Biography

(最終更新日:2004年11月20日)

Our Lady Peaceが結成されたのは1992年、マイク(ギター)がトロントの『Now』というフリーペーパーに出したバンドメンバー募集の広告に、当時大学生だったレイン(ヴォーカル)が応えたことがきっかけでした。ちなみに、結成後しばらくはドラマーとベーシストは今とは全く違う人だったらしく、その時のラインナップで撮られたらしい、「Out of Here」という曲のビデオクリップがあります。

結成から1年ほど経った段階で、彼らは3曲入りのデモテープを作り、いくつかのレーベルにアプローチします。その結果、ソニー、ゲフィン、インタースコープといったレーベルから反応があり、中でも最も活動上の自由を約束してくれたソニーと契約することになりました。この時、OLPはまだ10数回しかライブをしたことがなく、インディーでの下積み経験もありませんでした(本当にラッキーなスタートですよね(^_^))。この頃、オーディションによってジェレミー(ドラム)とクリス(ベース)がバンドに加入しました。

1995年には、ファーストアルバムである『Naveed』がリリースされました。このアルバムを引っさげ、OLPは500回以上という途方もない数のライブをこなすことになります。しかしその結果、彼らは着実に注目を集める存在となり、アラニス・モリセットや、ラジオでシングルの「Starseed」を耳にしたロバート・プラントからは、「ぜひ自分のコンサートのオープニングアクトをやってほしい」と個人的に頼まれるほどになりました。しかし、ベースのクリスが、「音楽的にも人間的にも、目指す方向が他のメンバーとずれてきてしまった」という理由で脱退。代わりに、以前からレインとは友達だった現在のベーシスト、ダンカンが加わります。

1997年には、セカンドアルバム『Clumsy』をリリース。結果的にこのアルバムはカナダ、アメリカ、およびその他の国でトータル250万枚以上売れる大ヒットとなり、彼らは名実共にカナダを代表するバンドとなりました。このアルバムからのシングル「Clumsy」はアメリカでもヒットし、ビルボードのモダンロックチャートの(確か)5位ぐらいまで上がりました。

この後、ウッドストック出演を経て、1999年にはサードアルバム『Happiness...is not a fish that you can catch』(邦題『ハピネス』)がリリースされました。このアルバムは、OLPのアルバムとしては初めて日本盤化されたものです(『Naveed』も『Clumsy』も、残念ながら国内盤は出ていません)。イギリスでも、OLPはこのアルバムを機に本格的に注目され始めたらしく、着実にインターナショナルなバンドとしての第一歩を踏み出しました。

そして2000年の12月には、前作からわずか1年余りという期間を経て、4枚目となるアルバム『Spiritual Machines』をカナダでリリースしました(ちなみに、アメリカや日本では2001年に発売されました)。なお、このアルバムではブレンダン・オブライエン(パール・ジャムなどを手掛けたプロデューサー)がミックスを担当しており、マット・キャメロン(元サウンドガーデン/現パール・ジャムのドラマー)がゲスト参加しています。このアルバムは批評家達にも高く評価され、その年のJuno賞(カナダ版グラミー賞です)ではOLPが全アーティスト中最多のノミネーションを獲得しました。

2002年には、5枚目となるアルバム『Gravity』をリリース。このアルバムは、それまでのアルバムでずっと一緒に仕事をしてきたプロデューサー、アーノルド・ラニ(OLPの他には、Simple Planなどを手掛けています)の元を離れ、ボブ・ロック(メタリカなどとの仕事で有名です)と組んだ初めてのアルバムで、商業的にも大きな成功を収めました(このアルバムからの先行シングル「Somewhere Out There」がモダンロック系のラジオ局だけにとどまらず、ヒットチャート系のラジオ局でもエアプレイをかせぐヒットとなったおかげで、『Gravity』はBillboardのアルバムチャートで初登場9位を記録しました)。しかし、このアルバムのレコーディング中に、ギタリストのマイクが音楽性の違いを理由に脱退。その後任として、デトロイト出身のスティーヴが新たにバンドに加わりました。スティーヴは名門音大、Berklee College of Musicの卒業生で、OLPに加入する前には、エンジニアとして色々な有名ミュージシャンのアルバム制作に携わっていたこともあるようです。

2003年には初となるライブアルバム&ライブDVDをリリースしたOLP。また、2004年にはアヴリル・ラヴィーンのセカンドアルバム『Under My Skin』にレインがプロデューサーとして参加するなど、活動の幅を広げました(ちなみに、レインがアヴリルのアルバムに参加することになったのは、レインの奥様であるカナダの人気女性アーティスト、シャンタール・クレヴィアジックのアイディアだったようです。シャンタールとアヴリルは元々親友で、このアルバムのために一緒に曲作りをしていたのですが、ある日シャンタールが「レインにプロデュースをやらせてみない?」と提案し、アヴリルもそれはいいアイディアだと思ったため、レインの参加が実現したそう。なお、レインはプロデュースの他にも、「Fall To Pieces」という曲ではアヴリルと共作もしています)。再びボブ・ロックと組んだ6作目となるニューアルバムも、2005年春頃の発売が予定されています。

トップに戻る