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i am sam
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知能障害で7歳程度の知能である持つ父と、普通の7歳の娘の物語である。 始めはマキが観たいと言った。この映画を観てしゃくりあげて号泣するのだ、と。私も思った。娘を持つ親であれば、上記のような親子設定の映画で泣かないわけがない。ここは一発涙腺内のあらん限りの涙を絞り出して、花粉症でムズムズしてる目鼻をすっきりさせようではないか、と。 ところが、予想に反した事が起きる。一番率直な感想は「胃が痛かった」なのだ。 知能障害を持つ父と普通の知能の娘(母親無し)という家庭環境は普通に考えるとまず成り立たないと考える。そして、なぜ、と聞かれると、いろいろな予想される問題点をあげることはできるがハッキリとしたことは何一つ言えないことに気が付く。 映画の冒頭、サムとルーシーはとてもうまくやっている。 サムはルーシーのために本当に一生懸命がんばっているし、親としての自覚もちゃんとある。ルーシーの面倒を観るという点においては妥協もしていない様子である。そして、ルーシーはサムのことをすごく愛している。二人の世界はうらやましいほど幸せそうだ。 ただ、ルーシーは7歳になって、それから8歳になる。サムは、ならない。ルーシーはとても利口だし、どんなことがあってもサムのことを愛し続けるだろうから(サムは父親としてはとっても幸せだ。あんなにも娘に愛してもらえるのだから)、二人の世界は壊れることはないだろうけど、今ほどは幸せではない時も来るかも知れない。そんなほころびが少しだけ見え隠れする。 そして、二人の世界は一気に崩壊する。 サムが保護者としての役割を果たしているかどうか、という裁判が始まると、映画はまるでドキュメンタリーのように淡々と進んでいく。そこにはあまりドラマの要素はない。サムのひたむきな愛が裁判そのものをひっくり返したりはしない。7歳の知能のサムが、裁判に勝つべく、7歳なりに頑張る姿が映し出される。サムは7歳の理解力でもって裁判に勝てると思っている。 そんなサムが、とても痛々しいのである。胃にダイレクトに突き刺さる痛さである。私は、観ている間ずっとシクシクと痛むお腹を押さえて前屈みだったのである。次の日はものの見事に腹の調子が悪かった。 これだけシビアな映画だからこそ、検事がルーシーに、 「君はお父さんのことを物足りないと思っていないか」 と問いつめたときの、ルーシーの答え、 「愛こそがすべてよ」 という呟きはダイレクトに胸に突き刺さって息が詰まるのである。 さて、ここから先の文章は、ちょっと子育て論ぽくなってしまいます。私は全然立派な親ではないので少し恥ずかしいけれど、この映画の感想を書いた以上、やっぱり書かないわけにはいかない。 サムは、子供と同じ考え方ができる、という点においては完璧に理想的な親である。ただ、特に保護者という点においては致命的なほどダメなのである。 確かに、赤ちゃんのときは、満足に話せないし、意思表示は泣くことだけである。親は、我が子の微妙な泣き声の変化や状況などから赤ん坊の要求を推測しなければならない。でも、話すことができるようになれば、子供だって一人前ではないけれども人間である。彼等には彼等の考えがある。もちろん、単純だし、間違っていることも多いし、筋が通っていないことも多いが、彼等は考えている。ところが、大人は子供の思考回路が単純であるがゆえ、彼等の思考を甘く考えてしまう。子供の考えることなら把握できると思ってしまう。 子供の好きそうなおもちゃはなんだろう。子供がやりたいと思っていることはなんだろう。子供が今必要としているものはなんだろう。ちょうど、ルーシーの里親になったお母さんのように、ルーシーの立場に立って考え、ルーシーの気持ちを理解しようと努め、ルーシーにとって一番良いと思われることを行なおうと勤める。 その結果、ルーシーの手の届かないところに鍵をかけておいてから「あなたが行きたければ行ってもいいのよ。」と微笑みかけてみたり、ルーシーに無断でルーシーの部屋の模様替えをしてみたりするのである。 もしくは、子供の考えが把握できないという事実を受け入れられずに、リタのように子供に当り散らしてしまうのである。サムは、リタが子供のために頑張っているというと、それは脚色されている、という。子供のために頑張っていると自分に言い訳するために頑張っている、という。 確かに子供の思考回路は単純ではあるが、回路の構成そのものが大人とは根本的に違うのだ。彼等がハッキリとこちらに向かって主張していることを理解することはできても、彼等がその小さな頭の中で考えていることを理解するのは、一個の人間を理解することが不可能であるのと同じように不可能だ。子供の立場に立って考えるのと、子供と同じ考え方ができると言うのは全く別のことでなんである。んなこたあ、みんな知ってるんですよ。わかってるけど、やっぱり子供は子供として見てしまって、この当たり前のことが受け入れられないわけだ。 サムは、そういったところを何も考えることなくクリアできるのだろう。子供のまま大人として社会に生きているのだから。 親が親としての責任を果たしているつもりのうちのいくつかは(ひょっとするとほとんどが)大きなお世話なんじゃないだろうか。そんなことも考えてしまったのでした。 ところで、全然関係ないけれど、夜中に台所で、リタが大きめのマシュマロをモグモグと食べるシーンは、何の意味があったのでしょうか?すごく面白かったけど。 (2001/07/02) |