エコ道・レポート

■☆■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 2003年5月10日(土)■☆■■
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                              尾木直樹教育講演会
                  
          少年からのSOS 
    
 
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5月10日(土)に古川市福沼の吉野作造記念館で尾木直樹先生の講演会が開かれました。
尾木直樹先生は、22年間のユニークで創造的な教職経験もあり、現在は臨床教育研究所「虹」
所長として子どもと教育、メディア問題の実践的でタイムリーな子育てセミナーの開催や教育相談
、カウンセリングに 取り組んでいらっしゃい
ます。
子どもたちがいま直面している学力低下の問題、いじめの問題と多方面にわたりを歯に衣を着せ
ない語り口で熱くお話ししてくれた2時間でした。当日、尾木先生は仙台市で「教育基本法」につ
いても講演をしました。
尚、今回のこの講演会は、松島町の*フリースクール森遊
*豊里中事件をともに考える会
によって開かれました。

     吉野作造記念館  

どもへの親の願いと先生方の願いの大きな隔たりが・・・
今まで全国のいろいろな会場で「どんな子に育って欲しいですか」というアンケートでおもしろい結
果が出ました。
次の8つの中から2つを選ぶとしたら、あなたならどれを選びますか?

1・学力をしっかり身につける。
2・健康なからだ。
3・責任感のある子。
4・ものごとにねばり強く取り組む子。
5・自立心のある子。
6・ルールやマナーを身につける。
7・人の痛みが分かる子。
8・友達がたくさんいる子。

親は、「人の痛みが分かる子」になって欲しいがいちばん多く、「学力をしっかり身につける」はいち
ばん少ないという結果が出ました。
一方、先生は、ダントツに「学力をしっかり身につける」がどの会場でも多かったそうです。
この結果から分かるように、先生たちは子どもたちの「学力低下」をいちばん心配しているようです。
子どもへの親の願いと先生方の願いが大きく隔たっているという結果には、大きな問題がはらんで
いる気がしてなりません。
このように子どもたちの学力低下の不安が増す中、5月7日の新聞等でも大きく取り上げられました
が、東京・品川区教育委員会は、区立の全18中学1年
生全員を対象に先月実施した*学力テスト
の結果を中学校ごとの成績を公表する(学校名を公表するのは全国で例がありません)ことを決めました。
もちろん卒業した小学校別の成績も発表します。
同区は小・中学校を選べる学校選択制をとっていて、親に選ぶ材料を提供するのが狙いらしいですが、こ
れによって学校間の学力競争が起きて、親は少しでも成績の良い学校に我が子を行かせようとして、    

学校の序列化が進むことが恐れられています。
このことについて、学力が大事なのはよく分かりますが、では逆に 「安心な学力とはあるのでしょうか?」    
と尾木先生は問いかけていました。

  明快にお話してくれる 尾木先生
「情報公開」と「学力保障」に燃える教育長の"思い"は分からないわけではないのですが、方法や方
向性を誤ると墜落しかねません。
どのような情報をいかに公開し、どのような学力をいかに保障していくのか、あわてずに、現場の先生
たちや親、それに子どもをもっと信頼し、それらの声に耳を傾けながら、施策化していくことが大切だと
思いますと話していました。

*学力テストは60年代に文部省(当時)が全国規模で実施していましたが、点数競争が過熱して、「学校間や自治体間
のランク付けにつながる」として日教組などから反対の声が起こり66年度で中止されました。
文部科学省は昨年、約45万人の小中学生を対象に学力調査をしましたが、学校ごとの成績は公表していません。
思い起こせば私自身もまぎれもなく、点数主義、学力主義の中で育ってきました。
振り返ってみると、その時代の白熱した点取り競争がもたらしたトラウマは大人になっても思考回路や、特に自分の子ど
もの子育ての上でけっこう弊害になっていたりしていることを感じます。
そういう学力偏重を取り除こうという最近の「ゆとり」の教育改革の流れを見れば、確かに逆行している気がしてなりません。
また確かに、基礎学力・基本的な学力が身に付いていない、子どもたちに緊張感がなくなっている・・・という結果が出てき
てはいますが、今の子どもたちの教育を取り巻く動きをみていると、どうも文部科学省と学校と現場の先生との間で責任
のなすり合いをしているような気がしてなりません。
そういう中で、今後どういう風に教育方針が変わったとしても、子どもたちがどんな先生と出会ったとしても、どんなときで
も親は子どもの見方であり続けたいと思いますし、朝ご飯をしっかりと食べて登校せさるなど、ちゃんと目を見て話を聴く
といった、そういう日常の当たり前で大切なことを軽んじないでいきたいと思いました。

つまでたってもつらい「いじめ」の事件はなくならない
子どもの問題は埋もれてしまって、ニュースにもならないことが多くあります。
今から25、6年前に、小学3年生の子がいじめが原因で自殺してしまいました。
いじめたのは担任の先生でした。
その子はハンディをもった子でしたが、両親の健常な子どもたちと同じ小学校で学ばせてあげたいという
願いで、車いすで小学校に通っていました。
ところが、健常な子にとってはスムーズにできることも、時間がかかる、思うように動けない、うまくできない。
しだいに、担任の先生の苛立ちはつのっていきました。
ある日の給食では、なかなか上手に食事を出来ないことを責めました。
そして苛立ち、食べ物を無理矢理口に押し込み、水を飲ませを繰り返しで・・・のどを詰まらせてしまうと
いうこともあったそうです。
そういうことが度重なり、追いつめられ、その子は生きる希望を失ってしまったのです。まだ小学校3年
生の子が「死」ということを考えるのは、精神の発達の面から考えればあまりにも早熟です。
しかし、みんなが運動場に出て力一杯 走り回っているときも、運動会のときも、仲間が楽しく活動して
いるときも、自分は一緒には出来ない。
いつもいつも、その子はずっと静かにじっと見ていました。
その子は精一杯、そうすることしかできなかったのです。
だから、そういう苦悩、悲しさ、悔しさ、、、をたくさんたくさん経験してきた分だけ、健常な同じ年齢の
子よりも精神的にものすごく大人でした。
周りが、そして先生が想像する以上に・・・。

どもはどんなに陰湿ないじめにあっても親に言わない
子どもは親に心配をかけたくないと思っています。
それに思春期になれば、そういう気持ちが余計に強くなります。
弱い自分を見せることは恥ずかしいことだという自我の意識も強くなります。
ここでもう一つの問題は、1996年の文部科学省のいじめの定義が「自分よりも弱いものに対して」と
なっているからだと尾木先生は指摘しています。
つまり、いじめにあった(あうのは)のは、自分が弱いからだという定義です。
おそらく世間も学校も「あの子は弱いからいじめられている」という受け取り方をいまだにしているとこ
ろがあります。
しかし、これは大きな間違いで、「弱い」というのは人格として弱いのではなく、「立場」として弱いとい
うのが、本来の意味だということです。
どんないじめも、学校側では「いじめはなかった」「度の過ぎた悪ふざけだった」とコメントし、口封じを
します。
そして現に学校は、いじめがあったそのことを絶対に認めようとはしません。
しかし、いじめというのは、いじめられている「本人が」いじめだと思ったらそれはいじめなのだという
ことです。

じめられない子育てからいじめない子育てに
ある日突然 誰かにいじめられても決しておかしくない現状の中で、いじめられないような子育てをす
るにはどうしたらいいのかと、思い悩む親も多いと思います。また本屋さんに行けば、いじめに関する
本が多く出ていて、どれだけその悩みが深く、大きく、容易には解決が出来ないことかを思い知ります。
いじめられないような子育てというのはありません。
しかし、いじめない子育て、いじめている子をいじめない子にする子育てというのは出来ます。
尾木先生のお話を聞いて、たとえば、友達や周りの人たちが困っていたり、悲しんでいるのを見たら、
声をかけてあげる、お互いを思いやる、こころを掛け合う・・・日々の暮らしの中でそういうふれ合いを親
や周りの大人たちが、たくさん子どもたちにしてあげることが、きっとそこにつながってゆくと強く感じました。
もう一つ大事なことは、いじめをしている初期の段階で、小さい芽のうちにしっかりと受け止め、つみ取
ることが大事だということです。
現場の先生たちに対しては、そういう芽を見つけたときに、誠実に対応できるか、どういう対応をするか
が教師の勝負どころだと話していました。
目の前の子どもたちの実態から目を離さない。しっかり聴く。このことを心しなければなりません。
この聴くは、聞くではありません。
「聴く」というのは、十四の心で「SOS」に耳を傾けるということです。
そこには先生と親との信頼関係、連携が大切でしょうし、やはり親も先生も精神的なゆとりがなければ、
いちばん大事なところを見逃してしまうと思います。
東京・品川区の様に学校間の学力競争が起きてしまったのでは、先生方は学力を伸ばすことに必死で
、子どもたちの実態から目を話さないでしっかりと聴くことができるのは神業のような気がします。

*フリースクール森遊 

●「フリースクール森遊 -しんゆう-」は「不登校を考える会BEE HOUSE」が母体となり、できた居場所で
す。自分自身であることを肯定し、自己決定を尊重。公的な学び以外の学び、集いの場として発足しまし
た。自由・安全・個の尊重を柱に、自分の教育には自分で責任を持つというやり方を提示。自由・安全・
個の尊重を柱に学校以外の子どもの居場所であり学びの場でもあります。公教育の枠にこだわること
なく、不登校・中退などを中心に子どもたちの健全育成に寄与しています。主な活動内容は、@居場所
であることA通信制高校生のサポートB野外活動(キャンプや自然体験)C創作活動(さをり織り・陶芸
など)D親の会演会などE講演会など。子どもたちは様々な創作活動を通じ、自己表現の楽しさを知る
とともに講師陣とのコミュニケーションにより、よりスキルアップしていきます。

住所: 〒981-0205  宮城県宮城郡松島町幡谷曲田13
пF 022-352-2941 FAX: 022-352-2941
代表: 秋山学さん 主宰: 蜂屋美子さん
E-mail: yone@orion.ocn.ne.jp

*豊里中事件をともに考える会

●罰ゲームとは名ばかりの「いじめ」
2001年12月、宮城県北にある豊里町豊里中体育館で、一つの事件が起こりました。新聞やテレビの
ニュースで「罰ゲーム」「ふざけて棒刺す」「尻に鉄の棒」などと報道された事件です。しかし、この事件
は「罰ゲーム」でもなければ「ふざけて」起きたのでもありません。被害者A君(当時3年生=15歳)は、
事件の3ヶ月ほど前から、同級生に心ない言葉を浴びせられたり、使い走りを無理強いさせられたりし
ていました。足を怪我していたA君が、「ゲーム」に加わるように強要され、それまでの経緯から断るこ
とも出来なかったのは事件の前日。A君は、同級生11人とバトミントンのシャトルを打ち合う「円陣パス
」というゲームに参加。シャトルを3回落としたら、体育館のばバスケットコールを引き下ろす鉄棒を尻に
あてがって回す「罰ゲーム」が課せられた。選択の余地もなくA君が受けた行いは「いじめ」に他なりま
せん。宮城県警は5月、監視役の先生や生徒にも危険性の認識があったとして、A君の身体を押さえ
つけ、または鉄の棒を刺し、あるいは体内で回した同級生7人を、A君に対する傷害容疑で、監督責任
を怠った現場の先生1人を業務上過失傷害容疑で、それぞれ書類送検。刑事事件として、法的手続き
が進められている。A君の身体は、友達だと思っていた同級生の暴力で痛めつけられ、お尻を締める括
約筋という筋肉を失いました。自力で排便できないので、体の外に排泄物をためる人工肛門という医療
器具を使います。袋の中に出てくる排泄物は1日に7〜8回洗い流す必要があり、2〜3日に1回は袋ご
と新品に交換しなくてはいけません。長時間歩くことも、泳ぐことも出来ません。現代の医学では、短期
間に治すことは出来ないので、A君は高校に通いながら、これから先も検査入院や手術を繰り返すこと
になります。
この会は、重い障害に負けず、事件が起こらなければ同級生と同じように送っているはずの生活を取り
戻そうと頑張っているA君を応援するために結成されました。

 

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   エコロジーショップ・虹色のたね
        〒989-0255
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営業時間:       AM10:00〜PM17:0
       定休日   :       日・月
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櫻田信子 Sakurada Nobuko
       
 nrh20350@nifty.com
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虹色のたね 
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