左内坂

この坂は江戸時代に周辺の土地とともに開墾されたので、開墾名主島田左内の名に因み左内坂と呼ばれるようになった。島田家はその後明治時代まで名主をつとめ、代々島田左内を名乗ったという。

外堀通りからひきも切らずサラリーマンが坂を登ってくる。結構長く急な坂なので、お父さんにはいい運動。そういえば外掘を挟んで反対側にあった我が母校も長い坂を登っていかなければならず、毎日遅刻ぎりぎりで大汗かいて走っていた。
目に映るものに気を取られ、毎日通っている場所でも地形についてはあまり気にしないことが多いものだ。江戸では地形と町割りは重要な繋がりがあったので、また勉強してみようと思った。



右近坂
急な左内坂を登り切ったかと思うと、そこからさらに緩やかな坂が自衛隊の駐屯地の塀まで続いている。この緩やかな坂の方を右近坂と言うそうだ。
左とくれば右も、という江戸庶民の駄洒落ごころなのであろうか?
新宿区の教育委員会による坂名の表示柱はなし。