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私の祖母は今から七十年前にニューヨークに出てきた。縫物が上手だったので、以来裁縫で身を立てるようになった。この二つの事柄は、四年前のある出来事を理解するのに役立つと思う。
当時、私は作家になる決心を固めたばかりだった。周囲の人たちは私がもっと安定したちゃんとした職業を選ぶと思っていたし、ものを書きたいという欲求はそもそもが漠然とした青臭いのぞみであるから、誰かにたいしてその点についての説明をする必要があるような気がしていた。また、当時唯一人の肉親であった祖母がもし理解してくれたら、他人からまともな仕事につかない理由を訊かれても、ちゃんと対抗できるような感じもあった。
坐って祖母に話しながら、なにぶん六十も齢がひらいていることだし、ものを書くということについて自分が考えていることを話してわからせることはとてもできないだろうと、内心は思っていた。
三十分間、祖母は縫物をしながら、じっと私の話を聞いていた。さまざまの理由や説明や実例を話したあげく、私はついに力つきた感じで、ぐったりした。自分でも何をいっているかわけがわからなくなってしまっていた。
祖母はしばらくじーっと私の顔を見て、話がすんだのをたしかめた上で、にっこりと笑っていった。「わかったよ。わたしだって、好きでなきゃ、とてもこうして七十年間も服を縫っちゃいられないよ」
−ウィリアム・メルヴィン・ケリー『ぼくのために泣け』の謝辞より−
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