<中綴じとは・・・>
 
 
本を作るには紙をたくさん束ねることになりますが、”中綴じ”とはその束ね方の
1つの方法(
針金を使用して本の外側あるいは内側から、反対側へ打ち込む方法)
で、主なところでは’週刊誌’や’マンガ雑誌’、’自動車のカタログ’、’ダイレクトメー
ル(DM)’、’付録’等、多種多様な目的で利用されている製本法です。
 
 利点・・・専用機械自体が他の製本方法の機械に比べて安く、本を作る上での
      材料も針金だけなので、製造コストが低い。
    ・・・本の背中・のど の部分から開くので、広開度が高く2ページに跨るような
      大版面をレイアウトしやすい。
    ・・・本の構造が簡単であるため、製造日数が短い。
 
 欠点・・・本の厚さが2cmを超えるような厚いものはできない。
    ・・・広開度が高いので、断裁や折の精度がはっきり現れる。(見開き)
    ・・・紙の厚さに針金の太さが加わるので、本の背中側がどうしても厚くなり
      本に’クセ’がつきやすい。(本が反りやすい)
    ・・・他の製本法(上製、無線等)に比べると、本の出来栄えは安っぽくなる。
    ・・・中綴じ機独自の構造によるページ割付を理解していないと、印刷した
      ものの全量印刷し直し等の、
製本不可能な事態になることがある。
      (裏長ラップ、返し折、変形折、ドブ、丁数、etc)
 
 
 
 <中綴じ作業の変遷>
 
 
昭和初期〜
 現在、資料収集中

 
 昭和30年〜40年頃

 当時は結束機が無いのは勿論のこと、縛る紐もビニール製ではなく荒縄で1本1本結わいて
いた。中綴じ機械も、折丁を運ぶチェーンと針金綴じ部分からなるいたってシンプルなもので、
三方断裁も丁合機もなく、女工さん達が一人一折丁を次々と手掛けして、落丁してようが増丁
であろうがもぐってようが、とにかくなんでもかんでも針金綴じしてしまい、また感度センサー(本
の厚みを計測する)もなかったので、良本も不良本も全てベルトコンベアーにでてきてしまい、そ
こで待ち構えている職人さんが「増落丁」と「針金不良」と「外観検査」を瞬時に行い、まさに「職
人の感」で良品のみを選別してそれを勘定して(10冊ずつとか20冊ずつとか決まった数量にし
てまとめておく)、次の断裁工程に送っていた。その断裁機も当然ながらコンピュータなど付いて
なく、「寸法出しハンドルを一回転させるとバックゲージが3ミリ動く」という構造であったため、今
に比べると寸法はいい加減であった。それでも当時は「そんな本」が当たり前であった。労働時間
は朝7時頃から夜10時頃までがあたりまえで、日曜日も祝日もどこ吹く風のごとく出勤して「繁忙
期は1ヶ月に1日休めれば上等!」という時代であった。当時の優れものシステムとして、「渡り職
人・季節職人」とよばれる人たちが存在して、忙しい会社に次から次へと1週間から1ヶ月サイクル
ぐらいで移動して働くシステムがあった。このおかげで「閑散期には人件費を押さえ繁忙期には
人手を多くして仕事量をこなす」ということが可能であったため、業績も毎年右肩上がりで伸びて
ゆき、設備の増強・従業員の増加・工場の拡張等と、まさに高度成長期であった。
 
 
昭和50年〜平成バブル期
 日本の人口増加や国際化の推進に伴ない、印刷・製本業も大量生産・大量消費の渦に入り
都心から郊外へ工場移転する会社も現れ、又金融機関も設備投資資金を惜しみなく貸与して
「働いたら働いた分収入がある」という、業界としては安定した成長期を迎えた。その一方で他の
業界に比べて遅れていた福利・厚生にも力を入れるようになり、日曜・祝日は休業するようにして
従業員の定着化を促進して、この結果製品の品質が向上する事になった。製本機械も格段の
進歩を遂げ、スピード化・省力化・高品質化がいっそう進み、それと共に除々にではあるが加工
単価の向上が計られ、”仕事・人・機械・資金”の4本柱が揃い、今振り返るにまさに”成熟期”を
迎えていた。この頃は同業者間の”仁義”も”義理・人情”も尊ばれていて”得意先・下請”、”同業
他社・自社”の間の”持ちつ持たれつ”の関係が、業界の清浄性・発展性に大きく寄与していたよう
に思う。その後、今にして思えばまさに”踊らされた”バブル期を迎える事になった。機械化にしても
人集めにしても得意先拡大にしてもまさに”金に物言わせて”進めるようになり、印刷・製本業界も
”1円・1銭の価値”を忘れて”幻想的な俄か成金”のような人たちが闊歩するようになり、営業マン
は時には”如何に波風立てず仕事の依頼をお断りするか”が仕事、などといまでは考えられない
ような風潮もあった。個々の会社が所有する不動産に対しても、金融機関が過剰評価して資金貸与
を繰り返し、これを”自己資金・自己評価額・自己実力”と大きな勘違いをしたまま過ごしてしまった
ため、後に大きなシッペ返しを食らう事になる。この時期はそれぞれの会社概要や個々人のミテクレ
は格段の進歩を遂げたものの、”その先の先”まで考えていた経営者は微々たるものであったと思
われる。

 
 
平成バブル崩壊後〜現在
 
バブル期後半あたりから、印刷機械・製本機械に対しても”コンピューター化”が進みはじめ、省力化
スピード化・高品質化のため製本作業の流れ自体も変化し始め、いままでのいわゆる”職人の技・感”
が、コンピューターにとって代わられるようになった。このため、”人間の技術”よりも”機械の技術”に
重点がおかれるようになり、各工程の機械を充実させそのオペレーターには”デジタル人間”を配置す
るようになる一方で、昔ながらの熟練工の居場所がだんだんと狭められることになってしまった。機械化
合理化・コストダウンのための従業員の若年化に邁進する会社と、資本力不足による旧態依然型の2極
化がおこり、低コスト大量生産を求める仕事は前者タイプの製本会社へ、小ロット品質重視の仕事は
後者タイプの製本会社へ発注されるようになった。後者が旧来型の”アナログ人間”集団であるのに対
して、前者は機械もそれに携る人々も”デジタル型”であるため、仕事の進め方・考え方もドライでわりき
っており、昔では考えもしなかった”3交代24時間フル稼働・日曜祝日も交代勤務”というようなやり方で
真の意味で”工場”になって行った。しかし製本作業というのは、今でもかなり”アナログ的・曖昧的・阿吽
の呼吸的”に進める部分が多々あり、またそれを見込んで発注する得意先も依然として大半を占めてお
り、どちらのタイプが良いと断言できないのもこの業界の現実である。そんな製本業界の変化を感じ始め
た頃、”変化の変化たる所以の原因”であった平成バブルの大崩壊が始まっていた。
 ”綺麗に着飾っていてもその実、骨と皮しかなかった”日本経済のバブル期。その化けの皮があちら
こちらで弾けはじめると、あっという間に雪崩のごとく崩壊・砕けちって、当然ながら製本業界にもその
余波が大波となって押し寄せ、仕事量の減少・競争の激化・単価の下落・納期の短縮等、あれよあれ
よと昭和の中頃の環境(製本単価・仕事量・福利厚生状況)に戻ってしまったと思われる。「仕事があ
れば徹夜もします、日曜祝日はもちろん盆休み正月も出勤します」「知合いの単価の半値でやります」
「3日間で100万部作ります」等々、まさに仁義無き戦いになってしまい、お互いの首の締め合い・殺
しあいになり結果、今までのいろいろな意味での"蓄え”を全て吐き出してしまった感がある。当然な
がら目立たない部分の品質の劣化・職場環境や福利厚生の後退・賞与や賃金の下落・従業員の劣
化・会社の疲弊感が広がり、”振向けばそこに金融機関が待ち構えている”という状況の製本業者が
多数発生してしまい、昨今では毎月毎週「**製本倒産、**紙工夜逃げ、**印刷不渡り」等を聞くよう
になってしまった。しかし、そんな中でも着実に業績を維持発展させ設備投資・人員補強を行っている
会社もあり、真の意味での”強い会社・弱い会社”が明確になってきた感がある。そう、いまはまさに
”篩にかけられている”時代。逆境のときこそ創意工夫してその結果、進化進歩して行く企業もあれば
大波にそのまま飲み込まれ流されて海の藻屑と消えてしまう企業もある。”今までに廃業・倒産という
事を経験してないから、ますます厳しくなってゆく生業にしがみついてゆく”のが良い事なのか、”過去
のしがらみにとらわれず、思いきって転業してみる”のが良いのか、経営者・従業員にとってまさに”究
極の選択”をせまられている現状である。
 
 
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