進むこと風の如く、静かなること林の如く、
侵略すること火の如く、動かざること山の如く、
知りがたきこと陰の如く、動くこと雷震の如くする

これは、「孫子」(孫武の著)の軍争篇に記されている名言である。
武田信玄の旗の「風林火山」が、これを出典にしていることは知っていても、 存外に全文は知らない、という者は割合いるのではなかろうか?
孫武は、「戦いは敵をあざむくことを基本とし、利のあるところに従って動き、 分散や集合によって変化をとげるものである」と述べており、 実戦にあたっての心構えを上記の言で表している。
「孫子」は、内容は明確で、非常に判りやすい書であるから、是非一読をお薦めする。

燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや

この言葉は、「史記」陳渉世家に見える。
小さな鳥(燕雀)には、おおとり(鴻鵠)のようにスケールの大きい志が理解できまい、 といった意味をもつ。
貧しい境遇にあってもそれに満足せず常に大志を抱き続けてゆける者は、 得てして同じ境遇に満足している他の者達からは理解されないものだ。

王侯将相いずくんぞ種あらんや

身分は出生によって決まるものではない、という意。
貧農あがりの陳渉はこの言を豪語して秦に対抗する一大勢力を築き上げた。
当初は順調に進んだ反乱も、やがては瓦解してゆくのだが、後に出てくるあまたの英雄達を 発憤させるに相応しい言だった。
特に、同じ農民出身の劉邦にとっては。

彼、取って代わるべし

「あいつにとって代わってやるぞ!」
現代語に訳すと、別段名言という程には聞こえない。
項羽が口にして、史記に記載されているからこそ名言たり得たのである。
この言は、劉邦のものと対に扱われている。

書は以て名姓を記するに足るのみ

項羽は、少年の時、習字と剣術を学んだが、どちらも上達しなかった。
叔父の項梁が怒ると、項羽は言った。
「文字は姓名が書けるだけで十分であり、剣は一人の敵に対するだけのもので、学ぶに足りません。
 万人を敵にするものを学びたいと思います」
そこで、項梁は兵法を教えたが、項羽はその概略を学び知ると、それ以上ふかく学ぼうとしなかったという。
このエピソードは色々な意味にとれる。
後の活躍からすれば、剣術は力任せ、戦闘は怒りまかせであったように思える。

大丈夫まさにかくの如し

秦の始皇帝を見て、
「男として生まれたからには、ああなりたいものだなあ」
と羨望を込めて劉邦が呟いた言である。
後に秦に代わって天下を統一したとはいえ、この時にはまだそういった野心はなかっただろうと思われるが、 大物らしさという雰囲気が既にあったのだろう。

狡兎死して良狗烹られ
高鳥尽きて良弓蔵れ
敵国破れて謀臣亡ぶ

韓信は、張良・蕭何とともに三傑に数えられた人である。
劉邦も、「百万の軍を連ね、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず城を取る、わしは韓信には及ばない」と賛嘆する程の 戦上手で、劉邦が項羽に勝てたのも韓信あったればこそだった。
最初項梁に従い、彼が倒れると項羽に仕え、この後劉邦に寝返った。
ややあって将軍に任じられ、劉邦別働隊のかたちで趙や斉を破ると自立を望むようになった。
この時、「主君を震撼させる程の勇略を備えた者は身を危うくする」と進言されたが、結局韓信は劉邦の 誘いにのって垓下に項羽を破り、楚王に奉じられた。
漢の六年、韓信が謀反したと上書があり、劉邦は韓信を捕らえた。
この時に韓信が口にしたのが、「狡兎死して良狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵れ、敵国破れて謀臣亡ぶ」である。
韓信は淮陰侯に降格され、後に呂后と蕭何の策略によって斬られた。
股くぐりのエピソードで有名な韓信も、劉邦の股をくぐる事はできなかったのである。

この諺は、古より巷間に広く流布していたらしい。
越王句践に仕えた范蠡は、呉王夫差をたおしたが、やがて越を去り斉に行った。
そして、同じく句践に仕えていた文種に手紙を送り、この諺を用いて官を辞す事を勧めている。
「『蜚鳥尽きて良弓蔵れ、狡兎死して走狗烹らる』という。 越王のような人物は艱難をともにする事はできるが、楽しみをともにする事はできない。 あなたは、どうして越王のもとを去らないのか」
文種は病気と称して朝廷に出なくなったが、讒言を信じた越王に剣を与えられ、ついに自殺した。
范蠡がこの後3度も巨万の富をきずいた事を考えると、范蠡が如何に進退に明るかった人であるかが判る。
蓋し、名宰相とよぶにふさわしいであろう。
彼に比べると、文種も韓信もその優柔不断さによる徹底性のなさが、文字通り命取りになったのである。

寧ろ我をして天下の人に負かしむるも、
天下の人をして我に負かしむる休からん

自分は天下の人にそむいても、天下の人が自分にそむくことは許さない、という意。
「三国演義」によれば、董卓暗殺に失敗してお尋ね者となった曹操が、知人呂伯奢の家人を勘違いして殺し、 逃げる最中に偶然呂伯奢に逢い、これを意図的に斬り殺す。
その後で口にする言であり、曹操の性格の一端を如実に表している。

何かを憎悪することのできない人間に、何かを愛することができるはずがない

「私はそう思うよ」と、やんわりと続けるヤンであった。
これは私もかねがねそう思っているし、ユリアンも「そのとおりなのだ」と思った。

ユリアンは、ヤン・ウェンリーと彼をめぐる人々と彼らのつくる小宇宙とを、どれほど愛し、貴重なものと感じていたことだろう。 ゆえに、それを汚し、砕いた者たちを、ユリアンは憎まずにいられない。 また、ユリアンは、多分にヤンの影響で、民主共和政治の理念をたいせつなものに思っている。 ゆえに、それに拮抗する専制政治を憎むことができる。 まったく、すべてを愛することなど、できようはずはないのだ。

陳腐な策(て)だが、効果があるからこそ常用されるし、常用されるからこそ陳腐にもなる

ルパート・ケッセルリンクは策謀家だが、策謀とは常に独創性や斬新さとともにあるわけではないし、 スケールの大きいものだけが効果を発揮するわけでもないと考えているのだろう。

私的にもかなりお気に入りのセリフで、実用性も高いため、使用する機会を虎視眈々と窺っている。

女ってやつは、雷が鳴ったり風が荒れたりしたとき、何だって枕に抱きついたりするんだ?

「帝国軍の双璧」と謳われる名将、オスカー・フォン・ロイエンタールとウォルフガング・ミッターマイヤーとの会話は、以下のように続く。

「そりゃ怖かったからだろう」
「だったらおれに抱きつけばよかろうに、どうして枕に抱きつく。枕が助けてくれると思っているわけか、あれは?」
「女とはそういうものさ。なぜか、などと訊ねても無益だ、本人にもわかっていないんだから」

用兵と一様に、合理性に固執するロイエンタールの、名言とも迷言ともいえるセリフである。

野に獣がいなくなれば猟犬は無用になる、だから猟犬は獣を狩りつくすのを避ける

酔っている酔っていないに関わらず、ロイエンタールはこうしたきわどいセリフを度々口にする。
この諺自体は、古くから中国に同様の言い回しがある。(韓信の項を参照)

ここでいう獣とは同盟軍、猟犬とはロイエンタール達、そして言わずと、猟師はラインハルトを指している。
ラインハルト自身、敵がいなくなる虚しさに絶えられるか自問しているところから、 彼は常に敵がいなければ生きられない人であるのだろう。
そして後にロイエンタールは、彼等二人それぞれの埋めるべき処を埋めるべくして、叛旗をひるがえすのだった。

平和か。平和というのはな、キルヒアイス。無能が最大の悪徳とされないような幸福な時代を指して言うのだ。

キルヒアイスが、彼等が画策した、同盟軍のクーデターを指して、
「国内の平和を乱されて、叛乱軍もお手あげでしょう」
との予想に、ラインハルトが答えた言葉。
その辛辣さは、叛乱軍(同盟軍)に対して向けられたものではなく、帝国の貴族階級に対してである。
この時点でのラインハルトの敵は帝国の貴族であり、彼等の無能ぶり、 体たらくに嫌気がさしていたラインハルトならではの一言である。
戦時に無能であれば生き残れない、と言い換える事もできるだろう。
無能な者を嫌悪する、ラインハルトの性格があらわれている。

演奏されずに人々を感動させる名曲などというものはないのだ

「ユリアン・ミンツは自分のことばで語ったことが一度もない。 彼の発言や見識の源は、すべてヤン・ウェンリーの語録の裡にある。 彼は創造せず、すべてを剽窃した」
というユリアンに対する誹謗に対して、ダスティ・アッテンボローはこう反論している。
「ユリアン・ミンツは作曲家ではなく演奏家だった。 作家ではなく翻訳家だった。 彼はそうありたいと望んで、もっとも優秀な演奏家に、また翻訳家になったのである。 彼は出典を隠したことは一度もなかった。 剽窃よばわりされる筋合はまったくない。 演奏されずに人々を感動させる名曲などというものはないのだ」

敵を倒すにはまず味方から

スレイヤーズすぺしゃる6巻、「打倒!勇者様」収録の「ああ友情の攻城戦」の中で、 白蛇(サーペント)のナーガが引用した諺。

王軍のかたたちの援護呪文として、彼等の後ろからナーガが放った、無差別広範囲型の風魔咆裂弾(ボム・ディ・ウィン)は、 敵のバリケードと味方一同を吹き飛ばした・・・。
気を失っていたリナ・インバースが目を覚ますと、あたりには敵も味方も倒れている。
「ナーガっ! 『援護』ってことばの意味、わかってんの!?」
「ふっ。 気にしちゃだめよ。 リナ」
ナーガは、ふぁさぁっ、と髪をかき上げ、
「こーいう場合、たいてい『尊いギセイ』とか『きみの死はムダにしない』とかのひとことさえつぶやけば、たいてい許されるものと、 昔から相場が決まってるのよ」

ナーガにとっては、「あの程度のこと」なのかも。
これ以降、リナも、ナーガの無差別攻撃にはあきらめ調子だし。

話の最後でホータイだらけの将軍を、びしぃっ!と指さして、
「あの程度のこと気にしちゃだめよっ! ほら、昔からよく言うじゃない。 『敵を倒すにはまず味方から』って!」

これまでにも、ナーガの言い訳はいろいろ出てきたけれど、これがトドメの一発、最高!

一九九九年の七ヶ月
天から驚くほど強い恐ろしい王がやってきて
アンゴルモアの大王をよみがえらせ
その前後火星はほどよく統治するだろう

有名なノストラダムスの著「諸世紀」、第10章72節に記された予言である。
あまりにも人口に膾炙し、もはや名言の域に達したと思われるので、ここに加えた。
日本語訳に差異があるとしても、原文を読んでも意味も分からずちんぷんかんぷんなので、 たいして問題はなかろう。
実際に何も発らなかった。
問題とすべきは、この語がいったい何を予言しているか、なのだが、確実にそれを知る者は 実のところ一人もいない。
本当に予言であるのかさえ、謎に包まれている。
それよりも筆者が気にかかるのは、年をずばり書いている他の詩では325年を足すのに、 何故この1999年に関してはその通りに考えるのか、という点だ。