ファーバー判例(ニューヨーク対ファーバー、458 U.S. 747 、1982年)は、子ども達を児童ポルノ生産過程での搾取から守ることにおける国家の利益のため、他の明白な性的言論と児童ポルノとを区別した。実在の子どもを描いていない児童ポルノを禁止することによって、法令はファーバー判決の範囲を超えている。同判例758頁を見よ。原則として、ポルノグラフィはわいせつな場合に限って禁止することができる。しかし、ファーバー判例の下では、未成年者が登場するポルノはそのイメージがミラー判例(ミラー対カリフォルニア、413 U.S. 15、1973年)で定義される猥褻であるかどうかに関わらず、法律で禁止できる。ファーバーは次のように認めている。「ミラーの基準は、猥褻であるとして禁止されうる物のあらゆる一般的定義と同様に、児童の性的搾取を促進する者を起訴することにおける国家の特別かつ切実な利益を反映しない。(458 U.S.、761頁)」
被上訴人である言論の自由連合その他は、CPPAがそのメンバーの活動を脅かされるのを恐れ、カリフォルニア北部のための連邦地方裁判所において法令に挑戦した。成人娯楽産業のカリフォルニア同業者組合である連合は次のように申し立てた。すなわち、そのメンバーは彼らの明白な性的作品に未成年者を使用していないが、しかし彼らはそのマテリアルのあるものはCPPAの拡大された児童ポルノの定義に含まれるかも知れないと信じている、と言うのである。他の被上訴人は、裸体主義者の生活様式を擁護する本の発行者であるBold Type社、裸体画家であるJim Gingerich、官能的(erotic)イメージを専門としている写真家のRon Raffaelliである。被上訴人達は、「のように見える」「印象を与える」という規定が過度に広汎かつ曖昧であり、彼らを修正第一条によって保護されている作品の制作から萎縮させると主張した。連邦地方裁判所はこれを認めず、政府の略式判決を認めた。法廷は、「『ロミオとジュリエット』のような性的作品のいかなる改作も『犯罪的な禁制品』として扱われるということは『殆どありえそうもない』という理由で、過度に広汎であるとの主張を退けた。 App. to Pet. for Cert.62a-63a.
第9巡回控訴裁判所はこれを覆した。 198 F. 3d 1083(1999)を見よ。 法廷は、言論が見る者に違法行為を行わせる傾向があるという理由で政府が言論を禁止することはできないと論証した。法廷は、猥褻でもなくファーバー判例にあるような実在の子どもを搾取して生産されたのでもないマテリアルをCPPAが禁止しているため、これが実質的に過度に広汎である判決した。ファーガソン判事は、ヴァーチャルイメージは猥褻物や本物の児童ポルノと同様に修正第一条によって守られない範疇の言論のとして扱われるべきだとの理由から異議を唱えた。 198 F.3d、1097頁。 上訴裁判所は、3人の判事の異議を越えて、再審理の申し立てを拒否することを全判事列席の上で票決した。220F.3d 1113(2000) を見よ。
第9巡回裁判所がCPPAを文面上無効とした一方で、他の4つの上訴裁はそれを支持した。 以下の判決を見よ。United State sv. Fox,248 F.3d 394 (CA5 2001); United States v. Mento,231 F.3d 912(CA4 2000); United States v. Acheson, 195 F. 3d 645 (CA11 1999); United States v. Hilton, 167 F. 3d 61 (CA1),cert. denied, 528 U.S.844(1999). 我々は移送命令書を承諾した。531 U.S. 1124 (2001)。
2.
修正第一条は、「言論の自由を減殺する……法を議会は作ってはならない」と命じている。政府はこの命令に多く方法で違反してよい。 例えば、 Rosenberger v. Rector and Visitorsof Univ. of Va., 515 U.S. 819(1995); Keller v. State Barof Cal., 496 U.S.1(1990) しかし、保護された言論に刑事罰を課す法は、言論抑圧のあからさまな例である。CPPAの罰則は実に厳しい。初犯者は15年間投獄されるかも知れない。2252条A(b)(1). 再犯者は5年以上30年以下期間の懲役となる。(同)。軽度の罰でさえ保護された言論を萎縮させることができるのであるが( Wooley 対Maynard, 430 U.S. 705(1977)を見よ) 、この事例は、我々がなぜ表現に重荷を負わせる法令に対する文面上の挑戦を許可しているかということの模範例を与えている。これらの厳しい刑罰が有効であるので、合法的な映画の制作者、本の出版社その他のいかなる能力を持った発言者達も、この法のはっきりしない範囲に含まれているかそれに近いイメージを配布するという危険を冒すことは殆ど無いであろう。憲法は、修正第一条の広大で特別に扱われている範囲の言論を萎縮させる過度に広汎な法律からの重要な保護を与えている。この原則の下では、もし相当量の保護された表が禁止されるのであれば、CPPAは文面上憲法違反である。Broadrick 対 Oklahoma,413 U.S. 601,612(1973)を見よ。
子どもの性的虐待はとても深刻な犯罪であり、まともな人々の道徳的本能に嫌悪感をもたらす行動である。立法時の答申の中で、子どもへの不法な欲望を心に抱き、衝動を満足するために犯罪行為を行う者達の下位文化が存在するとしている。2251条に続く議会答申を見よ。U.S. dept. of Health and HumanServices, Administration on Children, Youth and Families,Child Maltreatment 1999 を見よ(1999年に93000人の子どもが性的虐待の被害者となったと推定している)。 議会はまた、深刻な犯罪者の周囲には、これらの衝動に手を出し、そして写真や年少の子どもとの性的行為について書かれた報告を取り引きする者がいるとしている。
議会は、子どもを虐待から守る有効な法律を通過させて良いし、そうしている。例えば合衆国法典タイトル18の2241条と2251条。しかし、犯罪の可能性それ自体は保護された言論を抑圧する法律を正当化しない。Kingsley Int'l Pictures Corp. 対Regents of Univ. of N.Y., 360 U.S. 684,689(1959) を見よ(「自由人の間では、犯罪を妨げるために通常適用される抑止力は、教育と、法の違反に対する罰であり、自由な言論の権利を弱めることではない」)(内部の引用符と引用文は除省略した)。 言論を、それが我々の感情を害するも主題に関するものであるという理由で禁止してはいけないということも十分確立された。FCC 対 Pacifica Foundation, 438U.S.726,745(1978) を見よ(「社会が言論を不快であると思うかも知れないという事実は、それを抑圧する十分な理由ではない」)。同様にReno 対 American Civil Liberties Union,521 U.S. 844, 874(1997)を見よ(「成人の自由な言論権利を検討する際に、我々は『下品はあるが猥褻ではない性的表現が修正第一条によって保護される』ことを完全に明らかにした」)(引用は SableCommunications of Cal., Inc. v. FCC, 492 U.S.115,126(1989) 。 Carey 対 Population Services Int'l, 431U.S. 678, 701 (1977)(「保護された言論が誰かを不快にさせるかも知れないという事実は、その言論の抑圧を正当化しない」)。
一般的原則として、修正第一条は、我々が見たり、読んだり、話したり、聞いたりするものを政府が指図することを妨げている。言論の自由は限界を持っている。言論の自由は、名誉毀損、扇動、猥褻、そして実在の子どもを使って作られたポルノを含む一定の範疇の言論を含んでいない。 Simon & Schuster,Inc. 対 Members of N.Y. State Crime Victims Bd., 502 U.S.105, 127(1991)(ケネディ判事が同意)を見よ。これらの範疇は修正第一条に違反することなく禁止されてよいが、そのいずれもCPPAによって禁止されている言論を含まない。上訴裁の意見書の反対意見書でファーガソン判事はこれを法として認め、ヴァーチャル児童ポルノは保護されない言論へ追加される範疇と見なされるべきだと提案した。 198 F. 3d , 1101頁を見よ。法令を支持するためにこの方法をとることが、我々には必要となるであろう。
CPPAは、真面目な文学的、芸術的、政治的、又は科学的な価値にもかかわらず言論を禁止している。法令は、性行為に従事している10代という概念の視覚的な描写を禁止している。それは現代社会の事実であり、時代を通じて芸術と文学の主題となってきた。CPPAの下では、人物が18歳未満の者に見えさえすればイメージは禁止される。合衆国法典 タイトル18の2256条(1)。 これは人が性的関係に同意して良い年齢と同様に、多くの州における結婚のための法定年齢よりも高い。第2243条(a)を見よ(連邦の海域及び良識での合意年齢は16)。U.S. National Survey of State Laws 384-388(R. Leiter ed., 3d ed. 1999)を見よ(48州で親の同意の下16歳で結婚が許可される)。W.Eskridge & N. Hunter, Sexuality, Gender, and the Law 1021-1022(1997)を見よ(39州とコロンビア特別区では合意年齢は16歳かそれより若い)。もちろん、若者達の中のある者が、彼ら自身の気持ちからまたは彼らが性的虐待の被害者であるために、法定年齢以前に性行為をすることを否定できない。
10代の性行為と子どもの性的虐待という2つのテーマは、無数の文学作品に吹き込まれている。ウィリアム・シェイクスピアは、片方はたった13歳という、最も有名な10代の恋人を創造した。 See Romeo and juliet, act T,sc. 2, l. 9(“彼女は14歳になるようには見えなかった”) 劇の中で、シェイクスピアはその関係をすばらしく無邪気に描いているが、児童向けではない。その作品は少なくとも40の映画で、10代の少年少女が彼らの関係を性交することによって完全なものとしていることを暗示して、感激させている。E.g., Romeo and Juliet(B. Luhrmann director, 1996) シェイクスピアはエリザベス時代の観客のために、明白な性的なシーンを描かなかったかも知れない。しかし、現代の監督は、より平凡なアプローチを採用して、作品がわいせつなものであるという結論にされないようにした。
現代の映画は、似たようなテーマを追い求めている。去年のアカデミー賞のBest Pictureにノミネートされた映画にTrafficがある。 See Predictable and Less So, the Academy Award Contenders, N.Y. Times, Feb. 14, 2001, p. E11. その映画は麻薬におぼれる10代−16歳とされている−を描いている。視聴者は、彼女の麻薬常用による堕落と、最後には彼女が不潔な部屋で麻薬のためにセックスをするのを見る。 1年前、American Beautyがアカデミー賞のBest Pictureをとった。 See "American Beauty" Tops the Oscars, N.Y. Times, Mar.27, 2000, p.E1. その映画の中では、10代の少女が彼女の10代のボーイフレンドと性的関係を結び、そして、別の子は喜ばせることに身をゆだねている。映画はまた、観客はその行為が行われていないと理解するかも知れないが、あるキャラクターが、自分は10代の少年が年上の男性と性行為を行っているのを見た、と信じる、というシーンを含んでいる。
我々の社会では、他の文化と同様に、若者の運命や生き方に共感や、不朽の魅力を感じる。芸術や文学は、我々みながもっている子どもの人格形成期への興味を表現している。それは我々がかつて知ったように、傷が嘆かわしい、深い失望になったり、悲劇的な選択ミスをしたりすることがあるが、道徳的な行動や自己達成もまだ手が届く範囲にある時期だ。 我々が言及している映画がCPPAに違反するかどうか、法令の禁止の広い範囲に入るテーマを調査する。もしこれらの映画や、他の数百のより注目度の劣る映画が、法令の定義内の性的行為のグラフィック表現を1つでも含んでいると、その映画の所有者は、作品の価値を回復する調査無しに、厳しい罰則を必要とすることになる。これは、修正第一条のルールの趣旨と矛盾する。:作品の芸術的価値は、たった1つのきわどいシーンの存在に左右されない。 see Book named "John Cleland's Memoirs of a Woman of Pleasure" v. Attorney General of mass., 383 U.S.413, 419 (1966)(多数意見)(“本の社会的価値は、わいせつな表現や明白な攻撃によって不利となったり、取り消されたりしない”)Millerの下では、修正第一条は、評価の回復について、作品を全体として考慮して判断することを要求している。たとえそのシーンが孤立した不快な物であっても、そのシーンが物語の一部分にあるという理由で、その作品自体がわいせつなものとはならない。 See Kois v. Wilsconsin, 408 U.S. 229,231(1972)(per curiam) この理由によって、我々が言及した残りの作品も、CPPAは、その禁止とわいせつさの定義によって禁止されているcommunity standardsへの侮辱との間に要求されている関連を欠いているという理由で、わいせつさを禁止すると読むことはできない。
政府は、CPPAによって禁止される言論は、Ferberに基づく児童ポルノとほとんど区別できないので、作品に価値が含まれているかどうかを気にすること無しに禁止して良い、と表明している。See New York v. Ferber, 458 U.S.,at 761. イメージが子供の性的虐待の産物であるときは、Ferberは、国家がそれを内容についての判断無しに排除することに関心を持っていると認定している。Id.,at 761, n. 12; see also id.,at 775(O'CONNER,J.,concurring) (“草案では、ニューヨークの法令は特定の概念の通信を抑圧しようとしていない”) 作品の内容ではなく、作品の生産が法令の対象であった。まじめな文学や芸術や他の価値を含んだ作品は、それに関係する子供に被害が生じた場合は許されない。単に、“性的作品に対するコミュニティの許容と、子供を性的搾取から守ることを目的とした法律の許容範囲が一致するということが非現実的であった。” Id., at 761, n.12.
Ferberは、児童ポルノの販売と頒布を、その生産と同様に禁止することを支持した。なぜなら、これらの行為は2つのことから子供の性的虐待と“本質的に関連する”からである。Id., at 759. 第一に、児童虐待の永久的な記録によって、それに関与した児童は、その流通のたびに傷つけられる。名誉毀損法のように、その言論が新しく発行されるたびに、子供の評判と感情の安寧が新たに傷つけられる。 See id., at 759 and n.10. 第二に、児童ポルノの売買は、その生産品のための経済活動であるので、その頒布ネットワークを遮断することに国家の利益があった。“法の施行の現実的な方法として、この素材の市場を干上がらせるためには、その生産品を売ったり、広告したり、他の宣伝をしたりすることに厳しい刑罰を科すことが、もっとも迅速な方法だ。”Id., at 760 どちらの理論的根拠においても、その言論には、法廷が事実上、犯罪との直接の関連から生じたものであると判断したものがあった。
後に、Osborne (Osborne v. Ohio, 495 U.S. 103(1990)) で、法廷は、これらのことを正当化し、現実の子供を使ったポルノの所有を禁止することを決めた。“児童ポルノの犠牲者の保護という国家の関心の重要さが示され”、国家は“distribution chainのあらゆる段階で、この悪徳を根絶しようとする”ことが正当化された。Id., at 110. Osborneはまた、国家が、児童ポルノが未成年者をそそのかす目的で使われているということを妨げようという関心を、抱いていたことに注目した。Id., at 111. 法廷は、しかしながら、児童ポルノの所有は、その参加者であるいわゆる“児童ポルノの被害者”が利害を持つ、ということを定着させた。 Id., at 110. この関心が欠けている、他の政府の関心が十分であるとは提案していない。 See infra, at 13-15.
Ferberのように、言論そのものが性的虐待の記録である言論とは対照的に、CPPAは犯罪を記録したものでもなく、生産の際に被害者が生じない言論を禁止する。ヴァーチャル児童ポルノは、子供の性的虐待と“本質的に関連する”ものではない、Ferberの素材だった。458 U.S.,at759. 政府はそのイメージが性的虐待の実例を導くことを主張するが see infra, at 13-16 、因果関係は、不測であり、間接的である。その被害は、その言論から必然的に起こるのではなく、その後の犯罪行為の数量で表せない可能性に依るものである。
政府は、Ferberが児童ポルノはめったに価値のある言論にならないと認めているのだから、これらの間接的な被害で十分であると言う。 See 458 U.S.,at 762(“少数のものを除いて、子供がわいせつな性行為に従事している実演や写真の複製を許可することの価値は非常にささやかである”) しかし、この論拠には2つの弱点がある。1つは、児童ポルノについてのFerberの判断は、それがどのように作られたかに基礎をおいたものであり、それが伝えていることにはおいていなかった。この件は、言論がわいせつでも性的虐待の産物でもないとき、修正第一条の保護の範囲外にはならないことが再確認された。 See id., at 764-765 (“性行為の記述や他の描写の頒布は、他の点ではわいせつでなければ、また、実演や写真や他の実演の映像複製物を含んでいなければ、修正第一条の保護が及ぶ”)
政府の立場の第二の弱点は、Ferberは、児童ポルノが定義として価値のないものだと判断してはいないということだ。逆に、法廷は、このカテゴリの作品に重要な価値を持つものがあることを認めている see id., at 761。ヴァーチャルイメージ−CPPAによって禁止されているようなもの−に依存しているものは、代用品であり、許された表現の方法であるとしている。“仮に、作品に文学や芸術の価値が必要だとするならば、法廷年齢以上で若く見られる人間は使うことができる。法令の禁止の外側のシミュレーションは、別の代用品を供給できる” Id., at 763 Ferberは、実在と仮想の児童ポルノの違いを、その判決を支える根拠としている。Ferberは、区別を取り除き、また代替物をも犯罪とする法令に、何の支持も与えていない。
3
CPPAは、我々が調べたところでは、Millerに矛盾し、Ferberの支持もない。政府は別の方法でその禁止の正当化を求めている。ペドフィリアが子供を誘惑するためにヴァーチャル児童ポルノを使用するかもしれないから、CPPAが必要であると主張している。しかし、漫画映画やビデオゲームやキャンディーのように、それ自身は無害であっても、不道徳な目的に使われたかもしれないものは多くあるが、我々はそれらが誤用されうるからといって禁止されることを求めていない。もちろん、政府は子供に適していない素材を供給する大人を罰して良い see Ginsberg v. NewYork,390 U.S. 629(1968) し、不法な誘惑に刑罰をして良い。しかし、判例は確立しているが、大人の聞く権利を持つ言論を、子供にそれを聞かせないようにするために、完全に沈黙させるべきではない。 See Sable Communications of Cal., Innc. v. FCC,492 U.S.115(1989). Butler( Butler v. Michigan,352 U.S. 380,381(1957)) では、法廷は、“未成年の暴力的、堕落、不道徳な行為を誘発する”傾向があることからみだらな出版物の発行を禁止するという法令を、無効にした。法廷は、満場一致で、国家は“大人に子供にあわせたもののみを読ませるようにする”ことはできないという、修正第一条の趣旨と一致した。 Id .,at 383. 我々はこの判断を再確認した。 See United States v. Playboy Entertainment Group, Inc.,529 U.S.803,814(2000) (“子供を守るという目的は、もしその保護が少ない制限した手段によって成し遂げられるとしても、包括的な禁止を支えるには十分ではない”) Reno v. American Civil Liberties Union, 521 U.S.,at 875(“子供を有害な素材から守るという国家の利害は……大人向けの言論への必要のない広範な抑圧を正当化しない”) Sable Communication v. FCC, supra, at 130-131(“dial-a-porn”メッセージの禁止は、”聞くことが子供にとって適しているかという理由で、大人の電話の内容を制限するのは無効である”となっている)
政府はさらに、ヴァーチャル児童ポルノはペドフィリアの欲求をそそり、彼らを不法な行為に従事するよう促す、と意見を提出した。この論理的根拠では、問題の条項を正当と認めることはできない。不法な行為を促すという言論の傾向だけでは、それを禁止するのに十分な理由ではない。政府は“憲法上、民衆の私的な考えをコントロールすることが望ましい、ということを法律制定の前提として述べることはできない。” Stanley v. Georgia, 394 U.S.557,566(1969). 政府が思想をコントロールしようとしたり、容認しがたい目的の法を正当化しようとするとき、修正第一条の自由は危機に陥る。考える権利は自由の始まりであり、言論は思考の始まりであるが故に、政府から守られなければならない。
これらの自由を保護することと、自分のために言論を守ること、法廷の修正第一条の事例には、言葉と行為、考えと行為の間に、重大な区別がある。See Kingsley Int'l Pictures Corp., 360 U.S.,at 689; see also Bartnicki v. Vopper,532 U.S. 514,529(2001)(“不法な行為をやめさせる普通の方法は、その行為をした人間に適切な罰を科すことだ”) 政府は、“不確定な未来に”不法な行為が行われる機会が増えるため、言論を禁止してはいけない。 Hess v. Indiana, 414 U.S. 105, 108(1973)(per curiam). 政府は、法の違反や暴力の使用を主唱する言論を、“その唱道が、差し迫った違法な行為を誘発したり起こしたりする目的であったり、そのような行為を誘発したり起こしたりしようとしているとき”に限って、抑圧しても良い。 Brandenburg v. Ohio, 395 U.S.444,447(1969)(per curiam). ここには企ても扇動も客引きも陰謀もない。政府は、考えや衝動を促す言論と、児童虐待の結果との間の、間接的な関係だけを示した。かなり強い、より直接的な関係無しに、政府はペドフィリアが不法な行為に従事することをそそのかしているかもしれない現場で、言論を禁止することはできない。
政府は、不法な言論を抑圧する手段として合法な言論を抑圧してはならない。保護されている言論は、ただ保護されていない言論に似ていると言うだけで保護されていない言論にはならない。憲法はその逆を要求している。“保護されていない言論が罰せられずに許されることで社会に起こりうる危険よりも、他の保護された言論が沈黙する可能性のほうが、より重要である。” Broadrick v. Oklahoma,413 U.S.,at 612. 過度の広汎性の原則は、もし保護されていない言論の禁止の過程で相当な量の保護された言論が禁止されたり脅かされたりするのならば、政府に保護されていない言論を禁止することを禁止している。
この異議の効力をさけるために、政府はCPPAを、言論の抑圧という対策としてではなく、言論が合法であることの証明責任を告発された側に移行する手段として読むべきである、というように我々に読ませようとした。この点に関しては、政府は、素材が大人のみを使って作られていて、実在の子供を描写したという印象を伝えていないことを示すことで、非所持である違反による有罪判決を避けることができる、積極的抗弁となる、と言っている。 See 18 U.S.C $2252A(c).
しかし我々は、政府がこの責任を話し手に課すかどうかを決める必要がない。たとえ積極的抗弁によって、法令が修正第一条の挑戦から守られることができたとしても、ここではその抗弁では不完全であり、不十分である。下級審で有罪を宣告されていても、彼らはその制作で子供が搾取されていないことを証明することができる。A defendant charged with possessing, as opposed to distributing, proscribed works may not defend on the ground that the film depicts only adult actors. See ibid. 積極的抗弁は、映画製作者をその頒布の行為についての訴追から守ってくれるかもしれないが、同じ制作者とそのdistribution chainのすべての他の人々に、禁止された作品を所有した責任を負うべきであるとすることができる。さらに、積極的抗弁は、コンピュータイメージを使用した言論を作った人間や、未成年に見える大人の役者の使用を含まない他の方法には保護を与えない。 See ibid. これらのケースでは、被告が、そのイメージの作成の際に子供を傷つけていないことを証明することができるが、積極的抗弁は訴追を妨げない。この理由によって、イメージが実在の子供を使って作られているか、ヴァーチャルな物を使って作っているのかを識別するということに対する政府の関心とは結びつかない、かなりの量の言論を保護されていないままとするため、積極的抗弁は法を守ることはできない。
政府は、この条項の真剣な抗弁を提出していないし、CPPAを支持する他の議論は$2256(8)(D)に関して述べていない。素材は、たとえば、刑事裁判で児童ポルノについて混乱しそうではない。法廷は、[児童ポルノであると]触れ込みをする行為を、ある素材がわいせつかどうかという疑問の証拠と関連している、と認定した。 See Ginzburg v. United States,383 U.S.463,474(1966)(“近いケースで触れ込みをすることの証拠が、問題の素材の性質に関しては、証拠となるかもしれない。それゆえわいせつテストを満足させる”) 被告が、“ただわいせつなアピールのためだけに性愛本の商業的利用” id., at 466 することに関与しているとき、彼または彼女が制作した状況は、素材の判定に重大な関わりがあるだろう。