ネス潮にネツシー、奥多摩潮にオクツシー
ドラマは品川子ども劇場キャンプ指導員会議でキャンプ場の地図を見ていた時に生まれた。
「奥多摩湖の形ってさかさから見ると龍に見えるね」一人の青年がつぶやいた。
「ああ、本当だ。それじゃあ、奥多摩湖に幻の龍オクッシーが住んでいるなんてのはおもしろいんじゃないか・・・」
イメージが広がり出していった。
1 しらけることは カッコイイ?
1981年。私たちのキャンプ観をゆさぶる事件があった。
「しらけるぜ!」
「聞こえないぞ!」
「かっこつけてんの」
キャンプファイヤーで初参加の男の子たちがさけんだ。そんなことは子ども劇場では今までなかったことだ。
ファイヤーだけでなく彼らはキャンプ生活を通して、そんな向き方をしていたのだ。
これは単に生活の問題ではなく、文化の問題ではないかと私たちは考えた。
「しらけることがカッコイイ、まじめブリッ子はダサイ」という文化に子どもたちはかこまれていることを、あらためて思い知らされたのである。
子どもたちをとりまく文化環境をなんとかしよう、というところで生まれたのが「子ども劇場」であり、「共通のすぐれた文化の中で語り、生活できるひとつの社会モデル」であるなら、ここをなんとかしなくてはならない。
そうでなければ、子どもたちや私たちの日常をしめている「しらけ ちゃかし」文化によって子ども劇場でさえ蝕まれていく可能性が大きい、と考えた。
そして、文化をもって文化に立向かうことのできる、数少ない団体のひとつが「子ども劇場なのだ」と若いが熱い思いがあったのだ。
その後、私たちはこの考えにもとづき、青年も創り子どもも創る活動を、ということで「子ども文化祭」にとりくんだ。
青年も文化的に豊かになることにより、子どもにかかわっていくこの活動は、大きな成果をあげることができた。
そして1982年、キャンプのとりくみがはじまった。
「今まで以上に文化的に豊かなキャンプを」
「子ども劇場ならではのキャンプを」
ということを集中的に話し合った。
.
そして、キャンプ自体をドラマ化するという話がでてきた。
私の南大井児童センターでの実践「南大井大作戦」(宮里・北島著『ファンタジーを遊ぶ子どもたち』いかだ社刊参照)のようなものをキャンプでできないかという話だった。
私自身は大変不安であった。
二泊三日(現在は三泊四日だが)の三日間、子どもたちがドラマにのっていられるかどうか。
一日だけの「大作戦」でも大変であるのに、三日間もできるのだろうか、という不安があった。
しかし、不安もやがて消えていく。
参加する劇場の子どもたちは定期的に劇を見ている子どもであり、ドラマにのっていきやすいだろうという確信、そして青年たちも劇作りを行ってきており、ドラマの担い手としての力があるだろうという思いからであった。
こうして、ドラマキャンプヘのとりくみが進んでいくことになったのである。
「オクッシーをさがす探検なんていいんじゃないかな」
「もし、オクッシーがいるとしたら、今の社会に怒っているんじゃないかな。自然を大切にしない人間に対して・・・」
「人間って何でも自分のものだと思っているからな・・・」
イメージのキャッチボールをしながら、オクッシードラマができていった。1982年5月25日のことである。
|