『地域と人権』埼玉版『人権のひろば』
---- Net版07年4月号--No.315


  波紋広がる特待生制度
 プロ野球西武球団の裏金問題で早大野球部を退部処分となった選手(4年)が在籍した専大北上高校(岩手)が、学生野球憲章違反の特待生制度を設けていたことが発覚。高校野球連名は同校を除名処分とし、全加盟校を対象に実態調査をおこなうとしていることから、いま特待生制度が大きくクローズアップされています。
 問題にされているのは野球ですが、「スポーツ特待生」の是非はもとより、スポーだけではなく「特待生」制度そのものが問われるべきではないのか。埼玉人権連の「何でも相談」に寄せられた事例を通して、「特待生」制度が教育にはふさわしくない深刻な問題をはらんでおり、それが現在の国の教育政策の矛盾を示すものでもあることが明らかになりました。

高い学費 弱者に大きな負担
 自営業のAさんは今年4月、娘のT子さんを私立高校に進学させました。T子さんは中学時代、塾に行かず北辰テストを受けたこともなく、そして低学力でした。弱視で自転車に乗ることができないため、自宅や駅から遠い県立高校への進学を断念。単願(その学校のみ受験)なら面倒をみると約束してくれた私立に進学することを決めました。
 Aさんは苦しい家計をやり繰りし、入学手続きで、入学金25万円と施設設備費5万円、計30万円を支払い、制服代3万円と指定の靴・鞄1万3千円、体育着代1万8千円、教科書代約6千5百円も払いました。多額の金を払ったことで、「ごめんなさい、自分の頭が悪いためにこんなにお金を使わせて」とあやまるT子さんがいじらしかった、とAさんは話します。
 その上、授業料2万円と施設整備費1万6千円、生徒会費、冷暖房費、PTA会費など1,500円と、修学旅行積立金(2年の6月まで)2万円、計5万7千5百円をこれから毎月払っていかなければなりません。

納得できない特待生制度
 Aさんがどうしても納得できないのが、T子さんの通う高校の特待生制度。
 特待生は、入学試験前に受ける「特待生認定試験」(国・数・社・理・英の5教科200点満点)の成績によりAからEまであり、「認定試験」で180点以上の特待生Aは、入学金と施設設備費が免除・授業料と施設整備費が支給され、国公立大と私立大の難関大学受験をめざす特別進学コースの少人数クラスに入る。毎日放課後夜までと長期休業中に特別補習を受け、代々木ゼミナールの授業を衛星放送で受ける授業もあり、塾や予備校に通う必要がない。
 40人のクラスでごく普通の授業を受け、放課後も特に面倒を見てもらうことのない多数の生徒の支払う多額の費用、その費用を使って一部の少数の生徒が至れり尽せりの待遇を受けながら人気大学をめざして受験勉強をする。
 「貧乏人の我々の金を使って、一部のエリートがさらに上に上がって行く。何なのだ」とAさん。特待生の親の多くは、高学歴・高収入の階層だとAさんは見ています。
 格差と競争教育の下での中・高校生の姿を紹介した『明日をつくる?埼玉の人権』第14号。国・県が教育費を削っているなか、3年間に5千万円が特別支給される県立5校の進学校の生徒の状況では、熱心に何でも吸収して成長していく生徒たちのやる気が、恵まれた家庭環境と無関係でないことが示されています。
 県レベルの高校間格差も問題ですが、Aさんが納得できないと話す私立高校の特待生制度は、同一校内で起きている深刻な格差です。

求められる奨学金制度の拡充
 教育費の公費負担削減と競争第一の現在の教育政策のもとで、一部のすぐれた学生・生徒に特典を与える特待生制度は強きを助け、格差を広げるもの。経済的・社会的条件により、すぐれた能力を伸ばす機会を得られない者に学資金を給与する公の奨学金制度を充実させることこそが、本来の奨学制度の姿です。

栗原常任幹事が南河原の議席を確保
 4月22日に投開票された後半の統一地方選挙で、行田市議会議員選挙(定数24)に立候補した埼玉人権連常任幹事(前事務局長)の栗原二郎さん(日本共産党)が、定数に対して2人はみだしの少数激戦を勝ち抜いて見事に当選、旧南河原地区の議席を確保しました。
 旧南河原地区では、行田市への編入(吸収)合併と同時に全村会議員が失職、以来1年4ヵ月、議員がいない状態でした。そのことによる不利益を知って、南河原地区住民は「なんとしても南河原から議員を」と燃え、「党派など関係ない。何かできることはないか」とたくさんの人が選挙事務所に集ったといいます。
市議選には旧南河原地区から栗原さんのほか元議長ら前村議2人も立候補。3人当選の票は南河原にはなく、3人共倒れがささやかれる中、3月18日に行なわれた栗原さんの選挙事務所開きには、南河原地区自治会連合会長はじめ、各自治会長、前村議会副議長や前村議、地元自治会副会長(会長は栗原さん)や班長さん、小中学校の同級生などが次々にマイクを握って、「村議7期の経験と実績は抜群」「誠実で勉強家」「心を一つにして南河原から議席を」と支援を訴え、つめかけた80人が拍手で応えました。 
 当選した栗原さんは、「南河原地区の皆さんの強力な支援 のおかげで、この激戦に勝利することができました。皆さんに深く感謝いたします」と語っています。

「平成の大合併」で市に編入の旧町村地区候補、落選相次ぐ」 読売報道
 22日に投開票された統一地方選の市議選で、平成の大合併に伴って市に編入された旧町村地区の候補者の落選が相次ぎ、「地域代表」が消滅したり激減したりするケースが続出した??読売新聞4月23日の報道です。
 ?? 大票田の市部の壁に阻まれた形で、旧町村部の有権者からは「議会に地域住民の声は届くのだろうか」と不安の声が上がった?? として、岩手県盛岡市、愛媛県新居浜市とともに行田市のケースを報道しました。その記事の概要は以下の通りです。
 定数42に58人が出馬した盛岡市議選で旧玉山村地区から現職7人と新人1人が出馬、結果は当選は現職2人で、6人が落選。18人いた旧村議が九分の一になった。
 埼玉県行田市議選(定数24)では、昨年1月に編入合併された旧南河原村地区から3人が立候補。しかし、当選は最下位で滑り込んだ新人の栗原二郎さん(60・共産)だけで、14人いた旧村議時代から大幅減となった。栗原さんは「旧村民の声をしっかり新議会に届けなければ」と気を引き締めるが、旧村の住民には不安の声もある。
 愛媛県新居浜市の旧別子山村では旧村から候補者が出ず、「地域代表」が消滅した。???


教育に臨時はない!
  「すすめる会」の総会に参加して
 「埼玉県臨時教職員制度の改善をすすめる会」の第5回総会と記念講演が3月31日、埼玉教育会館で行われました。
 いま埼玉県内の小中高校では4千名の臨時教員が教育現場を支えています。そして正規の教員と同じ仕事をしながら職員会議や学校行事に参加できず、勤務条件や待遇は劣悪な状態におかれています。多くはアルバイトをしながら扶養してくれる人がなければ暮らしていけない実態。さいたま市のK先生は、年収80万円に満たないなか「どうしても教師の仕事を続けたい」と生活保護を受けながら授業に立ち続けています。
 自分の子どもや孫が通う学校が今こうした教師に支えられていることを知っている人は、どのくらいいるのだろうか。教育問題がこれ程問題にされている中、〃臨時〃の実態がなぜもっと正面から取り上げられないのか、不思議に思えてならない。
 この会は2002年に発足(会長=中西新太郎横浜市立大学教授)し、教師だけでなく、自治体の臨時職員や退職教員、父母、市民などさまざまな人々が加わって百名を越えている。そして県や県教育局などと交渉を重ね、採用や待遇の改善にいくつもの実績をあげています。
 午前、総会に続いて「臨時教員が自らを語る」のテーマで、年度末をひかえて来年度の採用の声がかかるか否か最も不安ななか、今の心境が語られて、聞いている私も胸がつまりました。私の採用試験はどのように採点されたのか?試験結果の素点の開示を求めた報告、50歳を越えても教壇に立てる喜び?高校の臨時50歳年齢制限撤廃をかち取った報告、生活苦と教育への情熱の狭間で?生活保護申請してなぜ教師を続けるのか、などの報告がありました。「こうした臨時教員の実態を一人でも多くの人に知らせることが、私にできること」と話す市民の思いも出され、意見交流がおこなわれました。
 午後、「臨時教員の人権宣言の詩」が朗読され、その後、日本子どもを守る会名誉会長の太田尭・東大名誉教授が「共育とは」と題して講演。臨時教員を大いに励ますお話でした。(藤井)


コラム・数を読む れんさい5 8400
 8400?? 日本の医者1人が1年間にみる患者の数(平均)です。OECD(経済協力開発機構)加盟30カ国の平均は2,400人で日本は27位。
 人口10万人あたりの医者の数が、イタリア420人、ドイツ340人、平均は310人日本は、200人でイタリアの半分にも満たない。
 50歳未満の勤務医の3割が過労死の基準を超える長時間過密労働。学会の調査で「多忙で思考力が散漫になり、医療事故を起こしそうになった」外科医が4割、「長時間手術のかけもちでミスが心配」という麻酔科医は6割、などの数字も。
 どの病院・医院へ行っても患者がいっぱいで長時間待たされる。その理由がどこにあるかを示す数です。諸外国と比べても極端に日本は医者の数が少ない。医療費を抑制するために、なんと医者を減らす政策が取られてきたとは。
 その上に自民・公明政権が進めている診療報酬の削減で、多くの病院で人員削減や病棟の縮小、採算の低い診療科の廃止や廃業などがおこなわれ、国公立病院の統廃合も強行されています(この5で289の病院・診療所が廃止)。地域医療の崩壊が進んでいます。
 特に産科・小児科病院の不足は深刻。1996年〜2005年の10年間に、産婦人科のある病院が28・7%減り、国立病院に至っては35%も減少しました。
 安心して地域で暮らしていけるようにするために、憲法25条を生かし、医療を充実させることが不可欠の課題になっています。



小林 実さんを悼む
 元埼玉県部落解放運動連合会(埼解連)の副委員長、顧問として長年にわたって私たちの運動を指導されてこられた本庄支部の小林実さんが、脳内出血のため4月1日に逝去されました。80歳でした。
 4月3日の告別式で、ある方が「人としての生き方を教えてもらった」と弔辞を述べらましたが、本当にそうだったと私は深くうなづいてその言葉を聞きました。
 小林実さんは、私にとって部落解放運動と勤務先の学校の両方の大先輩であり、学校の業務室での話や組合の会議などで、ご自宅の居間のこたつや縁先で、そして学校から埼解連の夜の会議に向かう私の車の中や会議の場などで、実にたくさんの話をし、たくさんのことを教えていただきました。話と実際の行動を通して、人はその時々にいかに行動すべきか、ということを教えていただいたのです。
 小林さんは1960年代、児玉町で解放同盟の支部の書記長をされていましたが、解放同盟の中央が部落排外主義と暴力路線に傾斜していく中で、これを批判する姿勢を明確にしたために支部書記長をおろされました。1969年の同和特別法制定以前のことです。1974年12月には解放同盟正常化埼玉県連結成の呼びかけ人の1人となり、暴力集団が自宅に押しかける嫌がらせや解同中央からの除名処分などを受けました。75年2月の正常化県連結成大会で会計に就任、以後、県連副委員長、県連顧問として運動を指導されてこられました。
 またこの間、小林さんは63歳で定年退職されるまで県立児玉高校の業務主事をされていましたが、生徒が勉強やクラブ活動などに気持ちよく取り組める学習環境を整えるのが自分の仕事、喜んで頑張る生徒の姿を見るのが生き甲斐、と常々語り、その誠実な勤務ぶりで教職員や生徒から尊敬されておられました。埼玉県高等学校教職員組合の現業労組の役員もされ、現業職員の待遇改善と民主教育の前進のためにも熱心に取り組まれました。
 2004年9月12日の埼解連の終結大会で、長年のご指導に感謝状をお贈りした際も、力強い声で謝辞と人権連への期待を語り、自身も人権連の運動に参加して頑張る決意を述べられて、私たちを大きく励まして下さいました。
 平和と民主主義、住みよい地域社会の実現を願って一貫して歩み、最期まで人としての生き方を示し続けてこられた小林さん、私たちの運動への長年のご指導ご鞭撻、本当に有難うございました。安らかにお眠り下さい、ご冥福をお祈り申し上げます。合掌(埼玉人権連会長・三枝茂夫)
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