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誰を基準にしているかシュバルツシルト解を求めるときには球対称だというので極座標を採用したのだった。 前回の話で強調したことを考えてみよう。 つまり、これは一体、誰の立場での座標なのだろうか。星が静止しているように見える立場? そう、それは確かに正しいのだが、それだけでいいだろうか。 つまり、どの位置にいる人にとっても共通して使える座標だと言えるだろうか? 例えばこんなことを考えてみる。 太陽くらいの質量の星のシュバルツシルト半径は約 3 km だ。 もし太陽がこれ以下のサイズにまで縮んだらブラックホールとなるのだが、 それよりも少しばかり大きめのサイズにまで縮んだと考えてみよう。 この星の表面で感じる重力は極めて強力だが、仮にそこに立っている人がいるとしたら、 この人は星に対して静止している立場にあると言える。 この人にとっての座標と、星から無限遠の位置にある人の座標の解釈は同じになるだろうか。 この後の計算のために、シュバルツシルト解をここに書いておこう。 微小線素は次のように表されるのだった。
ここで
この段階ではシュバルツシルト時空の具体的な形というものはイメージしにくいかも知れないが、
とにもかくにも、今は これで最初の問いかけに一部だけ答えることが出来そうだ。 この座標系は、無限遠に静止している人の肩を持つように作られている。 だからと言って星の表面に静止している人には使い物にならないというほどのものでもない。 これからその辺りも見ていくとしよう。
時間の短縮さて、星の表面にいる人、すなわち半径 の点にいて静止している人が、
座標 で計って だけ時空の中を移動したとしよう。
これは普通の言葉で言えば だけ時間が経過したということなのだが、
実は星の表面にいる人が感じている時間のことではない。
そこに の座標線が引かれているので、仕方なくそれを使って表現してみたまでのことである。
それはあたかも、
「地球儀上で経度 だけ移動した」と言っても、
場所によって移動距離が異なるのと同じことだ。
では実際には、半径
4 次元距離の自乗はこんな風に負になることもあるので気になるかも知れないが、今はその大きさだけに注目したい。
それでも無限遠にいる人は、時空全体に引かれているこの時間軸の間隔を信用しているので・・・、
ちょっと表現が悪いかな・・・信用というか、
この同一時間軸上にある出来事のすべてを同時に起きた出来事だと解釈することになると言った方がいい。
それで、自分のところで 要するに、無限遠にいる人は、 「シュバルツシルト半径に近いところにいる人ほど自分のところより時間がゆっくり流れているのではないか」 という感想を持つことになるわけだ。
同時の解釈は共通かでは星の表面に踏ん張っている人にとって、無限遠にいる人の時間の流れはどう見えるだろう。 今、全時空に引かれている座標を受け入れるならば、 自分にとっての は無限遠にいる人のところでは間隔が広くなっており、
そこでは時間の流れが早いのだと解釈することになるだろう。
しかし今の座標は無限遠にいる人に合わせて引かれたものである。 星の表面にいる人がこの同じ線を受け入れる理由があるだろうか。
特殊相対論ではそんなことは成り立っていないのだった。
一般相対論の場合には同時刻の線は共通として良いのだ、なんて勝手に早合点してしまってはいけない。 ちゃんと考えて根拠を探さないと。 では「今回の話では互いに相対速度を持ってないから両者は共通の系にいると言えるのだ」なんて説明ではどうか? 納得できるだろうか。 それもどこか怪しい。
まぁ、これはそんなに難しいことではないのである。。
ここまで考えてきた座標は無限遠にいる人に合わせて解かれたものであった。
そのときの「無限遠で時空が平坦になる」という条件は人為的に入れたものなので、
その条件を少し変えてやって、「半径
ちょっと記号の使い方を変えておいた方が良さそうだ。
星の表面の位置を定数にしておきたい。
これを半径
第 1 項の分母は定数であるし、第 2 項の分子も定数である。
要するに、
ここで少し補足しておいた方がいいかも知れない。
たった今、 話を戻そう。 とにかくこうして、無限遠にいる人と、星の表面にいる人の間に時間の流れの差があることがはっきりした。 具体的な話があるといいかも知れない。 例えば星の表面の時間の流れが半分になるのはどんな場合だろうか。
つまりシュバルツシルト半径の 4/3 倍の地点だということになる。 シュバルツシルト半径の何倍の地点かということだけで決まるというシンプルさがありがたい。
無限遠との比較にこだわる必要もない。
任意の 2 点、
になっていると表せるわけだ。 わざわざ (2) 式を持ち出してこれを求めなくても、各地点で同時刻線は共通しているのだから、 一旦無限遠との比較を挟んで考えても同じことだ。 どの地点から見ても「あそこはあそこの何倍で時間が流れている」という共通認識が成り立っているということになる。 そして、どこを基準にして見た場合にもシュバルツシルト半径のところでは時間が止まって見えるということか。 この不思議な点で何が起こっているのかはまた別の機会に考えることにしよう。
距離の短縮?空間の長さについてもこれと似たような議論が出来る。 話を簡単にするために、再び無限遠の地点と地表にいる人との比較に戻ることにする。
棒の長さを測るとき、同時刻における棒の両端の座標の差を見るのである。
棒を星の表面に垂直に立てた場合、この棒の両端の時空の距離はどう表されるだろうか。
棒の両端の時刻差は 0 なので、
この式の意味を解釈してやろう。
つまり、星の表面、つまり半径
ややこしくなってきた。
申し訳ないがやり直そう。
仮に、座標軸には 無限遠にいる人が「俺のところでは目盛りは 1 m 間隔なんだが、そっちではどうなってる?」と聞いて、 地表の人がそれに対して「いや、2 m 間隔になってますよ?」と答える。 「なんじゃそりゃ? お前の使ってる 1 m モノサシが縮んでんじゃねーの?」 「いや、縮んでなんかいませんよ」 「そうなのか・・・? あ!そうか、そっちの空間自体が縮んでるからお前にはそれが分からないんだよ」
いや、この話は違うかも知れない。
今の会話では無限遠にいる人が、目盛りはずっと 1 m 間隔なのだと信じてしまっている。
果たしてそれでいいのか?
いや、現場にいる人にとって目盛り間隔が広くなっているかどうかはこの際、関係ないかも知れない。 大事なのは無限遠にいる人にとって、この座標の目盛りの長さをどう考えるかということだ。 あくまで目盛りが示す長さが正しいと信じるのか、はたまた現場の言い分を重んじるのか。 どちらの解釈が妥当なのか。 時間の場合には座標が示す通りの同時刻線というものを信じたのだが、 距離についても同じ態度を取っていいだろうか。 それがはっきりするまでは距離が本当に縮んでいるかどうかの議論は後回しにしておこう。
半径の意味それにしても、半径を表す座標の目盛りが信頼できないとは何という事態だろう。 半径の小さい方へ進むほど目盛り間隔はどんどん広がってゆくので、 例えば地表までのワイヤーを用意して、実際にワイヤーに定規を当てて降下距離を測りながら地表へと降りてゆくと、 その長さは出発地点と到達地点のそれぞれの座標値の差を計算したよりも長くなるのだ。
極端な話、もしシュバルツシルト半径まで降下しようとしたのなら
無限の距離を降りて行くことになったりはしないだろうか。
いや、こういうのはちゃんと計算して確かめておいた方がいいだろうな。
しかし無限遠の地点から地表面
これは私が自力で解いたのではなくコンピュータ(Wolfram Alpha) に 計算してもらったのであるが、検算はしてみたので信頼して良い。 どうやら無限の距離にはならないで済みそうだ。 安心した。 もしそうならシュバルツシルト半径の手前には無限に広い空間が存在していることになってしまって解釈に困るところだった。
この式は分かりにくいので、半径が
となる。
確かに 2 点の座標の読みの差
さて、困った。
我々はここまでシュバルツシルト半径が幾つだとか、半径
ちょっともがいてみようか。
天体から十分に離れたところでは次のようなことが考えられる。
今まで何の気なしに使っていた座標
例えばこんなのはどうだろうか、と考えてみる。
時間軸は無視して、とにかく空間を 2 次元の曲面に喩えてやる。
この原点には天体があり、その付近ではまるでアリジゴクの巣・・・いやもっと深くて急な漏斗のように沈み込んでいて、
この曲面上を長い距離進んでもなかなか原点には辿り着けないとか、そんな感じになっているのだろうか。
ここで半径 残念ながらこういう考え方は相対論にふさわしくない。 曲がった時空上で起こることが世界の全てなのだ。 そこに別の平面を重ね合わせて次元を増やして考えるなんてことは思想に反するし、 そんなことをしなくても理解できる方法がきっとあるに違いない。
円周方向の長さはどうなっているかあまり解決することがないまま、考えることばかりが増えていく。 座標 の本当の意味は何なのか?
果たして距離は縮むのか。
これは正確には「半径方向の距離は縮むのか」と表現した方がいい。
まだこの後で「果たして円周方向には距離は縮むのかどうか」なんてことも考える予定でいるのだ。
それなのになかなか先へ進めないでいる。
ん、円周か? 円周は縮むかな? え、わざとらしい展開だって? いや、実際に私はこの辺りの考えを何度も往復して悩み込んだのである。 それを一筆書きのように並べ替えて、読者を無駄な往復に巻き込まないで済むように説明しているので こういう感じの話の持って行き方になるのである。
円周方向の微小距離がその場所場所によってどう表されるのかを調べるにはこうすればいい。
まず、
となる。
円周方向の移動距離をわざわざ
うーん、何だか良く知っている形の式になってしまったな。
ちょっと待てよ?
これは重要なことを意味しているのではあるまいか。
星の上に立っている人は自分がいる空間が縮んでいるなんて感じてはいない。
自分のいる星の表面を一回りしながら一周分の距離を測ってやって、それを
位置座標
座標
どの地点にいる人も自分の位置を座標
これでいいのか無限遠から見た場合、星の表面にいる人の空間は重力方向には縮んでいるように観察され、 その一方、円周方向には全く縮んでいない、ということになる。
座標 結局、距離が縮むとか時間が縮むとかいうのは、解釈の問題でしかないのではないか。 そう解釈すればうまく行くようにこの世界が出来ている。 本当に距離が縮んでいるかどうかなんてことを確認する方法が別にあるだろうか。 無限遠から見たときに、ここに住んでいる人たちが確かに横長になって生活しているのが肉眼で見えるとか、 すぐ隣に並んでみて直接比較できるというのなら分かりやすいが、 直接そういう姿を観察することはないだろうと思う。 いや、この辺りの事についてはまだはっきり結論付けるべきでないかも知れない。 一般相対論では光速度が一定ではないという話があるのだった。 伸び縮みした時空での光の進路について考えればもう少し理解が深まるかもしれない。 次回はその辺りのことを調べてみよう。
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