●同種粒子の統計法則原子内電子のエネルギー準位が不連続とびとび型であることは、すでに述べた。原子は一般的に原子核の正電荷を中和するだけの数の電子をもっている。量子論として次に解決すべき問題は、その複数個の電子が、どのような仕方で(不連続とびとび型の)エネルギー準位を占めるかを説明することである。高いエネルギー準位にある電子は量子飛躍によって低い準位に飛び移るから、原子の安定状態はすべての電子が最低エネルギー状態を占めている場合に実現するはずだ。しかし、実際はそうではなく、安定原子の高いエネルギー状態にも電子は存在している。
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ヴォルフガング・パウリ
この矛盾の解決法に最初に気がついたにはヴォルフガング・パウリ(1900-1958)であった。彼は「電子が一つの状態には一個しか入れない」という作業仮説をたてて原子内電子の配列をしらべ、元素の周期表と呼ばれる規則性を説明する道を開いた。その作業仮説をパウリの排他律という。集合の仕方に関する法則である。この限りでは経験的に見つけたものだ。パウリの排他律にしたがうとき、同種粒子の集団には独特の統計法則(一つの状態には一つの粒子しか入れないという法則)が成立する。この統計法則は前期量子論からは出てこない。量子力学成立の頃、量子論的統計法則を追究していた物理学者フェルミとディラックの名を取って、それをフェルミ-ディラック統計といい、その種の粒子をフェルミ粒子またはフェルミオンと呼んでいる。電子はフェルミオンである。その他に陽子や中性子もフェルミオンであることがわかっている。
一方、光子はフェルミオンとまったく違う集合の仕方をする粒子である。一つの状態に何個でも入れるという統計に従う。これをボース-アインシュタインの統計といい、この種の粒子でボース粒子またはボソンという。光子はボソンであった。そのほか、パイオン(湯川中間子)もボソンである。
フェルミオン-ディラックの統計とボース-アインシュタインの統計を総称して量子統計という。量子統計は、ミクロの同種粒子が区別不可能であるという同等性と量子力学が結びついたとき、必然的に出てくるものだ。これに対して、区別可能な古典的粒子に対する統計法則を古典統計という。高温になると空洞放射や固体の比熱の場合と同じ理由で量子効果は消えて、量子統計は古典統計に移行する。
量子統計が出てくる理由の説明は、波動関数という概念にもう少し慣れるまで待っていただこう。ここでは量子統計に関連して名前の出た物理学者の紹介をしていおきたい。
パウリは数理物理学者として有名だったゾンマーフェルト(1858-1951)の弟子で、若い頃から頭角を現した。彼の代表的著作の一つであり名著という評価の高い相対論の教科書は学生の頃書いたそうだ。さらに、これも名著といわれた『波動力学の原理』という著書もある。パウリは大変な自信家であり、辛らつな毒舌でも有名だった。ディラックの相対論的電子論にケチをつけ、若いシュティッケルベルクの中間子論をつぶしたという。一時、彼にけなされた理論は有望だという皮肉さえ生まれた。しかし、ニュートリノ仮説、スピンの理論、場の量子論、素粒子の対称性に関する研究など理論物理学者としては第一級の業績を残した。さらに、個人的交流を通してハイゼンベルクなどに大きな影響を与えたという。![]()
エンリコ・フェルミ
エンリコ・フェルミ(1901-1954)はイタリアの生んだ物理学者である。彼は1926年にフェルミ統計の考えを使って、量子化された気体の理論を構成した。フェルミ分布やフェルミ準位という言葉もその研究によって生まれた。また、パウリのニュートリノ仮説をいち早く取り入れてベータ崩壊の理論を作った。現在これはフェルミ相互作用と呼ばれている。その他、宇宙線の加速機構の理論、高エネルギー衝突による粒子多重発生の統計理論などで多くの優れた業績を残した。ひと頃、原子核実験をも手掛け、中性子による元素の人工転換を研究した。妻がユダヤ人だったため、独裁政権下のイタリアを逃れてアメリカに渡った。戦時中、原子爆弾製造のマンハッタン計画に参加し、中心的な指導者として活躍したことはよく知られている。彼の研究は幅広く、物理学の多くの分野に足跡がある。
ボース統計はカルカッタ在住のインド人物理学者ボース(1894-1974)によって導入された。地理的経歴的に不遇だった彼は、ボース統計の発想を論文にして、当時有名だったイギリスの雑誌Philosophical Magazineに投稿したが掲載を拒否された。その後、価値を認めたアインシュタインの助けを借りてドイツの雑誌Zeitschrift für Physikに出したという。1924年のことである。ボースはインドの古典楽器の名手であったそうだ。(量子力学入門 並木美喜雄 岩波新書より)[前ページへ][ホームへ][目次へ][次ページへ]