| ドクトル・ジバゴ 1965・米=伊 |
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![]() 製作:カルロ・ポンティ 監督:デビッド・リーン 原作:ボリス・パステルナーク 脚本:ロバート・ボトル 撮影:フレディ・A・ヤング 音楽:モーリス・ジャール 出演:オマー・シャリフ ジュリー・クリスティ ジュラルディン・チャップリン トム・コートネイ アレック・ギネス ロッド・スタイガー ラルフ・リチャードソン シオバン・マッケナ リタ・トゥシンハム ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
物語 ロシア革命後、ソビエトの幹部エフグラフ・ジバゴ将軍(アレック・ギネス)は、ダムで働く一人の若い娘、トーニャ・コマローバ(リタ・トゥシンハム)と面会した。彼女は幼い頃、モンゴルで迷子になっていた姪に違いないとエフグラフは思っている。 そうだとすれば、彼女の母親はラーラ(ジュリー・クリスティ)であり、父親はユーリ・ジバゴ(オマー・シャリフ)の筈だ。ユーリ・ジバゴはエフグラフにとって腹違いの兄である。 だが、若い娘には両親の記憶もなく、名前も知らないのだった。 エフグラフ・ジバゴは若い娘に語り始めた・・・・・・・。それは若い娘の親である、ユーリ・ジバゴとラーラの苦節に満ちた物語である。 ユーリ・ジバゴは、幼い頃両親と死に別れ、母親の友人夫妻に引き取られた。育ての父、アレキサンドル・グロメーコ(ラルフ・リチャードソン)は、モスクワの化学者であり、母アンナ(シオバン・マッケナ)とともに実の子同様に育ててくれた。 夫妻には一人娘のトーニャがいた。 やがて成人したユーリ・ジバゴ(オマー・シャリフ)は、医学を学ぶかたわら詩を書いている。アレキサンドルの娘のトーニャ(ジュラルディン・チャップリン)もユーリを尊敬しており、二人の結婚は親の希望でもあった。 グロメーコ家からさほど遠くないところに仕立て屋のアメーリア・ギシャールが住んでいた。アメーリアの娘ラーラ(ジュリー・クリスティ)は、17歳で純真で奔放に生きる娘だった。ラーラの恋人、パーシャ(トム・コートネイ)は、革命運動に情熱を奉げる活動家だ。 アメーリアにはコマロフスキー(ロッド・スタイガー)という弁護士のパトロンがいるが、ある夜、アメーリアが体調を崩していたので替わりにラーラが高級レストランでの食事に誘われた。コマロフスキーとダンスし、上流社会の空気を味わったラーラだったが、帰りの馬車の中で、コマロフスキーに強引に唇を奪われてしまう。 そしてラーラはコマロフスキーに誘われるままに密会を重ねていく。 コマロフスキーがラーラに言う。 「男には二通りある。高潔で純粋、表向きは賞賛されているが、じつは軽蔑されている。もう一方は高潔ではないが、生きる術を心得ている」と。 深夜のデモ隊がモスクワの街を行進していた。「愛と自由」「正義と平等とパン」などと書かれたプラカードを掲げていた。だが、街角で待ち受けていた皇帝の騎兵隊に突撃され、デモ隊は蹴散らされた。路面の雪が血に染まり、多くの怪我人が倒れていく。 その様子を屋敷の二階から見ていたジバゴは怒りに震えた。屋敷を飛び出し、怪我人の手当てに当たるジバゴは、「外にいれば逮捕する」と騎兵隊に言われ、やむなく屋敷に引き返した。 ラーラの家にデモ隊に参加していたパーシャが転がり込んできた。顔に怪我をしていた。そして、ラーラに一丁の拳銃を預けて去った。 ラーラの母親アメーリアが服毒自殺を図った。コマロフスキーとラーラの関係を知り、悲嘆にくれた結果だった。 慌てたコマロフスキーは事を公にしたくないため、知り合いの医者を呼んだ。医者に同行して来たのがジバゴであった。アメーリアは危うく一命を取り留めた。 コマロフスキーからクリスマス舞踏会に呼ばれたラーラは、胸にパーシャの拳銃を抱いて出かけた。コマロフスキーとの爛れた関係を清算するためだ。 舞踏会ではジバゴとトーニャの婚約発表が行われようとしていた。 その時、会場に一発の銃声が轟いた。ラーラがコマロフスキーの腕を撃ち抜いたのである。 茫然と立ち尽くすラーラをその場から連れ去ったのはパーシャである。 ジバゴはコマロフスキーの手当てをした。ジバゴは世俗的なこの男が好きになれないのだった。 ドイツとの戦争が始まり、首都モスクワから軍隊が前線に出発していく。20世紀初頭のこの戦争で敗れたロシア帝国は革命から内乱へと向かう。 皇帝を監禁し、レーニンがモスクワへ入る。 「皇帝も地主もない、労働者だけの国になるんだ!」人々は奇声を発した。 そんな激動の最中、軍医としてウクライナ戦線で働くジバゴは看護婦として来ていたラーラと再会した。二人はそれぞれ結婚して子供がいたが、共に働くうちに二人は強く惹かれあっていくのだった。 やがてラーラと別れジバゴはモスクワへ帰った。トーニャと義父アレキサンドルに暖かく迎えられたが、屋敷は地区委員なるものに管理されており、多くの人々が住み暮らしている。世界が変わり、個人の財産は分配されるのである。ジバゴはバラライカだけは取り戻した。 家族の部屋の薪がない。ジバゴが外の塀の板を剥がしていると、目つきの鋭い党幹部に見つかった。それがジバゴの異母弟のエフグラフであった。 二人は別々に育ち会うのは初めてであったが、思想は違えど腹を割って打ち解けあった。 エフグラフの勧めでジバゴ一家は、ベリキノにあるアレキサンドルの別荘に移り住むことにした。モスクワからようやく列車に乗り込む一家。列車はモスクワを離れる人々で一杯になっている。悪夢のような苛酷な旅。 ウラル山脈の長いトンネルを抜けたところで列車が止まった。あたりを散策していたジバゴはそこに別の列車が止まっているのを発見する。そしてスパイ容疑で捕らえられたジバゴが会ったのは、人々から鬼のように恐れられている赤軍のストレーリニコフ将軍であった。 だが、この人物こそ戦死したと伝えられていたラーラの夫、パーシャその人である。 「君の詩は好きで読んだ。だが今は違う。君の作風は個人的すぎる。真心だ、愛だ、実にくだらん。もはやロシアでは個の存在など許されんのだ」 ストレーリニコフはラーラがユリアティンにいることも話した。ベリキノの近くである。 「革命という大義の前には家庭など塵同然だ!」 冷酷に言い放つストレーリニコフはジバゴを釈放した。 豊な田園風景が広がるベリキノ。だが、別荘は革命公正委員会により封鎖されていた。やむなく近くの小屋に住むことにした。 ジバゴとトーニャ、娘サーシャ、それに義父アレキサンドルの貧しくもつつましい生活が始まる。慣れない畑仕事に精を出すジバゴだが一家にとって幸福な日々が続いた。 そんな時、『皇帝とその家族銃殺』の新聞を見て、一家は嘆く。「なんという残酷なことを・・・」 ある日、ユリアティンの町へ出かけたジバゴはラーラと再会した。彼女のアパートで二人は狂おしく抱き合った。懐かしさもある。こんな辺境の地で巡り合うという驚きもあった。しかし何よりも二人は愛し合っていたのだ。自然の成り行きで結ばれる。 それからのジバゴは時々、トーニャの目を盗んでユリアティンへ出かけてはラーラと会うようになる。ジバゴの心は揺れていた。 そして、トーニャの腹には二人目の子が宿っているのを知った時、ジバゴは決心した。 「ラーラ、別れてくれ、いいか、もう来ないからな」 ジバゴは声を絞り出す。 「解るわ・・・貴方に任せるわ・・・」 ラーラの声も涙にむせぶ。 その帰り道、ジバゴは突然現れた赤色パルチザンに捕らえられた。 「軍医が必要なのだ。逃げたら射殺する」 ジバゴは彼らと行動を共にせざるを得なくなった。 だが、家族のことが心配でいたたまれなくなったジバゴはある日、脱走した。雪の平原を力の限り歩くジバゴ。 そして、たどり着いたベリキノの小屋はもぬけの殻だった。熱にうなされながらユリアティンのラーラのアパートへ・・・そこで彼は意識を失った。 ラーラの看病で意識を快復したジバゴは、トーニャ達一家がパリへ追放されたのを知る。トーニャはジバゴがいつの日かここを訪れると確信し、バラライカをラーラに託していた。 ジバゴとラーラはユリアティンで生活を始めた。それは荒廃した中でも楽しい日々であった。 ある吹雪の夜、そこへコマロフスキーが現れた。彼はこの動乱の世で上手く立ち回ったのか、今や法務大臣になっている。広大な原野の開発のためにウラジオストックへ行くのだがと、しきりと自分との同行を勧めるのだった。彼は言う。 「君はパルチザンを脱走した身だ。しかも、君の言論や思想、出版物全てが反革命的だということだ。このままでは間違いなく死刑だぞ。ラーラも追放の身となったストレーリニコフの妻ということで見張られているのだ」 しかし、ジバゴとラーラはコマロフスキーの申し出を断り、彼をアパートから叩き出した。 「私を見損なうな!それ程腐った男ではないぞ!」 コマロフスキーは深夜の路上で吠え立てていた。 限られた未来なら1日でも長く一緒に精一杯生きよう、最後の日までと、ジバゴはラーラと娘のカーチャを連れ、ベリキノの小屋で生活を始めた。 雪の中の一軒屋で、詩作に没頭するジバゴ。ラーラは深夜の狼の鳴き声に怯える。 ジバゴはラーラを抱き締める。・・・お互いが結婚する前に出会いたかったと二人はしみじみと思うのだった。 そんな生活も長くは続かなかった。再び、コマロフスキーが現れ、ジバゴに迫った。 「失脚したストレーリニコフが処刑を前にして自殺したのだ。ラーラの利用価値がなくなれば明日にも銃殺隊が差し向けられる。専用の列車を待たせてあるのだ」 ジバゴは苦渋の決断をした。自分はともかく、ラーラのお腹には自分の子が宿っているのだった。 ラーラとカーチャ、それにバラライカを馬車に乗せるジバゴ。心ならずも後はコマロフスキーに任せるしかない。地平線の彼方に消えていく馬車を見つめるジバゴであった。 その8年後、エフグラフは無一文で栄養失調に落ちいっていたジバゴをモスクワで助け、病院の仕事の世話をしたのだが・・・ 初出勤の日、ジバゴは電車の中から街を歩いて行くラーラを見つけたのだ。 急ぎ電車を降り、ラーラを追うジバゴは突然、持病の心臓発作に襲われあえなく死んだ。 エフグラフはラーラとも会い、モンゴルで生き別れになったという娘探しに尽力したがとうとう見つからなかった。エフグラフもラーラに淡い恋心を抱いたが、いつしか彼女も行方不明となり、どこか遠い労働キャンプで死亡したらしい。 今、エフグラフの目の前にいるトーニャ・コマローバこそジバゴとラーラの娘に違いないのだが証拠がない。ジバゴの詩集『ラーラ』を見せた。巻頭にジバゴとラーラの写真が載っている。「これがお父さんとお母さんだ」 トーニャ・コマローバはラーラの写真を見てつぶやいた。 「奇麗な人・・・」 エフグラフは言った。 「困ったことがあったら私が力になる。訪ねておいで」 トーニャ・コマローバの恋人らしき男性が迎えにきた。ダムの技師らしい。帰っていくトーニャ・コマローバがバラライカを持っているのに気付いたエフグラフは声をかけた。 「バラライカを弾くの?」 「彼女はプロ顔負けの名手ですよ!」 恋人の明るい声が返ってきた。エフグラフは彼女がジバゴの血を脈々と引き継いでいるのを確信したのであった。 |
| 映画館主から イギリスの名監督デビッド・リーンが「戦場にかける橋」(’57年)、「アラビアのロレンス」(’62年)に続いて放った歴史叙事大作です。 ロシア革命という激動の時代背景の中で出会った男と女の魂を揺さぶる程の愛と苦悩と別れがスケール豊かに描かれています。 原作はロシアの作家で詩人のボリス・パステルナークの長編小説「ドクトル・ジバゴ」です。 ’58年のノーベル文学賞はパステルナークに決定しましたが、彼はそれを辞退したのです。独裁者スターリンが没し、フルシチョフ書記長の時代に入っていましたが、当時彼は“反革命文学者”とみなされて風当たりが強く、受賞のためにいったん国外に出れば再び故国の土を踏めなくなる恐れがあり、やむなく受賞を辞退せざるを得なかったとのことです。 「ドクトル・ジバゴ」はソ連国内では発禁処分。密かに持ち出されて’57年にイタリアで出版され大評判になったのです。これをイタリアの大プロデューサー、カルロ・ポンティが映画化権を獲得し、ハリウッドのMGMと共同製作に踏み切ったのです。 監督にはデビッド・リーンに白羽の矢が立てられました。いかにもデビッド・リーンに相応しい題材といえます。 米ソ冷戦時代にあって、ソ連国内では撮影できず、ロケハンはロシアの大草原や大雪原に似た風景を世界中に探し求め、結局スペイン、フィンランド、カナダで行われています。 そして、「アラビアのロレンス」の大砂漠に勝るとも劣らないロシアの大雪原がスクリーンに見事に結実したのです。 ドクトル・ジバゴに「アラビアのロレンス」で強烈な印象を残したエジプト出身のオマー・シャリフが扮し、文字通り彼の代表作となりました。 ラーラ役は前作の「ダーリング」(’65年、監督:ジョン・シュレシンジャー)でアカデミー主演女優賞に輝いたジュリー・クリスティが扮し、奔放な中にも強い意志を感じさせる演技を見せました。近作のスペクタクル史劇「トロイ」(’04年、監督:ウォルフガング・ペーターゼン)では、主人公アキレス(ブラッド・ピット)の母親役で老いてもなお美しい顔を披露してくれました。 最初、製作者カルロ・ポンティはラーラ役に自分の妻ソフィア・ローレンを考えていたようですが、リーン監督がジュリー・クリスティに替えたとのこと。リーンの勝利でした。 ジバゴの妻にチャップリンの娘のジュラルディン・チャップリン。これも清楚で品格のある演技でした。 その父役にイギリスの名優ラルフ・リチャードソン。オーソドックスな渋さ。 ラーラの夫で革命家の闘志にトム・コートネイ。家庭をも省みず革命に命を賭ける冷酷さに徹してます。 悪徳の顔を持つ弁護士にロッド・スタイガー。強烈です。 そして、ジバゴの腹違いの弟でソ連の幹部エフグラフにデビッド・リーン映画に欠かせないアレック・ギネスが扮します。出演場面は少ないものの、映画全体の語りべとなっています。この人が画面に出て来ると映画に緊張感が生まれキリリと締まるのです。 やりきれなくなるほど物悲しい物語なのですが、ラストで、ジバゴの娘がバラライカの名手であることを知り、アレック・ギネスが微笑むところで何かしら救われた気分になったものでした。 映画音楽の中でも屈指の名曲とされる『ラーラのテーマ』は、リーン作品や、「パリは燃えているか」などで知られる名手モーリス・ジャールによるものです。 アカデミー賞は、脚本、作曲、美術、装置、衣裳デザインと5部門に輝き、その年の最多受賞となりました。 参考文献:公開時パンフレット 「週刊20世紀シネマ館 NO.6」 講談社 |
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