豊穣なる時の彼方から
 
こんな暑い土地にお菓子を持ち出すのは適さない。
溶けるからだ。砂糖を含んだものなんか特にそう。ただ、お菓子は子ども達に受けが良いし、少ない量でカロリーが多めに取れる。持参できる食品の量に限りがある中で、効率がいいのだ。
アフリカ南部。内戦で村を破壊された人たちの難民キャンプ。
テントの中で男の子が囓っているのは日本の“塩せんべい”。溶けてベタベタしないものは何か、を探した結果の試みがこれ。不思議な光景のようだが、アフリカ大陸の東に浮かぶマダガスカルは米の産地。大陸側近隣に米食文化が広がっていたかも知れない、ということからの思いつき。
「Une grande soeur de cheveux noirs」
たどたどしいフランス語で、男の子に呼ばれて、彼女は振り向く。
「Est-ce que vous mangez encore?」
せんべい片手の彼女を見たならば、日本の中学校の看護師体験学習かと見まがうであろう。彼女は確かに白衣に身を包んでいるが、その顔立ちは“ころん”として、少女マンガのヒロインのようで、ショートカットの髪は黒く、髪と同じく黒き瞳には星空を蔵す。
しかしここはアフリカ大陸であり、彼女が操ったのはフランス語である。ちなみに、「黒髪のお姉ちゃん」と呼ばれて、「もっと食べるの?」と応じた。
すると。
「Une personne est morte」
男の子は淡々とそう言い、せんべいをばりっとかじった。
「Est-ce que vous avez regardé une personne morte?」
彼女は目を剥いて訊いた。同時に彼女の後方、ノートパソコンを見ながら何事か会話していた白衣の数人から、背の高い男が振り向いた。彼は欧州人種であり、ブロンドの髪に青い瞳。
以下日本語で記す。
「死体だって?」
「ええ確かに、そう言いました」
彼女は応じながら立った。身長152センチ。その背と顔立ちは、欧米人主体で構成される国際医療ボランティア“欧州自由意志医療派遣団”の中にあって、ひときわ小柄で幼く見える。しかしそれが逆に、子供たちには親近感を与えるようだ。
「見てきます」
「気をつけて」
送り出されてテントを出ると、ひたすらな赤土の大地。
焼け付く日差しと揺らめく陽炎。
この大地は、この人達が長く暮らしていると聞くこの土地に、いつから雨が降っていないのか。
「こっち」
男の子はせんべいをかじりながら、多少のブッシュが見える大地を歩いて行く。その案内ぶりには行き先に“人の死体”があるという緊張感は見られない。
逆に言えば見慣れてしまっているということだろう。日常茶飯事的に人が死ぬ。その環境に育つ子ども達。
「ここ」
男の子は立ち止まり、地面を指さし、残りのせんべいを口の中に放り込んだ。
彼女はその指先に目を向けた。
医療関係に関わっている以上、見ていないことはないのだが、目にすると“ドキリ”とする反応だけは今もって抑えきれない。
人骨。
見る限り地表に転がっているそれは大腿骨。茶褐色に変色している。
そして赤土に埋まり、表面にレリーフ状に浮き出ている頭蓋骨の側面。
殺人事件か、それとも戦闘の犠牲か。
いや…。
彼女は直感を得て大腿骨を手に取る。そして目を閉じる。
見えてくる風景がある。草原。サバンナ。
遠く木の姿も見え、陽炎の中を行き交う野生動物。
遥かな過去の光景だと彼女は判じた。それは、この骨が肉の身の裡にあった時、この人が見ていた光景。
“サイコメトリ”に“ポストコグニション”…彼女が現在ただ今発揮している“能力”は、そうした“超心理学”用語で説明される。
俗に言う超能力、その一種、超常感覚的知覚(ESP)である。
ゆえもあり、彼女の下す、こうした地における1次判断は的確にして正確無比である。加えて病気や怪我に打ちひしがれた人々の目を希望の光へと向けさせ、状況によっては驚異的回復へと導くことすらある。
それは医療団のスタッフには奇跡そのものと映るようだ。故もあっていつしか付いた彼女の呼び名が
ミラクル・プリンセス。
「プリンセス」
背後からの声に彼女は目を開く。
「はい」
「ああ驚いた。何度か呼んだのですが。…それは大腿骨」
無精ひげにサングラス。スコットランドが郷里という、ひょろりとした男が呟いた。彼らコーカソイドの瞳にアフリカの陽光は深刻に強烈すぎる。最も、人類の出自はアフリカであり、どころか、アフリカの一部部族は遺伝的にヨーロッパから戻ってきたコーカソイドの末裔という研究もある。
「です。ですが、これは私たちよりむしろ考古学、人類学のプロフェソールにお任せすべきかと」
「古代人ってことか」
「ええ恐らく」
熱い風が吹く。見渡すとあちこちに、複数の人数分あると思われる、肋骨や腕の部位の骨。
「ここは墓所なのかも知れないな」
墓所。
だとすれば聖地であり、このように野ざらしで良いことはないはず。
彼女は男の子に族長さんへ連絡して欲しい旨伝えた。
その間、背の高い彼は座り込み、いにしえ人の骨を手に取り観察。
「ああ、この大腿は現代よりも太いくらいだな」
次いで埋もれた頭蓋骨を手で掘る。
「この歯。すり減っていないのが判るかい?古代ここはこんな砂だらけの荒れ地ではなく、植物が良く繁茂し、食べるものも豊富だったということなんだろうな。やがてテクトニクスで砂漠化した。そして現代になって砂嵐が吹き荒れるようになり、その砂嵐がヤスリのように作用して表層が削り取られ、こうして彼らが露出した。おおこれは凄い。ここを見てごらん」
ひょろ長の彼は独り言のように喋っていたが、実は自分に話しかけていたのだと判り、彼女は彼の指先に目をやった。
透明な石。首の骨の部分に規則正しく並んでいる。
それはネックレスとして、この人が首にしていたことを意味する。
「水晶?」
「ではないな。100キロ向こうにキンバーライト噴火と見られる火山の噴火口がある。これは恐らくダイヤモンドだ」
「…ダイヤ」
「盗掘されていない。恐らくは豊かに栄え、そして戦乱などなかったのだろう。彼らが現在この有様を見たら子孫の業を何と感じるか」
この有様…ひょろ長の彼が示したそこは、荒廃した赤土の上に並ぶ多数のキャンプ。
わずかな利権、国家・支配権力を争った結果の姿がこれ。
その時。二人の背後に人影。
振り返ると、さっきの男の子と、男の子に連れられ、木の枝の杖を手にした民族衣装の族長。
彼女は族長の瞳を見た。…その瞳は白く濁り…すなわち白内障であって光を失って久しい。しかし間もなく、その瞳が見開かれた。
驚いた表情が形作られる。さもあろう。彼女は今、その超常感覚的知覚を用い、族長と意識を交換している。その能力だけを取って名をテレパシー。
彼女は口にする。それは族長が脳裏に浮かべた伝承の言葉。
「満ちた時、黒曜石の瞳の天使が母なる天空より舞い立ち、父なる大地より解き放たれた、数多(あまた)虹の石のありかを示す。この声を伝える者よ、その時が来たならば天使の言葉の赴くままに、手にしたツハルを大地に立てよ」
「なんだいそれは?」
ひょろ長の彼が訊いた。
「この地に与り知らぬほど太古より伝わる伝説。と、族長さんに伺いました。えっ?」
彼女はそこで族長を振り返り、目を円くし、自分を指さした。
「(あなたこそ黒曜石の瞳の天使。天より舞い降りた伝承の天使)」
族長は、杖を持つ手を彼女へ向かってさしのべ、ゆっくりした口調で、部族の言葉で、そう言った。
彼女はこの地の言葉を知らぬ。もちろん、テレパシーによる理解である。
「あたしが?」
そんな馬鹿な。
「確かに、お姉ちゃん、空から降ってきた」
男の子が言った。
まぁ確かに、黒い瞳で、空から来たと言えば来たが。
ヘリコプターで降りてきた東洋系の小娘と、天から降臨する使者とは、思い切り対極にあると思うが。
「(言葉を、あなたの言葉を)」
族長は完全に信じ切っているようである。その目には涙さえ浮かべている。
恐らくは彼の種族にとって最高位の伝承に違いない。似た例として聖書にも伝承の王国が出てくるが、“その時”に出くわすのが類い稀なる栄光と幸福であろうことは、それだけをネタに自称イエスが新興団体を立ち上げることからも容易に判る。
ひっくり返せばそれだけの重みがあるということ。だとすれば、「違います」と固持するのは、激しい落胆をもたらす事は容易に想像が付く。ましてや…どうも族長殿は己が目が光を失った代わりに、栄光の時に立ち会えた…という感慨を持っているようだ。だったらなおさら。かといって“その振り”をしても、何も起こらないことは確実。
でも、ない。
彼女は示唆を得る。そしてその得た示唆のままに口にしてみる。
「(秘めたるを白日の下に。待つべき時の満ち足りて)」
それは現地の言葉ではなく。フランス語や英語でもなく。どころか、世界のどこの辞書にもない語。
族長の顔に笑みが刻まれる。そして手にした杖を高々と太陽へ。
彼女の言葉を三度繰り返す。
「プリンセス。一体何が?」
訝しげなひょろ長氏。
「風が来ます。砂が入るので各キャンプは入り口を閉ざして」
「え?」
「ハルマッタン。そばまで来ています。早く」
「わ、判った」
スタッフが走り出し、彼女は北方へ目を向ける。
遠くサハラに連なる大地の向こう、雲のように視界に広がるモヤモヤした領域。
ハルマッタン(Harmattan。焼け付くサハラで高温高圧となった空気が、漠たる砂を伴いながら、周囲へと吹き広がる暴風。
今彼女が見ているモヤモヤは、その作り出された砂嵐である。
予兆となる風が吹き始める。普段住人達はここで気付くようだ。族長が風の来る方を振り返る。
天に向かいそそり立ち、迫り来る砂の壁。
彼女は族長、そして男の子と共に近場のテントに身を寄せる。
砂塵を伴う空気の塊がキャンプにぶつかる。
地響きに近い音を立てて暴風が狂い、テントが揺れる。あちこちでいろんなものがガラガラ落ちる。
何時間か続く。ようやく収まったのは夕刻近く。
何が生じたか彼女には判っていた。
テントから表へ出、古代の墓所に目を向けると、その一帯だけ星空になったように、夕日にキラキラ光っている。
砂嵐のヤスリが更に大地を削りこみ、埋葬されていた亡骸の装飾品が顔を出したのだ。
男の子が族長に説明している。族長は頷き、やがて大地にひれ伏す。
彼女の肩にポンと手が載った。
ひょろ長氏。
「…なるほど数多虹の石が出てきたわけだ。時にプリンセス、聞けばプリンセスの国は代々魔女を排出してきたとか。これもそうなのかい?」
彼女は何も言わず笑った。
族長が立ち上がって彼女を見る。
「(あなた様の名は。黒曜石の天使よ)」
「レムリア」
彼女は答えた。
 
豊穣なる時の果てから/終
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