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エネルギー概念の放逐静止している質量 のエネルギーは で表すことが出来る。
ところが、その物体の内部ではさまざまな質量 を持った分子が
さまざまな速度で激しく運動しており、
その分子の静止質量や運動エネルギーの総量がその物体全体の質量を構成しているのである。
この状況を式で書き表すならば、
と表せる。 エネルギーの 2 乗のまま和を取ることが出来たならもっとすっきりした式にできたのだが、 個々の分子のエネルギーを普通に足し合わさなければならないのでどうしても 2 乗を外してルートを導入せざるを得なかった。 それでもこの後の議論には差し支えない。
さて、この式を見ると、光速度
と書ける。 これが力学の記事を書いている頃から私が考えをめぐらせていた式である。 実はルートの付かないすっきりとした形式、
に持って行けることを期待していたのであるが、多数の粒子による重心系に 話を限る以上、厳密さを大切にして上側のような表現にする必要があった。
これは有名な
この式の中の 力学の解説の中のエネルギーの説明の初めの方で、 「なぜエネルギー保存を使わなければならないのだろう? 『運動量の 2 乗の保存法則』というのはダメだろうか?」 ということをしゃべっていたのを思い出すが、 ここにきてそれに似たことが出来ることが分かってくる。 当時うまく行かなかったのは、ニュートン力学の範囲で考えていたからであり、 保存量を作ろうとする時にどうしても質量を入れないとうまくいかなかったのは、 ニュートン力学における「運動エネルギー」が相対論的エネルギー保存の式の 近似表現に過ぎなかったからなのである。 質量でさえ運動量から出来ている、という考えを導入すれば エネルギー保存の代わりに『運動量の 2 乗和の保存法則』というものが作れそうである。 ただし、これは意味をしっかり考えて使わないといけないので、 下手に使うと誤解を招きやすそうである。 「質量はエネルギーと等価である」というフレーズは有名であり、 この表現の方が確かに間違いも誤解もないのであるが、 本当に意味が分かって使っているだろうか? そればかりにこだわって他の見方が出来なくなってはいないだろうか?
質量の入れ子構造このような式を眺めていると割と多くの人が思いつくことではあるが、 小さな質量の集まりが運動して大きな静止質量を作り、 さらにその静止質量が運動することによってさらに大きな静止質量を 形作るような、「入れ子構造」が成り立っているのではないかと考えたくなる。もしこのような関係が成り立っているのならば、 我々の身の回りの物体の質量は小さな質量を持つ粒子が集まって 運動することによって出来ているのであり(これは事実だ)、 さらに、その小さな質量を持つ粒子の内部では もっと小さな要素が運動しており、その結果として粒子の静止質量が 作られている・・・。 このような繰り返しによって、この構造はずーっと微細な階層へと 続いていくのではないだろうか。 しかし、この構造はどこまでも無限に続くようなものではなく、 比較的浅い段階で、終わりにたどり着くことが考えられる。 それは、ついには質量を持たないものが内部で運動しており、全体として 運動量がつりあっているために全体として静止質量だとみなせる状態である。 ニュートリノでさえ質量を持つということが分かった現代、 質量を持たない物の候補はそう多くはない。 例えば・・光、そう、光だ。 「物質は光から出来ている!」 ああ、なんて甘美な響きなのだろう。 しかしここで突っ走らないように気を付けなくてはならない。 一つ間違えると、トンデモ街道まっしぐらだ。 そこでひとまず落ち着くために、話を一旦ここで区切ることにしよう。 次からのトピックでは物質が究極的には光から出来ているのではないか、 というモデルについての面白さを語ったり、弱点を検証したりしようと思う。
トンデモ候補の人々へここに出てきた「静止運動量」などと言う言葉を他で使わないことをお勧めする。 これは私の造語であって、本来の運動量とは多少意味が異なる。 この議論が正統な科学者たちに与える印象をきちんと理解しないで使うと とんだ痛い目を見ることになるだろう。 私について言えば、私は「分かっていてやっている人」なので、 「と学会」による「トンデモの定義」により「トンデモ」には当たらないのだ。
種明かし ここでの主張を分かりやすく要約すれば次のようになる。
光の運動量とエネルギーの間には簡単な比例関係 こういうことを考えて行って、何か面白い発想につながらないかなぁ。
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