Internet Magazine 2003年5月号 , impress , 2003年3月28日


新しいものを生むために「著作権」を強化しないという選択。


著作物の創作を促進するために著作権を強固に守る

 最近、著作権は守られなければならないものであるということが強く言われている。法制度の分野でも技術の分野でもこれは当然とされ、保護を強めるための方策が次々と打ち出されている。
 日本はアニメーションや漫画、ゲームなどの分野で世界トップクラスのシェアを誇っており、音楽の分野では日本だけでなくアジア全体に多くのファンを抱えている。だからこれらの著作物をビジネス的に役立てようというのは決して間違ったことではないだろうし、そのために著作権の保護が必要であるということにも説得力がある。
 しかし、本当に現在のようにがちがちに著作権を守ることが、著作物の創作を促進することにつながるのだろうか。現在行われている保護のための方策と併せて考えてみたい。

デジタル技術とネットの発達が著作権を保護する方策を強化

 デジタル技術とインターネットの発達は、今までの著作権制度に大きな影響を与えている。最も大きい問題が、簡単なカジュアルコピー手段の普及と違法コピーの横行だ。
 家庭用PCではCD-Rドライブの普及によって、音楽CDをレンタルしてCD-Rに焼くといったカジュアルコピーが盛んに行われているし、またNapsterやWinMXに代表されるファイル交換サービスでは、多くの数の音楽ファイルや映像ファイルなどが著作権者に無許諾で交換されている。最近でこそファイル交換サービスにおされて少なくなったが、ホームページを通じた音楽等の違法アップロードも行われている。

 こういう状況に対して、著作権者達は、コピー防止のために様々な方法を採っている。
 まず技術的な手段としては、CD-Rへのコピーを難しくするコピーコントロールCDの普及によるカジュアルコピーの防止がある。これによってPCでの読み込みをできなくすることでコピーを簡単にはできなくしている。
 次にJ-MUSEと呼ばれる監視システムの導入による違法サイトの摘発がある。これは許諾無しに音楽ファイルを公開しているWebサイトを検索してブラックリストとして登録し、警告・閉鎖を求めている。またこのシステムを利用してファイル交換サービスでの違法ファイルの交換も追跡可能だという。
 さらに、これは著作物全般で使用されようとしているものであるが、電子透かしがある。ファイルにその著作物が誰のものであるかを透かしという形で埋め込み、違法な流通を発見しやすくする。
 映画に関してはDVDメディアにおいて、CSSと呼ばれる暗号処理をすることで著作権保護を行っている。これによってカジュアルコピー・違法コピーが防がれている。
 これらの技術的な手段の普及と同時に、法律の面からも著作権の保護のための政策が行われている。

コピープロテクトを回避する情報が違法になるかもしれない

 例えば今度行われる著作権法の改正では、映画やゲームの保護期間を50年間から70年間に延長する、ということが発表された。これによって一つの著作物をより長い間ビジネス的に使用することができる。これについては既に70年間の保護を達成している欧米の保護期間に追いつかせるためと説明されている。
 また、コピープロテクトを回避する技術や方法について、その方法の情報自体を規制するというようなことも検討されている。これが規制されると、現在雑誌等で公開されているプロテクト回避方法などの情報が違法なものとなる(すでにプロテクト回避ツールについては違法)。
 著作権者達が各種の方法を使って違法コピーからコンテンツを守ろうとしているのは、著作者達の制作意欲が失われないようにするためだと説明されている。
 基本的に現在の著作権システムの中で、著作者はコンテンツの販売収益から収入を得ている。そのためコンテンツが勝手にインターネットに流されてしまうことで売り上げが下がると、著作者の生活に支障が出る。それでは著作物の制作意欲がなくなってしまうので、著作権は守られなければならず、コピープロテクトは必要だというわけだ。

著作物には完全なオリジナルは存在しないという考え方

 では、著作物ががちがちに守られるようになれば、本当によりよい著作物が生まれる環境が作られるのだろうか。
 よく誤解されていることだが、完全にオリジナルの著作物というものはまず存在しないと思って間違いない。どんな著作物も先行する著作物の影響を受けて制作されている。生まれてから作品を作るまでの間に、全く他の著作物の影響を受けずに育つというのはほぼ不可能だということはわかってもらえると思う。
 そして、むしろ著作物というものは今までに発表された著作物を受けて作られ、発展してきたと言ってもよい。著作権に厳しいディズニー社でも、白雪姫のような昔の作品に依拠した作品を制作しているように、過去の作品を使ってさらによい作品を、ということは日常的に行われている。依拠するという程度ではなくても、「この作品は〜の作品の影響を受けて作りました」というような発言はよく耳にするだろう。
 著作物が先行する著作物に依拠したり影響を受けたりして発展していくものだとすれば、著作権を守ることはマイナスに働く可能性もある。
 例えば保護期間だが、今、1950年頃に黒沢監督達の作成した著作物がフリーになれば、それに依拠した著作物を自由に作ることが可能になる。しかし、これらの作品群が著作権法改正によって守られたままだと、その作品に似ている作品まで、さらに20年間発表できなくなる可能性がある。
 この保護期間の延長は、今までの作品の保護と言う意味でも大きな問題をはらんでいる。著作権によって守られていると言っても、著作者はその作品の保存を義務づけられているわけではない。そのため、著作権が切れる頃には作品が滅失しているということもよくある。また商業的に発売しておく義務もないので、結局消費者としては見ることができないが使用もできないという作品もとても多くある。アメリカの調査であるが、著作権が切れる前の映画作品のうち、実に90%が販売されていない状態にあるという [1]。そのうちの何割かは滅失状態にあるのだろう。著作物を保護するために行われていることが、実は著作物を楽しめなくしているということもあり得るのだ。

1秒間に数千の著作物が発生すれば類似があるかもしれない

 また、インターネットの発達も大きな問題を提起している。それは、誰もが簡単に著作物を作成し、世界に向けて公開することができる時代が到来したことによるものだ。
 今までは自分の作品を多くの人に見てもらうためには、出版社等を通すしか方法がなかった。しかし、今では個人のPCで著作物を作成し、月数千円で回線とWebスペースを得ることで、簡単に著作物を公開することができる。1秒の間に数百数千の著作物が誕生する時代が来たということである。
 このような時代になると、そもそもインターネット上にある全ての著作物をチェックしておくなんて不可能だ。ということは、いつどこで他人からその著作物は私の著作物の複製だ!と言われるか分からないということになる。
 著作権法では、似通った著作物ができあがっても、先行する著作物を知らずに作成した場合には問題ないとされている。しかしその証明は大変だ。特に企業対個人という場合、個人が勝つことはとても難しい。
 音楽の場合は特に問題かもしれない。基本的に、音楽に関しては似ている旋律を使用していると著作権法違反であるととらえられることが多くある。そのためこのペースで音楽が作られ続けると、そのうち旋律のほとんどが使えなくなるという可能性すらあるのだ。

あらためて著作権について問い直す時期が来ている

 以上に見るように、著作物を保護するための著作権が、著作物の創作に悪影響を与えるということもある。
 だからといって著作権が必要でないと言うわけでは決してない。
 著作権がなぜ必要なのかというと、先にも述べたように、著作者の生活を守るためといっていいだろう。文化の保護や学問の振興などといった目的も著作権法では述べられているが、最も重要なのは、著作者がその作品を制作する意欲を守るという部分だと筆者は考えている。
 著作権法が作られたきっかけは安価な複製品の横行から印刷業者を守るためであったが、これは印刷業者を守ることを通じて印刷業者から原稿料をもらっている著作者を守るという目的があった。
 印刷業が無く、パトロン達によって生活の面倒を見てもらっていた頃、作家達は写本によって自らの作品が知れ渡ることを喜んでいたと言われている。しかしパトロン制の崩壊後、作家達は消費者からお金を取らなければ生活が立ち行かず、消費者からお金を集める手段としては印刷業者と組むことが望ましかったということである。
 インターネットの発達によって、状況は変わろうとしているが、本質的な部分は変わっていないだろう。

課金可能な著作者と消費者を直接につなぐシステムを望む

 確かにインターネットの発達によって、著作者と消費者が中間業者をはさまずにダイレクトにつながることができる時代が来ようとしている。中間搾取を無くし、今までよりもより安く作品が著作者から消費者に届けられるということもあるだろう。
 だが、著作者はその作品を売ることで生活している。だから今までよりも少ない値段であっても料金は支払われなければならず、そのためのシステムは必要である。そして、作品のコピーを防ぐためのシステムとしての著作権法や保護技術もコピーの横行によって著作者が被害を受けない程度には必要である。
 ただし、この保護は著作者の保護がなされる範囲で有ればよいのではないかということも考えられる。先にも述べたように、誰もが著作者になれる時代である。全ての著作物を完璧に守ろうとしたら、誰も何も作れなくなりかねない。
 これについて、サイバー法の権威として知られるローレンス・レッシグ教授が著作権の登録・更新制を提唱している。筆者はこれを支持したい。著作者がその著作物の保護を望むので有れば登録し、保護を望む間だけ更新していけばいい。そしてそのデータを公開すれば、どの著作物が守られているのかが一目瞭然であるし、権利侵害も起きにくくなる。そして、登録料・更新料を徴収すれば本当に保護したいものだけが保護されるようになる。
 さらに、新しい流通システムの構築も必要になるだろう。レッシグの提唱しているCreative Commons [2] は優れた流通システムではあるが、これには課金のシステムがない。
 課金可能な、著作者と消費者をダイレクトにつなぐシステムが構築されれば、我々はより安価に、より良い作品を楽しむ環境が得られるのではないだろうか。

 今こそ、インターネット時代にあった、著作者とユーザーの関係や、著作権システム、著作物流通システムについて考えなければならない。


[1]http://cyberlaw.stanford.edu/lessig/blog/archives/jason2.txt
[2]:2003年4月号のP116〜121で特集している。


関連サイト
ローレンス・レッシグ
Creative Commons
The Eric Eldred Act


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