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 憧れのザイフェンを訪ねて 


ドイツ旅日記 2002 Contents




ベルリン訪問編 ― ドイツ人のエルツの工芸品コレクターさんを訪ねて
The Visit to a Collector of Erzgebirgische Volkskunst in Berlin
   06.August  ザイフェン → ベルリン
   07.August  ベルリン → ニュルンベルク

06.August                 ザイフェン → ベルリン     
 今日は、ザイフェンからベルリンまでの大移動。予定の到着時間にベルリン東駅(Berlin Ostbahnhof)まで、
訪問先のNitsche氏が迎えに来てくださることになっている。だから、どうしても予定通りにベルリンに到着したい。
 
ザイフェンを朝6時24分に出るバスには、絶対に乗り遅れられない。チェックアウトを昨夜のうちに済ませ、
 
朝食も取らずに、慌しくホテルを出た。ザイフェンのゆったりとした風景も、これで見納めかと思うととても辛かった
 
が、とにかく無事にまずドレスデンまでたどり着かなければという緊張感で、少しは気も紛れた。
 
早朝のSeiffen Mitte のバス停は、通勤と思われる方たちがたくさん集まってきて、けっこうにぎやかである。
 
ドイツの始業はかなり早くて、ヴォルフガング氏の工房も6時30分には始まるらしい。
 
 定刻通りにバスがやってきて、ほとんどの人が回数券のようなものを提示して乗っていくのに、
 
私たちはフライベルクまでの切符を買わなければならなかったので、後に待っている人のことを気にしながら、
 
必死で切符を買った。それに荷物が大きすぎて客席へのバーをうまく通り抜けられなくて、ますます焦った。
 
とりあえず座席に着いて、ホッとする。いよいよザイフェンともお別れ。車窓からの風景を見逃すまいと、
 
必死で目を凝らした。
 
 ノイハオゼンに近づくと、ちょうどこの時間帯に、Mahoさんがノイハオゼンの下宿先近くのバス停で、
 
ザイフェン行きのバスを待っておられるはずなので、絶対にその姿を見つけて、バスの中から挨拶をしようと
 
席を立っていた。そのバス停に着くと、Mahoさんも私に気付いてくださったようで、お互い手を振っての
 
お別れに・・・。あっという間にバスは出てしまい、私も席に戻ったけれど、本当にとうとうザイフェンを
 
離れていくということに、とても感傷的になってしまった。
 
 そのバスは、バス停に停まる度に小学校高学年か中学生くらいの学生がどんどん乗ってきて、かなり混んで
 
きた。ちょうど通学時間帯に入ったようで、息子は、自分と同じくらいの子ども達に囲まれて、とても緊張している
 
様子。女の子は早くも大人びた雰囲気だし、男の子は、身体は大きくても、まだあどけなさが残っているのは、
 
日本の子どもたちと同様、その年代特有の雰囲気がある。
 

 ようやくバスは、ギムナジウムや他の学校がいくつも並ぶ大きなバス停に停まり、子ども達が皆降りると、

いっきに静かになった。フライベルクの街にも入ったようで、私は、バスの前方上部に次々と表示される停留所名
 
に注意を払い、
走っている通りの様子から、フライベルク駅が近いこともわかった。 
そうしてバスは、ほぼ定刻の午前7時45分くらいに、フライベルク駅前に到着した。
 
 フライベルク駅のホームには、すでにドレスデンに向かう列車の姿が
あり、私たちはそれに乗らな
ければならないのかと焦っ駅舎に
 
飛び込んだ。しかし駅の表示板によると、そのすぐ後に、もっと快適な
 
ICE
(都市間超特急)の
ドレスデン行きが来ることがわかったので、 
そちらの方に乗ることに。それに私たちは、前以って日本でジャーマン
 
レイルパスを買っていたのだけれど、最初に使う日には、駅の窓口で
 
使用開始日と有効期限日を記入してもらう必要があった。
 
 フライベルクからドレスデンまでは、ICEで40分ほど。 
コンパートメントタイプの6人用座席を私と息子の2人で使えて、本当に
 
快適だった。こうして、無事に再びドレスデンに戻ることができたが、
 
最後まで、私たちの面倒を見てくださったMahoさんに最大の感謝!
 

フライベルク駅のホームにて 

 ドレスデンを昼の12時過ぎに出る列車でベルリンに向かうことになっているので、それまでにまだ3時間もある。

しかし、ザイフェンを次のバスで出ると、その列車に乗るのは難しかった。ザイフェンの朝をゆっくりできなかった分
 
ドレスデンの街を楽しむことができる。私たちは、荷物を駅のコインロッカーに預けて、再びドレスデンの旧市街に
 
繰り出した。
 
 5日ぶりのドレスデンで、私がまず向かった先は、やっぱり・・・エルツの木工芸品専門店・・・。
 
私は、ザイフェンであれほど毎日エルツの木工芸品三昧の環境にいても、それに堪能するということがなく、
 
それに近いチャンスがあれば、やはりそこを訪ねないと気が済まないのである。結局訪ねるだけでは済まなくて、
 
しっかり作品も買い込むことに。そこでは、ザイフェンでは他の多くの作品に紛れて気が付かなかったような小さな
 
わっぱ入りのミニチュアものを選んだ。それに、ザイフェンでは購入を我慢した作品も、後悔を日本まで持って帰り
 
たくないと思って、ザイフェンよりもずい分割高だったけど、この際と買ってしまった。この傾向は、それから回る
 
ドイツ各地でも
続く・・・。(汗) 
 せっかくのドレスデンなのに、エルツ製品のショップを出てからあとは、息子のお腹が空いたコールに負けて
 
(朝食抜きだったので当然の要求かも・・・)、早々にマクドナルドに入り、朝食兼昼食を取っただけで、
 
旧市街の見どころをもう1度散策することなく中央駅に戻ってくるはめなった。次回もしチャンスがあれば、
 
1日かけてゆっくり回り、ライトアップされた夜景も楽しんでみたい。 
 私たちが乗る列車は、時刻通りにホームに入ってきて、定刻にベルリンに向けて発車した。
 
そのときはごく当然のように思ったが、後の思いがけない大洪水で、そのドレスデン中央駅がみるみるアッという間
 
に水に浸かり、多くの旅行客が足止めを食ったという話を聞いて、いかに自分たちは幸運だったかを思い知った。
 
そのことは、私たちの帰国後、ベルリンのNitsche氏もメールに書いてくれたほどだ。
 

 列車は、ほぼノンストップでベルリンまで走り、ドレスデンを出てから約2時間後の午後2時過ぎ、
ベルリン東駅
に予定通りに到着。さすがはドイツの首都だけあって、乗降客の多さが違う。 
それでも、東洋人の親子連れは目に
つきやすいと思い、列車を降りてから余りうろうろせず、あらかじめメールで 
送ってもらっていた写真の主を目で
探した。Nitsche氏は、目印に花を持ってくれているそうなので、 
花を持った人を探しあてると、ほぼ同時に
Nitsche氏も私たちに気付いたよう。お互いに近づいて挨拶をしたのだ 
が、Hallo!のほかに私はいったい
どんな言葉を口から発したのか、まったく記憶がない。きっと名前を名乗って、 
息子の紹介をしたぐらいだろう。あとは、Nitsche氏
が英語で話してくださるのを必死で聞き取るのに懸命だった。 
 Nitsche氏のお宅は、ベルリン東駅から徒歩で5分くらいの集合住宅である。メールで、そのことを知らされた 
ときは、ずい分街の真ん中にお住まいなんだな〜と感心して、いったいどんな雰囲気なのだろうと思っていたが、
 
実際にうかがってみると、そばには大きな公園
があり、都会の喧騒からは、完全に遮断されていた。 
Nitsche氏は、お宅がベルリン東駅の近くということでもお分かりのように、旧東ドイツ側の方である。 
一見寡黙な雰囲気だけど、とにかく誠実な人柄で、初めて実際にお会いしたのにもかかわらず、安心できた。
 
お勤め先は裁判所で、私たちのために、わざわざ2日間の休暇を取ってくださっていた。 

 ドイツの集合住宅に初めてお邪魔して、意外にも日本のそれと雰囲気があまり変わらないのに、かえって驚いた
くらいだが、Nitsche氏のお宅にうかがって、まず最初に驚いたのは、玄関を入ってすぐの廊下の壁面に、
 
エルツ製品
のコレクションがびっしりと飾られていることだった。
 

廊下の壁面が、主にミニチュア作品の展示ギャラリー 
カーテンの奥の様子が
右隣の写真部分である 

ライヒゼンリングさんの工房の作品もすべてズラリ! 
今はもう作られていない貴重な作品も!
 
すでにメールで、Nitsche氏はエルツ地方のほぼすべての工房を訪問され、相当のコレクションをお持ちである 
ことはお聞きしていたけれど、博物館クラスかそれ以上にも思えるこれほど多くの作品に再び出会えて、
 
私は、ザイフェンを離れてしまった寂しさが吹っ飛ぶほど感激した。" Wundebar! Viel!" そしてもう日本語で
 
「すごい!」を連発しながら、さっそくに鑑賞を始めてしまったが、
Nitsche氏は、これらは、全コレクションの一部 
だと言われ、
奥のリビングルームに私を促した。 
 リビングルームには、ヴァルター・ヴェルナー氏の鉱夫のピラミッド、
クリスチャン・ヴェルナー氏の吊り下げ式ピラミッドなど、豪華な大きな
 
作品がデンと飾られ、私は再び驚いた! 
小さなミニチュア作品から大きなピラミッドまで、エルツの主だった作品は 
すべてお持ちのようである。どうやら私は、ドイツでも有数のエルツの
 
木工芸品コレクターのお宅にお邪魔していることに気付き、Nitsche氏と 
知り合えたことがいかに
幸運な有り難いことで、よくぞ今回訪問の 
チャンスを逃さなかったと自分の強運を心から喜んだ。
 
唯一残念なことに、ほかにも素晴らしいピラミッドやシュヴィープボーゲン、 
くるみ割り人形などをたくさんお持ちなのだが、クリスマスシーズンでは
 
ないため、普段は大事に箱に保管されていて、私はすべてを見せていた 
だくわけにはいかなかったのだけれども・・・
 

手に持たれているのは、私がおみやげに差し上げた 
「ドイツ・クリスマスの旅」の本

中央のピラミッドがヴァルター・ヴェルナー氏の作品
 

 私は、そのままNitsche氏のコレクションをずっと見ていたい気分だったが、まずベルリンの街を案内してくださる
ということで、Nitsche氏と私たち2人は外の駐車場に向かった。現在は、ごく普通の小型車をお持ちだが、
 
数年前まで、旧東ドイツ製の今や貴重なトラバントに乗っておられたそうで、それを売られたお金で、
 
リビングルームにあった、あの豪華なヴァルター・ヴェルナー氏の鉱夫のピラミッドを購入されたそうである。
 
 ベルリンは、現在再びドイツの首都として、歴史に翻弄されたドイツの最重要都市なのだが、私は勉強不足で、 
どこを見たいかと聞かれても、ブランデンブルク門とベルリンの壁としか答えられなかった。
 
行き先はすべてNitsche氏におまかせして、旧東ドイツ地域のおもな見どころから案内していただいたのだが、 
とにかく街が大きくて、東から西へとどこまでも続いているように感じた。また、あちこちの歴史的な由緒ある建物
 
を1つ1つ教えていただいたり、写真を撮ったりして、ベルリンの現在の様子をほんの少し垣間見せていただいた。
 
私が勝手に想像していたような、旧東ドイツ地域と西ドイツ地域のあきらかな境目というか違いのようなものは
 
もう全く見受けられなくて、歴史の遺物としてわざわざ残してある壁の一部分や、ブランデンブルク門の存在で、
 
かろうじてそれを知ることができる程度だった。
 
 ブランデンブルク門は、私たちが訪れたときにはあいにくまだ修復の最中で、実物大の門の絵が描かれた
 
工事用のカバーにすっぽりと覆われていて、実際の姿を見ることはできなかったのだが、この9月にも修復は
 
完了し、現在はすっかり化粧直しされたブランデンブルク門が姿をあらわしているそうである。
 
      
         画家によって描かれたベルリンの壁        おみやげに買っていただいた壁の一部 

修復中のブランデンブルク門 
  ベルリンのマスコットはクマだそうで、
 世界のすべての国家につき各一体、それぞれの国の
 
 アーティストによって描かれ、その国がとても個性的に
 
 イメージされた
クマたちが円形にぐるりと並んでいる
 
 記念公園のような場所があった。
 
 Nitsche氏から、それらがどういう経緯で作られたのかは
 
 聞き漏らしたが、なかなか楽しいクマたちだった。
 
← 日本をイメージしたクマ
   かなりシンプル・・・
ドイツをイメージしたクマ →


 時間は夕方の6時を回り、Nitsche氏の奥さんが用意してくださっている夕食の時間が近づいたので、
ベルリン観光は終わり、Nitsche氏のお宅に戻った。私も何かお手伝いしようとしたが、Nitsche氏がテキパキと
 
奥さんを手伝って、私はそのあとをウロウロ付いて歩くだけになってしまった。奥さんは幼稚園の先生で、
 
ご夫婦共働かれているので、Nitsche氏も普段からよく手伝われているようである。
 
子どもさんは3人おられるが、上の息子さん2人はすでに家を出られて、1番下の息子さんが12歳で、ちょうど
 
私の息子と同級生なのだけれど、夏休みの恒例として、おじいさんのところに泊まり行っていて、会えなかった。
 
このことも、とても残念である。もし会えて一緒に遊べたら、息子にとっても良い思い出になっただろうに・・・。
 

Nitsche氏の奥さんSabineさん手作りのディナー 
 リビングルーム内のダイニングコーナーに、真っ白のクロスがかかった 
素敵なディナーのテーブルが用意されていた。そこに食器がセットされ、
 
いよいよディナーが始まることに。奥さんが用意してくださったメニューは
 
きのこのスープ、ローラーデン(牛肉ロールの煮込み)、赤キャベツの
 
サラダ、茹でたじゃがいも、デザートは洋ナシのコンポート。
 
ローラーデンは、日本の料理雑誌でも紹介されていて、私も何度か
 
作ってみた料理だったが、本場ドイツの家庭料理を実際に食べさせて
 
いただけて、大感激だった。私が作るよりも濃厚なソースで、おいし
 
かった。奥さんのSabineさんは、今日も朝からお仕事だったはずなのに
 
前もって準備をしてくださっていたようで、本当にお世話をお掛けした。
 
 夕食のあとは、待ちに待った、Nitsche氏とSabineさんとのゆっくりとしたおしゃべりの時間。 
Nitscheファミリーの今年の夏の休暇の写真を見せていただいたり、そして、Nitsche氏のコレクションのお話に
 
なった。Nitsche氏のコレクション歴は、確か1986年からとおっしゃたように思う。私とほとんど変わらず
 
意外に思ったが、その理由は、旧東ドイツ政府の政策で、エルツの木工芸品は主に輸出用に回され、
 
東ドイツ国内にはほとんど出回っていなかったそうなのだ。もっとも、クリスマス市などでは、東ベルリンやドレスデン
 
などの旧東ドイツ地域でも売られていたのではないかと思うが、Nitsche氏の購入方法は、ザイフェンをはじめ
 
エルツの工芸家の工房を直接訪ねられ、大きな作品は、そこで予約をして、購入されるとのことだった。
 
確かに、私が持っている旧東ドイツ時代に作られた作品には、ラベルに国名と大きく
exportecとだけが記されて 
いる。1990年の東西ドイツ統一以後、徐々に旧東ドイツの人々も、自由に自分達の国の伝統工芸品を手にする
 
ことができるようになったのではないかと思う。
 
Nitsche氏が、本格的にエルツのものをコレクションされ始められたきっかけは、私の語学力不足でまだお聞きして
 
いないのだけれど、Nitsche氏は小さい頃からクリスマスになると見かけるエルツの伝統工芸品に憧れを持たれて
 
いて、いつかそれらをたくさん集めたいと、ずっと思い続けておられたのではないだろうか・・・?
 
それが、ようやく16年ほど前から叶いはじめ、ドイツ統一でいっきに勢いがついて、エルツの伝統工芸に完全に
 
魅了され、コレクションがNitsche氏のライフワークになってきたいるのだと思う。
 
日本人の私が、なかなか簡単には手の届かないエルツの木工芸品に憧れて、それらを必死で集めるのと、
 
ドイツ人のNitsche氏が、自国の伝統工芸品を心から愛して、それらを作っている職人さんと交流を持ちながら
 
集められるのとは、コレクションの価値が違うような気がして、本来は、私も、もっと自国の日本の伝統工芸に
 
目を向けるべきなのでは・・・?と思い始めている。
 
 
 Nitsche氏は、直接工房で購入されているコレクションのほかに、今はもう作られていないヴェント&キューン
の古い作品、博物館でしか見られないような「わっぱ」入りのミニチュアセット、Karl Müller(1879-1958)作の
 
人形セットなど、超博物館クラスのコレクションもお持ちだった。それらは、Marktで購入されたとおっしゃたので、
 
つまり蚤の市ようなところで発掘されたようである。それも信じられないほどの安い値段だったりするので、
 
それらの価値をわからない人が出店していたのだろう。
 
実は、私も、後に訪れた街のアンティーク市で、エルツのくるみ割り人形を見かけたのだが、それはただ傷んで
 
いるだけとしか思えない、作品としては比較的新しいもののように思ったので買わなかったが、驚いたことは、
 
それに混じって明らかにドイツ製ではないと思われるものが、まったく同じ値段で売られていたことだった。
 
そういう市では、本当に玉石混交で、とんでもない作品が混じっていたりする可能性があるのだな〜と実感。
 

 いつまでもコレクションのお話をうかがいたかったが、続きはまた明日ということに・・・
 
主にヴェント&キューンの作品が

 
飾られているショーケース
 
  ショーケース上の男の子と、
  リビングのテレビの上に
飾られて 
  いるピエロも、ヴェント&キューン
 
  の古い作品とのこと。
 
             ザイフェンの博物館にあったような
              「わっぱ」入りのミニチュアセット
  → 


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