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| 3 かいめ | |
| 4月半ばに、小雪の降る中をエルツ山脈へやってきたのが、なんとも遠い昔に思えるほど、 いっせいに春を迎えたエルツの景色は、言葉に言い尽くせぬ美しさでした。 木々が芽吹き、草原一面にはたんぽぽが咲き乱れ、牛の群れが満足げに昼寝をしている光景は、まるで写真集の中か夢の中にいるようです。 長い冬の終わりを待ち望んでいた村人達は、これとばかりに庭仕事に精を出し、瞬く間に野菜 の種や苗が植え付けられ、さらに窓辺と花壇は花でいっぱいになりました。我が家のアルミンとインゲも毎日庭でせわしく働き、休日はその自慢の庭で疲れた体を癒しました。 すがすがしい陽気の日にテラスの木のテーブルでとる食事は絶品で、おまけに小鳥のコンサート付きときたら、私の幸せはもう絶頂です。そして、小鳥のコーラスの中でも、夜の7時ごろに忘れずやってくるクロウタドリの独唱は見事で、私達の毎晩の楽しみになっています。 |
| この春うららかな5月には、キリストの昇天祭があり、この祝日は別名「男性の日」と言われ、男性達が集まってビールやブランデー、ウォッカ、ジンを片手に仮装して山歩きを楽しむ慣わしがあります。 私達インゲとアルミンとの3人はノイハオゼンからザイ フェンへ、そしてさらにハイダース村への13キロほど の山歩きを楽しんだのですが、道みちスカートをはいたおじさんや、派手に着飾ったおじいさん達を見かけ大変愉快でした。飲み過ぎで、空のビール瓶を片手に山道をフラフラと今にも倒れそうに歩いている人は、何とも哀れでしたが、思わずプッと笑ってしまいました。 |
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| しかし最近では、奥さんのいうことには従わざるを得ない男性陣が増えたため、この日は家族みんなで山歩きを楽しむ人の方が多いようです。 |
| ところで、本題の私のおもちゃ修行ですが、5月はじめの2週間を引き続きヴォルフガングの工房で、残りの3週間をザイフェンのおもちゃ職業専門学校で行いました。 そして、ヴォルフガングの工房での毎日は、またしても私にとって発見と感動の嵐でした。 例えば、彼が私のぎごちない仕事ぶりを見て、ニコニコと笑いながら 「仕事とは、疲れないで楽しくするものだよ」 とつぶやき、右にあった箱を床へ、左にあったものを右へ、高すぎた椅子を低めにと、瞬く間に私にとって居心地の良い環境を作ってくれた時、短時間で大量に、そして正確に行う仕事は、まず疲れにくく楽しい環境作りが重要だということに初めて気づかされて、そういう当たり前のことにも感動がたえませんでした。自分の手先の技術ばかりに気をかけていましたが、環境が大きな影響を与えていることを実感しました。 このような、彼のさりげない一言でおもちゃ作りも人生観も全てが勉強になっています。 週末に、ヴォルフガングと彼の奥さんのウテ、彼らの親戚、ザイフェンの村人と共に過ごした 二泊の礼拝の会も、私にとって一生の宝の時間となりました。 そして5月半ばからのザイフェンのおもちゃ職業専門学校生活、ここでも大変鍛えられ、 よい勉強期間になりました。 |
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| ザイフェンのおもちゃ職業専門学校の校舎 ここにも大型クリスマスピラミッドが! |
ザイフェンのおもちゃ職業専門学校の看板 |
| 実は、私も驚いたのですが、このエルツ山脈のおもちゃ専門学校はとても長い歴史があり、 1833年には、もうすでにおもちゃ産業のための専門的な美術(図面)の授業が行われていた そうです。そして1852年にはザイフェンに、ろくろ細工職人のための王立職業専門学校が 開校され、これに似た学校が、1874年に同じエルツ山地のグリューニハイニヒェンとチェコ のカタリナベルク(ドイツとの国境近く)にも建てられました。 しかし、ろくろ細工の授業が常時継続的に始まったのは、1882年が最初のようです。 その後、経済的な理由によるいろいろな変化はあったものの、戦後1952年にザイフェン、 1954年にグリューニハイニヒェンの学校が閉校されるまで、この専門学校は長く続きました。 しかしこの学校が閉校になったといっても、東独時代に学校が存在しなかった訳ではありません。国営の職業訓練所としてザイフェンの学校は続けられていました。そして、東西ドイツ統一により、現在の形の専門学校がわずか6年前の1995年に再建されました。 そう、それではこの学校に誰でも入れるのでしょうか? 残念ながら、現在のドイツでは、国家公認の職人資格を取得するために、3年から3年半の 期間、マイスター(親方)の許で実習を行いながら、公立の職業学校で理論なども学ぶシステムになっており、その実習先を見つけなければ学校に正式に入学できません。 そして、職業訓練システムのつづきですが、その見習い(Lehrling)の後、終了試験に合格すれば、晴れてドイツ公認の職人(Geselle = ゲゼレ)となることができます。そして、その後何年かの実務経験を積むと、マイスター試験を受ける資格も得られるようです。 これにならって、ザイフェンのおもちゃ職業専門学校の生徒達も、実際に就職先や見習い先を決め、おもちゃ職業組合の許可を得て、初めて学校への入学が許されました。 例えば、大手のミュラー社やKWO社、リチャード・クレーサー社、シュタインバッハ社、 もしくは他の小さな工房などで実習を行いながら、その合間の決められた日に学校での授業を受けているのです。 その点、私は正式な見習いではないので、他の生徒とは違い、昨年から何度かプライベートで授業料を払って、理論を除いた実習授業だけを受けさせていただいています。 しかし、まだ定かではありませんが、これも今回が最後で、生徒の増えた今年の秋からは残念ながら不可能になるだろうと覚悟しているところです。 それでは、私の学校生活を具体的に紹介しましょう。 まず、学校の始業時間は朝7時15分です。 おかげ様で、ヴォルフガングの工房へ行く日より15分の朝寝坊ができますが、6時40分にはバスに乗らなくてはなりません。そして、インゲの親類の営むザイフェンのパン屋で焼きたての ホヤホヤのパンを買い求め、始業ベルがなるまでそのパンをほおばるのが毎朝の日課です。休憩はその後、約1時間半ごとに10分間で、朝食と昼食の休憩はそれより長めです。終業時間は午後の3時40分で、親切な友達に家まで送ってもらいます。 今回の3週間、私は終了試験を間近に控えた3年目の Lehrlinge と共に過ごしました。 3週間中の1週目と3週目にろくろ細工を、2週目は輪切り動物削り(カービング)の勉強でした。 |
| ろくろ細工の先生は、今回もノイハオゼン出身の クレーサー先生で、いつもとても温かい指導をしてくださる方です。授業中は各自それぞれ、先生のアドバイスと与えられた図面に従って、電動の旋盤機にとりつけた回転する木をのみで削る練習をします。 私は、今回の授業が久々のろくろ体験だったために、昨年の初登校日のろくろ初挑戦中にやり方が下手で、木が外れ、顔面に直撃したのを思い出し、少し不安を持っていました。しかし、だんだん感覚がもどり余裕が出てくると、楽しむことができホッとしています。 |
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| 彩色の マディンガ先生 |
ろくろ細工の クレーサー先生 |
カービングの フリーダーマン先生 |
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| 課題は、私も3年生と同じものが与えられ、ミニチュアの食器(なべ・皿・コーヒーカップ)や、小さなたまごと籠の飾り、ゆでたまご置きなどのくぼみのあるものでした。使った木の種類は、白樺、楓、ブナなどの角材で、部分ごとにのみを使い分けて削っていくと、だんだんにいろいろな形が出来てきます。 生徒の中には、マイスター並みの腕前をみせてくれる生徒もいて、そういう生徒は削った木屑やおがくずを見ただけですぐわかるほどです。 くるみ割り人形の父といわれる、伝統あるフィヒトナー家の息子など、親がおもちゃ職人だという生徒も随分おり、あぁ上手いはずだと納得もさせられますが・・・ |
![]() Mahoさんの作品 |
| 1番大きい「ゆでたまご置き」で直径が1.5センチくらい だそうです。すでにプロ級の作品に見えますが・・・ Kotani |
| 授業の合間には、昨年の夏にオーベルンハオで行われた「ろくろ細工シンポジウム」のビデオも鑑賞しました。イギリス、オーストリア、スウェーデンなど海外からの参加者や、もちろんクレーサー先生をはじめとしたエルツのマイスターたちが、大きな器や美しい縦笛などの削り方をそれぞれ披露している様子が映され、大変興味深いビデオでした。 もちろん、日本から参加された国立高岡短期大学教授の林 哲三先生もはちまき姿で登場し、そのはちまき姿が生徒達に好評をかっていました。 驚いたのは、ビデオ鑑賞後に、それに影響を受けた男の子たちが、「俺たちも、大きいのを作りたい」といって、簡単に同じように大きな器を作り始めたことです。そして、ひょいと作り上げては 「うまく出来たでしょ!」と大変満足している様子でした。
2週目の動物削りは、バームクーヘン型にろくろで削られた動物を一体づつにばらし、それを手で一体一体動物らしく削っていく勉強です。 1週間かけて、馬、牛、鹿の3種類を勉強しました。 私は、ヴォルフガングのお兄さんのクリスチアン・ヴェルナーのところで、たった1日、ブタを 習ったことがあったきりだったので、ほとんど今回の動物削りが初めてでした。 まず、親指を刃物で切らないようにバンドエイドで指サックを作り、それをはめて指を保護するのが初心者には重要です。指サックをしていても油断をすれば、すぐ痛い目にあうので、注意力が必要でした。 それからフリーダーマン先生の実演と見本に倣って削っていきます。 先生からは 、「動物の写真をもとに筋肉の様子や骨の様子をよく見ること」と、「木の繊維にさからって余分な部分を削り過ぎないように」 というアドバイスをもらい、私も動物作りを試してみました。 しかし、どうにか削ってはみたものの、私の削るものは、なんとなく輪郭がぼやけて、 生き生きとした感じがなく、先生にも 「そうだなぁ・・・100匹くらい削れば、うまくなるよ」 と言われてしまいました。 それでも、日にちが経つと、練習の成果があるもので、先生にも 「よくなった」 と言われるまでになり、やれやれです。 |
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| この3週間も矢のように過ぎてしまい、仲の良かった3年生達との別れの日がやってきました。6月の初めには学科の試験と技術の試験、そして職人試験に提出しなければならない自分の作品作りの追い込み期間となり、皆は大変なストレスを抱えていましたが、それでも友人達は 少ない時間の合間をぬって、私の顔のスッケチや、ろくろで作ってくれた雪だるまの人形を作ってくれ、記念にとプレゼントしてもらい、とても感動しました。 皆が無事に試験に合格することを心からお祈りしたいです。 もう1つの5月の新しい出来事といえば、楽しいおもちゃ修行の合間をぬって、エルツ山脈の 別の伝統工芸を習い始めたことでした。それは、ボビンレース編みです。 ベアテさんの友人がボビンレースの先生をしており、たまたま彼女の娘さんが日本に興味が あるということで、ノイハオゼンのお宅を訪ねました。そして、またびっくり・・・ 彼女の部屋に日本の新聞の切り抜きや、金閣寺の絵などが飾られていたのでした。 すでにもう半年間、別のドイツ人の女の子が私のもとで日本語を勉強していることを話すと、 当然彼女も興味を持ち、私は彼女のお母さんからボビンレースを習い、彼女は私のもとで 日本語を勉強することに運良く話があっという間にまとまってしまったのです。 |
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そして、さっそく次の水曜日に ボビンレース編みの講習に参加 することになりました。 ノイハオゼンのほかの村人や 子どもと、その日はベアテさんや 彼女の3人の娘たちも一緒に参加し、夜の6時から9時までの3時間 みっちりと習いました。 ボビンレースも400年以上昔から 続いているエルツ山脈の伝統工芸 で、そのルートはイタリアからチェコ、 もしくはイタリアからスペイン、そして フランスを通ってやってきたとされ、 |
| 鉱夫の奥さん達が生計の手立てとして、レース編みをしていたそうです。 ボビンレースは、編むというより織物に似ていて、3種類の編み方で、いろいろな模様を作る ことができます。糸の引っ張り具合や、糸の順番を正確にするのが大変ですが、私も来年までに素敵なレースが編み上げられるように、レース編みの様子も今後少しづつお伝えしていきたいと思います。 それでは、今月のお便りはこれくらいにしておきたいと思います。 随分遅くなりましたが、ごめんなさい。 2001年 6月15日 花豊かなエルツ山脈にて |
| Mahoより |
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