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紫乃(あっしゅ)さん
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紫乃さんはニフティの吉田秋生会議室であっしゅというハンドルでアクティブな書き込みを続けておられますが、木原会議室の定例RTにもよく顔を出されており、独特の観点から木原作品の感想を聞かせてくれます。最近ではあちこちのオフに出没されているようです。No.5の羽根兎さんとは群馬で会われたばかりということです。さがみさんとは会社の同僚でNo.4の書庫のお世話になっているそうです。
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違うカタチの永遠・・・木原作品と吉田作品の比較
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思うに木原先生と吉田先生は作品が対照的ともいえる程違っていませんか?
作品の根幹にある絶対譲れないテーマが、思いっきり違うなぁと思います。
私は「子孫という形で命を繋げていく」という根幹を、木原さんの作品に感じています。
「銀河荘なの!」や「まりしん」の頃は少なくてもそうではないでしょうか?
摩利と新吾にそれぞれ子供を残している事も、木原さんの譲れない根幹ゆえの展開ではないかと感じます。
木原さんは、人が自分の置かれている状況の中で精一杯生きる姿を描くのが本当に上手いと思います。
そして人の人生には自分の努力だけでは動かせない事がたくさんあるという事を痛いほどリアルに理解させてくれる作品を描いていると思います。
一方吉田さんの場合は、「忘れられない瞬間」というような、その時最高に美しかった時を瞬間冷凍して作品にしあげていく人ではないかと感じています。
吉田さんには「瞬間を永遠に」という根幹を感じてしまうのです。
作品のタイプがかなり違う木原さんと吉田さんですが、あえて比較して論じるなら、「摩利と新吾」と「BANANA FISH」を比較してみたい。
どちらも素晴らしい傑作であり、同性愛の視点で見られがちだという共通点がある作品です。
しかし、「摩利と新吾」では摩利にははっきりと自覚があって、愛の告白もしているのに、「BANANA FISH」ではそういう場面はありません。
アッシュにとって英二はいったい、どんな存在だったのか・・・。
ここは、いろいろな意見が出るところだと思います。
私はアッシュにとって英二は、けっして恋愛の対象ではなかったと思います。
では何なのか?どういう言葉がふさわしいのか?
私は、アッシュにとって英二は「自分の失くしていた半分」だと思います。
アッシュが過酷な運命の中で生きぬくために失くしていた「人を信じる、無垢な、安らぎの、甘い、優しい、思いやる、そして違う場所に飛べる」
そんなアッシュの憧れを全部持っている英二。
英二といた時、アッシュは安らげる。本来の自分に戻れる。
英二はアッシュにとって、自分の失くしていた片割れだったと、そう思います。
だから、会った瞬間から、アッシュは英二に惹かれ、癒された。
では、摩利にとっての新吾は、いったいどんな存在だったのか・・・。
摩利は新吾に恋していたのではないか。
案外、心の奥底では夢殿さんを愛していたのではないか。
成就しない恋は、醒めない夢の如し。
摩利は生涯醒めない夢の中。
そして共に本当の夢の世界に行ってしまったのだ。
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