●シュレーディンガー方程式と波動力学ド・ブロイは電子波の考え方を論文にまとめて、フランスのソルボンヌ大学に提出した。当時、その奇抜な内容はソルボンヌの教授陣の反響を呼んだ。だが、それは「反響」というよりも、むしろ「とまどい」と言ったほうが正しいかもしれない。
その中のある教授が、ド・ブロイの論文をアインシュタインに送った。というのも、ド・ブロイがアインシュタインの「光量子仮説」を支持していたからである。アインシュタインは電子波の考え方を大筋で認め、ちょうど自分がまとめていた研究論文の一部として引用した。
このアインシュタインの論文を通してド・ブロイの考えに触れ、まさにビビビっときた人がいる。オーストリア生まれの物理学者エルヴィン・シュレーディンガー(Erwin Schrödinger 1887-1961)である。ただし、彼自身も初めは「電子波なんて」とバカにしていたらしい。だが、しばらくして彼は「もし電子を波と考えれば、いままで棚上げされていきた電子のいろいろな謎が解けるんじゃないか」と考えたのである。そもそも彼は、その頃ボーアが唱えていた電子の軌道や遷移という考え方には賛成できなかった。まして、原子中の電子が、どんな姿なのかを考えずに、スペクトルの強度と振動数を求めて満足しているハイゼンベルクの「行列力学」には、かなり批判的だった。
だからシュレーディンガーは、もし電子が波なら「波」というちゃんとした描像が持てることを重要視したのだ。さっそく彼は、電子のあらゆる状態を、波として表せる式を作り、四編の論文を通して発表した。それが、現在でも量子論(量子力学)の基本の式とされる「シュレーディンガー方程式」である。シュレーディンガー方程式を解くと、モノがどのような波を持ち、それがどのように伝わるかを計算することができる。しかも、彼の式はハイゼンベルクの「行列力学」の難解な式よりは、ずっと簡単だった。また、電子の姿を思い描く際に、波という具体的な描像を持てることも大きな利点だった。
シュレーディンガーはこの方程式にかなりの自信を抱いた。そこで彼は、電子のいろいろな状態を波として説明していったのだ。
彼は、ボーアの唱えた電子の定常状態や遷移を、以下のように考えた。
まず行列力学派がいう定常状態とは、ド・ブロイと同じように、ある一定の振動数をもつ波(定常波)がうねっていることで表せるとした。また、波の数(山や谷の個数)は小数や分数になることはなく、必ず整数になる。このことから、光のエネルギーの差が整数倍(とびとび)になるという「量子条件」を説明した。次に電子の遷移は、ある振動数をもつ定常波から別の振動数をもつ定常波へ移行する際に、二つの波のもつエネルギーの差が線スペクトルとなって表れると解釈した。
このように電子を波と捉えなおすと、今まで証拠がないまま用いられてきた電子の軌道や遷移といった発想を、一切捨ててしまえるのだ。まさしく電子は波だ。シュレーディンガーはいっそうの自信を深め、電子を含むあらゆる粒子を、波という現象から統一的に説明しようと試みた。
その野望は達成できなかったのだが、とにかくここに、ミクロの世界を波として説明する、後期量子論のもう一つの手法「波動力学」が完成したのだった。
ところで、シュレーディンガーの波動力学では、肝心の電子の描像をどう考えていたのだろうか?
シュレーディンガー方程式では、電子の描像を波動関数ψ(プサイ)の二乗で表現する。波動関数ψとは、ある時刻に、ある場所において、波の高さ(振幅)がどれくらいあるかを示す。そして、このψを二乗したものが、要するに電子の波の姿だというのである。
では、シュレーディンガー自身の解釈を言葉を使って表現してみよう。彼のいう波動関数ψの二乗とは、いわば「電子が原子核のまわりを濃淡の密度をもった雲のように広がっている状態」である。そして、さらに電子の雲が濃いところほど電荷の密度は高く、逆に薄いところほど電荷の密度は低いと考えたのだ。この雲のように広がった電子を「電子雲」と呼ぶ。しかし、こんな説明をされてもサッパリわからない。これが本当にψの二乗が語る電子の波の姿なのだろうか? 実際、雲のように広がった電子という描像は、行列力学派のボーアやハイゼンベルクたちから槍玉に挙げられた。また当時、波動関数のわからなさを皮肉ったこんな歌もつくられたそうだ。
「計算たくさん、エルヴィンさん。波動関数でなさるけど、さてもわからんことがある。波動関数なんじゃいな?」
たしかに波動関数の特徴のひとつは、電子の描像が思い描けるということだったはずだ。しかし、もしシュレーディンガーが言った電子の描像が本当なら、なんだか非常に頼りない気がする。
だが、その後、イギリスのポール・ディラック(1902-1984)が、ハイゼンベルクの「行列力学」とシュレーディンガーの「波動関数」は理論的に同等であること、つまり本質的に同じであることを提唱した。そして両者が融合する形で、量子論の基礎が完成されたのである。(図解雑学 量子論 佐藤勝彦監修 ナツメ社より)[前ページへ][ホームへ][目次へ][次ページへ]