『陪審裁判』
 宮本三郎著
(四六判換算206ページ、価格1100円)

 

内 容 紹 介

もくじ

 原著への序文……刑事裁判の現在
 第1部 陪審裁判の意義を中心として
素人が裁判する  /陪審裁判−−7つの特色  /裁判も国民主権で  /官僚裁判官制とは  /英米では法曹一元  /日本にもあった陪審制  /ただいま停止中  /その実績は……  /なぜ,停止されたのか?  /その問題点はどこに  /陪審法手直しの私案  /停止が「停止」されないワケ  /沖縄の占領下は陪審制  /陪審制度の本籍地は  /大小がある陪審制  /フュージョンスタイルの参審  /英米での民事陪審の実績は  /検察審査会と陪審  /検察審査会の活動は?  /限界がある検察審査会の機能  /政党の陪審観  /陪審制度ガイダンス

 第2部 陪審裁判の実際は
ケーススタディ米兵殺傷事件  /連続開廷で早い裁判  /陪審員の選出方法  /マスコミと陪審  /陪審員の報酬は?  /だれでも陪審員になれるのか  /陪審員は,証人に直接質問できるか?  /公判中メモはとれるか?  /陪審長の選び方  /陪審の評決は全員一致  /イギリスではなぜ変ったか  /評決不能のときは  /裁判官の説示は必要か  /望まれる報道の自主規制  

 第3部 否定論,反対論にたいする反論
やっぱり専門家がいい  /感情に流される陪審員  /民主主義未成熟で時期早尚  /日本の法制度となじむか  /官僚裁判官制と矛盾しないか  /対立より和合尊重  /陪審員は買収される?  /上訴制限で被告不利に  /コスト高になる  /弁護士の収入が減る  /誤判・えん罪を防止できるのか  /評決の大原則は  /陪審裁判を考える会  /市民は陪審をどう考える

 付・陪審員のハンドブック(ロサンゼルス上級裁判所監修)
   (旧)陪審法
 

 原著への序文・・刑事裁判の現在

              陪審裁判を考える会事務局
                弁護士 四 宮  啓

 昭和58年と59年は確定した死刑判決について,3件も無罪判決が言い渡されるという年でした.その後昭和60年には無期懲役が確定していた故富士茂子さんにも無罪判決が,また今年やはり無期懲役が確定していた梅田義光さんにも無罪判決が言い渡されました.そして死刑囚に対する実に4番目の再審開始決定が島田事件の赤堀さんに出されています.
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 なぜこんなにも誤判が絶えないのでしょうか.いろいろと指摘されています.見込み捜査・別件逮捕の問題,代用監獄(法務省管轄の拘置所の代りに警察の留置場に拘留すること)の問題,被疑者と弁護士の接見の制限,捜査官作成の調書に対する過度の信用,一旦なされた自白の過度の信用,検察側手持ち証拠を被告・弁護側に開示しないことなど,など.これらのひとつひとつが重大な問題なのですが,すべてが一本の支えによって成り立っているのです.それは裁判官の判断です.別件逮捕が違法でないと容認しているのも裁判官ですし,代用監獄に拘留することを決定するのも裁判官です.捜査官作成調書とりわけ自白調書を過度に信用するのも裁判官ですし,検察側手持ち証拠の開示を命じないのも裁判官なのです.
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 日本の裁判官は優秀で清潔です.おそらく世界で屈指といってよいでしょう.それなのになぜこんなにも誤判が絶えないのでしょうか.それは個々の裁判官の問題ではなく制度の問題であることを示していると思います.
 わが国の刑事裁判においては,事実の認定から量刑まで,すべてを専門の職業裁判官に任せています.そして現在の刑事裁判では,被告人が裁判で起訴事実を争わない事件が九割を超えています.つまり,刑事裁判官の前に出てくる被告人は,10人のうち9人までが事実を認め,有罪の判決がなされています.これらの事件は捜査段階でもそれほど問題もなく,捜査官の調書が証拠としてそのまま有罪認定の証拠とされ,また被告側でも事実を認めているので,そのことに異議もないわけです.裁判官の捜査に対する信頼も出てきます.
 ところが10人目の人が事実を否認したとします.今まで事実を認める被告を9人まで見てきた後で,否認する被告の言い分をあなたは信じられますか.自白したがそれは捜査官の強制や誘導によるものだ,という弁解を信じられますか.普通の人なら信じられないのも無理ないと思います.それが人間というものでしょう.
 今の刑事裁判は,このようなシステムになっているのです.刑事裁判官が,捜査官が作成した被告人の自白調書を,法廷での否認の弁解より信じられると多く判決している理由の一つはここにあると思います.しかしその『馴れ』によって,証拠の評価を誤り,被告人の言い分に耳をかさなくなってしまっているとしたら,そのため誤った死刑判決が下されているとしたら,恐ろしいことです.
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 陪審裁判は,事実の認定を12人の市民に委ねる制度です(国や州によって違いはあります).一生のうち,陪審員を経験するのは一度あるかないかでしょう.そして自分の判断で有罪・無罪を決定しなければならないのです.伊佐千尋氏の『逆転』やレジオナルド・ローズ氏『十二人の怒れる男』にあるように,このような重大な責務を負わされた市民は,みな真剣にその責務を果たそうとするでしょう.市民には,経験的に培われた捜査官への過度の信頼も被告人への過度の不信も全くないからです.
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 斎藤朔郎という裁判官は,昭和27年に書いた『事実認定』という論文の中で次ぎのように言っています.
 「『疑わしきは刑を半減する』『疑わしきは刑の執行を猶予する』『疑わしきは罰しない』ということは,刑事裁判の発達の3つの段階を現しているものではなかろうか.私は我が国の刑事裁判の段階が,真に第3の段階に到達し切っているかを疑うものである.社会一般も,あまりにも多くのことを,裁判官に期待を懸け過ぎてはいないだろうか.裁判官は神通力を持っていない.平凡な人間が考えても,有罪であることに疑いのない犯罪を処罰する程度で,社会一般は満足すべきではないか.神の目で観れば犯人であっても,平凡な人間がそれを見逃すことは,寧ろ,その社会の誇りとできないものだろうか.」,と.
 そしてまた国の3つの権力のうち,立法と行政の2権は国民によって選出された人々によって運営されています.ひとり司法のみが何故国民から離れているのでしょうか.
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 このたび,宮本三郎さんがこの本を著されました.宮本さんは熱心な陪審裁判を考える会の会員です.法律の専門家でないからこそ,市民がまず知りたいことが丁寧に集められ,解説されています.多くの文献にあたられての研究には敬服します.
 宮本さん個人の意見にわたる部分も多くありますが,議論を高める上で貴重でしょう.
 ひとりでも多くのみなさんがこの本を読まれ,陪審裁判を知り,刑事裁判に関心をもって戴けることを念願しています.