南アフリカが承認

 南アフリカ共和国のラミニ−ズマ外相と「サハラ・アラブ民主共和国」(RASD)のウルド・サレク外相は2004年9月15日にケープタウンで、大使級外交関係を樹立するとの共同コミュニケに調印した。これにより南アは、1996年に当時のマンデラ大統領が発表していたRASD承認の約束を8年ぶりに果たしたこととなる。
 コミュニケは、両国が自決住民投票による西サハラ問題解決をめざした国連・アフリカ連合(AU)西サハラ和平プランの実施にコミットすることをを併せて強調している。
 今回の承認は、ミッドランドで開催されるAUのパン・アフリカン議会にRASD代表団が派遣されるのを機に行われた。
 ラミニ−ズマ外相は共同記者会見で、今回の承認がモロッコとの関係にもたらすいかなる結果に対しても準備が出来ていると強調した。また同外相は、2001年以降和平プランを斡旋してきたベーカー国連事務総長特使が6月に辞任したこと、また国連事務総長報告書においてモロッコが「我々が信じる自決の真髄」を含む一定の事項について「協議不可能」との意向を示したことが明らかになったことで、1996年のマンデラ前大統領によるRASD承認の決定を最終的に実行する以外の選択肢は南アに残されていないと述べた。
 モロッコ外務省は直ちにこの決定を強く非難する声明を発表し、駐プレトリア大使を召還した。
 南アは1996年、当時のマンデラ大統領がRASDを公式に承認する意向をいったん表明したが、当時のガリ国連事務総長や一部諸国の要請により延期していた。しかし、ベーカー特使の和平プランが、モロッコ主権下の自治を5年間容認し、住民投票の選択肢に(独立、併合のほか)モロッコ主権下での自治を加え、有権者規準も大幅に拡大されるなどモロッコの意向を大きく反映したものであったにもかかわらず、モロッコが独立という選択を協議する余地はないとしてこれを拒否する強硬姿勢を崩さないことを受け、自決支持の原則を明確化することに踏み切ったとみられる。
 南アの承認により、RASD承認国は世界で60カ国、アフリカで26カ国になったとみられる。
 南アの与党アフリカ民族会議(ANC)とポリサリオ戦線は、南アで反アパルトヘイト運動が闘われていた時代から解放運動同士としての友好関係をもち、ANCは党として、政権獲得後も一貫して西サハラの自決を支持する姿勢をとってきた。ポリサリオは駐南ア代表部を有し、南アも国連、AU等では一貫して西サハラ自決支持の姿勢をとってきた。にもかかわらず、アフリカ最大級の政治的・経済的影響力を有する南アがRASDを国家として公式に承認したことはRASDにとって大きな外交的勝利であり、今後RASDを未承認、もしくは住民投票まで承認を凍結するとしてきたアフリカ諸国はじめ各国の動向にも大きな影響を及ぼす可能性がある。
(情報源:ARSO, Reuters, afrol News, AFP, Cape Times)
(2004.9.16)
高林敏之(西サハラ問題研究室)

 

*1 1994年と誤っていたものを訂正(2005.2.5)