摩利と新吾(3/22)

 ニフティの会議室で紫乃さんレポートをあげて下さった暁さんにお願いして

転載の許可をいただきました。題して、紫乃さんの戯、紫乃さんの秘(上・中・下)

 ネタバレになっていますので「摩利と新吾」未読の方はここで引き返して下さい。

    紫乃さんの戯    紫乃さんの秘(上・中・下)



















暁さんによる紫乃さんレポート(1997.11〜12)

 これは@niftyコミックフォーラム懐古館(FCOMICO)19番木原敏江会議室に発言された暁さんによる紫乃さん研究レポートを御本人の了解を得て転載したものです。会議室での発言ということを了承の上お楽しみ下さい。尚、現在大変お忙しいとのことで、お問い合わせ、感想その他にはお答えできない旨お伝えしておきます。最後に転載を快諾いただいた暁さんには深くお礼を申し上げます。(一部改行位置を変更させていただきました)
 なお、この文章の著作権は暁さんにありますので
無断転載を禁止します。

 紫乃さんの戯


入門まりしん――紫乃さんの「戯」

 紫乃さんといえば、夢殿さんとも対等に渡り合う器量の持ち主であり、こと女性の扱いにかけては凄腕・・・なのに、心のなかではただ一人の女性を思い続け、彼女のために非業の死をとげる・・・ドラマチックな人物。夢殿さんが毀誉褒貶の激しい方だったのと対照的におよそ敵というもののない方でもあられます。
 でも、紫乃さんの悲恋が明かされるのは、シリーズの後半。入門編では、いつも人を煙に巻くような戯れ言をおっしゃっている。悲しみを秘め、紫乃さんはどんな青春を過ごされていたのであろうか・・・がテーマとなります。(なお、出典はすべて、白泉社文庫「摩利と新吾」シリーズです)

「わっしょい」(VOL.5)で、ガクラン姿に扇をもっていらっしゃるお姿が、ちょっと「お茶目な」先輩といった趣の紫乃さん。Vol1でも、それらしき方をお見かけするのですが、はっきりと特定できるのは、「わっしょい」なんですね。ちょっと意外。
 飛竜さんが新吾に思いを寄せていると勘違いした全猛者連の面々が、なんとか、飛竜さんの思いをとげさせよう・・・というところで、森鴎外の「ヴィタ・セクスアリス」の話が出てくるのですが、ここで読んでいたのは麿さんと桃太郎さんと紫乃さん。発禁になったので読んでいないという後輩連中に、紫乃さんあっさりと。
 「なんだ なさけない きみらは 読んどらんのか」
 (第1巻 P.232)
 すでに、色事の専門家としての風格が・・・。

 「夕日にぎんなん五目飯」(Vol.6)では、早くも新吾に接近されていらっしゃいます。
 「うっふっふ どうかの新吾 今宵はおれの部屋で ともに飲まんかのう」
 (第1巻 P.262)
 おお「うっふっふ」。これに、深い深い意味があるとは、誰もこのときは、思いもしなかったでしょう。新吾も、思わず赤面しています。で、焼きいもお買い上げの方には摩利のキス付き・・・では、桃太郎さんと一緒にしっかり列に並んで、無邪気に微笑む紫乃さん。

 お皿にのっかっている焼きいもと口元の扇・・・(第1巻 P.288)
ま、これぐらいは、軽いお遊びですね。

 吉ちゃんに罵詈雑言あびせられ、おお泣きして寮にもどった新吾を、暖かく迎える寮生たちのなかにあって、とりわけ新吾を労るのも紫乃さんです。
 「すまん・・・迷惑かけて」
 「そうか、そうか。フロが先か
  よろしい ではそのあとでいっぱいやろう おれの部屋で」

  (第1巻 P.310)
 みんなに謝る新吾に、みなまで言わせず問答無用とばかり、お酒を飲ませるあたり、並みの手管ではありません。あぁ、この方は苦労されているのね・・・新吾への気持ちも、邪なものではなくて、ひたすら可愛い後輩なのね、と。

 さて、女性専科紫乃さんの本領がそろそろ発揮されるのが
「緑紅最前線」(Vol.8)。
 ツンドラ・タイガー・ブリザードをしょって登場なさるあたり・・・は、秀逸です。摩利と新吾をもを戸惑わせる、ブリザードぶり。このとき、紫乃さんの素性が明かされますが、踊りのお家元の跡取りというのは、順当なところでしょう。むしろ、こと踊りに関しては妥協しないという、ここでの設定が、けっこうその後の遊び人紫乃さんを擁護していると思われます(へらへらしていても、踊りのことになると真剣そのもの・・・これは、ポイント高いです)。

 また、突然現れる戦車にも「風流」を感じられるあたり
 (第2巻P.160)
すでに、夢殿さんに対抗しうる大物の風情が・・・(でも、この頃の紫乃さんは「夢殿さん」ではなくて、きっちり「夢殿先輩」なんですよね。この辺が、なんというか、無軌道そうでいて、律義なところ)。

 ここ、一発というときには
 「うるせー、てめーら」とド迫力
 (第2巻P.228)。
 
いかだで荒れ狂う川を越えて向こう岸にわたったときは、長い髪を三つ網みにして、怪我をしているのもかまわず、綱を引く。摩利と新吾が、対岸に取り残されたと知って、真っ先に歌い出す(第2巻 P.241、P.254)
・・・軟派なようでいて、実は、大和男の硬派な血を感じさせるあたりが、紫乃さんの魅力かと・・・。だから、いくら口八丁で、女性を煙にまいても、嫌みじゃないんですね。

 番外編「花の桜豪寮生名簿」では、紫乃さん、寮生たちの問いかけに、にっこり微笑んで・・・。
「この年にして愛欲のすべてを知ってしまうというのも、むなしいものよ」
(第2巻 P.276)
 謎めいているんだけど、それ以上、聞いてはいけない気分にさせられてしまうのが、紫乃さんのすごいところ(すべてを知っても、なお、成就することをゆるされぬ恋・・・それを知っていると、涙なくしては語れぬところなのですが・・・)。

 さて、「忍ぶれど」(Vol.9)では、寮生活を楽しんでいる紫乃さんのお姿が。自分で白紙答案を出したのに、落第組さといじけるあたり、扇の柄も雨模様、で、次のコマでは晴れ模様(第2巻P.310)。卒業生のための劇の準備に、にこにこと・・・。決して家に帰れぬ紫乃さんにとって、桜豪寮は心の砦だったのだろうか・・・なんてことを、考えたりいたします。

 てな、ところが、入門編の紫乃さんです。軟派そうでいて、心は硬派。優雅でいて、心は厳然。相対する精神を備えていたのが、紫乃さんでしょうか。外柔内剛の典型ですね。

 その一番の現れが、生涯をかけた恋。こればっかりは、夢殿さんも知らなかったのですよね。入門ツリーの範疇を越えてしまうのですが、夢殿さんが摩利とやりあって(この二人って、しょっちゅう、やりあっているのよね)落ち込んでいるところにやってきた紫乃さんに、夢殿さんは
 「いつでも極楽はおまえだけだよ」
 「うっふっふ」
 
(第6巻 P.92)
 きっと、夢殿さんは、紫乃さんが死んで初めて、紫乃さんの隠された思いに、気づいたんでしょうね。
さてさて、この続きは上級者ツリー(紫乃さんの秘)にて


[次へ] [戻る]












 紫乃さんの秘



『摩利と新吾』−紫乃さんの「秘」

 Part1 『摩利と新吾』『乱乱々』
  (引用は白泉社文庫『摩利と新吾』シリーズより)


 入門編でも、大物の片鱗をチラチラと見せてくださった紫乃さんでいらっしゃいますが、上級編では、さらにその黒幕(?!)ぶりを存分なく発揮してくださっています。さらに、壮絶とも言える最後。短い人生だったけれど、運命を受け入れ、しかも妥協することなく、飄々と生きぬいてのけたのが紫乃さんだった……。

Vol.10『摩利と新吾』
 ご存じ、篝登場。本筋はまりしんに篝が絡んで、お神酒徳利の危機か?! 
桜豪寮を舞台にしたほろ苦くも懐かしい青春劇が、一挙にその陰影を深め、人生の深淵に迫るシリアスな展開を見せはじめたこのお話にあって、紫乃さんは二人の先行きに心を傷めつつ、一方で数少ない笑いと安らぎの場を提供してくださる頼りがいのある先輩として描かれています。

 まず、幕開け早々、遊廓の女性の訪問を受けて、センセーションを巻き起こしてくださる紫乃さん。
 「遊里の女性か? 」
 「はい、風魔先生 ……男の性です」
  (3巻 P.38)

 風魔先生のため息? 絶句? をパタパタと扇でかわし、
 「そのときよしつね すこしもさわがず……」
と歌いつつ立ち去る紫乃さん。
 一朝一夕には身につかない、このワザ。鮮やかでございます。ついでに、摩利が「済み」であることを看破されるのも、このとき。失恋した織笛に
 「もののわかった年上の女性でも紹介してやろう」
  (3巻P.123)
とおっしゃるあたりなんぞは、紫乃さんの真骨頂とも申せましょう。

 篝の策略、摩利の秘めた思いが絡み合い、ことごとく摩利とすれ違い始める新吾。熱意は空回りし、次第に寮のなかでも孤立しはじめる新吾を襲うのが両親の事故死。この中盤の展開のなかにあって、便所から蒼白な顔で登場して、寮のみんなを盛大に倒れさせたり(3巻 P.138) 、
 「何をかくそう おれはこのごろ 新吾のあの 笑い顔が見られんので
  さびしくてな こーゆーやつ」

  (3巻 P226)
と突然3 枚目になられて笑いを提供される傍ら、真相解明のために、夢殿先輩や卒業した桃太郎を巻き込んでいくあたり、堂々たる黒幕の貫祿、硬派の面差し。摩利を思い続ける夢殿さんを称して、
 「サソリ座って執念深いの」
  (3巻 P.226)
と言ってのけ、
 「こっとう品は趣味だがせっとうはお前向きだと思うてな」
 (同P.227)
と桃太郎を焚きつける……。

 新吾が放浪の旅に出て、ひとり残された摩利。夢殿さんへの報告電話で「ふたつとないカップルだったのに おれは せつないぞ」と嘆くその先から、「いっそ新吾タイプの女をさがして摩利にくっつけたらどうかのう」なんぞと嬉しそうにおっしゃるあたり(3巻 P.278) 、やはり常識を越えた方なのだと再認識いたします。

 そして、終盤。旅芸人の一座と出会う新吾、新吾を待ち続け、やつれ果てた摩利を見るにみかねた夢殿さんは……と、本筋だけでも波瀾万丈のジェットコースターなのに、星男の篝への恋、錯綜する織笛の恋、明らかになる麿さんの過去……とテンコ盛りのサイドストーリィが繰り広げられる『摩利と新吾』。摩利の思いを受け入れる決心をして、摩利のもとに戻ってくる新吾。「じゃあ おれは月か…… そうさ太陽なしではかがやけない」(4巻 P.63)という摩利の独白は、二人の新しい展開を暗示させて……。

番外編『乱乱々』
持堂院のもと猛者こと先生方の夏休みのヒトコマから始まる物語です。教師としての悩みに沈む風魔先生を、手分けして新吾探索に励んでいた全猛者連の面々が訪れる場面、スイカにかぶりつく猛者たちのなかに、スイカをハシで食される紫乃さんのお姿が(4巻 P.80)。どこまでも、浮世離れした方……。


『摩利と新吾』−紫乃さんの「秘」

 Part2 『新吾と摩利』『浪漫伝説』『奇々怪々』


Vol.11『新吾と摩利』
 試練を超えて成長しようとする新吾と、天涯孤独になった新吾を護ろうとする摩利、葛藤を抱えつつ、少しずつ様相を変える二人の関係、そして篝の知られざる心のうち……と、前章で絡まり合った糸が、少しずつほぐれていくようにストーリィが進展します。

 冒頭、新吾が戻ってきたことを喜びつつも、摩利の恋の行方に興味津々の全猛者連。紫乃さんも例外ではないご様子です。結局、プラトニックなままと判明して、がっかりするやら……の猛者連。「うっふっふ」の紫乃さん。その報告を兼ねて訪ねる夢殿さん宅では、「つくづく潔癖だのう 摩利は……」と嘆息し、自らは「もうひと遊び……」。夢殿さんに「この前の芸者でたしか13人目じゃなかったか? 」と言われ、「なんの まだまだ! なにしろ おやじどのはおれの年で かるく50人の女と! 」。折しも来あわせたのが、紫乃さんに思いを寄せる小町嬢。「まあまあ、会ったとたんに そのように思いつめた顔はすまい。せっかくのあでやかな夏帯があせてしまうぞ」とかるくいなす。切れ者の夢殿さんには真似のできない、紫乃さんの軽やかさ。さすがの夢殿さんも「なんの100人や200人はかるいな」と呆れ顔でございます(4巻 P.134〜136)。

 この後、借金のカタに取られた新吾の家を夢殿さんの父上が購入したことをめぐって、3 者3 様の物語が展開され、その一方で篝の生い立ちが明かされていきますが、紫乃さんはと言えば、夢殿さんの家の優雅な居候。篝の命を受けたチンピラたちの手によって怪我をした夢殿さんに、「やせ我慢おしでない 本当は摩利に来てほしいくせに」と突っ込んでみたり、「いっそこのへんでのりかえたらどうだ夢殿さん」と茶化してみたり。
4 巻 P.220〜222 にかけての二人の息のあったやり取りには、お見事! と大向こうから声をかけたくなるぐらいです。紫乃さんが家に帰れないのは、ただ縁談から逃げているだけではないということは、まだここでは、露ほども明かされてはおりません。

 物語は、摩利の家に転がり込んできた篝を中心に新吾、摩利、星男の心模様が描かれていきます。そして、摩利と新吾の傘ごしの接吻シーンなどというのもあったりいたしますが、圧巻はやはり、夢殿さんと摩利の一件を新吾が知ってからの急展開。合宿先に夢殿さんを訪ねて手合わせを願い出る新吾、受けて立つ夢殿さん。そして激しく打ち合う二人を見守る紫乃さん。
 「しかし もったいない…… 
  おれが勝ったら 摩利はもらう……と おれなら誓わせたがのう」

 「ふふん」
 「……そこが あんたのいまひとつ弱いところよ」
 「強いと言ってほしいな 聞いたろ?  さっきの新吾の宣言」
  (4 巻 P.327)
 夢殿さんの強さを、「弱い」ととらえることのできるのは、きっと紫乃さんだけでございましょう。この後、新吾に頼まれて紫乃さんが遊廓を紹介するのは、ご存じのとおり。一方、篝は暴漢を使って摩利を襲わせ、鷹塔家を立ち去ります。夏休みが終わり、摩利と新吾が釣るしあげに会ったりといったヒトコマもありますが、至福の時が過ぎ……やがて篝の死で幕を下ろす『新吾と摩利』。

 「お互い相手にとって不足はなかろう 
  一生をかけての大勝負になるかもしれんが」
  
(5巻 P.30)
新吾に向けた紫乃さんのこの言葉……どちらに肩入れするでもなく、勝負の行方を見守る眼差しの向こうに、秘めた恋を貫く紫乃さん自身の覚悟が重なって仕方ありません。

Vol.12『浪漫伝説』
 思音パパに失恋して、日本にやってきたサビーヌ先生と桜豪寮の猛者たちの物語。摩利を思う思音パパと父親を思う摩利の姿、新吾の成長に摩利が気づき、二人の間に新たな風が吹きはじめます。深刻なお話が続いたあとで、一服の清涼剤のような楽しい作品ではないでしょうか。15人目のお相手とお別れ遊ばした紫乃さんの女性専科ぶりも遺憾なく発揮されております。
 「浮世のしがらみなどお捨てなされ。所詮この世は男と女……」
  (5巻 P.108)
などの名セリフ、日本の文化を解そうとしないサビーヌ先生に向けて炸裂する久々の罵声……見どころもたくさん。国際的プレイボーイの素質ありとサビーヌ先生の折り紙つき……恋愛の天才、フランス人に認められるとは、さすが紫乃さんでいらっしゃいます。

Vol.13『奇々怪々』
 大正2 年。摩利と新吾、3 年生の正月。紫乃先輩の発案で新年会が開かれ、鷹塔家に一堂が会します。先輩、後輩はもとよりさよ子さんや一二三ちゃん、姫花ちゃん、みちこちゃんに数馬さん一家までオールキャスト勢揃い。おまけに摩利扮するところのフラウ・アプフェルまで登場して……と、豪華絢爛このうえない表舞台の裏では、実家に戻らない紫乃さんの何やら訳ありげな様子、新吾に思いを寄せる一二三ちゃんと姫花ちゃん、そして二人の少女らしい一途さに複雑な摩利。みちこちゃんを気づかう織笛、万年少女の扇子さんのほのぼのとした暖かさ、ルミイや鴨さんの賑やかしが、お正月らしい色を添え、新吾の愛の告白で、水面下の妖しな気配も一掃かと思いきや、摩利待望の一夜は成就せず……奇しくも、鷹塔家を辞しての帰り道、摩利の恋人には新吾では駄目だと意味深発言の夢殿さん。どこまでも波瀾含み、まさに奇々怪々なお正月の一日でございます。

 新吾にだけには蕩けそうな笑顔を向けると紫乃さんを揶揄する夢殿さんを、摩利だけを見ていなさいと軽くいなす紫乃さん(5巻 P.171)
……二人の掛け合いは、ますます高踏の極みを目指して、すでに確固たる世界を築きつつあるのが印象的でした。


『摩利と新吾』−紫乃さんの「秘」

 Part 3『青嵐』『LARGO 』


Vol.14『青嵐』
 留年確定か? という摩利と新吾のもとに、思音パパからの欧州への誘い……で始まるこのお話。帝大受験、卒業、渡欧。日本人への差別を経験する新吾、摩利の母方の一族との確執、戦争、新吾の恋と失恋、そして恋人としての新吾を思い切るための摩利の苦悩が描かれる、シリーズ中、最長の物語です。
 青春に光と影があるなら、桜豪寮は紛うことなき「輝き」の日々。そのまぶしさに時折、目が眩み闇を見ることがあっても、やはり輝かしい時代。このお話は、摩利と新吾、そして彼らとともに時を過ごした人々が、桜豪寮という暖かい巣から、光と影が錯綜する世界へと飛び立っていこうとする物語、そんなふうに思えてなりません。

 欧州での物語が大半を占める『青嵐』に紫乃さんの登場シーンは少ないのですが、冒頭で明かされる、母親の違う姉への悲恋は、いつも歌を口ずさんで舞うが如く生きている紫乃さんの深い深い影……。
受験、期末試験を控えて寮中が殺気立つなかで、暇そうにストーブの傍らにて寛ぐ紫乃さんに、風魔先生が声をかけます。「で… おまえはどうするつもりだ?  卒業したら」にっこり微笑む紫乃さん。
 「わからん あの 色っぽい 微少の意味は……
  (と風魔先生のモノローグ) 」(5巻 P.257) 。
 受験を終え、身も心も軽く道場に向かう新吾の袂から落ちる守り袋。それを拾った紫乃さんは、新吾の亡くなった母の写真を見て、初めて、ひさ子さんのことを話します。
 「おまえに よう似た ……ひさ子と言うてな 
  その女 (ひと)がいるかぎり おれは帰れんのだ」

  ( 同 P.273)。
 梅は咲いたか桜はまだかいな……と立ち去る紫乃さんの後ろ姿。
 立ちすくむ新吾……。
 摩利と新吾の帝大合格、織笛の退学騒ぎと賑やかな桜豪寮の庭、その片隅で新吾に土下座する紫乃さん。念弟の芝居をしてくれと言われて、冷や汗かきながら紫乃さんとひさ子さんの面会の席に同行した新吾は、紫乃さんの家の事情を知り、紫乃さんの恋を確信するのです。
 「苦しい恋をしているんじゃないですか」
 「おれが?  いつもしとるさ 世の中の半数は女だからのう……」
   (同 P.313)
 渡欧準備に忙しい摩利に打ち明ける機会もなく、お芝居のダメ押しをするために、新吾は料亭に足を運びます。新吾の酒に一服盛ってまで、ひさ子さんを欺こうとする紫乃さんの心のうちが、とても哀しい。紫乃さんを平手打ちするひさ子さんに
 「気がすんだら……帰って しあわせな結婚をしてください 
  あねうえ それが おとうととしての おれの願いです」
  ( 同 P.320)
 恋や恋 われ なか空に なすな恋……
と「保奈」を舞う紫乃さんの姿( 同 P.333) 。
 女性専科の紫乃さんがひっそりと抱き続けていたのは、決して、成就してはならない思い、異母姉の面影。
 最後のストーム、送別会……夜空を焦がすファイヤーストームのさなか、紫乃さんの口から告げられるひさ子さんの結婚。燃え盛る炎のなかに封じ込めるように、「おれも これで やっと家に帰れる」と微笑む紫乃さんに、新吾は言葉を失い……桜豪寮での残された日々は、懐かしい思い出と未来への希望と不安のうちに過ぎてゆくのでございました。
 卒業式の直前、新吾に手向けられた「おまえは自分にうそはつくなよ」 (同 P.43)という言葉には、表向きには葬り去ることしかできなかった、そのことを決して悔いているわけではなく、ただ無念さを噛みしめて生きていこうとする紫乃さんが、新吾に託した、夢のようなもの……暖かい日溜まりに憩うように、新吾は変わらずにいてほしいと紫乃さんもまた思っていたのではないでしょうか。
 これ以後、紫乃さんは再び物語の表舞台からは降りてしまいます。
 摩利とやり合って落ち込んでいる夢殿さんを慰め、摩利を追って欧州に行くという夢殿さんに
 「だまって恋人をみまもるだけのパトロン役には20年早い」
  (6巻 P.214)
とハッパをかけ、所帯を持った麿の生活を気にかけ、姫花ちゃんを思う桃太郎を焚きつけ……。
「うっふっふ」と含み笑いをしながらの変わらぬ姿だけが描かれていきます。

Vol.15『LARGO 』
シリーズ完結編。
 摩利と新吾、夢殿さんたちをヨーロッパに足止めしていた第1次世界対戦が終わった1915年の正月。新吾たちのお手製指人形を夜なべまでして作って、みんなを和ませる紫乃さんのお姿が……。
 帰国直前、メーリンクの祖父が倒れるというアクシデント、そして断ち切れぬ新吾への恋に、欧州に止まる決心をする摩利。新吾たち一行を載せた船が日本に着き、それぞれの新しい人生の幕開けとなります。後輩たちも卒業して家庭を持ち、職につき……新吾を思い続けた姫花も桃太郎の求婚を受け入れ、夢殿さんも遊学前の約束通り婚約者のもとへ……。そんななかで、ただひとり変わらぬのが紫乃さんです。
 そうして季節は巡り、1923年。摩利はメーリンク家の再興を実現します。その年の夏、日本で医師としての道を歩む新吾に、かつての印南の土地と家を夢殿さんが提供。新吾もいよ印南家の再興に一歩を踏みだします。
「おまえの行く末のほうが心配だよ」と紫乃さんに言う夢殿さん。
紫乃さんは朗らかに笑って
「おれかえ?  おれはこのまま…… 浮いた浮いたで暮らしたや……」
 (8巻 P.44)。
 そのまま、夏空に消えてしまいそうなほど、紫乃さんの表情が明るいのが、その後に訪れる悲劇を暗示していたのでしょうか。

 同年、9 月1 日。印南医院開業の準備のさなかを襲ったのが、マグニチュード7.9 の地震。東京壊滅のニュースを知り、急ぎ帰国する摩利。といっても当時は船旅、後追い自殺をすることばかり思っていたという摩利が8 年ぶりに日本の地を踏んだその日……紫乃さんが短い生涯を閉じた日だった。ひさ子さんとひさ子さんの子供をかばって、崩れた建物の下敷きになり、意識のないまま1 と月眠り、眠ったまま逝ってしまった紫乃さん。摩利と新吾の再会は、まるで紫乃さんが引き合わせでもしたようで……新吾は摩利に、初めて、紫乃さんがひさ子さんを愛していたことを告げる。
「……紫乃先輩は、好きな人のために死んで幸せだったのだな」
 (同 P.72)
と言う摩利……。ひさ子さんへの愛を生涯貫いた紫乃さんは、摩利にとって我が身を写す鏡のように思えたのかもしれません。

 摩利と新吾は、その後、5 年、10年の年月、欧州と日本に別れて暮らしながらも、お互いを訪ね合い、年を重ね、死が二人を共にするその日まで、己の生を駆け抜け……。敗戦を迎えた、5 年後、持堂院高等学校はその歴史に幕を降ろし、物語も終わる。

[戻る]