アルゴ・ムーンライト・プロジェクト
〜第3部〜
★第2部へ
1
コタツに入っている丸まった背中。
ノートパソコンを叩いていたはんてん姿の男は、誰かに聞かせるような大きな声でため息をつくと、そのまま身体を仰向けに倒し、ホットカーペットの上に腕を投げだし、バンザイの形になった。勢いでメガネの位置がズレ、指先で戻す。
コタツ天板にはパソコン以外に学術書が幾つか積まれてあり、それだけ見れば学生のレポート作成作業のように見える。書物は主としてロケット推進技術、宇宙航法、核物理。
「はぁ」
声だけ聞けば展開に煮詰まって悩んでいるように感じる。携帯電話を取りだし、折りたたみの画面を開き、待ち受け画面をボーッと眺める。黒い瞳でショートカットの娘が写っている。
電話を畳んでコタツの上へ投げ出す。一方でテレビリモコンを手にし、テレビに向かってボタン押下。
映し出されたテレビ画面は相撲中継。十一月場所という奴だ。日が落ちるのが早くなっており、窓の外は既に夕紅。冬を予感させる庭の枯れ枝が悲しげな印象。
「相撲だったか」
はんてんの男、相原学(あいはらまなぶ)はひとりごち、テレビリモコンを再び操作しようとし、目を見開いて身を起こした。
唐突に画面が切り替わる。神妙な面もちでニュース原稿を整理するアナウンサー。
重大なニュースが入ったのである。臨時の放送を知らせるチャイム音が聞こえ、ニュース速報の文字。
『ここで東京のスタジオより国民の皆様に重大なお知らせを申し上げます』
ただ事で無いことは説明の要も無い。
「東海地震か?」
相原はノートパソコンを叩き始め、その手を止めて再度テレビへ。
『合衆国防空宇宙司令部の発表によると、同司令部の警戒システムに何者かが不正アクセス、これに伴い自動報復システムが誤作動し、核ミサイル、無人航空機等合計25発が誤射されたとのことです。繰り返します。合衆国の核ミサイル、核爆弾搭載の無人航空機が誤射されました。大統領演説をお聞き下さい』
画面切り替わり、同時通訳付きで演説が流される。
相原学は固唾を呑んでその状況を見た。要約すると以下の通り。
・探知衛星がミサイル発射を探知
・標的算定、発射地算定より合衆国本土に対する大陸間弾道ミサイル攻撃であると結論
・大統領へ直ちに報告がなされるも、合衆国領空への侵入が差し迫っているとして迎撃報復を自動的に開始
・迎撃システム、スクランブル発進の戦闘機等の情報から当該ミサイル等は発見されず誤報と判断
・報復ミサイルに動作中止命令を発するが反応せず
・各無人航空機は自爆指令に反応せず
・自動報復システムの動作を解除できず
・警戒システムの遮断を試みるも人的介入は困難な状況
・無人航空機は戦闘機が追尾補足しているものの、接近・攻撃すると核自爆を起こすため撃墜に至らず
・標的国到達は最速で日本時間18時12分頃(およそ30分後)
・大統領が標的各国へホットラインしているが、避難等間に合う保証はなし
・通信回線によるアクセス及びシステムの爆破、電源遮断を実行中
『核戦争の危機が生じました。政府は“武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律”に従い……』
相原の表情には最初悲しみと諦念があった。
ミスとは言え、核ミサイル撃ち込まれて何も反応しない国家民族があるだろうか。
どころか、大義名分さえ整えば合衆国を攻撃殲滅せんと欲する国家民族は幾らでも存在する。
全面核戦争勃発の危機と言って良かった。しかし、程なく彼は怒りに似た表情を浮かべ、歯を食いしばり、次に拳を強く握った。
「想定される最悪の事態ってセリフはアニメ以外で聞く気はねぇんだよ大統領さんよ」
相原は言うと、卓上の携帯電話に手を伸ばした。
まるで、止める手段を有しているかのようであった。
そして、彼が手に取るより早く、電話がバイブレーションで音を立てた。
相原は折りたたみの画面を開き、不敵な笑みを浮かべた。
「電話しようとしたとこさ」
対し漏れ聞こえるのは少女の声。硬くこわばった。
「知ってるよ。行くんなら乗るぜ……アルゴ号は……ああ判った。10秒くれ」
相原は答え、携帯電話をはんてんの袖口に放り込んで立ち上がった。
玄関ドアに手を掛け、一旦戻って電源のブレーカーを落とし、今度こそドアを開いて外に出る。
その時彼が目にした光景は、一般に驚愕か、夢を見ているとの認識をもたらすであろう。
玄関先頭上に浮かぶ帆船と、船底から下りた縄梯子と、路上の少女。
船の名はそのアルゴ号である。そして。
キッと一文字に唇を結び、ショートカットの小柄な娘が相原を見上げる。ころん≠ニした、丸みを帯びた顔立ちは、見る者誰もが安堵し笑顔になるような落ち着いた可愛らしさがある。相原の携帯電話待ち受け画面の娘である。ただ、薄手の水色カーディガンは、初冬の気配漂わす東京多摩地区にはいささか寒そうだ。
「ごめん、約束より先にまた乗って欲しい……知っての通り私たちにしか出来ない」
少女は言うと、ゴツゴツした外観の衛星携帯電話をウエストポーチに戻し、耳栓を思わせる小機械を手のひらに載せて差し出した。
ワイヤレスのイヤホンマイクである。相原は手に取り、耳の穴にねじ込んだ。
「気にすんな。こっちから誘うつもりだった。操舵室聞こえますか?お久しぶりです相原です。また世話になります。行きましょう」
少女は話す相原を目で追う。相原は彼女の逡巡に気付いて知らぬふりをし、玄関ドアを施錠し、門扉を開いて路上へ出、彼女へ向かって顎をしゃくる。行こうぜ。
彼女が駆け寄ると門扉を閉じる。通りがかった近所のおばさんが船に気付いて声を出す。
対し相原は寸毫も動じることなく。
「すいません凄い風が吹くので離れて下さい」
おばさんが逃げるように去るのを待って、二人は共に縄梯子につかまる。空中の船が縄梯子をするすると巻き上げる。
船は縄梯子と、二人を収容すると、次の瞬間、周囲に暴風をもたらし、次いで文字通り白昼の流星と化して天空へと飛び上がる。
それは21世紀初頭の常識を逸脱する推進機構を有しているのであった。ちなみに、大気圏内で運行する場合、地球一周に要する時間は12秒ほど。
「ごめん……また」
船内通路を歩きながら、彼女ははんてんの背中に言った。
実は前に彼女は相原を少々強引に誘い、結果彼は大きなケガをした。お詫びを申し出た彼女に相原が返したのは『今度会うときはデートしろ』。
その約束を反故にした。借りがまた一つ出来てしまった。
「元気か?」
相原は振り返らずに訊き返した。気持ちを知っててはぐらかしていると理解するのに時間は要らなかった。
「あ、うん」
「守ろうぜこの星」
相原はそう言うと、後ろ手を伸ばして彼女の手を握り、ぐいと引っ張った。
船体の形状に沿って弧を描く通路を歩いて船尾方向。銀行の金庫のような巨大な扉が存在する。
「レムリアです」
彼女……レムリアが言うと、巨大な扉は巨体に似合わぬ素早さで開き、二人を迎える。
「早くなったな。駆動系変えたか?」
扉の挙動に相原が感想を述べ、揃って入室したそこは船の操舵室である。左手に大きなスクリーンがあって外界を映し、画面下にはコンソールがあって男が3名座して見ている。右手にはひな壇状に幾段か同様にコンソール……但し机のみで無人……が配され、その最上段に褐色の肌をした大柄な男が1名、腰を下ろしている。さながら大学の不人気な講義だ。但し、大柄な男の着衣は軍の高官を思わせる青い制服。
相原は大柄な男の姿を認めるや、彼女から手を離し、会釈した。
「ミスター・マナブ・アイハラ」
男は相原の名を呼び、立ち上がった。胴太で低い声の持ち主であり、ネイビーブルーの制服の外からも内奥の偉丈夫が推測できる。身長二メートル強。この空飛ぶ船の船長、コールサインをアルフォンスス。
彼女のレムリアという名も同様にコールサインである。言うまでも無く幻の大陸の名によるが、彼女はこれを日常的に偽名で用いる。
「色々聞いた。前回は私の代わりに酷い目にあって……済まなかったな」
アルフォンススは教養を感じる折り目正しい言葉で言いながら、雛壇を降りてきた。
レムリアは唇を噛んでうつむく。
「いえいえ。こんなひ弱な平和ボケがあなたの代わりなどおこがましいと良く判りました」
相原は自虐的に言った。身長168である彼は、年齢22。就職戦線首尾良く終了というタイミングである。が、船長と並ぶと、さながら大人と子ども。
相原は続けて、
「それよりも僕なんかに勝手をさせて、あなたやメンバーの誰かが本部から叱責を受けた、なんて事はありませんよね」
彼はそう言ってレムリアの手を再び取った。
レムリアがハッと見上げるとニタッと笑う。気にするな、言葉は無いがそうと判る。その顔の曰く、
ヒトヲ キズツケタト オモッテ ジブンガ キズツク コノムスメハ。
「無論そんなことはない。知っていると思うが人事面の一切は全て私の管理下だ。でも今回はより危険なので君はあくまでブレインとして招いた。いわば講師だ。早速で済まないがどうすれば良いか検討する。作戦席に着いてくれるか?」
船長アルフォンススはひな壇より降り立ち、天を向いた液晶テレビを示した。
2
液晶テレビの周りにクルーが全員集合した。
副長セレネ≠ヘ女性である。シルクロードの古代王朝のような欧亜混交の顔立ちで、相原より若干高い痩身に白いローブを纏う。
金髪碧眼の同じ顔した大男が2名いる。双子の兄弟でアリスタルコス∞ラングレヌス=B共にブーツにツナギという出で立ちであり、トレーニングを兼ねた高地縦走の途中で事態を知ったという。
更にひとり、相原と同程度の体格で、広い額に皺を刻んだ男は最年長シュレーター=B
ここでシュレーター以外は何らかの特異な肉体・精神の能力を有する。追って必要に応じ解説を加える。
以下、言語は英語であるが、船のコンピュータによる自動翻訳を介して相原のイヤホンマイクに届いている。彼の日本語も英語でクルーへ。
「時間がないから手短に済ます。相原君、君はどれだけ把握している」
アルフォンススに問われ、相原はニュースで仕入れた内容を要約して話した。アメリカからミサイル等25発、操作不能。
「それだけ知っていれば充分だ。早速だが対策を考えたい」
アルフォンススは液晶テレビの画面をタッチし、世界地図を呼び出した。地図上に点滅する輝点が25。
「これは防空宇宙部のデータに基づいてNATO(北大西洋条約機構)が算出した全ミサイルの予測現在位置だ。うち速度の速いものがICBM(大陸間弾道ミサイル)やSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)。ベーリング海や東シナ海の動きの遅いのは巡航ミサイル。これらを全て無力化する」
「無力化の方法は」
相原は訊いた。17時48分。
「その前に、戦略核ミサイルの基本的性質として、知っておいてもらいたいことが三つある。一つは標的国の領域内に入らなければ爆発しないこと。二つ目は外部から爆破しても、あるいは自爆しても缶詰≠ノ火は入らないこと。三つ目は標的国領域内に入っても、一定以上の高度では爆発しないということだ」
「三つ目の意味が判らん」
ラングレヌスが訊いた。
「前二つは誤って殺さないため、三つ目は確実に殺すためだ」
アルフォンススは指3本立てて答えた。より大量に殺すため、適切な″sxで爆発させるというわけである。
高すぎると下まで届かず、低すぎると遠くまで広がらない。
レムリアは胴震いして両腕をさすった。人間に根元的に備わる残酷さを感じさせる。なお、缶詰とは、言うまでもなく核爆弾本体……ウランやプルトニウムと起爆剤を収めた容器のことだ。放射線対策で分厚い鉛に覆われており、缶そのものである。
「従って我々はこれらの性質を逆手にとって行動する。意見を募ろう。但し飛び道具はいつもの通りだ。レールガンにプラズマガン。レーザにFEL」
注釈を加える。レールガンは電磁加速砲である。人体サイズの大型銃器でアルミのブロックを射出する。プラズマガンは誘電加熱(電子レンジ)で生成された火の玉を撃ち出す。レーザは高エネルギのレーザ光線を発射、単発と連射が選べる。FELはフリーエレクトロン(自由電子)レーザであり、光線の種類を変えられる。可視光線はもちろん、電波領域からガンマ線までの間で任意に選択可能で、用途と強度で使い分ける。同様に単射と連射が可能であるが、殆どレーザマシンガンとして使用される。
普段はこれらを用いて奇蹟レベルの人命救助活動を行う。それは個々人の超能力も含めて人為的に奇蹟を起こすと書いた方が適切、否、そういうコンセプト。
活動名をアルゴ・ムーンライト・プロジェクト。
「レーザでミサイルを穴だらけにしてしまえ」
アリスタルコスが言った。彼は銃器の達人であり、彼の提案もあってこれら銃器を有する。ちなみに銃器は戦闘というより、救助に際して必要となる破壊や回避が主用途。
「燃料タンクかエンジンをオシャカにする」
「ちょっと待て」
アルフォンススが否定の意志を示した。
「確かにその通りだが、レーザで弾頭を撃ち抜いてしまったらどうする。点火はしなくても中身が漏れるぞ」
「あの……いいすか?」
懸念を示すアルフォンススに相原が発言を求めた。
「構わん、言ってみてくれ」
「船体を使ってみたらどうでしょう。光圧シールドで覆っておいて接触し、標的国の領域外まで押し出す。同じ速度で飛びながらであれば可能と思いますが」
「なるほど」
「大陸の深いところだったらどうするんだ」
言ったのはアリスタルコス。
「エンジンで吹き飛ばす。宇宙へ」
相原は即座に答えた。そして続けて。
「それでもだめな場合に初めて銃器を使う。なるべく有限の資材は使いたくない。それから、爆発力、推進力を完全に破壊する必要は無いと思います。ロケット推進へのダメージ、安定翼類の損傷などで制御を失わせ……」
「待て相原」
アルフォンススが勢いづく相原を制した。
「今ここで全てを決めてしまおうとするな。それだけ出ればとりあえず充分だ。そう最初からガチガチに決めてしまうと、例外事象が生じた時、そうしなきゃという固定観念と化して自由な思考を阻害する」
自分の言ったことに縛られ、臨機応変な発想が出てこない。
「判りました」
相原は答えた。
レムリアは気圧されながら彼らのやりとりを聞いていた。彼らが自分をクルーの一員として遇してくれ、年齢による配慮・意識を排してくれているのは知っているが、やはり背負っている背景……人生経験や総合力を要求される場面では年齢なりの差違が出てくる。
その中で相原はどちらかというと自分寄り……子どもっぽい近しさを感じていたのだが、現時点に関する限り彼も大人の側だ。
「レムリアは何かあるか?」
「いえ」
答えると、アルフォンススが頷いた。
「よし。時間がない。各自持ち場へ。我々は銃を持って待機だ」
アルフォンススは席を立ち、大男兄弟と共に操舵室を出て行こうと歩き出した。持ち場とは甲板両舷と中央マスト頂部を意味する。最初から銃を構えておくのである。
レムリアはレーダを担当する。そしてセレネは自席でヘッドホン状の機器を頭部に装着し、パソコンの画面に向かう。
「僕も行くぞ」
歩き去ろうとするアルフォンススの背中に相原が言った。
アルフォンススが振り返り、制するように手のひらを出した。
「君はダメだ。今回はあまりにも危険すぎる。お願いだからブレインに徹してくれ。船内を君に任せたい」
「でも!レムリアにもらった力がそのままだからあなたと同等の……」
クルーは特異能力を持つと書いたが、レムリアは看護師であり魔女である。月明かりの中での変身(自らが、又は他人を)、及び、特定個人の能力を別の誰かに付与することが出来る。前回相原が船長代行として乗務した際、船長と同等の超常能力を与えるため魔法を使った。その術を解いていない。
そして、船長の能力とは脳波による電磁界への干渉。つまり念力発動の要領で電気・磁気を操作できる。もちろんそれら変位の感知も出来る。
「許可できない。言った通り危険であり、第一、耐環境ウェア(宇宙・放射線対応防護衣)の用意が足らない。そして、万一我々に何かあった時、君に船にいてもらわないと困る。……よし判ったこうしよう。私と同じ能力を付与されたと言ったな。だったら君は生体レーダとして探知に参加してくれ」
「生体レーダ……ですか」
電磁気の変位感知をミサイル発見に生かす。
「そうだ。さっきの画面は、コンピュータが現在のミサイル位置を予測したものに過ぎん。だから正確な位置把握にはこの船による、我々自身による探知が不可欠だ。しかしミサイルはステルス性を持たされている可能性が高い。一部のミサイルは単弾頭ではなくMARV(マーヴ)だろう。その場合、船の探知装備だけでは難しい。人間自身の感覚によって探し、判断する必要がどうしても出てくる。特にMARVだと、弾がデコイ(おとり)なのか本物なのか、船のレーダでは区別がつかん」
「……判りました」
相原は渋々と言った感じで頷き、男達を見送った。なお、ステルス性とはレーダに探知されにくい性質のこと。そしてMARV(MAneuvering Re-entry Vehcle)は機動式再突入弾頭、すなわち親爆弾が多数の子爆弾をばらまくという代物のことだ。焼夷弾という存在をご存じの方も多いと思うが、その全てを小型の原爆ミサイルに置き換えたものと捉えていただければ良い。
『念を押すが、くれぐれも操舵室から出るなよ』
アルフォンススの声がイヤホン経由で各人の耳に達する。
操舵室の大扉が閉められた。
「ここいいか?」
相原は言うと、スクリーン下コンソール、レムリアの隣の空いている椅子を指さした。
レーダ員席は2名分ある。レムリアの隣はいつも空席。
「船長席は……」
「あっちにはヘッドホンが無いんだよ」
「判った」
レムリアは頷いた。相原は座りながら画面にタッチし、次いで傍らのトラックボール(マウスの天地を逆にし、ボールを大型にしたポインティングデバイス。ボールを指先で回して操作する)を動かし、探知画面をあれこれ変更。
その操作を素早いとレムリアは感じた。彼は電気機械が大好きといい、それ故に船長の能力移植が容易だったわけだが、普段いじっている自分より遙かに生き生きと機器類が動いているように感じるのは気のせいか。なお、ヘッドホン云々については恐らく使用することになろうからその時に記す。
イヤホンにピンという甲高い音。アルフォンススからのコール。
『総員、作戦を開始する。アリスにラング、配置は良いか』
アルフォンススの問いがあり、続けて双子から配置についた旨言葉が返る。
『レムリア、標的国圏内に一番近い弾頭はどこだ』
アルフォンススが訊いてきた。
「はい」
レムリアはレーダ画面に目を走らせた。自分に重大な責務が課せられたのだと気付いて全身が震える。動転、までは言い過ぎだが、看護師している時の余裕や自信はない。
「北極海の……」
目に付いた座標プロットを言いかけようとした時、相原がギュッと左手を握って来た。
痛いと思いハッと気付く。彼は自分を制したのであった。そのせいか、少し冷静さを取り戻した。
「違う、前言を訂正する。黄海。座標125E39N(いちにごいー・さんきゅうえぬ)。巡航ミサイル2機」
相原は口を挟んだ。数字は経緯度であり、Eは東経、Nは北緯を意味する。
その位置から推測される標的は38度線≠フ北側、閉ざされた先軍・全体主義国家。
同国は“闇市場(※)”で調達した資材で開発した核ミサイルを所持しているとされる。その防空識別圏を越えれば、これを好機とばかりその核を放つであろう。その国を日本は非国家主体とみなしているが、その非国家主体を出自に持つ者は実は日本国内に多数いる。畢竟、非国家主体にこの騒動が伝わっていないわけが無い。
※パキスタンのカーン博士が資材・技術の流出先として構築。“カーン・ネットワーク”とも。2004年に発覚。
「もっと急ぐべき目標と思料します」
『了解。両舷全速、相原の座標位置に急行』
アルフォンススが指示する。
「了解。光圧シールド作動。INSオン。各員現位置から動くな」
ドクターが答える。左手で舵を握り、右手の逆L字形の加減速レバーに力を込め、思い切り奥の方へスライドさせる。なお、INS(いんす)は、Inertia Neutralization System……慣性力中和装置のことで、加減速時に発生する押されたり引かれたりする力、通称Gを相殺する。原理はここでは略す。
船は全速。
「ここばっかり狙うわけじゃない。しかし冷戦の構図知ってるだけ偉いな。生まれる前だろうに」
相原はレーダ画面の北方、世界最大の面積を持つ国を指先で示した。
レムリアは頷いた。彼女はこのアルゴプロジェクト以外でも普段から救助ボランティアに参加している。その経験が教えるところに寄れば、出動の可能性が最も高いのは、安全保障上の不安定、および、自然災害の多発地域。
どちらも講義や勉強会などでレクチャーを受けている。更に後者は地球のなりたちと分かちがたく結びついていると知り、興味が出てきて図書館に通おうかと思っている段階。
ただ、前者については国家間の駆け引き、政治が絡むこともあり、人生経験の少なさも手伝ってか直感が働かない。
思わず相原の手を握る。兄に頼る妹の心理が判る気がする。
「手伝って。間違えそうで怖い」
レムリアは言った。頼るのは悔しい気もするが、予断で間違えるのは危険だ。
相原は何も言わず、掴まれた手を握って返す。
彼はその一方でトラックボールを今度は左手で回し、液晶画面をポンポンとタッチし、レーダ画面の左下に船外カメラの映像を入れる。
黄海は悪天候であった。「西から低気圧が来ている」と相原は言った。
推定位置に達して船が減速する。しかしそこに巡航ミサイルの姿はない。
もう少し視野を広げる必要がある。レムリアは正面大画面にレーダの画像を映し込み、縮尺を変更した。
画面にはエコーを示す輝点が十個も百個も現れた。ちなみにエコーとはレーダに対する反応のことだが、電波が跳ね返ってくるので、“やまびこ”にたとえてエコーと呼ぶ。
「多すぎる」
シュレーターが舌打ちし、
「雷雲のエコーでは。どう思う」
相原に尋ねる。
「違う。ジャミング(電波妨害)だろう。で?ヘッドセットはどこだっけ」
相原は画面から目を離さず、コンソールの周囲を手探りでまさぐった。そのヘッドホン状の機器である。
「下に無い?」
レムリアは相原の膝の辺りを指さし、手を伸ばし、航空機の荷棚と同じハットラックの蓋を開いた。
それは副長セレネが装着したのと同じものである。頭部のバンド部分は多数の脳波センサ電極。オーディオケーブルの代わりにセンサー信号を送るフラットケーブル(何本ものケーブルを並べて板状にしたもの)。
このヘッドセットを介し、脳と船のコンピュータを電気的に連結して様々なコントロールが可能になっている。PSC(Psychology-direct-reflection Synchronization Control-unit:心理同期制御)と呼ぶ。
セレネの場合は超感覚、いわゆるテレパシーで要救護者の心の悲鳴を捉える。それをヘッドホンを介して船に送り、船がそこへ急行する。
「ああ。あった」
相原は言うと、コンソール下部のラックに手を入れ、PSCのヘッドセットを取り出して頭にかぶり、ケーブルをコンソールのジャックに差し込んだ。
「ああ、来た。なるほど」
相原の認識がテレパシーでレムリアに流れ込む。
彼は雰囲気を感じるつもりで心を研ぎ澄ました。
電波を感じる。
妨害波の放射点を探しに掛かる。
電波強度の強い方へ強い方へと意識を走らせる。ヘッドセットが作動し、船に連動制御が掛かり、ぐいぐいと東に回頭して行く。
「そっちで動かして……」
ドクターがこちらを見て言う。
「ます」
相原の代わりにレムリアが答える。彼が自分に頭の中を見せたのは、感知と操作に集中するため状況を自分に開示し、報告・代弁を頼むため、と判る。
「見つけたようです」
位置は事前の予報位置から東へ130キロ。そこに電波発信源が二つある。偏西風に流されたか、巡航ミサイルの誘導コンピュータが制御した結果か。
「見つけた」
相原はひとこと言った。レーダ画面から妨害による虚像エコーが消去され、本物を示す輝点二つのみ表示される。更に、ヘッドセットだと速度が巡航速度に固定されるため(間違った考えが船の運動に反映された場合、高速過ぎて修復不可能になるのを防ぐ)であろう、相原はセットを外して舵をドクターの手に戻した。
「操舵権を舵手へ委譲する。本船を輝点へ」
「了解」
船が一瞬加速し、すぐに巡航ミサイルに追いつく。
並んで飛行中の2機を船外カメラが捉えた。
巡航ミサイル。その外見は湾岸戦争で飛び交い、その後も中東の空爆騒ぎで見られたものと同一である。白いナメクジのような、細長くのっぺりしたボディ。ガガンボのそれのようなひょろっとした左右の翼。後尾のエンジンから火を噴きながら、海面すれすれを滑っている。GPSで己れの位置を確認しながら標的へ向かう。
「中身は核、なんだよな」
相原の呟きが慄然とした響きを帯びる。湾岸戦争は1991年。レムリアが生まれる前。
比較に基づく彼の恐怖感はピンと来ない。だが、これ1発で万の単位殺戮できる、とは認識できる。核爆弾の恐怖はそれこそ日本のヒロシマ、ナガサキとして知っている。
電子と、機械の、白い悪魔。
イヤホンにコール。アルフォンススである。
『2機を攻撃する。不測の事態に備えベルト装着。シュレーター、高度を奴より上に取れ。速度は自動追従。INS使用』
3
アルフォンススの言葉を受け、ドクターが舵と加減速レバーを操作する。まずは巡航ミサイルの真後ろ、高度やや上に船を付ける。
『真上に移動し、海面に押しつけて沈めろ』
更に指示。ドクターが舵の左、ずらりと並ぶボタン類に手を伸ばす。
その動作に相原がハッと気が付いた顔を見せ、ドクターを制する。
「ちょっと待った。自動追従はダメだ」
レムリアは相原の意図するところをテレパシーで知った。
同時に、彼の指摘が遅すぎたことも。
画面に標的自動追従の文字が出るや、並んで飛んでいた二機の巡航ミサイルは左右に分かれ、てんでに逃走を始めた。
「しまった!」
『何をやった』
アルフォンススの声。
「ミサイルがロックオン回避行動に出たようです」
相原が答えた。狙われていることにミサイルのコンピュータが気づき、逃げ始めたということだ。
ロックオン検出はこの船やクルーが装着する哨戒システムにも搭載されている。最新鋭のアビオニクス(電子頭脳)を有するミサイルが持っていて当然。気づけなかった相原のミス。
『了解。直ちに追尾せよ。相原、挙動が先読みできるか。どちらかが囮(この場合、引きつけ役の意)の可能性があるが……』
「判りません。ただ、本船の速力は想定外であろうと思われます。単純に近い方から片付ければ良いかと」
『了解それで行こう。シュレーター、目視追尾』
「了解」
ドクターが答え、上下左右無茶苦茶に飛び回る巡航ミサイルを追い始める。それは海上から見れば、時速700キロでミサイルと帆船が空中ドッグファイト。船速は充分だが、ミサイルの挙動を追う形になるので、どうしても反応が後手。
『何とかして真後ろに付けろ。アリス、パワーを落としてプラズマをエンジンに撃ち込め。ラングはレールガンだ。ロックオンしなくていい。とにかくスコープに捉えたら撃て。無照準防衛発砲』
アルフォンススは言った。真後ろ≠ゥらエンジン≠狙う理由は、核弾頭への命中確率を下げるため。
巡航ミサイルの無茶苦茶飛行が収まった。船によるロックオンを振り切ったという判断か。それとも、そうやって安心させておき、おびき寄せるのか。
ただ、そのどっちであれ、アルゴ号には数秒で充分。
船は誘導システムの類を使わず、目視のみで巡航ミサイルの真後ろに回った。INSはオフ。
『弾幕!』
即座にアルフォンススが言い、中央マストのカメラ映像に火の玉と銀色の弾丸、そして、
「メーザ!」
相原が呟いた。メーザは電波の一種である。レーザ光と同じ性質(波長が1種類・山と谷が揃っている・広がらずビーム状に直進)を与えたものだ。極めて強力な電子ビーム。
人間レーダ状態の相原には直接見えるのだとレムリアは判断した。
巡航ミサイルのエンジンが火の玉を噴き上げた。
失速し、尻を下に向け、海へと落ちて行く。外見上、エンジン以外に損傷はない。
『完了!もう一発を追え。間に合うか』
「行けます」
アルフォンススにシュレーターが応じ、船はその場から離れる。
「放射能漏出はありません」
レムリアは報告した。相手の性質上、ミサイルを落としただけでは不十分。ここまで確認して初めて必要な処理を終えたと言える。
それは彼女の独断だったが、相原が傍らで小さく「それでいい」と言った。
まず1発片付けた。先は長いが一歩を踏み出した。
もう1発を探査し追尾。
正面スクリーンに非常警報。
「攻撃用の走査(スキャン)を探知」
レムリアは言った。ミサイルの標的にされた先軍国家のものだ。スクリーンには危機回避のための操作案内が優先度の高いものから順に表示されたが、今は逃げるための対応は邪魔。
システムを切ってしまう。オフ要求に再確認があり、なおもイエスと答えると注意表示が画面の隅に出るだけになる。
2機目を発見する。同じ轍は踏めない。全くの目視と手操作で巡航ミサイルの斜め上に船を付ける。
「船長。下は陸です」
セレネが冷静な声で注意を喚起する。
『了解だ。海へ押し出す。シュレーター、奴の右側へ並べ。距離100メートル』
船が巡航ミサイルの右横に並んだ。彼我の距離は100メートル。
『よろしい。一瞬で接近し、クローラ逆転で本船に吸着、接触せよ。そのまま左舷方向へ加速し、黄海へ。但し加速度は10G以下だ』
「了解」
ドクターが答える。そして舵を握り、カメラの映像に目をやり、息を詰める。
額に汗。
「行くぞ」
舵を左に倒し、ほぼ体当たりに近い状態で巡航ミサイルに近づき、瞬時減速して接触する。空手のテクニックに、相手の肌に触れる寸前で拳を止める“寸止め”があるが、それに近似。
そのまま進路を左に取る。船が半島上空で巡航ミサイルをぐいぐい押しながらスライド。
マストのカメラを巡航ミサイルに向ける。手を伸ばせば届く距離に核ミサイル。気持ちのいいものではない。このまま出力を上げ、一気に海上へ放逐してしまいたい。
しかし、それをやると急加速の慣性力で“核の缶詰”が潰れ、放射能が漏れてしまう。特定の条件が揃わないと爆発しないのは確かであるが、その“缶詰”本体を潰してしまっては話にならない。アルフォンススが加速度に制限を加えたのはそのためと言えた。ちなみに10Gはミサイル射出時の加速度と同等。
実際には数秒、なのだろうが、普段の“ほぼ一瞬”の船の挙動に慣れた身には、秒という単位すらももどかしい。
すると、
『シールドを解除しろ』
ラングレヌスが言った。そして続けて
『遅すぎる。翼を破壊して自分で海へ行かせる』
彼も自分と同じく遅いと感じたらしい。
『シュレーター。シールド解除』
果たしてアルフォンススが一言。一瞬の迷いも感じない。
「了解」
光圧シールドが弱められる。レールガンからアルミの弾丸が飛び、巡航ミサイル尾部の垂直尾翼に命中、火花を散らしていずこへ去る。
対し尾翼が変形する。巡航ミサイルの進路が急変し、左方、海へ向かって進み始める。
『行き先予測』
アルフォンススが指示する。セレネがキーボードを叩き、船のコンピュータに計算を命ずる。
「2分で公海上に達します。制御性喪失のため再度別の陸地へ到達するまで7時間以上」
『よろしい。それまでに燃料切れで落ちる。無力化したと考える。レムリア次だ』
指示がくる。レムリアはレーダスクリーンを見、確認を求めるべく相原を見た。
相原は頷いた。次の目標は今度こそ、
「北極海。76N122E」
レムリアは言った。船はラングレヌスが船内に戻るのを待ち、INSを起動して6千キロを一気に馳せた。
レーダが捕らえる高温のエコー。
近づくと大気圏外から落ちてくる火の玉。SLBM弾頭部分である。
位置は直上。つまり、船は地球引力で落下してくる弾頭の真下にいる。
「目標速度マッハ16。なおも1Gで加速中。予想落下位置ウラジオストク市。私たちはその落下軌道の正面に入ります」
レムリアは言った。
『エンジンで吹き飛ばせ』
アルフォンススが即応。
『シュレーター、停船して待機、船尾を弾頭軌道に向けろ』
船は止まり、船首を下に、船尾を天に向け、ほぼ逆立ち状態。
但し操舵室含め居住エリアは水平を維持する。球体であり、超伝導マグネットで浮遊状態に保持されているからだ。操舵室の扉が強固であるのもこのため。
船尾カメラが落下してくる弾頭を捉えた。
急速に近づく。大気との摩擦で赤熱し、てらてらと炎をまとっている、その流線型金属物体の禍々しい眺め。
『合図と共にエンジン点火、徐々に出力を上げて落下を押しとどめ、宇宙に打ち上げよ。加速10G』
「了解」
シュレーターが加速レバーに手をかける。
そのまま待機。時速1万6千キロで大破滅(カタストローフ)が降ってくる。
『今だ!』
絶妙のタイミングで、アルフォンススは指示を出した。
ドクターが左手加減速レバーを手前に引き、右手加減速レバーを奥に押し倒す。
これで船には前進と後退が同時に掛かる。すなわちその場に止まったまま、エンジンだけ光子を噴いている状態。
光子を噴く……若干補足する。この船の主推進機関は反物質機関の一種光子ロケットである。強力な光を噴き出して船を押させる。
噴き出す光子が、落ちてくる破滅を捉えた。
光子噴射の出力が上がり、白い光の風と化す。その中に破滅が飲み込まれる。
破滅の落下が停止、更に逆行。
元来た道を戻り始める。加速され、宇宙へ向かって飛んで行く。それは船から破滅を再度打ち上げたかのようである。第一宇宙速度を超え、更に第二宇宙速度を超える。弾道ミサイルは弾頭だけでは推進能力を持たない。地球の重力圏を振り切る速度を与えれば永遠に戻ってこない。
但し、その永遠に近しい時間宇宙を彷徨うことになる。
『次の目標を設定せよ。座標確認』
アルフォンススの声に、レムリアは次なる目標地点を探した。相原の頷きを得て報告する。
「ベーリング海。巡航ミサイル。座標入力しました」
『了解』
そうしている間に破滅が大気の彼方に消えて無くなる。セレネの報告。
「軌道計算。地球には戻ってきません」
『完了だ。そのまま次へ行け』
ドクターが左手レバーを中央に戻す。
船が発進する。ほぼ瞬時にベーリング海。アラスカとロシアの間。
「巡航ミサイル接近します」
レムリアは言った。ベーリング海を島伝いに飛ぶ巡航ミサイルが画面に映る。まだ国境を越えていないためか、ジャミングは作動していない。
『近づけ。マニュアルだ』
アルフォンススが指示し、船は海上30メートルまで高度を下げる。ところが、そこでレムリアが待ったをかけた。
「海上に多数の船舶を確認。民間の漁船と思われます。ミサイルを落下させるのは危険です」
船が巡航ミサイルと併走。
「目標の右側に並びました。距離百メートル」
続けてレムリアは報告する。アルフォンススは考えている。海に叩き込むのもダメだが、船のエンジンで宇宙へ、という方法も使えない。
なぜなら高度が低すぎるからである。船が奴の下に入り込んで逆立ちできるほどの高度がない。
『下に入れ』
その言葉に相原が「え?」と言い、シュレーターと互いに顔を見あわせた。
しかし。
『光圧シールドを切れ、甲板上に乗せろ』
アルフォンススは全然違うことを言った。それはすなわち船体ですくい上げるということ。
甲板に何か載せて運んだことは過去にある。あるにはある、が。
「……了解」
ドクターが答えて船を操る。巡航ミサイルの下方に回り、海面すれすれから徐々に高度を上げて近づく。
中央マストカメラを巡航ミサイルに向ける。
「光圧シールドオフと同時にプラズマ発砲、死にかけをすくい上げろ」
カウントダウン3から。ゼロと共に画面外からプラズマを放射。
巡航ミサイルのエンジンが溶かされる。
そして、甲板上に落下。
がしゃん、音が聞こえればそうなろう。曲がって煤けた焼けぼっくいは文字通り“ポンコツ”。
しかし薄汚くても核爆弾。否、この世で最も汚いかも知れぬ。
甲板に核爆弾。
奇蹟の救助船が甲板上に搭載したのは核爆弾。
『よし次だ。そのまま次の目標に向かいつつ加速上昇し、途中で宇宙空間へ放出せよ。レムリア座標を』
要するに寄り道がてら捨てて行く。
「了解」
「判りました」
ドクターとレムリアは相次いで答え、レムリアは座標をセット。
次の目標はメキシコ湾。自ら共産主義革命を起こし、そのまま統治者であり続ける白髭の老体がいる国。
ソ連崩壊以降、共産主義の劣勢著しく、体制間の諍いは既に不要に思える。しかし、少なくともこれまで見たミサイルの目標は東西冷戦当時そのままだ。これは、“敵”が決してそれら表面的な社会構造のみを理由に決まるものではないことを意味しよう。
「バハマ諸島。座標入力しました」
『よし行け』
アルフォンススが指示する。船は南南東に進路を取り、緩やかに加速しつつ、徐々に高度を上げて行く。東に向かうに従い夜が深まり、スクリーンには何も映らなくなる。
飛行距離およそ1000キロ。高度は150キロを越す。大気と宇宙の境が見えた。
『放逐、INS作動、全速』
アルフォンススが言い、甲板から巡航ミサイルが宇宙めがけて放り出され、同時に船が全速力でメキシコ湾へと馳せる。きりもみして狩りに下るハヤブサの如し。
「目標地点到達です」
程なくしてレムリアは言った。
既に船は夜明けのマイアミ南方にあり、彼女は次の目標を血眼で探し始める。この船は地球の真裏に到達するまで7秒足らず。いつもはテレポーテーション(瞬間移動)の感覚で楽しむが、今日はその速度こそ頼り、そして一縷の望み、心強さ。
「見つからない」
レムリアは乾いた声で言った。焦りの気持ちが手のひらに汗をかかせ、トラックボールの手指が滑る。
「焦ると見つかるものも見落とすぜ」
相原に言われる。
だがどうしろと。レムリアはそれこそ兄貴に文句を付ける妹のように彼を見た。
「大丈夫。見つかる。目を閉じて深呼吸」
相原は気楽に言ってくれた。その手をレムリアの肩に手を乗せ「ゆっくりと息をしろ」。
そして。
「ハイOK。目を開けてもういっぺんゆっくり見てみな」
レムリアは頷いた。視界が歪み、自分が涙を浮かべていると判る。看護師なりに緊急即応能力はあるのかなと自負していたが、思い上がりだと痛感する。否、どこかしら誰かに甘えているのかも。
「位置は間違ってないと思うが」
相原がヘッドホンをかぶって腕組み。“魔法レーダ”を彼なりに行使中。
ある、けど、見えない。
ステルス?それとももっと単純に。
「小さい、のかな」
レムリアは呟き、画面の縮尺をどんどん拡大した。人間どんなに追いつめられても、冷静になりさえすれば、いろんなことを考え出し、新しい発見をする余裕が生まれる。
相原が顔をしかめた。魔法レーダが何か拾った。
「空電だ。セルか何かありますか?」
相原はセレネの方を振り仰いで訊いた。セル(cell)とは積乱雲の集合体。低気圧までは行かないが強い上昇気流を伴い、豪雨、降雹、時に竜巻を伴う。
「お待ち下さい」
セレネが自席のパソコンをカチャカチャ。
「この空域にはハリケーンがあります。カテゴリー2。示度(しど:中心気圧の意味)970。風速100マイル毎時」
「了解」
インターネットの気象サイトを見つめるセレネに相原が頷き、舌打ち。
「ゴーストが出るなぁ」
ゴーストは虚像の意。すなわち、電波を利用する通常のレーダはうまく働かない。
レムリアはそれを聞き、彼と、自分のレーダ画面を見つめて悩んだ。
「学……さん。じゃない、船長代行」
相原が自分を見る。その真剣な眼差し。
「どうした」
「予想位置の半径80キロは探した。でも見つからない。どうしようか、って」
「じゃあもっと範囲広げて」
「いいけど電波じゃ狂っちゃうんでしょ?」
「そうな。電波じゃくる……電波か」
レムリアのセリフに相原は考え込み、そしてカッと目を見開いて指を鳴らした。
「赤外線を使う。幾ら台風でもエンジンほど高温じゃない。最低感度800ケルビンくらいにして探査を」
「了解」
船長からのピンも得て、レムリアは言われた通り赤外線レーダに切り替えた。800ケルビン、セ氏およそ500度以上の物体にだけ反応するようにする。
画面の様子が変わり、左側、即ち南の方向に小さな反応が一つ現れた。
「これかな……え?時速650キロ?」
巡航ミサイルには速い。通常のミサイル・ロケットにしては遅い。
「考える前に行って確認」
「了解。船長レムリアです。エコーありますが目標とは確認できません。接近し、視認したいと思います。許可願います」
レムリアはドクターに目配せで舵の準備を要請しながら、許可を頼んだ。
『許可する。行け』
即答。
「判りました。ドクターお願いします。船外、行く先はハリケーンの中につき空電に注意」
レムリアは男達のために追加した。君らしい気遣いだと相原は評した。
「ハリケーンを突っ切る」
ドクターが言い、程なく船は巨大熱帯低気圧の、それこそ“渦中”に突っ込む。光圧シールドにものを言わせ、分厚く、手で掴めそうなほど濃密な積乱雲の中を、一気に突進する。
小さな、反応の主体が、豪雨の中に出現した。
航空機である。洋凧の如き三角翼、角張ったガラスの目立つ操縦室。そのガラスの並び方はクモの頭の8つの目を思わせる。到底安定して飛ぶようには思われない、ちょっと異様な姿。
全身真っ黒のその機の名前は、合衆国の大型爆撃機B2。
いわゆるステルス航空機の一種である。大きさは尻尾のないジャンボジェット。或いは死神が使わした死の卵抱いた黒い怪鳥か。
「レーダじゃ見つからんよ。おおっと」
画面を突然の閃光が白く塗りつぶし、相原が身をのけぞらせた。
稲妻である。紫色の輝きが天裂く亀裂のように縦横に走り、暴風雨を行く黒い怪鳥が、雲にその影を映す。
アルフォンススからピン。
『私だ。B2を視認した。船体で動かすには相手が大きいので銃撃して落とす。寄せてくれ』
「人が乗っているのではありませんか?」
セレネが尋ねる。
『こいつはリモコンの無人航空機だよ。人間の操縦士に十万百万殺せる爆弾を落とす度胸はあるまい』
アルフォンススは言った。
「判りました」
セレネが答える。
「距離測定」
シュレーターが怪鳥へ測定用のレーザを走らせる。
その時再び稲妻が走る。もう一本、さらに一本。間断無く立て続けに5本走る。
うち一本が船からのレーザに沿って飛び、怪鳥を撃った。
「誘雷(ゆうらい)された!」
「アビオニクス誤動(ごどう)。総員警戒!」
相原とアルフォンスス、即ち電子魔法を持った二人が同時に声を上げた。
高圧電流で怪鳥の制御が狂ったのである。ちなみに、レーザ光は高熱で空気中の物質を電離する。すなわち電流の通り道を作る。用いて落雷を特定の領域に導こうとする技術がある。
電撃の高熱で煙を上げる翼の下から何かがバラ撒かれた。
撒かれたそれらが次々にロケットモータを噴射し、てんでんバラバラの方向へ飛んで行く。
小型ミサイル。メインの大量殺人用核爆弾ではない。
『弾幕!』
アルフォンススの声があり、アルゴ甲板から多数のアルミの塊と火の玉が発射された。
怪鳥B2自体にそれらは簡単に命中した。エンジンが炎を噴き、バランスを崩し、ひらひらと舞うように嵐の中へ姿を消して行く。これでとりあえず幾万人かの命は救われた。
しかしばらまかれた小型ミサイル群には当たらなかった。
標的が小さすぎるのである。人の背丈ほどの代物を、しかも彼我ともに動いているのに、何十メートルも離れて狙うのは至難の業だ。
「あの…一体何が…」
セレネが半分唖然とした顔で訊いた。
応じてレムリアは相原を仰ぎ見た。技術的に面倒な事態が複数一気に発生したのだということは判る。予備知識がないと何がどうしたのか全然判らない。
「電撃で飛行機のコンピュータが狂った」
相原はまず言った。
「コンピュータは自分のいる位置、座標を勘違いし、予定とは違う場所で積載物を投下した」
相原はレーダの画面を拡大した。
撒かれたミサイル群は互いの距離をどんどん離して散らばって行く。
敵味方識別装置、および対象解析。
「積載物の正体はレーダの電波に反応し、その発射源、即ちレーダそのものに向かって飛んで行く、ホーミング・ミサイルです」
相原はレーダ画面を見つめて言った。
アルゴ号が攻撃されないのは電波では無く赤外線を使用中だからだ、とレムリアは判って少し寒気がした。光圧シールドの強さがSFでおなじみのバリアそのものだと知っているが……。
「それらは核……ですか?」
「可能性は充分です」
セレネが問い、相原が頷いた。
そのシールドバリアとて、核爆発まではどうなのだろう。それに、船は耐えたとしても、放射性物質が周囲を汚す。
「幾つある」
相原に訊かれてレムリアは我に返る。
「24」
レムリアは答える。一個ずつ探して見つけて…という時間はあるまい。まだ頭の上には弾道ミサイルが放物線を描きながら幾つも飛んでいるのだ。
必死に頭を巡らして考える。どうすればいい、どうすれば。
「船長!」
相原が教えを請う。
『私も考えているところだ。要はレーダに反応するんだ』
相原が目を見開いた。
「船長まさか…」
『そうだ。本船のものを使おうと思う』
船を故意に狙わせる。使ったことが無いわけでは無い。しかし……先ほどと同じ心配。
相手は核。
「でも…」
『確かに点火距離がどの程度かは不明だ。しかし近づかないと処分出来ない。ならばそれしかない。決行する。総員、本船はこれからホーミングミサイルの鼻先をうろつき回ってレーダに感知させ、おびき寄せる。シュレーター、陸地に近い方から順に行くぞ。相原、君はデコイを探してくれ。目標から外す。私はミサイルの標的システムに干渉する』
「了解!」
「甲板、貴殿らの身体に光で加圧し加速度を上げる。極力動くな」
意味、船が加減速の際に生じる身体を振り回す力……慣性力(いわゆるG)を人体への光圧印加で相殺する。その分船を多少荒っぽく動かす。
各人は声を挙げ、嵐の中でのミサイル追撃が始まった。
一発目は豪雨の中で出くわした。
「点火回路を持っています。実弾です」
相原が言い、応じてレムリアはレーダのメニューを操作し、電波レーダを起動した。
ミサイルが反応した。
「ロックオンされました」
画面に警告が出、船尾カメラが追尾してくる姿を捉える。
『漸次減速。10メートルまで引き寄せよ』
アルフォンススは言った。徐々に近づくミサイルに船の識別装置が対応、型式をASM2002と表示する。
「こいつか」
相原が説明する。その鉛筆みたいな尖った頭部の中には、要塞や前線基地を一つ単位で蒸発させる水素爆弾が入っているという。後から飛んでくる殺人飛行機が敵の妨害を受けないよう、進路上の基地をあらかじめ跡形も無く破壊しておくためである。
「人間の科学技術の使いこなしってヤツだよ。ちなみに、水爆の起爆剤は原爆な。原爆の高熱で水素を核反応させるんだ」
相原が皮肉を言い、次いで彼は船長と揃って声を上げた。
それは二人の魔法の力が反応したことを意味した。
つまり、水爆の起爆剤である原爆が点火スタンバイ。
「船長!」
『承知している。こいつらの点火距離は50メートルに設定されている。アリス!』
アルフォンススがアリスタルコスを呼ぶ。点火距離、つまり50メートルまで近づくと爆発する。従い、周囲の核汚染防止を第一と置くなら、船体で押す手法は使えず、銃で撃つしかない。
『標的が小さい。パワーを落としてプラズマを撃て。徹底的に前頭部を狙い、アビオニクスを蒸発させろ』
『了解』
アリスタルコスから答えが来る。確かに鉛筆みたいなミサイルを細い光線で狙うのは困難である。広がりを持つ火の玉の方がいい。
白熱の塊が放出された。
しかしそこでミサイルの方がゆらりと動く。火の玉はミサイルを逸れて通り過ぎ、豪雨の向こうに失われる。
「点火するぞ」
相原の声にレムリアは震えた。
『外した!(missed!)』
『構うな次々撃て。私が抑える』
アルフォンススが言う。
「なるほど。船長援護します」
相原が言い、ヘッドホンをかぶる。
船のコンピュータ曰く、船は帆を媒体に電気力を波紋のように放っている。無論二人が魔法の力を船の回路に重畳したのである。
電気力の波紋は次第に振幅を強める。しかし点火回路への干渉は難しいようだ。核物質は常時なにがしか核反応をしており、その際電磁波パルスを放出する。それにより誤動作・起爆しては元も子もないであろう。そのため、分厚い電磁シールド(恐らく鉛のブロック)に守られている。ちなみに、アルフォンススが対策提案時に魔法の力に触れなかったのもそのため。
一方、アリスタルコスも火の玉を撃ち続けるが命中しない。
「当たらん」
『当てろ』
船長の切り返しにレムリアが無茶と感じたその時。
「当てようぜ」
相原が言ってアリスタルコスのスコープ映像がレーダ席モニタに呼び出された。
「こっちでいじる。そのまま銃を保持」
相原は言った。
レムリアは気が付いた。魔法の力はミサイルには効かなくても銃には作用する。
相原は魔法の力でプラズマガンの標的システムに割り込み、ミサイルの中、最も電波を強く出している部分に勝手に合わせ込んだ。
ロックオン表示。
「撃て」
相原が言い、アリスタルコスが反応。
火の玉が三発走り、白熱の塊がミサイル先頭部に食いつき、否、食いちぎって持ち去る。
『やったぞ』
アリスタルコス歓声。ミサイルはさながら首から上をちぎり取られた状態。失調し、ロケットモータが炎を失い、水爆を封じた金属の棺桶となって嵐のメキシコ湾に舞い落ちて行く。
『処置完了、次へ行く』
「了解」
レムリアはすかさず標的をポイントし、応じて船は大きく左方へ進路を振った。
比較的低空を、かなり遅い速度で飛ぶ一発に船が近づく。
『相原どう思う』
相原はまばたきし、小さな笑み。
「デコイです」
声ににじむ安堵。デコイとは“おとり”のこと。すなわち電子回路は持っているが、敵のレーダにわざと発見され、攻撃力を引きつけるのが仕事。レーダ電波の発信源を追いかける制御はしていない。当然爆弾も積んでいない。
『……よろしい確認した。次だ』
アルフォンススの了解を得て船は返す刀で北方へ飛ぶ。嵐の領域をくぐり抜け、珊瑚礁浮かぶ熱帯の青い海。
標的は、いた。
本物。
先ほどと同じように、船から電波を放出しながら、ミサイルの前に出る。
ミサイルが船の電波に反応して追いかけてくる。
ただし今度は先ほどと条件が違う。気流が安定しているし豪雨もない。
制御システムと電子戦をやる必要もないようだ。点火距離に到達する前にラングレヌスがアルミの弾で先頭部を潰してしまう。
するとそいつは爆発、恐らく自爆した。
空中に生じた火炎の中から、銀色の、大きな、それこそ缶詰のような代物が、カリブの青い海に落下して行く。
『あれが、あれだよ』
アルフォンススがゆっくり言った。つまり水爆本体“核の缶詰”である。平和な青い海を漂うにはあまりにも不釣り合いな巨大缶詰。
「回収はしなくて良いのですか?」
セレネが訊いた。
『しない。そんなヒマはない。追って合衆国へ座標を流しておく。次だ』
「あの」
そこでレムリアは一つの動きに気が付き、言った。
『どうした?』
「か、関係ないことかも知れませんけど」
返ってきた声の勢いにレムリアは思わず首をすくめた。今のアルフォンススには事態を、いや、地球の運命を背負った重圧からか、余計な発言を許してくれそうにない雰囲気がある。“関係ないなら言うな”と、どやしつけられてもおかしくない程。
しかし、それは彼女の杞憂であった。
『構わない。言ってくれ。要不要は私が決める』
アルフォンススは許可した。声も抑制した感じだ。
レムリアは安堵の息をついて、報告した。
「はい。先ほどのおとりミサイルですが、南米大陸の軍が感知したらしく、航空機の編隊がその海域に向かっています」
喋る途中から相原が動き、レーダスクリーンをいじる。先ほどデコイと遭遇したあたりを拡大。
アルフォンススから回答があるまで数秒。
『いやレムリア、それは重大な情報だ。連中を中心に周辺の状況をレーダで探れ』
指示されたが、その実行結果は相原が既に表示している。
ただ、その場に生じた緊急事態はレムリアが先に気付いた。
「航空機編隊に向かって四方から小型ミサイルが高速で接近中。数20。軌跡の解析より先ほど誤射された他のミサイルと確認。我々が落とせず残っていたミサイルの全弾になります」
レムリアは息を呑んだ。おとり、罠に嵌める……電気機械仕掛けでここまで見事(適切な表現かどうかは別にして)に可能なものか。
そして。
『舵手、現地急行せよ。副長、本部を経由し、我々が接近する旨通知せよ。攻撃を加えないよう政府筋を通じて依頼を回せ』
「判りました……えっ?」
セレネが反射的に答え、問い返した。それは、この船が目撃されることを予見しての措置である。このホーミングミサイルに関しては、銃撃処置する関係上、撃つ時に光学シールドを全て切るので姿を見られる。
ただ、そのような場合でも、船を第3者の目に晒すことは基本禁則。どうにかして存在を隠しておくのはもちろん、意図して開示しないのが常であるが。
『下らん秘密主義で事態の悪化は本末転倒』
「判りました。対応します」
セレネは慌てたように答え、パソコンをカチャカチャ。
その間に船はハリケーンを再々横断し、南米大陸に近い空域。
レーダが警告を発し、敵味方識別作業。
「航空機5機」
レムリアは報告した。
『了解。無用な混乱、戦闘を避けるため、光学シールドオンの上、編隊上空高度1万で待機。副長、その後は?』
アルフォンススが経過を訊いた。
「ダメです。世界中の通信回線が混乱を来している模様です。政府間のホットラインもトラフィック(通信密度)が一杯で割り込むことが出来ません」
セレネは険しい表情で言った。レムリアは反射的に自らの衛星携帯電話の液晶画面を見た。こちらも回線捕獲状態を示すアイコン表示がレベルゼロ。
「世界中パニックだからな。船長、待つよりは、と自分思いますが」
相原が言った。回答無くとも動こうというわけである。
『判った。仕方ない。我々だけで対処する』
アルフォンススが重く言った。
『攻撃してきたら仕方がない。我々は我々のなすべき事をするぞ。シュレーター、編隊に最も近いミサイルへ行け』
「了解」
ドクターは答えた。
船が狩りのハヤブサよろしく垂直降下しながらミサイルを追いかける。先ほどはミサイルを船に引き付けたが、今度は飛行編隊に引き付けられるミサイルを船で追いかける。
一発の斜め上方につけた。
『シールドオフ。そのまま船首を標的に向けておけ…』
アルフォンススが言った。船が船首を斜め下に向け、傾いた状態でピタリとミサイルを追尾。
『アリス!』
アルフォンススが叫び、同時に船外カメラ映像を無数のレーザ光が横切った。
数本がミサイルのエンジンに穴をうがった。
エンジンが爆発して黒煙を噴く。
レムリアの見ている画面に赤文字で警告。
「本船がロックオンされました。複数の航空機に赤外線で追尾されています」
報告し、同時に周辺の航空機を画面に表示する。軌跡が糸絡むように画面を走る。
「飛行編隊の標的は本船です。彼らは本船が攻撃中枢で、他のミサイルを攪乱の虚像と思っているようです」
『小さいのにでかいのが寄り添って飛べばそう思うだろう。無視する。次だ』
アルフォンススは言った。その言に対しレムリアは少し引っ掛かった。この船の能力をして、飛行編隊程度どうにでもなるのは確かだろうが、それは理解出来るが、完全無視は適切か。
すると相原が耳打ち。「それはそれで見ておいて」
画面警告に変化あり。
「発砲します」
『構うな』
「撃ちました。赤外線追尾、速力マッハ6」
言ってる間に船は次のミサイルの背後につけた。
『効率悪いなあ。こんな調子で間に合うのか?殆どは北極海近辺だろうけどよ……』
ラングレヌスがぼそっと言った。
相原がコンソール上に手指を載せ、くすぐるように動かす(そろばんの暗算の指使いであるがレムリアには判らぬ)。
「掛かり過ぎなのは確かだぜ」
腕時計に目をやり一言。
レムリアの画面は警告だらけ。
「編隊航空機が各機前後して保有ミサイル全弾を発射。ミサイル数合計30。空対空ミサイル……これは、シャハーブ2002」
読み上げる。敵味方識別装置が寄越したサンプル画像を見ると、躯体にはアラビア文字。製造したのは反合衆国の急先鋒に立つ中東産油国。
「こいつもカーン・ネットワークの産物だい。船長。まだるっこしいからミサイル借りませんか」
相原が提案したその間に再びレーザが画面を彩り、ミサイルが撃ち落とされる。
『借りる?』
「我々で介入して」
『……そういうことか』
ミサイル爆発のタイムラグを置いてアルフォンススが答えた。
「そういうことです」
『判った。シュレーター、ミサイルの制御を我々で乗っ取る。本船に引き付けよ』
「了解」
ドクターは速度を落とした。
誰もがイメージする姿形、鉛筆型をしたミサイルが次第に集合し、束になって迫ってくる。赤外線追尾式。船は光子ロケットゆえに特段ブロックしなければ赤外線も盛大に出ている。それを追ってくる。
『相原行くぞ!』
「OK。見てろよ」
相原はニタッと笑った。
シンクロ、という概念がレムリアの意識に浮かんだ。意志で干渉……それは“強く思う”動作そのものであって、ゆえにテレパシーが相原の意識を拾ったのだと判じた。
以下彼の思うまま感じたまま。核ミサイルと違い、標的回路には強力なシールドは掛かっていない。むしろ軽量化のため樹脂など非金属材料が多用されており、ニセの電気信号を放り込むのは容易。ほぼ瞬時に自分たちの意識の支配下。
二人は意のままに操り、接近してくる核ミサイルに向けて次々に解き放つ。まるで投げられた石を拾って正確に投げ返すが如し。
「編隊が核ミサイルに気付きました」
セレネが言った。
『本船が片づける。近づくなと言っておけ』
「了解」
レムリアは答えてコンソールを操作する。相手の言語が不明であるので、マイクで声だけ送ってモールスに変換させる。
電波ビーコンで送り出す。相手がレーダを働かせていれば画面にチカチカして伝わろう。
相原と船長は手分けし、時に相互に手伝い、核ミサイル群に片っ端から、しかし丁寧にシャハーブミサイルを命中させて行った。
船を中心に寄り集まった編隊の周囲で、火柱がボカボカ上がる。
核ミサイル最後の一発は燃料を使い果たし、自ら落下した。
「掃討完了」
相原は、言った。
『掃討完了確認。残弾は自爆処理』
「了解」
残ったシャハーブミサイルは編隊が自ら処理……自爆した。船が何をしていたのか理解したようだ。
レムリアのレーダ画面に輝点明滅。モールスで返されたのだと判って船に訳させる。
「編隊からモールスです。“貴船はいずこの軍なりや”」
アルフォンススはそこでふっと笑った。
『ボランティアとでも答えておけ。行くぞ、後どれだけある』
「はい。その後巡航ミサイルは全て自爆処理に成功しました。残っているのは宇宙空間を惰力飛行中のICBM群です。高度150キロ。これらを全て無力化すれば全ミサイルを処理したことになります」
セレネが言った。
『大気圏外か……よし行け。アリス、ラング、一旦戻るぞ。船外活動準備』
アルフォンススは言い、船はその舳先を天空へ向けた。
相原が傍らで息を呑む様をレムリアは見て取り、自らもその意味することに気付いてハッとした。
宇宙へ出る。
4
船が大気圏外へ出るのに、まばたきするほどの時間も掛からなかった。
正面スクリーンが真っ暗になり、レーダ表示が“宇宙モード”に切り替わり、ようやくそうだと判じた。その初見画像は船が中心に配され、囲む空間全体をグラフィック処理した3次元タイプ。カーナビゲーションでは自車が地図中心に置かれるが、それの宇宙空間版と言って良い。方位の基準の代わりに太陽の位置が示される。
その画面に反応が目一杯。
「機関停止要請!」
即座にレムリアは声を出し、シュレーターが加速レバー中立。
「一旦止めます。地球とニュートン均衡。対地速度420」
その状態は人工衛星と同じ。地球周回軌道でバランス。
そこへ大男達が戻って来た。
「どうした!」
アルフォンススが声を出し、レムリアの傍らへ。
「衛星とデブリ(ロケットの燃えかすや寿命の尽きた衛星などの「宇宙ゴミ」)があります。機関出力により衛星軌道の変化、デブリの加速による他衛星への影響が懸念されます」
レムリアはアルフォンススに報告した。
「現在機関停止中」
シュレーターが補遺。
「了解。太陽風で航行する。セイル展帆(てんぱん)」
「了解!セイル展帆」
アルフォンススが即断し、ドクターがスイッチを操作する。
アルフォンススが船長席に収まった。
「総員。船体を回転する。地球が上に来る。空間識失調(くうかんしき しっちょう)に注意せよ。INS作動、船内1G適応化制御」
「了解1G適応化制御、船体180度回転」
アルフォンススの指示にドクターが喚呼して操作する。
2つのことが同時に起こる。まず、船が地球に対しマストを向けた形、すなわち乗員に取っては頭の上に地球が来る形になる。足もとにあるべき大地が上になる。このため上下感覚の混乱……空間識失調……を起こす可能性があり注意喚起。最も、操舵室にいる限り、室内床面で重力1Gを保つように制御されるため、地球を大地ではなく天体と認識できれば問題にはならない。
そして、マストの白い帆がキラキラと輝きながら開く。四角形の帆が折り紙を広げるようにパタパタと展開し、それが終わると魔法か手品でも見ているように、薄く伸びながら周囲に広がってゆく。変な表現だが小麦粉がピザ生地になるべく引き延ばされるかのようである。
程なくカメラの視野をはみ出し、全体が鏡のように宇宙の漆黒と星のきらめきを映す。
「適応化制御および展帆完了。船内重力0.996G」
ドクターが喚呼する。これで、船はその向きを変えることにより、セイルが生み出す加速、すなわち地球から離れて行こうとする遠心力と、地球重力との釣り合いを取った。ニュートン力学的に均衡……ニュートン均衡である。
正面スクリーンに動力システムの変更を示す文字が出る。主機関はアイドリング(即応待機)となり、3枚の帆が開いた旨のCGと、各セイルの受光量数値(単位ルクス。太陽電池としての発電量から換算)が現れる。ちなみにカメラ画像でなくCGなのは撮れないから。幾ら広角に引っ張っても帆の全容を捉えることは出来ない。薄く広がった結果、その面積はサッカーコートほどもあるからだ。それを3枚使い、恒星からの粒子ビームを受け止める。その姿は船の帆というよりは、巨大な凧に船体がぶら下がっていると言った方が正しい。
星が作り出す光や放射線だけで質量トン単位の船を進めるには、これくらいの大きさが必要なのだ。
「現在セイルにより航行中」
ドクターは続けて喚呼した。エンジンは要するに巨大コイル……すなわちエレクトロニクス、電動であって、アイドリングは無音状態。
「目標補足。船速500。目標まで20キロ」
レーダが喚起の音を立て、応じてレムリアは言った。
静かな操舵室。
スクリーンには、青と白の清浄な光景と、それを包むシャボン玉のような薄膜……地球大気、及びその薄膜の遠くで輝き揺れる青緑の燐光……オーロラ。オーロラを宇宙から見たのは初めてだが、極地をリング状に囲んでおり、まるで音無く燃える魔法物質の炎環(ファイヤーサークル)のようだ。
この、彩なす光たちを、数百万度の炎の毒花が引き裂こうというのか。
乱雑なキノコ型が乱れ咲き、無秩序にしようとしているのか。
そうとはとても思われない。レムリアは首を左右に振る。今追いかけているのが核ミサイルであり、間もなくここにそれが映し出されることを信じたくない。
「寒いのか?」
相原に訊かれて「違う」と答え、歯を食いしばる。
レーダが捉え、カメラが追い、スクリーンにミサイルが映った。
大陸間弾道ミサイル。いわゆる広島型原爆の1000倍を越す破壊力を持つ、文字通り空飛ぶ地獄。
この種のミサイルは宇宙空間に飛び出すと弾頭部のみとなる。ロケットエンジンで宇宙まで送り出され、後は地球重力で目標へと落ちてゆくのだ。
船がミサイルに近づいて行く。大量死を乗せ、宇宙を漂う流線型のカプセル。
頭上には地球。
目標まで手のばせば届くほど。
「加速用意。周囲に影響を受ける衛星はないか」
アルフォンススが言った。
レムリアは自コンソールの画面を見る。ドクターが加速レバーに手をかける。
「ありません。加速可能です」
「加速、光圧シールド」
レムリアの言葉を聞き、アルフォンススが指示を出す。ドクターがレバーを押し込み、船は瞬間的に加速する。
シールドの光圧で弾頭を突き上げる。所定の地球落下軌道を大きく外れ、宇宙空間遙か彼方へと放り出される。
「弾頭速度毎秒15キロ」
レムリアは報告した。次いでセレネが軌道計算。
「地球に戻りません。このまま宇宙空間に遺棄されます」
それは成功を意味すると知る。
「こいつら基本的にはこの方法で行けそうだな」
相原が言い、レムリアは安堵には早いと言い聞かせながら頷いた。
「よし、次だ」
アルフォンススが言った。
「はい。第2目標、進路前方2千4百キロ」
今度も船が追尾する形である。ドクターが舵を操作し、航行軌道を下げて標的を追う。すなわち、視界で地球が大きく広がる。
セイルの受光量は変わらない。レムリアはふと気付く。光の量が変わらないのにどうやって速度を変える?
でも、レーダによれば距離は着実に縮んでいる。
一体どんな。
どうでもいいのかも知れないが、もやっとする。地球に仲間外れにされているような気がする。
「あのさ」
レムリアは相原の背中を指先でつんつん突いた。
「なに?」
「追うって加速してないけど?」
疑問を口にしてみる。追跡するのに加速するのでなく、地球に対し高度を下げただけでいいのか。
「ああ」
相原は言うと、腕組みして少し考え。
「今、この船は遠心力と地球重力のバランスがとれた状態で地球を周回しているんだ。だから下手に加速すると遠心力の方が強くなって軌道から飛び出してしまう」
「なるほど」
レムリアは答えた。相原は続けて。
「一方、軌道を低くとるとどうなるか。思い出してほしいのはフィギュアスケート。回転中に広げた腕を縮めると選手はどうなる?」
「早く回る……ああ、なるほど!」
「そういうこと。回転中に回転速度を上げるには、アクセルを踏むのではなく、回転速度を上げる。そのためには回転半径を縮める。すなわち、地球に向かって高度を下げる」
相原は言った。そして、だからと言って高度を落とし過ぎると地球重力に捕まって落下するとも。
レーダが反応。標的に近づいた。
「レムリア周囲状況」
「影響を与える衛星などはありません」
「よし行け」
エンジンが光を噴く。炎のように広がらない。どこまでも真っ直ぐな太い光の帯だ。
今度のは少し接触位置がずれてしまった。
弾頭がくるくる回転を始める。明らかに失敗である。
「これは一時間で大気圏に再突入します。落下地点は東南アジア」
セレネが報告。
「追尾せよ。とどめを刺す」
船長席で腕組みしてアルフォンススが指示。
「了解」
船は姿勢を変え、船尾を弾頭に向けた形で、すなわちバックするようにミサイルに接近する。
「機関光圧で吹き飛ばせ。加速10G」
指示通りドクターが操作する。エンジンが白い光を発し、死のカプセルを加速して宇宙へ放つ。
セレネが軌道を計算。
「地球には戻りません」
「よろしい。次だ」
船が軌道を変える。
以降同じことを繰り返す。馴れてくるに従い効率が上がり、短時間で処理できるようになる。一気に何とかしたい気持ちを抑えながら、地道に一つずつ潰して行く。焦って失敗したら元も子もない。
「本部から連絡です」
セレネの声に操舵室が緊張する。本部……アルゴプロジェクトの本部であり、欧州の小国コルキスに在する。
「私たちの存在がマスコミに知れました。“謎の飛行物体マイアミ沖に出現。誤射された米軍新型兵器か”」
「なにそれ!」
レムリアは怒った。
「こっちが兵器!?……冗談じゃない!私たち苦労してミサイル落としてるのに。ひょっとして私たちの方が狙われるってことですか?」
思わず怒鳴る。殺人破壊機械と同一視されるほど心外で屈辱なことは無い。殆ど反射的な情動。
対して傍らで相原が自分の剣幕に驚き、他のクルーも少なからず意外、と感じていることが判る。確かに、自分がこの船で怒りを露わにしたことは無かったと思う。
「コルキスの方から国連安保理を通じて国家間の働きかけはしているはずです。しかし私たちは今まで極秘の存在でしたからね。にわかに周知は……。私たちには事が完了次第帰還せよと言っています」(安保理:安全保障理事会の略)
セレネが冷静に応じる。少したしなめるような意を含んでいるようである。
レムリアは下唇を噛んで聞いた。脊髄反射的に応じたのは少し大人げなかった。
でも。
「怒るのは後だ。大事なのは目先の2つ。行くぞ」
アルフォンススが言った。
相原の手のひらが肩に乗り、ぽんぽんと軽く叩き、レムリアは思い直してレーダの画面に目を向ける。
今は、子どもの、時間じゃ、無い。
探すのだ。あと2つ……あと2つで地球は救われる。
このまま行ければ……相原と手分けし、西経エリアと東経エリアをそれぞれ探査。
しかし、問屋はそう簡単に地球の平和を卸してはくれないようだった。
レーダが捉え、カメラがズームした前方のミサイルは、弾頭に異変を生じた。
ピカッと光り、唐突に姿勢を崩し、弾頭部がぱっくりと割れ、中に入っていた小さいものを周辺にばらまいた。
男達に緊張が走り、敵味方識別装置が警報。
「緊急事態です。MARV分裂」
レムリアは、言った。
続いてセレネ。
「軌道が変わりました。30秒以内に大気圏へ突入します。小質量のため落下位置特定はまだ出来ません」
「弾頭分裂には早過ぎるぞ!」
声を荒げるアルフォンスス。レムリアは船外カメラの画像をプレイバック。
ピカッと光り……その正体。
「地上からレーザで撃たれたようです。対策を」
「どこからだ。愚かなことを」
アルフォンススが舌打ちした。小さくバラけてしまうと、数が増える上に標的として狙いにくくなる。
「真下なら……」
相原が言うには、座標だけなら紅の共産帝国。迎撃用の砲を作っていたと幾度となくニュースになったとか。無論、そのたびに同国の技術力と比してSFじみた荒唐無稽と一笑に付されていたが。
「何でも盗むしな」
今は違うであろう。実用に供されているレーザはこの船を筆頭に幾つか出くわした。
「まぁどうでもいい。迷っているヒマは無い。シュレーター、エンジンで子弾頭を吹き飛ばす。方向そのままで船体前後反転」
アルフォンススが指示する。
「了解」
シュレーターが応じて舵に手をする。船はくるりと前後を入れ替えて宇宙を滑る。フィギュアスケートの後進状態に似て。
すると相原。
「レーザは一発こっきりと思うな。弾頭が割れただけと判ればとどめを刺しに来る」
「了解です」
彼の注意にレムリアはテレビカメラを動かし、視野に一帯を捉え、画面のコントラストを調整した。
「今の発砲を自動回避対象に登録せよ」
アルフォンススの指示。再びレーザ光線を探知するようであれば自動的に回避するように処理せよ。
すなわち光が来るのを見たら逃げろ。光速を考えると一見無謀だが、この船はマイクロ秒ですら有効な時間に使える。
「りょうか……」
レムリアは、答える前に、一瞬早くそれと気付いた。
船のシステムでは無い。殺気に対するテレパシー。
「離脱下さい!」
「INS!全速!ついでに吹き飛ばせ!」
アルフォンススが即座に命を発し、ほんの一瞬だけ、エンジンが出力全開になる。
船は逆進状態であり、その後方から光の柱が放射され、船が前進状態に転じ、同時に地上から射られた赤い光条が到達し、双方交錯する。
すなわちエンジン全開だからこそ命中を免れたと言えた。文字通りマイクロ秒の結果である。そして同時に、アルゴ号がミサイルと判断されて撃たれ、比してあり得ない挙動で回避したことを意味した。
それが何らかの形で非・自由主義諸国に反応を惹起することは間違いないだろう。要するにミサイルでは無い、未知の“何か”が宇宙空間にいることが露見したのだ。
船の能力を持ってすれば、姿を隠せば良い話ではある。しかし、何せセイル推進中は光を帆に当てる必要があり、光圧シールドでそれを邪魔するわけにも行かぬ。
「共産諸国間の通信トラフィック急増」
セレネが報告。
「バレたか」
これは相原。
「判っている。だが後回しだ。シュレーターどうだ」
「遠い。少し任せてもらっていいか」
「了解」
アルフォンススの解を受け、シュレーターは舵を振った。応じて船は船尾をガラガラヘビのように振り回し、光が竜巻のように渦巻き拡散する。
レムリアはレーダとテレビカメラの感度を目一杯引き上げた。拡散する光がMARV子弾頭を幾らか吹き飛ばして行く。子弾頭は小型で軽いので、圧力でひしゃげて中身が…という心配は逆にない。
「これでどうだ」
シュレーターが言い、光を止める。
レーダの表示が落ち着くまで待機。
そして擾乱の収まった画面に、顔が凍り付くかとレムリアは感じた。
「ダメです!5発が大気圏に突入。あ、親弾頭もう一つが所定のコースで大気圏に入ります!」
自分の声に操舵室が緊迫するのを感じる。大量の小型核弾頭が雨あられのように地上に降り注ぐ。
放っておけば。
しかし標的が小さすぎる。とても地上に達する前に全部を発見、処理しきれそうもない。
「遅れたか……副長、全弾頭の落下地点計算まだか」
「はい。先の5発は北極海からシベリア……詳細は確定できません。後から落ちた、まだ展開していない方の弾頭は……そのままの軌道を取れば……」
セレネはキーボードを叩き、船のコンピュータとのやりとりが文字列でスクリーンに流れる。
「どうした」
「……出ました、ウラル山脈東方。未登録都市?どういうことでしょう。衛星写真を出します」
宇宙から次第にズームアップして行くスタイルで空撮が投影される。
「バイカル湖」
「その通り」
相原とアルフォンススのやりとり。バイカル湖は三日月形で、しかし日本の本州に迫るサイズ。その形と大きさはすぐ見て判る特徴。
ズームアップは湖を西方に外れ、赤い“+”と共に整然たる都市区画を表示した。
周囲には他の街や道は見えない。独裁国家の人工都市のように、荒野に忽然と存在している印象。
「イルクーツク26だ。ソ連時代の秘密都市だよ」
「は?」
アルフォンススの口にした名に相原が目を剥く。
「ミサイル基地か何か……」
「いや、もっと厄介だ」
アルフォンススは腕組みする。秘密都市、それは旧ソ連において、主として兵器の研究開発を行っていた地図に載らない非公開都市のことである。無論西側……自由主義諸国との冷戦・軍拡競争の中で生まれたものだ。
ソ連崩壊で存在が明るみになり、衛星撮影技術の発達でシラを切ることも無くなった。
「厄介……核ですか」
相原が振り返り、アルフォンススに訊いた。
アルフォンススはまっすぐに相原を見返した。
「我々の知る限り、そこは乾電池と同じような概念の、“手のひらサイズ原子炉”を開発していたようだ。ところがプラントが事故を起こして閉鎖された。同時に起きた原発事故の方しか報道されなかったがね。それ以降は核廃棄物の貯蔵場所。核のゴミ捨て場だ」
「じゃあ」
「そうだ。遮蔽なんかされていない。世界に見えないことを幸いに、ウランやらプルトニウムやらが何トンという単位でドラム缶に放り込まれたままゴロゴロしている」
そこに核爆弾が雨のように降る。
「日本に投下された原爆の核物質が1キログラムだぜ」
相原はレムリアに向けて言った。
ヒロシマで死者20万。
対して荒野の無人都市ではある。しかし、
「それだけの放射性物質ぶちまけたら地球が終わる」
相原の言にレムリアは頷いた。地球を構成する水と大気の循環システムに載ったそれは、地球表面をくまなく覆い、
すなわち生き物全てを殺す。
「防ぐ……」
レムリアが訊こうとすると、
「当たり前だ。総力を結集せよ。出来るだけの手段をとる。シュレーター、北極海の方向へ。撃ち漏らした弾頭をまず片付ける。光圧推進を許可する。人工衛星なぞ幾らでも作れる」
アルフォンススが遮って断を下した。
「了解!セイル格納」
セイルが縮む。昆虫の翅のように折り目が生じて畳み込まれ、元の四角形の板に戻る。
「セイル格納完了。INS作動。機関全速」
船は北極海へ向かった。弾頭を追い、大気圏を全速通過する。
目の覚めるような青い空。
その中を、煙の尾を引き、急速落下中の火の玉が3つ。
「これだ」
「レーザ被弾した弾頭のうち、2つは落下していません。突入角度が浅く、大気に弾かれて再度宇宙空間へ飛び去ったようです」
レムリアは言った。大気圏再突入の軌道設定は極めて微妙である旨、船のマニュアル“緊急事態対策”で読んだ記憶がある。その2つは予定外の弾頭分裂の結果、所定の軌道に入れなかったに相違ない。
「さて、こいつはどう処理すんだ?ブチ抜いていいのか?」
焦燥を感じさせるアリスタルコスの問いかけ。
「待ってくれ。デコイなら放っておいていいはずだ。調べるから近づけてくれ」
相原が言った。以下彼の認識。
最初に近づいた弾頭はデコイ。これ見よがしの電波を出して落下中。魔法の力をセイル経由で飛ばし、回路を焼き切ってしまえばデクノボー。
アルフォンススも船と連動して探査。
「後の2つはスキャンの方法が違う。実弾と断じて良い。対処する。シュレーター、自由落下で速度を合わせよ。弾頭の右横に並べ」
「了解」
途端、船が自己制御を切り離した。
全くの重力任せで落下する。INSがなければ、身体が浮き上がるところだ。
船が弾頭の横に並んだ。
「甲板に載せろ。宇宙へ放逐する。いいか、こいつらは海陸問わず下に落とすな。落とすと潰れる」
「了解」
船が弾頭をすくい上げる。甲板に黒焦げ核弾頭を載せ、そのまま一気に宇宙へ。船外の画像がシーンチェンジのように真っ暗になる。
レムリアは最大限の注意でモニタを監視。
「放り出せ!エンジン噴射」
アルフォンススは言い、自ら操舵権を執ると、ミサイルを一旦宇宙空間に投げ出した後、船の向きを変え、エンジンの光子噴射で宇宙の果てへと放逐した。
秒速20キロまで加速し、太陽系の惑星が回る軌道面とは垂直に撃ち出す。これで絶対に地球に戻ってこない。
「次!」
「舵は私が」
シュレーターに操舵権が戻り、再び一気に大気を通過。もう一発の横に並ぶ。
「もう一度同じく」
「了解」
アルフォンススが指示し、リピート作業。宇宙へ行き、弾頭を放り出し、大気圏内に戻る。
これで、残りは所定軌道をまともに落下中のMARV親弾頭1発。
「対流圏へ出てきます」
レムリアは言った。対流圏とは大気のうち、雲ができる領域のこと。
レーダに感あり。ズラリと並ぶ輝点。次第に相互離れつつ並び落ちて行く。
「来ます。すでに分裂済みです。子弾頭の数30」
その場の全員が固唾を呑む。
「相原」
「ええ」
相原が寄越した魔法の力の二人の認識。
「総員……デコイなしの全弾核だ」
アルフォンススのその声はまるで宣戦布告に聞こえた。
冬近い、シベリアの青い空の遥か高みに、それらは火の玉状態で次々と姿を現した。
「さあどうする。案はないか」
アルフォンススは問うたが空白。
その希望を感じない声。
比して黙り込むのはまずい。レムリアは咄嗟にそう思った。
「弾頭は東西100キロ超に広がって分布。次第に相互の距離を広げつつあります。最東端の弾頭は推定目標ウラジオストク。弾頭の大きさは長さ5メートル径2メートル」
以上端的な事実。何も提案できない自分が悔しい。
「1発ずつは悠長すぎるな」
ラングレヌスが言った。それは恐らく、誰もが判っていて、誰もが口にしたくなかったこと。
レムリアは歯を食いしばった。だからって悲観したところで何も事態は進まない。
「手持ちの道具を整理しよう」
アルフォンススが言った。レムリアは装備の稼働状態を表示する。まず銃器共、燃料電池水素チャージ中。船のエンジン、問題無く稼働中。光圧シールド、動作万全。ソーラセイル、先ほどの作動で特段変化や劣化なし。
「一気に片付けなくちゃいけないんだよね。一網打尽、だっけ」
レムリアは言った。日本語で確かそう表現。
そして、
「帆が網だったら、か……」
呟きながら、ポインタ矢印で画像のセイルをぐりぐりやったその時、相原の意識を天啓が貫いたとレムリアは察知した。
「レムリアそれだ!帆だ。あれを網代わりにしてミサイル引っかける!」
相原は立ち上がり、興奮した表情でレムリアを見、目を丸くした彼女の両肩を掴んで揺さぶり、次いで振り返ってアルフォンススを見た。
「川の中で魚取りの網を振り回すのと同じだ。一網打尽にできる」
「なるほど判った」
アルフォンススが頷いた。但し口調は相原とは対極に至極冷静だ。
慎重という方が的確か。
「やってみよう。シュレーター。第1セイルのみ展帆。展開度10パーセント」
「了解。第1マストセイル展開、開度10」
「光圧シールド保持せよ。機関全速!」
アルフォンススが言った。その直後。
ブザー音と共に正面スクリーンに警報。“燃料僅少”。
「えっ!?」
「あと幾らだ。正確な残量を寄越せ」
そのとんでもない警報にアルフォンススは機関担当、ラングレヌスに目をやった。
ラングレヌスがコンソールを覗き込む。
「フルスピード航行を続けるなら5分だな」
「なんで……」
レムリアは思わず、誰にとも無く文句。
「元々これが予定外だからだ。知っての通りこの船は陽電子の生産能力の関係で月に一回しか飛べない」
つまり前回の活動の後、補充された燃料……陽電子の量が不充分だったのだ。
「5分か…」
アルフォンススが少し考える。
一同は彼を見た。シュレーターは舵に手をして。
レムリアは思う。それがために核ミサイルを放置するわけには行かぬ。
「僕なら行く。カミカゼと言うなら言え」
相原が先に決意を声にした。アルフォンススは彼を見、一同を見回し、レムリアと目を合わせ、ドクターを見た。
「行け。燃料が無くなってもかまわん、全部引っかけろ」
「了解!」
待ってましたとばかりにドクターが答えてレバーを押し込む。出力がフルパワーとなり、レーダ上の輝点へ向かって船が突進する。
最初の1発目。
「高度8000」
レムリアは言った。男達は弾頭と船の状態とにそれぞれ意識を集中している。ならば周辺情報を自分が提供するまで。
「速度を落とせ」
アルフォンススが指示し、ドクターが加減速レバーを手前に引く。高速でセイルを弾頭にぶつけると潰す危険があるので、一旦速度をゆるめ、網で魚をすくうように、通過しざまにセイルに引っかける。
船体に軽いショック。
「成功」
「爆発兆候は?」
「感じられません」
「放射線」
「検出されず」
「次だ」
そのまま緩やかに加速し、次へ向かう。以降、高空を超高速で東から西へと滑りながら、ドクターの巧みな操作で弾頭を引っかける。次から次。この高度域で合計10発。
先行している弾頭を追いかけて高度を下げる。セイルに弾頭、10発の核弾頭を抱えたまま。
「第1マストセイル異常ないか」
「荷重異常検知ありますが破損の恐れはありません」
「セイル変えますか?」
「いや、ひとまとめの方が処理しやすい。そのまま使え」
「了解」
「第2群発見しました。高度6700」
その高度では弾頭3発。これで合計13。
「高度3200」
更に12発引っかける。残り5発。だが、だんだん高度が下がっているのが気がかり。
「残りは非常に拡散しています」
レムリアは言った。すなわち、各弾頭間の距離が遠い。
「一番高度の低いものから」
相原が提案。
「妥当だな。燃料は」
船が空を馳せる。燃料計の残り数値がどんどん減って行く。
まず1発。高度3000。
2発目。高度2100。
3発目。高度1300。
4発目。1000を切って870。
あと1発。
「推定点火高度まで320!」
レムリアは言った。それは爆弾の規模から予測される爆発高度。但し全てがデータベースに基づくあくまで予測値。
実際は一切不明。早く終わらせることのみが唯一確実な解決手段。
最後の弾頭までの距離はおよそ70キロ。距離そのものはすぐ縮まった。
しかし、セイルに弾頭を多量に抱えた船は、風圧、及び慣性力を抑えるために操舵性が低くなっている。つまり動きが鈍い。
空振りした。
僅かであったが接触ポイントがずれ、弾頭は帆に弾かれたようになって落下経路を変えた。
次第に低く、遠くなる。
「失敗した!」
ドクターが言った。スクリーンに遠くなって行く弾頭が映る。
「追え!」
アルフォンスス。
「INSが使えない。加速力が不足だ。無茶すると弾頭共がどうなるか」
ドクターが舵に手をして訊く。INSは操舵室を回転させるものであり、船外の物体には作用しない。
すなわち核爆弾を捨てないと船本来の性能が使えない。レムリアは気付いた。
どこへ捨てる?核物質イコール捨てるべきでは無いもの。
でもそれでは思考が止まってしまう。
逆転の発想が今こそ必要なのだと気付く。
逆。
「核爆弾を捨てられるところ……」
無意識に呟いたと気付いた刹那。
「それだレムリア!切れ!セイルを切り離せ!」
アルフォンススの声が文字通り鳴り響いた。包丁を捌く仕草に似て、手のひらで手刀を切る。
「切ってエンジンで宇宙へ飛ばせ!セイルごと捨てろ!」
「了解!」
シュレーターが即座に応じた。
僅かに口元に笑みを刻んで。
成否を論ずる段階では最早無かった。
出来るだけのことを、出来るだけ。
セイルが切り離された。
ロックが外れ、折りたたまれた帆が開き、爆弾を盛られた皿の如くとなり、自由落下を開始する。なお、マストから切り離されると開くのは飛行中の事故対策。開くことで滑空し、地上への激突を防止する。
「エンジン全開!」
アルフォンススが言う。船が加速してその皿の下方に回り込み、エンジンから真っ白な光を吹き付ける。
凄まじい加速力が爆弾の皿に印加される。その力に爆弾がひしゃげ、内容物が飛び出した。
で、あろうが。
形成された光のチューブを残像すら許さぬ加速で宇宙空間へ射出される。
放射線において特に有害かつ高速なのはガンマ線、中性子線である。対しまず、光のチューブは高密度の光子で構成されており、ガンマ線成分も含有する。いわば“毒をもって毒を制す”状態である。一方セイルは中性子線も遮蔽する。そもそもそうした高速粒子を受け止めて推進力とする構造である。
「放射線計測」
画面出してある。レムリアが読み上げようとしたら赤文字。
「ガンマ線カウンタに変動あり」
「有意か」
「判りません。中性子は検出されず」
生物・医学サイドの側から、遠くまで届き、なおかつ危険なのはまずこの2つと聞いている。ちなみにこれらは生物の遺伝子を破壊または改変するため、大量に浴びれば即死する。
「相原どう思う」
アルフォンススが尋ねる。
急に話を振られて彼は困るのではないか、と、思ったが、
「出たかどうかはどうでもいい。今幾らで、続いているのか止まったか、だ。環境基準値と比較したい。積算値がモニタできるか」
レムリアは画面をタッチした。
「0.7……えむえすぶい?」
「スラッシュの後ろは」
「h」
「みりしーべると・ぱー・あわー(mSv/h)だよ。船長問題無い。その後の変化は」
「減少」
「なら爆弾本体による影響は無くなった。爆弾本体の現在位置は」
「大気圏外12万キロ位置」
レムリアの報告を受け、
「了解行け。最後だ」
アルフォンススが宣した。
最後。取りこぼした1発、最後の1発を捕らえに行く。
高度550メートル。
「予測爆発高度」
「構うな突っ込め!」
アルフォンススが叫ぶ。スクリーンに弾頭が現れる。見る間に接近する。
「第2マストセイル展開」
切り落とした船首寄りのセイルに代わり、船体中央のマスト、最も大きなセイルを使う。
セイルを開く。
網が広がり速度が落ちる。空気抵抗である。
船が揺らぐ。INSが動き、そして切れる。
弾頭が近づく。
画面に警報。
「点火回路作動!」
すなわち、原爆が作動。
レムリアは、目の前の画面で、船のコンピュータが、アニメーションを表示するのを見た。
残2秒。
間に合わない……。
同じ画面を相原も見ていると知った。
ただ、彼は諦めていなかった。
ヘッドセットを装着し、操舵権を確保。
「なにっ?」
シュレーターが自分達を見た。
相原の脳波思考と船のコンピュータが連携し、連動制御が掛かり、弾頭の下に船が回り込んだ。
帆を広げて針路行く先に立ちふさがる。
「相原無茶だ!」
アルフォンススが叫んだ。
耳孔のイヤホンマイクに手をしたのは、相原の操舵権を解除しようとしたのかも知れぬ。
しかし、相原は船長権限で御していた。
船が突っ込んだ。
セイルが弾頭と正面衝突した。
弾頭がひしゃげる。セイルがゴム膜のように広がって包み、
捕らえる。
1秒。
−バック転だ!
「踊れアルゴ!」
相原が、叫んだ。
船がセイルを切り離した。
0.8秒。
そして同時に、船はその場でくるりと宙返りした。
切り離したセイルに一瞬で船尾を向ける。
それは、サッカーの同様なシュート動作を思わせた。中空のボールを宙返りしながら蹴る奴だ。オーバーヘッドキック。
0.3秒。
エンジン全開。
この時船首は地上を向いており、船尾カメラはエンジンの光束で一面の白銀に包まれたので、実際に何が起こったのかは、すなわち水爆が火を噴いたのかどうかは判らぬ。
1つ確かなのは、傍目には船から一筋の光条が宇宙へ向かって打ち上げられたように見えた、ということ。
宗教画で聖なる降臨は天から光が差してくる。スポットライトのように描かれる。
比して逆。地上から遙か宇宙へ光が突き上がった。
船が動き出したと感じた時、レムリアは自分が別の世界に生まれ変わったような気がした。
そう確かに船はエンジン全開なりの推力で地上へ向けて突進し、世界一深い湖、バイカルに頭から突っ込んだ。
派手な噴水のように、水柱が高々と、キロメートルのオーダで上がった。
5
ゆっくりと揺れている認識があった。
ハンモックで昼寝をしているイメージだ。
しかし、そんな経験は無いことに気付いて彼女は目を醒ます。
身体動かそうとして拘束されている。椅子の両サイドから自分の両肩を掴むようにパイプで出来たアームが生えている。船内であり、衝撃吸収機構が働いたのだと判断できる。
頭がガンガン痛い。コンソールの画面にロック解除のボタンが表示されていて、タッチするとアームが外れて引っ込んだ。頭の痛い部位に手をするとタンコブができている。振り回されたせいであろう、椅子に後頭部をしたたかぶつけたらしいと判る。ただ、出血までは確認できない。
多少めまいがあるので、椅子につかまり立ちして操舵室内を見回す。クルーは船長ら大男も含め失神状態。拘束アームは保護装置であり、船体に強い衝撃が加わった証左。屈強な彼らでも、脳から血が抜けるような事態が生じれば失神もする。
頭(かぶり)を振ってめまいを払う。
「ねぇ」
傍らの相原を揺さぶる。ヘッドセットが外れており、掛かった力の一端が推測される。
果たして相原は目を開く。
「よう、天使さん」
それは2度目に彼に会った際、彼が言った言葉。意識朦朧状態の時、天から下りてきた船に乗っていた魔法少女。結果、天使として記憶されていたという。
「うー頭いて」
「大丈夫?」
レムリアが拘束を解除すると、相原はこめかみに手をし、ヘッドセットに目をやり、思い出したように画面を操作した。
「生きとるな」
「はい。天国じゃないよ」
「必要な確認をやっておく。みんなを起こしてくれ」
「はい」
相原が画面をポンポンしている間にレムリアは動いた。ひな壇を上がり船長を起こしに行く。
だが、声を掛ける前に船長アルフォンススは目を開けた。
「状況は」
しかめた顔が辛そう。
「現在バイカル湖上。バイカリスク沖真方位22度距離28キロ程度。機関緊急停止状態で再起動要求待ち。主機関正常、GMサイクル正常、電源正常。ソーラセイル第1・第2喪失。船の躯体(くたい)損傷無し。防御・ステルス問題なし。銃器類は状況確認できず」
相原が船の現状について画面表示を読み上げた。
「核は……レムリアありがとう。副長を起こしてやってくれ」
「はい」
レムリアがひな壇を降りる間に相原が画面を操作。セレネは物憂げに身を起こす。
「当船検出機構ではアルファ、ベータ、ガンマ各線、硬軟エックス線、中性子線確認されず。探知範囲拡大中。宇宙軌道上の各衛星と交信中。ガンマ線検出実測無し」
相原が言った。正面スクリーンを文字列が下から上へスクロールし、衛星の観測データと思しき数値が流れる。
「全地球規模確認。放射線数値の異常は確認されません。核種同定作業不能。核爆発は防げたものと判断します」
相原は椅子を回して振り返り、言った。
「ホント?」
レムリアは双子の巨漢を起こす作業を中断して尋ねた。
「ホント」
相原は答える。レムリアは笑みを浮かべる。
「ホントのホントに?」
「ホントのホントに」
「良かった」
レムリアは言い、両の手を叩いてパチンと言わせた。これは、彼女が本当に嬉しい時に見せる仕草。
そして、その音に双子の巨漢が揃って目を醒ます。
「あ、アリス、ラング……」
「説明なら要らねーよ。失敗したらそんな顔してねーだろ。ここはどこだ」
「バイカル湖にプカプカ浮いてる」
相原が船首カメラ画像を正面スクリーンに映して見せる。失われた第2マストの画像は真っ黒。
レムリアはその間にシュレーターを揺すって起こす。
「ミッション・コンプリート、です」
博士のシワが心持ち温和になる。
「そうか。船長、帰るかい?アリス、燃料残は」
シュレーターは訊いた。
「コンマ15(千分の15)」
アリスタルコス。
「ならコルキスまでは持つな」
「待って下さい相原さんを東京へ」
レムリアは割って入った。
「ああそうだな。総員、主機関再起動する」
シュレーターがコンソールのボタンに手をする。
「了解」
クルーが各々応じた、その時。
『ロックオン検出』
各自のイヤホンがピピッと緊急の連打音を立て、画面に赤文字が走り、コンピュータが合成音声でそう告げた。
CG表示の画像に曰く、上空にヘリコプターがあり、レーダでスキャンしており、船にターゲットを合わせた上で湖岸と何やら通信している。
「露軍か」
大男二名が腰を浮かせる。「待って下さい」とセレネが制した。
「露軍より入電。モールスです。国籍を問い警告を発しています。解読を読み上げます。不審船に警告する。貴殿は今般核戦争惹起の疑義により多国籍軍による破壊命令が出ている。1分以内に我が軍に投降の意志を示さない場合、M・T・Lにより破壊する。船長、MTLとは」
セレネは背後船長に顔を向けて訊いた。
「ミラー・トラッキング・レーザだ。ヘリコで定めた標的めがけて宇宙からレーザ光線が降ってくる。シュレーター。操舵権を寄越せ」
「アイ」(アイアイサーの略)
シュレーターは舵から手を放した。
対しアルフォンススが自らのコンソールに手をした。そこにも舵があって操船できる。
彼らの会話をレムリアは目で追うようにして聞いていた。
多国籍軍。湾岸戦争(1991年)は生まれる前だが豊富な動画で見知っている。そこで構成された合衆国主導の自由主義諸国合同軍だ。圧倒的な火力でイラクをクウェートから追い散らした。巡航ミサイルトマホークの実戦使用を初めて見た戦役である。相原が言うには「飯食いながら戦争の生中継を見るとは思わなかった」。
それが、今度は、自分達を、狙っている?
何故。
「私たち、核ミサイル全部落として、その騒ぎを起こした犯人として狙われているということですか?放火した消防士だって」
状況を整理するとそうなる。
画面に文字。今度はコルキスの本部からメール。
「本部です。私達は狙われています。すぐにその場を離れよ」
「火を消した、とすら見られて無いかもな」
レムリアのたとえを受けて皮肉っぽくアルフォンススが言った。
セレネがメール本文を表示する。
『多国籍軍は今回のミサイル誤射の首謀者、核テロリストとして、カリブ海で目撃された“幽霊船”の発見破壊を命令した。これは多国籍軍の指揮を執る合衆国の主張によるもので、彼らは根拠として一ヶ月前にT島の医療施設を破壊した“幽霊船”を挙げている。我々はかかる事態に政府筋を通じて多国籍軍側に状況説明を行い、T島事件の実態と共に国連経由で参加各国に働きかけを行っている最中である』
「突如全世界が敵か」
ラングレヌス。
「投降する……んですか?」
レムリアは弱気になって訊いた。根本(こんぽん)、何故こちらがホールドアップなのだ。
しかし、仮に対抗するにしても、幾ら超高速アルゴ号とはいえ、多国籍軍相手に立ち回れるものだろうか。千だの万だの秒単位で降ってくる銃砲弾全て回避できるのか。
また、仮に投降するにしても、相手は“多国籍軍”の一角とは言え、普段は核ミサイルで合衆国と対峙している側になる。
そんな国に身を、この船を委ねる。或いは刃向かう。
「オレの頭はココムのままで止まっててな」
アルフォンススは言った。
応じてニヤッと笑ったのが相原。
「同意。どこまで本当でどこまでダマシか。虜囚になっても素直に返してもらえる保障はねぇ。シベリアに抑留は温暖化しててもゴメン被る。何せ露国は……」
紅の共産帝国と友好関係。
彼は八重歯をキバのように見せて言うと、説明を意志で飛ばして寄越した。要するにテレパシーで読み取れ。
曰く、空飛ぶ船で核対戦能力を有していると恐らく露見しており、囚われになるにせよ殺されるにせよ船体は奪われて軍事転用されるに違いない。ちなみにココム(COCOM)とは、対共産圏輸出統制委員会……冷戦時代に自由主義諸国が共産主義諸国への技術流出を阻止するため行っていた輸出管理の仕組みだ。ソビエト崩壊で有名無実となり廃止されたが、アルフォンススの物言い……ココムのまま……は、すなわち露国は当時と変わらず信用しないと解釈できる。
そして相原も同意、と。先ほど宇宙でレーザに撃たれたが、それが予想通り紅の共産帝国なら、この目的は船の簒奪。
従って、投降などしない。レムリアがそう理解した時、敵味方識別装置が反応した。
スクリーンに警告文字が現れ、画面が勝手に切り替わり、ズームアップがかかる。
衛星写真であり、自船と思しき湖上の船影と、沿岸に居並ぶ特殊車両。
その形状。
「沿岸、露軍戦車隊を検出」
レムリアは報告した。
「撃たれるか」
「いえ……再び電文です。湖上の帆船に告ぐ。貴君らは今回のミサイル誤射事件の容疑者として、国連の名において組織された多国籍軍の命により、我が軍が身柄を拘束する。身柄と不服申し立てにおいては国際法に則り処理する。ただちに投降せよ。諸君らの能力は把握されている。無駄な抵抗を避けよ。意思表示無き場合……」
「罠だ!INS!」
船長アルフォンススが言い、自コンソールでボタンを押した。
船が駆け出すのと、天から光の矢が降ってくるのは同時であった。
ただ、ただ僅かに数瞬だけ、船の方がそこを離れるのが早かった。
バイカルに光の柱が立て続けに突き刺さる。
グリーンの光条であり、まるで電信柱の如き太さである。雲上に神が居て、めがけて投げたというのが自然なほど。そして光条に射られた水面は爆発的に反応し、白煙を上げる。高熱で蒸発あろうか。
「MTLか?」
ラングレヌスが問う。船はバイカルの湖面を右に左に身をひねって飛ぶ。その航跡を僅かに遅れて光条が突き刺して行く。
「そうだ」
「早すぎる」
「衛星の角度をひねるだけだ」
アルフォンススは舵を切りながら答えた。
解説を加える。ミラートラッキングレーザ。人工衛星で生成したレーザを別の鏡衛星で反射させて遠隔地に撃ち込む。レーザのルートは同時に3本形成され、命中精度と光線強度を上げている。つまり3箇所から同時に撃たれる状況に同じ。そして宇宙空間からの照準であるので、衛星の鏡の角度を変えるだけで地上標的を追尾可能。これは宇宙船から地球を見た時、数百・数千キロを一度に見渡せることからも想像されよう。要するに船の速力のゆえに照準システムが追いつけず、命中していないだけ。
速力を落とせばアウト。
ただし、速度出し続ければ燃料は急減。実際残量警告表示が点滅している。飛行可能時間カウントは3桁の秒数だ。
だから大げさに飛ばずに瞬間的な変化で湖上を逃げ続けているのだ。レムリアは知った。
識別装置警報。
「戦車隊発砲します。多方面よりミグ戦闘機編隊。索敵レーダ波多数検知」
つまり囲まれた。
「バイカルに閉じ込める気だぞ」
「出るぞ」
「だめ!」
レムリアは慄然として叫んだ。湖水なら水の蒸発で事は済むが、陸域に上がれば周囲が巻き添えになる。確かに多く原野であり無人境ではある。が、ならいいという問題では無い。山火事になるだろうし……原野の下に無尽蔵と言われる天然ガスに何かあったら。
船が逃げると地球がメチャクチャになる。
地球が、人質。
レムリアはアルフォンススを見た。
「シュレーター任せて良いか」
アルフォンススは小さく頷き、シュレーターに問うた。操舵権のことだと判った。
「おうよ」
自分ならどうするだろう。バイカルに潜るか。
「委譲」
「授権」
果たして。
「宇宙へ。光条軌跡逆探知せよ。これだけ撃たれりゃサンプル充分だろう。衛星を落とす。レムリア」
「はい」
攻撃対処、反撃、被攻撃手段選択指向性エネルギ兵器、種類レーザ光……タッチすると、船のカメラが捕らえた光条の動画から入射角を割り出し、レーザの特性と地球の自転速度に基づいて鏡衛星の位置を逆算。
更にその時刻その位置にいる衛星をデータベースに照会。
「燃料残は大気内制限全速で2分」
アリスタルコス。大気内全速とは秒速3000キロ。それで今ギリギリ命中を逃れている。
そして、一瞬で宇宙空間。
「地球とニュートン均衡」
レムリアは出てきた文字を読んだ。情報を多く提供する。今の自分にはそれしか出来ない。
船のコンピュータが解析を終え、画面にMTLシステムの構成を表示する。それは地球を周回するGPS衛星のうち24基、および地球−月間ラグランジュポイントに配された宇宙砲台とで構成されていた。GPS衛星自体が鏡を持っているという。そもそもGPSは兵器の照準や航空機・船舶の位置把握用。軍事用の機能を複合して持たされていてもおかしくはない。むしろそれで普通。ただ、GPS衛星であれば、この軍事衝突の危機の最中で打ち落とすわけに行くまい。多国籍軍に含まれない独裁国家がここぞとばかり行動する可能性はあり得るからだ。
ちなみにMTLの概念はSDI(戦略防衛構想)として合衆国が計画していたものだ。20世紀後半、冷戦時代の話である。しかし、当時の技術で高出力のレーザを射出する衛星の製造、或いは地上からの光条を反射誘導するなどは絵空事に等しく、特撮映画なみの馬鹿げた話と酷評された。時の国防部門も応じて提案を引き下げたわけだが、それはフェイクであって、実際には将来の実現を念頭に周辺技術から固めていったと考えられる。高精度な衛星写真の取得は地上目標に正確に光学機器を向けることであるし、GPSは位置を把握する技術。そして、レーザ自体も小型かつ高出力化され、衛星サイズと太陽電池で所定の能力が得られるようになった。
「宇宙望遠鏡そっくりだなこいつ」
合成CGの砲台を見て相原が言った。宇宙望遠鏡、例えばハッブル鏡が知られるが、望遠鏡の鏡筒と砲身は形状がほぼ一緒。そして、宇宙望遠鏡の撮影は、地球を巡る軌道に浮いたまま、千万億万光年彼方の天体に正確にピントを合わせること。
なお、ラグランジュポイントとは、地球周辺で月や太陽との重力が等しく働き、結果地球に対し一定の距離で浮いていられる場所。発見者の名にちなむ。
識別装置に感。
「探知されました」
レムリアは言った。よく考えたら宇宙では船体を隠す場所が無いではないか。
透過シールド?それは船から光を発して実現する。
その発した光を探知したり、アルゴ号船体が衛星間を結ぶ通信を遮ったり、探知される可能性は幾らでもある。それに、燃料が少ない状態で燃料使って身を隠し続けるには限界がある。
「L点(スペルLagrangian pointより)の砲を撃つ。第3マストセイル展開せよ」
アルフォンススは、言った。反射衛星では無くレーザ衛星、宇宙砲台そのものを破壊する。
地球−月間L点は月にほど近い位置にある。従い、宇宙空間を跳躍することになる。
「まず撃たせろ。その際発射点を逆探知せよ。INS準備」
「はい」
「了解」
レムリアとシュレーターが相次いで答えた。38万キロ彼方の人工衛星に向かって船体を真っ直ぐ突っ込ませるのはかなり困難であろう。砲台から地球軌道上への打ち込みは相互が常に通信し、正確な位置情報を持っているから可能なのだ。
一発撃たれる。セイルに穴が開く。そもそもが恒星からの光線や粒子線を受けて進むための帆であるが、どうやら桁違いに大きなエネルギを有しているようだ。
「逆探知、座標設定」
「光速(ライトスピード)、ターンアラウンドしつつ接近」
「ライトスピード」
シュレーターが、加速レバーを、押し倒した。
ライトスピード。すなわちこの船の宇宙空間で許容される最高速度 。
光子ロケットエンジンのもたらすそれは実に光速の99.75%。その能力を持って、最高速度をライトスピードとしている。
但し加速に幾らかの時間を要するため、そもそもが光速で1秒を要する地球−月間ではそこまでは到達しない。
10秒ほど掛けて加速と減速。その間、最高速度は秒速6万キロほどに達した。
そして、視界に宇宙砲台。
「本船を探知。撃ってきます」
「直ちに反転しエンジン光圧でL点からはじき出せ」
その瞬間。
宇宙砲台はレーザ機関砲と化した。
骨だけになった傘が回転しているように見えた。
骨に見えたのは個々のレーザ光条であった。
砲台各所に配された“砲口”から、四方八方に降り注いでいるのであった。
光条はらせんを描きながら一散に降り注いだ。
もちろん、光速の挙動であって、肉眼で個々のビームまで把握できるものではない。レムリアの超常の視覚の故に一瞬が切り取られ、認識できた光景であった。
船の回避システムが自動対応し、船体を前転させながら砲台の背後に回り込む。宇宙空間で“でんぐり返し”。
「ロックオン、迎撃されます」
「帆を切れ。おとりにして撃たせろ」
「予備動力が……」
最後の一枚である。切り落とせば予備はない。燃料僅かの主機関のみ。
「光圧シールドは……」
「燃料の無駄」
レムリアの疑問を相原が払った。
議論の時間は無かった。
帆を、切り捨てる。
砲台の迎撃システムが帆を照準し、帆が穴だらけになって行く。まるで無数のイナゴに食い尽くされるイネ科の葉である。
その間に船はエンジン光圧で砲台をその場から押しのけ、砲台の姿勢制御スラスタ(推進装置)の幾つかを破壊した。
「砲台と衛星間の通信途絶」
その瞬間。敵味方識別装置が警告。
「何だと?他にあるのか?」
「別の衛星間通信システムが起動しました。自由主義側のものではありません。待っていたように思われます」
レムリアが答え、セレネが補足する。
「複数の衛星が同期しながら位置移動しています。チェスの陣形を整えるようなものかと」
「本船か?」
「探知は受けていません。本船を破壊する目的とは思われません」
レムリアは自画面を見て答え、次いで、それら複数の衛星が地球へ向けてレーザー光線を出している旨の解析結果を受け取った。
「照準用と見られます。何か地球上の目標を示しています」
「衛星に近づけ。詳細を分析し、必要であれば破壊せよ」
船は地球へ向け取って返す。十数秒がもどかしい。
「船長、全数破壊するには燃料が不足だ」
ラングレヌス。
一方、地球に近づいたことより、衛星が発しているレーザビームがどこに向けられているかが見えてきた。
「東京」
「なんだぁ?」
相原の顔が猛る獅子の如くと化したのをレムリアは覚えている。
「全速!」
アルフォンススの声に船は流星と化す。
(承前)
6
東京・秋葉原(あきはばら)。
買い物客で賑わう“電気の街”も、今日ばかりは厳戒体制下に置かれていた。
言うまでもない、“武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律”俗に言う“有事”の措置だ。
ここ秋葉原では、街を東西に横切るJR総武(そうぶ)線の高架下にバリケードが設置され、陸上自衛隊と在日合衆国軍の兵士が居並び、さながら威嚇のようだ。片側三車線である国道17号道路は、中央寄りが非常用に確保され、一般車は両脇に寄せられている。足止めを喰らった人々はビル等建物の出入り口に集められ、手に手に携帯端末をいじったり、街頭動画のニュースを見たり。
夕刻近く。
居並ぶ迷彩服が色めき立って動き出した。
高架下バリケードに配置されていた戦車が動き、砲塔をヘビの頭のように持ち上げ、
いきなり発砲する。
轟音は商業ビルの谷間を反響しながら駆け回り、当然、幾らかパニックを惹起した。人々が逃げ惑い、警官や自衛隊員らが近場のビルへ入るよう指示する。
砲弾の行く先には、青みの残る空を飛ぶ白銀の光球があった。
砲弾は光球を狙ったと見られる。しかし、光球は突如意志持て動き、砲弾は虚しく行き過ぎ、東京湾の水柱と化した。
白銀の光球は言うまでも無くアルゴ号である。その船内。
「砲弾はどこへ落ちた。種類は。劣化ウラン弾じゃあるまいな」
「東京湾内。通常弾頭です」
相原の問いにセレネが答えた。そして、
「合衆国の通信傍受。本船に対し最大限の迎撃指令」
セレネが報告。
「了解。近づくのは待て。流れ弾が東京に落ちる」
「衛星群の役割が判りました……」
コンピュータの解析が出たのでレムリアは読み上げた。各衛星は赤外線レーザを地上標的に伸ばしている。
そして、12の標的レーザが示す位置を線で結ぶと、今は円を描いているが、その円は次第に縮まってきている。その円が縮まれば1点に収斂する。そこが標的。
「秋葉原駅」
「アキバ?皇居でも国会でも東京駅でもなく?」
相原が問う。
「今の砲弾軌道を逆算すると秋葉原になる。合衆国も捉えようって腹だろ」
「衛星が12ってのが判らん。帝国のは地上砲台だろう?合衆国は複数から同時発砲だから多重化って理解出来るが……なぁ、これレーザじゃないんじゃないのか?」
攻撃警報。
「本船照準、米軍です。東京湾イージス反応。パトリオット撃たれます。都内千代田区、千葉習志野(ならしの)、神奈川横須賀。PAC3」
パトリオット……つまり迎撃ミサイルで撃たれる。
「全弾回避せよ」
「アイ」
マイクロ秒で即応するアルゴ号にとって、システムのミサイル自体の回避は不可能な行動では無かった。特にPAC3以降の機種は体当たりしてくるので、寸前で僅かに動いて命中を避ければ事足りる。
ただ、回避行動は燃料をそれなりに使った。
「米軍、自衛隊とも全弾撃ち尽くしました」
「燃料15秒」
その時。
「J−ALERT(じぇいあらーと)作動!」
レムリアは出てきた赤文字を読み、何?と相原に目で訊いた。イージスが対艦防衛、パトリオットが対ミサイル迎撃システム、両システムが連携しており、PAC3はパトリオットの進化形である、旨はこの連中と付き合ってきて知っている。
J某は初見。
「日本にミサイルが撃ち込まれるってこった。どこだ」
相原の声は怖い位に落ち着いていた。
「先軍主義国家より発射を確認、初期軌道より東京……です30秒」
「米軍、自衛隊がパニックになっています。本船に撃ち尽くし迎撃できません」
「それを待ってたんだろ。ミサイルに突っ込め」
アルフォンススの指示。しかし。
「レーダに反応しません。赤外線検出せず。ミサイルを探知できません」
自分の発言に船内の男達が一斉に自分を見たと判る。
「ステルスかよ」
相原。
「本当か。あの国の技術力でステルスミサイル持てるわけが……」
アルフォンススが唇を噛む。
「燃料無くなります!」
「衛星照準秋葉原駅に合焦まで10秒……」
レムリアは気付いた。
「衛星照準に合わせて高温域が移動中」
「テレパス!」
アルフォンススのその言葉。テレパシーで何か判ることは無いか。
一度に起きた複数事態に対しての彼なりの冷静な判断か、苦肉の策か、それは判らぬ。
ただ、さび付いていたネジが回るような感覚と共に、超常の能力は働いた。
殺気に対するテレパシー。
それは、この船と言わず、自分が背負った能力ゆえの人生原点。
ここで使わずいつ使う。
まず状況を整理する。ミサイルが東京を狙い、そのミサイルの位置が判らず、共産帝国の衛星も東京を狙っている。
「太陽だ……衛星の狙いは鏡の反射を集めて高温地獄だ」
相原が言った。
次に、共産帝国がこの機に乗じて日本や合衆国の国土・軍隊にダメージを与えようという意図は明らかと見て良い。一方、PAC3枯渇のタイミングを狙って先軍国家がミサイルを撃ったのも確かであろう。
共産帝国はアルゴ号の存在を知っている。多国籍軍に敵視されていることも。
共産帝国と先軍国家に連携があったかどうかは判らぬ。後者が尻馬に乗っただけかも知れぬ。ただ、両者は(露国も含めてだが)同盟関係にある。先軍国家への国連制裁を共産帝国が拒否権で遮ったことも幾度か。
レムリアはそこまで察知すると、自らの理解に頷き、自分の提案を口にした。
天啓、であった。
「船を、秋葉原へ」
振り返り宣する彼女に異を唱える者は誰も無かった。
「了解」
秋葉原の総武線バリケードより南側、神田川を跨ぐ万世橋(まんせいばし)の交差点にアルゴ号は船体を降ろした。
降下爆風に合衆国と自衛隊が一旦待避。
「私が見ます。銃のスコープだけ貸して下さい」
「ほらよ」
レムリアは言い、アリスタルコスからゴーグルによく似た形のスコープ部分だけ受け取り、操舵室を出た。
舷側通路を歩いて甲板へ出る。
サイレンと、屋内退避を呼びかける間延びした放送音声。防災無線がある旨相原から聞いたことがある。
空を見上げる。赤みと黄色みが交差する空の真上はまだ青い。
しかし、レムリアは、超常の視覚の故に、その存在を捉える。
青く、塗られた、木製のミサイル弾頭。
電子的探査装置に対し、テクノロジーで対応したものでなく。
スコープを双眼鏡のようにあてがい、ミサイルに目を向ける。
視線測距焦点。
『船のコンピュータが認識した。これじゃ判らんぜ』
ある意味感嘆を含んだアルフォンススの声を聞いたその時。
一発の銃声と共に脇腹を灼熱が突き抜ける。
『レムリアっ!』
悲鳴に近い彼の声が聞こえ、急速に意識が遠のき始める。撃たれたのだ、ということはおぼろげながら判った。
ただ、痛みとか苦しみを感じない。
死ぬのかな。
視界がぐるぐる回り、船体や、青空や、兵士達の迷彩服が、モノクロのザラザラした様相に変わって行き、あらゆる物音を暴風のような耳鳴りが圧してかき消して行く。
びょうと音と立てて風が舞い、髪の毛が視界を踊る。自分が立っていたはずの甲板や、舷側のロープが遠ざかる。
受け止められる感覚と……はんてんの袖口。
いいぞ行け!
相原の、声だとは判った。
イヤホン越しか、耳のそばかは判らぬ。
暴風があり、船が踊って船尾を天に向けた状態で逆立ちした。
強烈な照明が幾つも照らしてきたようであった。
秋葉原周辺が目を射る白光に覆われる。
複数の衛星が太陽光を反射し、この秋葉原に集めたのであった。
合衆国・自衛隊同盟軍が緊急待避。その旨の無線通信。
その時。
船は船尾のリフレクションプレートを開いた。
超絶の推進力を発するパラボラアンテナ型反射板を開いた。
鏡衛星で集められた太陽光線はプレートで反射され、
木製ミサイルを射貫いて火の玉に変える。
続いて船は尻振るように船尾を動かし、太陽光を鏡衛星へ撃ち返した。
日中なお見える恒星のような白光が蒼穹のそこここで明滅する。
秋葉原が通常の昼光を取り戻す。
共産帝国気付きました。別衛星で標的本船。レーザ光で攻撃されます。
引きつけ役ご苦労さん。行きがけの駄賃に死人に口なしってか。そっくりそのまま弾き返せ。
宇宙空間で船を射たレーザ砲台のビームが、今度は衛星で反射されて地上へ降ってきた。
リフレクションプレートは、再び、それをそのまま撃ち返した。
レーザ光が通ってきた軌道を逆行する。衛星で逆に反射され、共産帝国の砲台へ。
そして、船は、倒れた。
全てを使い果たして、どうと音を立て、国道17号に横たわった。
軍靴の音が乱れ、遠巻きの兵士達が銃を手に駆け寄ろうとし、自衛隊員がすぐそれと気付いた。
「貴殿日本人か」
相原のはんてんを見ての問いかけであった。
「はい。あ、“武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律”に伴う対応ですね、ご苦労様です。北のミサイルはご覧の通り我々が処分しました。そして見ての通り彼女はケガをしている。どうか我々への攻撃は容赦願いたい」
相原の言に、自衛官は迷彩服群に手をして制した。
共産帝国無線沈黙。
本部です。多国籍軍が共産帝国砲台破壊を探知。これをもって攻撃解除を呼びかけます。
「(何故撃たない。ジャップの事なかれ主義にも程がある)」
アフリカ系と思しき兵士の罵声。
「(少女がケガをしているのが判らぬか。保護優先だ。不穏な動きがあったら撃っても良い)」
歩み寄る軍靴と、覗き込む迷彩服。
視界傍らに別の銃口。
「貴殿、名前と身分は」
「相原学。鎌倉宇宙システム株式会社勤務。身分照会はそっちに訊いて欲しい。それより……」
「衛生要員!」
「ここに待機しております。ああ、これは」
赤十字の腕章を付けた隊員が傍らに腰を下ろし、衣服をいじられる。
衣服が濡れている感触がある。自分の血液、ということか。
やりとりに合衆国軍隊からクレーム。
「(待て。JSDFの勝手な行動は許さない。そいつらには本国……ステーツ……から逮捕命令が出ている。本国の法に則り裁判を受けさせる)」
JSDFとは自衛隊のこと。
「(その命令は大統領殿ですか?)」
場違いとも言える冴えた女声に、銃口が一斉に反応し、向けられた。
自分の身を越えて伸びる影は、風に舞うヴェールを纏う。
セレネであった。
「(貴国の安保理命令違反は許せません)」
ヴェールの傍らに、硬質で機械的な影が併存。
レーザガン。
「(撃て!)」
誰とも知れぬ命令が走り、赤十字とはんてんが自分をかばい、覆い被さる。
銃声と、同じ数の跳弾の甲高いパルスが響く。
セレネに何も無いことはテレパシーを駆使するまでも無かった。
「(ニンジャだ)」
そのとんちんかんな感想に、何があったかレムリアは知った。セレネはレーザガンで撃ったのではなく、弾丸の悉くを銃身で弾き返したのだ。その結果、ここが日本であり、相原の服装も手伝っていよう、セレネの超人反応を忍者と見たのだ。
面白がっている自分を認識する。出血は多いものの、止血処理され横たわっているせいで脳への血流が確保できているのだろう。少し落ち着いて事態を把握している。
「(多国籍軍を通じてわたくしたちの捕縛命令が出たのは確かです。しかし、生死を問わず逮捕せよとは国連を装った貴国議員の勝手な指令)」
セレネは言い、指をパチンと鳴らした。
『……これで例の船が正義の味方気取りで出てくるだろう。MTLで焼き殺せ』
船がラウドスピーカーで音を出す。言わずもがな盗聴の録音である。そして、
「(ヘルムズ・J……この声の主です)」
セレネの言葉に、かの国の放送禁止用語に相当する四文字語と共に銃を放り出したのは、ジャップとのたまったアフリカ系兵士。
ヘルムズ・J。相原が船長代理として乗り組んだミッションにおいて、アルゴ号は同人が運営していた有色人種専門の生物化学兵器研究所を破壊した。
合衆国の負の側面最たる所、人種差別。
それでも、否、それゆえに一定の支持があるのであり、応じて同人は上院議員であり、当然極右であることから、政権・軍部に応じた人脈を有する。
「(私たちに存在してもらっては困るのでしょう。だからって貴国の存亡に関わるような大がかりな罠を仕掛けるのはどうかと思いますが。それとも自国に害は無いという算段があったのでしょうか)」
「(上院議員殿の研究所を破壊しておいて何を言う!)」
合衆国側の小隊長であろうか、腕の星マークが異なる兵士が怒鳴る。以下指揮官と記す。
件の研究所は、国際的には風土病の研究所、という事になっており、そこを破壊した非人道行為と見られている、ということであろう。
その際目撃された空飛ぶ船が、今回の騒ぎで目撃された船と同定された。
「(それについては国連安保理事会で証拠に基づく説明をしている最中です。伴って私たちの捕縛については一時中止命令が出たはず。この船の背後、電気店の壁面ビジョンが見えますか?)」
言下、電気店の壁面ビジョンがテレビ放送を映し出す。本来は広告表示用であり、テレビ画像は映さない。無論、船が電波で強制的に押し込んだものである。
国連安保理事会の会場と見られる。船を捉えたと見られる写真を出して口角泡を吹いているのはヘルムズ当人である。研究所の爆発、戦闘機墜落等で絶命した傭兵、人体実験で出血熱を発症して死亡した自治区原住民らの画像が用意されている。船がこうした殺戮と破壊を演じた、と言うことだろう。
対して反論。
それは、ハリケーンの空域でミサイルを打ち落とした際、出張ってきた南米大陸の軍が撮影した動画。
それは、露国上空を飛びながらMARV弾頭を回収して行く様子を地上から映した動画。
更に研究所破壊活動で記録された一連の動画と、その際救出された人々の身元確認動画。ある女性はアフリカ南部で拉致され、ある男性は研究所の調理師募集に応募し、
有色人種のサンプルとして種々の人体実験に供された。
その当人達による証言。痛々しい手足や一部は頭部の傷。
「(捏造だ!ジャップはすぐに捏造しやがる。レイプオブナンキン知ってるぞ!)」
指揮官は怒鳴り、とんでもない獲物を構えた。
マイクロバルカン。そもそも艦船搭載の高速機関砲であるバルカン砲を歩兵が手持ちで扱えるようにした物。銃身6本を束ねた形で、回転しながら次々発射する。車載タイプをミニガンというが、更に小さいのでマイクロバルカンである。1分に1200発。主たる用途はミサイルや爆弾に対し弾幕で対抗。すなわち、下手な鉄砲……を地で行く。ちなみに、その昔アクション映画のマッチョ兵士がミニガンを持って歩くというシーンがあり、基づいて実用に動き出したという背景がある。
「(じゃぁ天安門はなかったという中共の妄言も信じろや選ばれし民族さんよ。南京はあったが天安門は無かった。都合のいいこと抜かすな白豚)」
「(黙れジャップ!)」
相原の扇動に逆上し、指揮官は引き金を引いた。
「(お前らが惹起した核危機を未然に防いだのは我々のMTLシステムだ!)」
何事か叫び声を上げながら暴力装置を操る行為をウォー・クライ(war cry)という。
発砲に伴う轟音が耳を圧し、凄絶な弾幕が形成され、人体など煙と化す……
能力を有するはずであるが、横たわる少女、銃と言うより大剣風の外観を備える超銃を手にしたヴェールの女、キモノのジャップ、自衛官及び衛生担当官、いずれにも命中した痕跡は無い。まるでガラス越しの乱射見物。
撃ち尽くし、電気モータで銃身が空回りするだけになってもなお、将官はファイア・スイッチから手が離せなかった。
バッテリ・ボックスを背負った傍らの兵士に揺すられてようやく手を離す。
無数の銃弾は一様にひしゃげた姿で、波打ち際に並ぶ貝殻のように、一同の周囲に落下集積していた。それは、それこそ透明度の高い防弾ガラスが配され、全弾叩き落とされたと解釈すれば合点が行った。もちろん、実際には光圧シールドだ。
『今を持って光圧シールド消失した。船の動力はバッテリだけだ。もう無理だぞ』
イヤホン越しのその声は小さいが、マイクロバルカンの轟音に比して周囲は静まりかえっており、或いは、聞こえた者もあったかも知れぬ。
「(友軍を撃つとはどういう了見か)」
自衛官が不快感を示す。
「(黙れ。どのみちジャップはジャップだ。JSDFもグルなんだろう)」
自衛隊も共謀側。指揮官の物言いは無茶苦茶という次元を越えていた。が、何せ小隊の長であるせいか誰も咎めることが出来ない。
「(そいつらの身柄引き渡しを要求する。そいつらは核テロリストの容疑者だ。そいつらは医療研究所を破壊し、上院議員殿の努力を無駄にし、飛び散った病原菌で近傍の村々に多大な被害を与えた。我々の手配を知ったお前達は核テロリズムで全世界を混乱させることにより、我々の追跡を逃れようと計った)」
指揮官は言った。その額に汗が玉をなす。
事実と乖離しているとは恐らく判っているのである。しかし、正当化しないと自分の存在意義が無い。
最もヘルムズが送り込んだ側なら、信じているやも知れぬ。
「(……よくそんなシナリオを思いつくものですね)」
セレネはゆっくりまばたきした。
「(……今回の騒ぎで核ミサイルを処理したのは、あなた方の母国ではありません)」
セレネは続けた。
「(……今回ミサイルを処理したのは、あなた方が犯人だという私たちとこの船です。しかし、それはあなた方の国家、そして上院議員にとっては、あってはならない事態でした。
なぜなら、外見上は世界の正義であるべき合衆国が地球規模の危機を招聘したことになるからです。そして何より、私たちは他ならぬ議員の所業を全て知っているからです。医療研究と称して有色人種殲滅に血道を上げ、せっせと人殺しの細菌を作っていたことを。
報道の通り、私たちは研究所を破壊しました。それは事実です。ただ、そこが遺伝子解析技術を使い、特定の人種のみに作用する病原菌の開発を行っていたことも事実です。そこで生じたのがこの事件です。私たちを犯人に仕立てて抹殺しようとしたのでしょう。過去、大規模テロリズムで多大の犠牲(※1)を出した貴国にとって、核テロ制圧は喧伝できる大きな手柄、あなた方の国が大好きな“プレゼンス”には充分です。一石二鳥、三鳥でしょうか。しかも、そこには恐ろしいことに、仮に失敗して核が自国に落ちても自分だけは大丈夫という確信があった。調べてご覧なさい。この男、偶然にもその時エリア51(※2)の地下にいたのですから。
あなた方が核ミサイルを落としたのに使ったという、ミラートラッキングレーザ砲は、何のことはない、核ミサイルではなく私たちを撃ち落とすべく使われました。あまつさえは命令解除を無視し、少女を撃ち、更にわたくしを撃ち、この機関砲の弾丸の山は何ですか?あなた方国家の暴力を背景にした無理強いごり押しはもう沢山です。
さあ捕らえなさい。撃って凱歌を上げなさい。生き証人は消えても真実はこのように映像に残っています。たとえ私たちがここで骸となっても、全ての映像は公開されます。あなた方の国家が、私たちによって殺されたと主張する人々は、私たちによって救い出され、いま国連総会の場にいます。見ての通りです。
天安門のように、尖閣諸島のように、真実を提示されてもなお否と言うならご自由に。世界中があなた方を見ています。それでも良かったら撃ちなさい。合衆国という国家を、2億6千万の国民を、誇り高い星条旗を、世界の恥さらしになさい)」
※1:2001年9月11日の同時多発テロのこと
※2:空軍の基地。有事の際、臨時政府機能を備えた地下核シェルターを備える
セレネは指揮官の顔を正面から見た。無精ひげに覆われたその顔は、汗が玉をなして覆い、皮膚が赤く染まって気ぜわしい呼吸音を絞り出している。今や彼は真実と命令の狭間で進退窮まり、選択肢に詰まった状態なのだ。自分が国家の命令通りに行動すれば、どんな運命が自分と国家を見舞うか、良く心得ているのである。しかし、国家の命に背き、彼たちを無罪放免にすることもまたできない。
誰かが命令実行不能の状態を作り出さないと先に進まない。
「(……あなた方が真に攻撃すべきは、人間としての尊厳を捨ててでも真実を否定し蒙昧を弄するこのレイシストであり、そして、あなた方が守るべきは、失われれんとしているステーツの誇りではないですか?)」
「(だめだ)」
ノー!と大きな声を出し、指揮官は腰の拳銃を抜いた。
「(最後の警告だ。いいか、そいつらの身柄引き渡しを要求する……さもなくばJSDFによるステーツへの宣戦布告と見なす。上院議員殿は、ホワイトハウスの代表としてレーザ迎撃システムでミサイルを撃ち落としたと言っているんだ。ホワイトハウスの言葉は即ち大統領の言葉だ。合衆国の軍人が合衆国大統領の言葉を信用するのは当たり前だろうが。判ったな?判ったら我々に従え。お前達JSDFは我々と共同歩調をとると協定にあるはずだ)」
「(小隊長!)」
さすがに見かねたか諫言があり、更に。
「(JSDF殿。我が軍の無礼は申し訳ない。しかしながら、我が軍も正式な命令解除の指示を受けていない。その者達を引き渡し願えないだろうか)」
レムリアは仰向けで彼らの会話を聞いていた。真剣な対峙のはずだが、全員の顎ばかりが見えるだけで不謹慎な面白みがある。ただ、衛生担当官は手を腹部に置いたままであり、相原も自分の手を握ったまま。
時々、心配そうに自分の顔を見下ろす。
「隊長、彼女を搬送する準備が出来たようですが」
衛生担当官の小声。
「了解」
自衛官が小声で応じ。
「(断る。この者達は現在我が国におり、我が国の法が適用される。まず非居住者各位にあっては入国管理法違反、密入国の容疑で逮捕する。そして相原殿、貴殿はその幇助、及び、外国為替及び外国貿易法第25条、無許可役務取引−えきむとりひき−の疑いで逮捕する)」
逮捕と言われ、相原は目をまるくしてきょとんとし、しかし、
「(役務?あーこの船大量破壊兵器に関する技術満載ですからねー。ボクそれを非居住者に許可無く教えましたからねー)」
その、台本棒読みの如き言い回しにレムリアはついに吹きだした。
炎のように痛くて今度は気絶しそうになる。
「笑ったりしたら駄目だよ」
衛生担当の自衛官の注意。
日本政府・当局が故意に逮捕することで身柄を保障するつもりであることは確認するまでも無かった。相原もそれを承知で“罪を認めた”のだ。
大丈夫だろう。そう安心したらスッと意識が飛んだ。
7
東京・信濃町(しなのまち)。
神宮球場にほど近い、著名な私大病院の一室で、相原は目を覚ました。
そこは11階にある6人部屋で、相原はベッドの脇、付き添い用の簡素な椅子に座った状態。浴衣をまとった己れを見、思い出したように周囲を見回す。そして痛そうに腰に手をし、痛くなった首をバキボキ言わせる。椅子に座ったまま寝込んだのだ。
左方は空きベッドが二つあって窓。窓の外は明治神宮の緑と、立体交差の高速道路。高速道路は通常通り(?)渋滞しており、昨日の混乱の影は見えない。
そして右前の方、部屋の向こう半分には、真ん中のベッドにのみ使用者がいる。老夫婦であり、ベッドには夫の男性が上半身を起こした状態、奥さんの方が相原と同じく椅子に座してテレビを見ている。そこで男性が酷い咳をし、奥さんに背中をさすってもらう。
男性は相原の目線に気付くや、背中さする手を振り払うようにして布団に潜る。
困ったような奥さんと相原の目が合う。相原は軽く会釈をした。
「今日は、暖かいですね」
奥さんがゆっくりと話しかける。
「そうですね。風もないし」
相原は奥さんのテンポに合わせてゆっくり答ると、廊下を歩くローヒールの音に、顔をそちらに向けた。
よそ行き顔の看護婦が足早に目の前を横切って行く。ここは病室と廊下の間に仕切がない。その代わり、ベッド全体をカーテンでぐるりと囲う構造。下世話な言い方をすれば価格的に最もリーズナブル。
看護婦が行き過ぎる。この部屋に用があるわけではない。相原はそれを確認すると、目線を手前に降ろした。
彼の目の前、ベッドの上には、やはり浴衣姿で娘が仰臥している。疲れたような顔色で、しかし安心の面持ちで、安らかに寝息を立てている。
レムリアである。助かったのだ。
相原は足を組み、その上に肘を突き、レムリアを眺める。
この娘をここまでまじまじと見つめたことは過去にない。そして見つめ続けて鑑賞に値し、その目を離せなくなる吸引力をこの娘は有している。
要するに、かわいい女の子。ショートカットはいかにも快活な印象で、軽やかで颯爽としているこの娘によく似合う。
「ふう……」
相原はため息をつく。セリフ形で記述したが、その発声は声と呼べるかどうか判らないほど、かすかだ。僅かでも気付かれる、それを恐れているようである。
ここでレムリアが失神した後の経緯に触れておく。
自衛隊の出したクルマの中で、相原はこの病院への搬送を指定した。彼は父親を希代の難病で亡くしているが、その病気である可能性に最初に言及したのがこの病院であった。結果死にはしたが、応じた知識情報を有していると考えたためである。裏返せば彼の知る限り最も優秀な病院がここだったわけだ。
そして、彼は自分の血を幾らかレムリアに分けた。彼女はAB型であり、病院の在庫では足りず、O型である相原から緊急にとなったのだ。なお、O型から別の型への輸血はあくまで緊急避難であり、通常は行われないことに留意されたい。O型が万能と考えられていたのは20世紀半ばまでの話だ。
結果、まず、銃弾自体は彼女の脇腹を貫通しており、残留などは無かった。消化器の損傷は見られず、鉛中毒の可能性も皆無とされた。
「奇蹟だ」
担当医はのたまった。
だとしても当然だ。相原は寝顔に語りかけるように思った。
この手で幾人救ってきた。ここで助からないなら神様解雇だ。
相原が手を握ると、レムリアはギュッと握り返した。
相原が身体震わせて赤くなる。
が、レムリアは起きる気配無く、さりとて手を離すわけでもない。
骨張って体毛も無造作な相原の手の甲と、ほんのりと薄紅色で“肌理”という文字がまさに似合いな少女の手。
「命がけ、マンガのヒーローと恋愛ドラマのキザだけのセリフ、だと思ったけどさ」
相原は囁き声でひとりごちる。
「お前さんは、そう言い切るに足るよ……って、何言ってんだか」
老夫婦に一旦目を向け、二人の目線が共にテレビに向いてるのを見て目を戻し。
「オレ3月下旬の生まれだからさ、基本的にクラスの同級生はみんな年上なんだよ。思春期になると見下されてるみたいに感じてさ。背も高くないからただのコンプレックスなんだろうけどさ。たださ、ケバい化粧の大学生より、派手なくせにみんなして同じカッコしてる高校生より、素のまんまのお前さんのわがまま聞いてる方が楽しい。そんな気がするよ。世間じゃこういうのロリコンって言うらしいけどさ。単に13歳だからイコールロリータってのは違うぜ」
「んで?」
果たして相原は心臓が止まったような顔をした。
「起きて……」
レムリアは目を開く。星のような輝きを蔵した、黒々と透明な瞳。
比して、相原は、真っ赤。
「お・は・よ」
彼女は軽い笑顔と共に言った。脇腹貫通したこととは関係ないと思うが、吹っ切れた、すっきりした気分だ。ちょっと苦しいぐるぐる巻の包帯。手首に刺さった輸液管。
「お、お目醒めですか」
相原は首を絞められたような、掠れた声で言い、しかしハッと気付いたようにレムリアの顔を覗き込み、小さく頷く。
自分の様子を見ている。
「ごめんね、テレパス娘で」
レムリアははにかんだ。含めて、相原の気持ちは、わざわざ音声に具象化してもらわなくても、判った。
面映ゆい。だから、からかい半分、意地悪で、言ってみた。
ちょっと面白そうだ、とも思った。
すると。
相原は隠しても無駄と諦めたか、はたまた腰を据えたのか、フッと笑い、そして、自分の手は握ったまま、配管剥き出しの白い天井を見上げた。
「彼女のためだったら僕の血を全部抜いたっていい、臓器だって使える物なら全部使っていい、とにかく彼女を助けてくれ……」
今度はレムリアが赤くなる番だった。
「この娘は僕には何より大事な女の子なんだ。この位のことで死なせないでくれ」
相原は、レムリアに顔を戻した。
そして、レムリアもフッと笑った。
「ずうっとそばにいてくれたんだ」
レムリアは相原の手を握り返した。
呼応して早くなる相原の脈拍。
「まあね。あ、ごめんよ……離すから」
「ううん。いいよ」
レムリアは手を離そうとする相原のその手を、その必要は無い、とそのまま握った。
「そうか、それであんな夢見たんだ」
「え?」
レムリアは目を閉じた。
「そう。夢。いつもと違う不思議な夢。でもそれが、あなたがそばにいたせいだったのなら、納得できる。何か夢見た憶えは?」
「夢と言うより、祈ってた」
相原は、そう返した。
「えっ」
レムリアが思わず目を開けると、今度は相原が目を閉じている。
「この娘を助けて下さい。世界の子どもを助けるためにも、この娘を助けて下さい。そう、祈った。理系のクセにね。祈ったよ。誰でもいいからと、祈ったさ。今こそ祈るべきだと思ったし、祈るしか無いと思った。お前さんが花咲いたみたいな笑顔で飛び跳ねてる姿思い描きながらね。こうなってくれってね。必死に祈るということがどういうものか、判った気がする。そのうち、眠り込んだらしい。夢を見たかどうかは判らん」
相原が目を開く。
今度は、自分が、語る番。
「なるほどね」
レムリアは相原に一瞬目を合わせ、自分が、目を閉じた。
「夢ってさ」
相原は特に相槌を打たない。しかし続けて良い旨は聞かずとも判る。
「人生反映されてんだよね。いやご大層な意味じゃ無くてね、知識と経験が映像に出てくる。……宇宙が出てきたんだ。地球と月を往復、も、凄い経験だったけれど、それだけじゃ出てこない、もっと広い空間。あたしの知識じゃない」
テレビの音。
「男の夢、あなたの記憶、なら合点が行く。あんなスケールの夢あたしじゃ見られない」
館内呼び出しの音。
「あなた出てきた。って言うか連れ出された。アルゴ号でね。宇宙へ出るんだ。二人っきりで。誰も知らない。こっそり私を連れ出すの」
「それで?」
相原がひとこと挟む。
「銀河に沿っていろんな星々を旅するんだ。アルゴナウタイ訪問ツアーって。神話に出てくるアルゴの乗員達の星座を実際に尋ねるんだ」
「なるほど、オレならやりかねんな」
相原は人ごとのように論評を挟む。
「それで、あなたからいろんな事教わった。ふたご座は兄貴星のカストルよりも実は弟のポルックスのが明るいんだ、とか、こと座の琴はオルフェウスの持っていたもので、主星ベガは1万2千年後に北極星になる、とか。あとなんだっけ、ケンタウルス座のアルファ星は……」
「やがて太陽に近づいて、重力バランスの変動から彗星が雨のように地球に降り注ぐ。か?」
「そうそう。この辺本当の科学的知見?」
「うん」
「じゃぁ、やっぱり、あなたの知識だ」
レムリアは一呼吸置いた。
「この間会った時にさ」
前述の相原が乗り組んで人種差別研究所を破壊した話である。
「あなたあたしにデートしろって言ったじゃん。正直言うとさ、似たようなお誘いを受けたことが無いわけでは無いわけでも無いわけですよ」
「なんじゃそりゃ」
「お茶しよう、面白いところ行こう……でも、宇宙へ行こうと言ったのはただ一人。でね、一つ訊きたい。口に出して言えって言ったら、言える?」
「……」
相原が口にしようとした直前にレムリアは制した。
「待って、そう言うとあなたは『宇宙行こう』棒読みみたいに言う」
相原は苦笑した。
「あなた、私のこと、好き?」
相原は固まった。
まばたきすらせず、レムリアを見つめ返したまま硬直。
「へへ、ごめんね、気が変わった」
レムリアは言ってみた。
言葉にされないでも判っているし、それは彼もよく知っていることだろう。
ただ、彼に対する自分の情動は、過去自分に気持ちを示したどの男の子とも違うし、また自分に接するどの“大人の男”とも違うのだ。否、どっちでもある、というべきか。
「目を見て言うか?」
「ええ、出来れば」
「お前、命がけで守るに値する、女だ。女の子じゃねえ、女だ」
相原は言い、レムリアの手を、両手で、包んだ。
骨張ってクッション感の少ない、しかし熱い男の手。
一つだけ予想に反したのは、ドキドキという脈動を感じないこと。
「学って歳幾つだっけ」
「22。13の女が真面目に好きだなんて言ったら世間一般的には犯罪。ロリコン、変態、逮捕」
「だろうね」
レムリアは少し笑い、
「でもさ」
相原のその言葉に、目を戻した。
「誰かのために生きてるって自覚してるかどうかに、年齢は関係ねえんだ」
「胸ぺったんこの童顔でも?」
「この娘は一生懸命生きてる。誰かが生きるために一生懸命生きてる。それがオレの第一印象で、それがオレの君に対する思いの全て。あーあ、言っちゃった」
相原は誤魔化すように言って、諦めたように笑った。
このひと可愛い、それがレムリアの思ったこと。
すると相原は急に少年のような顔になり、
「恥ずかしいぞ」
「なんで?」
レムリアは小首を傾げて尋ねた。
それが“可愛い仕草”であるという認識はある。ただ、意図してそうしたわけではない。
「およそ22の男が……屈したんだぞ」
「あたし嬉しいよ。ああこの人あたしのこと凄く素敵に大切に考えてくれてるんだなあって。そりゃちょっと照れくさいけどさ」
レムリアははにかんだ。
好き、と言われてドキッとしたことは応じた回数あるが、素直に“ありがとう”と言える気持ちになったのは初めてだ。
ただ、自分が好きだからか、と言われると違う。否、好きという感情を持ったことが無いのでワカラナイと言った方が正確かも知れぬ。
結論、楽しい。
「あなたはあたしのことが好き」
「ぶっ……ええい唐突に何を言う。そういうことは明確に言語化して喚呼確認するでない。君はテレパスの使い方を間違っている。判っておればよろしい。言わすな恥ずかしい」
やっぱり楽しい。
「え?いいじゃん別に。あなたの気持ち、凄く嬉しいよ、ありがと」
レムリアは自分でも驚くほど素直に、自動的に、言った。
そして判った。この男には“いかに相手を傷つけず自分の気持ちを伝えるか”という苦労がいらないのだ。
すると相原は急に真面目な顔に戻り、何か言いかけたが、そこまで。
「お邪魔かな」
トーンの低い利発そうな若い女性の声がし、部屋の入り口部分の壁が二回ノックされた。
看護師である。雑貨屋の大きな紙袋。
「気が付いたね。じゃあ熱測ろうか。ハイはんてんの騎士は何も見ない何も聞こえない」
看護師は軽妙な語り口で言いながら、その紙袋から相原愛用のはんてんを取り出すと、目隠しするように相原の頭にかぶせた。
「洗濯してあるから持ってきな。着ていた服も置いとくよ。えーっと、彼女は何か食べるかな?」
「はい。じゃぁ」
言われて意識したら急に空腹を覚えた。
相原ははんてんをかぶったまま、微動だにしない。はんてんの形状もあり、消えそびれた幽霊のようだ。とぼけた感じが珍妙。
「殊勝でよろしい。そのまま何も見るな」
看護師は相原に命じると、傷の状況をチェックし、体温を測るように指示した。
その間相原は微動だにしなかった。
はんてんを取ることが許可されたのは、体温計が測定終了の電子音を鳴らした後。
看護師はレムリアから体温計を受け取り、覗き込んだ。
37.5度
「七度五分か、傷深いからまあそんなもんだろうね。じゃ食事持ってくるから。そうそう、あなたカルテ作りたいんだけど名無しのゴンベさんなのよ。はんてんの騎士はフルネームも歳も知らないって言うし……日本人じゃないんだって?」
「ええ、私は……」
言われて思い出す。彼は自分が“魔法少女レムリア”としか知らない。
「いいよ、あとで。ひとまわりしたらあなたの持ち物も持ってくるから、その時で。おいはんてんナイト、不適合の注意事項は覚えてるな。頼むぞ」
「え?あ……」
相原が反応する前に看護師は姿を消していた。
レムリアはくすくす笑った。
「面白い人だね。あんたもね」
「そうかぁ?でもここの看護師万事こんな調子だよ。結構しんどい仕事のはずなのにいつもニコニコしててそれをおくびにも出さない。ここを指定した理由のひとつ。滅法明るいべ?不安な気持ちにならない」
「指定?選んだの?」
「まぁね。オレなりに最高の病院と信じて。……だからあまり言わすなそういうこと」
レムリアが覗き込んだら相原は照れた。
面白い。
「それで、だね」
相原は話題を変えた。照れ隠しだ。
「はい?」
「めまいとか、どこかかーっと熱い感じがあるとか、ないか?」
相原はレムリアの手首を取って脈を診た。
クスクス笑うと傷に来る。その脈絡の無さ、その唐突さ。
多分看護師が言い残していった“不適合の注意事項”に基づく質問だとは思うが。
何も話題が無かったらどう話を持っていったのだろう。
不適合?
「あのー、大変恐れ入りますが、ドクターに言われたことをそのままお話し頂いた方が、逆に手っ取り早い気がしますが。あなたが間違った理解をされるとは思いませんが」
レムリアは言った。自分の身体に予見される変調なら、申し訳ないが専門外の相原を介すより自分が直接意識した方が多分。
「400CC」
相原はレムリアの腕を指さして言った。
何その婉曲すぎて螺旋状態の表現。
「え?」
「やはりそれでは判らんか。俺の血が少し」
輸血されたのだ。レムリアは理解した。
ちょっと待った。
理由は判らぬ。輸血なんて茶飯事であって驚くことでは無い。対象が自分と言うだけ。
なのに、激しく動揺している自分がいる。
全身が熱くなる。何だろうこの恥ずかしさは。
「お、おい熱いのか?」
「そうだけどそうじゃなくて」
何だこれ。
「不適合反応は起こってないから」
「オレの血が身体の中巡ってるって?」
ぎゃー!
図星という日本語を理解する。そう、自分はそれを意識して唐突に恥ずかしくなっている。
「そういう反応しなくてもいいだろ。どうせ二週間だかで全部入れ替わるんだろ血液って。脾臓(ひぞう)ってそのためのもんだって聞いたぞ」
「でもさ。なんかさ」
レムリアは下を向いてしまった。恥ずかしくてまともに顔が見られない。
何で?
自分が女だから?
好きと言われたから?
「恥ずかしいって?」
「だって……あなたの一部なわけじゃん」
ぎゃー!何言ってるんだ私。
「そういう捉え方するから赤くなるんだ。ガクジュツ的には単なる蛋白質と糖の分子の集合体に過ぎんだろうが」
相原が心なしかニヤニヤ笑っているように見える。逆に主導権を取られたと感じる。
「で、でもDNAはあなたのものを持ってるわけじゃん。それが……」
「何が言いたいんだ、何が。血液細胞は自己繁殖はせんぞ。そーいうことは良く知っとるはずだろうが」
「でも……」
言い返したいが、言い返したいために言葉を選ぶと逆に意識しちゃって空回り。
何だこれ。自分、何だこれ。
冷静さはどこ行った。
「じゃ返すか?血漿なんかもう同化してるから分離できんぞ」
「エッチ!」
「あのなあ」
「傍から見てるとイチャ付いてるようにしか見えんわね」
ノックがあって先程の看護婦である。食事一式を載せたプラスティックのお盆と、何やら茶色の紙袋を持って立っている。
「はい食事持ってきたよ。あんたはこれね」
はんてんの騎士には紙袋の中からあんパンがひとつ支給された。90円。消費税込み。
「あっと、お箸大丈夫だっけ」
「はい」
レムリアのベッドにテーブルがセットされ、食事が置かれる。
お盆の上は純和風。
「いただきます。あーおなかペコペコ」
「どうぞ。それとこれね」
看護師は再び紙袋に手を入れる。それはレムリアのウェストポーチ。
「あ」
レムリアは箸を置き、ポーチを手にした。
「どうもすいません」
「ベルトの所血が染みててね、クリーニング。さっき届いたのよ」
「綺麗に取れてます。で、あたしの名前はこれです」
レムリアはポーチを開き、彼女が属する医療派遣団のIDカードを取り出した。
相原がハッと気づいたように覗き込む。
そういえば、彼に、本名を開示したことは無かった気がした。
「13歳。え?あらあなたもナース?なの?え?13歳で?」
「はい」
「メディア……ごめん、これなんて読むの?」
レムリアは一呼吸おくと、看護師と、相原を見た。
「メディア・ボレアリス・アルフェラッツ(Media Borealis Alpheratz)」
「へぇ……何か古風な響きね。どこの言葉?」
「ラテン系の古語と聞いてます。メディアが私自身の固有の名前。ボレアリスは南の意味、そしてアルフェラッツは国名です」
「国名?名前に国名って凄くない?日本武尊みたいじゃない。え、ちょっと待ってアルフェラッツ……」
聞き覚えがあるのか、看護婦は腕組みして考え込んだ。
相原が二人の会話、言葉のピンポンに合わせて、目玉と首を行ったり来たり。
「13歳」
看護師は念押しするようにレムリアを指差した。
「はい」
「ナース」
「そうです」
「ちょっと待っててよ。彼にも何も言っちゃダメ」
看護婦は首を傾げて言うと、バインダーに挟まれた書きかけのカルテをベッドに置いたまま、部屋から出た。
「バレたかな?」
レムリアは呟いて舌を出した。
「え?」
「いやこっちの話。わーいいただきま〜す」
割り箸をぱちんと割る。
相原はあんパンの袋を破って取り出し、かじる。
数分して、看護婦が何やら雑誌片手に戻ってきた。
「これでしょ」
ページを開き、ベッドの上に広げる。
そこには頬を赤らめ、看護婦の白衣に身を固めたレムリア。
「“最年少看護師はお姫様”」
相原の全身が凝固した。
「へ?」
今度こそ相原は冷静さを失ったとレムリアは思った。
シャケの切り身から小骨を抜く。ちょっと勝利感。
看護師は記事とレムリアを見比べ、納得したように頷いている。
(承前)
「日本のような看護と平和を世界に……道理でペラペラだし箸も上手に……お使いになる、というべきね。ハイネス」
「ちょっと」
相原は看護師の手から雑誌を横取りし、記事の本文を読み始めた。
「……世界各国の難民キャンプや野戦病院に医療補助を行っている国際医療ボランティア、欧州自由意志医療派遣団に、このほど現役世界最年少の看護師が誕生した。彼女はメディア・ボレアリス・アルフェラッツ様、13歳である。アジアとヨーロッパの境界に位置する小国、アルフェラッツ王国のレッキとした王女様だ。姫は幼少のみぎりから困っている人を助けたいという希望を強く持っておられ……」
相原は丸い目をしてレムリアを見上げた。
「王女様なの!?」
大きな声は老夫婦が振り向くほど。
しかし、老夫婦の反応はそれだけ。普通、日本の大学病院と浴衣を着た異国の姫という組み合わせは、存在しない。
「そういうことになりますね」
姫の名を持つ少女は、ニコッと笑ってシャケの切り身を口の中に放り込んだ。
相原は記事を数ページめくる。挿入されたグラビアに写っているナースキャップの彼女。王宮の庭だろうか、乗馬はおろかポロのスティックを操る彼女。どこかに国賓として家族で訪れた時のものだろう、めいっぱい着飾って豪華な彼女。
「姫」
「はい」
「看護師さんコレ普通の入院食……」
相原は尋ねた。
「ええ、さすがに冷めたからレンジでチンしたけどね」
「レッキとした王族の娘が都内の病室で浴衣をまとい、レンジでチンしたシャケ弁当を食べているの図」
「あのー描写しないでいただけますかねあんぱん騎士殿」
「これは失礼。しかしホントに?」
「ホントに」
「ホントのホントに?」
「ホントのホントに」
「だとしたら国賓待遇じゃ……」
それを聞いてレムリアは箸を置いた。
「いいです。このまんまで。今まで通り扱って下さい」
姫、と聞いた瞬間、みんなの態度が変わってしまう。一歩引いてしまう。ガラスのバリアを張ってしまう。
それは、もう、いや。
特に、この、相原という青年はそんな存在にしたくない。
「いいの?じゃない、よろしいのですか?」
看護師は困惑気味に訊いた。
「ええ。そういうの嫌いなんです。私は私なのに家系だけでみんな勝手に決めてしまう。なのでどうか」
「判った。じゃ、特別扱いはしないよ」
看護師は言った。
「ありがとうございます」
レムリアは頭を下げた。その後、二人はカルテを作ったのだが、女の子だし、ということで相原は外へ出された。
相原が向かったのは休憩室。携帯電話の電源を入れようとし、電池切れで応答せず、新聞を手にする。
“欧州宇宙船、核戦争を止める”
原因はテロリストが防空システムにハッキング。解決はNATOのルートを通じて欧州宇宙機関にコンタクト、秘密訓練していた新型宇宙船にレーザ兵器THEL(Tactical High-Energy Laser)を積み込み、というストーリー。まるで事実を元にした貧相なSFである。無論、日本人某が出てこない一方、人種差別上院議員の方も出てこない。ちなみに共産帝国や先軍主義国家についても触れられていない。以下もんもんと社説や政府の対応への苦言、安全保障だ自衛権だ。
相原が呆れて戻ると看護師がカルテを胸に立ち上がったところ。
「終わった……」
「よ。いいよ。じゃあ身元保証その他の窓口は派遣団の方に照会すればいいのね」
「はい」
「判った。治るまでゆっくりして行きな」
「ありがとうございます」
レムリアは答えた。自分を見る相原の目が変わっていると感じる。メディア姫を見る目になっている。
そこで院内放送のチャイム。先ほどの個人呼び出しと異なる雰囲気であり、応じてコミカルな看護師にも緊張が浮かぶ。
放送の曰く、首都高でバスの絡んだ大きな事故があり、急患が大勢押し寄せるという。手空きの者は対応願う。
「あのあたし…」
彼女メディアは自らを指さし、ベッドから出ようとした。
看護師が目を剥いた。
「え?おいおいうちの病院は腹の傷パカパカしてる娘を手伝わせる趣味はないよ。それにナースは充分足りてるから。寝てなさい。これは命令」
「はーい」
彼女メディアは不承不承といった風情で頷いた。看護婦はニコッと笑うと、部屋から出て行った。
視線を感じて振り返ると相原が見ている。
それは傷付いた、そばにいた、彼ではなく、テレビの向こうのタレントを、“存在は知っているが接点は無い”相手を見る目。
「姫様、ねぇ」
相原はマンガに出てくるステレタイプな中国人のように、右手を左の袖に、左手を右手の袖口に入れ、腕組みした。
「ええ」
レムリアはちょっと気取ってペットボトルの緑茶を口に含んだ。それこそ古い東洋からの使節団の訪問を受けたみたいだ。
「王女様」
相原は恭しく拝跪し、そう口にした。
王女は口に含んだ日本茶を反射的に吹き出しそうになった。
「ちょっとやめてよ」
「姫、おひいさま」
「きゃあ」
「本日はご機嫌麗しく、このはんてんの騎士、ご尊顔を拝し奉り恐悦至極(ごそんがんを はいし たてまつり きょうえつ しごく)に存じます」
相原が使った最大限の敬語は、レムリア自身はそうとは知らなかったが、古風な響きから日常的なものでは無いことは理解出来た。
王女は顔を真っ赤にして相原を見た。
「やめて……ぎゃはは……さぶいぼ(鳥肌)が出る」
その所作はやんごとなきお方共通の高貴で淑やかなイメージではない。
Tシャツ短パンで飛び回る元気な女の子レムリアである。
そして、自分、それでいい。
「やっぱりレムリアだ。ってか、よくさぶいぼなんて言葉知ってるな」
「いいよそっちで。私だって……その、ボランティア活動の芸名とでも言うかな、ニックネームそっち使ってるから。メディアなんてマスコミかディスクじゃあるまいし、ましてや姫だの王女だの……ガラにもない」
「でも王女様なんだし…気が引けてさ。某国だってそういう血筋の方は宮様って呼んでるし」
「嫌、血筋は意識したくない」
「なんで。プリンセスは女の子の憧れ、ってのが童話の定番だし、グレース・ケリーとか、某国でも似たような事案は国あげて羨望のまなざしだけど」
相原のシンプルな質問にレムリアは答えを躊躇った。普通の女の子は姫様になれると聞いたら喜ぶであろう。比して最初から姫だと姫なりの事情があるのだ。
恐らく、今後のことを考えると、彼には正直に話すべきなのだろう。が、今それを全て話すのは時期尚早、というか、おのずと知ってもらう時が来る、そんな気がする。
なので。
「いい思い出ないもん。多分その宮様にも大なり小なりあると思うよ」
レムリアは目線を外した。
相原は両の手を広げて軽く持ち上げた。アメリカ映画で諦念の意思表示に使われるジェスチャー。
「判ったごめん立ち入ったこと訊いて。レムリアとしか呼びません」
「いいよ、別に」
レムリアは笑った。ごめんね。
すると、相原は薄笑みを浮かべて。
「姫君か。船乗って奇蹟を起こして回る姫ね……いいじゃんか、ミラクル・プリンセスだな」
「えっ……」
「かっこいいじゃねぇか。姫様舞踏会でドレス引きずり回してるだけじゃねえぞってな」
レムリアはブッと吹いて笑った。姫様イメージぶちこわし。
彼の目が、レムリアを見る目に戻ったと知った。
「副長とか、どうしただろ」
話題を変える。“最大の懸念”が解決したせいだろう、次の心配はそっち。
ハッと気づく。まずその心配をすべきだったのでは。……自分優先に反省。
「確か逮捕って」
「ん?新聞には何も書いてないよ。オレもタイホされたが現在ただいまここにいるわけで。乗組員推して知るべし。裏で日本政府が本部とグルになって動いてんでしょ。心配するこたない。何か感じるか?」
テレパシー。特になし。
「そっか。そうだね」
レムリアは頷くと、箸を盆に戻した。
「ごちそうさま」
久々にまともな食事を摂った気がする。船の中では結局何も口にしなかった。
「もういい?売店で何か…」
「ううん、いいよ」
レムリアはうーんと唸って伸びをした。相原が空食器を載せた盆を脇机に移す。
外が騒がしくなってきた。救急車のサイレンに加え、ヘリコプターの飛行音。応じて廊下をバタバタ行く足音が幾つか。
隣の老夫婦の見ているテレビに速報。空撮画像によれば、玉突き事故にバスが巻き込まれ、横転している。
「船があれば……そういや船は?」
レムリアはテレビを覗き込みながら言った。男性の頭があって画面がよく見えない。
「同じく何もなし。まぁあんなもの正体ばれたらえらいことだが」
相原は言うと、レムリアの衛星携帯電話を手にして窓際に向かった。
「Hello,this is Manabu-aihara from remlia's mobile phone.Please show me star-ship argo's status………yes……yes,Oh I know……that's my company……yeah,I'm slave from next spring.So thank you.And now Princess so well good-condition……yes,bye」
相原は終話ボタンを押して戻った。
「本部の曰くオレの就職先に保管中とさ。まぁ宇宙機やってるからセキュリティからも妥当だろう……って、聞いてないな」
レムリアはテレビの情報に集中している。詳しく知っても動けないが、気になる。人ごとではいられない。そのバスが湾岸の著名な遊園地に出かけた子供会の帰路と聞けば尚。
コマーシャルになった。
そこでベッド上の老男性が夫人の方を見、のっそりと起き上がり、咳をしながら部屋を出て行く。
「肺炎…」
老男性の姿が見えなくなったところで、レムリアはぼそっと呟いた。
「しかもかなり悪い…やだな」
レムリアは下唇を噛んだ。
「それは予感?」
「て言うか…あの人まさか…」
レムリアは夫人の方を見た。夫人は椅子の上でこっくりこっくり居眠りをしている。
結果、レムリアは、男性が奥さんの居眠りを見計らって立ち上がったと理解した。
「ヤバくね?」
期せずして二人顔を見合わせ、相原が懸念を言葉に起こす。
数分後、男性が帰ってきたが、先程以上に咳が酷い。
そして呼気に含まれる臭気。
二人は期せずして頷き合う。
男性はトイレか何かでタバコを吸ってきたのだった。タバコを吸う人間と吸わない人間では存在を感知する閾値が大いに異なる。喫煙者が皆無と感じる程でもあからさまという表現が使える。
「まずい……んだけど」
レムリアは呟いた。老男性の咳はゴボゴボと泡立つような音だ。いや本当に泡が立っているのかも知れぬ。肺の中に発生しうる液体・水分とは即ち。
男性はレムリアの視線に気付き、すぐに避けるように目を背けた。
そしてベッドに潜り込み、息を押し殺すようにして咳をする。布団の大きな動きから呼吸が不調であることはすぐ判った。
レムリアはもう気が気でない。
「ドクター呼ぶか」
「でも私なんかの……」
男性に異変が生じた。
機械の唸りのような異様な声を発し、勢いで布団をベッドから蹴り落とし、体を折り曲げて吐血する。
「ああっ!」
レムリアと相原は同時に声を上げた。夫人が目を覚まし、突然の事態にどうしていいか判らず、立ち上がって狼狽える。
「手伝って。気道確保しなくちゃ」
レムリアはベッドを飛び出した。点滴の管を抜き、スリッパに足を入れる。
しかし
「痛!」
顔をしかめて脇腹を押さえる。筋肉を使うと痛みで力が入らない。
「待て」
相原は動こうとするレムリアを制し、両腕で抱き上げた。
男性に抱き上げられる。
レムリアはその事実に気付いたが、自分の脇腹に負荷が掛からないようにするための最善と気が付いた。
だから相原の首に腕を絡める。私を運んで。
「具体的にどうする」
相原はベッドへ歩を進め尋ねた。男性は激しく咳込み、そのたびにベッドに血の飛沫が文字通り噴き出している。まるで塗りつぶすかの如く。
「ベッドの上に下ろして。肺の中の血を出すからあの人押さえて」
「了解」
相原は答え、彼女を血の海と化したベッドに下ろした。
濃密な血の臭い。生臭さと、口の奥がギシギシする鉄さびの刺激臭。
「おとうさん、聞こえますか?おとうさん!」
レムリアは呼びかけた。が、男性はそれどころではない。苦しげに喉を掻きむしり、七転八倒しながら血を振りまいている。
肺の中で大量出血が起こり、呼吸不全になっているのだ。顔が青紫色に変わって行く。
「押さえて。仰向けに!」
レムリアの指示通りに、相原は男性の上半身を柔道“横四方固め”の要領で押さえ込んだ。
「そのまま、あ、ナースコールのボタンを!」
レムリアは言い、自分の口を使って老男性の口から血を吸った。
そして床の上に吐き出す。相原は痙攣する男性を抑えながら手を伸ばし、テレビの下に降りているコールボタンのケーブルに指先を引っ掛け、引き寄せ、押した。
相原の目に映ったのは、血液の飛沫を浴びながら、それでも必死になって男性を救おうとする浴衣の少女。
その横顔は凄惨だがあまりにも美しく、相原の記憶層に鮮烈な印象を持ってポートレイトのように刻み込まれた。
老男性を全神痙攣が襲い、相原の感傷を吹き飛ばす。腕が動かなくなり、ただガタガタ震える。
「心停止!」
レムリアが声を出す。要するに心臓が止まったのだが全く動じない。
「任せろ」
相原は判っていた。寝技を解き、両手を揃えて男性の胸の上へ。
「いいぞ」
「お願い。圧迫15回呼吸5回」
「了解」
言われて相原は心臓マッサージを始める。右手の上に左手を重ね、上半身の体重を掛け、胸部がばくんばくんと動くほど力を込めて押す。相原にとって実際やるのは初めてだったのだが、レムリアがやっているのを知っており、考えずともできたようだ。
その押す動作のたびに口から血が溢れる。それをレムリアが口を使って吸い出して捨てる。
「ストップ」
言われて心臓マッサージを一旦停止。レムリアが人工呼吸。
「どうしました……あ」
ナースコールで駆けつけたのは小柄な看護師。先ほどの看護師ではないが、事態は瞭然。
「吐血しました。ドクターをお願いします。喫煙したようです。CPR(心肺蘇生)はできますので手配願います」
レムリアは血塗れの顔で状態を報告した。看護師は数回頷き、腰につけている院内PHS電話機に手を伸ばした。(※PHSは一般向け簡易携帯としては2010年までに殆ど姿を消したが、企業の内線電話向けとしては引き続き利用されている)
「すぐ戻ります」
看護師はひとこ言うと、一旦その場から走って消えた。
程なくして別の看護婦とストレッチャー(キャスター付きのベッド)を持って来る。
「学!」
「はいよ」
看護師らも加わり、老男性をせーので抱え上げ、ストレッチャに移す。
「手伝います。私もナースです」
レムリアは血を拭うこともせず、ストレッチャーの下にあったAEDを見つけて中を開けた。
看護師のPHS電話機が鳴る。
「はい、判りました。今AEDを……すぐ行きます」
看護師が応じ、電話を戻す。
「オペ室へ行きます。じゃあ悪いけど一緒に」
「もちろん。学、お母様のほうお願い」
レムリアは言うと、看護師らと共に、ストレッチャーを押して風のように去った。
相原は半ば唖然とし、次に口の端に笑みを浮かべ、後ろ姿を見送った。
「あの……おじいさんは……」
夫人が心配そうに相原を見上げる。
「大丈夫です。ちょっと出血したようです」
相原は膝小僧をすりむいたかのように軽く言った。
「でも」
ベッドは血の海であり、一部したたり落ちるほど。
「大丈夫、彼女……医療奉仕活動やってましてね。世界中で沢山の人々を助けてます。自分も同じように心臓止まり掛けましたがこのように。彼女のおかげです。待って下さいね。今後の対応について看護師に連絡を取り……ああ」
相原は言うと、自分が座っていた椅子を夫人に勧めた。そこへ、連絡を受けたのだろう、先の愉快な看護師が小走りで到着。
「あれ?坂口(さかぐち)さ……」
夫人が所定の位置にいないためか、見回す。
「こっちです。大丈夫です。落ち着いてらっしゃいます。ベッドの交換を……」
看護師は夫人が移ったことに気づき、表情を緩める。
「オーケイ。手配する……もう一度洗濯だねそれ」
「ですかね。で、お母様どうしましょう。説明を受けられたいと思うんだけど」
相原の言葉に、看護師は小気味よいとばかり、口の端に笑み一つ。
「ご案内しますのでこちらへ」
看護師は夫人を伴って立ち、出入り口で立ち止まると、相原を振り返る。
「彼女は?」
「止めて聞くよなタマでなし」
「そういうことか。鬼だね」
「いや、魔女という方が正確」
アルゴ・ムーンライト・プロジェクト第3部・了
(アルゴ・ムーンライト・プロジェクト・終)
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