広重のある風景 その1
 江戸開府400年。 
 江戸時代の浮世絵師歌川広重の江戸の風景を描いた浮世絵に魅せられて、彼の描いた場所を尋ねて東京の町を歩いてみた。
  そしてその行動範囲の広さにびっくりした。自動車も電車もない時代、どうしてこうも広い範囲で江戸の風景を訪ね歩くことが出来たのか、不思議でたまらない。

 16年4月12日更新

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 広重のある風景1 江都名所上野不忍之池

  上野不忍の池に行った。広重の「江都上野不忍之池」とほぼ似た風景を尋ねて写真を撮ってみた。池の中央にある弁天堂とそこに至る参道の位置や露天商が店を張っている風景はあまり変わっていないように思えた。

  池波正太郎の「江戸切絵図散歩」にこんな一節がある。
  ー不忍池が、戦後のあるとき、埋め立てられかけて野球場にされようとしたことがあった。
  地元の人々はおどろき、結束して反対運動を起し、ついに野球場は中止となったが、もしも上野の山と、その周辺が民間に払い下げられていたとしたら、どうなったか知れたものではない。ー
  不忍池にもこんな危機があったのである。

 16.2.28撮影


 広重のある風景2 名所江戸百景昌平橋聖堂神田川

 広重の「名所江戸百景」に「昌平橋聖堂神田川」の絵がある。
 雨の中相生坂を江戸の人々が歩いている風景である。神田川の流れと湯島聖堂の白い練塀が見られる。広重の描いた風景は昌平橋の辺りから見た風景である。
 その風景を尋ねて、御茶ノ水まで行ってみた。そしてJR御茶ノ水駅聖橋口を出て聖橋の上から湯島聖堂を望むと現代の「昌平橋聖堂神田川」の風景があった。
 湯島聖堂の白い練塀と神田川の流れはその当時と変わらないように見えた。
 前方の鉄橋の先にかすかに見える橋が現在の昌平橋である。

  16年2月9日撮影 

 


 広重のある風景3 広重東海道五十三次日本橋朝之景

  広重の浮世絵に「東海道五十三次日本橋朝之景」がある。
 橋の手前5〜6人の魚屋さんが、当時すぐ近くにあった魚河岸から買い求めた魚をかつぎ、また橋の上を大名行列の先頭が渡ってくる。あわただしい朝の日本橋界隈の情景が描かれている。

  日本橋は、慶長八年(1603)江戸幕府によって架けられた。東海道をはじめとする五街道の起点であり、江戸経済の中心となっていた。
 
上の写真は、現在の日本橋の風景を広重の絵に似せて同じと思われる場所から撮ったものである。
 現在の日本橋は石造二連アーチの道路橋として明治44年に完成した。国の重要文化財に指定されている。

  ただその上を高速道路が通り大事な景観を損ねているのは残念である。

  池波正太郎の「江戸切絵図散歩」にこんな一文がある。
  ・・・東京都は由緒ある日本橋の頭上へ高速道路をかぶせる無謀安易なことを実行してしまった・・・
  
 16年2月11日撮影 


 広重のある風景4 名所江戸百景上野清水堂不忍之池

  東京の桜の名所といえばその古さからいって上野の山に止めを刺す。

  広重の名所江戸百景上野清水堂不忍之池にも上野清水堂からの花見の風景が描かれている。

  現代の上野清水堂も花見客で賑わっている。

  広重の頃も現代もお花見の場所として江戸東京の人たちにとって人気のある場所であったのである。

14年3月25日撮影
16年4月12日更新


 広重のある風景5 名所江戸百景吾妻橋金龍山遠望

 広重の名所江戸百景「吾妻橋金龍山遠望」を訪ねて吾妻橋界隈に出かけた。
 
 現代の吾妻橋金龍山遠望は、墨田区役所14階にある展望ロビー(入場無料)から眺めたものである。

  前方に隅田川右手に東武伊勢崎線鉄橋がある。正面左ロッテの赤い看板のそばに五重塔が顔をのぞかせている。そしてその右手に浅草寺本堂の屋根がわずかに見える。

 16年2月23日撮影
 16年4月12日更新


 



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