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八尾
( 2003.08.15 )

 私の実家は大阪の八尾にありまして、お盆休みに数日帰っておりました。 近くにあるからいくらでも帰ることができそうなものですが、案外帰省することは多くありません。 弟もお盆に帰省するらしく、これは家族が全員揃う貴重な機会になるなぁ、だから私も帰省しよう。 八尾に行くときの動機はいつもこんな感じなのです。
 ここからご紹介するのは、八尾の実家から自転車で近くを回ったときの記録です。 実はこうやって自分の原点を探しに行くのも初めてのことで、変わった風景、変わらない風景に、いろいろなことを思ったのでありました。


 阪神受験研究会・八尾校。 中学入試を目指して通っていた塾です。 私が卒業して何年後かに経営方針などをめぐっていざこざがあり、ついにはなくなってしまいました。 今は能開センターが入っていたので驚きです。
 こんなことを書くとイヤミになりますが、小学校のときは常にクラスでトップ近い成績をとっていて、それがかえっていじめられる対象になったりしたものです。 それが塾に来ると自分より勉強のできる人がたくさんいて、とても刺激され楽しく勉強することができました。 あのときの友達は今や連絡が取れないのがほとんどなのですが、それだけが10年たった今になっても後悔することです。


 矢作(やはぎ)神社。 河内を本拠地とした豪族の物部氏は、おもに軍事の面で政治にたずさわっていました。 そのため弓を作ったり(弓削部)矢を作ったり(矢作部)する生産者が集まったのです。 作った矢を背負って運ぶことから「矢負い」が「八尾」になったといわれています(あくまでひとつの説ですが)。
 いつの間にかなくなってしまいましたが、家族でここに初詣に来るのが例年のならわしでした。 初詣だからと特別にお酒を飲ませてもらい、「お酒ってこんなに甘ったるいものなのか」(=甘酒だったから当たり前なのですが)と思ったのを今でも覚えています。


 高美(たかみ)小学校。 私が通っていた学校で、いつもこの西門から登校していたのですが、いつの間にかこんな仰々しい門になってしまいました。 おそらく児童を狙った事件がここ何年かで増えているせいなのでしょうが、なんとも寂しいものですね。 学校はいつでもオープンであって、地域とともにあるはずのものであるはずなのに・・・。 もちろん子どもの命を守るためにはやむを得ないことではあるのですが。

 西門は閉まっていたので、東側にある正門のほうに回ってみました。 夏休みの真っ只中だからか、人気はないのに門は開いています。 せっかくのチャンスなので入ってみることにしたのですが、校舎も運動場も、芝生も百葉箱も、みなあのときのまま・・・。 なんともうれしくて、しばらく感慨に浸っておりました。 ということは、アレもまだあるに違いないんだ!

 「アレ」というのは鉄棒でなくて、その後ろにある壁画であります。 鉄棒をするときの参考になるように、さかあがりを始めとしたいくつかの技のやり方を紹介したもので、1992年度卒業生の卒業制作なのです。
 それにしても私は今も昔も運動が苦手な人でして、今となってはある意味自慢話にもなるのですが、生まれて一度も「さかあがり」を成功させたことがないのです。 「さかあがりができた人から帰っていい」と体育の時間に言われ、いつまでも残らされたあの屈辱。 思えばそれが「じゃあ勉強では負けるもんか」という気持ちをもつようになった理由なのかもしれません。

 朝日に映える 信貴の山
 矢作の森を 近く見て
 河内平野に 高く建つ
 僕は元気な 高美のこども
 明るく伸びよう はばたこう

 高美小学校の校歌の1番です。 どうでもいいかもしれませんが、2番では最後から2行目が「私は元気な 高美のこども」となっています。 あの頃は男女の間でちょっとでも違いを付けられると、いちいち文句を言っていた年頃ですからね。 結局学校は開いていたものの、誰とも会わなかったのですが、それはそれでしんみりと物思いに耽ることができて良かったのかもしれません。 ともあれ私も「高美のこども」の名に恥じないよう、これからも精進していかなければいけませんね。



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