●ボルンの確率解釈波動関数ψの二乗が、どんな電子の波なのかということは、いまひとつはっきりしなかった。しかし一方で、この波動関数ψの二乗は、波特有の現象である電子の干渉実験の結果を計算できるものでもあった。ただ、問題がないわけではなかった。
電子の干渉実験とは、ダブルスリットをめがけて電子を飛ばし、向こう側のスクリーン上に、どんなふうに映るかを確かめるもので、光の干渉実験(『光は波か粒か』参照のこと)と同じものである。
この場合、たしかに波動関数を使うと、結果として電子の干渉が表せる。しかし、その様子をよく観察してみると、どうも電子を一概に波といっていいのかどうか疑問が残るのである。
光の干渉実験では、電子を一個ずつ徐々に飛ばした場合、電子を100万個発射すると、きれいな干渉じまが見える。しかし、電子を1000個発射すると、干渉しているようにも見えるが、粒にも見える。電子を数10個発射すると粒にしか見えない。この結果は「電子は波」というシュレーディンガーの主張と明らかに反する。というのも、もし電子が完全に波であれば、その飛ばす量を多くしようが少なくしようが、波として伝わなければならないからだ。
すべてを「波」として説明しようとした波動力学は、この時点で、ひとつの壁にぶつかったと言えるかもしれない。大げさに言えば、これは波動力学の危機である。さて、この窮地をどのように脱すればいいのだろうか?(電子は確率波である)
ここで再度、マックス・ボルン(1882-1970)という物理学者が登場する。彼は行列力学の完成に貢献した人物として前にも紹介した。
ボルンは、電子の干渉実験の観察結果を見て、こう思った。「シュレーディンガーくんは、すべてを波で説明するという点にこだわりすぎとる。この際、電子があるときは粒で、ある時は波だと二面性を認めてしまおう」と。
要するに彼は、電子の姿を思い描く場合は粒として考え、電子の動きなどを計算する場合は、電子を波として考えたシュレーディンガー方程式を使えばいいと考えたのである。
そして、ボルンは「確率」という考え方を問題の解決に利用した。シュレーディンガーは、波動関数ψの二乗を物質波の密度だと考えたが、ボルンはこれを電子の存在する確率に置き換えたのだ。
すると干渉実験の結果は、こう理解できる。たくさんの電子を飛ばしてできた干渉じまの濃い薄いのは、それぞれ電子がスクリーン上に到達する確率が高いところと低いところである。そうなると、波特有の現象である干渉じまの濃淡は、それにどれくらいの電子が粒としてあるかないかの確率分布で言い表すことができるのだ。
むろん、もしも一個の電子を飛ばしたとしたら、電子は到達する確率の一番高い付近に点となって表れるだけだ。したがって、その時の電子は、あくまでも粒として振る舞う。
このように時には粒であり、時には波である電子の二面性を確率でとらえるのが「ボルンの確率解釈」である。(図解雑学 量子論 佐藤勝彦監修 ナツメ社より)[前ページへ][ホームへ][目次へ][次ページへ]