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| 4 かいめ | |
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5月に、たんぽぽの花で黄色く輝いていたエルツの草原一帯は、6月を迎える頃になると見渡す限りの白い綿帽子だらけになり、美しい野の花とまじって淡い優しい色の草地になりました。 |
| しかしお天気の方は6月に入った途端にくずれ、気温も20度に達しない日々がつづきました。 村人達も「まるで11月のような天気だ」と、ため息をもらして嘆いていましたが、今こうして太陽の下に座り、 短パン・ノースリーブ姿のままで、のんびりとお便りが書けるのは、ありがたいことでしょう。 ただ、私たちを楽しませてくれていた小鳥たちのコン サートが、6月26日頃からすっかり聞かれなくなったのは、ちょっぴり残念なことです・・・。 「その日を境にいつも小鳥は鳴かなくなるのよ」と、 |
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| インゲから聞いてはいたものの、自然とは本当に不思議だわ・・・と驚かずにはいられません。 | |
| それでは早速に、お待ちかねのおもちゃ職人修行生活の様子をお便りしたいと思います。 6月の頭から2週間、ヴォルフガングの紹介でポーバースハオ(Pobershau)にある ギュンター・ライヒェル(Günter Reichel ) の工房を訪れました。 ポーバースハオは、ザイフェンから20キロほど離れた小さな村で、鉱山跡地を見学できることで有名です。昨年の夏に、ベアテ一家とその跡地を見学した折に、私がエルツ山地の鉱山としての歴史をしみじみ味わった場所でもあります。 なぜなら、エルツの工芸品を知る大切なポイントの1つ、 「鉱山としてのエルツ山脈があったがために、現在のおもちゃのエルツ山脈がある」 ということを、あの薄暗く冷たい鉱山に入ったからこそ、自分の目と肌で強く感じることができたからです。とうに知識として頭で知っていても、実際にその歴史に近づいてみることで、さらに実感というものが涌いてくるものだ・・・と少し思ったりしました。 さて、その2週間のポーバースハオ生活は、何もかもが新しかったといえるでしょう。 これまたヴォルフガングのはからいで、彼の知り合いの家に2週間ホームステイさせていただいたため、ステイ先でも工房でも、常に周りは新しい人々だったからです。 さぁ、2週間分の荷物と不安を旅行かばんに詰め込み、ヴォルフガングの運転する車で ポーバースハオに出発・・・! 途中で目にした一面の菜の花畑に感動して、頭がぼーっとしているうちに、30分ほどで到着しました。 ステイ先では、コリナという気さくな女性に迎えられ、食事から何からいっさいのことを快く引き受けて下さって、そんな彼女の人柄に自然と不安が薄らぎました。 |
| それも束の間、今度はギュンターの工房へ向かいます。 せっかく収まりかけた心臓の鼓動が、再び激しくなるのを 感じながら、コリナの家から工房への道を急ぎました。 ギュンターとは1度会って顔見知りでした。とても優しそう な、真面目な、礼儀正しい人という印象の人でした。 彼の工房の製品は種類も多く、とくに私のお気に入りの天使たち(シュッツエンゲル)は、愛らしく日本でも人気があるようです。 |
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| なんといっても、彼の工房の特徴は、ごま粒ほどの小さな部品まで在庫をコンピューターで 管理していることでしょう。その正確さに、ヴォルフガングと顔を見合わせて驚いたほどでした。 しかし、だからといって組織立った大量生産の大工場というのではなく、一つ一つを丁寧に作り上げており、愛情はおもちゃたちに十分注がれていました。 特に感激したのは、手の位置や顔の傾け方などで、人形の表情を一つ一つ付けていることです。たいてい、他社のおもちゃや人形は、手足がまっすぐ、顔も真正面というものが多いですが、うつむき加減や上向き加減、手の位置により、人形がさらに生き生きしていると感じました。 |
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| シュッツエンゲル | おじさんシリーズの壁絵 (ライヒェル氏がマイスター試験に提出した作品だそうです ! ! ) |
| 簡単に、彼から伺った会社の略歴を紹介しましょう。 ギュンターは、1973年から1988年までは、大きな国営のおもちゃ会社 (東ドイツ時代は、たいていのおもちゃ工場は国営であった)で働いており、マイスターの資格を得て、1989年の1月に彼の父が自宅で営んでいたおもちゃの工場を引き継ぎました。 まだその当時は、大きな工場の部品を下請けで生産していましたが、やがて完成品を手がけるようになります。 1990年9月にライプチヒの見本市で、初めて小さな人形(おじさんシリーズ)を出品したのを機に、他の新商品の開発も始まりました。そして1993年に現在の新しい工房を建設。新たに 3人の職人が協力者として加わりました。 その当時の製品は、人形パズル・おもちゃ・キリストの生誕セットなどでした。 1995年にはじめて、国際見本市(フランクフルト・ニュルンベルク)にも出品し、年々新しい 製品が増えて、現在は12人の協力者とともに働いているということです。 シンガポール、日本、アメリカ、フランス、デンマーク、オーストリア、スイス、イタリア、スペインなどへの輸出も行い、世界的にも有名になりました。 実際に私がした仕事は、地味でいて重要なものでした。 主に、女性の職人さんと部品のボンドつけを行い、見本に忠実に人形の手足をつける作業を しました。その他には、男性に混じって部品の穴あけなども行いました。仕事中に聞こえてくる おばさん職人の高らかな笑い声にゆったりとした気持ちで、毎日楽しく仕事ができました。
瞬く間に2週間が過ぎ、最後には、皆のサイン入り「シュッツエンゲルの額」を記念にいただき、女性職人たちには、「あなたは食べるのも好きで、よく笑って、仕事振りもいいから、うちの工房にもピッタリだったわ。またいらっしゃい!」と嬉しいお言葉を頂戴しました。 そして、さぁ本当にお別れという時に、「ちょっと待って、今アイスを買いに行くのでそれを食べて行きな!」と、男性の職人に引き止められ、アイスをほおばっての別れとなりました。 ギュンターにも大変お世話になり、私が他の職人とうまくやっているか、困った事はないか、 いつも気遣ってくださいました。コリナの家まで歩いて帰ろうとした時、「雨が降っているから」と自ら車を運転して送って下さったこともありました。たまに職人たちを注意する厳しい一面も見ましたが、厳しい親方がいるからこそ、素敵なおもちゃが生まれてくるのでしょう。 |
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| Maho さんのギュンター・ライヒェル コレクション | ||
![]() 工房の皆のサイン入り シュッツエンゲルの額 |
![]() 裏面に皆のサインが・・・! |
![]() シェフの ギュンター・ライヒェル氏のサイン |
| その2週間後は、レンゲフェルト(Lengefeld)というところにある ウベ・ウーリッヒ(Uwe Uhlig) の工房でお世話になり、住み込みで、ろくろの修行をしました。 ウベは、10年くらい大手のおもちゃ会社に勤めており、その後1998年に独立しました。 KOTANI さんの現代玩具博物館紹介ページのミニチュア「スノーマンとそりを引く子ども」を 作っている職人さんです。 彼が独立するにあたっては、ポーバースハオのギュンターがよき協力者となって、多くのアドバイスをしたそうです。 ヴォルフガングの娘のドロテーと同じ学校に通っている、ウベの娘マクシーの部屋で1週間寝泊りさせてもらいました。寝ても起きてもマイスターと一緒の生活は、どんなものだろうかと想像に悩みましたが、ウベの気さくな性格のおかげで愉快な生活になりました。 |
![]() 左から ウベ氏 Maho さん 奥さんのペトラさん と 犬のパオラ |
ウベの工房は、他の数々の工房とはまったく異なった点がいくつかあります。 それはまず、彼がほかに職人を雇わず、1人で 工房を切り盛りしていることでしょう。 ただ彼の奥さんのペトラは、小さな動物を削ったり、ボンドつけを行ったりするので、ウベの協力者といえるかもしれませんが、彼女は看護婦という忙しい仕事の傍らで、おもちゃ作りをするため、ウベの工房は、ウベがたった1人といっても過言ではないのです。 そしてもう1つ、重大なことは、彼が自動の旋盤期 を使用しないことでしょう。 |
| 現在は、大抵の工房で、半自動もしくは全自動のろくろを使っており、そのろくろは木材を投入すると、部品が自動的に削られる機械です。これは、手作りという伝統を大切にしながらも、おもちゃ作りで生計を立てるためには必要な手段でしょう。 |
| それぞれの職人たちは伝統のろくろの技法に熟練していても、需要者が望む価格とその注文数に応えるには、機械に頼らざるを得ません。1つ1つ手で彩色を施したり、動物の削りだしを行ったり、その他いろいろとエルツの伝統を守りつつ、時代に合ったおもちゃ作りが行われているのです。 ところがウベは、まだ独立して間もないことと、今は 自分の手によるろくろ細工にプライドを持っているので、現在はまだ、菩提樹とトウヒの木を使って全ての部品を自分でろくろ引きしています。 |
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| 彼は彩色をせずに、自然の木の味わいを残した素朴なミニチュアを作っています。彼が自動ろくろを使用せずに本当にミニの鳥を削るところを見てしまったら、誰でもその素朴なミニチュアの虜になってしまうでしょう。 さらに彼が、メリーゴーランドのミニチュアを作っている最中に、各製品全て同じではなく、何か それぞれ工夫しているのだと説明してくれました。 「この製品には、赤ちゃんにガラガラを持たせ、ほかのものには、男の子にアイスを持たせ、こっちには、車にハエをつけてみた!購入する人が、これはどの製品とも違って、世界に1つだと知ったら楽しいでしょう!」と・・・ 彼の作品は、見た目より高価に感じてしまうけれども、この秘密を知ってしまったら、きっと彼のファンが増えるだろうと思いました。 |
![]() グリム童話のいばら姫のシーン Maho さんの指のあいだに 入ってしまう大きさです |
![]() ウベ・ウーリッヒ氏の工房のパンフレットを撮影したもの |
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| ところで、彼の指導のもとで、いよいよ「ろくろ」の訓練が始まりました。 基本中の基本、まずは円柱を削るように言われ、今まではもっと複雑なものを作っていたので、私は簡単にできて当然のことと思いました。しかし、いざ完璧に作ろうと思ってもなかなか うまくいかないのです。そしてさらに、円錐や、球などのほかの基本形も練習しました。 そしてこの時の出来事は忘れることができません。 球を削り、いつも学校でしていたように、そばにあった紙やすりで「シャーシャー」という音をたてて削っていた時のこと。突然背後からウベの怒鳴り声がするのでした。 びっくりして振り返ると、 「誰が紙やすりを使っていいと言った?本当にろくろを習いたければ、紙やすりは使っては いけない。もう一度、同じことを繰り返したらヴォルフガングを呼んで家に帰ってもらうぞ!」 と言われたのです。少しジョークを交えての言葉でしたがとても驚きました。 確かに見た目をよくするために紙やすりを使うよりも、練習しているうちは、ノミの刃だけを頼りに、とことんノミを使いこなすことが大切でした。 そして、今までいろいろなノミを使い分けしていたのですが、 「プロはこれ一本あれば他は必要ないのだよ」という言葉のもとに、私もたった一本のノミしか 使わせてもらうことができませんでした。 朝の7時、子どもたちが学校へ出発したあとから夕方の6時まで、とことん「ろくろ」と向き合った1週間でした。そして、基本を叩き込まれました。実は、疲れと風邪で体力的にはつらかったのですが、この1週間の日々の学びは本当に大きかったです。 仕事の後の時間は、ウベや彼の子どもたちと卓球をして遊び、ウベから卓球の手ほどきまで受けました。 |
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そう、いつも愉快なウベは、すぐに冗談で私をからかうのも日課でした。その冗談1つで、まさか私がこの辺りの新聞に載ることになろうとは、この時も想像していませんでしたが・・・ 「なぁ、有名になりたい?」という質問に 「そうねぇ・・・」と言ったところ、 「それなら新聞に載れば有名になるよ! じゃあ今新聞社に電話してあげるね。」と言うので、冗談と信じ込んだ私は、「はい、はい・・・」と答えたのです。 |
| そして次の日のお昼に、本当に新聞記者が来ることが決まるまで、瞬く間の出来事でした。 しかし、この新聞が私にとっても良い記念になったと思います。 新しい人々との出会いの6月になり、エルツ山地の人々の優しさに また沢山触れることができました。 7月の頭にこの手紙を書き始めて、ばたばたしているうちに9月になってしまい、ごめんなさい。 この6月が過ぎ去ったあと、私の身の回りでさらにいろいろな出来事が起こりました。 次号がなるべく早いうちにお便りできるようにしたいと思います。 どうぞ、楽しみにしていてくださいね。 2001年 9月1日 Maho より |
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