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e都電定期券に思う
  

  

2000年10月某日


昭和41年7月

昭和49年1月


都電定期券でみる撤廃への変遷の跡

雑司が谷から日本橋の会社に通勤していた頃の都電の定期券を数枚見つけた。

東京生まれの私は都電との付き合いは古い。物心ついた頃には日本橋三越の前側、瀬戸物町(昭和7年に日本橋本町に変わった)に住んでいた。家はガレージで住まいは2階。下のガレージには四角いアメリカ製のハイヤーが6台ばかり置いてあったように思う「大金」と言う自動車屋。1階には助手という人達が住み込み、運転手達は通いであった。家の前は古河銀行(現第一勧銀)、右隣は黒田薬品で絶えず馬が引いた荷車が来ていた。左隣は仁田という香料会社。

さて都電だがその当時は市電であった。三越の前には「室町三丁目」の停留所があり、交差点には交通整理の信号機をサーベルを下げた警察官が手動で操作していた。信号は「進め」とか「止れ」と書いた円板の方向を変えていたように思う。

この土地で常盤尋常小学校にあがり、じきに牛込赤城下に引っ越した。近所に「矢来下」の市電の終点があった。市電は終点までくると車掌がポールの縄を引っ張って方向を変えた。その時ポールの先端の車と電線の間から青白い炎が出るのを何時もなにか恐れを感じて見ていた。

此所から一人で市電に乗ることが出来るようになった(昭和10年代)頃には、電車賃は片道7銭で乗り換えてもそのまま目的地まで行けた。市電は昭和18年に都制が施かれ都電に変わった。更に世の中は変わって昭和41年の都電定期券で通勤していた頃は、自動車ラッシュに押されて都電は廃止に向かっていた。

定期券に印刷されている路線は変化していく。これは実際の路線の廃止区間の変化より多少の遅れがあったとしても、都電撤廃の跡が見られて珍しいものと思い記録しておいた。

最終的には現在の荒川線(早稲田〜三ノ輪橋)だけになってしまった。尚古き良き時代?の「GO」「STOP」の信号機を『江戸東京博物館』に見つけて記録した。

  


江戸東京博物館にて
昭和の初め頃にゴーストップと称していた
ように記憶する交通整理用の手動信号機。


昭和41年7月

定期券には上の様に路線図が入
っていて、定期券の購入区間を
赤鉛筆でなぞって表示してい 
る。尚、年齢は窓口のおばさん
が前の定期と同じ数字を書いて
しまうためいつまでも38才が
続いたりしているが、決して父
が歳をごまかして言っているわ
けではないことをお断りしてお
く。            


     

昭和44年4月

左下の方、品川方面から四谷や
銀座方面の路線が無くなってい
る。廃止は都心から始まったこ
とが分かる。        




昭和44年10月

この年は急速に皇居周辺、中
央区、港区、品川区、の路線
が廃止となっている。   




昭和46年4月

皇居の西側は完全に無くな
っている。東側も千住〜築
地、志村〜神保町、秋葉原
〜新宿などがなくなり、国
鉄・バスに取って変わった
ことが分かる。     




昭和47年10月

上野〜浅草、須田町〜
水天宮、日本橋〜東陽
町、月島〜本所吾妻橋
そして現在残る早稲田
〜三ノ輪橋は、49年1
月の定期券までは残っ
ている。      




昭和49年7月
この定期券から、荒川線のみとなり、表示されていた
路線図も消える。                


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