「荒野の用心棒」予告編
荒野の用心棒
1964・伊=西独=スペイン
荒野の用心棒

監督:脚本:
    セルジオ・レオーネ
原作:黒澤 明
    菊島隆三
撮影:ジャック・ダルマス
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:クリント・イーストウッド
    ジャン・マリア・ボロンテ
    マリアン・コッホ
    ジョン・ウェルズ
    ヨゼフ・エッガー
    ヴォルフガング・ルクシー

クリント・イーストウッド

マリアン・コッホ(右)

吊るされた酒場のおやじ

ジャン・マリア・ボロンテ

クリント・イーストウッド

胸に鉄板を入れていた

荒野の用心棒
物語

無法者の横行する1872年のニュー・メキシコ。
ある日ジョー(クリント・イーストウッド)という、腕利きの男がこの町に現われた。

この町は二つの勢力が争っている。殺し合いが絶えない町だった。
ジョーはこの町を二分するロホ兄弟の方に身を寄せることになった。もう一方の旗頭モラレスの手下四人を鮮やかに片づけたからだ。

彼は酒場の亭主からこのニつの勢力が町の皆から煙たがられていることを知り、その厄病神どもを始末しようと考えた。酒場のおやじは大反対したがジョーは聞き入れない。
一計を案じて両派を反目させることに成功、ロホ兄弟はモラレス家に殴り込みの準備をした。兄弟の弟ラモン(ジョン・ウェルズ)がマリソル(マリアン・コッホ)という子持ち女を自分のものにしようと監禁しているのを知ったジョーは、見張りの手下を始末し、母子を逃がした。
これをモラレスの仕業と見せかけたつもりだったが、ラモンに見破られ、マリソルの行方を自白させようと激しいリンチを加えられた。ジョーは半死半生の目にあったが口は割らなかった。

夜、半死半生のジョーは、スキを見てロホ家をぬけ出し、棺桶屋のオヤジの手引で安全な隠れ家に身を寄せた。
その隠れ家に、棺桶屋のオヤジがロホ一家の手下をだまして手に入れた拳銃をもってきてくれた。
傷つけられた身体で、ジョーは拳銃の早射ちの業をみがいた。傷ついた左手が利かぬ以上、右手で勝負するほかない。

彼の失踪にあわてたラモンたちは酒屋の亭主を捕えて居所を教えろと迫ったが果さず、ついにモラレス家に殴り込みをかけ、不意を襲われたモラレスは簡単にやられてしまった。

ラモン(ジャン・マリア・ボロンテ)は酒屋の亭主を通りの真中でリンチを加えた。ジョーをおびきよせるためである。静まりかえった町に姿を現したジョーは、待ちかまえたラモンから続けざまに銃弾を浴びた。
が、平然としているジョーに、ラモンはうろたえる。彼は胸に鉄板を入れていたのだ。ラモンはジョーの銃に倒れ、ジョーを背後から狙ったロホも、酒屋の亭主が仕止めた。ジョーは再び静かに町を去って行った。

映画館主から

黒澤明監督の「用心棒」(’61年)を西部劇に翻案したマカロニ・ウェスタンの代表作です。
監督は当時無名に近かったイタリアのセルジオ・レオーネ。
 
アウトローの主人公と生々しい暴力描写、エンニオ・モリコーネの音楽が妙にマッチして本場アメリカの西部劇を超えた作品として世界的に大ヒット。
レオーネの続く作品、「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」と合わせて『ドル箱三部作』と呼ばれています。
 
1960年から1970年前半にかけてマカロニ・ウェスタンは全盛期で、「荒野の1ドル銀貨」(’65年、監督:カルヴィン・J・バジェット 主演: :ジュリアーノ・ジェンマ)、「続・荒野の用心棒」(’66年、監督 : セルジオ・コルブッチ 、主演:フランコ・ネロ)、「情無用のジャンゴ」(’66年、監督 : ジュリオ・クェスティ 、主演:トーマス・ミリアン)、「ウェスタン」(’68年、セルジオ・レオーネ、主演:ヘンリー・フォンダ)、「復讐のガンマン」(’68年、監督 : セルジオ・ソリーマ、主演:リー・ヴァン・クリーフ)・・・・等。
 クリント・イーストウッドに続くスターが目白押しで輩出しました。

当初、主役に「荒野の七人」で人気スターになったチャールズ・ブロンソンやジェームズ・コバーンなどが候補になりましたが、製作予算との折り合いがつかづ、当時テレビ西部劇「ローハイド」で売り出し中のクリント・イーストウッドに白羽の矢が当てられました。
イタリア人のセルジオ・レオーネ監督、アメリカ人のイーストウッド、イタリア人のジャン・マリア・ボロンテなどそれまで無名に近かったスタッフ・キャストで、撮影はスペインで行うという低予算でした。
 
しかし映画は大ヒット、製作費20万ドルに対し興行収入1100万ドルという離れ業をやってのけたのです。
しかし、まずかったのはオリジナルの「用心棒」の東宝や黒澤明に無断で進行してしまったことです。
そのため東宝は著作権侵害として告訴、結果勝訴しました。
この裁判の結果を受けて「荒野の用心棒」の製作会社は黒澤たちに謝罪し、アジアにおける配給権と全世界の興行収入の15%を支払うことになりました。
 
それにしてもクリント・イーストウッドのそれ以後の活躍は目覚しいものがあります。
「ダーティハリー」シリーズをはじめ多数の映画に出演、「恐怖のメロディ」(’71年)で監督にチャレンジして以来、「許されざる者」(’92年)、「ミリオンダラー・ベイビー」(2004年)と2度もアカデミー作品賞と監督賞を受賞する大監督となったのでした。
近作の「グラン・トリノ」(2008年)も78歳とは思えない精力的な作品でした。
彼は年齢を重ねてくるにつれ実に味わい深い作品を作るようになりました。私が今一押しの監督です。

私が「荒野の用心棒」で一つ疑問に感ずるのは、ラストでジャン・マリア・ボロンテが何故イーストウッドの顔を狙わなかったのかということです。腕のいい射撃主の設定なのにです。

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