●多世界理論---量子力学と宇宙観測問題の中核ともいうべき測定による「波動関数の収縮」には、前項までのところで見たように、実にさまざまな内容解釈があった。その中でおそらく一番珍奇な発想は多世界理論であろう。
いま、測定対象粒子の力学量がn個の値を取るものとし、それらに1、2、3、・・・、nという番号を付けよう。シュテルン-ゲルラッハの実験(上の図b)のようなイエス・ノー型実験では、スピン変数は二個の値しか取らないから、番号は1、2の二個だけである。力学量を測定し、一番目の値を取る状態をψ1と書く。二番目ならψ2、以下同様とする。その力学量を測定し、一番目の値が得られて対象粒子の状態がψ1になったとしよう。そのとき、測定器はその結果を記録して、測定前の状態Φ(ファイ)から測定後の状態Φ1に変わるだろう。二番目の値が出てきたときは、測定後、対象粒子はψ2に測定器はΦ2の状態になる。それ以外の場合も同様である。要するに、測定前、対象粒子は重ね合わせの状態ψ1+ψ2+・・・にあり、測定器は何も記録していない状態Φにあるが、測定後の全体の状態は、一番目の場合はψ1Φ1に、二番目の場合はψ2Φ2、・・・になるわけだ。
多世界理論は、この測定が行われた場合、一番目の値を記録した測定器(と対象粒子)、二番目の値を記録した測定器(と対象粒子)、・・・がそれぞれ互いにまったく違う別の世界に行ってしまうと主張するのである。すなわち、測定が行われるたびに、違う力学量の値を取った対象粒子とそれを記録した測定器は、力学量の値ごとに違う世界に「分裂」してしまうというのだ。現実の世界が分裂するのである! 全く別の世界に行ってしまった二つ(またはそれ以上)の分波を重ね合わせることはできない。したがって、位相相関は消えて「波動関数の収縮」が完成がするというのである。これが多世界理論のいう「波動関数の収縮」の内容とメカニズムだ。
力学量にはいろいろの種類のものがあり、測定のたびに取る値に応じて分裂を繰り返すのだから、私たちの住む世界は無数に分裂していることになる。なんとも不気味でグロテスクな状況設定ではないか! しかも、私たちはその中のどの世界にいるのか、わからない。どこにいるかを確率の言葉で教えてくれるのが量子力学だというのである。
分裂してできた多数の世界の数を数え、ひとつの世界の相対頻度を求める方法を考案した人たちがいる。彼らは、その相対頻度をその世界が現れる確率と解釈する。すなわち、正統的量子力学では基本的な仮定(要請)であった確率解釈を多世界理論の結果として導き出したと主張したのである。この点に魅力をもつ物理学者も確かにいる。
しかし、なんとも不思議な話だ。測定器が測定結果を記録すれば、なぜ、どのようにして現実の世界が分裂するのか? 現実の世界の分裂は物理過程ではないのか? 物理過程だとすれば、物理学によって追究可能でなければならないはずだが、多世界理論はそれについて何も解明してくれない。ただ、測定結果を記録した結果、世界が分裂したと言葉でいうだけである。これでは、観測・測定過程の物理的理解とはいえないだろう。ここにも、私は形而上学的思考の反映を見る。
この多世界理論は1957年にエベレット(H. Everett III)によって提出されたものである。当時、アメリカ物理学界の大御所ホィーラーが大そう感心し、その宣伝に一役買ったので有名になった。しかし、率直にいえば、疑問をもった物理学者も多かった。ホィーラーともあろう人がどうして多世界理論の提灯もちをしたのか? それには理由がないわけではない。ここで、量子力学の確率解釈にとっては、それを支える確率母集団が話を思い出していただきたい(「波動関数の物理的意味---確率解釈」の項)。干渉実験でも、多数の粒子を送り込んで独立な実験を繰り返し、その結果を重ね焼きしたのだった(「”波動性”の検証---波の干渉」の項)。量子力学はその重ね焼きに対する統計的な法則を与えるものである。この場合、送り込んだ多数の(同じ状態の)粒子が確率母集団をつくる。
では、量子力学を大宇宙に適用する場合はどうか? 大宇宙の量子力学的波動関数をψと書いても、それに物理的意味を与える確率母集団はない。少なくとも、あるかないか、よくわからない。なぜならば、大宇宙は唯一であり、多数の大宇宙を用意して、ヤング型干渉実験の場合のように、次々に実験装置に送り込むことなどできないからである。発想者エベレットは宇宙への量子力学の適用を考えていて、多世界理論を思いついたという。
しかし、多世界理論の主張をそのまま受け取ってよいかどうかは疑問だ。ヤング型干渉実験では、送り込む粒子の数(すなわち、確率母集団のメンバーの個数)はコントロール可能である。個数が多ければ、量子力学の法則はスクリーン上の重ね焼き分布として明瞭に読むことができる。少なければ(すなわち、少数個送り込んだところで実験を実験を中止すれば)、その法則ははっきりとはわからない。ただ、それだけのことだ。これに対して、多世界理論のいう分裂世界数はコントロール不可能なものであり、観測者が実験に際して用意できるものではない。まず、この点が基本的に違う。
また、分裂世界の集団を確率母集団と同定することは、新しい物理的解釈の設定(要請)に他ならない。これが”タネ”だ。”確率解釈の導出”という結果はこの”タネ”の直接の”果実”である。確率解釈を導出したといっても、この新しい要請があって初めて意味をもつ。決して多世界理論が”タネ”なしで出した結果ではない。通常の量子力学は基本的要請として確率解釈を設定するが、それ以上の本質的前進とは決していえない。この点にも論理的混乱がある。
この多世界理論は最近の宇宙論ブームで再び日の目を見た。宇宙発展の各段階では、しばしば、量子力学的位相相関が消えて古典物理学的様相が現れる。その際、量子力学的観測過程が(自動的に)実現しているはずだ。多世界理論派とその亜流がそこに目をつけ、多世界理論的解釈を利用してその問題を処理しようとしたのである。
ホーキングなどの研究で知られるように、量子論的効果は宇宙現象のいろいろな局面で期待されている。それは事実だ。しかし、大宇宙に量子力学を適用し、それをひとつの波動関数で表すことができるかという問題設定自身が、少なくとも物理学の現在の発展段階で意味をもつものかどうか、私は知らない。
宇宙は極めて多数の部分からできている。その一つを「局所的」と呼べば、おのおのの局所系にはおそらく量子力学が適用できるだろう。確率母集団も設定できないことはない。すなわち、宇宙の中には各局所系の量子力学状態を表す確率母集団が局所系の数と同じだけ(無数に)存在するはずだ。しかし、一般相対論の教えるところによれば、物質の存在する宇宙は湾曲した時空構造をもち、ひとつの局所系から隣の局所系への移動と連続は一般相対論が指定する幾何学的構造によって決まっている。したがって、各局所系の量子力学的確率母集団もその幾何学的構造の反映した方式で接続されているはずだ。大宇宙を量子論的に扱うには、局所系確率母集団をこのようなやり方でつなぎ合わせていって、宇宙全体(すなわち、大宇宙)にいたる方法を取らなければならないだろう。この方式は一般相対論の枠内で量子力学の理論体系を構成することを要求する。逆に、量子力学は、一般相対論の中核である時空の幾何科学的構造を表す量子化を求める。
結局、両者の要求は一般相対論と量子論との幸福な結婚という大問題が解決しないうちは実現しないだろう。この立場から見れば、大宇宙全体に一遍に量子力学を適用するという問題設定はあまりにも単純である。まして、多世界理論のいう多数の分裂世界と宇宙現象を直結させる発想は、あまりにも安直に過ぎるだろう。かつて、多世界理論の支持者だったホィーラーは今では多世界理論とその宇宙論への適用には懐疑的だという。あまりにも形而上学的要素が多すぎるからだそうだ---それは初めからわかっていた話ではないかと私はあえていいたいのだが。
話がわき道にそれるが、宇宙論は現在物理学の中では得意な地位を占めるものだ。近代以降、物理学は何回繰り返しても同じ結果を与えるという「再現可能な実験事実」に支えられて成立している学問である。しかし、宇宙現象は通常の物理学のように実験を繰り返して確かめることはできない。再現可能な実験のできない宇宙論は---(再現可能な)通常の物理学の知識を援用しているとはいえ---観測された事実に矛盾しないシナリオ作りが中心である。したがって、いく通りものシナリオが可能だ。宇宙論は大そう面白く、私たちの知的好奇心をさそうが、ひとつのシナリオを絶対的なものとして受け取ることは危険である。(量子力学入門 並木美喜雄 岩波新書より)[前ページへ][ホームへ][目次へ][次ページへ]