| フォレスト・ガンプ 一期一会 1994・米 |
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![]() 製作:ウェンディ・ファイナーマン スティーブ・ティッシュ スティーブ・スターキー 監督:ロバート・ゼメキス 原作:ウィンストン・グルーム 脚色:エリック・ロス 撮影:ドン・バージェス 音楽:アラン・シルヴェストリ 出演:トム・ハンクス サリー・フィールド ロビン・ライト ゲイリー・シニーズ ミケルティ・ウィリアムソン マイケル・ハンフリーズ ハンナ・ホール ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ![]() 1965年7月、ホワイトハウスにて ジョンソン大統領(左端)と近松(右端) |
物語 ぼくの名はフォレスト・ガンプ(トム・ハンクス)。バス停留所のベンチに腰かけ隣の人に語りかけた。 「ママが言ってた。『人生はチョコレートの箱みたい』って。『食べるまで中身が分からない』」 ってね。 それからぼくは思いつくままにしゃべり続ける。 アラバマ州グリーンボウの町から800メートルの所にママとぼくは住んでいた。家が広いので通りかかった旅人に部屋を貸していた。 幼いガンプ(マイケル・ハンフリーズ)は知能指数が低く背骨が曲がっているため脚にギブスをはめていた。「特殊学校に入れたほうがいい」 とグリーンボウ小学校の校長は言ったがママ(サリー・フィールド)はその提言を断った。ぼくを特別扱いせず普通にしてあげたい、と。 ある日、家にギター・ケースを持った青年が来て部屋を借りた。ぼくは青年のギターに合わせてぎこちなく踊る。街でテレビを見て驚いた。その青年はエルビス・プレスリーだった。 初めて小学校に行く日、スクールバスの中で美しい少女に会った。ジェニー(ハンナ・ホール)だ。ギブスをはめたぼくをジェニーだけが隣に座らせてくれたのだ。 その日からぼくらは豆と人参のようにいつも一緒だった。木登りや本の読み方を教わった。 ある日、いじめっ子達がぼくに石をぶつけ自転車で追いかけてきた。「フォレスト!走って!」 ジェニーの声を聞きぼくは走った。ママが『奇跡は毎日起きる』と言ったが本当なんだ。走っているうちにギブスが弾けとび、ぼくは風のように走っていた。自転車のいじめっ子達は追い着けなかった。 高校生になってもジェニーは親友だった。悪がき達から車で追いかけられたとき、「フォレスト!走って!」のジェニーの声でぼくは奮起した。野原を疾走していつの間にかフットボールの試合会場の中を走っていた。 大学に入るとぼくはフットボール部に入った。「頭は弱いが脚だけはめっぽう速いや」 監督がぼくのことを人にそう言っていた。 雨でびしょ濡れになって女子寮のジェニーを訪ねたとき、「私はジョーン・バエズのようなシンガーになるわ」 と言った。 フットボールの全米代表チームとしてホワイトハウスに招かれ、ケネディ大統領から激励された。ドクター・ペッパーを15本も飲んだぼくは、「全米チームの気分は?」 と大統領から聞かれたとき、「小便がしたい」 と洗面所に駆け込んだ。そこにマリリン・モンローの写真が飾ってあった。 数年後、車の大統領を何者かが撃ったのだ。その数年後には弟までが撃たれた。 大学を出て陸軍に入隊した。初日のバスの中で「座りなよ」と声を掛けてくれたのは黒人のベンジャミン・ブルー(ミケルティ・ウィリアムソン)だった。「皆、ババと呼んでる」 と彼は言った。ババはエビ取り船の家に育ち、寝ても醒めてもエビ取りの話に夢中だった。 不思議なことにぼくは釘のように軍隊にピタリとはまった。銃の分解や組立は新記録といわれるほど速かった。 ある日、『プレイボーイ』誌にジェニーの写真が載っているのを見て、休みの日、バスでメンフィスに出かけた。『プレイボーイ』誌を見てメンフィスに劇場を持っている男がジェニーに歌手の仕事をくれたのだ。 ジェニーのフォーク歌手の夢が叶った。ステージのジェニーはギターを弾きフォークソングを歌う。そのうちに酒を飲んだ客がジェニーに絡み始めたのでぼくはすかさず殴りつけた。 「フォレスト!」 ジェニーは驚いたようだったが「私を守ろうとするのはやめて!」 と言う。「でも愛しているんだ」 ぼくが言うと、「愛が何かも分かっていないのに・・・」 とジェニー。 「ぼくはベトナムに送られる・・・遠い国だ」 ジェニーは言った。「何かあったら勇気など見せずに走って!」 ベトナムの前戦に送られた。ババと一緒だ。小隊長のダン・テイラー中尉(ゲイリー・シニーズ)は尊敬できそうな上官だった。雨が降ると4ヶ月も降り続けた。ある日ババが言った。「戦争が終わったら俺とエビ商売を始めないか」 「いいよ」 と、ぼく。「稼ぎはきっちり分ける」 ババは頭が良かった。 ある日の行進中、何の前触れもなくジャングルから銃弾が矢のように飛んできた。ゲリラだ。敵の武器はAKライフル銃とロケット砲だ。 「後退!後退しろ!」 ダン小隊長が叫ぶ。「フォレスト!走れ!」とババも叫ぶ。ぼくは走った。気が着くと誰も付いてこない。 「ババ!」 ぼくは又戻った。味方が倒れていた。担ぎ上げて走る。ダン小隊長も負傷している。担ぎ上げようとすると、「俺のことはほっとけ!隊を見捨てることはできん!」 と抵抗したが、ぼくはダン小隊長を担ぎ上げ安全な場所に運んだ。 ババは胸を撃たれ瀕死の重症だった。援軍のナパーム弾の降る中をババを担いで走る。ぼくの尻に何かが食いついた。撃たれたのだ。そのまま走り続ける。だが、ババはぼくの胸の中で死んだ。エビ取り船の船長になる筈がベトナムで死んでしまった。ババは親友だ。親友はどこにでもいる訳じゃない。 病院生活で良かったのはアイスクリームが存分に食べられたことだ。隣のベッドにはダン小隊長が横たわっている。両脚の膝から下が切断されていた。 ジェニーに出したぼくの手紙がごっそりと返送されてきた。ジェニーは行方不明だった。 入院中にピンポンを覚える。「コツは絶対に球から目を離さないことだ」 教えてくれた黒人兵が言う。ぼくは何故かピンポンが性にあった。「ほらな、バカでもできる」 気に障る言い方だ。 ラケットを持ってベッドで寝ていると、隣のダン小隊長がぼくをベッドから引きずり落とした。 「人間には持って生まれた運命ってものがある。最初から決められているんだ。部下と戦死すべきだったのに、俺のこのザマを見ろ!両脚がないんだぞ、よく見ろ!もう二度と歩けないんだぞ、分かるか!」 「・・・わかります」 「貴様のせいだ!」 ダン小隊長が泣いた。「俺はどう生きればいいんだ」 帰国したぼくに栄誉勲章が与えられることになった。ホワイトハウスに呼ばれたぼくはジョンソン大統領から祝福された。「祖国から感謝のしるしを」 ぼくの首に勲章をかけながら、「負傷したそうだな・・・どこに?」 「ケツです」 と、ぼく。「危なかったな、見たいものだ」 と大統領が言うのでぼくはズボンを下ろして丸出しの尻を向けた。大統領は、「何て奴だ」 苦笑いしていた。 首都見学をしていると反戦集会の群集の中に紛れ込んでいた。ワシントン記念塔のそびえる集会場には数万の群集が集まっている。軍服姿のぼくは演壇に立たされた。前線の様子を聞かれたぼくがマイクに向かって話し始めると誰かがコードを抜いたらしく大衆には何も聞こえない。最後には音声が戻っていた。「ぼくはフォレスト・ガンプです」 群集がどよめいた、その時、「フォレスト!」 声の主はジェニーだった。ぼくはジェニーが走ってくるプールに入り抱き合った。最高に幸せな一瞬だった。その夜は一晩中、二人で首都の街を歩いた。ぼくらだけの素晴らしい夜だった。 だが彼女はUCLAの反戦委員会長と同棲していたのだ。「貴方とは道が違うのよ」 ジェニーは反戦委員会長とバスで去っていった。 『小さな一歩ですが、人類には大きな飛躍です・・・』 1969年、アポロ11号が月面着陸した年、ぼくはピンポンで共産主義と戦うことになった。特別奉仕隊に入って方々で負傷兵を慰問しながらピンポンを見せていた腕を買われて全米代表卓球チームへ入り中国へ。ぼくはピンポンをしていただけだが、帰国すると有名人になっていた。 ジョン・レノンとテレビ出演した。彼はその後、何の理由もなしに撃たれた。 「議会から栄誉勲章をもらったそうだな」 ダン小隊長が車椅子に乗って現れた。「テレビに出て全国民の前でトボケタことをしゃべるお前に栄誉勲章だと!」 「そうです」 「あきれてものが言えんよ!こんな国、クソ喰らえだ!」 安ホテル住まいのダン小隊長はボトルごと酒を飲み荒れていた。 「ババと約束したんです。戦争が終わったら彼が船長でぼくが一等航海士になるって」 「エビ取りのか?」 「彼は死んだからぼくが船長です」 「その時は俺が一等航海士だ」 数ヵ月後、卓球チームがホワイトハウスに招待され、ニクソン大統領に謁見した。 除隊書類が届き軍隊生活が終わった。ぼくは故郷に帰った。ママは喜んだ。留守中に大勢の人が来ていた。 ラケットを宣伝してくれって、2万5000ドルも置いていった人も。ぼくは決心した。エビ取り船を買うのだ。 ババの家族に会うためバイユー・ラ・バトルへ行く。 「あんた、気は確かなの?それともバカなの?」 ババのママはいぶかった。「バカをする者がバカです」 ぼくはいつもママの教えた通りに答える。 エビ取り船を買い、『Jenny号』と名づける。ババに教わったようにエビ漁をしたがエビはなかなか獲れなかった。ある日、川べりにダン小隊長が車椅子で待っていた。 「お前が船長になったら俺が一等航海士だと言ったろ!」 その日から二人の漁が始まる。が、全くエビは獲れない。「神様に祈るしかないな」 ダン小隊長が言う。ぼくは毎日曜日に教会に行きお祈りした。 ある時、ハリケーンがやって来た。ぼくは怖くて震えていたが、ダン小隊長はマストの上によじ登り天に向かって叫びまくっていた。「こんなものが嵐か?貴様と俺との対決だ!貴様の力でこの船を沈めてみろ!」 ハリケーンが去ると多くのエビ取り船が被害にあっている中で『Jenny号』だけが無傷だった。それからは面白いようにエビが獲れた。ババ=ガンプ社のエビは売れに売れた。『Jenny号』は12隻に増えた。 「命を救ってくれた礼を言うよ」 あるときダン小隊長が照れたように言うと海に飛び込んだ。ダン小隊長は脚が無いけれどもその分腕の力は凄いのだ。 ママが病気だという知らせが届き急いで家に帰るとママがベッドに寝ていた。「じき死ぬのよ・・・」 「何故死ぬのママ」 「そういう時が来たのよ・・・いいわね、死ぬことを怖れないでね・・・生の一部なんだから、誰も逃げられない定めなの・・・自分の運命は自分で決めるの」 ママは癌だった。ママは火曜日に死んだ。 ダン小隊長がぼくの金をアップル・コンピュータというフルーツ会社に投資してくれたお陰で一生食べていくお金に心配はなくなった。 ママが言ってた。『必要以上のお金は無駄なお金』と。それで一部をごっそり教会へ寄付した。一部を入り江の漁師共済病院へ。ババの取り分をババのママへ。 超リッチマンになったぼくは無料で芝刈りの仕事をした。 そんなある日、ジェニーがやって来た。ジェニーは疲れているようで眠り続けた。毎日散歩しながらババのことやダン小隊長のことを話した。ジェニーの育った一軒屋は荒れ果てていたが、ジェニーは狂ったように石を投げつけ地面に突っ伏して泣いた。投げる石が足りないこともある。 ぼくらは昔のように豆と人参になった。ジェニーはシューズをプレゼントしてくれ、ダンスも教えてくれた。生涯で一番幸福な時だった。 ある晩、「結婚しよう」 とぼくは言った。「ぼくはいい夫になるよ」 「・・・私なんかと・・・」 「ぼくを愛せないのかい?」 「・・・」 「ぼくは利口じゃないが愛が何かは知ってるよ」 「・・・」 その日、ジェニーがぼくのベッドに入ってきた。二人は体を重ねた。 だが、ジェニーは翌朝黙って家を出て行った。 何かが欠けたようにぼくは毎日ぼんやりと過ごした。ある日何の理由もなく、走りたくなった。道の外れまで、ついでに町の外れまで。そのまま郡の外れまで走るとアラバマ州を横断したくなった。ついでに海まで。カリフォルニア州サンタモニカへ来ると、ここまで来たのだから回れ右して走り続けようと。 反対側の海に出るとどうせだからと又、回れ右して走った。いつしか髪が伸び髭ぼうぼうになっていた。走りながらママやババ、ダン小隊長のことを思った。そして何よりもジェニーのことを。 『今日ですでに2年、アラバマ州の庭師フォレスト・ガンプは走り続けてアメリカ大陸を横断しています』 テレビのニュースが流れる。『走る男フォレスト・ガンプは4回も大陸を横断、再度ミシシッピを渡ります』 レポーターがぼくに駆け寄ってきた。「動機は?」 「世界平和のため?」 「ホームレス救済?」 「女の権利のため?」 「環境問題?動物愛護?」 走るには理由が必要らしい。走りながらぼくは答えた。「走りたいからだよ」 「貴方こそ人生が何たるかを悟り、人生に答えを見つけた人です、貴方に従います」 そう言って一人の青年がついて来た。道連れがどんどん増えていく。 ママが言った。『過去を捨ててから前に進みなさい』と。走ったのはそのためだ。ぼくは結局3年と2ヶ月14日16時間走り続けた。 ある時、突然疲れを感じ、アラバマに帰った。ある日、ジェニーから手紙が来た。『サバンナへ来て欲しい』 それでここに来たんだ。 バス停の聞き人は様々に替わったが今は中年のおばさんだった。「それならすぐそこよ」 とおばさんが言う。 ジェニーはアパートにいた。「今まで貴方にしたこと、全て許して・・・私はどうかしてたのよ」 ヒッピーにような生活。麻薬。彼女は疲れているようだった。そして子供がいる。可愛らしい男の子だった。 「・・・ママなのかい?」 「そうなの、名前はフォレスト」 「ぼくと同じ?」 「父親の名前を付けたの・・・貴方がパパなの」 ぼくは驚き、胸がドギマギした。「・・・頭のほうは?」 「とても利口よ、学校でも一番なの」 ジェニーは悪性のウィルスに感染していて医者にもどうしていいか分からないという。「帰って暮らそう、フォレストも連れて」 「・・・結婚してくれる?」 「いいよ」 結婚式にダン小隊長がフィアンセを連れてやって来た。杖をついているが立って歩いている。「スペース・シャトルを作るチタン合金だ」 ダン小隊長はズボンを上げて義足を見せた。顔が明るく輝いている。 結婚式から程なくジェニーは死んだ。ぼくらの木の下に君を埋めた。ぼくは君が恋しい。会いたい。しかしどうにもならない。フォレストにピンポンを教え、釣りをする。3度の食事を作り、時々は歯を磨かせる。 ・・・ぼくらには皆、運命があるのか、それとも風に乗ってたださ迷っているのか。多分その両方だろう・・・両方が同時に起こっているんだ・・・ |
| 映画館主から 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」3部作(’85年〜’90年)で大ヒットを飛ばしたロバート・ゼメキス監督の心温まる傑作です。 幼い頃からIQが低いと言われ、背骨が曲がっているガンプは、特別扱いせず深い愛情を注ぐ母親に育てられ愚直ながら真っ直ぐに成長しました。 優しい少女ジェニーを生涯愛し、ベトナム戦争での親友ババとの約束を守りエビ漁船の船長になり、ダン小隊長を尊敬し続けたのです。 俊足と卓球の特技を生かし、ひたむきに50年代から80年代の激動のアメリカを走りぬいたフォレスト・ガンプ。まさに一期一会を大事にした青年の人々の心の琴線に触れる物語です。 一枚の鳥の羽が宙を舞いながら町の風景を紹介するかのような素晴らしいオープニングシーンに始まるCG(コンピューターグラフィックス)は自然で、違和感を感じさせない出来上がりです。 歴代大統領との謁見シーン、ジョン・レノンとのテレビ出演シーン、ダン小隊長の両脚が膝から下が切断されているのも、義足のダン小隊長も、卓球のシーンも実に良くできているのです。 ガンプを演じたトム・ハンクスは気取らない素直な演技で青年を好演し、「フィラデルフィア」に続いて2年連続のアカデミー主演男優賞に輝きました。彼はエイブラハム・リンカーン大統領の母親、ナンシー・ハンクスの子孫だそうです。やはり大統領には縁が深いのかも知れません。 母親役のサリー・フィールドも過去にアカデミー賞主演女優賞を受けている女優です。 強烈な印象を残したのはダン小隊長役のゲイリー・シニーズです。彼は若い頃から演劇畑で頭角を現し、映画監督としても活躍しています。 本作はアカデミー賞を作品、監督、主演男優、脚色、視覚効果、編集と獲得して同年の最多受賞となりました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私事ですが、私は中学2年生の時から高校3年生までの5年間、新聞配達のアルバイトをしていました。家が貧しく学費も小遣いもそれで稼ぎました。高校生の時は奨学金をもらっていたのでかえって学友よりはリッチだったかも知れません。毎週好きな映画館に通えたわけです。 長野県松本市には配達所が少なく総合的な配達所でしたから、配達した新聞は地方紙を除く、朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、毎日新聞、各種スポーツ新聞、株式新聞などでした。真冬の凍てついた信州の町で夜が明け始めると、西に連なるアルプス山脈の天辺のほうから朝日に赤く照らされた美しい光景を忘れることはできません。 そんな高校3年生のときの昭和40年7月(1965年)、朝日新聞社で夏休みに全国の新聞少年を10名アメリカに親善使節として派遣する行事があり、選考の結果、幸運にも私もその中に入ったのです。 訪問したのは、ニューヨーク:ニューヨークタイムズ社、ヤンキースタジアム、エンパイア−ステートビル、世界博覧会、国連本部、ニューヨ−ク市庁。 ワシントン:マルソンスタジオ(テレビ出演)、ワシントンポスト社、アーミータイムス社、日本大使館、ホワイトハウス、アーリントン墓地(ケネディの墓)。 バッファロー:ナイアガラの滝見学。 シカゴ:ミシガン湖遊覧などの10日間の旅でした。 帰国後翌朝:テレビ朝日(当時NET)木島則夫モーニングショー出演というおまけ付きです。 一番下の写真はホワイトハウスを訪れた時、当時のジョンソン大統領と謁見したときのものです。 フォレスト・ガンプみたいに私の10代の勲章だったと思っています。 参考文献:封切り時パンフレット |
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