審判経験談(&雑談)

Last Up Date 2003.08.17

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Referee's Cafe より:2000年クラブカップ日記 活動報告

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「第23回 デサント 2003 ジャパン クラブカップ」

というわけで…3ヶ月ぶりの更新となるこのページですが…。今年度2回目の更新です。もしかしてファイルを分ける意味が無くなっているのではないかという気もしますが…。

今回のクラブカップは、運営的には非常事態宣言的なモノがありました。というのも、今年はA級審査会がほぼ全日程クラブカップと重なってしまったために、審判委員会側で運営の中心となってくれたE氏が、ほぼ4日間来ることができないという状態でした。もちろんこのことは前々からわかっているので、事前の打ち合わせを何度か行い、なんとかこの4日間を乗り切ろうとしていました。

私の今回の仕事ははっきり言うと書類作成(PC担当とも言う)です。審判割当表の作成(注:もちろん割当はしていません)からJVA提出用の書類まで、なんだかいろいろと作っていた気がします。とりあえずフォームとなるものを事前に作っておいたので、当日の対応は問題なかったです。それでも後手後手に回ってしまうことが多くありました。

まず初日(8月8日)。この日のうちに審判割当表をPCで作成・印刷し、審判委員長に渡す予定が、前日までにその割当表を受け取らなければならないことを忘れており、割当担当者に話をすることを忘れていました。そのため、初日からホテルで(今回は派遣審判員の方々と同じホテルに宿泊していました)夜遅くまで仕事をする羽目に…。

ちなみに忘れているというと…宿泊しなければならないのに審判道具としては必須アイテムである腕時計を自宅に忘れてきてしまったんです。おかげさまで無駄な出費が…(9日の朝にその日から来る審判員に連絡を取って「安いやつ買ってきて」と頼みました)。

この日最も心配されたのが、台風10号の影響です。8日の時点で九州地方の一部地域が暴風域に入っているし、進路予想を見るとどうやら近畿直撃だし…。もちろん九州のチームでいくつかこの日会場に来られなかったチームもありました。審判的にやばかったのは、公立の中高生が気象警報が発令されてる場合には会場に来ることができないと言うことでした。今回も高校生はラインジャッジで、中学生は得点掲示でそれぞれ来てもらうことになっていたので、もし来ることができない場合どうするのかがすぐには決め切れませんでした。とりあえず、9日午前7時の時点で警報がでていないことを祈るのみです。

ってなわけで2日目(8月9日)。ホテルで目覚めて(実際には電話で起こされましたが…)、とりあえずNHKをつけると「暴風・波浪・大雨・洪水警報」が大阪府か全域に発令中でした。う〜ん笑えない…。これで確実に試合開始時に公立高校の補助役員が間に合わないことがわかりました。「私立で来てくれている関大一高に頑張ってもらうしかないのか…」。そんなことを考えつつテレビを見ているとホテルでの集合時間に遅れてしまい派遣審判員の先生方を待たせることに…すいませんでしたぁ!

会場に着くと、まず2回も修正が入った審判割当表を一部修正し、即座に印刷して審判長のもとへ。時間はあと1時間しかない…と思っていると、競技の方から「台風の影響で試合開始時間を1時間遅らせる」という配慮がありました。昨日の時点で、試合順序も変更しており、台風の影響で前日入りができなかった3チームへの配慮と言うことになったと思います。これで安心…と思っていたのですが、開始時間が遅くなるという話を聞いた時点では、まだ点示の中学生は来ていませんでした。ただ8時過ぎの時点ですでに警報は解除されていたので、10時半には間に合うはずだ!と考えていました。結果的には中学生は試合開始までに間に合ったんで、なんとかゲームは問題なく開始されました。

ただ、この時点でも高校生が来ていなかったので、2試合目以降の線審がまわるかどうか、これが次の心配事となりました。試合開始までに間にあわなければどうするのか?会場がかなり暑くなっていることを考えると、2試合連続での線審は体力的にもかなりキツイです。もし来なければ2人で線審を行おう、という話にはなりましたが…。これもなんとか時間が解決してくれました。ぎりぎりで間に合い、2試合目以降もなんとか上手く行きました。

で、安心したのも束の間…今度は私個人に災害が…。

このページを見ておられる方なら、ご存じの方もいると思いますが…とりあえず2001年5月の経験談「黒鷲旗レポート」をご参照下さい。

読まれましたか?

では本題。(勘の鋭い方はここでわかると思います)

この日の割当は2試合目に中央体育館のサブアリーナでいきなり主審をすることになっていました。そういうわけで、コートサイドで試合を見ていたわけです。片側のコートは先に試合が終わり、公式練習を行っていました。そんなことは気にせず、私は自分の試合が行われる側のコートばかりを見ていたのですが…

歴史は繰り返す。それが歴史の悪いところである。

その言葉が示すとおり、練習中のコートから飛んできたボールが私の顔面に直撃!その瞬間「あ〜またやってしまった、これで主審はできないなぁ…」と1秒ぐらいの間に思ってしまいました。何が起きたかっていうと…。そうです、眼鏡がまたも壊れてしまったんです。

確かにそろそろ作り替えなきゃならないなぁとは思ってましたが…まさか壊れるとは思ってもいませんでした。そんなわけで、結局この日以降、副審のみを行うことになってしまいました…。せっかくのチャンスだったのに…。

この日は結局副審3回を行いました。その3回目。なんと大阪クラブ連のトップチームの副審を行うことに…。7試合目で、実はグループ戦の敗者復活戦だったんです。もちろん地元のチームで、私もよく知っているメンバーがいるわけで、さらには役員の皆様方もコートの外から見守っているわけですよ。それだけでかなりのプレッシャーで…しかもそういうときに限って相手方チームにタッチネットがあったりするんですよ。しかもブロックの時に。そりゃぁ副審の責務ですから、吹かないわけにはいかないし、自然と笛は鳴るわけです。ただ、笛が鳴った後に自分の中で「俺は公平だ俺は公平だ…」と繰り返し言いきかせていました。まぁ大阪が勝ったんで良かったんですけどね。

さて、この日試合が全て終了した時には、すでにPM8時半をまわっていました。その間に決勝トーナメントの抽選会も行われ、明日の組み合わせも決まりました。ということで、ホテルに帰ったら割当表作成が…。だがそうは問屋が卸さない。恒例のディナータイムでお酒も入り、ホテルに戻ったのが11時過ぎ。ここから仕事かよとか思いつつ、トーナメント表を見ながら割当表を作成。幸いチーム名を入れればなんとか形にはなるように仕上げていたので、トーナメント表のコピーを副審判長に渡して、私はPCへのチーム名の入力作業を行っていました。

審判長へ割当表をFaxで送信し、部屋に戻ったらすでにAM2時前…またも4時間半睡眠かぁ…と思いつつ、この日は眠りにつきました。

で、3日目(10日)。6時半に起きて(やはり4時間半睡眠でした)シャワーを浴び、朝食を取って準備をしたらすでに7時45分。前日が遅かっただけに、この日は早々にロビーへ。とりあえず時間的な粗相をすることもなく、無事ホテルを出発しました。待っているのは割当表印刷。

と、ここで審判長から「待った」の声が…。やはり3人とも(注:ホテルに宿泊していたのは大阪からは3名いました)昨晩酒の入った状態で割当表作成を行っていたので、やはりおかしなところが…。そういった箇所を早々に訂正し、すかさず審判長へ修正した割当表を渡しました。そして、この日は始まりました。

ふたを開けてみると、この日は私の割当は最終試合の1試合のみ。これは「へたくそは審判しなくてもいいぞ」ということではなく、単純に事務作業が山積していたため(それもPC利用のものがほとんど)、わざとはずしてもらったのです。おかげで事務処理はさくさく進みました。ですが、やはり落とし穴はあるもんです。

この日はとにかくフルセットが多かった。そのため、私に割り当てられていた試合が、サブアリーナで行われることになりました。最初はそれで良かったと思ったんですが(なぜかって?実はサブアリーナには空調が効いていた)、対戦カードを見てびっくりしました。

もちろん、7試合目と言うことは、ベスト8をかけた大事な試合になることはわかっていたのですが、よりによってまた大阪のチームの副審を行うことになるとは…。もちろん、前日同様、大阪の役員がたくさんいたわけで…ついでに言うと、役員の中にもファンらしき奴がいるので、その視線が一番気になりました。

こういう日に限って、なぜか良く反則が見えるんですよね。タッチネットの。しかも大阪じゃないチームの反則が(たまたまですよ、たまたま)。べつに判官贔屓をしているわけでもないのに…。なぜにいつもはこれぐらい反則が見えないんだと疑問を抱きたくなるぐらいでした(ということは普段は集中力が足りないのか?)。もちろん、相手チームの反則を取った後、コート外に目を向けることは一切しませんでしたが…いやできませんよね普通。

なんとかこの日も無事?に乗り切って、この日の晩も恒例のディナータイム。この日は実行委員会主催の懇親会でした。もちろんぺーぺーの私は初めての参加な訳です。酒席では周りのことを気遣うことがかなりおろそかになってしまう私は、このような場でどう対応すればいいのか全くわかりません。とりあえず皆様にお酒を注ぎつつ、いろいろと話を聞かせて頂きました。こういうのも、やはり「場慣れ」が大切ですね。

で、実はこの後ホテルの近くの中華料理屋で愛知から来られた派遣の方々とラーメンを食べに行ってました。

この日はホテルの部屋に戻って少しだけ仕事をし(というか疲れ切ってて仕事どころじゃなかった)、すぐに寝ました。といっても2時近くですが。

で最終日(11日)。前日の夕方の時点ですでに割当は知っていたのですが、準々決勝で副審の割当を戴きました。確かにうれしかったのですが…また「てんとう虫」かよ!と、2度あることは3度あるという言葉をかみしめながら、てんとう虫(実は先ほどまで「大阪のチーム」とかいていたのは、全て「てんとう虫」です)のベスト4をかけた試合の副審を行いました。(なんでこう節目節目で…)

とりあえず、かなり緊張しました。あんまり覚えていません。ただ、結構タイミング良く笛は吹けたような気がします。一つだけ失敗したのが、アンテナ外の通過ボールを見るために、アンテナの真下まで移動することができなかったことです。動き方をもう少し研究する必要があると感じました。試合の方がどうなったのかはもう書きませんが(すでにJVAもしくはOVAのページに掲載されていると思います)、自分自身にとってはいい経験になりました。

準々決勝が終わった後は、決勝のラインジャッジが控えています。ただ、その間にも仕事はあるわけで…。派遣審判員の方々に渡す大会資料(割当表一覧、予選結果、本戦結果など)を冊子にする準備をしなければ鳴りません。これも毎年行っているのですが、決勝トーナメントの結果は、決勝戦が終わるまで競技部の方から提出されないので、これまたかなりあせって作成しなければなりません。それ以外のものに関しては、必要数コピーしたものを準備しておき、いつでも冊子にできる状態にしておきます。

この日は審判員が全部で7名しかいなかったので、決勝前までに冊子を作る手順や人の動きを確認して指示を出して、ようやく落ち着くことができました。

そして決勝戦のラインジャッジ。この大会に参加してから、決勝のラインジャッジをするのは2回目なのですが、やはりミスが多かったです。もちろん、大会初日に起きてしまった悲惨な事故…というか眼鏡破損により、ワンタッチがあまり正確に見えなかったというのもありますが、それ以前にアンテナボールの見逃しなどもあったので、これでは3ヶ月後に控えるワールドカップでは使えないと、つくづく感じました。やっぱりラインジャッジって難しいです。

決勝戦は2セットであっさりと片が付いてしまいました。実力差がはっきり出た試合だったので、きわどいラインジャッジも確かになかったと思います。きわどいライン判定というのは、往々にして競っているときによく起こります。

とりあえず、そんなこんなでなが〜い4日間でした(もちろん、決勝戦が終わった後もいくつか事務作業的なものはありましたが…)。大会が終わり、大会の打ち上げが終わった後に、雰囲気を味わう?為に近畿大学へ行ってきました。何の?というと…冒頭でも書いていたかもしれませんが、A級審査会です。ただ、ものすごい渋滞に巻き込まれたため、近畿大学に着いた頃には、講習は終わっていましたが…。

ま、何はともあれ、クラブカップが無事に終了して良かったです。本当に…これは奇跡か?

[2003.08.12〜17]