広重のある風景その4

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 東都司馬八景「山縁山晩鐘」(増上寺三解脱門)NO16

 増上寺三門とその前に広がる百本松原を描いた広重の絵は幾枚もある。東都司馬八景「山縁山晩鐘」はその一つである。
 八景物となると絵師が奮い立ち、素晴らしい作品が多いといわれている。この絵も逸品の一つではないかと思われる。
 現在の増上寺の三解脱門は江戸時代の建造物で今日まで残っている数少ないものの一つである。

 16.8.12撮影


 東都名所坂づくしの内飯田町九段坂ノ図NO17

 九段坂は靖国神社前から俎橋まで下る坂である。
 広重の九段坂は、右半分に九段坂の坂上近い部分が、左半分に牛が淵、そして左上部に田安御門が描かれている。九段坂といえば、葛飾北斎にも有名な「九段牛ヶ淵」がある。
 現在の九段坂は右上方に靖国神社、左手が田安門である。
 東京メトロ東西線九段下駅下車地上に出るとそこが九段坂である。


 両国橋大川端NO18

両国橋大川端界隈は、江戸の最大の盛り場名所として広重をはじめ多くの浮世絵師によりその風景が描かれている。橋のたもとの広小路には見世物小屋、茶屋、料理屋が並んでいた。
 1659年(万治2年)架橋。その後流失、焼落を繰り返し、 10数回も架け替えが行われた。現在の橋は昭和7年(1932)に完成したものである。隅田川に架けられている橋としては、千住大橋の次に架けられた古い橋である。
 芥川龍之介「本所両国」にこんな一節がある。ー両国の鉄橋は震災前と変らないといつても差支へない。唯鉄の欄干の一部はみすぼらしい木造に変つてゐた。この鉄橋の出来たのはまだ僕の小学時代である。しかし櫛形の鉄橋には懐古の情も起つて来ない。僕は昔の両国橋に・・狭い木造の両国橋にいまだに愛惜を感じてゐる。それは僕の記憶によれば、今日よりも下流にかゝつてゐた。僕は時々この橋を渡り、浪の荒い「百本杭」や芦の茂つた中洲を眺めたりした。ー
龍之介の渡った橋は明治37年架橋で、現在の橋の前のものである。

16.6.29撮影


 東都名所真土山之図NO19

 広重の東都名所「真土山之図」は、対岸の向島から隅田川越しに見た風景である。待乳山の上にわずかに待乳山聖天が顔を出している。
 待乳山は古くから歌に詠まれた名所であるが、同時に、本所のあたりが未だ海面であったころには、沖より入港する船の目当てにされたという。
 広重の時代には、「このところいまは形ばかりの丘陵なれど、東の方を眺望すれば、墨田河の流れは長堤にそふて溶々たり。近くは葛飾の村落、遠くは国府台の翠巒まで、ともに一望に入り、風色もっとも幽趣あり」(江戸名所図会)と、眺望絶佳の小丘となっていた。

 今も小高い山の上にあるが、周りに高い建物があり、隅田川越しに屋根のみがわずかに見える風景になっている。

 16.12.13撮影


 金龍山浅草寺NO20

広重の東都名所「浅草金龍山年之市群集」は、浅草寺の年の市の繁盛振りを描いたものである。、その繁盛は江戸第一といわれ、江戸名所図会は「ことさら境内は尺寸の地なく、ただ人をもって地を覆うに異ならず」と述べている。
 現代の風景は、菊祭りを見に浅草寺に出かけた時のものである。

 左が宝蔵門、右が五重塔である。


 



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