●「波動関数の収縮」と位相相関素朴コペンハーゲン解釈が成立しないとすれば、測定過程では一体どのような物理現象が起こっているのだろう。改めて、測定器や検出器の効果を考えたい。そのため、概念図(検出器の効果を見る第二段実験、下の図(a)のような実験を設定しよう。前ページの「イエス・ノー型実験(シュテルン-ゲルラッハの実験)」と同じようなイエス・ノー型実験であるが、右側に第二段のヤング型干渉実験を組み込んである点が違う。この場合、ヤング型干渉実験はそれ自体が興味の中心ではなく、第一段実験の測定器Daが波動関数に与える効果を見るためのものだ。なお(厳密にいうと)、第一の分波はDaとの相互作用で変化し、小孔aをとおって球面波に変身するし、第二の分波も小孔bを通って球面波になる。本来はいちいち記号を変えて書かなければいけないが、面倒だからすべての波に元と同じ記号を使った。概念的な混乱は起きないと思う。
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検出器の効果を見る第二段実験
図(b)は第二段実験として、ヤング型干渉実験を使う代わりに、二つの分波を一つの最終通路に集めて干渉を見ようとするものである。このままでは何のことやらわからないが、後で説明する中性子干渉計(第九章)はこの方式を使う。この図は、ヤング型干渉実験以外にも、測定器の効果を干渉現象の有無で見る方法であることを示す目的だけのものだ。内容的な説明は第九章まで待っていただきたい。
いずれにしても、二つの分波ψaとψbとは同一の空間で重ね合わされ、スクリーン上(または最終通路の検出器のところ)で見つかる存在確率はP = Pa+Pb+2ψaψbに比例する。第五章の波の干渉に関する議論とまったく同様である。波ψaが通過検出器Daによって変わっているとしても、この式の形は変わらない。
素朴コペンハーゲン解釈は、一回ごとの測定で、分波ψaとψbの一方が消えることを要求する。その結果、スクリーン上(または最終通路の検出器のところ)の分布ではPa、Pbの一方のと干渉項2ψaψbが消える。したがって通路決定実験を総合すれば(Aを通ったという場合とBを通ったという場合の結果を集めると)、スクリーン上(または最終通路の検出器検出結果)はPa+Pbに比例するはずだ。干渉項のないのが特徴である。これは通路決定実験が波動性を示す干渉模様を消すという結果の再確認だが、素朴コペンハーゲン解釈はその原因を一回の測定ごとで分波が消えるところにおいた。
干渉項の消滅の唯一の原因が分波の消滅にあるわけではない。検出器Daを通過することによって、二つの分波ψaとψbとの相対位相がランダム(でたらめ)になれば、干渉項は消える。その理解のために、まず、相対位相とそれがランダムになる場合を説明しよう。![]()
検出器による位相のズレ
上の図を眺めよう。最上部には検出器を置かない通路Bの波ψbが描いてある。これを標準にして検出器を置いた通路Aの波ψaの位相(これをψaとψbに対する相対位相という)を見ようというのだ。二段目の図は検出器を取り去ったときの通路Aの波ψaである。検出器がないから、ψaとψbは同位相の関係にある。通路A検出器を置けば、それとの相互作用の結果、波ψaの進行に遅れまたは進みが生じる(一般には振幅も減少する)。これを位相のズレというが、位相のズレがψaとψbの間の相対位相をつくるのである。三段目には、ある位相のズレをもった波を描いた。四段目には別の位相のズレをもつ波である。
ここで、量子力学的測定の実行方法を思い出そう。ヤング型干渉計(検出器の効果を見る第二段実験a)の左方から、弱い強度のビームを投入し、右方のスクリーン上で粒子の到着点を記録し、それを多数集めて重ね焼きをするのであった。まだ、Daが検出器として働くかどうかわかっていない。まずは、多数の構成要素からなるマクロ系だと考えておく。この重ね焼きによって、次々に投入される粒子の波に関する干渉項2ψaψbの足し算が実行される。次々に投入される粒子の分波ψaが検出器から互いにランダムな位相のズレをもらうとすれば、ψaとψbが同位相に近い相対位相の場合(すなわち、積ψaψbの符号が同符号同士の積(+)×(+)=(+)および(-)×(-)=(+)となって正になる場合)の頻度と、両者が逆位相に近い場合(すなわち、積ψaψbの符号が異符号同士の積(+)×(-)=(-)および(-)×(+)=(-)となって負になる場合)の頻度は等しくなるはずだ。したがって、重ね焼き上では、正の部分と負の部分が相殺し合って、干渉項は消える。検出器がこのような効果を与えるものならば、多数回の実験の繰り返しに対する重ね焼き分布は、干渉項のない分布Pa+Pbになる。相対位相がこうのようにランダムになることを位相相関の喪失という。
確率分布Pa+Pbは確率Paと確率Pbの和であるが、確率論によれば、この表式は互いに排他的な確率事象を扱うためのものだ。「波動関数の物理的意味---確率解釈」の項では、サイコロの例を取り上げたが、「1」の目か「3」の目の出る確率はw1+w3に等しい。w1は「1」の目の出る確率、w3は「3」の目の出る確率である。いうまでもなく、「1」の目が出れば「3」の目は出ず、「3」が出れば「1」は出ない。両者は排他的な確率事象である。今の場合、確率分布がPa+Pbとなったという結果は、粒子が通路Aを通るか通路Bを通るかという観測が完全に(サイコロのような)排他的確率事象になったということを意味する。すなわち、前者(粒子が通路Aを通ること)を観測すれば、後者(粒子が通路Bを通ること)は決して起こらない。逆も等しい。これはまさに測定による「波動関数の収縮」として期待した内容ではないか。この議論の当初、測定による「波動関数の収縮」を、簡単にψ→ψaまたはψ→ψbと書き、これが非因果的かつ排他的な確実事象だと言葉によって強調したことの内容に他ならない。分波間の位相相関の喪失が、確率の和というこの結果をもたらした。「波動関数の収縮」の本質は、分波間の位相相関の喪失にあるのだ。
分波間の位相相違の喪失は、検出器(測定器)が巨大な数の構成粒子から構成されるマクロ系の場合に実現される。検出器というマクロ系は、温度や物質密度のようなマクロ的状態変数が一定に保たれていても、内部運動のため、ミクロ的には時々刻々変化している。したがって、次々に投入される観測対象粒子は、粒子ごとに、(マクロ的には同じでも)ミクロ的には違う状態にある物質系と相互作用して、それぞれ違った値の位相のズレを貰う(一般的には振幅の変化も違う)。このようなメカニズムによって作られた粒子ごとに違う位相のズレがランダムになる場合に限って、位相相関が失われるのである。
もっと立ち入って説明すれば、観測対象のミクロ粒子は検出器の物質全体とではなく、その部分である局所系と相互作用するのだ。マクロ系である検出器は、ミクロ粒子から見ればあまりにも大きく、とても全体とし一遍に相互作用できるものではない。このように考えれば、ミクロ粒子が出会う検出器局所系が、粒子ごとに違うという事情はもっと理解しやすい。局所系といっても、なおマクロ系であり、各ミクロ粒子がもらう位相のズレがランダムになる可能性は十分に存在する。この事情は、ちょうど、地球の大気圏に突入してきた宇宙線粒子の場合に似ている。一般論としていえば、宇宙線粒子と地球との相互作用が問題となる。しかし、この問題に地球全体が関与することはなく、そのごく一部分の局所系が相互作用するだけである。次に入ってくる宇宙線粒子は別の局所系と相互作用することになるだろう。
局所系との相互作用だけを考えればよいというと、反論があるかも知れない。カウンターなどの場合には、信号発生動作として放電が起こり、検出器全体の現象のように見えるからである。しかし、これは測定による「波動関数の収縮」の結果をディスプレイするための二次的な物理過程なのである。この問題については、もう一度、「不可逆過程型増幅理論と”否定型測定のパラドックス”」の項で議論する予定だ。
ところで、巨大な数の構成粒子を含むマクロ系を通過すれば、必ずランダム(でたらめ)な位相のズレが得られるだろうか? 実は、必ずそうはならない。いま、測定器のところに空箱を置き、その中に少しずつ物質を注入してゆく場合を考える。初めは何もないのだから、位相のズレはなく、スクリーン上には綺麗な干渉模様ができる。物質を入れていっても、先ほどの一原子測定器に原子を補給していくプロセスに似て、初めのうち干渉縞は多少崩れても、なお残っている。そのうち、(イ)干渉縞が見えなくなって確率の和を与える測定過程が確立する場合と、(ロ)箱内がマクロ系に到達しても、なお綺麗な干渉模様が残る場合と、(ハ)両者の中間の場合とがある。(イ)の場合、信号発生の二次過程を組み込んであれば、この装置が検出器(測定器)として役に立つことはいうまでもない。(ロ)の場合は、一定の位相のズレを与える位相器(中性子干渉計では重要な役割を果たしている---第九章)としては使えるが、測定器としては駄目だ。(ハ)の場合は、一原子測定器のところで議論した不完全測定を与える。「シュレーディンガーの猫」の項の最後でふれたメソスコピック現象はこれと同様の物理過程である。これについては、第九章である程度話をする機会があるだろう。いずれの場合が実現するかは、装置と観測対象粒子との相互作用を具体的かつ綿密に調べていけばわかる問題なのである。
ひとつの装置が与えられたとき、それが検出器(測定器)として使えるかどうか(すなわち、(イ)になるか、(ロ)になるか、(ハ)になるか)を判定することが、現在観測理論に与えられている課題なのである。
詳細に立ち入ることはやめるが、最近私のグループは、装置の効果を定量的に表すことのできる一種の秩序変数(オーダー・パラメーターともいう)を導入した。その秩序変数は、(ロ)を表す値0から始まって連続的に変化し、(イ)を表す値1に至る。0と1の中間の値は(ハ)の場合の出現に相当するわけだ。すなわち、その秩序変数は、値の変化によって、完全な干渉現象、メソスコピック現象、「波動関数の収縮」を統一的に記述するのである。この秩序変数を使えば、ある装置が検出器(測定器)として使えるか、すなわち、「波動関数の収縮」を与えるかどうかを定量的に判定することができる。![]()
測定過程の数値実験(Nは検出器(候補)内の構成要素の数々、εは秩序変数の値)
上の図を見ていただきたい。これは、検出器Daの構成要素(およびその内部運動)と対象粒子の相互作用を簡単なモデルで代表させ、スーパー・コンピューターを使って数値的にシュレーディンガー方程式を導き、スクリーン上の分布を求めたものである。いわば、測定過程の数値実験(シミュレーション)だ。構成要素の数Nが(0, 5, 35, 100と)増加するにつれて、分布が(ロ)から(ハ)を経由し(イ)に移行する状況が見て取れる。そこには、適当に定義した秩序変数εの値(いまNの値に対して、0, 0.26, 0.94, 1.00)も付記しておいた。この数値実験の例では、N=100でもう干渉効果がはっきりとは見えなくなった。ε=0が(ロ)の場合、ε=1が(イ)の場合を表す。いうまでもなく、εの中間値は不完全測定(ハ)に相当している。
なお、前に測定過程がスペクトル分解と検出の二段階からなるといったが、以上の議論でわかるように、本質的な「波動関数の収縮」はもちろん検出の段階で実現するものだ。中には、スペクトル分解そのものを測定過程とする誤った議論がある。これでは波動関数の収縮は出てこない。ウィグナーもこのような過ちを犯している。
完全測定の場合、今の議論または分析は結果的には素朴コペンハーゲン解釈と同じところに到達したように見えるが、内容はまったく違う。繰り返していおう。今の議論では、測定の成立、すなわち、測定による「波動関数の収縮」の本質は、検出器との相互作用が二つの分波間の位相相関を喪失させたところにある。そこでは、「位相のズレ」を通して検出器が表面に登場した。これに対して、素朴コペンハーゲン解釈では、分波の一方が一回の測定ごとに消えるものとして「波動関数の収縮」を定式化した。そこには測定の影は見えない。測定器の関与で分波の消滅が起こるとしても、その消滅を観測対象粒子と測定器の相互作用の結果として具体的かつ物理的に導き出してみせるのは至難の業だ。
素朴コペンハーゲン解釈にケチをつけたが、実用上これは簡単便利な計算規則を与えてくれる。ふつう量子力学を使うとき、測定器の関与をいっさい忘れ、観測・測定とは分波の消える「波動関数の収縮」を与える過程だと割り切って、そこから出発して理論的予言を計算している。実際、すべての実用計算は、力学量が通路A、Bに対応する値を取る確率がスペクトル分解したときの両成分波の割合Pa=ψa2(正しくは|ψa|2)、Pb=ψb2(正しくは|ψb|2)に比例するという知識だけで実行できるのである。この計算規則は決して間違った結果を与えない。
量子力学的測定では、量子力学は力学量(シュテルン-ゲルラッハ実験の場合はスピン)が特定の値を取る確率を与えるだけであった。そのためか、量子力学ではすべてが曖昧になってしまうという印象が生まれる。しかし、これも必ずしも正しくない。たとえば、シュテルン-ゲルラッハ実験の場合、スピン状態が初めからすべて↑であるときは、分波ψbはそもそも存在しない。したがって、すべての測定の結果は確定して↑である。干渉実験の場合も、波動関数の値がゼロであるようなスクリーン上の点には、粒子は絶対に来ない。このように、量子力学でも、すべてが確定している場合があることを忘れてはいけない。定常状態はエネルギーの値が確定している場合であった。スピン測定の場合、初めのスピン状態が↑と↓の重ね合わせであるときだけ、ある確率でどちらかのスピン状態への「波動関数の収縮」が起きるのだ。スピン測定の場合に例を取って説明したが、一般の場合も同様である。(量子力学入門 並木美喜雄 岩波新書より)[前ページへ][ホームへ][目次へ][次ページへ]