クラスノヤルスク滞在記と滞在後記
в Красноярске

           Welcome to my homepage UP DATE 24 May, 2012 作者へのメール
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 1992年から94年までと、1996年から2004年までの計10年間、ロシアのクラスノヤルスク地方というところに滞在していました。
 モスクワとウラジオストックを東西に結ぶシベリア幹線鉄道と、ほぼ南北に流れロシア第一の水量を誇るエニセイ川が交わったところに、クラスノヤルスク地方庁所在地のクラスノヤルスク市があります。
 また、そこから140キロ東のカン川(エニセイの右岸支流)の畔に、初めに私が住んだ閉鎖都市ゼレノゴルスク市があります。

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↑2005年12月19日、クラスノヤルスク市エニセイ川岸通り。気温は零下20度、でもエニセイ川の水は凍らない
  30キロ川上に巨大なクラスノヤルスク・ダム湖があるからだ 
   

(29、31)は2012年2月に更新  (30は2012年4月に更新)      出版物紹介
日付 目次
(00) シベリアの中心クラスノヤルスク(前編)(後編)  (追記)Центр Сибири - Красноярск
クラスノヤルスク市の地理、歴史と名所。シベリアを横断するには今も昔もここを通る。8年間で3回移った私のアパートは、いつもエニセイ川の畔にあった。クラスノヤルスク滞在中の2003年に記。追記は2010年11月に訪れた折の記。
(25)2008年
8月
ダーチャ(下賜されたもの) 、または ロシア的別荘(1)  (2) (追記) Дача
ロシア生活には欠かせないダーチャ。『別荘』と訳されているが、都会人が郊外に持つ菜園用の地所のこと。ソ連時代、未使用の土地が企業の組合などに貸し出され、それを1区画約6アールごと組合員に分譲したもの。家族総出で耕し、仮宿泊のできる家を自分で建てた。ホーム・スティ先のニーナさんのダーチャに出かける。クラスノヤルスク不動産事情。未完

(31)
2011年10月
新シベリア街道 クラスノヤルスクからオムスク(1) (2) (3) (4) (5) (6) Из Красноярска в Омск
現在は『バイカル道』という。ヨーロッパとアジアを分けるウラル山地のチェリャビンスク市からモンゴル北のチタ市までの約4500キロ。踏破したのはそのうちの1500キロ。120年間で寒村からロシア連邦人口で第3位になったオビ川畔のノヴォシビリスク市を通り、シベリア総督宮殿のあったオムスク市まで。ドストエフスキーも流刑の4年間過ごしたオムスクは、また、カザフスタンにも近い。

(30)
2011年10月
クラスノヤルスク市からアンガラ川河口へ(1)  (2)  Усть-Тунгуска
南から北へほぼ真っ直ぐ流れるエニセイ川の中ほどに、バイカル湖から流れてきたアンガラ川が合流する。クラスノヤルスク市から航行で330キロ、自動車道で280キロにある河口付近をモーターボートで回る。今、ロシアでは名所と言えばロシア正教の新築または復興寺院。一方、市民運動も盛り上がり、クラスノヤルスク付近では有害廃棄物のでる工業建設反対運動が。

(29)2011年10月
ハカス・ミヌシンスク盆地シリーズ(4)Осенью снова и снова в Хакасско-Минусинской котловине
南シベリア、ハカシア・ミヌシンスク盆地の遺跡をまわる
(1)
 (2) (3)
盆地の南、2010年に回れなかったところも訪れる。ウスチ・ソース村のクルガン草原は一部発掘調査されていた。サヤン山脈の村チスタバイやその近くのジェバッシ岩画、半乾燥草原カムィシタの5000年前のクルガン、聖なる湖バランコリ、古代鍛冶場遺跡、ハカシアの口承物語歌手が住んでいたトロシュキノ村。そして、クラスノヤルスク・ダム湖に水没のサラガッシュ・クルガン群

(28)
2010年
10,11月
ハカス・ミヌシンスク盆地シリーズ(3) Поздно осенью снова в Хакасско-Минусинской котловине
晩秋の南シベリア、ハカシア・ミヌシンスク盆地再訪(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11)(12) (13)
夏は緑一色だった草原も今はシックな枯れ草色に。干草の山が規則正しく並んでいる。やがて薄雪が積もり春まで融けない。エニセイ川左岸のハカシア盆地はどこへ行っても紀元前のクルガン群や岩画。ここには紀元前後ごろから、今のハカシア人の祖先と言われているエニセイ・キルギス族が住むようになった。8世紀初めのキルギス英雄も突厥帝国と戦い、ここで戦死・・・
(27)2010年
2,3月
冬道のクラスノヤルスク、氷のエニセイ川とアンガラ川(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) 地図
 По зимней дороге в глушь Ангары и Енисея
凍りついた川や深く積もった雪、暗い針葉樹林(タイガ)のシベリア冬の自然は素晴らしい。 ソ連崩壊後の混乱から20年もたって、シベリアはまた開発されつつある。貧しかった村が復興すると必ず教会を建てる。一方、シベリアの奥地では、必ず出会う古儀式派の村々。宗教と政治は深い関係にあり、ロシア人は信仰に厚い。ロシア帝国のシベリア進出(合併、開発)の歴史も見える。
(26)2009年
6,7月
ハカス・ミヌシンスク盆地シリーズ(2)  Древная культура в Хакасско-Минусинской котловине
南シベリア古代文明の中心ハカシア・ミヌシンスク盆地(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
広い草原盆地の中、点々と見えてくる数千年前のクルガン群、それは草原の草ハネガヤに囲まれて半ば傾いて立っている大小の立石で囲まれた古代人の墓だ。発掘中のクルガンからは2千年前の頑丈な骨。山の中腹の険しい岩場には古代人の打刻した岩壁画(ロックアート)。荒野には不思議な模様の石碑。用途不明の『要塞』。ハカシアの夏は『トゥン・パイラム(乳祭)』で始まる
(24)2008年
8月
クラスノヤルスクからアジアの中心トゥヴァ共和国へ(再訪) (1) (2) (3)  Из Красноярска в Тыву
実は3回目のトゥヴァ紀行。1921年から1944年まで『独立国』だったトゥヴァ。今はロシア連邦の自治体の一つ。高年式ランクルに予備タイヤを3本積んで、行程約1000キロのサヤン・リングを回る。2700年前のスキタイ人の古墳『アルジャン2』遺跡、アジアの中心碑があるクィジール市、トゥヴァ盆地を西へ、上チャダン寺院廃墟、大麻のプランテーション、聖なる湖スト・ホリ...
クラスノヤルスクから 神秘のポドカーメンナヤ・トゥングースカ川へ(1) (2)             
Из Красноярска в таинственную Подкаменную Тунгуску
燃料200リットルを積み込み、モーターボート2台でテントと釣竿を持ってエヴェンキアの神秘の川パドカーメンナヤ・トゥングースカをさかのぼる。超少数民族ケト(ケット人)人の住むスロマイ村を再訪。そこからさらに無人の川を130キロも行くと、旧教儀派のクジモフカ村があって...
(23)2008年
  2月
氷のバイカルと 極寒のサハ・ヤクーチア(1)  (2) (3) (4) Ольхон на Байкале и Мирный в Саха
世界遺産にも登録されているバイカル湖へ冬のシーズン・オフに訪れる。氷で囲まれたオリホン島に5泊。さらに北へ、サハ・ヤクーチアのミールニィ市に飛ぶ。そこはダイヤモンド露天掘りのためにロシア人がつくった新しい町。そこから、100キロもビリュイ川に沿っていく。この辺はサハ人たちの村々が続き、出稼ぎの渡来ロシア人は少ない。エヴェンキア人もサハ人と暮らしている。
(22)2007年
6月
ハカス・ミヌシンスク盆地シリーズ(1) と クラスノヤルスク地方の僻地(1) (2) (3)
Глушь Красноярска, курганы в Хакасии
辺地クラスノヤルスクと言うくらいだから秘境には不足しない。密漁監視船に乗ってエニセイ中流をいく。トゥングースカ川の北方超少数民族ケト(ケット)人の村。ロシア正教の隠れ旧義派村。クラスノヤルスクに一度戻って南へ。サヤン山脈奥地には新興宗教ヴィッサリオンの『自然』村。ハカシア・ミヌシンスク盆地には数千年前の古墳群
(21)2006年
12月
冬至の頃、クラスノヤルスク、アンガラ下流とイガルカ(1) (2) (3) Зимой на Ангаре и в Игарке
冬場の極北を訪れる。夏至には太陽が沈まないなら、冬至には上らないというイガルカ市(北緯67度28分)へ。太陽は昇らなくても真昼頃は右の写真くらいに明るくなる。ロシア製スノーモビールの曳くそりに乗ってエニセイを渡る。 また、アンガラ川の完成間近のバグチャンスカヤ発電所町へ。さらに、アンガラ川の北(右岸)にあるかってのシベリア・ゴールドラッシュの村へ
(20)2006年
6月
夏至の頃、クラスノヤルスク(1)  (2)  (3) Летом в Красноярском крае, в Cеверной Ж/Д
夏至の頃のシベリアはすばらしい。北極圏内では終日太陽が沈まない。日没の頃家に帰ろうと思ったら、夏の終わり、太陽が沈む頃まで待たなくてはならない。スターリンが作ろうとした北極圏鉄道跡を、沼地も蚊の大群も恐れず探検。チョウザメを獲る密漁者と再会。クラスノヤルスクに戻るとドラッグ・レースがあった。
(19)2005年
12月

また国境の話、モスクワ国際空港(1)  (2)  В Шереметьево-II, Ростов-на-Дону и Красноярск
日本からモスクワへ入り、ロストフ・ナ・ダヌやクラスノヤルスクを回って2週間後、帰国しようとしたところ、モスクワ・シェレメチエヴォ空港のパスポート審査員が通してくれない!一旦乗せた私のスーツケースも機内から下ろされる。期間限定の格安チケットの帰りの分は、だから捨てなくてはならない。右の写真は、クラスノヤルスク南のハカシアを回った時に撮った古墳群
(18) モスクワ、クラスノヤルスク、モスクワ   Москва - Красноярск - Москва
2005年
2月
8年間いたクラスノヤルスクから帰国。その5ヵ月後、クラスノヤルスクでの元同居者がいるモスクワへ。モスクワから足の向くままサンクトペテルブルク、ノヴゴロド、プスコフ、ペチョーラ。陰鬱な旅を振り切るため、急いでチケットを買ってモスクワから一人クラスノヤルスクへ。旧友たちと会う

(17)
ザバイカリスク、国境の話(1) (2) クラスノヤルスクからチタ州、ウラン・ウデ市、バイカル湖オリホン島
         
 Пограничники в Забайкальске, потом в Читу, Улан-удэ, Ольхон на Байкале
2004年
8月
クラスノヤルスクからシベリア鉄道で中国へ入る計画だったが、ザバイカリスク市の国境警備隊員が通してくれない!ハバロフスク日本領事館に電話するが、途中で料金切れ!しかたないので、別の列車のチケットを買ってチタ市の外国人課まで戻ってみるが...同じ国なのに、なぜ場所によって公務員の言うことがこんなに違うのか。クラスノヤルスクまで引き返すしかないが、ここまで来たのだから...
(16) アジアの中心 トゥヴァ共和国(1)  (2)  (3)  Центр Азии - Тыва
2004年
7月
クラスノヤルスク地方の南、モンゴルの北にあるトゥヴァ共和国(と言うロシア連邦の自治体の一つ)。アジアの中心碑が建つ首都クィジール。モスクワやウクライナからの4人のツーリストと、いつも2人以上はつく現地添乗員で、トゥヴァを縦断、横断。ゴムボートで大エニセイ川の川下り。モンゴルとの国境にある神秘の湖トレ・ホレ。トゥヴァ盆地を西進してアルタイ山脈を望む。
(15) タイムィール、夜中の太陽(1) (2)  Таймыр - полярные дни
2004年
6月
クラスノヤルスク地方の北部、ユーラシア大陸で最も北にあるタイムィール半島。ここは連邦保安部の許可がないと近づけない。許可を貰って(買って)、北緯69度のドゥジンカ市(ヌガンサン人宅)と、北緯72度のハーンタンガ村(ドルガン人宅)へ11日間の『日帰り』旅行。北極点まではまだ1500キロもある。右写真はエニセイ川岸の氷
(14) キルギス、 ビシュケクからイシク・クリ (1) (2) (3)  Кыргыстан, из Бишкека на Иссык-куль
2004年
5月
クラスノヤルスク地方の西隣のノヴォシビリスクから、飛行機で2時間で、キルギスの首都ビシュケクに着く。 クラスノヤルスクからメールで打ち合わせておいたロシア人旅行会社の手配で、ビシュケクからイシク・クリ(湖)をぐるりと回る6日間の個人旅行。運転手付き車とホテル代と観光つきが全部で500ドル。
(13) トムスク市  Город Томск
2004年
4月
クラスノヤルスク地方の西にあるトムスク州トムスク市はシベリアでも最も古いロシア人の町(1604年トミ川畔に要塞建設からと言う)。シベリア最初の大学ができた学問の町。友達の友達のワンルーム・アパートに泊めてもらう。ワンルームに5人は楽しい。クラスノヤルスクから同行した友達のナースチャと同市に26館以上ある博物館の『はしご』をすることになる。
(12) ツングースカ(トゥングースカ)川のエヴェンキヤ(1)  (2)  Эвенкия на реке Тунгуски
2004年
4月
クラスノヤルスク地方北部のエヴェンキヤ自治管区、面積は日本の2倍もあるのに、人口は2万人もいない。地下には鉱物、石油が眠っている。私の訪れたヴァナヴァラ村(人口3000人余、エヴェンキアでは3番目に大きい集落)から80キロくらいのところに、20世紀はじめ、有名なツングースカの大隕石(火球)も落ちた(ツングースカの大爆発)
(11) 『ユキヒョウ』バンガロー・ビレッジ(1)   (2)  Турбаза "Снежный барс"
2004年
3月
クラスノヤルスク地方の南部をなす西サヤン山脈にある『ユキヒョウ』キャンプ場。アルタイ山中にも棲息するという幻のユキヒョウの名前を撮った施設。サヤン山脈はアルタイ山脈の続きともいえる。ビレッジの近くには『シベリア富士』山もある。レクレーション係もいて、ツーリストが退屈しないよう相手をしてくれる。といっても、まだ冬場なので、宿泊客は私の他は1グループだけ。
(10) アルタイ山麓(1)  (2)  (3) Подножие горы Алтая
2004年
1月
クラスノヤルスク地方の西隣アルタイ地方にあるラドン温泉保養所『ベロクリハ』へ。かなり本格的ロシア式サナトリウムを体験。湯治の合間にはアルタイの自然を満喫。アルタイの民話もすばらしい。アヌイ山脈のデニソヴァ洞窟近くには国際考古学基地もある。冬場は誰もいない。最後の日には、運転手付の車とガイドを雇ってオビ川の源流カトゥーニ川の上流の行ける所まで行ってみる。
(09) シシム川畔での新年   Новый год на глухом берегу Сисима правого притока Енисея
2003年
12月

2004年
1月
エニセイ川の右岸支流シシム川は狼やアカジカの住む無人の針葉樹林の中を流れている。 ここへ超旧型・超小型飛行機でやっとたどり着いて新年を迎える。凍ったシシム川の上をスキーで走ったり、氷に穴をあけて魚を釣ったりする。1匹も釣れなかったが...。クラスノヤルスクから政府エリートがスマートな銀色のヘリでやってくる。
(08) ソルネチヌィ (クラスノヤルスク南部サナトリウム) Санаторий "Солничный" на юге Крснярском крае
2003年
12月
若い友人のナースチャと、クラスノヤルスクから寝台車に乗って、南部にある保養施設『ソルニチヌィ』へ行く。そこにはクラスノヤルスク地方北極圏の工業都市ノリリスクにある陸軍幼年学校(カデットスキー・コルプス)分校があり、帝政ロシア時代のような制服を着た少年たちの一団が列をつくって食堂に来る光景がみられる。
(07) サヤノゴルスク市 город Саяногорск в Хакасии
2003年
11月
クラスノヤルスク地方の南にある共和国ハカシアへ。と言ってもロシア連邦の自治体の一つ。ロシア最大の水力発電所の町,、サヤノゴルスク市でホームスティ。今度は教え子のトーニャと長距離バスで行く。遅い冬の日の出を草原に見る。
(その後トーニャは結婚、出産。2009年発電所事故のときは市の社会支援課で働いていた)
(06) ヴォルガ川紀行(1)  (2)  (3) Круиз по Волге и Каме
2003年
6月
モスクワから、ヴォルガ川を下ってニージニー・ノヴゴロド市へ、さらにそこからカマ川に入りペルミ市まで航行。外国人用の豪華客船ではない普通の『バシコルスタン号』で往復17日間のクルーズ。最後の日、霧のため船が遅れて帰りの飛行機に間に合わないかも。では、船が閘門を通るとき飛び降りるか...
(05 モスクワからプラハへ、『おまけつき』チェコ旅行 Приключение в Бресте по пути в Чехию  
2003年
1月

ロシア人団体旅行で、モスクワ発の国際列車に乗ってチェコへ。しかし、ベラルーシとポーランドの国境の町ブレストで、途中下車させられてしまう。トランジット・ビザがないからだと言われる。知らない町で団体からはなれて一人ぼっちの私は、この先どうしたらいいのだろう...ここブレストにいることすら違法ではないか
(04) ハカス・ミヌシンスク盆地シリーズ(1)  クラスノヤルスク地方南部
2002年
10月
На юг Красноярского края на машине
エニセイ川ドライブ紀行1500キロ。ロシア最大のサヤノ・シューシェンスカヤ水力発電所を見て、唯一ソ連時代に建設されたロシア正教教会を訪れる。古代文明のハカシヤ・ミヌシンスク盆地。その奥地の絶景地にある新興宗教共同体村も訪れる。
(03) エニセイ川クルーズ(1) (2) Круиз по Енисею на теплоходе "Антоне Чехове"
2002年
6月
クラスノヤルスク地方を南北に流れるエニセイ川を豪華客船『チェホフ』号で2千キロ下流(つまり北)のドゥジンカ市までクルーズする。『北極圏の昼(昼のように終日が明るい)』を確かめる。クルーズ船はシベリア北部の村々を訪れる。村もない所もある。観光下船した乗客たちは沼地を通り、蚊やブヨにえさをあげながら、スターリンの「業績」を訪れる。
(02) クラスノヤルスクからイルクーツクへ、列車の旅 Из Красноярска в Иркутск на поезде
2002年
3月
ウズベキスタン共和国タシュケント発の列車に乗ってクラスノヤルスクからイルクーツクまで。列車の中は動くバザール。タシュケントからイルクーツク往復のウズベキスタン人乗客の旅行の目的は車内で買って売って戻ること?不思議な列車だった。今では運行していないらしい。
(01) クラスノヤルスクからモスクワへ列車の旅、モスクワ・ゴールデン・リンク
2002年
1月
Из Красноярска в Москву на поезде
モスクワ近郊にある古い町をつなぐとリングになる。歴史紀行の旅へ、つまりロシア正教巡礼の旅へ。クラスノヤルスクから列車で出発する。
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