみにしています。
タイトル:「手古奈」再開 ダンスについて
投稿時間:02/05/23(Thu) 21:06
投稿者名:かめおかゆみこ
個人的な話で恐縮だが、私はダンスが苦手です。
より正確には、勝手に踊れと言われれば、音楽なしでも平気で踊りますが、
振り付けが覚えろと言われると、これがまるきし覚えられないのです。
ふだんから、右と左をときどき間違える人間なので、
振り付けを覚えようとすると、てきめんまごまごしてしまいます。
だから、子どもたちを見ていると、その柔軟さにつくづく感心します。
今回、ダンスの振付担当は、
横浜市緑区ミュージカルの振付でも活躍しているカネコキヨミさんです。
カネコさんの振付の指導を見ていて、二重に感心してしまいました。
実に、指示のしかたがみごとなのです。
まず歌詞がある。もしくは、「○○の場面で曲と踊り」という台本上の指定がある。
そうすると、曲を聴き、歌詞を見ながら、
その場に登場するメンバーに、次々と立ち位置や動きの指示を与えていくのです。
頭のなかに湧いてくるイメージにしたがって、それを伝えていくという感じです。
「ここに立って、そう、こうしてターン」
「大きく回ってみる? あなたから、はい」という調子。
たとえば、村娘たちが最初に登場するシーン。
ここは、この時代のこの国での労働のようすを見せる場面としてつくってあります。
音楽にあわせて、娘たちが、海藻をとり、洗って干して取り込む。
その過程を歌にしたのですが、
カネコさんは、その歌詞を忠実に表現する振付をしてくださいました。
歌いながら、そうした動きが「踊り」として再現されていく。でも、けっして説明的ではない。
当たり前だが、ちゃんと、観照して美しい踊りになっているのです。
なっていながら、彼女たちが何をしているかが、よくわかるのです。
さらには、海辺で働く女たちのたくましさ、快活さもあわせて表現されている。
これが、本当の、劇の音楽の振付なのだと深く感心しました。
実は、これまで、いくつか観てきたミュージカル系の舞台の振付は、
あまり感心できるものが多くなかった記憶があります。
ダンスとしては、非常に美しかったり、華やかだったりするのですが、
ダンスのためのダンスになってしまって、劇の場面と遊離している。
極端に言えば、踊りの前後で、物語が全く動いていない。
あるいは、すでに説明されたことを、ダンスで再現しているだけという気がするわけです。
作詞をするとき、私の気持ちのなかには、「歌もせりふの一部」という気持ちが強くありました。
せりふが高揚していって、歌わずにはいられない場面、場面が歌を要求する場面。
そこにダンスが入ってくるという発想です。
(もちろん、歌うだけで、ダンスの入らないシーンもありますが)
兵士たちと村人たちの闘いの場面もおもしろかったです。
ト書きには、無責任にも(笑)「村人たちと兵士、対立する」などと書いてあるのですが、
この場面によって、村人たちの、手古奈への気持ちが表現されるし、
全体にはせりふの少ない兵士たちの見せ場もつくれるわけです。
単に、緊迫感を出すだけでなく、部分的にはユーモラスに見えるやりとりもいれて、
劇としての楽しみのある場面になっているのですよ。
そして、こうした振付を覚えていく子どもたちに、本当に感心します。
これまで書いてきたように、場面と密接につながり、
ある意味、ストーリーをしっかりもった振付だからこそ、
覚えやすいという側面はあっただろうと思います。
それでも、カネコさんは、1回とおしてしまうと、もう繰り返さないのです。
あとは、子どもたちが、自分で覚えて、練習しなければならないのです。
休んだ友だちの分は、
学校の休み時間や日曜日の午前中の自主練習の時間などにフォローしていました。
稽古の場では、いちいち確認しているひまはないのです。
しかもカネコさんは、稽古を見ながら、しばしば振付を変更していきます。
よりその場を生かす動きを、常に考えているのです。
振付の変更は、本番の直前までおこなわれました。
ちなみに、スタッフ陣の中で、カネコさんは一番「厳しい」と評判でした(笑)。
が、もちろん、子どもたちには慕われていました。
質の高いものを、妥協なくまっすぐに要求する−−。
子どもと関係において、ときには、それが必要なことだってある。
おとなと子どもの、甘えのない、いい関係を見させてもらうことができた思いでした。
タイトル:Re: 「手古奈」再開 ダンスについて
投稿時間:02/05/23(Thu) 22:29
投稿者名:斉藤俊雄
再開心待ちにしていました。
> ちなみに、スタッフ陣の中で、カネコさんは一番「厳しい」と評判であった。
> が、もちろん、子どもたちには慕われていた。
> 質の高いものを、妥協なくまっすぐに要求する−−。
> 子どもと関係において、ときには、それが必要なことだってある。
> おとなと子どもの、
> 甘えのない、いい関係を見させてもらうことができた思いである。
いいですね。これこそほんとうの意味での創造でしょう。
僕もダンスの練習はかなりやるのですが、僕のそれは身体表現を鍛えるためのダンス。
もちろんダンスのためのダンスではありません。
でもダンスもときに入れますけど。
ダンスを通して立ち姿がどれだけ美しくなるか、
それは本気でダンスに取り組んだ人しかわからないのかもしれません。
ダンスが、いかに劇に役に立つかを(ダンスに役に立つかではなく)
もっともっと知ってもらいたいと思っています。
タイトル:「手古奈」について スタッフとサポーター
投稿時間:02/05/24(Fri) 22:11
投稿者名:かめおかゆみこ
思い出したことを、思い出したままに書いていきます。
どうぞ遠慮なく軌道修正してくださいね。
スタッフのことについて、少し書いてみたいと思います。
演出・振付等のスタッフは、プロのかたにお願いしたわけですが、
こまごました部分については、サポーター的なスタッフがどうしても必要です。
これについても、募集時に同時に呼びかけたのですが、
最初の時点では、確か、3人前後だったと記憶しています。
一人は、出演者の家族のかた。
あとは、「出演はできないけど協力したい」というかたちの応募だったと思います。
ところが、芝居をつくっていくということは、さまざまな作業があるわけです。
とくに、今回のように、50人からの子どもたちが出演する場合、
家族への連絡とか、本当にいろいろな配慮が必要になってくるわけです。
そうしたなかで、協力なサポーターがあらわれました。
もともと、行政といっても、直接の窓口は青少年指導員協議会。
ここのかたがたが、発会の当初から参加してくださっているわけです。
別に、もともと必ずしも演劇に造詣のあるかたばかりとは限りません。
正直、このミュージカルのことを、手放しで賛成しておられないかたも、
いたのではないかと思います。
でも、ここでも、子どもたちのエネルギーがおとなたちを変えていきました。
指導員で、担当になったかたがたが、交代で稽古の見学に来られるのですが、
口々に、「子どもたちのパワーに感動した」とおっしゃるのです。
週末の、後半にもなると一日5時間以上に及ぶ稽古を、
ただじっと、見学のために参加してくださるのです。
正直言って、そのことのほうに感動しました。
だって、自分の子どもが出演しているわけでもない、
まして、自分自身は演劇関係者でもなんでもない。そんなかたが、
毎回、ただ5時間以上も見学だなんて、普通はなかなかできないことですよ。
そして、差し入れをしてくださったり、清掃を手伝ってくださったり。
そうです。自主的なサポーター・スタッフとしての力になってくださったのです。
さらに、強力なサポーターは、出演者の家族のかたがたでした。
けっこう遠いところからも参加していたり、交通の便が悪かったりするので、
小学生たちの場合は、家族に送り迎えしてもらうケースも少なくなかったのです。
稽古は、いつも時間いっぱい行われます。ときには多少ずれこみます。
そうすると、迎えにきた(おもに)おかあさんたちが、稽古のようすを見ていくのです。
見るうちに、やはり、同じように感動してくださるのです。
こうしてサポーターになってくださったかたがたのおかげで、
周辺部分の細かいフォローがなされ、層が厚くなっていったのだと思います。
ただ、残念ながら、(あるいは当たり前ともいうことができますが)
どんなに子どもたちが一所懸命に稽古をしても、見てもらわない限りは、
この感動は伝わらないのです。
青少年指導員のかたがた、行政のかたがたにも、それぞれの事情はあり、
このミュージカル自体も、活動のほんの一部に過ぎないとは思います。
結果的に、一度も稽古を見に来ていただけなかったかた、
そして本番も来ていただけなかったかたには、
やはり、本当の意味での、子どもたちの活動のすばらしさは、
理解していただけなかった部分があるような気がしています。
そろそろ予算の問題にもふれていかなくてはならないと思っていますが、
それと、今書いたこととは、無関係ではない部分を含んでいるように思います。
ちょっとシビアなところになるかもしれません。
タイトル:重なる部分が多いです
投稿時間:02/05/24(Fri) 22:26
投稿者名:斉藤俊雄
> でも、ここでも、子どもたちのエネルギーがおとなたちを変えていきまし
>た。指導員で、担当になったかたがたが、交代で稽古の見学に来られるの>
>ですが、 口々に、「子どもたちのパワーに感動した」とおっしゃるのです。
子どもたちのパワーが大人達を引き込んでいく。それはよくわかります。
それだけのエネルギーを持った活動だったから引き込めたのでしょうね。
パワーだけでなく、そのパワーから生まれた作品がよかったからこそということも
当然あったと思います(作品がよかったからパワーが生まれたともいえますね)。
> さらに、強力なサポーターは、出演者の家族のかたがたでした。
> ただ、残念ながら、(あるいは当たり前ともいうことができますが)
> どんなに子どもたちが一所懸命に稽古をしても、
> 見てもらわない限りは、この感動は伝わらないのです。
太東中の演劇部でも休みの練習ともなると、たくさんの保護者が見に来ます。
はじめのうちは本番を楽しみにといってあまりきませんでしたが。
そのうちに練習を見る楽しさというものがわかってきたようで、
また練習を見てもらうことで理解も深まるということがあります。
現在も一番強力なサポーターとなってくださっています。
練習を見たことがない他県の演劇部指導者(教師)からは、
二度「専制」という言葉を使われ番のアンケートで批判されましたが、
いつも練習を見に来てくださっている保護者からはそのようなことばはきかれずありがたいです。
僕も練習はすべてオープンですから。
練習を見るということで子どもとともに歩みながら本番を迎えるという感動が生まれます。
それがなんともいえずいいものなのですね。
練習を見ると舞台に立っている人だけでなく、袖の動き、スタッフの動きも見ることになり、
舞台というものを深く理解できるようになることもメリットの一つだと思います。
あー熱いものが甦ってきますね。また子どもたちといっしょに劇がやりたい。
そんな気持ちでいっぱいです。
タイトル:「手古奈」予算と村上さんについてのこと
投稿時間:02/05/25(Sat) 20:01
投稿者名:かめおかゆみこ
本当に、どれだけ、自分たちが楽しみながら、エネルギーを伝えられる活動ができるか、
そこが、活動を成功させる一つのかぎであるように思います。
そのためには、多少のがんばりというものは、やはり必要になってきます。
これは、ケースバイケースですので、一般論にはなりませんが、
今回は、そういう部分について、少し書いておきたいと思います。
前回も書いたように、最初から周囲のおとなたちが、「味方」になってくれたわけではありません。
とくに、行政のかたがたは、直接的に演劇を知っているとは限りませんから、
区民祭りの一環として行うことになったとはいえ、
最初のうちは、誤解も少なからずあったことは事実です。
たとえば、予算について。
区が、このミュージカルのために提示した予算は、85万円でした。
さらに、区民が気軽に観劇できるように、入場料は無料にするとの方針。
正直、かなり厳しい予算であることは、おわかりいただけると思います。
他地区を参考にすると、受益者負担というかたちで、参加する子どもたちから、
一定の参加量を集めているところも少なくありません。
それはそれでもちろん方法なのですが、昨年は、企画が立ち上がったのも遅く、
募集をかける時点で、そこまで整備することは、とても間に合いませんでした。
けれども、プロの演出や振付師、そして舞台監督を頼むのに、
−−その人たちは、それ自体を職業としているわけですから−−
ボランティア的な金額でお願いするわけにはいきません。
また、大道具なども、あらためて製作しなければならず、その費用もかかります。
まともに一本のミュージカルを制作しようとするならば、ある程度の出費は当然なのですが、
その「当然」の感覚は、
演劇をやっている人と、やっていない人によって、大きく異なります。
これについては、途中、いろいろ打診も行われたようですが、
大きな歩みよりを見せることはできませんでした。
結論から言うと、約40万円の赤字が出ました。
そしてそれは、制作責任者である村上さんが、すべて負担しました。
区は、もともとの予算が決まっていますから、たとえ公演が大成功を収めようと、
金額を変えることはできなかったのだと思います。
また、個人的に申し訳ないと思ったのは、作曲の金子忍さんです。
最終的には、19曲にも及ぶ作曲をお願いすることになり、
『手古奈』の成功は、この膨大な尽力を抜いては考えられませんでした。
けれども、「市内在勤」ということから、「市民の活動」という扱いになり、
区からは、一切出金されませんでした。
ただ、私は、ここで行政批判をするつもりは一切ありません。
すべてには、プロセスというものがあります。
本当にやりたいと思った人間たちが、心を合わせ、力を合わせていくから、
いつか、もっと多くの人たちにわかってもらえるようになっていくのです。
『手古奈』の試みは、昨年が最初でした。
行政も、私たちも、何もかもわからないところからスタートしたわけです。
誤解もあれば、行き違いもある。それを、「当たり前」のこととして、
こうした活動を続けていくときには、お互いが少しずつ理解を深めながら、
よりよい方向を模索するしかないということです。
そのためにも、私たちは、よりいっそう、
明るく楽しく生き生きと活動をしていくことが大切なのです。
そのつど、必要な要求はしていきます。
でも、そこに固執はしません。もっと大きな目標があるからです。舞台を成功させたいという。
たぶん、それが、村上さんの考え方であり、方法論なのだと思います。
最初から、自己負担が出るのは覚悟の上で、関わっておられたようです。
とくに、村上さんは、ご自身の実践から、大道具には思い入れがありました。
もっと安上がりな舞台装置をつくることも可能だったのかもしれませんが、
そこは、妥協したくなかったのだと思います。
ちょっとシビアな話になってしまったかもしれませんが、
単独の公演と違って、行政と手をたずさえていくときには、立場が違うので、
それを超えていく努力や仕掛け、そして時間が必要だということをお伝えしたかったわけです。
さて、次は何について書きましょうか? 質問、ありましたらよろしくお願いします。
タイトル:Re: 「手古奈」予算と村上さんについてのこと
投稿時間:02/05/26(Sun) 13:34
投稿者名:くりはら
ほんとうにためになる参考文を執筆して下さってありがとうございます。
最初からずっと読んで、そのパワーが伝わってきて、
そのパワーなくしてやはり舞台は創れないのだとつくづく思いました。
さて、ボクからの簡単な質問です。
これまでに書かれたことともダブルかもしれませんが、ご容赦下さい。
1.この舞台でのダンスの種類はどんなものなのですか?
クラシック系とか、ジャズダンス系とか、ヒップホップ系とか・・・。
2.手伝って下さったスタッフ、ボランティアの役割などを教えて下さい。
メイクのこととか、衣装の制作から管理とか、当日の受付やスタッフさんの弁当の手配など。
またそういうスタッフサイドの打合せなどには、時間をとりましたか?
子ども達の親との関わりなども・・・。
3.次回の作品、舞台などの予定はありますか?
4.チケットは無料ですよね。80万と40万ですか?
ものすごく大変な制作でしたね。ところで会場のキャパと当日の入りはどうでしたか?
5.公演回数は一回ですか?
6.公演の宣伝などはどうされましたか?
行政が入ると宣伝などが助かりそうな気がするのですが・・・。
スポンサーとか、広告とかはなかったのですか?
7.この公演の制作において、子どもが主体となる舞台ですので、
やはり教育性というものが表に立ったのですか?
子ども達の競争原理とかお互いの励まし合いとか、け落としあいとかは見られましたか?
8.この公演に入場料金をつけるとしたら、いくらになりますか?
もちろんかかった費用とお客さんの数から算出するという方法もありますが、
こういう舞台を創った時、
もしチケットを出すとしたら相場的にどれくらいになるのだろうと思いまして・・・。
9.かめおかさんから見て、この舞台は教育的役割、ショー的役割、アート的役割と
比率を出すならどうのような配分になりますか?
参加した方々はどのような意識でのぞまれたのでしょう?
10.チラシとか、パンフの存在は?
今まで黙っていた分を出してしまいました。
抽象的な質問もあるかと思いますが、
「こんな感じかな?」と思いつきで答えて下さって結構です。
的が外れていたらまた質問させて下さい。
お手数かけますが、よろしくお願いいたします。
タイトル:Re^2: 「手古奈」予算と村上さんについてのこと
投稿時間:02/05/26(Sun) 14:22
投稿者名:かめおかゆみこ
くりはらさん、ありがとうございます。
この質問のラッシュ、とーってもうれしいです。(^○^)
1.この舞台でのダンスの種類はどんなものなのですか?
クラシック系とか、ジャズダンス系とか、ヒップホップ系とか・・・。
私はダンスは詳しくはありませんが、
モダンダンス&ジャズダンスの組み合わせではないでしょうか。
カネコキヨミさんの主宰するスクールのホームページがありますので、
よかったら、のぞいてみてください。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/5754/
あと、実際にご覧になりたかったら、本番のビデオがありますので、お貸しできます。
2.手伝って下さったスタッフ、ボランティアの役割などを教えて下さい。
メイクのこととか、衣装の制作から管理とか、当日の受付やスタッフさんの弁当の手配など。
またそういうスタッフサイドの打合せなどには、時間をとりましたか?
子ども達の親との関わりなども・・・。
メイクは、基本的には高校生(もと演劇部)が中心に、演劇部員たちがリードして、
ほかのメンバーのフォローにあたりました。
といっても、凝ったのは、都人の行麿くらいで、(しっかり白塗り)
わらべたちなんか、もう、昔のわんぱく小僧みたいな、泥んこの顔でしたけど!
衣装の制作は、原則、各自です。だから、家族(お母さんとか)が協力しています。
衣装・小道具とも、管理は自主管理。稽古は常に衣装を着てやりましたから、
毎回、持ってきては持って帰るというスタイルをとっていました。
だから、けっこう大変だったんですよ。
村娘は、水おけを抱えて移動だし、兵士なんか、やりとか刀とか。
自分で、やりを入れる袋をつくって、それに入れて持ち歩いていた子もいましたね。
自分の衣装だし小道具だから、しっかり管理していましたよ。本当にえらいなと思いました。
当日の受付・弁当の手配等々、このあたりで、活躍してくださったのが、
このあいだふれた、青少年指導員や家族でスタッフになってくださったかたがたです。
スタッフの打ち合わせは、必要に応じて、子どもたちを帰したあと、やっていました。
さらに、メインスタッフ(演出など)の打ち合わせは、しょっちゅうで…。
これは別名「飲み会」とも言うのかもしれませんが。(笑)(いやあ、よく飲みました!)
3.次回の作品、舞台などの予定はありますか?
これは、別スレッドの斉藤さんの質問とも重なりますので、今回はパス。
もう少し先に書けると思います。書ける範囲で書くと、目下、検討中ということです。
4.チケットは無料ですよね。80万と40万ですか?ものすごく大変な制作でしたね。
ところで会場のキャパと当日の入りはどうでしたか?
600弱のキャパなのですが、張り出しにしたため、実際には500ちょっとです。
午前・午後、満員御礼立ち見状態でしたから、合計で1000〜1200人近く入ったとおもいます。
5.公演回数は一回ですか?
上記に書いたとおり、2回です。10時と14時。
ちなみに公演時間は、90分弱。(市川公演のときには、80分で収まりました)
6.公演の宣伝などはどうされましたか?
行政が入ると宣伝などが助かりそうな気がするのですが・・・。
スポンサーとか、広告とかはなかったのですか?
広報誌に載せてもらうなどの援助はしてもらいました。
あと、学校にちらしを配ったりするときも、
行政が入っているということで、スムーズに受け入れられるというありがたさはあります。
スポンサーとか広告までは一切手が回りませんでした。
これまで書いてきたように、実際に決定したのが、5月とか6月で、7月末に発会式。
とにかく、決定から本番まで、半年なかったのですから。募集段階のちらしなども、
間に合わないので、こちらがつくって配布しました。
7.この公演の制作において、子どもが主体となる舞台ですので、
やはり教育性というものが表に立ったのですか?
子ども達の競争原理とかお互いの励まし合いとか、け落としあいとかは見られましたか?
演出の井上さんは、プロの演劇人ですから、
基本的には「見るに耐えうる舞台をつくる」ということを、最初から言ってらっしゃいました。
ただ、同時に、おとなのプロのやり方を押しつけてもダメだということはわかってらっしゃって、
言葉の使い方、指示の仕方等は、本当にていねいで、心配りのあるものでした。
そして、「こんな状態では初日を迎えられないよ!」という、厳しさもときにはのぞかせながら。
おとなの(とくに商業演劇の)ダミーをつくってもしょうがないわけで、
子どもたちが子どもたちのまま輝く舞台にしたいというのは、
スタッフの共通した思いであったとも思うのです。
中学生が書いた脚本をもとにしようとしたこと自体が、その原点といえると思います。
その意味では、教育的といっても間違いではないと思っています。
たぶん、月謝制のお稽古事のように、同じメンバーで顔をつきあわせていると、
くりはらさんが言われるような、競争原理とかも生まれてくるのかもしれませんが、
今回は、そんなひまもなかったのだと思います。(笑)
90分で、10曲(ソロも含めて)も歌が入ってくるし、ダンスの数もいっぱいあるし、
劇をつくっていくことで、みんな夢中だったのではないかと思います。
それと、途中にも少し書きましたが、やはり異年齢集団のすばらしさですね。
小3から高3.10歳も幅があるのです。
自然に、高校生・中学生が、年下のメンバーの面倒を見るようになり、
ああ、昔の地域社会の子どもたちって、きっとこんな感じだったんだろうなあと、
ある種の感慨さえ覚えてしまったほどなのです。本当におもしろかったです。
8.この公演に入場料金をつけるとしたら、いくらになりますか?
もちろんかかった費用とお客さんの数から算出するという方法もありますが、
こういう舞台を創った時、
もしチケットを出すとしたら相場的にどれくらいになるのだろうと思いまして・・・。
うーん、相場というのはむずかしいですねえ。
ちなみに、市川での再演のときは、市が後援に入ってくれたので、
会場費の減免がきき、入場料は、おとな1000円、中学生以下500円でした。
青葉区のお隣の緑区では、数年前から先行して区民ミュージカルをやっていますが、
こちらは、一昨年まで、おとな・子ども一括1500円。
昨年から、おとな1500円、子ども(たぶん中学生以下)1000円になりました。
プロではない演劇ということを考えると、このあたりが妥当なのかもしれません。
笑われそうですけど、やっばり、私としてはみんなで見にきてもらえるとうれしいので、
家族チケットとか、ペアチケットなんかがあってもいいなと思います。
金額の額に関わらず、個人的には、有料公演のほうに賛成の立場です。
自分のお金を使って、芸術鑑賞をするということを、もっと習慣にすべきです。
ただのものを享受している限り、批評眼は育たないし、
批評のないところに、すぐれた芸術も育ちません。
9.かめおかさんから見て、この舞台は教育的役割、ショー的役割、アート的役割と
比率を出すならどうのような配分になりますか?
参加した方々はどのような意識でのぞまれたのでしょう?
これまたむずかしい質問! 実のところ、考えてみたこともありません。(笑)
たぶん、ほかのメンバーたちも、意識的にそういうふうに分けては考えていなかったでしょう。
上述したように、つくっていく上でのスタンスは、
「子どもがつくるものだからといって、子どもだましと言われるようなものにはしない」
ということは、一貫してありました。
だから、やはり、アート的役割が一番強かったと思います。
ショー的役割というのは、よく理解できませんが、いわゆる商業演劇的な視点でしたら、
ほとんどゼロに近いのではないかと思います。
教育的役割は、結果論です。芸術が直接的に教育の役割をめざすのは間違いだと思います。
でも、結果的に、すぐれた芸術が、すぐれた教育的役割を果たすことは、
今に始まったことではないと思っています。
このあたりは、シアター教育、ドラマ教育といった話になっていくと思いますので、
語るにしても、項を移したほうがいいでしょうね。
10.チラシとか、パンフの存在は?
本番用のものは、行政で用意してくれました。
こちらが、仮のものをつくった版をそのまま使って、上質紙で。(^^ゞ
以上です。
ああ、細かい質問ってありがたいですね。
書いていると、楽しくて楽しくて、あのときのことがどんどんよみがえってきます。
斉藤さんも書いてくれたような、次回公演に関する質問は、
たぶん、来週、回答することができると思います。
上記に触発されて、また新たな質問がありましたら、ぜひよろしくお願いします。
3月に、手古奈伝説のおひざもと・市川市で再演になったわけですが、
そのあたりの経緯についても、書きましょうか?
タイトル:Re^3: 「手古奈」予算と村上さんについてのこと
投稿時間:02/05/27(Mon) 13:05
投稿者名:くりはら
ほんとうに細々と答えてくださってありがとうございました。
全部の答えにコメントをしたいのですが、今日のコメントはこの点にさせて頂きますね。
> 金額の額に関わらず、個人的には、有料公演のほうに賛成の立場です。
> 自分のお金を使って、芸術鑑賞をするということを、もっと習慣にすべきです。
> ただのものを享受している限り、批評眼は育たないし、
> 批評のないところに、すぐれた芸術も育ちません。
その通り!
> 教育的役割は、結果論です。芸術が直接的に教育の役割をめざすのは間違いだと思います。
> でも、結果的に、すぐれた芸術が、すぐれた教育的役割を果たすことは、
> 今に始まったことではないと思っています。
ボクもそう思いました。
なんか、コメントと言うより「あいのて」で終わってしまいました。
今までの文章をしっかりたたき込んで、自分の活動のプラスにしていこうと思いました。
また疑問ぶつけさせてくださいね。
そいぎ!
タイトル:同じ気持ちです
投稿時間:02/05/27(Mon) 22:25
投稿者名:斉藤俊雄
くりはらさんと同じで「あいのて」で終わってしまうのですが一言。
今回のかめおかさんの返信を読んで、
やはり自分が「これは」と思った取り組みは「これは」と思う何かがあったのだと感じました。
> たぶん、月謝制のお稽古事のように、同じメンバーで顔をつきあわせていると、
> くりはらさんが言われるような、競争原理とかも生まれてくるのかもしれませんが、
> 今回は、そんなひまもなかったのだと思います。(笑)
これこれこれですよこれ。競争原理とかが生まれてくるひまもなく
みんなで熱い思いで一つのことに向かっている、そんな取り組み、「これだよな」と思います。
大村はまが
「教室をいきいきと」で国語での取り組みを論じているところで
「どの子どもも屈辱を感じない、感じないと言うよりも、
適当な材料で適当な方法で面白くなりますと、
そういうことをそういうことを考えたり気にしたりしなくなってきます、
(中略)力のあるこる子もそうで力一杯やっているときには、自分の方が優秀であるかないかなんて、考えて いる隙がないと思います。そういうとことを考えるのは一つの隙、たるみです」
なんて言っていて、
こういう取り組みをしたことがない、またははなからできるわけがないと思っている人には
理想論に聞こえるようですけど。でもそうなんです。
> おとなの(とくに商業演劇の)ダミーをつくってもしょうがないわけで、
> 子どもたちが子どもたちのまま輝く舞台にしたいというのは、
> スタッフの共通した思いであったとも思うのです。
> 「子どもがつくるものだからといって、子どもだましと言われるようなものにはしない」
> ということは、一貫してありました。
いいですね、この方向性好きです。僕の「化鳥伝説」の中の台詞そのものですから。
> でも、結果的に、すぐれた芸術が、すぐれた教育的役割を果たすことは、
> 今に始まったことではないと思っています。
> このあたりは、シアター教育、ドラマ教育といった話になっていくと思いますので、
> 語るにしても、項を移したほうがいいでしょうね。
ぜひ、このあたりを聞かせてほしいですね。僕の考えを深めるためにも。
このあたり自分も一番考えていることなので。
> 3月に、手古奈伝説のおひざもと・市川市で再演になったわけですが、
> そのあたりの経緯についても、書きましょうか?
よろしくお願いします。興味津々です。あっなんか一言ではなくなってしまいましたね。
タイトル:熱い思い
投稿時間:02/05/25(Sat) 20:08
投稿者名:斉藤俊雄
演劇って村上さんのような熱い思いで支えられている、そんな思いを強くしました。
さて、予算の問題を含めて課題はあるかと思いますが、
そんななか今年はどのような考えているのでしょうか。
また、「手古奈」を上演した子どもたちは、
終わった後のあの表情をみているときっと「今年もやりたい」と思っているでしょう。
彼女ら/彼らたちのそんな声も聞きたいですし、
今年もこのような企画が立ち上がるのなら現在の段階での取り組みを知らせてほしいです。
昨年の成功を受け、今年は行政側はどのような形でそれを続けようと考えているのでしょう。
今年もうかがいたいと思っています。
追伸
今日SHIGEさんの学校にワークショップを行いに出かけてきました。
その報告は「徒然なるままに」に書き込みますが、
その時SHIGEさんがこの特集をとても楽しみに読んでいると話してました。
タイトル:Re: 熱い思い
投稿時間:02/05/26(Sun) 07:37
投稿者名:SHIGE
>報告は「徒然なるままに」に書き込みますが、
その時SHIGEさんがこの特集>をとても楽しみに読んでいると話してました。
召還されたようなので、出てきました。(笑)
入り込める話では無いのでレスはつけませんが
今年、地区のまとめ役になり、多くの方と協力して薦める立場になりました。
講習会、発表会等もあり、他校の先生方や
生徒、行政とも協力して進めていかなければなりません。
また、船橋の戸沢さんからもアドバイスを頂いて、
実現できるかわかりませんが春の交流会に近いものも探っていきたいと思ってます。
そんな意味でとても参考になりますし、
生徒の指導ということでも、いろいろなことが伝わってきます。
毎回、とても楽しみです。
それにしても「森の広場」は、私の知る限り唯一の演劇がきちんとはなせる掲示板です。
ずいぶん世界が広がりました。
タイトル:Re^2: ありがとうございます
投稿時間:02/05/26(Sun) 14:26
投稿者名:かめおかゆみこ
> そんな意味でとても参考になりますし、生徒の指導
> ということでも、いろいろなことが伝わってきます。
> 毎回、とても楽しみです。
SHIGEさん、ありがとうございます!
斉藤さんのワークショップも充実していたようで、よかったですね!
本当に、出会いはドラマそのものです。私も、『手古奈』でさまざまな人と出会い、
斉藤さんとは前からの知り合いだったけれど、こうした機会を得て、
本当に、深いところで語り合うことができて、とてもうれしいです。
そして、SHIGEさんという、体育系出身にも関わらず(!)とても熱心に子どものことを考え、
演劇のことを知ろうとする人と出会えて、
昨年から今年にかけて、私にとってはドラマ・ラッシュといった感じです。
もちろん、別スレッドで質問の嵐をくださったくりはらさんもね!
みなさんに、あらためてお礼を申し上げます。m(__)m
タイトル:「手古奈」 子どもの変容をもたらすために
投稿時間:02/05/30(Thu) 20:13
投稿者名:かめおかゆみこ
先日のくりはらさん提供の話題のなかで、「教育的役割」という話が出てきました。
先日も書いたように、私にとってそれは結果的な効果であり、
「教育的にいいから演劇をやろう」という切りかたをするつもりはありません。
でも、「演劇」「演劇教育」を全く知らない人が、そのことをきっかけに、
少しでも、興味や理解を深めてくれるなら、そういう話もときにはいいかなと思ったりします。
教育的役割とは何か。結論から先に言うと、
「自分がそこで何をしなければならないかを、自分の意志で選ぶこと」
それができるようになることに尽きるのではないかと思っています。
学校でも家庭でも、子どもたちはしばしば、自分の意志ではなく、
何かをする(させられる)という立場に立たされます。
以前、演劇部の生徒と話をしていて、「責任をもたされる」という言い回しに、
どきんとしたことがあります。
私にとって、「責任」とは、権利のようなものだったからです。
自分の力(判断)でそれを進めていい、というGOサインだと思っていた。
そんなすてきな体験が、回避したいもののようになってしまうなんて…。
でもよくよく考えてみれば、子どもたちが「責任」をもつ立場にたってみたものの、
最終決定はおとなにあった、などというケースが
けっして少なからずあるのですから、その欺瞞を感じ取って、
そんな対応に出ているのかもしれません。
さて、『手古奈』における最終責任は、もちろんおとなの側にあります。
でも、同時に、子どもたちが本気にならなければ、できない舞台です。
最年少のK君(小3)などは、最初のうちは、読みあわせをしていても、
すぐにちょろちょろと走り回る始末だし、
「おいおい、何しにきたんだあ」と、内心で頭を抱えたりしました。
でも、そのK君が次第に変わっていくんですね。
前にも書きましたが、子どもたちの変化は、
「自分たちが何をやっているのか」を実感したころから始まりました。
逆にいえば、この時点まで、演出の井上さんも、
じっと辛抱して待っていたといえるかもしれません。
強制的に動かしても、それは表面的なかたちをつくるだけで、
創造的な何かを生み出すことにはならない。
子どもたちの内面が動くきっかけを、
さまざまに繰り出す時間がそのときまでにあったということになるのでしょうか。
K君には、兵士と村人たちの争いのなかで、
つかまって、殺されそうになるところを、手古奈に救われるという場面がありました。
最初のころの稽古では、ポーズはとっているものの、表情が笑っているのです。
台本で、そうなっているから、やっているだけ。
でも、全体の雰囲気のなかで、彼は彼なりにつかんだのだと思います。
表情が変わりました。
その前の、石ころを投げるシーンでも、真剣そのもの。
石を投げられる行麿役のHくん(高3)が、「いてて、手加減してくれ〜」と
悲鳴をあげたほどでした。(笑)
子どもの変容について書くつもりで書き始めたのですが、
実のところ、子どもの変容をもたらすためには、
まず、おとなの側が、コントロールをやめて、
まっすぐに向き合うことが必要なのだと、あらためて感じさせられました。
おとなが−−この場合は、指導者が、ということですが−−
どこまで、おとなとして真に必要な役割を選ぶかによって、
子どもたちに、何を手渡してあげられるかが、決まってくるのだと思います。
これは、子どもにたいする「教育的役割」というよりは、
むしろ、おとなにたいする「教育的役割」なのかもしれませんね。
90分に及ぶ芝居を、週末の稽古だけでつくっていくということは、大変なことではありましたが、
心配しながらも、子どもたちが本当に動きだす瞬間を待ちつづけた
井上さん(をはじめとするスタッフたち)を、あらためてすごいなと思います。
子どもを信頼して、「待てる」おとなになること。
そして、そのために必要なサジェスチョンを出しつづけていくこと。
芝居に限らず、そうした体験が、おとなを、より、おとなとして、成長させてくれるのかもしれません。
タイトル:「待つ」ということを考える。
投稿時間:02/06/02(Sun) 18:30
投稿者名:斉藤俊雄
「待つ」ということを考えてみたいと思います。
僕は井上さんがただ待っているように見えるときにこそ、
最高のアプローチ(最高の教育的配慮)がなされていたはずだと思うのですがいかがでしょうか。 これは指導 者側にゆとりと経験がなくてはできないことだと思います。
それは豊かな知識、教養、そして未来を見つめるまなざしに支えられていることを
忘れてはいけないとも思います。
これを演劇を始めたばかりの未来を見つめるまなざしのもてない人が行うと、
とんでもないことになることになることがあります。
誰もが「待って」うまくいくわけではない、そうも思います。
「子どもを信頼して待てる」ためには、
待つ側に「子どもに信頼される」にたるだけのものがなくてはならないのではないでしょうか。
教育の世界で、子どもを信頼しているのに、信頼して待っているのに、
思ったような結果がもたらされないということが今あちらこちらで起こっています。
「演劇と教育535号」に次のようなことが書かれていました。
◆ 今、学校でも教師の手で演劇活動がおこなわれています。
その時にぼくらは、注意をしなくちゃいけないこと、警戒しなくちゃいけないことで
いくつかあげているんですけど、
たとえば、子どもに教師の趣味趣向を押しつけていくような演出指導。
子どもがここはゆっくりでてきたいのに、ここは速く走って来なきゃだめなのよとかいって、
そういうことを要求していく。
教師のイメージの中にはめていくという作業。
あるいはそれと非常に近いんだけど、身振り手振りの、
まさに「向こうの山には」の当て振り的な演技ですまそうとするか、
あるいはそこに組み込んでいこうとする。
要するに子どもの発想とか、子どもの要求とかいったことを、十分に引き出さずに、
(中略)形だけ作っていくような。
そういうような劇づくり、演劇活動を指導している教師たちもいると。
我々はそういう教師たちに、もっと子どもの思いなどを拾い上げて、
劇をつくっていってほしいなということを、
雑誌などを通して注文したりしているんですけどね。 ◆
当て振りを取り入れるのは教師だけでなく、演劇を知らない生徒こそよくすることです。
「当て振りを取り入れたい」というのは、
「速く出たい」と思うのと同様、「子どもの思い」の一つです。
その延長線上で語られる「子どもの発想」なるものが、
僕らが十分引き出すべきものなのだろうかと考えてしまいます。
当て振りをしたい生徒の思いを拾い上げることが、
当て振りの多い劇の創作になるということにも繋がってしまいます。
これは少し変です。 語られるべき「子どもの発想」ってこんなものではない。
僕はこれを読んでそう思いました。
「速く出たい」程度じゃあんまりだ。
子どもの発想にはもっともっとすばらしいものがたくさんあるのに。
僕はここで語られる教師がまずしなくてはならないことは、
子ども伸ばすために
自分がたくさんの演劇(または演劇人)に触れるなかで演劇を勉強することだと思います。
子どもと向かい合っていくその実践と平行して、
世界を広げ多様な価値観を身につけていくことだと思います。
そんな場としても「手古奈」のような取り組みはとても重要です。
生きた演劇を学べる場があるということですから。
このような場が各地にでき、繋がっていくことが今求められていると思うのです。
でもそんな場が今なさすぎる。
問題はそこにあるのではないでしょうか。
さて、僕が「もっと子どもの思いなどを拾い上げて、劇をつくっていってほしいな」と考えるのは、
前述のような教師ではなく、演劇をよく知っている教師です。
劇をよく知っている教師の一部は、知っているからこそ「待つ」ことをせず、
自分の型にはめていく。
「待てるだけのものがあるのに待たない」、そんなことがあるかと思います。
前述の言葉はそんな人たちにこそ有効なのだと思います。
特に学校演劇に携わる人には、このところを大切にすべきではないでしょうか。
自分も「待つ」ことができるように(自分では待ってると思ってますが)、
日々勉強していきたいと思います。
広く、深く、世界を知りたいと思います。また、自分の中に多様性を存在させたいと思います。
プロの演出家井上氏のもとで行われたこの「待つ」ということの大切さ、考えたいと思います。
あー、熱があったからでしょうか、なんか書いている文が重いですね。
タイトル:Re: 「待つ」ということを考える。
投稿時間:02/06/03(Mon) 10:32
投稿者名:かめおかゆみこ
「待つ」ということは、ものすごいエネルギーを必要とします。
たぶん、そこを誤解する人は、たくさんいるでしょうね。
プロセスをしっかり見つめて、足りないところもいろいろ見えているにも関わらず、
それを伝えるための、最高の(できうる限りの)タイミングがやってくるのを待つ。 −−ということです。
その機が熟していないと判断したときには、じれったくても自分を抑える、 とういことができないと、
往々にしてかたちだけをつくる指導になるでしょうね。
>「子どもを信頼して待てる」ためには、
>待つ側に「子どもに信頼される」にたるだけのものがなくては
>ならないのではないでしょうか。
これまでのプロセスを振り返ってみても、井上さんの配慮は随所にありました。
たとえば、配役のとき、なぜその子にその役を当てたのかを、きちんと伝える。
スタッフの誰よりも早く、全員の名前と顔を一致して覚えた。
子どもたちに話をするときも、できるだけその子の名前を呼んで話をする。
子どもたちが、自分(一人ひとり)が大切な存在として認められているという 実感をもてるからこそ、
その信頼にこたえたいとも思えるわけですよね。
あと、これは、井上さんの個性だと思うけど、笑顔かな。
いつも、とびきりの笑顔で稽古をしています。ふだんから笑顔なんです。
だから、小さな子どもたちも安心して、質問したりすることができるんですね。
>教育の世界で、子どもを信頼しているのに、信頼して待っているのに、
>思ったような結果がもたらされないということが今あちらこちらで起こっています。
ちょっときつい言い方になるかもしれませんが、
「思ったような結果」という言葉自体に、私は「偽の信頼」を感じてしまいます。
そこに、指導者のがわの「コントロール」を感じます。
私にとって信頼するということは、事象で判断するということではなく、
その人間そのものを、受け入れるということです。
その人間の本性を信頼して、どこまでも一緒に歩んでいくということです。
「結果」は、そこに至ってみなければわからないと私は思っています。
「思ったような結果」が、「本当に望ましい結果」かどうかはわかりません。
一般的に「正しい結論」が、必ずしも、その集団を生かすことにならないことは、
私自身、たびたび体験してきました。
そのとき、その人、その集団の関係によって、何が起きるかわからない。
何が起きるかわからないところに、ともに入っていく覚悟が必要でしょう。
(これは、演劇だけに限らないことだと思いますが)
ちょっとえらそうに書いてしまいましたが、これは私の理想です。
私自身、試行錯誤しながら、迷いながら、手探りしているところです。
>当て振りを取り入れるのは教師だけでなく、演劇を知らない生徒こそよくすることです。
そうですね。多くの場合は、学芸会で仕込んできたかたちです。
「知らない」というより、 それが演劇であると思い込まされてきた、といったほうが正解でしょう。
『手古奈』の稽古では、井上さんは、自然さをとても大切にしていたと思います。
たとえば、手古奈の花婿を選ぶ場面では、 登場人物たちの多くが、
観客に背を向けたまま、座って演技をしています。
背中だけが、観客との接点であるともいえます。
「からだ全部で表現して」ということを、私も稽古のときに言いました。
大切なことは、「振り」をすることではなく、 「いる」(存在している)ということではないでしょうか。
そこに、確かに「いる」ことが、そのまま演技につながっていくのだと思います。
「いる」ことが信じられないから、「振り」をすることで、かたちをつけようとする。
でも、それは、うそです。型(しかも貧弱な)を見せているだけです。
> 語られるべき「子どもの発想」ってこんなものではない。…
>子どもの発想にはもっともっとすばらしいものがたくさんあるのに。
私は、出発点として、そういう発想があってもかまわないと思っているのです。
でも、「子どもの発想だからそのままとりあげる」ということは、違うと思います。
それは、私たちおとなの発想が吟味され磨かれるのと同様に、
子どもたちの発想もまた、吟味され、磨かれることによって輝くものとなります。
上述したように、「学芸会の当て振り=演劇」と思い込んでいるとき、
それは、本当の「子どもの発想」ではありません。
ただの借り物です。 「子どもの発想」を大切にするとき、
「その発想のもとになっているものは何かを見る」ことはとても大切です。
思い込みやすりこみをはずしていってやって、初めて、
子ども本来の、生きた発想が生まれてくるのだと思います。
ただ、子どもにたいして、「それは間違っている」と言ってしまうのではなく、
「なるほど、そういう表現もあるね」と、いったん受け入れて、
「でも、あなたのふだんの生活のなかで、そんなふうに動くかな?」など、
新たな問いを投げかけてやる方法もあると思うのです。
子どもたちが、「〜〜してみてもいいですか?」と聴きに行くと、 井上さんはいつも、
「じゃあ、それ、やってみようよ」と、こたえていました。
このやり方に、私は共感します。
実際にやってみて、それから「どうだろう」と振り返ってみるわけです。
どんどんアイデアを出してくる子どもにたいしては、
「ここ、もっと、おもしろくならないかな?」と、 井上さんが逆提案していることもありました。
そうすると、子どもが考えてきて、またそれを検証することになるわけです。
> 僕はここで語られる教師がまずしなくてはならないことは、
>子ども伸ばすために自分がたくさんの演劇
>(または演劇人)に触れるなかで演劇を勉強することだと思います。
>子どもと向かい合っていくその実践と平行して、
>世界を広げ多様な価値観を身につけていくことだと思います。
私は、自分が北海道の田舎の出身だから思うのですが、
直接、芝居を見られるチャンスというのは、とても限られているのですよ。
もちろん、本を通して勉強することも含めて、学ぶことは大切なことですが、
もっと大切なことは、指導者が一人の人間として、
目の前の子どもをどうやって「輝かせて」あげることができるかを 真剣に考えることだと思います。
舞台の評判はどうなるだろうとか、自分の評価はどうなるだろうとか、
そんなことに振り回されずに、子どもを真剣に見つめることだと思います。
その意味で、「多様な価値観を身につける」ことは、本当に大切ですね。
> そんな場としても「手古奈」のような取り組みはとても重要です。
地域によって、さまざまなかたちがあっていいと思います。
場合によっては、必ずしも舞台発表を最終目標にしなくてもいい。
たとえば、シアター・ゲームだけを楽しむ集団があってもいい。
そういう「多様さ」のなかで、公演というかたちがあるほうが望ましいです。
これは、あくまでも私の考えですが。
>プロの演出家井上氏のもとで行われたこの「待つ」ということの大切さ、
>考えたいと思います。
あえて書きますが、井上さんは、でも、相当じりじりしていたとは思いますよ。
(笑) 誰もが、そんなに余裕をもって待てるわけではないと思います。
でも、そのときに、「かたちを急ぐか」「やっぱり待つか」 それが分岐点になるのではないでしょうか。
舞台が終わったあと、井上さんが、 「子どもたちを信頼してましたから」と言ってました。
それを、プロの余裕とかそういうふうには思わないでもらいたいですよね。
プロだからこそ、たぶん、普通の人が考える以上に、
けっこう胃の痛くなる思いをしていたんじゃないかと思います。
「待つ」って、本当に大変なことですね。
タイトル:生きた発想とは何か
投稿時間:02/06/03(Mon) 22:29
投稿者名:斉藤俊雄
>そうですね。多くの場合は、学芸会で仕込んできたかたちです。
>「知らない」というより、それが演劇であると思い込まされてきた、といったほうが正解
>でしょう。
そして、この子どもがそのまま大人になれば学芸会で学んだことを教える教師となるわけですね。
こう考えるとやはり演劇を教える側が、学ぶ機会が必要ですね。
今総合的な学習で、演劇を取り入れているところがたくさんありますが、
一つ間違えると(というかあちらこちらで間違えていますが)、
そういう演劇が一気に広がる危険性も秘めているわけですね。
そしてその子どもたちの何人かが、その後演劇に触れることなくまた教師になる。
中学校では小学校以上に劇に触れることは少ないかもしれません。
演劇鑑賞などやっているところはほとんどないですし。演劇部も当て振り多いですね。
その演劇部の演技を見ていると、それがまたすり込みになるでしょうし。これ、悪循環ですね。
当て振りそのものを考えるよりも、
その背景、またはもっと違った角度から考えなければならない問題だと思います。
演教連などの団体がイニシアチブをとって。演教連にそんな熱さがほしいです。
要求しているだけではだめですね。僕は熱く動いていくつもりですが…。
できることがあったら言ってください。
>上述したように、「学芸会の当て振り=演劇」と思い込んでいるとき、
>それは、本当の「子どもの発想」ではありません。ただの借り物です。
>「子どもの発想」を大切にするとき、
>「その発想のもとになっているものは何かを見る」ことはとても大切です。
>思い込みやすりこみをはずしていってやって、初めて、
>子ども本来の、生きた発想が生まれてくるのだと思います。
本物の発想ってなんでしょう。
生まれてくるものはある意味でほとんど借り物から生じるものではないでしょうか。
この場合借り物とは悪い意味で使っているわけではありません。
その点でいうと本物の発想ってそれを判断する人の主観によるところが大きいのではないですか。
当て振りを教える教師も、「本当の子どもの発想」と思うこともあるでしょう、
それはかめおかさんが感じる「本当の子どもの発想」と違うわけです。
そんな意味で何が生きた発想というのもその内容を考えていくとなかなかむずかしい。
「思いこみ」や「すり込み」を外したら何ものこらないのではないかと思う自分です。
これだけ書くと語弊があるのですが、
ある人が「思いこみ」や「すり込み」と考えていることではない何かも、
「思いこみ」や「すり込み」と同じある知識(これもうまい表現ではないかも?)から生まれているはずですし、
その知識も他者からもたらされたものであるはずですし。
発想はやはりその人の持っている知識から発展的に生じるものでしょうし。
かめおかさんのいう「生きた発想」とは、
それは発想の内容というより、その発想に至るまでのプロセスを表すものでしょうか。
そんな風にかめおかさんの言葉を考えると、なんかすーっと言葉が胸に降りてくる気がします。
懐の深い指導者のもとでは、子ども(大人だってそうです)たちは本当に様々な発想をしていきますし、
その過程は本当に生き生きとしているものですから。
指導者を巻き込んだ熱いムーブメントを求めていきたい。そんな気持ちです。
タイトル:Re: 生きた発想とは何か
投稿時間:02/06/06(Thu) 09:49
投稿者名:かめおかゆみこ
斉藤さん、とても鋭い発言をありがとうございました。
自分の論旨のあいまいなところを洗い直してくれる感じで、とても刺激的でした。
>そして、この子どもがそのまま大人になれば
>学芸会で学んだことを教える教師となるわけですね。
>こう考えるとやはり演劇を教える側が、学ぶ機会が必要ですね。
演劇を学ぶことも、もちろん大切なのですが、
もっと大切なことは、「学んだことを鵜呑みにしない感覚」を、
おとなも子どもも育ててほしいというのが、私の究極の願いです。
「他者の情報を受け入れながらも、最終的には自分で選択する」感覚です。
多方面のいろいろなかたとお会いしていると、いつも感じるのは、
分野は違っても、根っこのところで共通したものが感じられるということです。
単純に言うと、柔軟性と、自己信頼、とでもいうのでしょうか。
そういう感覚をもっている人であれば、極端な話、演劇を学んでいなくても、
ある程度は、子どもの生き生きした感覚を生かせる舞台をつくれるのではないかと
(ちょっと楽観的すぎるかもしれませんが)思ってしまうのです。
もっとも、たぶん、そういう人であれば、必要と感じたときには、
すぐに、演劇を学ぶ態勢に入るのではないかとも思うのですけれどね。
>当て振りそのものを考えるよりも、その背景、
>またはもっと違った角度から考えなければならない問題だと思います。
上記の話、斉藤さんの言いたいところと少しは重なるでしょうか?
もちろん、個人の努力だけでなく、もっと全体の問題、大きな流れとして
つながりのなかで考えていけたらとは思っています。
>要求しているだけではだめですね。僕は熱く動いていくつもりですが…。
>できることがあったら言ってください。
私もいろいろ模索しています。 組織で動くより、個人で発想して動いたほうが、早い場合もあります。
お互いに、アイデアを出し合いましょう。
>本物の発想ってなんでしょう。
>生まれてくるものはある意味でほとんど借り物から生じるものではないでしょうか。…
>「思いこみ」や「すり込み」を外したら何ものこらないのではないかと思う自分です。…
>発想はやはりその人の持っている知識から発展的に生じるものでしょうし。
このあたり、何度も読み返し、うなずきながら考えました。
どうも、自分でわかっていることを他人に伝えようとするとき、 表現が乱暴になってしまうのだなと、
ちょっと反省したりもしながら。
言われることに、基本的に反論はないです。私の言葉不足が大きいです。
私は、生徒にも、どんどん過去の作品を読みなさいと勧めるし、
必要を感じたら、調べたり、聞いたり、いろいろやることをやるべきであって、
自分の持ちゴマだけで勝手に判断するなとも言っています。
過去の知識を否定するつもりは全くありません。
ただ、「いったん吸収したら、自分のなかで吟味しなさい」ということを
(もう少し言葉は噛み砕いて言いますが)伝えたいと思うのです。
シェル・シュルバスタインの『おおきな木』(篠崎書林)に、とても好きな言葉があります。
「でも、それは、ほんとかな?」
私たちは、どんなにすぐれた指導者や権威ある書物から教わったことでさえ、
この言葉をもって、咀嚼すべきだと思うのです。
何でもかんでも懐疑的に考えろということではなく、いったん受け取ったあとに、
もう一度自分のフィルターにかけろということです。
(念のため、「自分のフィルターにかけて受け止めろ」ではありません)
で、もし、付け足すことがあるとしたら、「その人の持っている知識」プラス
(これまた乱暴な言い方になりますが)「直感力」です。
舞台というものは、当然ながら知識だけではつとまりません。
「なぜかわからないけれど、どうもこういう感じがする」という部分が必ずある。
芸術っていうのは、基本的にそういうものではないでしょうか。
私の感覚でいうと、この直感力というのは、日常ではほとんど否定されていますから、
トレーニングしていかないと育たないのです。
だから、「子どもの発想を大切にする」というとき、
「自分の直感をためす」体験を提供しているということもできるのです。
「どうもこういう感じがする」と子どもが言ったら、
「それじゃ、それでやってみようよ」と、実際にやってみる。
で、「やってみて、どうだった?」と検証する。
自分のなかで何か確信があって、動いているとき、子どもの返事もはっきりします。
でも、それこそ「刷り込まれた(自分が納得しているわけではない)知識」で やっているとき、
答えを出すときも自信なさげです。
私のほうからも、必要に応じてアプローチします。
「あなたが〜〜しているとき、私は××のように感じたのだけれど、どう思う?」 というようなかたちで、
そのとき、子どものなかで何が動いているかを 一緒に探っていきます。
子どもの実感に即した発想に至ったとき、はっきり表情が変化します。
個人差はありますが、まさに、「生き生きした」反応が返ってくると思います。
こうした「からだ感覚」に即して、どのように反応しているかが、
私にとっては、判断の分かれ目ということがいえます。
>かめおかさんのいう「生きた発想」とは、それは発想の内容というより、
>その発想に至るまでのプロセスを表すものでしょうか。
思いついた、それだけでは「発想」は、ただの「思いつき」のままです。
それを発展させるプロセスがなければ、
前回、斉藤さんが書かれた 「子どもの発想だから」で止まってしまうケースも
出てくるのではないでしょうか。
話がだんだん、『手古奈』からそれてきてしまったようです。
これについては、必要に応じてまたスレッドを起こすことにして、
次回からは、千葉での再演の話に移っていきたいと思います。
タイトル:自分の意志で選ぶこと
投稿時間:02/06/02(Sun) 15:04
投稿者名:斉藤俊雄
投稿ありがとうございました。心から面白く読みました。 それを前提に質問させてください。
>教育的役割とは何か。結論から先に言うと、
>「自分がそこで何をしなければならないかを、自分の意志で選ぶこと」
>それができるようになることに尽きるのではないかと思っています。
まずはこの点です。 「自分がそこで何をしなければならないかを、自分の意志で選ぶこと」
というのは、プラス思考選ぶ意志と考えてよいことでしょうか。
あるクラスの学級会の研究授業、生徒達がプラス思考で自分の意志を決定していったとします。
参観者はその取り組みを評価するでしょう、
そのとき教師は次の言葉を誇らしげにいうことができるでしょう。
「子どもは○○という選択をしました。でも私がそうもっていったわけではないのです。
自分たちで決めたのです」
こんな状況ではこの言葉は何となく素晴らしく響きます。
しかし、これが 「みんなで○○を仲間はずれにすることに決めた」ということなら
(学級会でこんなことは起こり得ないかもしれませんが)、
「子どもは○○という選択をしました。
でも私がそうもっていったわけではないのです。自分たちで決めたのです」
という言葉は美しく響くどころか、単なるいいわけとなってしまします。
以上のことは自分たちの意志で、自分の意志とはちょっとずれますが、
僕は上のような場合も下のような場合も、
教師は子どもと積極的にかかわりを持つべきだと思っています。
また、かめおかさんの文を読んでいると、
演出の井上さんは「待つ」なかで、未来を見つめるまなざしを持ち、
かかわりをしっかり持っていると感じます。
かめおかさんは以前の対話の時、
「子どもたちといっぱいかかわっていく」とおっしゃっていました。
そのかかわりの中で、
「やろう」と「自分の意志で選ぶ」ようにもっていくことが教育的役割と考えますか。
僕は…、そう考えます。
タイトル:Re: 自分の意志で選ぶこと
投稿時間:02/06/03(Mon) 10:37
投稿者名:かめおかゆみこ
話題がどんどん広がっていきますね。
>「自分がそこで何をしなければならないかを、自分の意志で選ぶこと」
>というのは、プラス思考選ぶ意志と考えてよいことでしょうか。
根底にあるのは、「自分という存在を受け入れる」という感覚です。
だから、自分をおとしめたりマイナスに追い込む意志にはなりません。
(ならないような働きかけが必要です)
自分の存在を大切に思うということは、他者の存在の意味にも気づくことです。
自分だけがよい、という発想にはならないはずです。
自分だけがよい、という発想がもし生まれるとしたら、
その陰には、 「自分は他者におびやかされるかもしれない」という怖れが隠れているはずです。
それでは、本当の意味で、自分の存在を受け入れてはいないことになります。
>「子どもは○○という選択をしました。
>でも私がそうもっていったわけではないのです。自分たちで決めたのです」
この言葉が、もし、「だから私には責任はない」という免罪符になるのだとしたら、
それは、教育の仕事ではないと私は思います。
私は教員ではありませんが、指導者としての役割は担っていますから、
この言葉をもし私が発したとしたら、そこから生じてくる事象にたいして、
私が責任を負うということを意味します。
>教師は子どもと積極的にかかわりを持つべきだと思っています。…
>演出の井上さんは「待つ」なかで、未来を見つめるまなざしを持ち、
>かかわりをしっかり持っていると感じます。
ふじたあさやさんにたいしても、同じことを思ったことがありますが、
ある種の演出家は、ときとして、教師以上に教師的です。
ここでいう「教師」とは、「子どもの可能性を育てる」という意味で使っています。
たぶん、『手古奈』が、もっと未完成の状態で終わったとしても、
井上さんは、それを子どもの責任にはしなかったでしょうね。
>「子どもたちといっぱいかかわっていく」…
>そのかかわりの中で、「やろう」と
>「自分の意志で選ぶ」ようにもっていくことが
>教育的役割と考えますか。
>僕は…、そう考えます。
関わるということは、コントロールすることではありません。
一人ひとりの可能性の方向を探りながら、たくさんの選択肢を、提供してあげる、ということです。
それも、ちょっと先に生まれた私たちが、わかっている範囲の選択肢であって、
もちろん、子ども自身が自分で発見する選択肢があったっていいわげです。
これは、本当にものすごい忍耐力が必要になりますね。
子どもによっては、一回の舞台ではダメな場合だってあると思うのです。
もし、一回の舞台ですべて開花せよと要求されてしまったら、
子どもにとってもつらいものがあるでしょう。
『手古奈』の舞台にしても、 役者全員が、すばらしい出来であったわけではありません。
当然、個人差があります。
でも、それが当然だし、それぞれのプロセスを大切にすべきなのです。
ここは、微妙なところではありますが、
ときには、強く要求する場合だって必要なこともあると思うのです。
強く要求することによって、その子の可能性がひらかれるのなら。
その判断をどうするかが、指導者の見極めどころともいえますね。
『手古奈』のときにも、当然、それはありましたよ。
ちなみに、私は、ふだんの稽古ではめったに怒りませんけれど、
言うべきときには、けっこうきつい言いかたをすることもあります。
でもそのときには、指導者の立場としてではなく、 一人の人間として話しているつもりです。
本気で、本音で、かけひきなく、自分をさらしてぶつけているつもりです。
舞台と同じで、この人生も、常にある意味で「即興」(瞬間性)なのです。
誰も、答を用意してくれない。
自分で選んでいかなくてはならない。
演劇という場が、さまざまなかたちでそれを保障してくれます。
演劇でなくても、あらゆるものがそういうチャンスをくれるのですが、
直接、「自分以外の人物を演じる」という体験は、
−−また、そうした活動に役者以外の立場からも関わるという体験は−−
スポーツやその他の活動とはまた違った意味があると思います。
演劇教育のもつ意味・必要性は、そういうことだと思います。
その時間を、最大限にすばらしいものにしたいから、本気になるのです。
タイトル:『手古奈』再演に向けて
投稿時間:02/06/11(Tue) 20:13
投稿者名:かめおかゆみこ
ではようやく、再演の話にいきたいと思います。
ここから先は、それほど詳しく書く内容はないと思いますので、覚え書き程度に。
ただ、再演についての気持ちは、早くから村上さんのなかにはあったようです。
というのも、『手古奈』伝説は、もともと千葉県市川市にあり、
最初の脚本を書いた中学生も、取材のために、この地を訪れたりしています。
市川市には、手古奈を祀る祠などもあって、伝説をしっかり継承しています。
それだけに、せっかくの作品を、伝説のおひざもとでもやりたいという思いがあったわけです。
2001年11月3日、午前と午後の二回公演。満席・立ち見の盛況。
村上さんは、事前に市川市に連絡をとり、「ぜひ見に来てほしい」と呼びかけました。
2名のかたが、足を運んでくださいました。
(お名前・肩書き等は、私のほうでは忘れてしまいました。すみません)
そして、心から感動をしてくださいました。
そして、村上さんの「再演ができたら…」という言葉に、
「実現すればすばらしいですね」というようなやりとりをされて帰られたようです。
終演後の軽い打ち上げ(差し入れのお菓子で)の席で、
村上さんは、子どもたちに、「もし再演できたら、したいと思うか?」と声をかけました。
「したい」「したい!!」いっせいに声があがりました。
今にも、市川に行きそうなくらいの雰囲気でした。
「いや、まだできると決まったわけではないので…」と、
あわててストップをかけるようなひとこまがありました。
その後の詳しいいきさつについては、実は私は把握してません。
ただ、見に来てくださったかたの「すばらしい」という言葉はけっしてお世辞ではなく、
市川でも、そのことは、しっかり伝えていただけたようなのです。
その後、村上さんが、「再演の可能性は…」とコンタクトをとるなかで、
教職員組合の関係の人と連絡がとれ、
「では、実現に向けて、組織に働きかけてみましょう」という内々の返事をもらったのは、
12月の末でした。
(正式決定は、年が明けてからでした)
実は、このスタート時点ではちょっとした懸念がありました。
実行委員会というかたちでスタートすることになったものの、
実質的に、組合が受け皿になるということで、市や教育委員会などが、
「組合が関わるなら」と距離を置くのではないかという怖れです。
でも、それは杞憂に終わりました。
打ち合わせを続けるなかで、まず、市川市文化会館が、共催に入りました。
そして、市川市・市川市教育委員会・市川商工会議所・市川市少年文化推進会議・市川市ユネスコ協会が、
次々と後援にまわってくれたのです。
さらに、真間史蹟保存会・市川でよい芝居を見る会・市川民話の会・全教市川・合唱団プリマペラ
…市内の、子どもの文化にかかわるさまざまな分野の団体が、
この公演のために、協力団体として名乗りをあげてくださったのです。
こうして、初演の11月から、わずか2か月にして、再演が正式決定しました。
正直、幸運の女神が味方した…としか言いようのないような展開でした。
このあと、再演までの動きについてふれて、おしまいにしたいと思います。
何か質問がありましたら、お願いします。
タイトル:Re: 『手古奈』再演に向けて
投稿時間:02/06/11(Tue) 23:28
投稿者名:斉藤俊雄
> 打ち合わせを続けるなかで、まず、市川市文化会館が、共催に入りました。
> そして、市川市・市川市教育委員会・市川商工会議所・
> 市川市少年文化推進会議・市川市ユネスコ協会が、
> 次々と後援にまわってくれたのです。
> さらに、真間史蹟保存会・市川でよい芝居を見る会・市川民話の会・
> 全教市川・合唱団プリマペラ…
> 市内の、子どもの文化にかかわるさまざまな分野の団体が、
> この公演のために、協力団体として名乗りをあげてくださったのです。
> こうして、初演の11月から、わずか2か月にして、再演が正式決定しました。
「プロジェクトx」を見ているようです。
この場面はドラマですね。読んでいてぞくぞくします。
いよいよクライマックスという感じです。
「手古奈」のはじめの場面がツリーから消えてしまいました。
過去ログには入っていますが。早く対話のコーナーで紹介しないと。
次回作の「化鳥伝説」も作らなければならないし…。
とりあえず早く続きが読みたいです。市川での観客の反応も含めて。
タイトル:Re^2: 『手古奈』再演に向けて
投稿時間:02/06/12(Wed) 18:58
投稿者名:かめおかゆみこ
受け皿になってくださったかたがたは、ビデオで舞台を見てくださっています。
実際の舞台の感動には及ばないでしょうが、
それでも、あの舞台にかけた子どもたちの熱気は伝わったと思います。
幸いしたのは、市川市が、手古奈伝説を、市の文化的な目玉としてとらえ、
前年から、「手古奈祭り」を催したりなど、力を注いでいたことでした。
再演の日は、2002年3月25日と決まりましたが、
この日は、前年に、そのお祭りで、伝統音楽などによる、
手古奈伝説上演が行われた日でした。
会場の市川市文化会館のレストランの名前まで「手古奈」。
市や教育委員会が協力的だったのは、こうした背景もあったようです。
それにしても、よく決断してくださったものだと思います。
教育委員会が関わったことで、会場費こそ減免になったものの、
一つの公演を遂行するには、宣伝費など、
さまざまな面で費用もかかります。
そのため、入場料をおとな1000円、子ども500円と設定することになりました。
いくら子どもたちの熱演とはいえ、プロではない、しかも全く見ず知らずの関係です。
こうした公演で、「縁故関係に頼れない」ということは、本当に厳しいものがあります。
実際、3月に入るころまでは、チケットはほとんど売れませんでした。
学校で、ちらしの配布は許可になったものの、現金の授受は校内ではだめ、
といわれたこともブレーキになったかもしれません。
また、本当は、地元の新聞に記事として載るはずだったのが、
事情があって、載らずじまいになってしまったという経緯もありました。
横浜のほうでも、ただ、再演をお願いしているわけにはいきません。
まず、移動のためのバス代(貸切)は、自分たちが負担することを決定。
出演者から、一人4000円を徴収しました。
父母にも呼びかけて、市川まで見にいってくれるようにお誘いしました。
3月に入って、スタッフとして関わってくれている青少年指導員のかたが、
「市川まで、ちらしを配りにいきます」と、申し出てくださいました。
2か所の駅前で、休日をつぶして、街行く人々にちらしを配ってくださったのです。
自分の子どもが出演しているわけでもない劇のために。しかも、手弁当で。
このかたがたの情熱に心を打たれるとともに、そんなふうに心を動かした子どもたちって、
本当にすごいとあらためて思いました。
市川のかたがたも、ことある機会に宣伝をし、チケット売りに奔走してくださいました。
本番の2週間くらい前から、ぐぐっと、チケットの販売数が伸びてきました。
前日には、昼は7割がた、夜の部も半分くらいはめどがつきそうだということになりました。
大健闘です。
実は、出演する子どもたちにとっては、再演は大変な問題でした。
公演日となった3月25日は、横浜は、公立学校の終業式にあたっていたのです。
幸い、校長会に連絡をとって、理解を求め、
朝、いったん学校に行って通知票をもらって出席扱いにしてもらうことで
折り合いがつきました。
その足で、指定してあった4か所の駅から、すぐにバスに乗って合流。
1時間半かけて、市川に向かうという強行軍です。
次回は、再演のための稽古のようすと、本番当日のことについて書きたいと思います。
タイトル:Re^3: 『手古奈』再演に向けて
投稿時間:02/06/12(Wed) 22:13
投稿者名:斉藤俊雄
> 実は、出演する子どもたちにとっては、再演は大変な問題でした。
> 公演日となった3月25日は、
> 横浜は、公立学校の終業式にあたっていたのです。
> 幸い、校長会に連絡をとって、理解を求め、
> 朝、いったん学校に行って通知票をもらって出席扱いにしてもらうことで
> 折り合いがつきました。
> その足で、指定してあった4か所の駅から、すぐにバスに乗って合流。
> 1時間半かけて、市川に向かうという強行軍です。
これは中学校の実情を考えるとけっこうすごいことです。
これが通ったということ、それだけで感心してしまいます。
みんなよく参加しましたね。劇に魅力がなければできないことです。
いよいよクライマックスですね。楽しみにしております。
タイトル:Re^4: 『手古奈』再演当日
投稿時間:02/06/13(Thu) 18:27
投稿者名:かめおかゆみこ
これは中学校の実情を考えるとけっこうすごいことです。
> これが通ったということ、それだけで感心してしまいます。
村上さんの学校の校長先生(市村節夫さん)が、
文化的な活動にたいして理解と造詣のある人だったことが、
活動の当初からプラスに動いていたなということを感じます。
このときも、関係各校に進んで連絡をまわすなどの配慮をしてくれたはずです。
もちろん、村上さんとの関係がよくなければ、
そのように対応してくれていたかどうかわかりません。
どんなにすぐれた実践家であっても、
足元の活動(自校での実践)がおろそかになってしまっていては、
周囲の協力は得られにくいと思います。
その意味でも、好ましいケースだったといえるのではないでしょうか。
さて、再演の稽古は、3月に入ってからの6回か7回にしぼりこまれました。
練習日は同じく、金・土・日・祝日を使って行われました。
学期末、子どもたちはさまざまな行事を抱えていて、大変でした。
とくに、小学6年生でミニバスケットボールと掛け持ちしていた子たちは、
3月下旬に、小学校最後の試合を控えていたのです。
練習ならいざ知らず、試合とあっては、休むわけにはいきません。
稽古の日数が少ないにも関わらず、メンバーがそろわない状態が続きます。
当然、稽古はなかなかテンションがあがりません。
さしもの演出の井上さんも、ちょっといらいらし、ゲキを飛ばす場面もありました。
(といっても、笑顔がベースの井上さんですから、あんまり怖くはないのですが)
書き送れましたが、約50名のメンバーのうち、不参加だったのは3名。
それぞれ、家の事情(前から予定が入っていた)などによるものでした。
かわりに、新たに加わったのが4名。
初演のときには、都合が合わず参加できなかったけれども、今度はぜひといううれしい申し出。
人数的に弱かった兵士に加わってもらったりして、パワーアップをはかりました。
こちらも、すさまじいスケジュールが待っていました。
とくに、ダンスと歌を、これだけの短い期間で覚えていかなくてはなりません。
参加が決まった時点で、本番のビデオと劇中歌のCD(初演のとき作成)を渡して、
自宅で練習してくるようにと伝えてはおきましたが、
やはり、実際にみんなと一緒に稽古をしなければ、できるものではありません。
ダンスについては、例によって、最終段階まで変更が入ります。でも、覚えました。
このエネルギー、このパワー、本当に脱帽です。
ちょっとほほえましいエピソードを一つ。
この稽古のなかで、痛かったことの一つは、主役の手古奈役の高校生が、
家庭の事情で、どうしても2日間、稽古に出られないことになったのです。
そのかん、現代の子ども役で、最初と最後しか出番のなかった小5の女の子が、
「2日間、手古奈の代役をやってください」と演出に言われました。
もう、はりきったのはりきらないのって。
もちろん台本片手の代役でしたけれど、おもしろいものですね。
言い回しが、もう、本来の主役の高校生そっくりなんです。
ずっと稽古を見てきているので、もうすっかりからだにしみついているんですね。
でも、とても生き生きとうれしそうに演じてくれました。
2日間のブランクのあと、戻ってきた主役の高校生は、
みんなに、「○○ちゃん、とってもよかったよ」といわれて、やきもちを焼いていたほどです。
一方、気の毒だったのは、村娘役で加わってくれた新メンバーの女の子。
なんと、本番の3日前に、盲腸で入院してしまったのです。
せっかくせりふも配分していたのですが、現有メンバーで急きょ割り振り。
本人も悔しがっていましたが、私たちもとても残念でした。
けれども全体としては、上述したように、稽古はなかなか盛り上がりません。
ある程度のところまではできているのですが、「何か」が足りない。
結局、前日のリハーサルのときでも、その「何か」を獲得することはできませんでした。
不安を抱えたままの再演本番…。
前回も書いたように、朝、学校で通知票を受け取った子どもたちは、
指定の場所でバスに乗り込み、一路、市川へ。
着いたら即、着替えてリハーサル。いえ、その時間はありません。
この日しか会館を借りることができなかったので、(予定が前日までびっしり)
舞台のほうは、朝から仕込みをしていましたが、思ったとおり手間取りました。
初めて乗る舞台にも関わらず、子どもたちには、場当たりの時間しか与えられません。
終えてすぐに、昼食。簡単なミーティング。
そして、15時開演。
うれしいことに、予想以上の観客が詰め掛けてくれています。
音楽が鳴り、会場の扉が開いて、子どもたちが歌いながら入ってきました。
その歌声を聞いた瞬間に、前日までの心配が吹っ飛んでしまいました。
生き生きと力強い声が、会場いっぱいに響きわたり、観客をひきつけます。
この日のために、わざわざ大阪から駆けつけてくれた私の友人は、
「最初の歌声を聞いたとたんに、涙が出そうになった」と語ってくれました。
小学校で演劇クラブの顧問をずっと続けている友人です。
歌声を聞いた瞬間に、この子たちがどんな稽古を重ねてきたか、
一瞬で理解したのでしょうね。
劇が進行しても、子どもたちのテンションは落ちることはありませんでした。
そのときわかったんです。昨日まで足りなかった「何か」とは何であるか。
笑っちゃいます。
「観客」だったんですよ。そしてホンモノの「舞台」だったんです。
初演の稽古のときには、月に1回は実際の本番の舞台で稽古をしていたのです。
でも、再演のときはそれは無理なので、間尺をはかって、
そのスペースのなかで稽古をするようにしていました。
でも、子どもたちは、それでは実感がわかなかったんですね。
この本番での強さとたくましさ! 大っ嫌いです(笑)。心配したのが損みたいでした。
18時からの二回目の公演も、観客はやや少なかったものの、6割くらいは入り、
夜の部なので、子どもの観客がほとんどいないなかでの上演にも関わらず、
子どもたちは、臆することなく、みごとに力を使いきりました。
次回は、観客の反応と、書き忘れたことをいくつか書きます。
もし質問がありましたら、これでおしまいになると思いますので、よろしくお願いします。
(書いているうちに、またエピソードが思い出されそうなので、
もう1回くらい延びるかもしれませんが)
タイトル:Re^5: 『手古奈』再演当日
投稿時間:02/06/13(Thu) 22:02
投稿者名:斉藤俊雄
> そのときわかったんです。昨日まで足りなかった「何か」とは何であるか。
> 笑っちゃいます。
> 「観客」だったんですよ。そしてホンモノの「舞台」だったんです。
いいですね。演劇はそれがなくては成り立たないというと反論もあるでしょうが、
でも、僕が取り組んできたものは観客なしには…
いよいよクライマックスですね。伸びるぶんにはいくらでもかまいません。お待ちしております。
タイトル:Re^6: 『手古奈』 を終えて
投稿時間:02/06/14(Fri) 21:17
投稿者名:かめおかゆみこ
15時の回が終わりました。観客が出口に向かって帰っていきます。
「よかったね」「感動した」そんな声があちこちから聞こえます。
縁故関係もなく、お世辞を言う必要などない観客です。
1000円(子ども500円)とはいえ、お金を払ってみてくれた観客です。
「あの子たち、児童劇団に入ってるんだよね、きっど」そんな声も聞こえました。
横浜での初演のときも、同じことを言っていた人たちがいました。
違うんですけどね。ほんとに、ゼロから始めてここまで来たんです。
一人の男の人が、「どうしてもひとこと言いたい」とやってきました。
地元で、手古奈の名を冠したお菓子をつくっている、和菓子屋の社長さんでした。
(上品な味の、凝ったつくりのお菓子でした)
子どもたちみんなの前で、社長さんは言いました。
「今日は本当に感動した。夜の部には、従業員たちにも見に来させる。
スポンサーになっていいから、できたら、もう一度、上演してほしい」
実は、このとき、私(たち)は、この言葉をリップサービスかと思っていました。
でも、社長さん、本気だったようです。
このときも、子どもたちとスタッフ一人ひとりに、お店のお菓子を配ってくれました。
また、夜の部には、本当に、従業員のかたがたが来ていました。
そのくらい感動してくれたのです。
けれども、再々演は、実現することは不可能な話でした。
メインキャストの一人、行麿を演じたH君は、高校3年生。
いえ、この時点ですでに、高校を卒業し、進路が決まっていました。
もう一度、これまでと同じかたちで、練習をすることは不可能なのです。
H君の話で、エピソードがあります。ここに書いても許してもらえると思います。
H君は、中学生のころ、「生徒指導室」の常連さんだったそうです。
村上さんは、いつもそこで、H君と会っていたそうです。(笑)
彼は、演劇部員ではありませんでした。
彼が、演劇を始めたのは、青葉区のお隣の緑区が、区民ミュージカルを始め、
それに参加したのがきっかけだったそうです。
その後、町田市の市民ミュージカルにも参加し、今回は青葉区に。
『手古奈』の稽古のあいだ、彼は、最高のリーダーの一人でした。
スタッフの人たちにはちゃんと敬語を使えるし、礼儀もわきまえている。
年下の仲間たちには、言うべきときにはびしっと注意もし、
でも、ふだんは、冗談を言ったり、遊んだりして、笑顔を見せてくれていました。
中学時代の彼を知っている人が見たら、きっと信じられなかったと思います。
演劇が彼を「成長」させた−−、と言っても過言ではないでしょう。
そして、もう一人、大きく成長したのが、最年少、小3のK君。
K君のことは、途中にも書いてきました。
最初は、チョロチョロして、全く落ち着きがなかったのに、
再演にあたっての最初の読み合わせのときには、
一時間半という長丁場にも関わらず、真剣に台本をチェックしていました。
小3の男の子が、90分もの間、じっと椅子に座って話を聞いているのですよ。
信じられますか? わずか半年の間の変化です。
彼は、そこで自分が何をしなければならないかを、はっきりと自覚していたのです。
だから、自分のとるべき行動を自分で選択したのです。
話を再演の当日に戻します。夜の部です。
満席にこそなりませんでしたが、6割以上は座席が埋まっていました。
しかも、おとなの観客がほとんどです。
そのおとなたちが、子どもたちの舞台に、本当に夢中になってひきこまれていました。
最後の大きな拍手。けっして義理ではあんな拍手はできません。
舞台がはねて、ロビーでお客様を見送ると、子どもたちは、劇の余韻にひたる間も、
着替える間さえもなく、荷物をまとめて、バスに乗り込みました。
メークをとるのも、着替えをするのも、バスのなかという予定になっていました。
小学生もいるので、帰宅するのがあまり遅くなっては、今後の活動にさしつかえる
という配慮でした。
朝、9時半に横浜を出発し、夜9時半に横浜に戻る。すさまじい強行軍です。
演出の井上さんと、音楽の金子さん、そして私は、
交流も兼ねて、実行委員会の人たちの打ち上げに同席しました。
すばらしい人たちでした。みんな、生き生きと、とてもいい笑顔をされていました。
そして、口々に言ってくださったのです。
「チケット売りは大変だった。宣伝も大変だった。でも、楽しかった」と。
あいさつに代えて、私は言いました。
「子どもたちが元気に生きているのを見るとき、私たちおとなも元気になれる。
そのことを知っているおとなが、ここにいる」と。
まだまだ書きたいことはあるような気もしますが、これにておしまいにしたいと思います。
このようなかたちで、報告を発表する機会を与えてくださった斉藤さん、本
当にありがとうございました。
高校生を中心にしたメンバーたちは、自主グループを立ち上げ、
演出の井上さんに指導してもらいながら、その後も定期的な活動を続けています。
学校を超えた、ワークショップスタイルのサークルです。
村上さんがつとめる中学校の演劇部にも、『手古奈』で共演した1年生が何人も入ってきました。
彼女たちは、1年生とは思えない力量で、ほかのメンバーに刺激を与えてくれます。
地域の演劇部間の交流が促進されたのも、おおきな収穫でした。
発表会の場でも、ライバル意識よりも、仲間意識が全面に出るようになりました。
『手古奈』の舞台は幕を下ろしましたが、
一人ひとりのなかに、新しいドラマが生まれ、今も育っているところです。
私もまた、子どもの元気に支えられるおとなの一人として、
こうした活動に関わりつづけていきたいと思います。
斉藤さん、そしてお読みいただいたみなさん、本当にありがとうございました。
では次回からは、「脚本創作」のツリーのほうで、お目にかかりましょう。(爆)
タイトル:Re^7: 『手古奈』 を終えて
投稿時間:02/06/15(Sat) 10:45
投稿者名:斉藤俊雄
> 演劇が彼を「成長」させた−−、と言っても過言ではないでしょう。
教育のために演劇はあるわけではないが、演劇を通して教育が行われている。
以前自分は自分自身の活動を教育としてではなく、芸術としてとらえていたのですが、
今振り返ってみると、そう思っていた活動が、教育の部分の方が多かったと思うのです。
「演劇が○○を成長させた」という言葉を書くと、偉そうにいう人がいます。
でもそんなことはない、教師が演劇を学校で取り組むとき、
それが演劇部であっても、クラス劇であっても、学年、学校劇であっても
そこにそれを取り組んだ生徒達(そして自分自身)の成長がなくてはいけないと思います。
それはけっして甘いことではない。
様々な個性の生徒をそれぞれに成長があるようにしていくということは簡単なことではないからです。
僕は『手古奈』の連載を通して常に感じていた思いがあります。
それはここにかかわる集団が、
この劇を通して子どもひとりひとりの成長ということを本気で考えているという熱い何かです。
ただ、劇をやるだけでひとりひとりが成長するほど甘くはない。
そんな気持ちでは劇の面白さを伝えられない。
「少しでもよいものを作り出そう」という思いの中で、それぞれが持ち場持ち場で輝いている、
そんな印象をえました。
芸術としてもよいものを作ろう、それが更なる成長に繋がっていると思います。
なぜなら、芸術としてよいものを作ろうという姿勢が、けっしてひとりひとりの個性をつぶして、
演出家の操り人形となっていたりはしない活動だったからです。
よく芸術としてよいものを作ろうという方向が、イコール専制的で個性をつぶすというふうに
短絡的に考える人がいます。でもそれは絶対に違います。
それが連載を通し確認できたことが、僕としての何よりの収穫でした。
> 小3の男の子が、90分もの間、じっと椅子に座って話を聞いているのですよ。
> 信じられますか? わずか半年の間の変化です。
信じられます、本当に魅力あるものに出会えば人間は半年で十分変われるからです。
「静かにしない」「ちゃんと聞きなさい」などという言葉のむなしさ、
ほんとに魅力あるものはそんな言葉を不要にします。
こんなことが信じられない多くの教師にそれを伝えたい。
演劇が本当にそんな魅力の宝庫だということを伝えたい。
> しかも、おとなの観客がほとんどです。
> そのおとなたちが、子どもたちの舞台に、本当に夢中になってひきこまれていました。
本当にすばらしい劇に大人も子どももありません。
子どものためだけの劇などという程度で書かれている劇は、
子どもを育てることにはならない。子どものためなんて気持ちの多くは
子どもをなめてかかっている。子どもへの尊敬の念がないものが多い。
「ナルニヤ国物語」のC.S.ルイスは
「子どものために本を書こう」という2人の人物をこんなふうに批判しています。
◆◆
最初にあげた女性も、2番目の例にあげた既婚の男性も、
彼らは、ともに、子どもの本を書くということは
「読者が欲するものをあたえる」特殊な分野であると考えたのです。
子どもは、いうまでもなく、特殊な読者だ。
だから、いかに自分自身にはつまらないものであっても、
子どもたちの望むところを見つけだし、それをあたえるべきだというわけです。
◆◆
『手古奈』が大人にも子どもにも魅力を持ち得たのは、
それが子どもという特殊な読者(表現者)を対象としただけでなく、
大人達もそれを楽しんで作っていたためではないでしょうか。
今子どもたち(それと子どもたちとかかわる人)に必要なのは、
そんな気持ちで作られた劇(脚本)です。
インタビューを通して、『手古奈』がもつそんな魅力を伝えられたら
僕の使命は果たせたといっていいのではないでしょうか。
> このようなかたちで、報告を発表する機会を与えてくださった斉藤さん、
> 本当にありがとうございました。
お礼を言うのはこちらの方です。
> 高校生を中心にしたメンバーたちは、自主グループを立ち上げ、
> 演出の井上さんに指導してもらいながら、その後も定期的な活動を続けています。
> 学校を超えた、ワークショップスタイルのサークルです。
> 村上さんがつとめる中学校の演劇部にも、
> 『手古奈』で共演した1年生が何人も入ってきました。
> 彼女たちは、1年生とは思えない力量で、ほかのメンバーに刺激を与えてくれます。
> 地域の演劇部間の交流が促進されたのも、おおきな収穫でした。
それだけで終わらずに、個人個人がそれを通して成長していく、
なかにははっきりとは形に見えない成長もあるでしょう。
しかし、このように目に見える形で成長が見える、
かかわった人たちにはそれはそれはうれしいことでしょう。教育の本筋を見る思いがします。
熱い演劇への取り組み、それはあつい教育の取り組みとしても読める連載だったと思います。
> 斉藤さん、そしてお読みいただいたみなさん、本当にありがとうございました。
> では次回からは、「脚本創作」のツリーのほうで、お目にかかりましょう。(爆)
さいごはかめおかさんのはなしで終わりにした方が余韻が残ってよかったかもしれないのに、
ながながと悪い癖で書いてしまいました。
最後の文章を読んでいて感じた気持ち、
それは心からよいといえる劇をみたあとに感じるあの気持ちと同じです。
しばらくこの劇の世界に浸っていたい。
インタビューの最初から「演劇をめぐる対話」で紹介したいと思います。
長い間連載ありがとうございました。連載を終えての感想等ありましたら、お寄せください。
熱い思いが日本中に繋がっていくことを願っています。
タイトル:『手古奈』連載補足
投稿時間:02/06/19(Wed) 05:53
投稿者名:かめおかゆみこ
いったん終了した「連載」ですが、後日、読んでくださったかたから、
個人メールなどをいただきました。
この掲示板には直接のレスは、数名しかいらっしゃらなかったのですが、
思いがけず、多くのかたに読んでいただいていたようで、心から感謝いたします。
せっかくなので、それらも含めて、もう少し補足したくなり、斉藤さんに相談したところ、
「雑誌でも別冊があるんだから、いいと思いますよ」と快諾していただき、
こうして、再び顔を出しましたー。
いくつか訂正・補足があります。
まず、初演用のちらしやポスターですが、これは区が作成したのではなく、
スタッフの一人である山本理さんとその友人のかたの作成だそうです。
それから、最年少のK君、「小3」ではなく「小2」でした。(パンフで確認)
また、8月末のオーディションのときにできていた曲は1曲ではなく、2曲。
このとき、音楽担当の金子忍さんが、仕事の都合で参加できず、
急きょ、友人で音楽教師のOさんに依頼して、指導をお願いしました。
Oさんは、作曲はされないようですが、歌唱指導者としては定評のある人です。
あとから、「(指導は)とても楽しかった」と、言ってくださいました。
このあたりの、指導者層の厚さは、ちょっと自慢していいことかも。(?)
そのほか、細かいところで勘違いしている部分もあるかもしれませんが、
最終的にまとめるときに、直しを入れたいと思います。
さて、いくつかの反響のなかにあった、質問の一つは、音楽のことです。
確かに、振り返ってみると、音楽に関する記述が少なかった気がします。
これは、ダンスや劇指導と違って、作成の場が稽古現場ではない、
というせいもあったかもしれません。
途中にも書きましたが、ブリッジも入れると音楽は全部で19曲。
もちろん、すべてが担当の金子さんのオリジナルです。
ミュージカルというと、生演奏というイメージもありますが(?)、
今回は、シンセサイザー。
生演奏を頼むだけの経済的余裕がないということもありましたが、
でも、結果的によかったと思います。
稽古のとき、できた曲をどんどんかけて、子どもたちの実態に合わせて即修正。
こんな芸当は、そうそうできるものではありません。
また、さまざまな楽器のイメージを自在に取り入れられた点もよかったです。
『手古奈』は、舞台が万葉の時代ですから、古典的な音も必要だったわけです。
(何しろ、開幕のト書きからして、「悠久のときを思わせる音楽」でしたから!)
そのほか、脚本(私)と演出(井上さん)が、「ここはこんなイメージで)と、
好き勝手な注文を出すわけですから、
オーケストラでも頼んでいた日には、どれだけかかったかわかりません。(笑)
加えて、劇のせりふやダンスが、
稽古にあわせてどんどん変更になっていくわけですが、それにあわせて、
やはり音楽も変更になっていきました。
外部に受注してつくってもらった曲だと、そう簡単には変更はできません。
でも、劇の流れにあわせて、テンポを変えたり、長さを変えたり…、
おかげで、変化に富み、かつアンサンブルのとれた音楽を、
観客のみなさんに楽しんでいただくことができたと思うのです。
いずれにしても、これは、スタッフの総力の結果だと思うのです。
どんなミュージカルをつくりたいか。
脚本担当の私の立場でいえば、音楽は音楽、ダンスはダンスというように、
いわばとってつけたようなかたちの挿入はしてほしくなかったし、
あくまでも、ドラマのなかの歌(言葉=せりふ)であり、踊り(表現)であるというのは、
一致した認識でした。
物語の流れに沿って、劇のあらゆる要素が、最高のバランスで結集すること。
それは、スタッフみんなの共通した願いだったと思うのです。
それが、ダンスでも生き、音楽でも生き、そして大道具や小道具でも生きた。
そういうことではなかったかと思います。
次回、私のコメントを少し書かせていただいて、補足ツリーを終わりにしたいと思います。
もし、追加の質問などありましたら、どうぞよろしくお願いします。
タイトル:Re: 『手古奈』連載補足
投稿時間:02/06/19(Wed) 23:19
投稿者名:斉藤俊雄
再登場、うれしいものです。
このような活動が、各地に広がっていくといいですね。
また、このように子どもを活かす活動が、
同じ地区で毎年毎年続いていければいいと思います。
タイトル: 感謝をこめて!
投稿時間:02/06/22(Sat) 20:50
投稿者名:かめおかゆみこ
いろいろありがとうございました。最後の投稿です。
−−いや、ほかのツリーでもまた登場するとは思いますが−−
『手古奈』の話とは微妙にずれてしまうかもしれませんが、
私が、ずっと考えつづけてきたのは、「おとな」って何だろうということでした。
私自身が、子どものころ、あまりおとなが好きな子どもではありませんでした。
いろいろな欺瞞やごまかしを感じて、許せない気持ちでいたのです。
ところが、どんどん自分が年齢を重ねるにつれ、
「おとな」批判をしているどころではなくなってしまいました。
何しろ、自分が、その「おとな」の年齢になってきてしまったからです。
そのころから、私は真剣に考えました。私はどんな「おとな」になりたいのかと。
少なくとも、私が子ども時代に忌避したおとなと同じであってはいけない。
その思いがいっそう強まったのは、1995年、初めて演劇部の外部指導員になったときでした。
これは、私のサイトのなかの「いまどき・子どもどき」で詳しく書いていますから、
ここでは繰り返しませんけれど、
端的に言うと、私は、100%、子どもとまっすぐに向き合えるおとなになろうと決めたのです。
子どもたちの可能性や喜びを本当にひきだしていきたいと願うならば、
私のがわに、いつわりやごまかしがあってはならないと。
でも、学校現場というのは、(けっして批判するつもりで書いてはいませんが)
本当に、本音で向き合い、語れるおとなは、そう多くはいなかった気がします。
子どもの生きるエネルギーをまるごと受け止めるというよりは、
やはり、どこか学校という体制を守るために動いてしまうこともあるようです。
もちろんそれがすべてだとは思っていませんし、
とりわけ、今回の『手古奈』公演の土台となった横浜北部地域は、
本当に熱心に子どもたちと関わる、中学校演劇の先生方がたくさんおられます。
だからこそ、声をかけていただいたときに、即答でOKを出したのです。
そして、それから再演を終えるまでの日々、『手古奈』に関わったおとなたちは、
けっして私の気持ちを裏切りませんでした。
それぞれの立場・環境がありますから、一律に同じ行動はとれませんが、
話をする機会があるごとに、子どもたちのことが話題になりました。
それも、「あの子のここがよかった」とか「伸びたねえ」とか。
まるで、自分の子どもの自慢をするみたいに、そんな話題が飛び交うのです。
本当に、温かく豊かな時間でした。
今回の実践をとおして、私が学んだことは、ひとつは子どもの無限の可能性でしたが、
もうひとつは、まぎれもなく、「おとな」の可能性でもありました。
私は、今回集まったおとなたちが、特殊な人たちだったとは思いたくないのです。
すべてのおとなたちの心に、さまざまな『手古奈』を支えたいという気持ちがある。
私たちは、それを信頼して、つながっていくことが大切だと思うのです。
そのエネルギーは、確かにうけとったと思っています。
斉藤さん、そして読者のみなさん、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
こうした活動が、その地域の実情にあわせながら、
豊かにひらかれていくことを実践した一人として、心から思います。
そして、何かあれば、最大限の応援をしたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!!