●量子現象のいろいろ --- 定常状態、ゼロ点振動と不確定性原理、トンネル効果、真空の揺らぎボーアの前期量子論では、以下の仮説 --- 原子内電子は、古典的に可能な運動状態の中から特別に選ばれた軌道にあるときだけ、一応安定であって、光を放射しない。これを定常状態といい、その軌道を量子化された軌道という。定常状態は量子化された(不連続とびとび分布の)エネルギーをもつ。その一つ一つをエネルギー準位という --- によって、原子内電子の安定状態は不連続とびとび型の分布をする特定のエネルギー準位をもつ場合に限るとした。この仮説は、そうすれば原子スペクトルの実験を説明できるというだけであって、他に何の理由も根拠ももっていなかった。では、波動力学は、どのようにして、この問題を解決したのか?
すでに空洞放射のところで説明したように、箱の中に閉じ込められた安定な波動は(箱幅の2倍÷整数という)特別な波長をもつ波に限られる。そのため、波長の分布は不連続とびとび型になる。波動力学では波動像と粒子像はド・ブロイの関係式(p=h/λ)を通して結びついており、粒子の運動量は波長の逆数(のブランク定数倍)に等しい値をとるはずだ。したがって、運動量の分布も不連続とびとび型となる。いま箱の中で粒子に特別な力が働かないとすれば、エネルギーEは運動量pの二乗に比例する(正確にはE=p2/2m、mは質量)。こうして、波動力学では、エネルギーの値が不連続とびとび型分布になることが容易に理解される。
この状況から容易に想像されるように、波を描く曲線の湾曲度が大きいほど、すなわち、激しく振動するほど、エネルギーの値は大きくなる。波動力学(および量子力学)の特徴のひとつとして、しっかり記憶にとどめておいてほしい。
もっとも、実際の原子は簡単な箱ではないし、電子は原子核から引力によって束縛されている。しかし、その場合でも、箱に波を閉じ込めるのと同じような理由で、特定の不連続とびとび型のエネルギー準位だけが安定な波動、すなわち安定な運動状態として許されるのである。波動力学ではそれを定常状態という。原子の安定性(ひいては物質の安定性)は定常状態をもとにして理解できるものである。粒子軌道に固執する古典物理学では原子の安定性は不可欠だった。要するに、ボーアの前期量子論では単なる仮説であったものが、波動力学では論理的帰結として出てくるのである。論理的整合性は正当な形で復活した。
不連続とびとび型のエネルギー準位に対するこのような説明は、さらに量子力学的粒子の重要な性質 --- 不確定性原理を示唆してくれる。ハイゼンベルクは1927年に不確定性原理の存在に気がついた。ここではそれを波動力学の立場から説明しておこう。
一番波長の長い波は(電子が一番低い運動量をもつ)最低のエネルギー状態に対応することが分かる(p=h/λだから)。したがって、最低エネルギー状態の波動の波長は、λ=2Lであり、この運動量はp=h/2Lである(hはもちろんプランク定数)。最低エネルギー状態でも、有限の運動量をもつ振動が存在するのだ! 古典論ではこんなことはない --- エネルギーも運動量もゼロになる。最低状態の振動を「ゼロ点振動」というが、ゼロでないゼロ点振動の存在は量子論的効果である。
最低エネルギーの状態では、粒子は運動量p=+(h/2L)をもって右に行き、運動量p=-(h/2L)をもって左に帰る。だから、運動量の平均値は{(+h/2L)+(-h/2L)}/2=0であるが、運動量の取る値の幅は(+h/2L)-(-h/2L)=h/Lである。後者を「運動量の不確定性」といい。習慣上Δpと書く。一方、波動としての粒子は箱のどこにいるか分からない。その意味では箱の幅Lを「位置の不確定」といい、習慣上Δxと書く。すなわち、Δx=Lである。したがって、両方の不確定性をかけ算すれば(L×h÷L=h)ΔxΔp=hとなる。これを位置と運動量の「不確定性関係」といい箱の場合でなくても、量子力学的粒子が一般的に持つ性質である。この関係の原理的意義を重要視して「不確定性原理」ということがある。
これはまことに奇妙な原理だ。粒子の位置が精密に決まるような状態、すなわち、Δx=0という状況では、運動量の不確定性はΔp=h/0であり無限大になってしまう。要するに、運動量の値はまったく不確定である。逆に、運動量の値が精密に決まっている場合、すなわち、Δp=0の場合、不確定性原理はΔx=無限大を与える。今度は位置がまったく不確定になった。位置についての精密な知識と運動量についての精密な知識は両立せず、不確定性関係によって制限された知識しか得られない。ボーアはこの関係を「相補的」であるという。ボーアはこの考えを拡張し多くの場所で用いた。
さて、不確定性原理は、位置を「精密に決めようとすると」運動量が分からなくなり、運動量を「精密に決めようとすると」位置が分からなくなるということなのか? この言い方はあまり正確ではないが括弧をつけたところは何やら観測者である人間の恣意的な主張を感じる。人間の主観に基づく行動が観測対象の状態を決めてしまうかのようだ。
古典力学ではこのようなことはなかった。古典力学の世界では、人間の意志や主観には無関係に粒子の位置と運動量は精密に決まっている。それが「客観的な存在」というものではなかったか! 位置と運動量についての知識に不確定性が入るとすれば、それは人間の観測操作のまずさから来る誤差であって原理的ものではない。
しかし、量子論のいう不確定性は、このような誤差ではなく原理的なものである。とすれば、私たち人間は、観測器機の性能をどんなに向上させても、量子力学的粒子の位置と運動量の双方を精密に知ることは原理的にできないことになる。そのような粒子をはたして「客観的な存在」とみなしてよいものだろうか? こうして、量子力学をめぐる認識論的な疑問と論争が始まったのである。いうまでもないが、プランク定数hをゼロに移行させれば、不確定性関係の右辺はゼロとなり、ΔxとΔpに対する量子論的な制約は一切消えて、すべての話は古典論の場合に戻る。
なお、位置と運動量の不確定性関係の他に、時間とエネルギーに関する不確定性関係(または不確定性原理)ΔtΔE=hも成立する。tは時間、Eはエネルギーであり、ΔtとΔEは、それぞれの不確定性を表す。しかし、不確定性ΔtとΔEをΔxΔpとまったく同じように考えることはできない。いずれにしても、不確定性原理は量子力学にとって重要であり、あと(「複素数と波動関数」)で再論したい。
ハイゼンベルクの名はボーアやシュレーディンガーと並んで量子論から切り離すことができないほど重要である。量子力学を確立し、不確定性原理を見つけたのち、『量子論の物理的原理』(日本語訳『量子論の物理的基礎』みすず書房)という著書を公刊した。小さな本ではあるが、量子論の原理的内容と認識論的な含意を徹底的に議論し、その後この種の討論の出発点ともなった著作である。とくに、不確定性原理の物理的内容をガンマ線顕微鏡の思考実験で明らかにした点が忘れられない。
量子力学建設の当時はボーアの影響を強く受けた。コペンハーゲンとともに、彼がいたゲッティンゲンとライプチッヒは理論物理学の世界的中心だった。彼は量子論のミクロ世界への適用でも指導的業績を積み重ねた。磁性体の理論は今でも標準理論であるし、チャドウィックによる中性子発見直後には、いち早く原子核が陽子と中性子からできているという観点に立って原子核物理学の基礎を固めた。さらに、パウリと共同で量子論を電磁場などの「場」に適用し、場の量子論の一般化を完成した。戦時中には、シュレーディンガー方程式を追放して量子力学を再構築しようとした野心的な「S行列理論」を発表している。S行列(散乱行列)という量は後年素粒子論で広く使われた。また、乱流理論への基本的な貢献や宇宙線の理論も忘れられない。晩年には、素粒子の構造や反応をすべて支配する究極理論をめざして非線形の宇宙方程式などを提唱した。戦時中ドイツのウラン計画に参加したこともあって、敗戦直後イギリスに抑留されている。戦後はドイツの研究体制の再建に尽力した。
量子力学といえば、「トンネル効果」を忘れることはできない。量子力学的粒子が壁と衝突する場合に起きる現象である。古典的粒子ならば、壁が壊れなければ、はね返されるだけだ。しかし、量子力学的粒子は波である。波ならば、壁が壊れなくても、壁の中にしみ込む場合がある。壁が薄ければ、波の尻尾が向こう側にしみ出すだろう。その場合に、量子力学的粒子が壁を透過する可能性が生まれる。第五章で説明する予定の確率解釈がゼロでない値の透過確率を与えるからだ。要するに、量子力学的粒子は、壁が壊れない場合でも、壁を透過することができるのである。この現象をトンネル効果という。もちろん、純粋の量子効果である。
量子力学が発足して間もない頃、ジョージ・ガモフ(1904-1968)が原子核のアルファ崩壊をトンネル効果として説明して有名になった。これは、原子核内にあったアルファ粒子(ヘリウム原子核)が原子核の壁を透過して外に出てくる現象であった。この成功は、量子力学が原子核内でも有効であることを示した最初の例として、広く知られている。
現在、トンネル効果はミクロ世界のいたるところで見られる。とくに、半導体内の物理現象には、何らかの形でトンネル効果がかかわっている。繁栄を極めている半導体産業の成立基盤が、トンネル効果にあるといっても過言ではないほどだ。トンネル効果を使ったトンネル・ダイオードの発明者江崎玲於奈は1973年にノーベル賞を受賞したが、ご存知の方も多いと思う。また、最近の宇宙論は、宇宙発展の初期に、トンネル効果が重要な役割をはたしたと推測している。トンネル効果は量子現象は代表する有力選手なのである。
さて、量子論では最低エネルギー状態でもゼロ点振動が存在するのだった。前章で論議した空洞放射の場合についていえば、空洞内電磁場は最低エネルギー状態でもゼロでないゼロ点振動をもつわけである。古典論の最低エネルギー状態では、すべての電磁振動は消滅する。この状態を電磁場に関する古典論の真空という。量子論でも、最低エネルギー状態を真空と呼ぶが、それはゼロでないゼロ点振動をもち、大層騒がしい真空である。そのゼロ点振動を「真空電磁場の揺らぎ」、または単に真空の揺らぎという。真空の揺らぎは大きな物理的効果をもつ。定常状態にある原子(正確には原子内電子)の安定性は真空の揺らぎを無視した場合に得られる近似的なものだ。原子はいつも真空電磁場の中にあり、その揺らぎに突き動かされて量子飛躍を起こすのである。量子飛躍の原因は真空電磁場の揺らぎであった。
現代素粒子物理学は真空にもっと複雑な物質性を与えつつある。また、現代宇宙論は真空の揺らぎが宇宙の創造・発展に重要な影響を与えたらしいと推測している。(量子力学入門 並木美喜雄 岩波新書より)[前ページへ][ホームへ][目次へ][次ページへ]