博士と助手(但し魔法使い)と。
レムリアがマジックショーを行う時、相原学(あいはらまなぶ)は、スーツ姿で会場の奥から見ていることが多い。たまにレムリアが円盤よろしく飛ばしたシルクハットを受けたり、彼女の合図でポケットからステッキを取り出したりしているが、積極的にショーに関わることはまずない。これは彼女が14の娘であるのに対して、23と少々歳が離れすぎているせいもある。折角“似た年齢同士”で敷居を低くしたイベントなのに「わざわざひねくれ終わった顔を突っ込むこともないだろう」というのが相原の意見であり、レムリアも納得するところである。
だが、その週末は良く行く、“子ども病院・病棟”ではなく、種々の理由で親御さんと暮らせない子どもたちの保護施設が会場。病院だと“びっくりさせる・ホコリを立てる”の点で多少制限があったりするが、こちらその点では配慮が不要なため、どうせなら、と少し趣向を変えてみた。二人とも白衣に身を包んで“博士と助手”という設定である。相原は勤務先の社員証、レムリアは“欧州自由意志医療派遣団”の看護師IDをそれぞれ首からホルダーでぶら下げ、更に相原は洗髪後乾かさずにそのまま就寝して派手に寝グセを作り、メガネのレンズを指紋でベタベタにして、博士は博士でも“ちょっと逝っちゃってる”…児童文学で良くある“近所の発明博士”を模したスタイル。
「お似合いで秋葉原博士」
「やかまし」
“秋葉原博士”というのは、相原が電子部品を探しに行く東京秋葉原からのインスパイア。レムリアの感性による完全な“見た目のぽっと出”だが、手塚治虫の“お茶の水博士”とイメージが近い上、お茶の水と秋葉原は隣同士の駅ということもあり、それで行くことにした。
出し物の内容的には、博士の様々な“発明”で助手がいろいろマジックを披露しようとするが、悉く失敗してヘンな結果になり、大笑いさせる、という趣向。どちらかというと漫才かコントのノリである。
「これはテレポーテーション・ボックス。私がこの箱に入れた物が、皆さんの後ろ、博士が持ってるボックスから出てくるという仕組みです。ではこのハトをテレポーテーションしてみましょう……って入れる前から何で出てくるそっちの箱!こら博士!」
手にハトの相原を指差し、床をドンドン蹴りつけるレムリアはしかし、横文字の呼び名に比して黒く煌めく瞳を持った、ショートカットで“ころん”とした顔立ちの娘である。華やかで明るくて、少女マンガのヒロイン向きと言えよう。髪型もあって、さっぱりした印象を見る者に与える。
「いや、これは失敗した時の予備が出てきちゃって……」
「この子がそっち移動するのに“予備”って何事ですかっ!」
爆笑。
「戻しなさい」
「へ〜い」
と、相原がハトを“ボックス”に戻すと、レムリアの方がハト2羽になり、相原のボックスは空っぽ、というシカケ。
すなわちそれはそれでテレポーテーションであり、子ども達は当然拍手してくれたのだが。
最後列の女の子が一人、レムリアに目を戻さず、相原の方をじっと見ている。
体格的にはレムリアとさして変わらないが、顔立ちは幼い。目が合うと小さな笑顔。相原はフッと笑って見せ、その子と他の子の差違に気付く。
その会場は施設のイベントホールであり、子ども達は大道芸の見物よろしく、レムリアから一定の距離をおいて輪をなして座っている。が、彼女だけ、冥王星のように輪から更に離れて座っているのだ。……明らかに打ち解けていないのである。
時間が来て幕。白衣の二人は施設の所長氏に呼ばれ、応接室でお茶を頂く。
「いやぁこっちも笑わせてもらいましたワッハッハ」
七福神の“布袋様”がスーツを着たかの如き所長氏が豪快に笑った。
「しかし鮮やかですね。手品というより魔法かと思いますわ。おかげさまで“そのちゃん”が笑ったのを初めて見ました」
布袋所長は真顔で言い、自らの茶を口に含んだ。
「輪から離れた彼女ですね」
先に言ったのはレムリア。気付いていたのである。
「学ばかり見てた」
レムリアは相原をチラリと見、付け加えた。
「僕もそこは気になりました。事情がありそうですね」
相原は訊いた。この手のイベントでレムリアに“惚れて”しまい、終始じっと彼女を見ている子は男女問わずいるが、ヘンな発明博士に興味ありげというのは初の事象。
すると布袋所長氏は、空になった湯飲みをテーブルに置き、
「ウチは基本的に経済事情で子育てが困難、という親御さんから預かっているんですが……」
曰く、彼女の両親は乳飲み子であった彼女を預けたが、後に家ごと焼身自殺…心中したのだという。
「中には盆暮れだけ親御さんの元で過ごせる子もいます。しかし彼女には、帰る家もないし、思い出す両親の顔もない」
聞いて“博士と助手”は顔を見合わせた。集団の中にあって、絶対にどうにもならない“違い”を自覚するほど、辛いことはないだろう。
「そんな彼女が笑ってくれた…本当、感謝です」
そんな彼女の姿を毎日見ている所長自身も辛かったのだろう、豊満な頬に涙一筋。
「いいえ、こんなのでよろしければ、いつでもまたご下命下さい」
辞して施設の建屋を出、黄昏れてきた運動場の隅、駐車スペースへ向かう。
そこには所長氏のワンボックス車と、相原の軽自動車が止まっているが。
その軽自動車の前、夕日に照らされ、カーディガンにジーンズの女の子が人待ち顔。
“そのちゃん”である。
「どうしたの?」
声を掛けたのはレムリア。振り向いたそのちゃんの前にスッと手を伸ばし、手のひらを開き、出てきたビスケットを彼女に持たせる。
小手品。
「どうぞ」
「あ、ありがとう。……あの、出来ればその、内緒で、お話、したいことがあるんですけど」
軽自動車の狭い後席に彼女を乗せ、聞いた開口一番に、白衣の二人は目を剥いた。
「私を弟子に……助手にして下さい」
曰く、発明博士の出てくる童話を幾つか読んだ。まさか本当にそんな博士がいるとは思わなかった。
いるんだったら助手になって“お母さんを見付ける機械”を作りたい。
頭を下げる彼女に二人は顔を見合わせた。いや、このカッコはそういう童話の博士の単なる真似で……。
って言ったら、この子はどうなってしまうだろうか。
「まぁ、研究所にまずは来てみるかね?」
相原はそれこそヘンな博士よろしく、エラそうにポケットに手を突っ込んで言った。
驚いたのはレムリア。
「ちょっと研究所って……」
「レムリア君。光圧(こうあつ)推進のアレを例の位置に用意しておいてくれたまえ。全部私がということで」
そのセリフにレムリアは目を剥き、次いで小さく笑みを作った。
「はい博士」
レムリアは答え、白衣の前ボタンを一つ外し、更にウェストポーチから大ぶりの無線機のような機械を取り出した。
“そのちゃん”がそれを見て目を見開く。衛星携帯電話なのだが、ショップでお姉さんが販売しているのに比し、無骨で図体もあることから、“博士の謎の機械”に見えたのだろう。
レムリアが車外へ出る。衛星電波を拾うには屋根のない方が好都合だからである。
他方相原は相原で携帯電話を手にする。こちらはカメラ付きテレビ付きの多機能機種。だが、普通に店で買える携帯電話である。
「あ、所長さんでいらっしゃいますか?お宅のそのちゃんが今私のクルマまで来てくれてまして。……ええ。それで相談なんですがしばらく彼女誘拐してもよろしいですか?」
ワッハッハと笑う声が電話の小さなスピーカーから溢れ出た。
「……では8時くらいまでなら。……ええ、はい。ちゃんとお届け致します」
「手配しましたよ、博士」
レムリアがドアを開けて言った。
そのちゃんは二人を交互に見る。その目は見開かれ、キラキラと光っており、しかし言葉はない。
彼女にとって予想外の展開になっている証。
しかしそれは当然、白衣の二人の狙い。
相原は、レムリアの衛星携帯の番号を所長氏に教えている。
「……何かございましたら、その0061からの方にかけて頂ければ、世界のドコでも繋がりますので……え?いえ衛星モノですので冗談抜きに宇宙にいても繋がりますはい。では」
相原は折り畳みの電話をパチンと閉じた。
「誘拐の許可が出た」
エンジンを始動し、相原はクルマを出す。
そこから相原の自宅まで30分、なのであるが、相原は自宅前をそのまま通り過ぎ、坂を登って住宅街裏手の丘へ向かった。丘の上には公園があり、しかし境目無く草地が広がっており、バッタの類が多く住み、子ども達には格好の遊び場。最も、すっかり日暮れて足元も不明瞭なこの時間、遊ぶ子の姿はない。
相原は丘の前で途切れている街路端に路上駐車した。以降徒歩で丘を登って行く。
とはいえ丘の上は記したように一面草むらであって、“研究所”など建ってはいない。
「あの…」
心配になったか、そのちゃんが立ち止まったところで、相原はレムリアに言った。
「レムリア君。PSC。カムフラージュ部分解除。昇降ゲート開口」
「判りました」
レムリアはウェストポーチから耳栓に似た小さな物体を取り出すと、耳に収めた。
程なく草むらの一角、空中に、“巨大な樽の側面”と形容しようか、緩やかに湾曲した茶褐色の壁面が出現した。
「え……」
「これが私の研究所、アルゴ研究所だ」
相原のこのセリフは物凄い嘘である。
ドアノックの要領で、コンコンと茶褐色の“壁”の一部を叩く。すると叩かれた部分の壁が1段奥へ引っ込み、右方へスライドする。所謂プラグドアである。同時に、ドア下部より板がスルスルと手前に出てきて、草の上にスロープを形成する。
ドアの向こうに白い照明が灯された。
「どうぞ。ああ、この見えている“草むら”は、研究所の向こう側の光景を映し出しているだけ。地下室でも緑の風景をってね。実験中なんだ」
相原はまた嘘を言うと、先んじてスロープを上がり、中へ入った。
それこそ童話ファンタジーの“研究所”を地で行く様相のためか、そのちゃんは、あんぐりと口を開いてその場を動けない。
「私たちの研究所へようこそ」
レムリアは彼女の手を取り誘う。
“アルゴ研究所”はスロープから中へ入ると、まずは左右両方向へと伸びる通路である。二人並んで歩けるほどの幅はなく、断面は縦に長い6角形。発光パネルで構成された通路であり、左右とも“樽面”に沿う形で、緩やかに湾曲している。言うなればSFに出てくる宇宙戦艦の通路の趣。
「こっち」
レムリアはそのちゃんを伴い、通路を右方へ向かう。背後でスロープが格納され、プラグドアが閉じられる。その様子を、そのちゃんが立ち止まり、振り返り、心配そうに見つめる。
「私も最初同じ風に思った」
レムリアは言い、向き直った彼女に微笑みかけ、通路を進んだ。
「なんか本当にお話の中でも入ったみたい」
そのちゃんは見回しながら通路を歩いてくる。
左手、背の高い分厚い扉。
銀行の金庫室、そんな趣の観音開き金属扉。
通ると、中は広い空間。
空間の様子は、学生向きには講堂に似て、という表現が使えよう。一般向けには小規模シアターとでも書こうか。左手には湾曲し凹面を描く巨大なスクリーンがあり、しかしスクリーン前に客席はない。代わりに操作卓(コンソール)がスクリーンの曲面に沿って配されている。右手はひな壇になって後方へ高くなっており、それぞれの段にコンソールが1列ずつ。
「ここがコントロールルーム。まぁこちらへ」
相原はそのスクリーン直下、コンソール中央の席に座して招いた。
レムリアが促し、隣の空いてるコンソールにそのちゃんが座り、レムリアは更にその隣、小さなスクリーンを備えた彼女の指定席。
相原がコンソール上のボタン・スイッチをカチャカチャ触ると、全コンソールの表示ランプが一斉に点灯し、レムリアのいる位置を始め、幾つかの小型スクリーンにも電源が入って何やら表示する。正面スクリーンにはこの丘の草むら。
「レムリア君、宇宙ルーチン、いんすタイプワン、グラビティコントロールフルオート」
「了解」
相原の声に呼応し、レムリアがいろいろと操作する。
「お母さんを捜す、んだよね」
相原はそのちゃんを向いて言い、コンソール上の横向きレバーと、ゲームでおなじみ“ジョイスティック”を握った。
「あ、はい」
背後で観音開きの扉がズシッと閉まる。
「準備するからちょっと待ってね。補助機関始動確認。エアリフト」
相原がボタンを一つ押し、ぐらりと揺れる感覚。
「地震?」
そのちゃんが腰を浮かすが、
「違う、突風だ。ほら見てごらん」
相原が指差すスクリーン。草むらがびょうびょうたる風に吹き倒されている。
「いんすレディ完了」
レムリアが言った。
相原が答えて左手の横向きレバーを手前に引き込み、右手のジョイスティックを手前に倒した。
大画面の映像が、ドラマのシーンチェンジのようにスッと切り替わる。
ジェットコースターの落下前に似た、ふわっと浮き上がるような感覚一瞬。
「……え」
「グラビティは制御下です。0.997G」
レムリアが報告。
「了解。主機関停止」
相原は言い、横向きレバーを中立に戻す。
「了解。停止確認」
相原の声にレムリアがコンソールを見て応え、小さく笑み。
「博士お見事。現在地球とニュートン均衡。高度3万」
「了解、画面をナマに。ふふ、1年少々でなまる腕じゃないよ」
相原が言い、レムリアがボタンを押すと、大スクリーンには地球が映った。
「わあ!」
そのちゃんが大きな声で言う。それは驚きすら覚えるほど鮮やかな青と白のコントラストであり、そして、スクリーンのサイズに比して球の大きさは小さい。小さいが、陸地の輪郭や雲塊の描く筋など、ディテールは詳細にして克明だ。
まるでガラス越しに見ているように。
「これは宇宙船が捉えた現在ただ今の地球だ」
相原は言った。
「綺麗……」
そのちゃんの双眸が文字通り宝石を見たようにターコイズブルーに染まる。
「ついでだから写真でも撮るかい?レムリアそっちで、並んで、うんそう」
相原が携帯電話のカメラを起動し、そのちゃんとレムリアで地球を挟んでハイチーズ。
「後で印刷するよ。それでだね」
相原学は再びレバーとスティックを操作する。
地球へ向かって突っ込むように画面が動き、流れる。
次に映ったのは群れて移動する動物。近づくとサバンナを飛び跳ね走るインパラの群れ。
「このように極端なズームアップが可能だ」
相原がそこでコンソールのボタンを操作すると、画面左下に枠が出来、子画面が現れる。
見ていたインパラの群れが静止画となり、その子画面に縮小表示される。更に、その縮小静止画から一頭が切り取られ、子画面一杯に表示された。
同じ画像がレムリアのコンソール画面にも。
「データベース照合やってみ」
「え?ああ、うん……いえ、ハイ博士」
相原の言葉を受けてレムリアがコンソールをカチャカチャ。
コンソールは左右2画面となり、片方の画面に取り込んだインパラ、もう一方の画面には、どこかの野生動物保護センターのデータベースにあったやはりインパラの画像。
二つのインパラ画像を仕切るラインをまたぎ、一致率95%以上の表示。
英語表示だったが、相原が何かして、日本語表示になる。
「今、この動物の種類が何であるか、コンピュータを使って照らし合わせの作業を行った。95パーセントの確率でこの動物はインパラカモシカだとコンピュータは判断した。この技術を応用して君のお母さんを捜す」
相原の言葉にそのちゃんはコンソールから目を離し、まばたきもせず相原を見つめた。
「必要なのは君のお母さんの画像だ。どんなお母さんだったか、何か聞いてる?」
相原は尋ねた。
「きれいな人、だったって。私はお母さんにそっくり、だって」
そのちゃんは小さくはにかんで、言った。
対し、その向こうでレムリアが寂しげな表情。記憶にない母について尋ねる……それはむごい質問なのでは?
「そうか。レムリア、ウェディングドレスを彼女に」
「えっ?あ、はいはい」
レムリアが指をパチンと鳴らすと、そのちゃんの着衣が純白のウェイディングドレスに変わった。
裾は短めで頭に花冠。今の彼女に似合いで華やかで可愛い。
「あれっ!?」
そのちゃんが自分の変化に気付いて驚き、見回す。
「美人系の方が良かないか?」
「こう?」
レムリアが再度指を鳴らすと別のウェディングドレス。レースのヴェールで裾が長い。
豪奢でお嬢様風。ただ、いかにも子どもが無理してウェディングドレスを着ました、風。
「きれいな人、だったらこんな感じだろう」
「えっ?えっ!?」
そのちゃんは再び自分をぐるぐる見回す。
「なるほど。でも似合ってはいませんよ博士」
「いいの」
相原は再び携帯電話を取り出して開いた。
「こっち向いて、はいチーズ」
内蔵カメラで今度はそのちゃんだけを撮影し、即座にケーブルを使ってコンソールへ。
大画面が地球からそのちゃんへ切り替わる。
「あ、あたし」
「で、こうする」
相原は立ち上がり、後方ひな壇へ登り、その中位、ごく普通のパソコンが置いてある席に座した。
大画面のそのちゃんに、何やら薄く文字が重なる。
それは端的には英文のチャットである。会話形式で英文が次々刻まれて行く。
相原がコンピュータと英文で会話しているのである。
「成長解析?」
会話文を読んでレムリアが訊いた。
「そう。ほい」
相原がタン、と音を立ててリターン・キーを叩くと、画面のそのちゃんが変わり始めた。
まるで成長の軌跡を日々撮影し、アニメーションの手法で再生したように、顔かたちのバランスが変わって行く。
大人びた姿で画面静止。清楚な感じの若い女性。
「24歳のそのちゃん」
相原はパソコンデスクから言って寄越した。
「えっ!」
そのちゃんが振り返る。相原は頷き、
「の、予想図。仕組みはこう。子どもの顔と、その人が大人になった顔。どこが違うのか。たくさんの人の顔の変化をコンピュータに読み込ませた。目鼻の配置やその距離、顔の骨の形の変化。平均的にここがこれだけ違うってのを求めて、逆にそれから計算させたのがこれ」
「未来の彼女か」
レムリアが呟き、“二人の彼女”を見比べる。
「そう。それでね。更に、若い頃のお母さんそっくりに育った娘さん、ってパターンだけを抽出して、やり直しさせると」
画面の女性が切れ長の瞳のなるほど美人に変わった。
変化して現れたその“女性”。
そのちゃんは肩をびくりと震わせ、その様子を見ていたレムリアはハッとばかりに目を見開いた。
「これが、君のお母さんだ」
そのちゃんは画面に釘付けになった。
確かにその女性が母であれば、そのちゃんは“そっくりね”と言われるであろう。特に目元と頤はうり二つ。
魅入られたように、そのちゃんは身じろぎすらしない。……但し、相原の行った作業は統計学的な処理に基づく演算に過ぎず、遺伝子情報などを用いたものではない。従って確度は下がるであろうが。
“母”と見つめ合うそのちゃん。
“記憶にはない”かも知れないが、彼女が物心つく前の瞳で母を見ていたことだけは確かである。
その彼女が、今こうして、動けないような状態になっている。
白衣の二人はただ見守る。当初物言いたげだったレムリアも、今はただ、ゆっくりまばたきして待つだけ。
「頭の中がかき混ぜられるような気持ち」
かなり経って後、そのちゃんは呟いた。
相原はキーボードを再度叩いた。画面の“母”が、レムリアのコンソールからプリントアウトされて出てきた。
まるで結婚式場のスナップ写真。
「…本物みたい」
レムリアは見て呟き、そのちゃんに手渡した。
「私のお母さん……」
そのちゃんは写真に向かって呟いた。
その声音の故であろう、レムリアが即立ち上がり、彼女に寄り添う。
対して、
「ひとつ明らかなのは、君の身体の中にある“ミトコンドリア”。これは君のお母さんのもの、そっくりそのままということ」
相原は素知らぬ顔で、そして偉そうに言って、頭の後ろで両腕を組んだ。
「ああ、そうだね。ミトコンドリアは母のもののみが受け継がれる」
レムリアは表情を変え、明るい声で補足し、そのちゃんの手を取った。
「この中にも」
手のひらを指差す。ミトコンドリア。顕微鏡では細胞中の泡のように見える部分で、養分生成に参画している。すなわち“細胞の一部”であるが、太古は独立した単細胞生物だったようで、自分自身専用の遺伝子を持っている。
そして、ミトコンドリアの遺伝子は母方のものしか受け継がれない。
「あなたの身体のミトコンドリア。それはあなたのお母さん、そのまたお母さん、ずっと遡って人類共通の母からずっと受け継がれて来たもの。一方でこの博士が持っている細胞のミトコンドリアは、将来生まれるであろう博士の子どもには受け継がれない」
「そう。だから少なくとも、君の身体のミトコンドリアは、君のお母さんそのもの」
そのちゃんは、プリントアウトの“母”と、自分の手のひらとを見つめた。
「でね」
相原が言い、そのちゃんは目を戻す。
「その写真と、ズームアップと、照合の技術を使うと、世界中の人、一人一人の顔を取り込んで、片っ端から探すということが不可能ではない。発明ではなく、今の技術で不可能ではない」
そのちゃんの目が見開かれる。
「だけどね」
相原は画面を地球に戻した。
鮮烈なまでに青と白の星。或いはそんな模様のクリスタルガラスで出来たビー玉。
「世界の人間、今はざっと60億。女性半分で30億。片っ端から調べたとして、半分で見つかったとしよう。一人一秒かかるとして15億秒。さぁこれってどのくらいだと思う?」
「え?1週間とか……1ヶ月くらいかかっちゃう?」
レムリアがフッとため息をつき、目を閉じる。
「47年6ヶ月」
「よ……」
そのちゃんが絶句する。1年は3153万6千秒(1日を24時間)。10年で3億秒である。15億はその5倍。
「残念だが、君自身がママになる方が早い」
相原は言った。
そのちゃんは顔を伏せてしまう。
「かえって傷つけてしまったかも知れないね。でも、そこさえ何とかすれば可能なのは確かだ。そしてその何とかすることこそ発明なんだと思う。何とかしたい。それが発明の始まりなんだ。やりたいことと出来ることの間を埋める。埋める方法を探す。それには知識が必要だ。知識には多くのヒントと限界が含まれている。全然関係ないように見えて実は似ている、そんなものはないだろうか。違うように見えて見方を変えると実は一緒だったりしないだろうか。上から見てみる鏡に映してみる。原理原則だけでどこまで突き詰められるだろうか」
相原のセリフに、レムリアの目が徐々に見開かれて行く。相原が喋っているのは、“本当の発明”。つまり物語の夢ではなく、企業の研究者が特許を書くための実際的な考え方・着眼点である。
「求め続けて、そして現実にしてきた。人類はその繰り返しでここまで来た。例えば月へ行くための主なアイディアは、19世紀にジュール・ヴェルヌが物語に書いてるよ。アメリカはそれを20世紀の技術で実際やってみただけ。そして同じく、僕が出来るのはここまで」
相原は再びレバー類を操作する。画面が動き、彼女が住んでいる施設が映った。
「あ……」
「君を誘拐していいのは8時まで。所長さんとの約束で君を返さなくちゃならない。だからこの続きは是非君自身に。君の知りたい、生み出したいという気持ちは、僕よりずっと強いはず。その信念は徹底的に……という形に結実し、壁を越えるヒントとなり、やがて発明に繋がるだろう。発明は義務でも遊びでもない。弟子になって習う物でもない。求め続ける心のゴールさ」
相原はコンソールのボタンを押す。背後の重い扉が開く。
「申し訳ないが約束の時間だ」
相原に促され、少女は“母”の写真を手に“研究所”を後にする。
うつむいてスロープを歩き、降り立つそこは施設の駐車場。煌々と照らすライトが、施設の建物を夜に浮かび上がらせる。
白衣の二人はスロープまで送りに出た。
「期待させるようなことをして、ごめんなさいね。このバカ博士が」
少女の背中に向かって、レムリアが申し訳なさそうに言った。
「ううん」
少女が振り返り、首を横に振った時、レムリアは手品の手法で取り出した特大ハリセンを、相原の後頭部に打ち込むところであった。
スパーン!
「あうち!」
相原のメガネが飛ぶ。
少女は足元に転がったそれを拾いながら微笑み。
「そんなことないです。やれば出来る!って思いました。元気が出ました。頑張って発明します。ありがとうございました。博士、助手さん」
頭を下げる。
その姿に、当然とばかり軽く笑って頷き、メガネを戻す相原。
対し、レムリアは少し感心したような表情を見せ、再度振り上げたハリセンを中途半端に下げた。
「それじゃ」
少女は二人に手を振って背を向け、施設へ向かって走り出す。
その途中で、気付いたように立ち止まる。
「……あれ?確か研究所って草むらに」
と、少女の言葉をかき消すように風が吹く。背後で風がわき起こり、少女の後ろから吹き付ける。
少女は風に飛ばされぬよう、写真を胸元に引き寄せて抱きしめる。施設駐車場のライトが自分の影を作り、その影を横切るように何か浮上して行く。
船を形をした影。
少女は影の方向を振り返り、風を受けて髪を流す。影を作ったそれは視界上方、空中にある。
宙に浮かぶ確かに帆船。浮上して行こうとする船。
その甲板に、自分を見降ろす白衣が2人。
少女は向かい風の中まばたきもせず、浮かび行く船を、白衣の二人を見つめ続ける。
すると突如、その船は素晴らしい速度へ星空へ向かって駆け上がり、流星のような輝線を描き、西方へ消えた。
少し遅れて。
残った風の中、ひらひらと舞い降りてくる紙が一枚。自分が手にする写真と同じく、何か印刷されている。
手にするとそれは、鮮やかな青と白が彩なす水玉。
を背景にレムリアとスナップショット。
似たような写真は……新聞にあった。日本人宇宙飛行士のスペースシャトルでの活躍。
「所長!谷崎(たにざき)所長!」
少女は、にわかに走り出す。
博士と助手(但し魔法使い)と/終