●ミクロ粒子のスピン  

 量子統計はミクロ粒子のスピンと切り離して考えることができないものである。スピンとは自転運動を意味する言葉だ。視覚化したモデルとしては、コマの回転やフィギュアスケート選手のスピンがある。また、地球の自転運動も一つのモデルである。地球は太陽のまわりを公転運動すると同時に、自分自身の極軸のまわりに自転運動をしている。誰でも知っているように、一日の昼夜の交代は、この自転運動の結果である。自転運動の角運動量をスピン角運動量という。これに対して公転運動の角運動量は軌道角運動量と呼ばれている。
 量子力学によれば、角運動量は大きさとある特定方向の成分しか決められない。量子効果によって、それらはいずれも不連続とびとび型の値を取る。具体的には、角運動量の大きさはプランク定数を単位としてjと書くことができるが、jは0, 1/2, 1, 3/2, 2, ...という値を取る。jがその中の一つの値を取ったとき、角運動量の特定方向成分は、j, (j-1), ..., -(j-1), -jという(2j+1)通りの値を取ることで知られている。すなわち、大きさがjである角運動量の場合、特定方向成分のこれらの値に対応して(2j+1)個の運動状態が存在する。量子論的角運動量の単位がであることは、すでに前期量子論の時代から予想されていた。しかし、jは整数だった。量子力学でも、軌道角運動量の大きさを与えるlのlはやはり整数値0, 1, 2, ...を取る。
 ところが、原子スペクトルなどの分析の結果、電子は軌道角運動量がゼロの状態でも、なお二個の(自転運動的)運動状態があることが判明したのである。とすれば、(2j+1)=2だから、j=1/2ではないか! すなわち、電子の自転運動を表すスピン角運動量の大きさは/2であり、特定方向成分は値プラスマイナス/2を取る。この状況を電子のスピンは1/2であるという。電子の他に、陽子や中性子のスピン1/2であることが知られている。なお、特定方向成分プラスマイナス/2をもつ状態をしばしば記号的に↑と↓で表すことがある。
 一般に全角運動量の最低値(÷)をスピンという。パイオン(湯川中間子)のスピンは0、光子のスピンは1である。したがって、ミクロ粒子にはスピンが半奇数(奇数の半分)のものと整数のものとがある。場の量子論的な理論分析によって、半奇数スピンの粒子はフェルミオンであってフェルミ-ディラック統計にしたがい、整数スピンはボソンであってボース-アインシュタイン統計にしたがうことが知られている。ミクロ粒子が二つ量子統計のどちらに属するかは、その粒子のスピンによって決まる性質だったのである。
 先ほど、前期量子論は一電子原子のエネルギー準位の説明には成功したが、電子数が二個以上になるとまったく無力であるといった。その原因は実はスピンを無視していたところにある。その事情の輪郭はある程度第五章で「(スピンと波動関数)の項」で説明しよう。いずれにしても、原子・分子および原子核などミクロ系の構造はスピン抜きでは理解できない。構造問題ばかりでなく、同種粒子間の衝突・散乱問題でもスピンの効果は極めて大きく、スピンを考慮するかしないかで状況は根底から変わってしまう。
 さて、軌道角運動量(大きさl)については、その値が大きくなる運動状態も実現可能であり、の効果を無視できる場合がある。このとき、対応原理的な意味で、量子論的軌道角運動量は古典的軌道角運動量に移行する。しかし、スピンの場合、自転運動という古典的イメージはできても、スピン角運動量とこの種の対応原理的関係にある古典的な力学量はない。スピン角運動量は純粋に量子力学的な力学量である。(量子力学入門 並木美喜雄 岩波新書より)

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