実は7月16日から10月31日まで入院していました。現在自宅療養中です。仕事の方は今年いっぱい休職します。病名は例の病気です。アル中です。今度の入院は精神病院だったので少しきびしかったです。でも、いい経験をしました。
11月と12月は、自宅療養なのでのんびりします。
ちょろちょろ出歩いたりしながら、のんびり休養します。音楽をたっぷり聴きながら、Macと遊びながら。今回は、うつ状態がひどく、どうしても我慢できませんでした。
自分は何のために生きているのか、生きる意味が無意味に思えてきました。酒は我慢しようとしましたが、無理でした。そして、病院送りとなりました。
内科の病院に行きましたが、過去2回前歴があるので、ことわられてしまって、精神科の病院(つまり精神病院)に入りました。
ここで、内科の病院と精神科の病院の違いを書きましょう。
精神科の病院では、自由がありません。もし患者に自由にお金を持たせて外出を許しでもしたら、自動販売機で酒を買って飲むからです。だから、精神病院は病棟が閉鎖されています。所持品はお金どころか危険な物は全て持込禁止です。私が入院して最初に入れられた「保護室」では「眼鏡」さえ取り上げられました(眼鏡は危険物だからなのです。レンズがガラスだからです。私は超近眼なので何も見えなくて困った)。この「保護室」(独房)は牢獄と同じでした。部屋の片側には鉄の棒が14本。その反対側はドアがあって、外からロック。壁も天井も床も、すべて内装はコンクリート。寝床(畳に布団)と便器のみの部屋(便器に囲いはない)。この部屋に入れられた瞬間はもちろんショックだったけど、2〜3日で慣れました。独房暮らしは、14日間でした。(何日目からは昼間解放になり、2時半から4時まで外に出られた)
譫妄(せんもう)
譫妄の譫はとても難しい字で「ごんべん」に「とらかんむり」に「言」と書きます。譫妄とは、離脱症状(禁断症状)の時に現れる幻覚や奇行のことです。私の場合は、まず「保護室」収容後2日目に出ました。夜中に、「保護室」の鉄の棒にしがみついて、この部屋を出ようとしていたそうです。実は、そういうことをする「夢」を見たのをはっきり覚えていますが、夢ではなくて実際にしたことは意識にありません。夢遊病者のようになっていたのですね。それから、ある時は、これも夜中に、火災報知器の音が聞こえて「火事だ!」といって看護婦さんを呼んだりしました。これも譫妄でした。また、ある時は、衣服が汚物で汚れているのを発見され、看護婦さんたちに身体を消毒されました。私は「大したことないのに」と思いましたが、看護婦さんたちは大騒ぎでした。これについては、まったく心当たりがない事でした。それから、何度か小さな婆さんが、部屋の鉄棒の向こう側に現れました。私は、その婆さんと友だちのように話をしましたが、これも「夢」ではなく実際に「覚醒」してやっていたのかも知れません。これも譫妄だったのでしょう。以上は「保護室」でのことです。3ヶ月の間に病棟を2回変わりました。退院に近づくにつれ、病棟も変わっていったのです。「保護室」は個室だから病棟ではありませんが「保護室」→第1病棟→第2病棟→第7病棟。日数は「保護室」に14日間、第1病棟に9日間、第2病棟に69日間、 第7病棟に16日間。
第1、2病棟は閉鎖病棟で、第7病棟は開放病棟でした。しかし、第7病棟は開放病棟といっても非常階段に鍵がかかってないというだけで、その他のことは同じでした。しかも、この病棟では、毎日「シアナマイド」を5cc飲ませられました。 「シアナマイド」というのは抗酒剤で、これを飲んで、酒を飲むと心臓がドキドキして七転八倒、救急車をよばなければならないとう薬です。これは退院後も毎日10cc飲んでます。これはアル中の「薬物療法」です。
とにかく、今回の入院は、牢獄生活からはじまり、鉄格子病棟を経て、108日間でやっと退院できたわけです。私にとって、この精神病院での生活は地獄ではなく、同病に病む話し相手との交流もありましたし、治療としては効果がありました。ただ、やっぱり早く出たかったです。やっぱり自由が一番いいですね。
今後は、シアナマイドを使った「薬物療法」と「満腹療法」で何とか断酒して行くつもりでいます。
それではまた。(1997/11/06)
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