●波動関数の物理的意味 --- 確率解釈「波動性」をもつ以上、量子力学的粒子の運動状態は「波動」の時間的空間的変動を表す波動関数によって記述されるはずだ。習慣にしかだって、波動関数をギリシャ文字でψ(プサイ)と書こう。問題は波動関数ψが何を表すのかということである。ψについては、すでに干渉現象のメカニズムの説明の際(「波動性の検証」の項)、P=ψ2には、ひとまず(質量や電荷などの)物理量の密度分布を表すという解釈を与えておいた。この解釈で波動・粒子の二重性が説明できるかという問題である。
明らかに、この解釈では駄目だ。いま仮に、Pが一個の粒子の(質量や電荷などの)物質密度分布であったとしよう。とすれば、ヤング型干渉実験の場合、スクリーン上の干渉縞はそのまま一個の粒子の物質密度になってしまう。この干渉縞はマクロの大きさの範囲にわたって広がっているものだ。こんなに広がったミクロ粒子など見たことがない。実際、ミクロ粒子を検出してみれば、いつも小さな領域に局在している。
また、波動関数の運動法則を表すシュレーディンガー方程式は、数学的には分散型と呼ばれる方程式である。それにしたがえば、はじめに局在していた波動関数も時間の経過につれて、どこまでも広がっていく。Pが本当に物質密度を表すならば、一個の電子が人間の頭ほどに膨張することも許されなければならない。このことは現実には起こらない。ようするに、P=ψ2が量子力学的粒子の(質量や電荷などの)物質密度を表すという解釈は物理的現実に適応しないのである。
ここでもう一度、P=ψ2が粒子の集団運動の分布関数を表すとしたらどうか、という考えがちらつく。Pが広がっても、それは粒子集団の分布状況を表すだけで、一個の粒子の膨張を意味しないからである。しかし、この考えは、すでに前項までの考察によって否定されている。ψはあくまでも粒子一個の状態を記述するものだ。では、ψの物理的意味は何か?
この難問は量子力学誕生当時の物理学者をたいそう悩ませた。いくつかの試行錯誤を含む紆余曲折の末、結局ボルンに始まる確率解釈によって、一応の合理的解決がもたらされた。確率解釈とは、P=ψ2が粒子の存在確率解釈である(正しくは比例する)と規定するものである。このとき、ψを確率振幅という。
ヤング型干渉実験の概念図確率解釈によれば、Pがいかに広がっても心配はいらない。それは確率分布が広がるだけであって、粒子の物質分布自身の拡散膨張を意味しないからである。干渉実験の場合、Pは上の図の干渉模様のように山と谷のある分布をするが、それは粒子を見つける確率が山のところで高く、谷の付近では低いということを意味する。したがって、粒子一個の実験を繰り返し実行すれば、スクリーン上で粒子の到来を示すスポットは、山のところに多く集まり、谷のところでは少ないだろう。この結果が重ね焼きに反映し、Pと同型の干渉縞が再現される。こうして、前項までに見た波動・粒子の二重性に対する合理的解釈が得られた。ボーアは、このボルンの解釈を受け入れ、ハイゼンベルクやディラックなどと一緒に量子力学の理論体系を建設した。これが現在の正当的な量子力学である。
正当的な量子力学の波動関数に対する要請を改めて述べておこう。(1)波動関数は重ね合わせの原理にしたがう。この原理の一般的な形は次の通り。それぞれが波動関数ψa、ψb、ψc・・・によって表される運動状態a、b、c・・・のすべてが可能な場合、この力学系の状態は波動関数ψ=ψa+ψb+ψc+・・・によって表される。
(2)波動関数は確率解釈によってその物理的意味が与えられる。すなわち、粒子の存在確率密度はP=ψ2に比例する。重ね合わせの原理を上の図の干渉実験の場合に適用すれば、衝立上方では、小孔aを通る運動状態(ψa)と小孔bを通る運動状態(ψb)の双方が可能であるため、ψ=ψa+ψbが要求される。さらに、確率解釈によって、スクリーン上の粒子の存在確率分布がP=ψa2+ψb2+2ψaψbによって与えられることになる。これで間違いなく、干渉実験が説明できるわけだ。要するに、この二つの要請は、基本的な実験である波動・粒子の二重性を取り込み、それを一般化したものである。
量子力学の基本的要請(3)としては、さらに、動力学的要素であるシュレーディンガーの方程式を設定しなければならない。要請(1)(2)(3)が量子力学の理論的骨格である。
正統量子力学は、原子・分子および原子核・素粒子の各種ミクロ現象の解明に適用されて、素晴らしい成功を収めた。その理論的予言はいまだかつて実験によって裏切られたことはない。その意味では正統的量子力学は完全に正しい理論体系である。正統的量子力学を推進したボーアのグループを「コペンハーゲン学派」ということがある。
物質波仮説を導入したときのド・ブロイの脳裏には、波というマントをまとった粒子という素朴実在論的な描像があった。しかし、確率解釈以後の量子力学的な波は、そのような素朴実在性から遠ざかっていったのである。
その周辺をめぐって、正統的量子力学には出発当初から原理的疑問と不満がつきまとってきた。理論体系が原理的設定のところに確率を持ち込んだからである。いうまでもなく、古典物理学でも確率概念と確率的手法は広く用いられてきた。しかし、それは原理面のところではなく、私たちが力学系の精密な知識を持ち合わせていないために、やむを得ず導入した現象論的なものだった。これに対して、正統的量子力学は原理のところに確率を導入したのである。これに対する反発は大きく、量子論の発展に大きな貢献をしたプランク、アインシュタイン、ド・ブロイ、シュレーディンガーなどが反対側にまわった。とくにアインシュタイン正統的量子力学の最大の論敵となり、「神様はサイコロ遊びをしない」といって、いろいろなパラドックスを考案してコペンハーゲン学派に挑戦した。量子力学をめぐる原理的問題が次章から始まる議論の主題であるが、多くの疑問の根源は「重ね合わせの原理」と「確率解釈」にある。
波動関数に対する基本的要請として確率を導入した以上、その確率解釈を支える確率母集団がなければならない。サイコロ遊びの場合を考えよう。サイコロには1、2、3、4、5、6の目があり、一回の試行では、どの目が出るかわからない。多数回(N回)試行して、それぞれの目が出た回数をN1、N2、N3、N4、N5、N6とすれば、それぞれの目の出る確率はw1=N1/N, w2=N2/N, w3=N3/N, w4=N4/N, w5=N5/N, w6=N6/Nであるが、Nが十分大きい場合、一定値を取る(大数の法則)。サイコロの材質構造が均一対称であれば、すべての確率は同じ値、六分の一になるだろう。この場合、多数回の試行結果が確率母集団である。量子力学の場合、確率母集団を与えるためには、同じ波動関数で記述される独立な力学系を多数用意しなければならない。上の図の干渉実験でいえば、同じ波長(運動量)をもった入射粒子を多数用意し、十分長い平均時間間隔をおいて衝立に向かって投入するのである。逐次投入される多数個の粒子が同じ波動関数をもつ独立な力学系の集団に相当する。したがって、各粒子の波動関数がスクリーン上でつくる確率密度分布は同じである。しかし、スクリーン上のどこかで粒子を検出すれば(これは粒子の位置測定であるが)、検出の場所は同じではなく、ばらつく。そのばらついた検出点を集めたものが、粒子の位置測定に関する確率母集団であり、投入個数が十分大きければ、重ね焼き分布としてPを与える。粒子がスクリーン上のどの点で見つかるかは、ちょうどサイコロのどの目が出るかと同様の純粋に確率的な事象なのである。
いまの議論でわかるとおり、量子力学は一つの力学系に対する一回の実験の結果については、例外的な場合を除いては、一般に何の予言も与えない。一個ずつ観測対象系を投入して観測・測定を行った結果を多数集めた結果に関する統計法則を与えるだけなのである。これは量子力学を理解する上で基本的な事柄だ。(量子力学入門 並木美喜雄 岩波新書より)[前ページへ][ホームへ][目次へ][次ページへ]