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G.I.ジェーン

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 デミ・ムーアが丸坊主になった、ということを前面に押し出した宣伝からもわかるように、この映画にかけるデミ・ムーアの意気込みは相当なもんであったのだろう。丸坊主になった、というだけなら「エイリアン3」のシガニー・ウィーバーがすでにそのネタは使っているし、この御時世髪型がどうこうなったくらいではなんてこたあない。しかし、この映画でのデミ・ムーアは、頭が丸坊主なのもそうだが、劇中ではズタボロになって走り回るし、見事な片手腕立て伏せも披露するし、もはやセクシーとは言えないほどの筋肉モリモリの裸も見せるし、とにかく画面全体からデミ・ムーアの気合いがほとばしっている。
 とはいえ、私が観たいのはデモ・ムーアがいかに気合いが入っているか、ではなくて面白い映画なのである。決して歓迎されていない逆境に飛び込み、数々の試練を乗り越えながら徐々に周りに認められ、最後は仲間とともにドカーンと一発かます、というのは一つの映画の型であり、こちらが期待するのは涙の出るような胸のすく思い、つまっていた鼻が一気に脳天まで突き抜けるような清々しさである。意外性や観客を裏切る映画も面白いが、型にはまった期待通りの映画というのも絶対に必要なジャンルである。恋愛映画がまさにその典型であろう。そして、友情映画も。私の推測では「G.I.ジェーン」はスポ根系友情物の変型バージョンという型にハマったものだったのだが、実際には政治が入ってきてしまって、観ている方はすっかりリズムが崩されてしまう。しかもあらゆるシーンからほとばしるデミの気合い。ある意味空回りな感じ。
 こっちは、さあ胸がすくぞー、ちょっと泣くぞー、すっきりするぞー、と待ち構えているのだから、その肩透かし感は倍に感じられて、なんだかなあ余計にモヤモヤが溜まってしまったとも言えよう。

 デミ・ムーアが一体どこへ行こうとしているのか、という疑問を感じたのは私だけではないらしく、雑誌等で目にした他の映画評論でも「ちょっとやり過ぎで怖い」とか「女性を主張しておいてキメ台詞が "Suck my dick!" ではマズいだろう」とかいろいろ言われておりました。役者魂とかそういうのはわかるけど、なんだか「女デニーロ」くらいのこと言われて喜びたいのか、とか勘ぐってしまいます。

(2001/07/02)


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