■この自衛隊の巨大通信塔(?)は市ヶ谷のどの街からも見える。この中でどんなことをしているのだろうか。テポドンが発射されたらすぐわかるの???
明治30年の地図では、本村町は半分が「士官学校」半分が「砲兵営」となっている。昭和8年の地図では、「砲兵営」が「士官学校豫科」に変わっている。そのあと戦争が始まる頃になると、本村町一帯は公園であるかのように何も記載されなくなる。他の軍事関連の場所もすべて塗りつぶされる。攻撃を恐れた軍部が、スパイにバレないように地図に軍の施設を表示することを禁止したそうだ。父によると、アメリカは精密な航空写真やレーダーによって、そんなことはとっくにお見通しだったので全く無駄な悪あがきだったのだという。 |